善の連帯1000万

私は「法戦」が昔から苦手で、嫌いでした。

女子部時代、初めて法戦の活動家大会に行くと皆が決意発表で
F100だの200だの個人目標をぶちあげるのです。どういう事?って思いました。
そんなに出来る訳ないじゃんと。
会合が一旦終わると、このあと各スクールで集まってくださいと声がかかり、
同年齢でグループになり、リーダー役の子が小中高校の卒業アルバムや名簿を持っていました。
みんなで手分けして知っている外部をピックアップしていくと、100~200人出てくるのです。
それを3-4人が1グループになって、土日に家庭訪問するローラー作戦。
本人が不在でも親御さんや家の人に票を頼みます。
自分が直接知らない同級生でも、一緒について行って「よろしくお願いします」といえばF1と数える。
こうしてひとり100以上のFを稼ぐんだと知りました。
なんかちょっと、ズルじゃない?と思いながらも、スクールのメンバーで票を頼みに行きました。
また、20歳以下の投票権のない人達のスクールもあり、そちらは選挙違反にならないということで
(20年前の話です、最近の事は不勉強でわかりません)結構きわどい事もやってました。

選挙になるとやたら忙しくなるのもイヤでした。1週間前ともなれば毎日拠点闘争。
女子部で内確のため家庭訪問、そのあと地区拠点に散って四者に報告。
選挙当日は完全に拘束。 朝6時の出陣から、午後8時の開票まで何度も拠点に出入り。
厳しい部員さんの連れ出しや投票確認の電話・それがすんだら御題目を上げて当選を祈念。
私たちの地域では、朝6時から投票が終わる夜8時まで御題目を切らせてはいけないという決まりがあって
婦人部だったり女子部だったり、誰かしら拠点で御題目をあげていました。
活動家の頃、この1日拘束が苦痛でなりませんでした。

そんな法戦嫌いの私が一度だけいまだかつてない闘いwをやったのが、2004年の参議院選挙です。
この法戦は組織内で「善の連帯1000万」というスローガンが掲げられ、比例区1000万票獲得を
目指した選挙でした。

この年の春先の同中で、登壇した婦人幹部から発せられた言葉が「善の連帯1000万」でした。
満面の笑みで、高いテンションで「善の連帯1000万」について語っており
その内容は、1000万(票)が出来れば、国内に於いて広宣流布が出来たも同然という話でした。
広宣流布は必ず出来る、1000万(票)を達成した後の景色はそれは素晴らしく、善い世の中に
なるでしょうと語ったのです。
(余談・この婦人幹部の登壇って北朝鮮の国営放送ニュースを読む御婦人とイメージかぶりますw)

ちなみになんで()つきで書いてるかと言うと、同中で「票」は言わなかったからです。
発言はあくまでも「善の連帯1000万」だったんです。
各幹部登壇後にでてきた池田老人もスピーチの中で「1000万、やろう!青年部!」と拳を前に突き出す
ポーズを見せました。
「ハイッ」と手を上げてこたえる会場内青年部一同の映像も。
私は最初、折伏戦でもはじまるのかなぁ?と思ってたんですが、これが選挙で1000万”票”の
獲得目標だと知ったのは、翌日の会合上だったと思います。
あえて「1000万票」と言わなかったのは、同中でおおっぴらに選挙運動の話はマズイからだったのか。
それとも1000万票とれなかった時の「逃げ」のためだったのか。 
後者だったんですけどね、結果。

私はそれまで一度も法戦を頑張ろうなんて思ったことは無かったけど、この時だけは別でした。
1000万票取れれば「広宣流布ができたも同然」このフレーズが私の心をがっつり掴んだのです。
当時、公明党に票を投じる人=学会理解者と組織内で捉えられていました(今もでしょうか?)
1000万人の学会理解者が居る社会、それは素晴らしい社会に違いない!
広宣流布ができたあとの景色を・良くなった世の中を見てみたいと素直に思いました。

法戦の活動自体は嫌いだったけど、公明の候補が勝てばそれは素直にうれしかった。
候補は自分たちと同じく日蓮仏法をベースに、国を良くしようとしている人たちで、私たち同志の代表だと
思っていました。 だからイヤイヤでも応援し・F取りもしていたのです。
また、友人にFを頼む事・選挙支援運動は「折伏の一環」という考え方もありました。
法戦で功徳が出ると思った事はなく、あくまでも学会理解者を増やす闘いだと捉えてました。

前年の衆院選が873万票。1000万票にするにはあと130万票ほど。
青年部が本気を出せば取れない票数ではないと、発破かけられ、これだけの数を各部が完遂すれば
1000万に到達するという具体的な目標もおりてきました。
もう、1000万発言同中以降の会合では毎回「1000万」の連呼。
必ず出来る、絶対出来る、いまの青年部だからこそ師匠が「1000万票やろう」とおっしゃって下さった。
師匠の期待にお応えできる弟子は私たちしかいない!
いまこそ金字塔を打ち立てる時! なんやかんや。 とにかくこの時期の幹部指導は無駄にアツかった。
毎回そうやってあおられていると不思議な事に「出来そう・出来るんじゃないか」と思う私が居ました。

