後日談

残暑お見舞い申し上げます。

夏休みに入り、旅行や帰省やらでバタバタしておりました。

実家にも帰りましたので、ゆるい非活となった母の後日談を久しぶりにお伝えします。

まず先の参議院選挙。
投票の数日前、母は私と主人に「投票に行ってください」とだけメールしてきました。
(政党候補者名は書いてませんでした)
返事をしませんでしたが当日確認もなく、実家方面の候補の当確が出てもメールはなく。
ずいぶん母も落ち着いたもんだなーと感心。
選挙時の「必死さ」が消えた事に軽く感動。
後日別件で連絡を入れた際、こちらから何も聞いてないのに
「F活動に行ったんだけどさあ・・」との話題が飛び出し。
近隣学会員から請われて、婦人部数人連れだって知り合いを回ってF稼ぎ・・に、
外部友人の多い母が駆り出されたのです。
以前は連日参加のF活動も、今回は他の予定との兼ね合いもあり1日だけと決めて
動いたとのこと。
そこで長年快く投票を確約できたとある友人宅へ行くと、
「今回ばかりは応援する気は無い。帰ってくれ!」と、怒りだしたというのですw
母にとっては、学会員が改憲擁護派の公明党を支援することは「整合性がある」ことなので
F活動を手伝うことは、なんら矛盾がなかった。
けれど某友人は「平和の党だから応援したのに。矛盾しているじゃないか!」と
お怒りだった、と。
母は「前々から(縁を)切りたいと思ってたから、丁度よかったわよ」と強がっておりました。
この話を聞いて、本当に母が変わったな~と感じました。
以前の母はもっとF活動に積極的でした。そこをたった1日だけにしたというのが凄い変化で。
また、友人から上記のような態度をとられようものなら、絶対理解者にしてみせる!と
燃えるタイプでした(厄介w)。
私もただ「うんうん」と聞くだけで、何の感情も浮かんでこなかったのが感慨深く。
以前の私なら、批判精神バリバリで・色々突っ込んだしイヤミの一つも言ったでしょうが、
今回は「お疲れ様」とだけ言いました。 本当にその言葉しか浮かばなかったのですw
F活動は友達をなくす・・というリアルに、母は強がってはいたけど、気がついたと思います。
私的には、それでもう充分ですw
また、連れて行って欲しいと頼んできた某婦人について、幻滅する出来事があったそうで
その人に会いたくないがために、選挙当日の拠点闘争には顔を出さなかったと(!)
これにも驚きでした。
幻滅の詳細は聞きませんでしたが、選挙では色々と「お疲れちゃん」な母でした。

そして先日、実家帰省の折。
リビングに聖教新聞が置いてあったので、何か笑えるネタはないかとチェックw
これといった目新しい内容も無く、テレビ欄を流し見たあと横へ置きました。
すると母が私に向かって
「こないだ久しぶりに会ったお友達(以前母が新聞贈呈していた)に突然言われたんだけど・・
”創価の人って、大変なことばかり起きるのね~”って言われてさ。
もう、びっくりしちゃったわよ」と。
私も一瞬どういう意味だか分らずでしたが、母の弁によれば
3ヶ月の間、友人は毎日新聞に目を通していた。
毎週のように掲載される学会員の体験談に特に注目していた。
これほどまでに不幸が続くのだろうか? こんなに難病や事故が立て続けに起こるなんて
身近な(一般人の)知り合いでは聞いた事が無い。
この新聞には毎週のように、そんなひどい目に遭った・大変で辛い目に遭った人の話題が
掲載される(・・たとえハッピーエンドでもwそこには一般人は食いつかない・食いつくのは
創価脳だけという現実)。
「”創価に入ると高確率で不幸に遭っちゃうの?お気の毒ね、私の周りではこんな話は
 ひとつもないから~” って言われたのよ。
 新聞社も、考えたほうがいいわよ。そりゃ、信仰体験は素晴らしいものだけど・・。
 外部の人には、まるで不幸のオンパレードと読まれていたなんて、びっくりだったわ!」とwww
よくぞ言ってくれた!ご友人GJ!
私自身、SPの体験談は「お家芸」「お約束」くらいの固定観念・認識でしたから、
こんな新鮮な(?)・的を射た見方があったんだね~!と、驚かされ。
外部目線って本当に貴重です。冷静に事実を教えてくれます。

そして私がヤイヤイ言わなくなっても、ちゃんと母の周りに冷静な意見を(敵意や悪意ではなく)
率直に伝えてくれる人が現れる・また、母もその話にちゃんと耳を傾ける(反論できなかったと
言っていました)姿勢になるんだなぁ・・と、感慨深く。

私が見たその日の新聞に、老夫婦の近影は掲載がなかったのですが
母曰く「もう、載せるのやめたらいいのにって、ときどき不憫になる写真がある」と。
爺の目線が定まらないその姿を、態々さらす事に違和感をおぼえると言っていました。
3年前に私が「爺様、ろう人形みたい」と発言したときは、母に激しくたしなめられたものですが・・w
それさえなつかしく感じてしまうほど。

今回はお盆の会館法要へも母は参加せず。
私も姉も車があったので、会館へ連れていく事はやぶさかではなかったのですが
母が行きたいとか・連れてってほしいと言いだしませんでした、珍しく。
家族揃って父のお墓参りへ出かけ、食事をしました。

私が創価問題@母への執着を手放したら、勝手にいろんな事がおきてくるんだなぁと
感心したのです。
相手を信じて手放すことの効果をまた感じた帰省でした。

最後にちょっと笑った話。
実家で使わなくなった花瓶を持ち帰るため、古新聞で梱包していたときのこと。
たまたま手に取った古新聞が、未来部向けの内容でした。
そこにあった7つの指針のひとつに爆笑。

「常識を忘れないでいこう」 

と書いてありましたwwwwww
(未来部 希望ネット ぐぐってトップページをご覧ください)

いやはや・・どの口がいうか・・。
組織内で従順に育ったら、世間で言う非常識=「創価の常識」がデフォになるんだよ!

