FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2018年 ごあいさつ

本年もよろしくお願いいたします。

2018年に入り、「最強寒波」という言葉を毎週のように聞いている気がします。
いつになく、本当~に寒いですね。 
皆様ご自愛ください。

さて、我が家は昨年、家族全員が一度も病院にかからなかった!すごい!と
年末の記事にも書いたほどでしたがw
年明け早々、末子がインフルエンザBに感染w 病院のお世話になりました。
元気で食欲もあるけど微熱がなかなか下がらない、という状態が2日続いて受診したら
「インフルエンザですね」といわれたので、すかさず「Bですか?」と確認。
Aは高熱で症状がわかりやすい、というのは経験済みでした。
Bは初めてのことだったので半信半疑。
え、こんなもんなの?軽い疲れ~風邪の症状かと思ってたのに、と。
まさかのB判定で驚きましたが、みてくださった医師がガハハと笑いながら
「かかっちゃったもんは、仕方ないよねぇ~。イナビル出しとくから。1週間、休んで♪」
と明るく言ってくださったので 「だよねー!」って、こちらの気分も明るくなりましたw

新学期早々1週間も休むということで、以前の私ならわだかまりがハンパなかったと思います。
「なんで予防接種してたのにかかるの?!おかしいじゃない!」
「誰からうつされたんだろう?(犯人探し)」
「習い事も休ませなきゃいけないしー(カリキュラムが遅れる、イライラ)」
「この時期にインフルエンザに感染させたなんて、母親の私がしっかりしてないと思われる!」
「他の家族にうつされちゃたまらない!対策にあれしなきゃ・これしなきゃ(そわそわ)」
「約束キャンセルしなきゃいけないー!(いやな気持ち)」
その他もろもろ、思考がうるさかった時はこんなこと考えてたんです。
ええ、実際数年前(エゴの観察など知らなかった時期)に
上の子がインフルAにかかったときに考えていたことですw
1週間、どんよりとくらーい気持ちで、イライラくさくさしつつも看病生活を送っていた過去を
思い出しました。

今回は症状がごく軽かったこともあって、看病と言うほどのこともなく。
子供に「冬休み延長しちゃったね~」と言いながら、楽しく過ごしました、室内で。
ひとつお誘いを断る羽目にはなりましたが、また次回もあるからと気楽に流せて。

医師が明るいノリで言ってくれた「かかっちゃったもんは、仕方ないよね~」に、
今回とても安堵感を覚えたんです。
昔の私なら
「なーにが、かかっちゃったもんは仕方がないじゃ!人ごとだと思いやがって!ムキー!」
って、なってたと思います。
全部が自分の責任だって思い込んで・抱え込んでる(エゴの)人が聞いたら、腹が立ちますよw
「無責任なこと言うな!看病するのは親の私だぞ!」ってね。
(↑もと創価脳に、このロジックから抜けられていない人が結構多いような気がするんです。
 「すべては自分が源」的な教えから、自分が全ての責任背負ってると不幸な勘違いを
 しがちで、もうそんな教えは捨てたはずなのに・・ね)

あと、今回はもちろんそんなことありませんでしたが
原因探しのさなかで「仏罰かもしれない」「罰があたったのかもしれない」なんて
斜め上の方向から心配したり・決定づけるのもエゴの仕業ですw
そんなもの(罰)はありませんので、もしまだそういった心配や不安をお持ちの方が
いらっしゃったら、それは「エゴが作り出した幻想・妄想」
または「長年染み付いた思考のくせ」ですので、気づいたら横に流しましょう。

医師の言う通りで、ほんとこればっかりはもう出逢いもの?!
シンプルに受け止め、できる範囲の手当をし、過ぎるのを待つだけなんですよね。
そこにイライラとか、不安の増幅、わだかまりの種となる犯人および原因探しという
ムダな思考の暴走は必要ない。
これができている人にはそんなの「当たり前」なんでしょうけども。
エゴという暴れ馬に長らく引きずりまわされていた私にしてみたら、今回の子供の罹患は
過去の自分を眺めるいい機会であり、「気づき」を与えてくれましたv

今年も「ニュー・アース」記事を中心としつつ、
私の日々の気づきについても触れていきたいと思います。

更新は遅いですが、ときどき覗いてくださいませ。

2018年も、皆様にとって素敵な一年でありますようにv


スポンサーサイト

2017年 感謝

2017年も、拙ブログをご覧いただきありがとうございました。

相変わらずのマイペースな更新に加え、
今年は5月に(いい意味で)すべてがどうでもよくなるという経験をしw
またまた更新が遅れがちでした。
にもかかわらず、見に来てくださった・読んでくださった皆様、ありがとうございますv

(※この記事のひとつ下に、12月25日更新「ニュー・アース第三章(9)」あります。)

