未活時代(13)

2012年8月。
またまた財務の申込用紙がまわってくる季節になりました。
気の弱いしらゆり長から、家庭訪問に行きたい・希望の日をしらせて欲しいとメールがきたので、
在宅日時を伝えました。
しかし、内心は「どうしても、財務ってやらなきゃいけないのかなぁ?」でした。
前年の実験により、財務をひとりぶん・1口に減らしても、家庭の経済基盤はおかしくならない事も
実証済みでしたし。

”真心の財務には功徳が現れる”という指導を繰り返し聞きました。
だったら、私の今の財務って何?
まったくもって「義務」なだけ。
くだらないことでまた、こっちの組織から実家の親に電話を入れられたくないって、それだけ。
真心なんて、かけらもない。それは昔(活動家時代)からですけど。
そんな私が、どうして財務をしなきゃならない?意味無いじゃん。漠然とそう思ったのです。

真心のかけらもない人間からも「会の決まり」として、申込書を書かせ、1口一万円からという
高額な金額を集める。
そして後日、領収書を地域組織の人間を通じて手渡しする。
これについても「衆人環視手法」だと嫌悪感を覚えました。
結局、納金しないと地域組織にバレるよって構図なんですよね。
プライバシーなんてまるで無いんだなって。
財務、申し込んだけど気が変わるって事もあると思う。
それを許さないために、わざわざ地域の役職者を通して配布させているんだろうなぁと。
あくまでも領収(受領)証なんだから、直接個人に郵送してくるくらい配慮してしかるべきだと
思います、本来ならば。
創価学会という団体と・いち個人信者間のやりとりなのだから、他人を介して受領書を渡すなんて
おかしい。
長子が通っていた幼稚園へ年度はじめに寄付金を納めましたが、領収(受領)証は
役員から手渡しなんて事、当然ながらありません。
振込用紙が受領証となり、お礼状は後日個人(主人)宛に郵送で届きます。
それが寄付金に対しての通常の事務処理でしょう。
私が会合に出なかったせいもあるのですが、毎回あの領収書は半年以上経過してから受け取ってました。
手渡し以外の受け渡しがNGという理由で。
ポストに入れてくれと頼んだ事もあったのですが、うちの組織の人は絶対OKしてくれなかったから。

貰っても一切嬉しくない広布基金の記念品代と、領収書の発送費用なら、発送費用の方が安くつく
はずなんだから。記念品辞めて個人に郵送に変えればいいじゃないかと思ったりもしました。
あの貰っても迷惑なだけの記念品だって、どうせ創価系企業が作って儲けているのでしょうね。
自分たちの利益になるところにばかり無駄金使って、肝心なことはきちんとしないなんて
本末転倒も甚だしいと思います。 が、活動家の殆どが脳内花畑だから、そんなこと問題にする人も
いないのでしょう。 
大本営は、いつも「してやったり」でほくそ笑んでいるんでしょう。 全く腹立たしいです。

どうしてこのときまで、上記の事に気付けなかったのか本当に不思議ですが、
このとき初めて猛烈に財務というシステムに対し”腹立たしく”なったんです。
疑問では無く、明らかな怒りを覚えたのはこの時が初めてでした。

女子部時代、実家の母が話していました
「ある程度の時期が来たら、財務は無くしますって、以前幹部からきいたこともあったんだけどね。
 正本堂が終わったらなくなると聞いてたけど、ずっと続いてる。
 国外にまで布教活動してるから、お金がいるんだろうね」と。
この言葉を、そのタイミングで奇跡的に思いだしたのです。
そこで、ピーンときました。
これって、徳川幕府の朝鮮出兵と同じじゃないのかとw
幕府の統治が行き届き過ぎて、戦の機会をなくした武士たちの仕事を作るがために
わざわざ”必要のない国外への戦”を企てた。
武士たちの鬱屈勢力が幕府へ向かう事のないよう、国外(仮想敵)へ目を向けさせる為の
ひとつの政策という見方があると、丁度その頃、歴史の本を読んで知識を得ていました。
SGIで海外にも広宣流布とかいってるけど、あれは、国内で金集めの理由がなくなったから、
海外へ、世界へ打って出るため・広宣流布のために浄財が必要です!という壮大な話を出してき、
単純に財務を継続するがための大義名分にしたかっただけじゃないのかと、私は思ったんです。
世界は広いのです。際限なく集金し続ける理由・大義名分となります。
「戸田先生のご遺命」とか言ってるけれども、それもどうだか・・?
戸田先生の名前を出せば、古参会員は喜んで浄財を投げ打つだろうって、詭弁だったりして?!
(補足・後日、ぐぐってみたらこの世界広布は「戸田先生と私の2人だけの場で残された遺言の
 1つとなった」と池田老人が本部幹部会で語ったらしいのですが、瀕死状態の戸田氏の病床には
 常に看護の女性が数名つきっきりだったそうで、池田老人と戸田氏が「2人だけ」になど
 なれるはずがなかった・池田老人との間に「遺言」は無かったと、石田次男氏証言が出てきました)

うわぁ。最悪だ。

気の弱いしらゆり長とは約束しちゃったから、今年の分は仕方ない。私の分だけ申し込もう。
でも、来年はもう絶対やらない。そう決めて家庭訪問の日を迎えました。

しらゆり長が一人で来ると思っていたら、福運貯金の支部婦も連れてきました。
半年以上ぶりの再会です。
最悪。会いたくなかった・・と思いながらも、しらゆり長から用紙を受け取ってサイン押印を
玄関先ですることにしました。
支部婦はひきつった笑いを浮かべながら「昨年から、財務ひとり?どうしてなの?」と尋ねてきました。
私は答えずに支部名やら書きこんでいました。
すると
「ご主人のお仕事、うまくいってないのかしら?福運貯金が、とうとう尽きてきたんじゃない?」と
お門違いのことを言いだしたのです。
私は、それも無視しました。
腹が立ったけど、この女とは、話す気にならないそう思って。
書き終わったので、用紙をしらゆり長に手渡し「じゃあ」と強引にドアを閉めようとしました。
支部婦は「ちょっと待って」と、玄関に体を割り込ませて家の中に半分入ってきたのです。
私は気持ち悪さで、「不法侵入ですよ?警察呼びましょうか?」と言いました。
しらゆり長は驚き、大慌てで、支部婦の腕をひっぱって「帰りましょう」と促しましたが
支部婦はひきつった笑顔のまま
「まったく、残念ねぇ。夫婦そろって、池田先生のお手伝いが出来ないなんて~」と馬鹿にしたように
私に言ったのです。

はぁ?!いまなんて言った。 池田先生のお手伝い、だと?

私はそんなつもりで財務をした事、ただの一回も無い。
あんたは、池田老人の手先になって金集めしてんのか?それが正しいと思ってんのか?