一般常識を忘れないでいこう」

と書くのが、実際未来部のためだよ・・と思いました。
あえて「一般常識」としないところに、大本営のジレンマが見えた気がするのは
私だけでしょうかw
組織において「常識」って・・一番使っちゃいけないNGワードな気が・・w

今年も出かけた離島の海の写真です。
top183.jpg

まだまだ暑い日が続きますが、皆さまどうぞご自愛ください。
良い夏を♪

「ニュー・アース」記事は2-3日中にUPいたします。


スポンサーサイト

解釈の変更

今年の春休みに帰省したときのこと。
母の信仰観に変節を感じたやりとりがありました。

癌再発で入院したおばの見舞いに同行。
おばは外見こそ痩せてしまいましたが、口は達者。
声も大きく・・というか、アンチな私がやってきたからか?気勢を張っている感じがしました。
”病になんて負けてないわよ!!生命力よ!!”的な。
池田老人マンセーは相変わらず、サイドテーブルの上には新聞や創価系書籍が積まれ。
池田夫妻の写真入りフォトフレーム(B5サイズ)が飾ってあるのを見て、一瞬唖然としました。 
ここは北朝鮮ですか?!と・・w
しかし、おばにとっては夫妻が”マイアイドル”状態なんだよね・・押しつけでやらされてる訳でなく。
写真を見たら、元気が出るんだろう(創価脳流にいうと元喜?w)
こんな写真飾って、ださっ!趣味悪!と思うのは、私の美意識からであってw
おばはそれを生きる活力としている・・これはただ価値観の違いなんだな・・と思い直し。

その日の夜、母いわく
「姉(=おば)の癌は治らないって、医師がいってるし本人も解ってる。
 でも、姉は今世で宿業ださせてもらってありがたいって、最後まで闘いきるって喜んでる。
 闘いきっておけば、来世は病気をしない境涯で生まれ変わってこれるから。宿命転換だよね。
 だからいま病も苦でない。ありがたいことなんだよ」と。
私は思わず質問しました「それって、完治せずに病死しても宿命転換した事になんの?」と。
母は「そういう事。今世で因を断ち切ると、自分が決めて祈りきったらね」と答えました。
え?そうだったっけ?私が昔習った解釈と少し違うような・・と思いましたが、敢えて口にせず。
そして母も、2014年に手術した部位に再び疾患がみつかったことを話してくれました。
再手術は年齢的に厳しい為、今後新しい治療法を試していくことになったと。
「それでも私はいま(疾患が)見つかってありがたい、と思ってる。
 ここでしっかり、祈りきっておけば、来世は安泰だからね。
 この(病の)因をいま出してもらえて、良かったよ」と。
病気が再発したからと、落ち込むのではなく、前向きに受け止める・・それはいいことかも
しれません。
母は病になぞらえて、私自身におこったとある出来事についても
「しっかり御本尊様に祈り切っていきなさいよ。お題目しかないよ!」とアドバイスが。
もちろん、右から左へ聞き流しました。

私が昔、組織で聞いた「宿命転換」の解釈・・たとえば病気であれば
”祈りとして叶わざるなし”で”湿れる木より火をいだし”な勢いで祈ることにより「完治」することを
指していました。
治療に何年もかかる、と医師の見立てを短期完治した・・等もあてはまったと思います。
が、その病気が治らないままで・死因が病で亡くなる事は「宿命転換」とは呼ばなかったような?!
あくまでも「克服(=完治、寛解)」が、宿命転換できた!という基準だったはずなのです。昔は。
いうまでもなく、組織内での基準であり、日蓮大聖人がそう明言したわけではない・・
(それどころか、日蓮自身は「宿命転換」なる言葉を書き遺してもいない・・ということを
覚醒後に知ってたまげた記憶がよみがえります。 一体誰の造語なんでしょうか?!)
ベースには「不可能を可能にする信心」という前提があり←これも、誰が言いだしたのか?
もう今となってはおろすべき看板じゃないかと思いますw
15年ほど前の話ですが、放射線治療を拒否し「お題目で治す!必ず治して現場に戻ります!」と
宣言していた同志が、数カ月後に亡くなった時、葬儀では微妙な空気が漂っていました・・。
「お題目で治す!」こんな決意に、一般人なら「無茶言うなよ」との意見を当たり前にもつでしょうが、
創価脳はまず「無茶」だとは思いません、当然お題目の力を信じているからです。
それを否定してしまっては、学会員として成り立たなくなりますからw
お題目の甲斐なく病死するという事実を目の当たりにして、幾許かの動揺があったのでしょう。

今回の記事を書くにあたり、一般活動家の認識をしるべくブログなど検索し、いくつか読んだの
ですが、やはり「完治・寛解が宿命転換の証」と捉えている方がおられました。
けれど当事者や家族が祈っても・活動(新聞推進や対話等)を頑張っても、病状は悪化していく。
このまま治る見込みなく死ぬのだろうか?心が折れそうだ・・と素直な胸の内を語っていました。
それを読んで「やっぱり、宿命転換って完治ベースだよね?昔、そう言ってたよね。
完治もしていないのに、克服したとか・因を切ったというのはちょっと違うよなー?」と思い。
だのに、ついているコメントを読むと、母と同じような見解で
「祈りきった者にしかわからない境智がある」「完治だけが宿命転換ではない、生きざまにそれが
あらわれる」云々とありました。
結局はポリアンナ症候群に収まるのだなぁ・・と思い。
あくまでも自分の信じているものを否定しないように、都合良く折りあうのです。

以前頂いた非公開コメントで、覚醒のきっかけが「同志のマウンティングに疑問を持った事」と
教えてくださった方がいました。
その方はお身内を若くして癌で亡くされ、大変落ち込んでいたとのこと。
同時期に癌を克服した地域同志がおり、その同志が
「家族全体でまぎれもない絶対勝利をかちとった。勝利なくして信心はありえない。
 勝利したものにしかこの確信はつかめない」と勝ち誇っていた事に大きなショックを受けた、と。
(↑この同志はあまりにも配慮がなさすぎると思いますが、それもまた創価脳の常で、
 自分さえ良ければ、それでいい。選民思想のなせる技です)
自分たちだって家族全体で祈り動いたが、がんを克服することはできなかった。
自分たちの信心は何か間違っているのだろうか? 病死=敗北なのだろうか?と悩み。
指導を受けても、しっくりくるような・腑に落ちる答えは無く・・。
このような経験を持っている方は、多数おられると思います。
癌が日本人の死因1位であり、完治しないまま亡くなられるというのは、組織内においても
決して珍しい事ではありません。
私の知る限りで、学会員で癌を完治した人は1割にも満たない。
寛解しても後年再発して亡くなられた、ということだってありました。
それでも葬儀の際は「闘いきって安祥として霊山浄土へ旅立った」
「(病気で亡くなっても)見事な宿命転換の姿」とか幹部が挨拶しちゃうよねー。
あれはいったい、なんだったんだ?今さらだけど。
結局は「(自分達学会員が)いいように思えればそれでいい」という話じゃないかw
必ずしも「完治」が勝利ではない・・という事にしないと、敗北者→脱落者が続出してしまう故、
「今世病気になって万一治らなくても、信心しておけば来世は病気にならない」なんて説を
採用し、条件緩和で、信じているものに都合良く折り合う手法を取り入れるようになったのか?と
思うにいたり。