さて、前回予告通り2017年に読んで面白かった本を紹介します。
全部スピリチュアル系で怪しくてすいませんw

けど、物事の見方・自分を取り巻く環境の捉え方・視点や心持については
そこらの自己啓発本なんかより、ずーっと勉強になると私自身は思っております。

ひとつめは、以前記事でもすこし触れましたこちら。


いわゆるチャネリング本ですが(怪しいなw)、内容に度肝を抜かれました。
チャネリングについてはwiki参照

私はこういった類の事柄を一切受け入れないタイプでしたし、まず疑ってかかるほうでした。
昨年、バシャールの本を読み、その流れでこちらの本を知って読むに至り。
wikiにも書いてある通りですが、チャネリングの源流(?)を作ったともいえる
最初の出版物です。

単純にチャネリングで降りてきた内容のみにとどまらず、チャネラー
(ジェーン・ロバーツさんという女性)と、その内容を記録していたご主人、
周辺人物やチャネリング時の状況、時代背景のことも含め詳細に書かれてあるので、
本が分厚いのはそのせいもあります。
私は途中から、チャネリング部分(セス=宇宙存在が語っているところ)だけを読んでましたw

何に一番感銘を受けたかといえば、セスの語りの内容に一念三千・因果具時と思しき解釈が
出てきたところ。
1972年のアメリカで、仏教がどのくらい浸透していたか定かじゃないですが、
ジェーン・ロバーツさんはもともとローマ・カトリックの教えの影響を受けていたとのことで
仏教徒ではないのです。 なので彼女の素養から出てきた内容や言葉ではなさそう。
だったらどうしてこんなことを知ってる?! 語れるの?
やっぱり宇宙存在・・人知の及ばぬ高次の存在はいるってこと?あるってことじゃないの? と、
私はとてもワクワクしたというか・・興奮したんですねw
「カルマ(前世の業)は無いし、それを理由に帰依をあおる宗教はろくでもない(要旨)」と言いきった
個所もあって、この本がもっと早く日本に入ってきておれば、カルト宗教が蔓延しなくて
すんだんじゃないの~!?と、思ったりもしたくらいです。
(ちなみに日本に入ってきたのは1999年・・遅すぎます)
ちょっと脱線しますが、日本人が過去の罪障消滅だのカルマからの解脱だのという
カルト宗教のうたい文句に騙されやすかったのって
「敗戦国の負い目」が過剰にあったせいなのかなあ?とも。 時代背景も重ねてそう感じます。

すべての可能性が、過去現在未来も含めてすべてが「(いま)ここ」に存在している。
たとえば3つの選択肢があったとして、3つともの結果・状態は同時に存在する。
仮に今選んだのは1つだと認識していてもほかの2つも同時に存在するのだーという事柄が
書かれている個所を読み(「確率的偶然の体系、人類、神々」章 p424~あたり)
私は目からウロコが落ちました。
(前半部分に長々書かれている時間と空間と物質の関係性について読んだ後だから
 すんなり腑に落ちた、ともいえるのですが)
その時頭の中に浮かんだのは、時間軸があみだくじのように上下縦横につらなっている画でした。
まさにそれが、一念三千・因果具時の世界・私的解釈とリンクしたんです。

私の人生の中で、いくつか「あの時あっちを選んでおればーなんとかしとけば」
という事柄が以前あって、大学進学と・結婚前の恋愛のことです。
どちらも自分に情熱が足りなかったということなんですがw あの時こうしておけば・・って思いが
常にではありませんが、時々頭をもたげることが、それまでにあったのです。
けど、どの結果・状態も同時同列に存在しているーという事にちょっと驚いた&嬉しくなりました。
嬉しいって言うと、おかしいけどw
たとえば・・憧れていた志望校に受かっていた、という結果もちゃんとあって、私はたまたまそれを
(観測者として)見れなかっただけで・その状態も実は同時にあった・ある(?表現が難しい・・)
ということに、どこか希望を感じたというか。
合格で笑ってる自分ー不合格で泣いてる自分ー補欠合格で青白くなってる自分、
全部同時に存在していた(いる)。
あの時笑えなかった・泣いた自分「しか」いないって思ってたけど、なんと笑ってた自分も存在するのか!
そのアナザーストーリー(?)見たかったわ!って思うけど、そこに悔恨を抱くのでなく、
「全部の原因結果が存在している」ことにフォーカスすれば、可能性が無限大だとわかると思います。
「これしかない」「これしかなかった」って自分が勝手に制限するから・決めつけるから、
拗ねたり悔しいままなんですよ、きっと。
行きすぎると、それで人生を不意にしたり、晩年を汚す人も多いですよね・・ただの思い込みに
囚われて。 不幸なことです。

ひとつの結果状態の先にはまだ、枝葉の選択肢が連なっている。
そこで笑っている自分も怒っている自分も、悩んでいる自分も同時に存在する。
実はすべてがつながっていて、どれを自分が「見ているか」という話ーって思えば、
過去を「ああしておけば、こうしておけば・・」なんていつまでも思い煩うことが
まったく不要なことだったなと、合点がいったのです。

また「現実に檻を立てているのは自分の思考」であって、本当は自由なのだ、それを知らないだけだ・・
という示唆にも感銘を受け。
自分は人生(という物語)の実は観測者であって、見たいもの(ストーリー)を見ている・
見たい状態を見ようとすれば見れるんだ・・と、教わったといいましょうか。
(余談:バシャールの本にも、そのような示唆はいくつかあります。波動をあげる、
鏡は先に笑わない・・など)
今まで単純にそれを知らなかっただけ。
これからは、見たいものを見ればいいんだ!ってことに希望もわいてきて。
(逆にいえば、見たくないものは見なければいいー選べるってこと)