だけど、ここでそんなことをまくしたてたって仕方がない。
支部婦を睨みつけ、ドアを閉めてやりましたが、その後しばらく体の震えが止まりませんでした。
「池田先生のお手伝い」
この言葉が頭のなかをぐるぐると回って。
詐欺に遭った時、きっとこういう心境になるんだろうなと思いました。
私にそのつもりがなくたって、池田老人のお手伝いをさせられていた(?)という事実に
身の毛がよだちました。ありえないと。

本当に私は何も見えて無かったんです、40年以上も。
周囲がどんなに池田マンセーでも自分は違う・・私の師匠はあくまでも日蓮大聖人様だ、なんて
思いながら学会に居続けた。
けどそれはとんでもない勘違いで、場違いだった。
私は、組織に居るべきではなかったんだ。

会員が、池田老人のためにとお金を貢いでいたなんて、この時までまったく解りませんでした。
(100%がそうだとは思いません・・私みたいな人も中にはまだ、いそうな気がします)
池田老人を師匠と思ってない私が、なぜに池田老人の手伝いなどしなきゃならないんだ!
おまけにどうして池田老人の手伝いをする事(財務)がイコール、福運や幸福境涯に繋がるって
言うんだよ?
頭おかしいだろう、というか、それを気づきもしないでやり続けていた自分・・。
無知は罪・無知は悪をうむという言葉があります。
私の場合は「騙された」というよりは、あまりにも創価学会に対して「無知」でした。
学会3世として生まれ、母親から功徳信心を叩き込まれ教育され、御本尊様と信心なしでは
生きられないそんな人間に育っていました。
そして、宗門から創価学会が破門を受けた時点で、創価を離れるべきだったところ
母親やその一族が創価に残ったことで自分もなにも考えなしで創価に残った。
創価は、日蓮大聖人の仏法を根本とする宗教団体だと私は「誤解の解釈」をし、
そのまま20年余りも居続けた。
私は、このとき・この瞬間まで創価学会を「誤解」していた事に気付けなかった。
日蓮大聖人の精神を受け継いだ団体だなんて解釈、とんだ間違いだったんだ。
行き先の違う列車に乗っている事にまったく気づかず、現地に到着して「ハァ?!此処どこよ?」となった、
そんな心境でした。
尊敬のかけらもなく、どちらかといえば冷やかに見ていた池田老人が頂点の創価学会に
見事に「してやられた」。
考えれば考えるほどおぞましく、嘔吐しました(汚い話ですみません)。

私はその夜から、ネットで創価の真実を探り始めました。
そして、自分が気付いた事(金集めのための大義名分)に間違いが無さそうだという事や、
組織の機関紙を内部で山ほど取らせている(マイ聖教や贈呈等)ことについても、
組織の金集めに他ならない事を知って愕然としました。
また、組織全体の「ありよう」が、金集めの為、政治力を手中にするため、会員を外へ流出させない為の
宗教(教義)を使った狡猾なマインドコントロールであることにも気づき、怒りでハラワタ煮えくり返り。
罰論は、組織から逃げられなくするためもっとも都合のいい刷り込み。
幸福とか、福運を積む為とか、功徳だとか、そんな言葉の全てがまやかしだったと解ったのです。

ネットで書かれている事はデマだなんて、もう思いません。
とっかかりを自分で気づけたから、ひとつひとつ納得でき、合点もいったのです。
それに、組織の機関紙なのに外部に購読させろというのは、私には活動家時代から納得できない
事だったから。
だって一般人が読んだって「ハァ?!」な、トンチンカンな内容が殆どw
なのに、推進しろしろって、おかしいと思ってたんだ。

おい、ふざけんなよ。

そうじゃない、すべて誤解で、言いがかりだ!というのなら、財務は即刻廃止せよ。
会館で受け付ける善意・自発の「公布基金募金箱」にでも変更すればいい。
その会計内で維持できない会館・学校・会社は全部潰せばいい。不要ってことなんだから。
これまでの収支報告も行うべき。
そして、聖教新聞を1家庭で数部も購読させるような・マイ聖教という搾取行為はやめろ。
これは完全におかしい。
全くもって広宣流布になんて繋がって無い。資源の無駄なだけ。

そして強制的な選挙支援活動も即廃止せよ。票とりも会員にさせるな。
議員どもは自力で闘ってみろ。
自分がドブ板選挙してみやがれ。功徳をエサにそれを会員にさせるな。 
自分では出来もしない癖に。
その一議席が本気で政治を志す人間の邪魔になるんだ、自覚しろ。
強欲じいさんに貰った「使命」で議員になんてなるな。そんな奴はとっとと議員辞職すべき。

あと、”永遠の指導者”を池田老人とするのなら、すべての会員に「踏み絵」を義務付けろ。
私はちゅうちょなく踏めるよ。足蹴にするよ。
そして踏むような奴は即退会ってことにしたらいいんだ。
それをせずあくまでも「日蓮大聖人」を大看板に掲げるようなまやかしをするな。
どこが仏意仏勅なんだよ?
本当のところは外部の言うとおり”池田教”じゃねーか。ふざけんな。
そして池田老人を尊敬できない会員(私)からも金や票をまんまと巻きあげるなんて、
それこそが詐欺集団たる所以なんだよ。

こんな社会悪の団体に、一切カネも労働力も供出なんかするのやめよう。脱会しよう。
そう決意した2012年夏の終わりでした。
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未活時代(12)

未曾有の大災害に接し、普段募金に意識の薄い私も、このときばかりは別だと考え
毎月決まった額を募金していました。
数ヶ月たっても安否が解らない友人が、どこかの避難所や仮設住宅にいるかもしれない。
少しでもその助けになればとの思いでした。
こんな年くらい財務はやめて募金にまわそうって、創価もそのくらい言うよね?
だって「開かれた人間宗」なんだもの。この期に及んで脳内花畑だった私はそう思ってました。
だがしかし、夏の終わりにきっちり申込書がまわってきました。
失望しました。組織はどんだけ守銭奴なんだろうかと、呆れました。
こんな年くらい、やめておけばいいのに。大本営の誰もそんな案を口にしなかったのか?と
がっかりしたんです。
おまけに前年の財務時期、婦人部員が「納金が無ければ事故扱い」と言っていた、
金に汚いイメージもついてまわって。
真心の財務でも、浄財でもなんでもない。こんなもん単なる集金じゃん!
”(商品ないのに)金よこせ・入金が無いなら事故扱いだぞ”って、まさに詐欺そのものw
私は結婚後の財務を「会館使用料」と思って納めていました。
結婚後、夫の分も増えたので、口数を減らしました。
しかしもう何年も会館に行ってません。そんな私が会館使用料をおさめるのは何か違う。
夫なんか全然信心もないしw 真心の財務になってないじゃん、もうしなくていいんじゃ?と
思い始めたんです。

ただ、全部やめてしまう事には大きな抵抗があり、母からすりこまれた「罰論」が気になったから。
「財務をしないと家庭の経済基盤が崩れる」という教え。
本当かどうかためしてみようと思い、この年は私の分だけをする事にしました。
申込用紙を持って来たのは、新任の気の弱いしらゆり長です。
後日、取りに来た時に「今年から私の分だけにします」と伝えました。
何かお咎めがあるのかも?と思ってましたが、あっさり「はい」と受け取り帰って行きました。
後日、振込用紙と、いつもらっても微妙な粗品wを持って来たのは地区婦でしたが、その時も
一人分に減らしたことについて特に何も言われず。
前々回の記事に書いた「納金したら必ずメールください」「それって大本営からの御達しですか?」
「全然ちがいますよ!」の会話はこの時のものです。