ふと去来したのは、2014年の手術前夜「生きて帰れるのだろうか?」と呟き、術後は涙ぐみ
この年齢になって大病をしたのは一凶を断ずることが出来なかったからだ・・と、見舞いに来た
幹部の前で自省していた母の姿と(この記事)・
2015年2月、おばが癌を患ったが公表せず、手術が終わるまで誰にも言ってくれるな!と
恐怖に怯えていた事でした(この記事)。
母もおばも、70代も半ば過ぎて思いがけず大病に遭い、一時は怯んだのだろう。
「これまで活動も信仰もこんなに頑張ってきたのに何故?」と。
おそらく、病に遭うまではおばも母も、選民思想でこう思っていたはず
「他の学会員がそうなっても、自分に限ってそれ(大病)はない」。
しかしそうなってしまったことで揺らいだ・・が、この信仰だけは絶対と思いたい。
人生の殆どをかけてきたこの信仰を、いまさら否定したくは無い。
そこで、新たな解釈を手に入れた。
病が完治しなくても自分が「闘いきった」「祈りきった」とできれば、そこで因が断たれるんだ・
いま治らなくても、来世が安泰だから、いいんだ!と。
自分で見ることのできない「来世」に希望を見出し、今この現実を受け入れるという解釈。
うーん・・。
これって、宿命転換なんだろうか?  本人がそう思えるなら、それでいいのかもしれないが。
ただ、一つ言えることは、すべて自分でそう「思って」そう「決める」だけでいいのなら、
じつのところ、特定の宗教(団体)に依らなくてもいいのです。

なにか特別な教えが・宗教行為が無ければダメなんだ、という次元では既になくなっています、
”自分で思って、そう決めるだけ”の話ならば。
宗祖日蓮もそこ(宿命転換)に言及していないし、ましてや誰ひとりとして、結果としての「来世」を
見たことが無い。
こんな不確かな話ってあるだろうか。前提からしてgdgdだということに、なんで誰も気付かない?!
さらには「創価学会に加入した状態で日蓮仏法をベースとした信行学に励む」←これがないと
”宿命転換はできない”(逆にこれをすれば宿命転換ができる)だなんて、理屈が通らない。
それこそ「学会活動」とかいう、新聞推進や票取りなんて行為は、全く無用な事でしょう。
そんなことに時間とお金を費やすくらいなら、もっと自分を喜ばせる方向に使えばいいのです。
もちろん、学会活動がどうしようもなく好きで好きで楽しくてやってるんだ!というのなら
個人の娯楽を、止めはしませんがw

これまで母は一度も学会(大本営)を批判した事はありませんし、会合に参加しなくなっても
大本営および組織を、否定も肯定もしていません。
脱会について口にすることもないし、新聞は購読を続けています。
新聞購読に関しては、母にとって組織=ご近所づきあいの延長線上ということもあり、
つきあいの一環としてやめられない・・という側面があるのだと思います。
会合にはほとんど出ていませんが、近隣同志とのつきあいは続けていますし、
周辺へ非活宣言をしたわけでもない。 実にゆるっとしたものです。
そのあたりどういう気でいるのかは、聞いていません(というか、聞かない事にしています)。
御本尊を日々拝し祈る。悩んでいる人がいたら、題目をあげるように勧める。
その行動が現状母の信仰スタイルとなったようです。
他人に勧めるのはいかがなものか?と思いますが(どうしてもその先に本流→組織入会が
ちらつくので)
表立って活動をしなくなっただけでも、ずいぶんましだと私は思っています。
そして、脱会する・しないには、私はもう拘っていません。
母らしく、楽しい余生を送ってくれたらそれでよし、と思っています。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

母との対峙が始まってから、まる3年。
私が創価問題に躍起になっていた頃は、全くと言っていいほど進展がなく、
むしろ母の独善性ばかりを知ることになってしまい、残念でなりませんでした。
それは、これまで綴ってきた通りです。
風向きが変わったのは、母に(絶対言えないと思っていた)創価信仰オカルト論をぶつけた事で
(この記事)母の本音が飛び出し、姉に役割をシェアしたあたりからです(この記事)。
以降、私は創価問題に「躍起」になるのをやめました。
自然とそうなった、というのが正確だと思いますが、力が抜け必要以上に創価問題に対して
腹を立てることもなくなり、意識を向けることも少なくなっていったのです。
これが「問題解決のために、問題を手放す」ということなのですが、それを知らずのうちに
実践していたんだ・・!と気付いたのが、「とある出来事」に悩みに悩んで、答えを探していた
時でした。
「とある出来事」に遭ったおかげで、他にもたくさんの気付きがあり、
自分が創価や日蓮仏法を否定してもなお、長年刷り込まれてきた「思考のくせ」を固く握りしめて
これまで生きてきた事を知り・唖然としました。
次回から新カテゴリにて、書いて行きます。

この記事をもって、いったん「創価脳な親との関係」は〆させていただきます。
長らく読んでいただきありがとうございました。

殊更ネガティブという罠

2015年末。
「とある出来事」から精神的に疲れ、正月の帰省も止めたいと思っていました。
が、12月の七回忌にも行かず正月も帰らないとなれば、「何かあったのではないか?」と
母が勘ぐるだろう。
それがイヤだったので、気は進まないながらも帰省しました。
(今思えば、無理しなくてもよかったなwと思いますし、
何かにつけて、いちいちどれだけ母を意識していたのか自分!と、恥ずかしい思いです・・)

とある出来事を話せば、母はこう言うだろう
「それみたことか!信心をおそろかにし・学会を誹謗した、あんたのせいでそうなったんだ!」
=罰が出たと、いの一番に責められるに決まってる・・と想像したのです。
また、せっかく非活道を歩み始めた母が、「自分が会合にでなくなったから罰が出たのか?」と
勝手な”玉突き責任論”を感じ、活動に復帰したら目も当てられない!との懸念も有りました。
何かと言えばすぐ、信仰状況と結び付けて説教をぶつ。創価脳な親の脊椎反応はもうたくさん。
ただでさえ、とある出来事にショックを受けているのに、母と無用なバトルを繰り広げるなんて
疲れが増幅する一方。それは避けたい。
こんな想いが一瞬にして頭の中を駆け巡り、創価脳な親子関係って本当に異常だし・
つまらないもんだな~・・と悲しくなり。
「こんな困ったことがおきて・・」と話した時、普通の親子だったらどんな会話になるのだろう?
”それは大変だったね・・気を取り直して・気を強く持って・頑張りなさい”こんな感じ?
単純に励ましの言葉または、叱咤激励するにしても素行や言動について注意する感じかな・・。
少なくとも、”特定宗教団体にたてついたからだ!”とか”活動に参加しなかったからだ!”
なんて会話は、普通の親子にはないよね。
現実に、私と子供の間でそんな会話、ありえない。
”ネガティブ”な話が、非常にしづらい。
創価脳は「ただあるがまま」を受け止めず、創価教学フィルター越しだから、話が通じない。
異次元の解釈をされてしまうという事が、創価脳の親を持つ家族にとって何より一番の不幸だ・・
と感じていました。