私が好きな曲に「その目が見たから世界は生まれた」という詞があって、
それまで何気なく(意味を考えず)聞き流していたけど、セスブック読了後に聴いてはっとさせられ
「この事かな?」と思うようになりました。 真相はわかりませんがw

二つ目は、絶版のこちら。


私的に今年一番面白かった本です。
著者のヴァジム・ゼランド氏はロシアのもと量子物理学者です。
「振り子の法則」とあるように、人生を何者か・大きな力に振り回されないための指南本です。

出てくる用語が難解というか、よくわからないところもあるんですが
私がこの本から得た一番の収穫は「過剰ポテンシャル」と「重要度を下げる」についてでした。
もう、思い当るところがありまくりで。
文字どおりなのですが・・「過剰なポテンシャル」は、いい結果をうまないよ?ってお話。
たとえばすごい力んで何かに挑戦すると失敗しやすいってこと、多いですよね。
逆にリラックスしているほうがうまくいったり、頑張っていない時のほうがよい結果が出たり。

で、創価脳あるあるになってしまいますがw 常に「リラックス」とは無縁でしたよね。
過剰なポテンシャルがあってナンボな世界だったし、むしろそこに極まれり(?)の、
やるぞー!やる気だせー!気合いだー! 圧がすごいw
祈る、という行為ひとつとっても、背筋を伸ばして・腹から声出せみたいなw
”諸天を揺るがすような祈り!”とかって、血管切れそうな題目あげてた婦人部の皆様w
まあお元気でなによりです(微笑)。
最近のことはわからないけれど、私が子供時代も・大人になってからもどのようなシーンでも
「張り詰めたような緊張感」をもつことが是とされていた・・気がします。
程よい緊張感ではなくて、ビシッ!とした状態。北朝鮮的な?w
しかしその「緊張感」からくる「力み」が、成功やよい結果を遠ざけている・・という
嘘のような本当の話。

非常~につまらないことかもしれませんが、実例を書きます。
この「過剰ポテンシャル」という概念を学んですぐ、争奪戦のライブチケットの先行予約が
続きました。
以前の私なら「絶対当ててやる~!!」と意気込んだし、神社でも願をかけたでしょうw
また、発売日はいつ?などの情報を逐一チェックしたと思います。
そして予約が開始されたら初日の開始時間すぐにネットにつなぎエントリーをし、
当落結果発表の日はスマホを握りしめて「まだか?まだか?」と結果を気にしたことでしょう。
その行動を、一切やめてみました。
振り回されないことにしたんです。
予約開始の翌日くらいにエントリーした後は、一切情報に触れず、極力興味をむけず。
申し込んだこともなんなら忘れたくらいのノリでw
当たったらラッキー、あたらなかったらご縁がなかったって事だよねーとeasyに構えて。
そもそも、ライブが見れなくたって死にませんしねw 
「重要度を下げる」という事柄も出てくるのですが、まさにそれで、
一喜一憂しすぎないように・・エックハルト流にいえば「エゴに振り回されないように」
ふるまってみました。
この方法で、行きたかった全公演のチケット当選をGETし、驚いた次第です。
ええ、もちろんたまたまかもしれませんw 
知人には家族や友人のアカウントを使ったり・先行申し込みの手段をいくつか駆使して
複数申し込みをしたのに1つも当たらなかった、リセールさえかすらなかった、という話も
あったほど争奪戦だったにもかかわらず。
以前の私なら、同じく複数アカウントやら、GETするためならばあの手この手と
使ったでしょうが、そんなことをしなくても狙った公演すべて入手できてしまいました。 

この結果を手にして思い出したのが、青年部時代、某バンドの解散ライブチケットが欲しくて
5時間唱題したり、なんやかんや頑張ったのにダメだったことでしたw
この際だからとダフ屋から買うつもりでいたら、ライブ当日と社内旅行がまるかぶりで
結局まったく見に行くチャンスを失ったという。
どんだけ過剰ポテンシャルで挑んでダメだったかを、思い知らされるかたち。
他にもこのような些細な例が山ほどあるんですが、割愛しますw

「執着」「執念」が、よい結果を生むとは限らない。手放しなさい・・っていうのは
エックハルト氏の教えの中にもありますが、「重要度を下げる」とは
同じ意味なのではないか、と。

シリーズで4冊ほど出ており全部読みましたが、私的に物事の見方・接し方に役に立ったのは
この1冊だけでした。 
普通に手に入らないので、興味のある方は図書館で借りるか古本屋さんで探してみてください。

最後はこちら。


以前記事でも紹介したとおりですが「愚痴を言わずにプレゼンスを招く」
この言葉を聴いて以降、私の人生観がまたひとつ・大きく変わりましたv
いい意味ですべてがどうでもよくなってしまって・・以来、本を読まなくなりましたw