経済的に何か不遇な事がおこるのかと、疑心暗鬼でしたが、特に何も変わらず。
至って普通に暮らせる事に安堵すると共に、財務で福運うんぬんって本当、なんなんだろうな?と
思えてきました。
(まぁ、私は福運が出るほどの桁数をやったことはないんですけどねw)

2012年になり、長子が年長児になるため習い事を増やしました。
午後から出ずっぱりで夜に帰宅する事が増え、家庭訪問に遭遇しなくなりました。
帰宅時にポストを見ると、座談会や同中の券が入っており、来てたんだなってわかる感じです。
たまに、気の弱いしらゆり長と外でばったり会う事もありましたが、彼女は私より10歳くらい
若くて人見知りっぽい感じで、頭を下げてさーっと去って行くだけで、楽でした。
足止めしたり、活動にでてこいとヤイヤイ言うようなタイプじゃなかったので。

福運貯金の支部婦とは、顔を合わせずに半年ちかく経過していましたが
偶々、不足しているものを買いに夕方遅く近くのスーパーへ子連れで行った折、出くわしました。
声を掛けられ、会釈だけでスルーするつもりが「ちょっと待って」と足止めを食らい。
ただでさえ混雑しているスーパーに・小さい子供2人を連れて買い物に行く・それだけで
親子ともどもストレスで、早く帰りたかったのです。
長子はお腹が空いたと不機嫌で、下の子も若干ぐずっていました。
支部婦は長子に向かって何か尋ねましたが、長子も私の気分を感じとったのでしょう。
支部婦の問いかけを無視し、何も答えませんでした。
私が「急いでますので失礼します」と立ち去ろうとすると「あーあ、お子さん・・」と
聞き取れない声のボリュームでごにょっと何か言ったのです。
何よ?と思いましたが改めて聞く気にもなりません。この人、会話するだけで疲れるから。
長子の手をひいて店を出、帰宅しました。
数日後、帰宅するとポストに創価ではない宗教団体の冊子が入っていました。
しかもご丁寧にふせんが貼ってありました。ここを読めといわんばかりの。
なんなのだろう?と思って開いてみると、子供が自閉症で悩んでいたがその宗教に入ったことで
子供に改善がみられたというところで、「自閉症」の文字全てにマーカーでラインが引かれてました。
その時は、本当に何なのか解らず、質の悪いイタズラだと思い即ゴミ箱に捨てました。
しかし、しばらく日が経過してハッとしました。
こんなイヤガラセをするのは、あの支部婦しか心当たりが無いと。
支部婦がやったという確実な証拠は何も無かったけど、後年聞いた噂で「さもありなん」と思いました。
それは別の機会に記します。
そしてもう、私は絶対にこの支部婦と話さないと決めました。人としておかしいから。
全て無視してやると決めたのです。
しかし、それから半年間、支部婦が家庭訪問に来ることも・近所で会う事もありませんでした。

この年、主人の親戚がハワイ挙式をするため家族で参加する事にしました。
実家の母に行くと話すと「随分行ってないから自分も一緒に行きたい」というので、現地で合流する
事にしました。
主人は仕事があるので短期で帰国し、義両親や親族で時間に余裕のある人は長めに滞在。
母が主人と入れ替わりで来、義家族が子供達を預かってあげるからお母さんとゆっくり1日観光
しておいでと送り出してくれました。
まっさきに母が行きたがったのが、ハワイの会館です。
父が他界する数年前にも、両親は母方親族といっしょにハワイを訪れ、会館訪問したそうです。
私は全然興味が無かったけど、滅多に見れるものでもないし、見ておこうかなって感じでした。

ワイキキのホテルからタクシーで数十分。街中を抜け、坂道をどんどん上がって行く。
会館はヌアヌの山手にあります。周辺には日本の宗教団体の施設が他にもあり、非常に立派な
要塞みたいな施設もありました(教団名称失念)。
そちらと比べると、創価の会館はこぢんまりしています。
車が無いと来れないような場所です。
会館は外から見ると低い建物ですが、中に入るとすり鉢状になっていて、かなり広い。そして豪奢です。
階段を下りると受付があって、現地メンバーとおぼしき婦人が対応してくれました。
母が広布基金をおさめると言い、私にもやりなさいというので、しぶしぶ用紙に記入し納めました。
ふと会館の傍らを見ると「KO-FU FUND」と書かれた大きな箱がおいてありました。
ポストのような入れ口がついており、上部には申込書。募金箱みたいなものでした。
受付がいないときは、広布基金はそちらで勝手にドウゾって事でしょうか。
中を見学しますか?と、御仏壇のある大講堂へ通してもらいました。
ライブ会場と言うか、ホールのような雰囲気で、ステージ上に仏壇が置いてあります。
日本の会館みたいな須弥壇はありません。
客席(?)部分には沢山の椅子が整然と置かれてありました。畳じゃありません。椅子に座ってごん行や
唱題をするみたいですね。
この部屋の他、大小会議室に、池田先生のお部屋がありますと、さらっとメンバーが話してくれました。
ここでひっかかりました。 えっ?池田先生のお部屋?!
確か、日本の会館にも、もれなく全て池田老人のお部屋があると聞いてました。
私が通っていた地元の会館にもあったけど、白蓮は立ち入り禁止でしたw 
これ以上は入っちゃいけないってエリアがあったんです。なので室内を見た事はありません。
このハワイで、まだマインドコントロール下にあった私ですが
なんで年に1回これるか来れないかもわからないような海外の会館に、自分の部屋が要るのだろう?
感心しないな!と思いました。
15年以上前には「国外はおろか、国内移動もできない。なぜなら命を狙われてるから」って
言ってたじゃん・・。どういう事よ?と思ったんです。
受付の近くに、会合予定みたいなものがおいてあったので見ると「DAIMOKU TO-SO」って
書いてありましたw
題目闘争のことだと思います。
こんな、平和の楽園のようなハワイにおいても「闘争」なんて言葉を使うのかと、たまげました。
ほんと、覚醒したいま読むと「闘争」って、およそ仏の心とは相反するようなワードですよねw
闘って争うんだって。御題目でw 
組織でバリ活やってるときは、何の違和感もない単語でしたが、今は背筋が寒くなります・・。
私は早く街に戻って買い物がしたい(だから早く会館を出たい)と気もそぞろでした。
が、母はせっかく来たんだから!とベンチに座ったり・池田老人の写真パネルに詩が書いてあるものを
しみじみ眺めたりしてました。
私が退屈そうなのを見かねたのか、現地メンバーの婦人が「ハワイ楽しんでますか?何処へ行かれました?」
と声をかけてくれました。
子連れで、結婚式もあったので、まだ殆ど観光してないんですよ・・など答えましたが、
私のダルい態度の奥にある「不信心」を、現地メンバーに見抜かれているような気がしました。
きっと、信心強情なメンバーなら、海外の会館に来る事が出来た!先生もいらっしゃった会館に来れた!と
歓喜wするんでしょうね。 でも私は、そんなこみあげるような思い、何も無かったんで。
「良い旅になるといいですね」と言ってくれ、ボールペンとパンフレットをくれました。
御礼を述べて会館を後にしましたが、なんというか、ハワイのメンバーは日本の婦人部とは全然違うと
感じました。
必死感が伝わってこないのです。
眉間に変なしわなんてなかったし、とても落ち着いて、ゆったりした雰囲気をもってました。
海外のSGIは雰囲気良いと、他ブログで拝見したのですが、本当にそうなのかもしれません。