この法戦をいまだかつてない闘いにしようと決めた理由はもうひとつあって、私は2004年の秋に結婚が
きまっており、この法戦を最後に女子部を卒業する事になっていました。
女子部時代の総仕上げの闘いにしようと思ったのです。
なので、いつになく頑張りました。個人のFや連れ出しの目標は勿論の事、部長をしていたので
内確の%を上げる事に拘りました。
部のなかに「行ってはいけないお宅」が数件あって、女子部のいる家でしたが、家庭訪問しました。
そこで初めて未活の女子部と合う事が出来、当日連れ出し確約・実行。
人間やればできるとその時思いましたw
部のメンバーもそれぞれ頑張っていました。お陰で部の目標数値は完遂。内確もふだん6-7割のところ
初めて9割に乗せ、足りない分は外部の期日前連れ出しでカバーできました。
そうやって頑張っていたのですが、この選挙に限って前日に四者幹部の緊急招集会合がありました。
県単位でみれば、目標数値は軽くクリアしたが、全体でみた時にあと一歩が足りない。どうかみなさん
現場に帰ってお願いして下さい。あともう一歩の闘いをお願いしますとお達しがありました。
私は、あと一歩っていうくらいだから950万票くらいはイケてるのかな?すくなくとも900万は越えてるよねと
勝手にそう予測していました。

そして当日。862万票で、1000万票には大幅に足りないどころか、前年の選挙の投票数を
11万票も下回っていました。
「あと一歩が足りない」っていうから、900万票はあるんだろうとおもっていたら、全然です。
私はこの結果に、ひどく落胆したのです。
え?どういう事なの? テレビの開票速報を朝までずっと見ていました。信じられなくて。
選挙の翌日には会館で勝利大会が行われます。
幹部の口からはどんないいわけが飛び出すんだろうと思いながら出向きましたが、あっけらかんと
「大変な戦いご苦労様でした」と池田老人のメッセージが読み上げられた後は「公明大勝利」と言い、
最後まで1000万という言葉は出ず「次の闘いはOOです。がんばってまいりましょう」で終了。
1000万票獲得を目指していた事は、既になかったことにされていました。
私はこの事にも大きく落胆しました。そして、創価を疑いました。
いったいなんだったのよ?1000万って。あんだけ煽っといて、出来るって言っといて。
出来なかったら、出来なかったで「残念でしたがー」的なコトバがあったっていいじゃないか。
もう、な~んもなし。 
1000万票?え?だれがそんなこと言ってたの?って空気。
まるで裏切られたような気分になったのです。
自分として闘いに悔いは無かったけれど、騙されたような気分で、なんとも後味悪く女子部を卒業しました。

2004年当時の記憶があいまいだったので、検索で得票数や候補の当選順位を調べていた中、
俵孝太郎氏が2004年当時に書いたコラムの記事を見つけました。
「フセインにしても金正日にしても、敗色歴然でも勝った勝ったというクセがある。それが独裁者の体質だ」
と池田老人を揶揄する一文があり、なるほど全くその通りと思いました。

公明党は平和と福祉の党っていうけど。
この夏の選挙直前、母に「子宮頚がんワクチンが問題になっている件は組織でどう説明してる?」と
突っ込んだところ、問題になっている事じたい知りませんでした。
ほんとうに、びっくりするくらい活動家はマイナスな・ネガティブな話を知りません。
組織からいいことしか聞かされてないからです。
厚労省が「積極的におすすめはしません」なんて文書を公式に出す事態になってる事も知らない。
そしてこのことを、公明党の子宮頚がん予防サイトには一言も記載していない。
そういったマイナスな事柄はしれっと「なかったこと」にして、IPS細胞の研究助成費を増やしたのは
公明党だ!山中教授も感謝してるなんて活動家は言う。

都合の悪い事を無かったことにする団体や政党が、世界や人類の平和を標榜するのは
無理があります。
過ち誤りを認める姿勢の無い団体や政党を、一般社会は信用しません。
なにが善の連帯1000万だったのかと、今は笑えますが、当時は真剣だったから笑えません。
比例区1000万票で広宣流布を成し遂げたのも同然、という解釈じたいもよくわかりません。
なぜ自分が当時それを信じてしまったのかも謎です。 頭が悪かったって事にしておきます。 
結局、池田老人が欲しかったのは強大な権力にほかならず、強欲じいさんにふりまわされただけだったのかと
思うと、私は今も悔しくてなりません。
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幸福王女(2)