それまで(今年の春先まで)、願望実現のための秘策?!を、スピ系の本に
求めていた面がありまして(探究心から、セスの本やゼランド本を読んだともいえます)
それが、どーでもよくなってしまいました。
「願いはすべてかなっている、すでにかなっていた」ことに
気づいてしまったといいましょうか・・。
文章にするには、もう少し思索と時間が必要なのですが。
来年の宿題にしておきますw

@@@@@@@@@@@@@@@@@


前回も書いたことなんですが、人生に「拗ね」はいらないんだなぁ・
「拗ね」てたら、ろくなことないんだなぁーってことも、上記3冊から学んだことでした。
ゼランドの本にも繰り返しそのような事柄が出てきまして
(「拗ね」というフレーズはでてこないけど、
「世界」に対して自分のスタンスをどのように見せたらいいか、が書いてあります。
めちゃーくちゃ、私にはそれが面白かった!)
とどのつまりどうあればいいかっていえば、「プレゼンスにある」事につながるんです。

どんな事柄も、「物事は物事」としてシンプルに接することです。

不安な時は
「まだ何も起こっていない」ことを認識すること。

起こってもいない不幸や不運や最悪の結果など、想像&妄想力を爆発させないことですw

これいちばん大事。

そして”ある意味”、自分のことだけ考えていれば大丈夫です。

2017年は驚くほど、私は自分の思いのままに毎日を過ごしました。
行きたかったライブチケット全当選にとどまらず、ハワイにも行けたしv
大したことじゃなくても・自慢みたいになるので詳細は控えますが、
ふさわしい時に、ふさわしい事がやってくるという経験をいくつもしました。

振り返って一番の驚きは、家族全員一回も病院のお世話にならなかったことです・・!
みんなすこぶる健康でした。
こんな年、結婚して十余年、今までなかったw
特に、神経質で緊張すると体調を崩しやすい長子が、ずっと絶好調でした。
母親の私が精神的にゆったりしていたというか、緩んでいたのが影響したのかなと
感じています。

別に、大金はたいてどっかのスピリチュアルマスターwのセミナーに出なくても、
ヒーリング受けたりしなくても、パワースポット廻らなくても、何かに必死にならなくても、
自分が「ただプレゼンスにある」だけでいいんです。
何度か「ニュー・アース」記事でも書いてますが「落ち着く」、ってことです。
(ちなみに私はエックハルト氏のDVDは、上記に紹介した1つしか持っていません。
 他の動画はYouTubeで拝見してます)

自分がエゴに気づき・惑わされず穏やかでいること・わだかまらないでいることが、
自然と良い状態を生み、それが自分を取り巻く世界に伝搬していくというのは本当だと、
より実感できた2017年でした。

またもえらく長文になってしまいましたが
一人でも悩める方が、少しでも気持ちを楽にするきっかけを
これからも伝えられたら幸いです。
2018年も相変わらずのペースだと思いますがw よろしくお願いします。

良いお年を迎えてください。ありがとうございました。

とりあえず

広告を消すために更新しております。

「ニュー・アース」記事の続きを現在推敲中。

トップの画像だけ更新してみました。
今年訪れたHAWAIIのカイルアとラニカイの中間あたりのビーチ写真です。
とにかく美しかったー!

ところで、選挙がありますね。 
なんかもう、どこもかしこもgdgdすぎて、連日の報道を見て
笑いが止まらないw

明日のワイドショーで、公明(辞職わず)議員の下半身問題はとりあげてくれるのだろうか。

ほんっと、どいつもこいつも、暇か!w
ギインセンセイってそんなことやあんなことするお時間あるのね~と驚きます。

そして池上無双の選挙特番がいまからとっても楽しみです!

※新しい記事更新したら、この記事は消す・・かもしれません。

2017年 ご挨拶

本年もよろしくお願いいたします。

すでにご報告した通りですが、2016年内に内容証明を発送+地元会館への連絡を通じ
脱会手続きを完了しました。
細かい話は、後日書かせていただきます。

今年のお正月も自宅で迎え、初詣は氏神様と一の宮神社へ出向きました。
帰省は2泊3日と短めの中、
初めて、自分の産土神社へ行くことが出来ました。

このブログを読む大半の御方が、創価家庭に育った人という前提のもと
「産土神」を説明しますが、自分が生まれた時に住んでいた土地を護っている
氏神様のことです。
私は福子ですから、お宮参りなんて当然していないわけで(汗)、
実家方面の神社についても全く知識なく・まず足を踏み入れたことがありませんでした。
昨年友人から「産土神参りもすると良い」と聞かされ、興味を持ち、調べたのです。
神社の名前を知って驚きました。単なる偶然ですが、私の現姓(苗字)と
同じ名前の神社だったからです。
なにか不思議な御縁を感じ。
参詣し、生まれてから今日まで生かして頂いたお礼を述べてきました。
それほど大きな神社ではありませんが、歴史は古く、多くの参拝客でにぎわい
地域の方々に崇敬を受けている様子がよく解りました。
そして子供たちのお宮参りも、実際の(居住地の)氏神様ではなく、主人の氏神様で
してもらったので、改めて先日、子供たちを連れて産土神へ参詣に行きました。
(注・絶対そうしなければならない、というものではありません。単に気の問題です)
今年は遠方に在る父方の親戚筋の神社へも、正式参詣する予定でおります。