覚醒後、ネットで全国の会館に池田老人の部屋があるという情報を目にした際、
その部屋だけは最高の建材を使って豪華絢爛・贅を尽くしてあると書いてありました。
(矢野氏の手記です)
しかも池田老人以外はその部屋を使っちゃいけないって御達しだそうですね。
一度も行く事のないであろう会館でも、その仕様。
そのことを「執念にも近い自己顕示欲」だとも。 本当に、その通りだと思います・・。
国内会館の池田老人部屋は、平成7年に国会質問でも問題にされたようです。
参議院会議録情報 第134回国会 宗教法人等に対する特別委員会 第6号 楢崎泰昌議員の質問)
税務調査が入り、改築したりで隠ぺいをはかったそうですが、
海外(ハワイ)はそのままにしてあるって、なんともお粗末だと思いました。

後日書きますが、毛沢東思想(個人崇拝)なんですよね、姿は無くても部屋を作らせるって。 
こんな実態をも有り難がっている、池田老人を師匠と崇める現役バリ活たちが、不憫でなりません。
先生、先生と目を輝かせ師匠を求めるバリ活は、北朝鮮の住民となんら変わらないんです。
民主主義国家の日本にありながらも、プロパガンダにより完膚なきまでに洗脳されている。
けれど本人たちはまったくそのことに気が付いていない。情報化社会にあるというのに、見事なまでに
情報統制されているのです。
これは、とても恐ろしい現実だと思います。

虚構の王国が崩壊する時、バリ活たちはどうするのか。
女子部時代に大幹部から聞かされた指導が、いまも忘れられません。

「弟子というものは、いざという時、まっさきに師匠の元へかけつけなければなりません。
師匠の一大事のとき、一体どれほどの人が師匠の元へかけつけられるのか。
「先生!」と声をあげ、何を差し置いても、まっさきにかけつけることの出来る人が
 どれほどいるのだろうか。
 弟子が師匠を求めていくということは、常にそのいざという時のための訓練なのです。
 いざという時、かけつけられないようでは本物の弟子ではありません。
 そのいざという時が、明日なのか、10年後なのか、20年後なのか、30年後なのかは
 誰にもわかりません。
 その「いざという時」に本物の信心が試されるのです。
 青年部で闘って闘って闘いきって、師匠をどこまでも近くに感じる事が大事なのです」

”いざという時”って何?
肝心の、いざという時について、大幹部はひとことも説明しませんでした。

当時の私は、いざという時=池田老人ご臨終しか思い浮かびませんでした。
師匠のいざという時に、どれだけの弟子が師匠を求めて行けるのか云々って、
師匠が死んだら自分たちもあとに続けって事? 殉教?
有事の所作を教えられていたのでしょうか、ぞわっとします。
これはあくまでも、私個人の解釈です。別の人にはまた違う解釈があるのかもしれません。

そんな、くだらないことで命を落としてもらいたくない。
世の中にはもっと有意義で楽しい事が山ほどあるのに、そんなつまらない事に殉じないでほしい。
だから、一日も早く、覚醒して欲しいと願います。

未活時代(11)

2011年3月、大震災がおこりました。
私の居住地域は影響を受けませんでしたが、学生時代の友人が被災地域に嫁いでおり
なかなか安否の確認ができず、苦しい日々でした。
真っ先に浮かんだのは立正安国論。
民主党政権下でこのような大震災に見舞われてしまった国の不幸、そのことの意味を考えていました。
日々、内閣の茶番パフォーマンスを報道で見ながら、イライラしていたのです。

公明党が政権与党でなくなったのは、2009年の歴史的敗北が原因。
私は既に未活になっていて、F活動も殆どしていなかったけれど、実家の母にせっつかれて
地元の友人に電話でお願いしました。 これを最後にF活動は止めました。
友人から本音を聞かされたからです。
みんな選挙の時だけ「久しぶり~」と言って友人面で親しげに電話をかけてくるけど、それっきりだと。
なんなのかと、腹立たしいと言われました。
私はこの後、帰省して彼女をランチに誘い実際に会いました。変な話だけど、意地でした。
他の学会員といっしょにされたくなかったというか。
本当に彼女を友達だと思っているし、縁を大切にしたくて、票集めのための繋がりじゃないんだって
伝えたかったのです。 そこまでやってる学会員なんていないでしょうね・・w
なんせ、票を頼む事は「相手にも福運をつけてあげている」と組織では教えてますからね。
あくまでも”上から”な姿勢。 本当に、狂ってるしおかしいです。

この2009年敗北の際、池田老人が会員へ向けてのメッセージで「負けるが勝ち」と言ったと
聞きました。
これを知ったのは覚醒後だったのですが、賢明に票集めしてきた会員に向かって言う事じゃないだろ!
と、腹立たしく思いました。
そのことを昨年11月(覚醒後)母に言ったところ、とんでもない答えが返ってきたんです。
「前回の選挙は負けでよかったのよ。あなたわかってないわね。
民主党政権になって、何が起こった? 大震災、原発問題、領土・外交問題。災難続きよ。
こんなときに政権与党をやっていてみなさい、世間から、なにをいわれるか解ったものじゃない。
だから、”時機”ってもんがあるの。 政権与党にならなかった事は意味があった。
民主党が、全部難をかぶってくれたのよ」
私は絶句しました。
これが、母オリジナルの見解か・組織でささやかれている事なのかは解りません。
あんまりじゃないか、この言い草。
自分(の支持政党)さえ火の粉かぶらなければ、いいのでしょうか?
私は、震災当時、テレビ番組で被災地出身の自民党議員さんのドキュメントを見て、涙を流しました。
(現在、防衛大臣をやっておられる方です)
「自分たちが今この時に、政権与党であればと、これほど悔しい事は無い。
だけれども、出来る限りの事を歯を食いしばり、やっていくしかない」
この姿勢こそが政治家でしょう。
一番大変な時に、火の粉をかぶろうとも、最前線に立って仕事をする。
政治家は、その覚悟の無い人なら、なってくれるな・絶対やるな、やめてしまえ!と思います。
困難を避けるような人間は政治家になって欲しくない。
そこを、(政治家、政党を)支援してる人間が「難を被らなくて良かった」って一体・・。
池田老人がどういうつもりで「負けるが勝ち」と言ったか私は知りません。
しかし、後付けでこういった時の流れを見て
「やっぱり、負けるが勝ちだったよね~。先生の言った通りになったよ!
 いま政権与党だったらえらいことだったもんね!」と、鬼の首でもとったかのように言う支持者が居る、
そんな支持者が応援する政党は、ろくなもんじゃないと思います。