以前、鬼教官と呼ばれていた幹部の話を書きましたが、
鬼教官は一人ではありませんでした。
本部の違う友人のところにも鬼教官がおり、友人はOLになってから結婚までの約10年間
ずっと鬼教官(部長→本部長)から恋愛に横やりを入れられ続けていました。
おそらく、自分の後継者に育てようと友人に目をかけていたのでしょうが、目をつけられた方は
たまったものではありません。

友人には高校時代から交際している彼氏がおり、結婚を考えていました。
鬼教官から事あるごとに「仏道修行の邪魔だから」別れるよういわれ、白蓮の話を5年連続(上限年齢まで)
もってこられたが、断り続けていました。
何度も選挙の遊説メンバーに選ばれ、役職役割も次々持って来る。
友人は気が優しくはっきりNOと言えず引き受けていたら、副部長になった頃遂に彼氏と会う時間が
なくなっていました。
彼は大のアンチ創価で、女子部の活動なんてやめてしまえばいいと常に言っていたようです。
しかし友人は女子部になったばかりのころに先輩から言われた言葉
「女子部のうちにしっかり福運貯金をしておかないと、結婚後不幸になる」を信じ切っていて、
とりあえず彼と結婚するまでは、やれるだけやろうと決めていたのです。
彼女の多忙さを見かねた彼から別れるか・結婚前提で同棲するかを迫られ、彼女は同棲を選びました。
既に交際10年で、両家の親も公認だったので反対もなかったのです。

もちろん鬼教官はおかんむりです。
友人は1年後に結婚する予定で、それまで活動はきちんとやる。
両家親の了解もとれているのだから、本部長に同棲をとやかく言われる筋合いではないと説明しました。
(実家の近くに家を借りたので、地域は同じ)
鬼教官は「じゃあ分所帯で御本尊様を頂かなきゃね」と持ちかけます。
彼氏から、創価を家に持ち込むのは止めて欲しいと言われていた友人は「考えさせて欲しい」と返事。
鬼教官は友人相手じゃ埒があかないと思ったのか、強硬手段で直接彼女の両親を説得し分所帯での本流を
決めたのです。
彼女の両親は薄い活動家で、娘の信心にもうるさい方でなく、結婚相手を絶対折伏しなさいとも
言っていませんでした。
そこを鬼教官が支部幹部(壮年婦人)も巻きこんで分所帯の話を進め、嫌とは言えない雰囲気に。
分所帯でも本流ができればそれは支部の「成果1」となるから壮婦も必死です。
四方がっちり押さえこまれた手前、NOと言えず、友人はハメられたと怒りながらも御本尊様を
お受けしました。が、狭い部屋で・しかもアンチ創価な彼の手前、ご安置は出来ません。
彼に御本尊様を受けたことは内緒で、彼女はクローゼットに御本尊様を巻いたまま隠していました。
鬼教官は彼女に会うたび「今度、一緒にお題目を上げたいから家に行ってもいい?」と聞いてくる。
ご安置はしていない、でもその事を言えないので
「彼が創価の人を家に入れるなとうるさいので無理です」と断り続けていました。
鬼教官が次に迫ったのは彼の折伏ですが、完遂はできませんでした。
友人は兼任で地区リーダーのいない地域もみていましたが、そちらで活動家を掘り起こす事は
できませんでした。
結婚式の日取りが決まったので、鬼教官に報告をしO月で女子部の活動を終えたいと話したところ
鬼教官は「申し訳ないけど、おめでとうとは言ってあげられない。
(相手を折伏出来なかった事に対し)信心の無い結婚なんて、きっと長続きしないわよ。
それにあなたは人材を育てずに女子部を去る。闘い切らず、組織に御恩返しもできないまま結婚すると
どうなるか。婦人部で泣きを見る目になるのよ」と、罰論を口にしたというのです。
また、御本尊様をご安置していないことも鬼教官はお見通しで
「一日も早くご安置しないと大変なことになる。泣いてからじゃ遅いんだよ?」と諭したとの事。
友人は悔しかったと、泣きながらこの話をしてくれました。
自分なりに、時に彼と喧嘩をしつつも10年頑張って来たのに、結婚おめでとうと言ってもらえなかった事が
特にショックだったようです。
当時の私は部長をやっていて、件の鬼教官とも軽く面識がありました。
いかにもカタブツっぽい、きつい雰囲気の女性で”あの人ならいかにも言いそうだわ~”と思いながら
「酷い事言うよね~」と友人に同情しました。
ただ、当時の私は「後継を育てず嫁に行く」ことに対しては「小言いわれても仕方ないかもね」と
思っていました。
「後継を育てる」当時の女子部でこれは命題だったからです。
今思えば、どうでもいいことなんですけどね。