さて、話は変わりますが、前回の記事に対して1件の質問コメントがありました。
非公開希望のコメントには返事をしないというのがマイルールですが、
この質問(疑問)は、多くの人が立ち止まっている個所かもしれないと感じたので
こちらで回答いたします。

その方は親御さんが強固な創価脳でお悩みとのことで、御自身の脱会を許してもらえないし
親御さんが組織を信じ切っていることがもう耐えられない。他人事だなんて放置はできない。
親と縁を切ってまで脱会する気はないし、親をほっとけない。
親と同時に脱会出来たら一番いいが、どうしたらいいのか?ということでした。
年代が書いていなかったのですが、たぶん成人した方だとおもいますのでその前提で
お答えします。

脱会については、してもしなくても、あまり変わらないと思います。
気の問題というか、地域の学会員が来るからうざいっていうのであれば
「脱会の意思がある。絶対訪問禁止・来たら弁護士に相談しちゃいますよ」くらい言いましょう。
あくまでも事務的に対応。まちがっても愛想なんてふりまかないでくださいw いい顔したら
つけあがることは、皆さんも知ってのとおりです。
訪問はスルーしているが、チラシを入れられて気持ち悪いとかむかつく、というのであれば
それは他のチラシ同様「ただの紙片」ですから、感情をはさまずにゴミ箱へ捨てましょう。
「創価関連のもの」って思うからわだかまるんです、多分。 
気持ち悪がったり・ムカついてる感情はあなた自身ではなくエゴですから、惑わされないでください。
暫くその感情を観察してみればいいのです、決して感情にとらわれないように気を付けてください。
これでひとまず平穏は保たれるはずです。
で、学会員のことはきれいさっぱり「忘れて」ください。
また来るかも、いやだなとか、意識するから来る(引き寄せる)んです。これは本当です。
そして脱会を本気でしたいのであれば、なにも親の許可はいりません。
気の向いた時に本部に内容証明を送りましょう。
親と同時に脱会するつもりなら、その時がやってくるのをただ待つしかないと思います。
親に働きかけることは何もしなくていいと思うし、あなたはあなたを生きていれば
自然とその時が来るかと思います。

こちらから逆質問をしたいのですが、
親御さんが脱会すればあなたの機嫌は直るのでしょうか?
親御さんが自分の思う通りになれば、あなたは幸せなんでしょうか?

その逆を、親御さんがあなたに望んでいる現実についてどう感じますか?
(=活動家として頑張ってほしいと思われている)
其処に矛盾が生じてくることに、気がつきませんか?
「創価がまちがってて悪だから、こっちが正しいから親に気付いてほしいだけだ!」
っていうのも、その逆を親御さんが望んでいる現実について考えてみてください。
互いの利害が一致しない以上、どこまでいっても平行線ですw
高次から見て、物事に良いも悪いもないのです。
そこを知っておけば、思考の背景が各自違うことが理解できていれば、
誰かを自分と同じ考えにさせようなんて、高慢な発想にはなりません。

私もそうだったからわかるのですが、私たち学会2,3,4世で
一瞬でもまじめに学会活動に取り組んだり、学会員として信仰活動してきた人間のほとんどは
そうすることで「親の機嫌を取ってきた」経緯がある。
その自覚は誰人にもあると思います。
(中には、親はたいしてやってなかった未活だったけど、家に女子部や男子部が訪ねてきて、
 自ら活動家になったってパターンの方もいるかもしれませんが)
たぶん親から勤行や信心のイロハを教わった人たちは、「それで親の機嫌を取ってきた」んです。
少なくとも、そうする(活動)ことで親が上機嫌になることはあっても、
不機嫌になることはなかったはずです。
(注:親子関係を夫婦間におきかえてもらっても、いいとおもいます)

親の機嫌を取ってきた私たちは、活動をやめたり脱会(決意)することで、
もう親の機嫌を取るのをやめました。 いわば自立、親離れです。
大人ならば、そこで終われるはずなんです。 自分は一人の人格者として、活動を拒絶した。
信じるに値しないって思って離れた。 それでいいんですよ、それだけで。

ここでさらに「親にも創価をやめさせたい」っていうのは、実は子供のわがままですw
大人になりきれてない、子供の側からの「駄々っ子」です。
「私もいい子にして従ってきたんだから、お母さんお父さんも応えてよ!」っていうアレです。
気付いてください。 私も長らくそれをやってました!(お恥ずかしい)。