2016年正月帰省時、いつものように父のお墓参りに行き、姉夫妻をまじえ食事をし
何事もなかったかのように過ごして、居住地に戻りました。
が・2月に入り、「とある出来事」を話さざるを得ない状況がやってきました。
その頃にはもう、事態は終息へむかっていたのですが「実はこんな事があって・・」と
カミングアウト。
私は身構えていました「罰が出たんだ・・」云々の嫌味と説教がとんでくることを。
だがしかし、出てきたのは想定外の言葉。
「まさかだね・・大変だったね。 
 私の事はなにも心配いらないから、自分の家族をしっかり支えてやんなさいよ」と。
エー?!
まさかの説教なし?オカルト罰論なし?と、驚きました。
ただ直後に「今こそしっかりお題目あげなきゃ。今年は100万遍チャレンジだよ!」とorz
そこ(題目)だけは、何が何でも譲らない母。
これ、今聞いて大丈夫かな・・地雷踏むかもなwと思いつつ、母に尋ねました。
「”学会活動しないから罰が出た”って言わないの?いつもそう言ってたのに」と。
母は「究極は御本尊様を裏切らないことでいいの。信心の根本はお題目と御本尊様以外に
ないんだよ!」と、言ってのけ。
なんか嘘みたい・・w と、私は信じられない思いでした。
前年末に「会合に出るのを止めた」とは聞いていたけれど、ここまで母の創価(活動)離れが
進んでいたとは想定外で、ただ驚きでした。

思い起こせば、ちょうど一年前の1~2月、義父さんが倒れ入院した事を連絡した時、
母は珍しく「罰論」を持ち出しませんでしたが、その裏には信心強情な母方おば(もと学会幹部)が
癌で入院したという(創価脳的に)「不都合な現実」がありました。
当時の私は条件付きで母が罰論を口にしなかったのだろうと、この事例は「特別ケース」と
思っていました。
もし以降に、おばの病状が奇跡的に良くなる(癌克服)等があれば、
母の選民意識&学会宣揚は再び勢いを取り戻し、「そら見たことか!学会正義だ!」と、
活動にまつわるオカルト功徳論をふりかざし・返す刀でオカルト罰論をもって
こちらを斬ってきたはずです。
けれど残念ながら、おばの病状は一年経過後も良くならずで、緩やかに進行しています。
また、2015年以降に他の母方親戚(バリ活)にも、ネガティブな出来事がありました。
前年度から母の身辺に続いた「良い」とは言い難い出来事の数々に、バリ活な親戚のあれこれも
積み増しされ、「罰論」で他者を容赦なくぶった斬ってもいられなくなったのか?!
いや、昔の母はそれでも自分たち創価脳のことは都合良く
「転重軽受」「変毒為薬」などと棚に上げ・
敵対勢力には「仏罰が出た!」と、恥ずかしげも無く言っていました。
そんな過去からみれば、母が罰論を封印した=学会活動にまつわる効力(功徳)や万能性の
否定とも取れ、覚醒の第一段階に入ったんだろうと、私は見ています。

そもそも、学会活動は信仰行為ではありません。にもかかわらず「現代の仏道修行」と
位置づけ・教義に盛り込んだことで、大企業化に成功したといっても過言ではないでしょう。

創価ロジックから抜けた私からすれば、ここ数年の母や創価脳な親戚におこっている
大病(癌)や急逝や、よからぬ出来事は「よくあること」という評価です。
高齢者が大きな病気を患うのは珍しくもなんともない。
総合病院のロビーなんていつ何時も老人だらけです。
また、それ以外の出来事に関しても、中高年ともなれば世間的によくある話だったりで
殊更ネガティブに受け取るような事ではない。
けれど、創価脳はネガティブな事象に大変敏感です。
創価脳には、ネガティブがおこる→「今こそ闘う時!」とスイッチONになるアプリが搭載されて
いるゆえ。
「難がおきてこそ本物の信仰」という教義があり、この信心で難を必ず乗り越えられる!とし、
組織はこれを巧みに利用している。
お題目だけではダメ。学会活動(いうまでもなく集票や献金・新たな手駒ゲットのことです)と
両輪そろってこそはじめて「信仰」なのだ!との刷り込み。
実は、不安やネガティブを要素に・不安やネガティブを煽って・そこにつけこむ「商売」は
世の中に横行しています。なにも極悪w宗教団体だけではありません。
不安をあおればすっごく儲かる、そこを生業としている人たちがいて、仕掛けている。
その「罠」、仕組みを、知っておくといいかもしれません。

創価脳の不幸なところは、問題を解決すべく、問題の本質からまったくかけ離れた
「学会活動」をジタバタやってしまうところにあります。
また、組織とは衆人環視の場。創価脳は必要以上に「他者」の目を気にします。
会合席上でネガティブをカミングアウトしようものなら「決意」させられることは必須。
(周りなんて関係なく、自ら勝手に決意することもありますが・・)
信心で実証を示したい!と思うがあまり、望む結果を出そうと重要視するがあまり、
「学会活動」という、目の前でおきている問題と一切関係のない事柄に躍起になります。 
また思うような・自身の望む結果がなかなか出ないとなると、
自分の何が悪いのか?の原因を活動内容のなかに見出そうとする。
新聞推進できてないからか・仏法対話がお題目がたりてないのか・友達にもっと熱く語らないと
わかってもらえない・・自分の気合が足りないから、結果が出ないんじゃないか?云々と。 
実際、そんなの全く関係ありません。
しかし悲しいかな現実問題と信仰を「ひも付き」にされているため、このループに陥ります。

実は「闘う」なんてことはしなくても難局大嵐は「過ぎる」し、たいていの問題は解決する。
多くの一般人は皆、そうしています。
無駄にジタバタ闘うなんてしなくても、じっとしていてもそれなりの結果がやってくる。
私がこの法則を身をもって経験したのが「とある出来事」でした。
(引っ張ってますが、これは新カテで書かせていただきます)

一般人がじっとしていても得られる「良い結果」を、創価脳はさんざんジタバタした挙句に
「祈りきって闘いきって結果を勝ち取った!」と大喜びします。
一般人がじっとしていて得た「悪い結果」も、創価脳はさんざんジタバタした揚句に
「これは意味ある敗北(結果)。今はわからなくてもそのうち解る時がくる」と納得しようと努めます。
好きでジタバタするぶんには、その人の自由ですが、他者を巻き込みいやな思いをさせたり・
身体的精神的疲労を招いてまで、やるような事でしょうか?
勝利しても負けても・良くても悪くても、創価脳の背後にはピッタリと「大本営」がついている。
創価脳が感情のバロメーターを上げ下げしつつ、ジタバタ各種活動する間、大本営は背後にいて
静かに確実に利を得ている・・創価脳から搾取しているわけです、時間やお金や、諸々を。
大本営なんていなくても、良くも悪くも結果は出ますし、問題は解決するにもかかわらず、です。
このげにおそろしきシステムに、実家の母もうっすら気付いたのかもしれません。