そんな鬼教官の名前を数年前、意外な人から聞くことになりました。実家の母からの電話でした。
「OOさんって、あなた知りあい?どんな人だったか教えてくれない?」
聞き覚えのある苗字。誰だったかなーと思いつつ「その人がどうかしたの?」と尋ねると
母方のおばが他県にいるのですが、お見合いを世話して欲しいと私の地元幹部から話が来て
(注:おばも元々、私の地元に住んで幹部をしていました。主人のリタイヤで他県へ移住)
OOさんの写真と釣り書がまわってき、母のきょうだいが相手となる男性(男子部)をみつくろうとの
ことでした。
写真と釣り書だけではわからない「人となり」を知りたいと私にお尋ねが来たわけです。
あ、OOさんってあの鬼教官だ! 思いだした私はビックリしました。
友人も私も結婚し地元を去った後の、鬼教官のその後なんて知る由もなかったけど
40代を過ぎてもまだ独身だったんだ・・という驚き。
そして組織内でお見合いを希望しているという現実を、なんとなく不憫に思いました。
友人から聞かされた話から、鬼教官にいいイメージが全く無かった私ですが、お見合いの邪魔になっては
いけないのでマイナスな事は一切言わず
「女子部時代、浮いた噂一つ聞かなかった。大変まじめで信心強情な幹部だった」と母に伝えました。
そして必ず続報を教えてほしいと母に念を押しましたw

鬼教官は見合い相手の希望を
「特になし。年上でも年下でも可。できるだけ田舎の人がいい」と言っていたようです。
ストライクゾーンが広すぎるのもかえって困るとおばは話していたようですが、後日、相手を見つけ
お見合いが実現。
特急に乗って3時間かかる田舎町へ鬼教官は自ら出向きました。
おばが(地元へ)男性を連れて行きましょうか?とお伺いを立てたのですが、鬼教官本人が
「自分が生活する事になるかもしれない町を見ておきたい」と出向いたとの事、本気度の高さが伺えます。
結果、お見合いは不成立。
鬼教官はお見合い後
「私は使命のある場所に行けると思っている。相手のお返事を待ちます」と、自分の意見を
はっきり言わなかったそうで(完全に相手に委ねた)
それを重たいと感じたか・どうか定かじゃありませんが、相手の男性は
「自分には勿体無い人、こんな田舎まで嫁に来てもらうのは申し訳が無い」と断ったとの事でした。

鬼教官自身がいまどき珍しいほど真面目で、不器用な人だったのも災いしたのかもしれません。
人の恋愛や結婚に、横やりを入れ、女子部で闘いきらないと婦人部で罰当たるよとか言っていた人が
40を過ぎても一人身で
(それは本人が望んだ結果、そうなったのでしょうが)
「使命のある場所に行けると思っている」と、相手にゆだねるお見合いをしている現実。
彼女も「師匠の理想の広布」を成し遂げるために青春を捧げた一人だったんでしょう。
自分の事なんかそっちのけで師匠のために同志のためにと走り抜いて来て、気づけば40代。
謙虚に「使命のある場所に行けると思っている」というよりは
もはや、自分の頭で考えられなく(考えるのが怖い)なっているんじゃないのかなと感じます。
だから相手に丸投げするんでしょう。
それが相手にきちんと向き合っていない・相手に対して失礼なことであると気が付きもしないで。

10年くらい前の池田老人の女子部への指導(随筆だったかも?)に、
「女性の本当の幸せは40代で決まる。40代からが勝負。
若い時代、目の前にある刹那的な幸福に飛びついたり・見た目だけの華やかさに惑わされて
(信心や活動をおろそかにして)は断じてならない」という趣旨の内容がありました。
当時の私は”じゃあ40代の幸せって何?どういうことを指してるの?”と疑問に思ってました。
抽象的な事ばかりで具体的な事は一切書いてくれませんからね、池田老人はw

いま40代になって、当時の同志を思い返すと、組織に対して忠誠を尽くした人に限って皆独身です。
それぞれ、仕事だけは「御宮遣い」でしっかり務めた為、経済力はありますが
そこが仇になって(?)財務でスッテンテンになった親の老後の面倒を一人で見てる人もいます。
組織に対してテキトーな姿勢だったり・ドロップアウトした人のほうが普通に家庭を築いています。
いや、べつに家庭を築く事だけが幸せだとは言いません。結婚したって艱難辛苦の場合もありますw
独身でもいきいきと、好きな事して、自由で楽しんでて羨ましい。そんな外部の友人がいます。
そんな40代だったら、20代30代を組織に尽くした甲斐あったじゃん!って思える。
でも、私から見た元女子部で婦人部へ勇退した彼女たちは概ね元気がありません。
申し訳ないけど、幸せそうにも・盤石な幸福境涯を築いたようにも見えないのです。
もう達観しているというか諦めの境地で、人生のクロージングを始めたかに見える人もいます。

そして外部の友人で40代独身だけど生き生きしてる人は、思い返すと20代も30代も元気で
楽しそうでした。
我慢したから今がある、みたいなことではないんですよね、きっと。
勿論、仕事のためにスキルアップで資格取得したとか、陰の努力もちゃんとあっての今なのですが
「現実に・地に足のついた努力」は、人を裏切らないんだと見ていて思います。