そして親もりっぱな大人であり、一人の人格者として創価を信じています。
それがどんなに子供の側から見て間違いで・くだらなくて、腹立たしい事であったってw
親はそれを、人生をかけて信じている。
嫌だったら、少しずつでも離れて行っているはずです。嫌じゃないからついて行ってる。
一寸は楽しいのかもしれないし、心の支えかもしれないし、功徳を感じてるのかもしれない。
御近所づきあいの一環もあるかもしれないし、親子とはいえ自分以外の他人の心の中なんて
はかりようがありません。 
盲目状態で目覚めないのには、それなりに理由も条件もあるのです。
かつての自分たち(活動家からアンチへ転じた、離れた)と同じように、です。
だから、そんな「他人ごと」にわだかまるだけ時間の無駄です。
そんなこと考えていらつく暇があったら、自分の機嫌を取ってください、全力で。
好きな飲み物をのむもよし・おやつをたべるもよし・マッサージに行くもよし・好きな音楽を聴き
リラックスするのも・DVDを見たり・好きなマンガを思いっきり読むもよし。
好きな場所へ行ってのんびりぼーっと過ごすとか、欲しかった物をひとつ買うとか、
出来る範囲で、なんでもいいので気分を「上機嫌」に変えましょう。
嫌な気分を引きずるのも良くないし、我慢するのも良くないから「気分転換」してください。

親が創価脳である現実は、文字通り「親」のものです。
あなた自身とは関係がありません。
(このあたりのことは「ニュー・アース」を読めば簡単に理解できると思います)
あなたが親の「現実」を気にするから、それが自分の世界に入ってきて、うっとおしい事になって
いるだけです。 
(親とか他人だけではなく、創価組織そのものも、あなたとは関係がありません。
 創価の「現実」を気にするから~以下、上記と同文)
そしてそれをさせているのは(繰り返しですが)エゴの仕業です。
エゴは問題を作り出したいし、わだかまりたいし、悩みたいんです。
自分が幸いな人であるという事実をそう簡単に認めさせようとはしませんw
エゴとは、そういうもんなんです。 だからみんな、問題でないことを問題にし・悩みにし・
不平不満を抱えて最終的には宗教にハマるんですw
詳しくはこれから先「ニュー・アース」の続章で書いていきますが、上記エゴの動きの基本を
覚えておいたらいいと思います。

自分以外の人に、自分のご機嫌取りを求めるのはやめましょう。
今更親や他人に、自分の機嫌を取らせようなんて、思わないほうが賢明です。
相手に求めてるうちは、安定感もないし、幸せをいつまでも探し続けることになります。
「親の脱会が自分の幸せ」なんて、幸福に条件をつけているのは、エゴの仕業です。
他人のことはほっといて、自分が「いま」安らぎを感じられることに全力を傾ければいいんです。
自分の機嫌は自分でとるのが一番です。

「ニュー・アース」にも書かれているのですが

エゴには他者が必要なのだが、しかし深いところで他者を憎み恐れているという
ジレンマがある。(中略)
あなたのなかのエゴが強ければ強い程、人生でぶつかる問題は誰か他人のせいだと
思うはずだ。
それに、きっとまわりの人たちに生き難い思いをさせているだろう。
もちろんあなたはそれに気付けない。いつも苦しめられているのは自分なのだ。
(p246抜粋)


「他人に嫌な思いをさせられている、人生を狂わされている」と思っている人は
自分の人生を生きていない・・我慢ばかりして、勝手にネガティブな思い込みで見通しを
悪くして、自分が自分をつかまえていない(「いま」にない)状態で、
他人の動向ばかりを気にして・自分がどうしたいかよりは、他人の反応ばかりを憂慮している・・
まさに、エゴに振り回されているパターンだと思います(それが、以前の私でした)。
ここが解ったら、すべては独り相撲だった!ってことに気づいて、脱力するし笑えますよ。
そして自分が自分に優しくなれれば、しっかり自分をつかまえて「いま」に在れるようになれたら、
目の前の現実も優しい・穏やかなものになっていきます。

今年も「ニュー・アース」を通して、私の経験や思った事を交えながら
わだかまらない生き方をお伝えして行けたらと思っています。

皆様にとりましても、自分史上最高に面白い2017年になりますようにv


2016年 感謝

今年も、拙ブログをご覧いただきありがとうございました。

2016年は私にとって、大転換期でした。
ブログの路線も、6月以降大きく変更しましたが
それでも読み続けてくださる人が沢山いらっしゃった事が、嬉しかったです。

今年に入ってエックハルト・トール氏の書籍を読み、その叡智に触れ気づいたのは
「創価脳もアンチ創価も、自分責めという一点において根っこは同じ」だという事でした。
だからずっと腹を立てているし、わだかまってるんだなーと、そのメカニズムを理解しました。
そして概ね「自分」をみていない。
他人の事ばっかり気にして、他人のことばっかり問題にして、心配したり不安になったり
軽蔑したり腹を立てたり、イライラし続けている。
私も以前はそうだったので、気持ちはわかるのですがw

エックハルト・トール氏の語る「今にある」状態とは、どういうことなのか?
4月以降、思考を止める(~とエゴが申しておりますと思考の語尾に付ける)ことから始まり、
副読本に津留晃一さんやバシャール、心理学者の大嶋信頼さんの著書を読んだりして
自分なりに理解を深め・実践してきました。
そうして徐々にわかったのですが、
「今にある」状態とは一言でいえば「調和」です。
「自分自身にわだかまりのない状態」です。