ただ、母は日蓮仏法(?と、呼べるかどうか疑わしい。創価仕込みなので・・)だけは・
お題目の力だけは絶対なのだ!という「信仰」に関しては、未だ一歩も譲りません。
人間、大嵐や難局に遭遇しているあいだは不安でたまらなくて当然です。
そこをお題目を上げる事や・神社や寺院や教会で御祈祷してもらったりすることによって、
ひととき心の霧を掃うのは、有用であると思いますし、心のよりどころは必要です。
自分の内におさまる信仰行為であれば、それはいいと思うのです。祈りに罪はありません。
あくまでも自己完結、他者を巻き込まなければ問題はないと私は考えています。
どんな宗教団体であれ、問題となる・私が最も嫌う点は
「自分が救われるために他人をまず救う」というような、耳当たりのいいことを推奨している
点です。
集票活動をも「下種」や「現代の仏道修行」とうそぶき、さも「いいこと」をしているように思わせ
会員を操っている組織(それを鵜呑みにしている会員自身も問題ありますが・・)。
まさにゲスの極みでしょう。

また、母が自分の信じるものを否定したくないがため「教義解釈の変更」をしていることに
先日気付きました。
(これは高齢信者の皆さまに多い傾向かもしれません、次回記します)
私自身、2012年の覚醒時、組織に対してはすぐに拒絶否定することができましたが、
日蓮仏法に関しては、選民思想が邪魔をしてなかなか思いきることができませんでした。
すべてが「思い込み」だと、気付く事が出来れば覚醒はあっという間だと思いますが、
それをハッキリと認めてしまうのに、母はあまりにも年を取り過ぎているのかもしれず・・。
この点について、私はそっとしておくつもりです。

次回で「創価脳な親との関係」はいったん〆とします。

(続きます)

@@@@@@@@@@@@@@@

2016年5月のいま、冒頭に書いた昨年末の私の心情を振り返ってわかることは、
創価ロジックから脱却してもなお、私は「母を悲しませたくない」と思っていたんだな・・
という事です。
ネガティブな話をして「そらみたことか!」と言われるのが「うざい」から、
あくまでも自分側の問題で”自分がイヤな思いをしたくないから” 隠しておくんだ・・と
当時は思っていましたが、それって実は「母の反応」をとても意識している。
まるで0点のテスト用紙を、みつからないよう隠している子供とおんなじだな・・と気付いて、
笑えるのです、今は。

学会2,3,4世の福子の皆さんは、おそらく「他人軸」で生きている人が多いと思います。
親子関係で苦悩しておられる方は、大半がそうでしょう。 
物凄く単純なことだけれど、「他人軸」思考に気付けて以降、私はとても楽になりました。
そのあたりも、新カテゴリで書いて行きたいと思っています。

独善的臨終観アゲイン

2015年11月(夜の会合に出るのをやめたと聞いた後日)母に電話。
12月の父の七回忌は、母と姉夫妻だけでやってもらう事になった為、
当日に合うよう、お供え物を手配した旨連絡を入れました。
世間話ついでに出てきた話題が、とある学会同志の訃報についてでした。

私も知っている方で、入会10年前後の独居老人です。
私が実家に住んでいた時期、その方は非学会員でした。
当時(入会前)の印象しかないのですが、ちょっと変わり者で町内じゃ有名なおばさまでした。
御主人に先立たれ・お子さんは独立し全く実家に寄りつかなくなっていた様子で、
ふさぎこんでいるところを各種会合つれだし~集団囲い込みで入会へ・・という
独居老人を狙った、よくあるパターンの折伏劇だったようです。
母は、入会以前からこのおばさまに対し良い印象は抱いておらず。
そのおばさまが亡くなった・死因はこう(詳細伏せます)・葬儀はなかった(お子さんの意志で直葬)
との話を聞いて、私は「それは御気の毒だね、なんだかかわいそうだわ」と感想を述べました。
すると母が
「かわいそう?なんてことあるもんですか。あの人がいなくなって、みんな清々してるんだから」と
言ったのです。
エーッ?! いまなんて言いました??? と、耳を疑う発言でした。

過去記事に書いた通り、これまでも母は故人を貶める物言いをしてきました。
生前に学会批判をしたり・母に対して敵意ある態度をとってきた外部人物に対しては
容赦なく失礼な・まるで故人を冒涜するかのような発言が多々ありました。
そのたびに私はたしなめていたのですが、母はすべて学会正義?で正当化。
「創価信仰(日蓮仏法)を保っている自分が絶対優位のルールブック!」とでもいわんばかりの。
たとえば、同一死因で一般人と学会同志が亡くなったとして、学会同志の事は一切貶めない。
けど一般人に対しては手厳しい評価を下す。
罰が出ただの、生前苦しんだ・さびしい余生だっただの、なんだのかんだのと・・。
それらはほぼ「憶測」「想像の世界」のことで、真実ではない。
信心していない人の事は、とりあえずケチつけないと・悪く言わないと気が済まないのか?
そらおそろしい独善的臨終観の持ち主だな・・と、語りを聞き、わが親のことながら毎回
背筋も凍る思いでいました。
その失礼で・手厳しい評価は「非学会員」にだけ向けられたものだ、と私は思いこんでいました。
(この記事にも書きました)
つまり創価脳の母にとって、相手が学会員であれば、どんな悲惨な死であっても荘厳される。
「使命を果たした」「遺された家族が安泰だからだいじょうぶ」「すぐに素晴らしい境涯のもと
生まれ変わってくる事は決まっている」云々かんぬん、肯定的な評価をする。
とにかく悪いようには絶対言わない。 
これが創価脳の常だと思っていました。
自分たち(学会同志)だけが良ければ(良く思えれば)、それでいい。
あくまでも信心してきた自分たちの死は特別で、いわゆる「成仏」が約束されたものであり・
仏法をたもたなかった・学会批判してきた一般人は残念でしたね・・的な解釈が出来れば
気の済む問題なんだろうなと。
しかし、このとき母は「学会同志の死」を、冒涜したわけです。
こりゃありえないことがおこった・・!と思いました。