その年代にしかできない楽しい事・華やかな事ってたくさんあります。
20代には20代の、30代には30代の。
40代では遅い(おなじこと今やったら痛い)ということが山ほど。
この20-40代の20年間って、女性にとって非常に大事な時期だと思うのです。
ドロップアウト経験のある俗な女子部だった私でさえ「もっとああすれば・これやっとけばよかった」と
後悔があります。 
今からでも間に合う事もあるけど、間に合わない事のほうが多いです。

池田老人の「理想の広布」が、この20年間でどれだけ進んだのか・実現したのか。
私は創価が謳う「広宣流布」のために活動を頑張ってきたわけではなく、俗だけど自分の幸せのために
やっていました。
ただ、自分の行動(対話や折伏)が僅かであってもその一助になるのかな?と思っていました。
今は覚醒して、広宣流布というコトバじたいがカネと票集めの表向きスローガンにすぎなかったと知ったので
本気出さなくてそこだけは良かった、と思ったりしています。

世界平和と広宣流布と、永遠の指導者のため真剣にこの20年間をささげた幸福王女が
事実に気がついてしまった時の衝撃は、私では量れないものがあります。
果たしてこの20年間で、広布は進んだのでしょうか。後継は続々育っているのでしょうか。
現役会長を72歳のじいさんがつとめてるっていう時点で、終わってますよね。
私が青年部で頑張っていた当時、池田老人は「この青年部の中から未来の会長が出るんだ」的な事を
話していましたが、創価も年功序列でじいさんがのさばっているのです。
まったく青年創価学会なんて実現されてません。
善の連帯1000万(票)は、実現されるどころか、減る一方で1000万に近づいたことがありません。

こんな現状を、彼女らがどう見ているのか。
元気のなさは、半分覚醒しているからでしょうか?
「創価王国の、幸福王女」とは、ぜんぶがおとぎ話の世界だったと、彼女らはもう薄々感づいて
いるのでしょうか?
いずれ確認してみるつもりです。 

幸福王女(1)

池田老人の随筆などで、女子部は「創価王国の幸福王女」と表現されていました。
当時はぜんぜん気にしてませんでしたが「創価王国」ってことは、
当然池田老人は国王気どりだったって事ですよね・・今更だけど、ぞっとします。

さて、そんな幸福王女。
前回の記事にも書きましたが、創価王国の掟を守りぬいて、40代を迎え婦人部へ「勇退」していく人も
数多くいます。
彼女らの多くは池田老人を師匠と崇め、忠実に幹部の指導に従って来た人達です。
自身も幹部となり、プライベートを犠牲にして組織に尽くしてきた功労者です。

女子部も30代を過ぎると、恋愛について生活指導でうるさく言われる事は無くなります。
活動もしながら適当に遊びもし、外部との交流を保っていた人は30代に入るとわりとあっという間に
縁談がまとまり結婚して行きました。
が、圏幹部以上にもなると、プライベートの時間なんてほぼなく、外部と交流する時間もないので
どうしても縁遠くなってしまうようです。
時間的な問題だけではなく、彼女らの心に潜む「臆病」も原因の一つだと、私は思います。

同級生で主任部長をしていた友人と、30代の頃たまにプライベートで飲みに行きました。
待ちあわせはいつも3つ4つ離れた駅前で、地元のお店はNGでした。
その理由は、地元地域のメンバーに幹部が飲酒しているところを見られてはいけないからでした。
彼女が自主的に気をつけていたのか・上からの御達しなのかはわかりません。
飲みに行くと決まって恋愛観や結婚の話になります。
私は途中数年間、活動を休んでおり、その間に恋愛経験もあったということで
常に彼女から一方的な質問攻めにあっていました。
このとき感じたのが、彼女のリアクションや感想がいちいち「幼すぎる」ということでした。
30代の女友達と話している感覚じゃないんです。高校生くらいの子としゃべっているような感じ。
かわいいとかそういうのを通り越して、ちょっと気味が悪かったです(申し訳ないですが)。
会合で大勢の女子部を前に、壇上でいきいきと大確信で語ってる彼女の姿との落差たるや・・でした。