それでブログタイトルを「わだかまらない生き方」に変えました。

ブログ拍手やコメント欄からお悩み、質問を頂く中で、思い当たったことがあります。
全てに繋がることですが「自分」がどうしたいのか明確になってなくて、「他人」ありき。
「いま」にない事を問題としている方が多いな、と感じました。

ニュー・アース記事のなかでも書きましたが、「いま」困っているかいないのか。
「いま」問題としていることが、どう自分を苦しめているのか、いやな思いにさせているのか
わだかまりを生んでいるのか、ちょっと立ち止まって解析してみると良いと思います。

なんにでも言えることですが、このブログはもともと創価の家族問題を扱ったものでしたから、
「わからずやの創価脳な母親・父親・身内・外野」で例えてみましょう。

お父さんが「信心しないお前なんて無価値」だという から むかつく。
お母さんが私に悪事が起きると「それみたことか、題目あげろ」という から むかつく。
両親が今年も財務で3ケタをおさめた から むかつく。
バリ活の兄姉妹弟が「信仰から外れるなんて堕地獄だ あとで泣きを見るぞ」という から むかつく。
組織の人が「あなたのためを思って言ってる」「罰が当ってからでは遅い」と引きとめる・
しつこい家庭訪問をやめてくれない からムカつく ←はっきり「迷惑です来ないで下さい」と伝えましょう。
バリ活ブロガーが組織をたたえるような駄文を書いている から むかつく。
大本営の先生会長職員どもがシンプルにむかつく。

私の今の想像力では上記くらいしか思いつかなかったんですがw パンチ効いてなくてすいません。

で、これ青文字が主語なんですけど、気付かれましたでしょうか。
ぜんぶ「他人」に反応してるんです。
「わたし」じゃありません。

「他人」がやること話すこと(=客観的事実)に対して
「わたし」がむかついてるんです、勝手にw

これを「いま」にあてはめて考えるとき、
嫌な思いを「他人」からさせられている、と感じる底の部分・
反応(イライラざわざわむかつき)のトリガーを見てみれば
たった「いま」問題ではないと気付くことができると思います。
だって、原因は「他人」だから。
で、「わたし」が勝手に「他人=外側」に翻弄されてイライラしているだけの話。
他人=外側に翻弄されてイライラ」しているのは、まぎれもなく「思考(エゴ)」だから。
そして「思考(エゴの声)」は「わたし」ではないから。
「いま」=「わたし」は、実はなにも困ってないって、これで解ると思います。

(↑ここで「でもでも、だって~!」とゴネ始めるのも、
 あなたの底の部分にある原因が織りなす「エゴの声」ですから無視してください)

で、反応(イライラむかつきざわざわ)のトリガーとなる、底の部分にあるものは、
9割がたが「自分への罪悪感・無価値感」です。

元創価脳の方は、創価脳だった頃は「使命感」に燃えて生きていたと思います。
自分が誰かを幸せにできれば、誰かの心に灯をともせれば、
小さな事柄が大きな連帯となり世界も平和になって
ひいては自分も幸せになれるって信じて頑張っていたと思います。
「崇高な使命感」ありきの、自分だったと思います(=私もそうでした)。
それがいったん、打ち砕かれて、野に放たれて「役に立てない自分は価値がない」と
無意識のうちに、思ってしまってる人もいるかもしれません。
また、色んな意味で絶望を感じ、「自信」を失った方も多いと思います。
あれだけ長年創価を熱く語り、正義だと周囲に訴えてきた自分があっさりそれを裏切った、
そんな自分は罪びとだ、と無意識に思ってしまってる人もいると思います。
「自分が悪い」と思っているんです。
「自分を責め続けて」いるんです。

そうは言いつつも自分を悪者にしたくないから、
創価や身内を憎んだり攻撃しないと、やってられないという複雑な「仕組み」です。

親兄弟が創価をいまだに信じていることが腹立たしくてならない、気になって仕方がないのは
自分が罪悪感を手放せないからです。
(親を裏切った悲しませたという罪悪感と同時に、福子であるがゆえトンデモ教義を信じきって
 しまった自分への処罰感情などなど)
創価関係者の外野に気分を乱されたと感じるのも、罪悪感が根っこにあるからです。
関係者の動向が気になって仕方なく、監視&批判し続けないといられないのも
罪悪感が根っこにあるからです。
それをきれいさっぱり忘れてなかったことにするなんて、できません。
だって「そうして創価や身内や外野を責めている自分」がアイデンテティになってるから。
それを失ったら、立っていられないって「思いこんで」いるんです。
誰が?エゴが、です。 エゴは放下に耐えられませんから、ネガティブを絶対手放そうとは
しません。存在意義を失うことを、世界一恐れているからです。

で、果たして本当のあなたは悪人・罪びとなのでしょうか?
そうだと思い込んで、勝手にそう決めつけているのは、
実は自分(あなたのエゴ)ではないでしょうか。
(親・身内から言われた等あるかと思いますが、それは外野の声なので無視してください。)

「周りが・親が・あいつが悪い!」と思っている間は、残念ながらなんにも変わりません。
なぜなら、それは巧妙な「自分責め」だからなんです。
「自分が悪い」をこじらせて周囲を責めている。解りにくいんですが、本当です。
続ければむしろ、自身を取り巻く環境はどんどん悪くなっていきます。