「相手が学会同志なのに、そんなこと言うなんて酷いね」と私がたしなめると
「あんたは直接の迷惑被っていないから、そんなキレイゴトが言えるんだよ!」と反論され。
母が「清々した」と発言した裏には、おばさまが数年前から時々奇行を繰り返し
界隈住民とのトラブルがあった・・という背景がありました。 
このとき初めて聞かされた話でした。
状況を聞くに、おばさまはおそらく軽度の認知症で不穏状態だったのではないかと思われ。
それでもかろうじて日常生活が送れていたり、会合にも普通に出てきていたり、
同居家族もいなかった為、誰も認知症だと気付かずに接していたのかもしれない・・と推測。
または躁うつ病だった可能性もあります。

また、おばさまの事を、幹部に苦情かたがた相談した学会員もいたのですが、
「精神的な病気だろうから仕方ない。厄介時は相手にしない様に」との回答。
この回答も苦し紛れで、そう言うよりほかなかったのは解りますが、なんともいい加減だなwと感じ。
創価は「信仰によって良く変わる事(宿命転換)」を掲げ折伏・入会を推進してきた団体です。
そして折伏にあたった学会員も、おばさまが「良く変わる事」を信じ・変わらないなんて事は
1ミリも考えずに入会に導いたはずなのです。
「善かれ」でやったことは、まちがいないでしょう。
しかし蓋を開けてみれば、活動に出てひととおりの事をしていたって変わらない人だって出てくるし、
前より悪くなる人もいないとは限らない。
変われなかろうが・悪くなろうが、誰にもその責はありません。
ただ組織に引き入れた、ということで新参者に迷惑厄介をかけられても、困惑するのも対応するのも
すべて「現場」で直接かかわる人たちです。
新規入会を促し・御本尊を下付し新聞を取らせ現金を巻き上げることがお仕事の「大本営」は、
新参者の面倒なんて一切見ません。現金収入と一票を得てホクホク。 それだけです。
どこの馬の骨が入ってこようと、金と票さえ得られたら目的は達成される。
それが永続的でなくても、たった1度きりでもかまわない。収入・得票にかわりはありません故。
会員が問題行動や事件を起こしたときは、即「除名処分」で切り捨てれば済む話ですしw
しかも大本営は数字(お金も含め)管理・把握だけがお仕事。
現場の苦悩なんて知ったこっちゃありませんし、ぶっちゃけどうでもいい。
美談だけクレクレ、しんどい・ややこしい話はいらねー。厄介はそっち(現場)で処理しろよ。
いつまでもどこまでも、生身の人間がぶつかりあい、シンドイのは「現場」だけ。
もうそろそろ、このからくりに「現場」でシンドイ思いをしている方々も気付いていい頃だと思います。

話を元に戻します。
いくら迷惑かけられてたにしたって、故人に対して(清々したなんて)それはないだろ、
しかも「みんな清々した」の「みんな」って誰が言ってるの?本当にそんなこと言ってる?と尋ねると
「清々した、とハッキリ言わなくても、誰ひとりとして故人の事を”かわいそう”とも”残念だ”とも
 言っていない。亡くなったね~・・(シーン)という感じで、話題にすることすら避けてる」
と母は答え。
これも完全に母の「憶測」「想像の世界」のことで、皆が清々していると思っているのは真実ではない。
確認してないのです、でも母の中では「みんながそう思ってる」となっている。
此処が大変重要なポイントなのです。
創価脳は、思い込みが激しく、単なる自分の想像で思った事を「真実」のようにすり替えてしまいます。

私は改めて聞きました。
「御本尊様を受けて、信心活動していた人が、どうしてそんな亡くなり方をしたと思う?
 それに、亡くなって同志から”いなくなって清々した”なんていわれる現実はどうなの?
 まじめに学会活動もしてたのに、なんでだろうね?おかしくない?」と。
母は「さー?なんでかねー?」とトボけていましたが、次に
「あの人の信心は本物じゃなかったから(そうなったの)よ」と言いだしたのです。
私は「ふーん、あなたも偉くなったもんだねぇ。
 他人の信心がニセモノか本物かまで、査定できるようになったんだ?
 大聖人様も顔負けだね。すごいねぇ」と嫌味を込めて返しました。
すると母は急にうろたえたように
「私だってあの人のこと、さんざん(良くなるように)祈ってきたんだから!」
「あの人が成仏しないとは言ってないわよ!」云々と、よくわからない弁明を開始。
はいはい、と聞き流し
「祈ってきたから故人の悪口言っても、それで無罪放免・チャラだって言いたいの?
 なんで周囲が祈ってきた人なのに、そのような亡くなり方をして・亡くなってなお悪く言われなきゃ
 いけないんだろ?おかしくない?
 自分の今まで言ってきたことと矛盾してるって、気がついてないの?
 結局お母さんが信じてるのは、日蓮仏法でもなんでもない。
 日蓮を使った、自分さえよければそれでいい、ご都合主義の独善教だよ。
 自分だけが選ばれし民なんだよね」と突きつけました。
母は「そんなことはない!」と否定し、何か言っていましたが既に記憶に残ってないほど
まともに反論にもならないような事柄でした。

ちなみに、実際はもっと長いやりとりでしたが、文言がいまいち思い出せません(残念)。

「選民思想」についても、この時母に説明しました。
私も長らくこの選民思想に取りつかれていた。日蓮仏法をたもつ私は無敵だ!と信じ切っていた。
でも、そうじゃなかったんだと気付かされる出来事に、次々と出会ってしまった。
「組織の中にいたんじゃ、絶対気付けないんだよね・・なんでかって、外部を見下すアプリが
 インストールされてる状態だから。
 どんだけ外部が窮地から救われていようとも・九死に一生を得るような大奇跡を起こしていても
 ”そんなの偶然” ”仏法の目でみれば、それが真の幸福と言えるかどうかは解らない”とか
 何かとケチつけるような思考回路になってるんだよ。
 でもね、本当はそうじゃないよ。 自分たちだけが特別で、周囲のラッキーは偶々なんて
 んなわけないんだよ。 逆も同じだよ?
 自分たち学会員の不幸は転重軽受だけど、それ以外はただの罰とかそんなわけないよ。
 どれもこれも、選民思想アプリ搭載で見てちゃ、本当のことなんか解らなくて当たり前だし。
 ましてやさ、同じ学会員でも自分の気に入らないヤツ(件の故人)だったら見下し入るって
 どー考えたって、おかしいじゃん。
 ちょっと、考え直したほうがいいんじゃないの?自分の信仰観を」と話し。
母は「あんたが何を言いたいのか、さっぱりわからない」と言いつつ
「私は本当につらく苦しかった時、いつも必ず御本尊様が助けてくれた。その体験がある。
 その体験を、誰も”違う”とは言えないし、言わせない。
 あんただって、何度も助けてもらったじゃないのよ?どうしてそうなってしまったの?」と、
論点をすりかえ。 

えー・・?今の私の話、ちゃんと聞いてた?!とガックリorz
私が突きつけたのは、長年組織が掲げてきた「創価信仰の万能性」の否定についてであり・
組織でもっともらしく語られてきた事+母がこれまで語ってきた・信じてきた事との齟齬。
そこはすっ飛ばしで、「御本尊様が助けてくれたことは事実」のみでカバーできると思ってるの?!