彼女は結婚願望が強く、20代当時は30歳までに結婚しようと決めていて
「信心のある人と30までに結婚」をご祈念していたとのこと。
しかしその願いかなわず、婦人幹部に指導を受けたところ
「あなたの使命はあまりにも大きい。
 そんなに早く婦人部になってはいけないと、御本尊様が御許しにならないのです。
 自分の使命に生き切った時、必ず良縁が向こうからやってきます。
 よそ見はしないで、 自分の役割を全うしなさい。
 ここで闘いきるとの、あなたの腹が決まらないから、お相手も決まらないのよ」といわれたそうです。
こんな浮世離れした指導が通用するんだから創価って特殊な世界ですよね。
一般社会では考えられません。
彼女はこの指導を受け止め、頑張っているけど「相手が向こうからやって来ない」事に悩んでいました。
当時、気になる相手が組織内にいて、どうしたらいいかと相談を受けました。
告白してもし玉砕したら、その後も会館で会ったりしたときに気まずいし、なんといっても自分の方が
役職が上なので、自分から告白する事を相手がどう感じるだろうか?(退かないか)と彼女は心配して
いました。
私は思わず「祈って、体当たりしたらいいんじゃない?」と促しましたが、彼女は手を大きく横に振って
「だめだめ。恋愛の事は絶対祈らないようにしてるから」と言うのです。
えっ!それどういうこと?と聞き返すと、
「恋愛ごとで、特定の相手の事をいのっては駄目。もし、悪い結果が出た時、御本尊様に不信の念を
 抱くようになってしまう。 特に若い子はそうなり易い。
 相手の幸せを祈るのは良いとして、相手とどうこうなろう(恋愛成就)は祈ってはいけない」と
先輩から指導を受けた事があり、それを守っているとの話でした。
私は呆気に取られました。そんなのってアリ?
「願い(祈り)として叶わざるなしのご本尊様」これがうたい文句、常套句じゃなかったっけ?と。

私は恋愛関係のことを組織の幹部や先輩に相談・指導を受けた事が一度もありません。
ご本尊様への「不信」を起こさせないように恋愛ごとを祈るな、という指導は、えらく乱暴だと
感じました。 けど、現実的でもあると思います。
恋愛ごとはご祈念でどうこうなりません。
生理的に受け付けないとか、フィーリングやタイミングもありますし。
余談ですが20代の頃、一切恋愛感情もあこがれも無かった16歳も年上の男子幹部から
「君の事を祈ってもいいかな?」と聞かれ、意味が解らなかったので「はぁ」と返事。
その数ヶ月後に呼び出され
「君のために100万遍の御題目を挙げ切りました。結婚して下さい」と申し込まれ
ビックリしました。 後で解った事は、当時の男子部では「祈らせて」は愛の告白だった
らしいですw 
独りよがりに100万遍なんて祈られても迷惑なだけ。けれど、私が純粋に池田老人を師匠と
崇めていたならば「そこまで祈ってくれるだなんて!」と感激し、こんな男子部の好意を
受け入れたのか? ・・いや、やっぱり無理です。
のちのち、この100万遍アタックで結婚した組織内カップルが結構いると聞いて驚きました。

結局、池田老人って・組織って、女子部をどうしたかったんでしょうか?
恋愛の自由を20代のうちに奪っておきながら、30代になっても夢見る夢子に対して
「恋愛ごとを祈るな・信心に励んでいれば縁談はむこうからやってくる」なんて期待を持たせて。
全く現実的でない指導ばかり押し付け骨抜きにし、人を好きになるという「機会」も「衝動」も、
そこからの「思慮」も一切合財奪ってしまう。
こっちが相手を決めてやるから大人しく信心してな、って統一教会か!(ツッコミ)
そういえば、私が20代前半当時はまだ「池田先生が決めたお相手」との縁談がありました。
断れない縁談だと聞いた覚えがあります。
当時、新任の婦人部地区担がそのパターンで、遠隔地から嫁入りした30代後半の方でした。
かなり上の幹部だったらしく聡明な雰囲気の方で、私たち女子部を見るといつも声をかけ激励して
くれました。 何かの会合の折に、結婚式までに相手に会ったのがたったの1回だったと聞いて
よくそんなことで結婚決めたなぁ(無茶だわ)と、20代前半の私は内心思ってました。
結婚していきなり同居。失礼乍、それほど大きなお宅では無かったです。
高齢のお姑さんは息子にべったり。数年後、離婚して郷里に帰ったと聞きました。
勿論、こんな話ばかりではなく、うまくいってるパターンの先輩もいます。
だけど、「池田先生が決めたお相手」といわれて、それが使命だと納得して結婚してしまうって
私には当時も今も考えられないことです。 
こんなの、まんま統一教会ですよね。
20年くらい前はこんな縁談話もよく耳にしたのですが、私が30代になった時はもうこのような話を
聞く事は無くなりました。 トラブルが多くなって止めたんでしょうかw 謎です。

話を元に戻します。
件の友人は、かなり理想が高く、ルックス重視。(彼女自身も魅力的な人です)
そういった相手と巡り合って結婚するには、相応の時期に相応の努力が必要でしょう。
年齢が上がってくるに従って、自然と知り合う機会は減りますし(努力すれば別ですが)。
信心・学会活動にひたすらに励んでいれば白馬の王子様が私を迎えに来てくれる・・なんて事を
30過ぎても信じていそうな彼女に対し、私は内心呆れるというか、そういう発想が出来るって
何故?と不思議に思っていました。 口には出しませんでしたが。