エックハルト氏が「ニュー・アース」で教えてくれているのは、
自分が「生きている」それだけで完全で完璧な存在であるという、
根源的に満たされている真実に気づく
ことの大切さです。

エックハルト氏が提唱する「思考を止める」とは、一番てっとり早い「自分責め」を
止める方法です。
無意識に四六時中なされている頭の中のダメ出しを止めるわけですから、効果絶大です。
前々回記事でも触れたように、
私たちは誰人も「大いなる存在」に生かされています。
そして何があっても、生きて呼吸が続いている間は
「大丈夫」なんです。
あなたの存在こそが「大いなる喜び」です。
そこになんの条件も理由もいりません。
この絶対的な生命への信頼感を、まず知ってほしいと思います。
 
生かされている、その奇跡と幸いの前に、責められるべき理由なんて何もありません。
そして何かを成さなければ・役に立たねば無価値だということもないのです。
(自分の思考が勝手に評価を下しているだけです)
誰人も生きているだけで、根源的に満たされています。

そして、周りに影響を受け・翻弄されているうちは、なかなか心は安定しませんし・
「わだかまらない」で過ごすことはまず困難だと思います。

どうしても人というものは、外側の現象ありき・目に見える状態(現実)ありきで
「自分が祝福され・認められて此処にいる存在か」を判断しようとします。 
実際それがわかりやすいですしね。
けれど、外側や他人に「祝福の証拠」や「幸せ」を求めているうちは、不安定なわだかまりの多い
生き方になりがちです。
外側や他人の承認という「条件」がなければ「幸せ」で「満たされ」ていられないのなら、
それが無くなったら不幸や不安・欠乏感に陥るのは明白だからです。
この記事でも書いたように、上記は「外付けパーツ」です。

結局は「自分が自分を認め、励まし、肯定し、自分を心地よくいさせる」ことにしか
揺るがない調和はありません。 他人や周りは全く関係ないのです。
「いま」にあることの真髄は、上記太字部分だと思っています。

自分が自分と調和出来ていれば、満たされていれば、周りのことはほんと全く気にならなくなりますよw
面白い程です。
そして、周囲の人間の状態は、あなた自身の幸・不幸には全く関係ありません
勝手に他人の現象を見て引っ張られて「不安」や「不幸」を感じるだけで、実際は「凪」です。
(だから親兄弟が創価脳でも、あなたが悩む必要はありません。
 あなたがそのことを一切問題にしなくなったとき、勝手に親兄弟は目覚めます。)
自分が自分の内面を、なだらかなものにできた時、現実や環境もなだらかで心地よいものへ
自然と変化しています。 

とりあえず、周りのことは忘れて棚に上げて・
自分責めをやめて、自分に優しくしてみるところから始めてみるといいと思います。
自分に集中し、自分と仲直りすることです。

”お父さんがお母さんが、身の回りの人すべてが創価を脱会することが自分の幸せだ!”と
思っている人は、それが達成されない間は不満・欠乏感にさいなまれ続けるでしょう。
とっととあきらめて、もう自分が幸せになってください。
自分の状態はコントロールできても、他人の生き方をコントロールしようなんて思わないことです。
勿論、わだかまって欠乏感だらけの自分が好きで・それを楽しんでやってるなら止めませんよw

まだ紹介出来ていないのですが、「ニュー・アース」(p238)に
「いま安らぎを得るにはどうすればいいか?
 いまという瞬間と仲直りをすることだ」
という一文があります。
今年の4月に読んださい、一番衝撃を受けたのがこの言葉でした。
今の”自分”と仲直りすること、と解釈してもいいと思います。

人生も現実も、私たちがかつて組織で洗脳されていたような辛く厳しい「濁世」なんてものではなく、
本当は、優しいんです。
自分がどう見ているか、ってそれだけの話です。
これは日蓮も語っていたことで
「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」
自分の意識状態がどこにあるかで、目の前の現実は変幻するということです。
けどなにも、お経を唱えたり特別な活動が必要なわけじゃないですよw(前回書いたとおり)
意識の使い方ひとつ、心のありかたひとつ、自分の思い込みを変えるだけの話です。
そのために必要なことは「自分自身にわだかまらないこと」です。
(たまたま、日蓮御書を思い出したので、いい部分を引用してみました。
 日蓮の言葉は真髄をついたものも多くあります。が、なにがなんでも自教が正しくて
 他は全部アウトって言っちゃったところや、過去世による自分責めが「前時代的」で
 今の時代にはそぐわないな、と。
 まだ総括できるまでに至ってませんが、いずれ私の考察も述べてみたいと思います)

えらく長文になってしまいましたが
一人でも悩める方が、少しでも気持ちを楽にするきっかけを
これからも伝えられたら幸いです。
来年もマイペースではありますが、更新していきますので
よろしくお願いします。

良いお年を迎えてください。ありがとうございました。

追記:今月申請完了し、脱会者となりました。近々、プロフィール書き換えますw

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。