この頃、外を歩いていると、結婚当時にこの地域を担当していた元しらゆり長さんと
ご主人に遭遇しました。
ご主人は病を患っており、自宅療養中で一緒に散歩をしていたようです。
ベビーカーを見て、「2人目なの?お顔みせて」と駆け寄って来られました。
しばし立ち話をしましたが、ご主人も待っておられたし「ではこの辺で・・」と立ち去ろうとすると
「ちょっと待って。あのお友達どうなった?」と聞かれたのです。
あのお友達?思い出せずに居ると
「ほら、折伏したいって言ってたじゃない、お子さんが難病を患ってる・・」といわれ
「ああ」と思いだし。
私が女子部時代に仏法対話をしていた友人のことでした。
小グループの会合席上、折伏したい人はいるかと聞かれて、私が下種先として話していたのです。
友人は入決カードも書いてくれましたが、実家住まいで御本尊のご安置が出来ず折伏は見送って
いました。
後年、青年部で本尊安置が厳しい新入会者に、お守りご本尊授与される事になりましたが、
その頃に彼女はもう結婚してしまって、無理だったのです。
彼女のお子さんが難病を患っており、私の女子部時代に引き続き対話を継続していましたが、
本流には至らず。
いつかは折伏したいと、結婚当時は思っていました(しかしもう、この時はそんなこと考えて
ませんでした)。
しかし6年も前の話、話した本人ですら忘れてたのにwよく覚えてるなぁと、驚いてしまいました。
最近全然連絡してないんですと答えると、「そっか、また対話頑張って行かなきゃね」と励まされ。
微妙~と思いつつ、別れたのですが、そのあとなぜか”他人の不幸は蜜の味”という言葉が
脳裏に浮かんではっとしました。
別に、元しらゆり長がそうだといいたいわけではありません。
ただ、自分の主人が病で大変な時に、他人の折伏相手のことを咄嗟にでも思いだすって、
色んな意味ですごいなぁって。

偶然にもその数日後、件の友人から久しぶりの連絡がありました。共通の知人が亡くなったのです。
近況を話すうち、彼女のお子さんの病状が良くなっていることが解りました。
インターネットで発見した病院で、良い治療法を紹介され、そちらにかかってから快方に向かって
いるとのこと。
以前より声も明るくて、本当に良かったなと思いました。
長らく会っていなかったので、次の帰省時に必ず会おうと約束。
数ヶ月後、約7年ぶりの再会を果たした彼女と、いろんな話をしました。
お子さんの事は落ち着いたけれどご主人との関係で悩みがあると相談を受けました。
私は、そんなのどこだって一緒だよと同調しながら、彼女を励ましました。
すると彼女が私に向かって「今日は”祈ろうよ”とか、信心の話しないんだね」というのです。
え?どういうこと?と聞くと、結婚前の私は、悩みの相談を受けるたび
「祈って解決して行こうよ、私も祈るから」と毎回言っていたらしいです。
え?そうだった?と言いつつ すごく恥ずかしかったです。
「いつも励ましの言葉や、いい言葉を教えてくれて、最後は”祈ろうよ”だったよ」と教えてくれましたw
彼女は職場の先輩からも折伏を受けていました。現在進行形で、対話が続いているとの事で
「どうするの?入会するの?」と私が聞くと「絶対ない。主人が学会、大嫌いだから」とw
でも、祥蘭や先輩がかけてくれるいい言葉、いつも辛い時に思い出してたんだよと御書の一節を
言ってくれてジーン・・と、感動しました。
「入会はできないけど、信心がいい事だっていうのは理解してるよ。それでもいいよね?」と
彼女が言うので「全然いいよ!」と私は返事しました。

彼女に、やれ新聞推進だ・選挙だF取りだ・折伏だ・財務だなんて、させたくない。
婦人部の活動を知ってしまったら、入会なんて決してすすめられません。

それにしても何かがおかしい、組織って。
このとき彼女と話して改めてそう思ったんです。
信心は、もっとシンプルでいいはず。
日々の祈りを大切にすること・日蓮大聖人の教えを御書を拝して学ぶこと。
悩める人がいればこの仏法を教えてあげて、共に祈っていく。それだけでいいじゃないか。
どうして組織に加入させて新聞とらせて年会費(財務)おさめさせて選挙の応援させるの?
むだに毎週集まるの?いろんな敵と闘わなきゃいけないの?
怒られるからこんなことは組織の誰にも言いませんでしたが、 私は組織につくことも・
誰かを折伏(入会目的で)することも、もう絶対しないだろうと、このとき思いました。

いま思えばですが、子供を産んだ事もない未婚女だった私が
「信心で子供の難病もぜったい治る!だからやっていこうよ」なんて対話していたこと、
顔から火が出るほど恥ずかしいです・・。
真剣に悩んでいる彼女の思いを、きちんと受け止めていたかといえばそうじゃなかったです。
”当時はマインドコントロール下だった”という言い訳をしますが、
全ての悩みはご本尊様に祈念すること・日蓮大聖人の教えを信じ行じてゆけば、何もかも解決すると
私は絶対的に信じていました。
だから自分の置かれている立場と彼女の立場の違いなんて全く思慮に入れませんでした。
とにかく悩んでいる彼女と病気で辛い思いをしているお子さんを「救いたい」その一心だったんです。
そう組織から「思い込まされてきた」ともいえます。

身の程知らずと言うか、子供は生んでみなければわからない事っていっぱいあるし。
特に、子供の問題って、デリケートなんですよね。
「経験もないくせにあなたが上からモノ言わないで」ってこと、ありますものw
よく彼女も、腹を立てずに聞いてくれたものだと・友人として居続けてくれたなって、
その寛容さに感謝します。

自分が母親となり、ママ友とつきあう中で言えることは、子育ての悩みって概ね誰かに聞いてもらう
だけですっきりするものなんですね。
聞いた上で、自分の経験談や”こういう話をよそで聞いたよ”って助言をするのはアリだけど
得体のしれない方法(創価の信心)で「悩みを解決して行こうよ!」だなんて、大きなお世話。
誰もそんな事、望んでない。 
一般のひとたちは、相手に悩みをどうにか解決してもらおうなんて考えるほど浅はかじゃない。
そんな他人任せでしゃべっているわけではない。
だのに組織では、悩みを話してくる外部の事を「仏法を求めている人」と教えていた。
”折伏のチャンスだよ!こんど会合に連れておいでよ!”なんて、女子部では盛りあがっていたw
部長時代、私もそんなこと部員さんに言いました。
友人の悩みを解決へと導くための仏法対話(折伏)=善い行い、と組織から思いこまされてきたけど
実はそんな崇高な目的なんて、何もなかった。 
大本営は単純に新たなカネと労働力を提供するコマが欲しかっただけ。
自分の馬鹿さ加減にも呆れますが、なによりも純粋な人心につけ込むゲスな組織に憤懣やるかた
ありません。