組織内の恋愛じゃ何かと面倒かも、という彼女に対し「じゃあ合コンでもする?外部の人とつきあったら
いいじゃない(折伏もできるし)」と私が言うと
彼女は「えっ、今更それは無理」と答えました。
どういう意味?と私が聞くと、外部の男性と何をしゃべったらいいか全然わからないというのです。
つまり、普段から活動しかしてないので、一般男性との話のネタが無いという事でした。
テレビは殆ど見てない・音楽も聞かない・これといった趣味もない・話せるのは組織の事だけという。
私はそのことにもビックリしました。
それであなたは、本当に幸せなの?って。
前にも書きましたが、私の20代後半はリア充を目指し忙しく動きまくっていたので、彼女のような
生き方が信じられませんでした。
本当に、組織一筋。 仕事が終われば各種会合に走り回る。帰宅はいつも23時をまわる。
そこから夜のごん行唱題をし、入浴のち寝る前に創価の書籍を読みながらコンビニスイーツを
御褒美に食べるのが唯一の楽しみと彼女は語っていました。
私にはそれの何処が幸せなのか、全く理解ができなくて、忙しいのはわかるけど趣味の一つくらい
持とうよ!って彼女に言いました。
すると彼女は、うーんと考えてから「でも今更、なにを趣味にしたらいいかわかんない。めんどくさい」と
言ったのです。 「しいて言えば、学会活動が一番の趣味でライフワーク」だと・・。
こう聞いてしまうと、私は思考停止で「あ、この人とは生きる世界が違う」と判断し、それ以上言うのを
止めました。
そしてきっと、組織が何とかするんだろう(いい縁談を彼女に持ってくるんだろう)と考えました。
でなきゃ割にあわなさすぎるよ、とも。

私が当時交際中の主人を無理やり折伏本流したときも、彼女は指導で隣市に行ってたにもかかわらず
入会祈念ごん行会に花束を持ってかけつけてくれました。
誰よりも私の結婚を喜んでくれました。 私はその時、あなたのほうがもっとずっと幸せな結婚を決めるよ!
だって信心のレベルが違うもんって思っていました。
自分には出来ない事(プライベートをほぼ犠牲にし、後輩の指導に奔走)をしている彼女を素直に
リスペクトしていたんです。
ところが一昨年、「女子部を勇退します(未婚のまま婦人部へ行く)」と年賀状に書いてあり、驚いて
電話を入れました。
縁談の話も、ないわけではないが、どれもその気になれないと彼女。
「相手の事言えないけど、40過ぎで独身っていい人残ってないんだよね」と。
婦人部へは、仲の良い県幹部がうつることにしたというので、時期を合わせたとの事でした。
私はがっつり未活婦人部でしたが「婦人部は女子部と全然違うよ。いやになって会合出てない」と
彼女に話しました。
「噂は聞いてる」と彼女。そして「いきなり役職面接があるんだよね」と憂鬱そうでした。
女子部よりは(ワークなので)会合日程も少ないだろうし、恋愛のチャンスじゃん!と私が前向きに言うと
彼女は「もうね、何が良くて何が悪いのかもわかんない。ご祈念していくしかないんだろうね。
すべては”ご仏智”だから」と言いました。
ご仏智・・これまた組織にとって都合のいい言い回しです。

そして現在も彼女は独身です。 
私は覚醒したことをまだ彼女に話していません。 話してもいいんだけど、私は覚醒後でも彼女と変わらず
つきあいたいけど、彼女のような純粋な人からすれば私なぞ「師匠に弓引く敵」でしょうから、
ばっさり切られるのかと思うと、なかなか言い出せないです。
彼女はいまも変わらず、池田老人を師匠だと思っています。
幸福王女のもとに、白馬の王子が絶対に現れない事は、本人が自分で気づくしかない問題なのでしょう。

すべてを”ご仏智”と捉えて生きて行けば、不必要に傷つかずに済むのかもしれませんが
そんな解決方法を「永遠の幸福境涯」とか呼ぶのは、止めて欲しい。
ただのまやかしでしかないんだから。

残酷であっても、真実に気づく方が、彼女の人生はより良いものになると私は信じたいです。

女子部の再活動後、組織を見渡すといつの間にか圏幹部以上がほぼ創価教育出身者に
なった事に驚きました。
皆、20代半ばの、絵にかいたような箱入り娘です。
偶然なのか、私のいた地域の幹部に苦学で創価教育を出た人はおらず、大半は親が議員又は
創価系の仕事に就いている「恵まれた」人達ばかりでした。
弁舌爽やかで、非の打ちどころのない品行方正なお嬢さん。
だけど、四角四面で人間性に奥行きを感じない。
それまでの幹部は”先生命”であっても、どこか人間臭さがあり、世間で揉まれたからこその体験や
指導に共感出来たのですが、彼女らはまるでアンドロイドのよう。
温室育ちが語るのは学園で直接激励を受けた・師匠の素晴らしい人柄に触れ、必ず師匠のお役にたてる
人材になろうと決意し今に至るという話に終始。
私のようなスレた人間には、同じ組織にあっても「別世界の人達」って印象しかもてませんでした。