どうしたって、「非」や「自己矛盾」は認めないんだな・・。
なんかすげーな・・と、この時点では呆れと言うよりは、もう感嘆の域でした。
この会話をどう切り上げたか記憶にありませんが、通話の最後のほうで、母の声に
力がなかったことだけは覚えています。

このやりとりを経、今年に入り、母が格段に変化しました。
非活になったこともそうですが「学会批判や非活動に転じることで不幸になる・トラブルが出る」との
オカルト罰論を封印したのです。
それを知る契機は、2015年後半に私の周辺でおこった「とある出来事」を
カミングアウトした時でした。

「とある出来事」を通して、私に第三次覚醒が訪れたといってもよいかもしれません。
それほど大きな気付きのある出来事でした。 これは別カテで今後書いて行く予定です。

(続きます)

還著於虚像

2015年9月
安保法案を巡り、一部の現役学会員が「師の教えに背いてはならぬ」と、行動を起こしている。
そのことを「信じられない」「OO党のナリスマシによる陰謀策略」と一蹴した母。
しかし実際に、学会を支持母体とする公明党に向け、反対署名運動を展開したり・
党公認を得ずに無所属立候補→当選してみたり・大規模なデモに参加をしたり・
憲法学者を招いたセミナーを独自開催&参加する会員が実在するのを、各種報道番組で
目にする事となり。
「全国区の報道番組で取り上げていたって、母は”こんなのマスコミがでっちあげたデマだ!”と
言うのではなかろうか・・」と、懸念していました。
学会員の大半は、マスコミを信じない&敵視しています。
いうまでもなく、組織による徹底した・長年のプロパガンダの賜物です。
最近こそ、有名週刊誌に醜聞がでることはなくなりましたが
(文春あたりが、そのうちでっかいネタあげてくれることを心待ちにしておりますが・・w)
十数年前までは、有名週刊誌に創価スキャンダル見出しがでかでか躍っているのが
常でした。新潮社相手に、多数訴訟を起こしていた時代がありましたよね。
それを組織じゃ「でっちあげのねつ造記事!」「池田センセーに嫉妬している輩のしわざ!」
果ては「師匠を護れ!」だのなんだのと・・(呆)。
近年、莫大な広告費を費やしてマスコミ口封じに成功した・・と聞きますが、それはあくまでも
大本営&池田老人にまつわるスキャンダル&不都合な事実に限定したものであって。
”末端会員の自由意思に基づく行動”を取材・報道することについてまで制限はできない、と
いったところでしょうか。 
とにもかくにも、日本の一隅にある、事実を報道してくれた事に敬意を表します。

放送終了後、母に電話を入れ
「(番組を見て)どう思った?あの人たちは、OO党のなりすましだと思う?」と尋ねてみました。
母は「あの人たちは、本物(学会員)だわねぇ・・」と、気落ちした風に答え。
「いかに幹部が、組織運営サイドに都合の悪い出来事をなんでもかんでも
"デマだ・ねつ造だ・陰謀策略だ"と片付けてきたかが、よく解ったでしょ? 
真実であっても組織運営上、矛盾の生じることは何もかも敵対勢力のせいにしてるんだよ?
それは今に始まった事ではない、ずっと昔からでしょう。
会員は、基本的に従順だから上の言う事はなんでも信じるよ。というか、少しでも異を唱えれば
「あなたは信心が足りない!」だとか「師匠を悲しませる気か!」「功徳を消す」だとかの、
実際のところ答えになってない・ただ急所押さえつけるだけの文言でカタつけるしね。
それ言われたら、会員も疑問をひっこめるしかなくなるもの。
師匠を悲しませる・功徳が消えるって、まじめな学会員にとっては一番イタイところだもんねw」と
私がそうまくしたてると、母は「それは、よくわからない」と一言orz
ただ、実際にこのような(安保に対して反対し、行動を起こしている)学会員が実在する事に対し
母は「ショックだ」と感想を述べ、
「ただ、学会の長い歴史の中で、このような、学会が割れるような危機は何回もあったんだよ。
戸田先生が亡くなったあとだって、おかしな動きがあった。宗門問題にしたってそう。
学会が爆発的に発展する前触れに、必ず何か不穏な動きがあるものなの。これは瑞相よ。
今回の事にしたって、私の目からみればそうとしか映らない。
何が正しかったかは、後世の歴史が証明する。今までだって、そうだったんだから」と。
えーっ?!orz
論点が、ずれまくりじゃん!!と、突っ込みたいのは山々でしたが、母は加えて
「それに安保に反対だろうが賛成だろうが、そんなこと関係なく
私が信じているのはあくまでも日蓮大聖人様と御本尊様なの。
誰が学会の事を、何といってこようと、そこは全く揺るがないから」と。
「だったらもう個人信仰でいいじゃん・・」と私が言うと「それは違う」と反論。
「日蓮仏法と、御本尊様に出会わせてくれたのは、学会だから」と、恩義を感じているから
籍をおいているのだ・・との主張でした。
いろいろ、つっこみどころ満載で・・特に「安保法制に反対する学会員が出てきたことは瑞相」
という、全く理解しがたい説に関して徹底的につっこみたいのは山々でしたが、
後ろから「晩御飯まだ?」と子供達にせっつかれ、はっと我にかえりw 
話し足りない~気持ち悪い~・・と思いつつも、電話を切りました。

殆どかみ合ってない会話でしたが、母が創価(大本営)を悪く思いたくない・・という意思のみが
強く表れていたな、と感じ。
母の中に、何の根拠もない「清く正しく美しく間違いのない創価学会」というものがあって、
自分が付き従ってきた&これからついて行くのも、この↑パーフェクト創価学会だ!と
言いたかったのでしょう。
ただ、その実は完璧なる情報統制によって会員だけが見ている「清く正しく美しい」虚像であり。
プラス、数的論理で大多数ゆえ「強者」と成ってきたに過ぎず。
以前より衰退したとはいえ会員の数が多い・いまなお会が続いている、
それが「正しいことの証明」になる、という物差しについても、実に年寄り臭いなぁ・・と感じもし。
この先、学会が何派かに分裂する事があったとして、
(池田老人の平和哲学推進=公明不支持派/池田老人マンセーだけど公明支持派/
世襲OK派/世襲否定派・・etc バリエーション豊富になりそうw)
高齢者の大半がついていくのは「人数が多く」て「情報統制がうまい」ところ。
母においても、宗門問題と同じくで、親戚一同でコンセンサスを得た団体に移るんだろーな・・。
けど、数多に組織が割れるだなんてことがあれば
「学会正義」もなにも、あったもんじゃないけどね?wと、思ったりもし。