誰かに悩みを話す時。みんなちょっと楽になりたかったり・別の視点を聞かせてもらうことで
突破口をみつけたかったり・迷っている事に対して背中を押してもらいたい(肯定してもらいたい)
というだけ。
信頼関係があるからこそ、話してくれている相手に、もっと敬意を払うべきでした。
その信頼につけ込むような「仏法対話」なんか要らない。 
心を開いて語ってくれる友人に、誠実にむきあうこと。それだけで良いのだと、最近は思います。

未活時代(10)

第二子を出産した年の財務時期、これってどうなの?と思う事がありました。
夕方、見知らぬ電話番号で携帯が鳴り、悪い予感がしたので出ませんでした。
留守電が入ったので聞いてみると、OO支部のしらゆり長をしているOOですと。
私が女子部時代に折伏をした友人の地域の人でした。
友人の事でききたいことがあるんで、連絡もらえないでしょうかとの事。
なんだろう? とりあえず友人の携帯に電話してみたところ、電源が入っていない旨の音声。
何かあったのかと、SNSを見ました。
彼女も私も、頻繁に更新しており近況を知るにはそちらを見る方が早かったのです。
すると前夜遅くの更新に「子供が高熱、救急に行ってきます」とありました。
更新から既に半日以上経過していました。新たな更新が無く、携帯に出ないと言う事は入院かも?と
直感。
私もこの時期に長子がRSウイルスをこじらせて入院した事があり、彼女の子供も小さかったので
そう思ったのです。
SNSに「落ち着いたら連絡頂戴ね」と書きこんでおきました。
そこまであたりをつけてから、電話をくれたしらゆり長に連絡。
彼女と連絡が取れなくて困っている・財務の入金報告がなかったので、どうしても今日中に
連絡を取りたいんですというのです。 私は驚きました。 
そんなことで、紹介者にまで電話してくるんだ?!と。
既に夜の8時をまわっており、その日が財務の最終振込日でした。
私は、彼女の子供が風邪をこじらせて、おそらく入院しているので携帯つながらないんだと
思いますよと伝えました。
しらゆり長はうろたえていて「どうしよう~、どうしよう~」と困った声で呟きます。
私はイライラしてきました。どうしようったって、どうしようもないじゃんか!
「確認が取れないと、そんなに困るんですか?」思わず尋ねました。
しらゆり長は「ええ、万が一納金できていない場合は”事故”になりますから・・」と答えました。
「けど今更電話連絡がついたところで(万が一、入金してなかったとして、これから入金は無理だし)
 同じですよね?」と私は話し。
おそらく大丈夫でしょう、彼女からの連絡待ちましょうよと、しらゆり長をなだめました。
「ご迷惑おかけしてすみません」と、しらゆり長は電話を切りました。

財務の納金が完遂されていなければ「事故」 こんな事、初めて聞きました。
まるで、金融機関の与信みたいですよねw 
なぜに”真心の財務”が未納金だった場合を「事故」と表現するのか。
兼業主婦時代、営業事務を経験しました。客先から予定の日時に入金がなかったり、手形が不渡りに
なればそれは確かに「事故」と呼んでました。
だけど、財務は商取引じゃありません。あくまでも個人の意志による「寄付」という行為のはず。
そこに「事故」という表現を持ちだすこと自体、組織のどす黒い魂胆がミエミエです。
そして、納金すんだよの連絡がなく・本人と連絡がつかなければ、紹介者のところにまで電話で
確認してくるなんて。
闇金よりひどくない、これ? と、ドンビキしました。

翌日、彼女から電話がありました「心配かけてごめんね」と。
私の予想通り、彼女のお子さんは肺炎手前で即入院。
24時間点滴で、慣れないことでお子さんも落ち着かず、母親はずっと付き添わないといけなくて、
旦那さんや身内と連絡をとっているうち、携帯の充電がなくなったとのことでした。
しらゆり長から悲壮な声で留守電が何本も入っており、私に連絡を入れたと言っていたとのこと。
財務の納金については1日前に済ませていて、連絡しなきゃと思っていたが子供の急病でうっかり
忘れていたと話してくれました。
ほっとしたと同時に、こんな家族の緊急事態の時にまで「カネカネ」言って来る組織ってなんなの?
と、許せない気持ちになりました。

この直後に実家帰省の折、幹部のおばに会ったので苦情方々訴えてみました。
するとおばは「しらゆり長が勝手にやったことで、その組織の長の意識がそうさせた」と
あくまでも、地域が悪くて、大本営が悪いとは言いませんでした。
当時も釈然としない思いでしたが、今ははっきりこう言えます。組織の長をそこまで追い詰めるほど、
大本営からのカネ集めへの圧力がきついって事じゃないのかよ!と。
なんでもかんでも現場のせいにして、池田老人と大本営を「聖人君子」にしようとする組織は
腐っています。
上がおかしいから、下ももれなくおかしいんです。 なぜそんな簡単なことがわからないんだろう?
マインドコントロールでしてやったりでしょうね、大本営は。

私も、「財務の納金が済んだら必ずメールして欲しい」と言われていたクチです。
普段活動に出ないから、信用ならないって事なんでしょう。
一昨年も「納金が済んだら必ずメールお願いします」と言われたのですかさず
「それって、学会本部からの御達しなんですか?」と地区婦に尋ねたら「そんなことないですよ!」と
何故か大慌てで否定してました。
組織ぐるみで集金に必死、そう思われてはならぬ・・みたいな感じなのでしょうか。
財務集金が完全なる創価学会の「生業」になっていること、もうみーんな知ってるよ、今更隠すなと
思ったりしました。

2011年、年明けに主人に異動の内示がありました。
やっとこの地域から抜け出せる!という喜びもつかの間、通勤圏。
長子の幼稚園を変わるのもどうかと思い、引っ越しはしませんでした。
私はこの転勤で引っ越しがあれば、統監を地元に戻してもらおうと思っていました。
姉が離婚した際、実家に帰らなかったのに統監は転居先ではなく、地元に戻した経緯があり
自分も同じくしてもらいたかったのです。
この地域がダメでも、引っ越し先で活動を頑張ろうという考えは数年の間にもう無くなっていました。
その理由は、時折母から送られてくる活動報告メールで、婦人部の戦いの流れを知っていたから。
”新聞・新聞ってうるさい、やれ折伏はじまった、婦人部総会で多忙、いついつ選挙がある”云々。
ルーチンワークですね、と思いながら読んでいました。そしてその活動のどこからも楽しさが伝わって
こないのです。むしろ、苦しそうでした。
母は私に心を許して組織内の愚痴を吐いていたのでしょう。
結びの句はいつも「一家和楽の為、頑張るね(ハートやガッツポーズなどの絵文字入り)」
しんどいけど、やりたくないけど、なんでこんなことしなきゃならない?だけど
「一家和楽」という自身の命題のため母はいつだって一生懸命。
そんな、やりたくない事をしなくても、お母さんが「信心しろしろ」って兄姉にいわなければ
(自己完結の信心をしてくれれば)一家和楽はすぐにでも達成可能なんだけど?と私は思うように
なっていました。
でもそれは、絶対母に言えないことでした。