ちなみに、池田老人マンセーな幹部のおば(70代後半)ですが、安保には賛成で
公明党はまちがってないし・大本営もなんら矛盾してないとのこと。
池田センセーの教えに背くとは思わないのか?とも、尋ねてみたのですが
「(池田老人が)自身の考えに相反してるとお考えなら、もうとっくに公明党を解党している。
それをなさらないということは、深いお考えがあっての事で、私達のような凡夫には計り知れない
智慧があるのだ」と、のたまいましたw
センセーが一切表舞台に姿をみせなくなった今も、院政は続いているのだ・・と固く信じているおば。

ほんと、一体全体、どーなってんだ?!会員の頭のなかの、虚像の池田センセーってw
近頃噂の(?)もと大本営勤務の3名をはじめとした・安保法制断固反対派の皆さまにおいては
「師匠の教えに背き、会員を懐柔する憎き上層部!&公明党!」って図式がある。
彼らのなかで師匠は、どういうわけか部下(原田会長以下)に権限封印され・
上層部が師に背いて勝手な事をしている・・という説がまかり通っている(ように私には見えます)。
しかし一方で、幹部のおばや実家母のような
「先生はすべてわかってる。表に出てこなくても、深いお考えのもと、指揮している。
過去の教えと現在に矛盾はない。真実は後世の歴史が証明する」と信じて疑わない人たちもいる。
まさに「みんな違ってみんなイイ!」状態w
エンディングが尻切れトンボの映画や小説みたいなもので、その後の登場人物がどうなったのか?
それは受け手の想像力に委ねられる・・のと同じく、池田センセーというのもまさに
「虚構」のスタァであり、会員ひとりひとりの中で勝手に作り上げられた偉大なる師匠なのだなぁ・・
と、思い。
ぶっちゃけ大本営にとっちゃ、どちらもいいお客さんです。
新聞書籍の購買・財務納金、これさえ切らさなければ、安保法案反対だろうが賛成だろうがOK!
不買運動やら・投票ボイコット運動など、寝た子をおこすような「扇動」を企てる会員のことは
さすがに排除していくでしょうが、池田老人を求めている限りは金蔓だから手放さない。
どんなに大本営や会長以下が嫌いでも、池田老人を崇拝している限りは「かわいいお客さん」。
多少の反逆なんて、いたくもかゆくもなんともな~い、ってのが実かと思います。

その後、上記話題の続きをする機会もないまま月日が流れ。
11月になり、父の七回忌の件で母に電話。
そこで母の口から「夜の会合に出るの、やめたんだ」と聞いて、たまげました。
何があったの?と尋ねると、
地元地域で、安保法制に反対・公明党不支持の表明を会合席上で行った人物がおり
そこでの幹部とのやりとりを目の当たりにした母は、失望した・醒めたとのこと。
(詳細は書けませんが、ほぼ喧嘩状態だったとw)
母曰く「幹部も、安保反対の人も、どっちもどっちだ。
同じ教えを信じ、御本尊様を信じている”同志”として集まってる会合の席上なのよ?
そんな席で、揉めるのはおかしいわよ」と。
「学会に居たってみんな同じもの、信じてるわけじゃないと思うよ?
あなたは違うだろうし、信じられないかもしれないけど、今の学会は日蓮大聖人というよりも、
中心は池田センセーなんだよ。信じてる教え・対象って。
その池田センセーがブレブレなんだから、弟子もブレブレ、揉めるのは当たり前だよ」と言うと
「そんなのおかしい!
みんな日々拝してるのは、日蓮大聖人様があらわしてくれた御本尊様でしょう?」と
母は、ぶつぶつ言っていました。 
私なんかよりもずうっと長く、何十年も、たゆむことなく学会に接し・潮流にいる母が
「現在の学会は池田老人が御本仏状態」を認めない、というのが実に不思議でなりませんでしたが、
かつての私がそうであったように、周りがどんだけ師匠!師匠!と言っていても我関せず・
馬耳東風で居られるのが、創価という団体です。
なんといっても表向きは「日蓮仏法」をベースとした「仏意仏勅団体」ですからw
あからさまにアンチ池田と騒ぎ立てない限り、組織から排除されることはまずありません。
池田老人を崇拝せずとも、創価の命綱ともいえる経済活動+集票活動に寄与できる会員ならば
大本営は邪険になど絶対しない。 
「お母さんが思ってるような団体では、もうないと思うけどね?」と、上記を絡めて話しましたが、
母は「それは解らないけど、バカバカしいからもう会合には極力出ない」と。
ここでも絶対に、大本営を悪とすることは認めない母でした。

かくして母は、自ら非活の道を歩みだしました。
(しかし残念なことにまだ新聞はとっています・昨年末の財務は納金したようです)。

”安保をめぐって学会員同志が喧嘩する”という、なんともお粗末な現場を見てしまったことで
母の中にある「清く正しく美しく間違いのない創価学会」像が、崩れ。
その失望から、母は組織の活動から静かに引くことを決めたようす。
会員同士の喧嘩の火種をつくった張本人=まぎれもなく、「池田老人」です・・w
否、張本人は池田老人というよりは、山本伸一なる小説のいち主人公かもしれず。
どっちにしても、虚像です。
還著於本人ならぬ、還著於虚像w 
だから痛くもかゆくもないのです、本人も大本営も。
痛いのもかゆいのも、虚像を信じすぎた人たちです・・そこに早く気付くと、いいなと思うのですが。

宗祖(建前上そうなっている)である日蓮大聖人がすっぽり抜け落ちたところで、
師匠の教えに背くフンガー!と怒る会員と・いやいや師匠のお考え通りだよ・・で静観を貫く会員。
外から見ている分には、実に面白いw
特に、怒る会員側がどこに落とし所をもっていく気なのか?興味があり、この先の展開を
生温かく見守りたいところです。

話を元に戻します。

私の覚醒から三年あまり、母に口うるさく話してきた「組織の矛盾」「教義の矛盾」なんてものは
一切関係も効力もなく、いわば母は”勝手に”非活街道を歩み始めました。
昨年暮れの時点ではあまりにも意外すぎて、ただその変化に驚くだけでした。
が、今になって、私が「問題を手放した」ことで、母に変化が訪れたのだ・・と気が付いたのです。
それがわかって、すごく腑に落ちましたし、私自身とても楽になりました。
此処が非常に大事な部分だと思うので、追って書いていきます。

(続きます)