組織の活動に冷ややかな目を向けるようになっても、私が脱会を考える事はありませんでした。
脱会は無間地獄に落ちると(実際見た事もないのに)聞き、それを信じて疑わなかったからです。
活動しなくても組織に籍だけ置いて、御本尊様をお守りしていけばそれでいい。
母亡きあと学会葬を出すために、私一人が細々とでもこの信仰(創価)を背負って行けばいいと
考えるようになっていました。

また、子どもを介して知り合った一般のママさんがたと過ごす時間が長くなり
私が「一般の感覚」に慣れ親しみ、創価婦人部の異様さを全く受け付けなくなった事も大きいです。

あいかわらず福運貯金の支部婦は待ち伏せ、自分のものではない携帯から電話をかけて来て
在宅確認したうえで家庭訪問にくるなど、ストーカーっぽい行動をとっていました。
支部婦に会うたび、脅し文句で揺さぶられます。
その場では「はいはい」って感じで受け流しますが、訪問を受けたあと数日、身の回りで何か
悪いことがおこると”活動にでていないから?”と、一瞬不安になるのです。
悪いことと言っても、子供が転んでけがしたとか・うっかり料理のときに切り傷を作るとか、
家具の角に足の小指をぶつけるとか、そういった類の、普段なら気にも留めないような事柄。
数日間、身の回りのネガティブを数えて不安に陥ります。
これは創価脳の人に多い傾向じゃないでしょうか。
福運を感じ、嬉しくてたまらずに活動を続けていると言うよりは・不安に駆られ、罰論がちらついて
活動から抜けられない人の方が多いような気がします。

私が不安に陥っていたのは、未活であるがゆえの「負い目」がその原因。
活動を頑張った時期があるだけに、未活=福運が切れて自分や家族の身に悪い事が起こる、という
刷り込みを刺激されると、忘れていた古傷がうずきました。
女子部時代、活動をドロップアウトしたから職場をリストラされた、と思いこんでいました。
それが古傷です。
べつに、負い目なんて感じなくていいのに。
自分の人生です。活動やるもやらないも、自分がきめればいいこと。福運は自分持ち。
じゃあ一体誰に負い目を感じていたのか?
それを突き詰める事を、私は長らくしてきませんでした。
覚醒後、アンチ系ブログで「思考停止」と目にして、まさにそう・その状態だ!と思いました。
じゃあなんで思考停止するのか。私の場合だと、それはやっぱり「罰論」に行きつきます。
私はあくまでも日蓮大聖人の教えと御本尊様を信じてきました。
だのに「組織の活動=仏道修行」との大間違いを教わってしまったのがまずかったのです。
「組織の活動を拒否すること=信仰を怠ること」という刷り込み。
日蓮大聖人は、御書の中に一つも「会合に休まず出席しなさい・新聞推進しなさい・選挙の応援を
しなさい・折伏とは組織に入会させることです励みなさい」とは書いていないのです。
だのに、どういうわけか、学会活動こそが仏道修行と組織から教えられ、信じ込んでしまった。
それが全ての間違いの始まりでした。
こんな単純な事に、40年も気づけなかったのです。

実家の母とは、電話で話したり、帰省で会ったりするたびに
「まだ寝てるの?そろそろ起きて活動をしないと、いろんなことに障るわよ」と、これも罰論で
脅しをかけてこられました。
私はそのたびに「御本尊様を粗末にするような事はしていない。大事にしている。
活動にでないことが不幸の因をつむことなんて思わない。”日蓮は慈悲広大”なんでしょ」と
母に反論。
それに対して母は
「あなたは今、自行化他の”自行”さわりの部分しかやってない状態で化他がない。
 それでは功徳はいただけない。どちらも揃ってこその仏道修行だ」と返す。
こんなやりとりが実家を離れて以来ずっと続いていました。
喧嘩にならないよう、わかったわかった、と返事をして穏便にすませてきました。
自行化他という言葉についても、「化他」部分が新聞啓蒙や選挙活動というのがどうにも違和感です。
折伏に関しても、「日蓮大聖人様の教えを広め、御本尊様に出会わせてさしあげる」ここまでの
行動ならまだ許せます。
それと引き換え(?)に「組織に入会」させることは、どう考えても折伏行ではありません。

御書にひとつもかいていないことを、それが正しい・それこそが仏道修行で幸せになる為の道筋だ!と
いうのならば、もう、本尊(本仏)や御宗祖を「日蓮大聖人様」というのはやめたらどうでしょう。
立派な「永遠の指導者」もいることですしw

看板を借りて巨大搾取システムを構築。
詐欺集団と言われても、仕方が無いことだと思います。

未活時代(9)

長子の入園式は義両親だけ来てもらいました。
母に宗教系幼稚園に入れた事は黙っており、母は学会活動が忙しくて行けないと言うのでこれ幸い。
いきなり「お祈り」があったので、呼ばなくて正解でしたw
しかし隠し通せるはずもなく、帰省の折に子供が「幼稚園でお祈りが毎日ある」と話したことで
宗教系の園に入れた事が母にバレました。
母は感心しないと不機嫌でしたが「最近の創価ではOKみたいだよ、OOさんも・・」と、
地域の女子部がキリスト教系の学校を出ていると話すと「そうだったの?でもなんか変ね。
いつの間に変わったの?」と不満げでした。
私は実質的な活動が女子部時代(1993年~2004年)だけなので、この期間に創価の教えが
ガラリと変わってしまったな、と思った事ってさほどなかったんですが
親の年代はまだ戸田先生の指導が色濃く残っていたでしょうし、創価ルネサンス以降の流れについて
認識も低く、違和感を覚えて当然だと思います。
でも、違和感を覚えても「おかしすぎる」と反発しないのは、功徳信心だからでしょうね・・。
反対意見を持つことで功徳が消されてしまうと本気で信じてますから、おかしいとは思いつつも組織から
はみ出そうとか・異を唱える事はしないのです。
戦後の貧しい時代を経験している母からすれば、経済成長の上げ潮に乗り、現代の豊かな暮らしが
ある事は「功徳以外の何ものでもない」と感じているみたいです。
こう言ってはなんだけど、その年代(戦前生まれ)は、頑張れば報われる時代の人達でした。
財テクの利率も良い時代だったし、年金も60歳から満額でもらえてます。
そこに信心の有無は、それほど関係ないと思います。
でも、そのおかげだと思いこんでもう半世紀以上なので、なかなかマインドコントロールが
解ける事はありません。

第2子出産の際、前半数週間は義母さんが来てくれ、後半の2週間を実家の母がやってきて
世話してくれました。
(注:里帰り出産をしないことは、父の存命中に決め、サポートして欲しいとお願いしていたので、
 父の遺言?に沿って母は学会活動を休んでくれました)
私は2人目の妊娠も組織の人に伝えず、家庭訪問も完全に居留守を使っていました。
出産までの期間、短期で実家に帰る事も多く、車移動メインだったこともあり組織の人に
近所で遭遇する事も無かったのです。
このときも無視したかったけれど、うっかり母がインターホンに出てしまいました。
私を部屋に呼びに来たので、応対に出ると、新しい支部婦人部長と、地区婦でした。
「人事が変わったからご挨拶に」と。
私が2人目を出産したばかりだというと、驚かれました。
新しい支部婦は年齢が私とほとんど変わらない、数ヶ月前にこちらに引っ越してきた人物でした。
婦人部ヒエラルキーを思い出した私は”こりゃ、女子部で大幹部だったにちがいない”と直感。
地区婦が「そういえば、幼稚園はどこに通ってるの?Oさん(発達障害ママ)が気にしてたわよ」
というので、園名を答えたところ「えっ!あそこって・・」と、地区婦は絶句してました。
創価のくせになんでわざわざ宗教系の園を選ぶか?という反応です。
私は教育環境の良さで選んだ、と返事をしました。
選挙が近かったので、チラシと日程表を置いて帰りました。
余談ですが、母が「あなたのいったとおり、ここの婦人部の人たち、華が無いわね」と印象を述べて
いました。

第二子の宮参りも義実家の氏神様でしてもらいました。
のちの七五三なども、そちらでしてもらっています。
夫もその神社で七五三をしており思い出の場所で、義両親にとっては感慨深いようです。

その後、支部婦が一人で家庭訪問にくるようになりました。どうしてもあなたとお話しがしたいと
不在時にメモがはさんであり、1回くらい話してみるか・私が活動に出る気が一切ない事も、
このさいだし話しておこうと思い連絡をしました。
家庭訪問にやってき、私に対して
「女子部時代がんばっていたのに、どうして休んでるの?そろそろ起きてもいいころじゃない?」と
言いました。
説明するのも面倒だったので、今は活動がしたいと思わないしその必要もないと返答。
すると「福運貯金の話、知ってるでしょ?」と切り出しました。
ああ、知ってますよ。女子部時代、耳にタコができるくらい聞かされましたね、と答えると
支部婦は「女子部卒業して何年?6年、だったらそろそろ貯金も切れる頃だと思うけど」と言うのです。
どういう尺なんでしょうかw 6年でそろそろ切れるとか。誰がどういった基準で決めているのやら。
(注・支部婦は私が結婚直後にワークをしていて、1年ほどで未活に転じた事を知っていました)
「6年も本格的に活動しないで、よく平気で生きていられるわね、私だったら無理だわ」と、
馬鹿にしたように言うので、おや・・?って感じでした。
こんな幹部は初めてかも、ちょっと今までとタイプが違うなと思ったのです。
私は「べつにそんな事(福運が切れたと)感じてないです」と答えました。
すると「あなた自身がそう感じていなくたって、だんなさんや子供に障る事もあるんじゃないの?
どんなかたちで宿業が出てくるかなんて、誰にもわからない。孫の代で出たら、後悔しない?」と、
悲惨なたとえ話を続けました。
この人、怖いとおもいました。 こんなのただの脅しだよと。
「信心の確信がないわけでもないんでしょ?だったらそろそろ起きないと。
 本当に、怖い事になってからじゃ遅いわよ」と、どこまでも脅しを貫こうとするのです。
本当に私って、幹部運がないのかもと思いました(そう母にいわれたんです・・)。
喧嘩してもよかったんですが、なんとなく厄介なタイプだと予感した私は
第二子も生まれて間もないことだしと前置き、
「活動に出たくなったらこっちから連絡するので、そっとしておいてください」と伝えました。
支部婦は次の予定時刻が迫っていると、すんなり帰って行きました。

しかし、これで終わるはずもありません。毎週のように支部婦が家庭訪問にやってくるように
なりました。
私が留守の時間帯に来る事が多く、しめしめと思っていたのですが
子供を幼稚園に送った帰り、駐車場に戻ってきたところを待ち伏せされました。
怖かったです。 どうしてそこまで?と思い。
寒い季節、まだ赤ちゃんだった2人目を抱っこのまま、足止めを食らうのは気分のいいことじゃ
ありません。
会うたびに「調子はどう?福運貯金、まだあるのね」とイヤミを言うのです・・。

幼稚園では、朝の見送り時でもママさんがたは綺麗にお化粧をし、髪を整えています。
軽やかなダウンコートを羽織って、ファッション誌から抜け出てきたようなママさんも多いです。
そんなママさんがたと会った後に、支部婦と会うとその落差に愕然とします。
バブル時代に買ったものなのか、肩パットの入った分厚いウールのコートに、
白髪交じりの髪はつやがない。
それでも表情がまだイキイキとしていれば見どころあるけれど、はりついたような笑顔は目が怖い。
”「福運貯金」て、何?”と、支部婦を見て失礼乍ら思っていました。
見た目だけで判断してはいけないにしても、ギスギスした雰囲気・口を突く言葉は罰論と脅し。
「幸いは心より出でて我を飾る」とは真逆じゃんか。
そんなあなたが福運貯金がどうのこうの言っても説得力がない・・と思いました。

残酷ですが、女性の40代って気をつけないとすぐに老けこみます。
個人差はあっても、老いは確実に身の上に起こり、何もしなければみすぼらしくなっていきます。
若いころとは違い、ある程度のお金と手間をかけないと、普通に見せる事すら難しい年代。
池田老人が指導集に書いていた
「女性の本当の幸福は40代できまる。若い時にどれほど華やかで、きらびやかであっても
 40代になった時に不幸であれば意味がない。
 そのために若いうちは信心強情に福運を積んで行くのだ、そうすれば40代になった時に
 勝利の人生が待っている」という内容。
私は20代終わりにこの指導を読んで、私の40代はどうなっているんだろう?と想像しました。
途中で活動さぼった時期があるから、あんまりかもなとかw
そして、わき目もふらず創価一筋の同志(幹部)は、すごい福運を掴んで幸せになってるんだろうなと
脳内花畑だった当時の私は想像していました。

だがしかし、現実は池田老人の予言(?)とは違うものでした。
父の葬儀で久しぶりに再会した大幹部の先輩方は、活動に疲れ切ってか、眉間に深~い縦じわを
作っていました。 
ストレス過食なのか、別人のようになってしまった人も。
同期に至っては、結婚しないまま婦人部へ勇退し、メンタルを患った人・人間関係を絶った人もいる。
私から見て「福運掴んだね!」と思えるような同志が一人も居ないのです。
むしろ、結婚後に未活・非活に転じた同期のほうが幸せそうです。
この支部婦、白蓮経験者。女子部でもかなり上の役職者だったと言っていました。
40代前半で支部婦に上り詰めた。そんな福運長者?が、見るからに古い重たそうなコートを着て、
生活やつれした姿で、目の前に現れ「福運貯金がなくなったらどうする気?」と、私を脅す。

「勝利の人生」って一体なんなのだろう? 
バブル後期を経験した私は、俗物的で、幸せを「見た目」で判断するところがおおいにあります。
”勝ち組”なんていう言葉もこの当時、メディアなどで盛んにいわれていましたが
勝利の人生=勝ち組、でいいのだったら、私の目の前に現れる信心強情で・女子部時代に
わきめもふらず学会活動にひたすら励んできた幸福王女は、どうみても「勝ち組」ではない。
子供の通う、幼稚園のママさんがた(30-40代の、一般のご婦人)は確実に見た目「勝ち組」だけど。

十数年を経て、数々の池田老人指導が、悪徳商法のカタリのように思えてきました。