選挙の折、F報告が目標数を大きく下回っているのが四者で女子部だけだった時
挨拶の途中で号泣し「このままでは先生に申し訳なさすぎます。私に力を貸してください」と絶叫した
圏女がいました。
中学から学園育ち、就職先は創価関係で、Fを頼めるところが殆どないという事で
そんな自分がメンバーに発破号令をかけていいものか葛藤で悩んでいると聞きました。
そんな人にF取りの陣頭指揮を取らせること自体違うんじゃ?と当時思いましたが誰にも言えませんでした。

また、次代の圏女も創価教育出身者で、四角四面の困ったチャンでした。
何かネガティブ要素のある出来事に対して即
「池田先生にご迷惑をかけてはいけない・御心配をかけてはいけない」と言う。
特に男女問題には厳しく、一昔前の幹部みたいだなと思いながら見ていました。

いまだ忘れられない事。
部のメンバーで将来有望と目されていた子が、連絡無しに会合を休みがちになった事があり
家庭訪問にいったところ一人暮らしの彼女の家に男が居ました。
事情があって、同棲を始めていました。
私からすれば、成人を過ぎた大人のふたりなのだし、学会の先輩だからと口を出す筋合いじゃないと判断。
彼女に会合にはなるべく出る・来れない時は連絡もするよう言って帰りました。
しかし、その後すぐ圏女が家庭訪問に行って同棲の事実を知ってしまいました。
彼女と一緒に私も呼び出され、なぜか婦人幹部も出てき、
圏女は彼女に「すぐに彼と別れるか、実家に帰るか選びなさい」と迫ったのです。
その理由は
「女子部が同棲をしているなんて世間体が悪い。何かあってからでは遅い。池田先生にご迷惑がかかる」
ゴメイワクって何?と思いながらも、私は持論(大人の二人の事だから)を展開して彼女を庇いました。
圏女からは睨みつけられ、「あなた何も解って無いですね」と言われました。
女子部たるものーと語られた内容は、時代錯誤も甚だしいもので、
それが創価教育の教えなのか・なんなのかはわかりません。 
はっきりした文言は忘れましたが、同棲からの妊娠(おめでた婚)は困るという内容。
彼女は20代前半でした。
そのためか、池田老人の指導も持ちだされ
「恋愛は30代からでも遅くない、若いころは傷つきやすく過ちを男女ともどもおかしやすい。
 娘たち(女子部)に不幸になって欲しくない」も圏女は口にしました。
まだ女子部の活動を開始して数年で、確固とした信心の基盤もないうちに(信心のない)男と居る事は
危険なのだ・あなたを不幸にしたくないと、圏女は表現を変えながらも繰り返し訴えました。

25歳まで恋愛はするな・一生の信心の基礎をつくる時期だから活動に励めと
私の青年部時代、組織では指導されていました。 
彼氏がいるとわかると、今は修行の時期なんだから別れなさいと説得する幹部がいました。
25歳以下のメンバーに彼氏が居る事がばれると白蓮(着任期間は恋愛禁止)の話がくるというのも
当時はセオリーだったほどで。
なので、彼氏がいることを隠す子も多かったし、幹部に密告されるリスクを考えて
組織内の横のつながりに恋愛相談をするような事も暗黙の了解で殆どなかったくらいなのです。
25歳以下でも以上でも、自分をしっかり持てる人もいれば・相手におぼれる人もいる。
こんなもの個人の資質の問題で、単純に年齢だけで縛れるような問題じゃないと思うんですが、
当時の創価では25歳以下恋愛禁止と決まってました。
最近はどうなんでしょうか。原田会長はソフト路線だから、大きく変わっているかもしれませんねw

同棲の事を知ったら、親御さんも先生も悲しまれると訴える圏女。 
私はどれもこれも「腑に落ちないわー」と思いながら聞いていました。
学生ならば同棲なんてまだしちゃだめだと、止めるのは多少わかります。 
けど彼女は社会人で、成人で、立派に自活していたんです。
私は”恋愛もしながら活動すればいいじゃん。彼の事も折伏すればいいじゃん”と心で反論していました。

男がフリーターだって事も問題だと圏女・婦人幹部がいうので、
「じゃあ彼が就職出来ればいいんですか?
 このさいだし地域の男子部に紹介して、活動に参加してもらったらどうでしょう(折伏数もあがるし)」
と私が提案すると、瞬時に却下。
婦人幹部も彼女に実家に帰る事をすすめましたが、彼女は家庭環境が複雑で実家に居場所がないため、
自活で頑張っていました。
話し合いはどこまでも平行線で、婦人幹部が「あなたは本当はどうしたい?」と彼女に尋ねると
彼女は地域で頑張る・実家には帰りませんと言いました。
圏女がそれを聞いて何と言ったか。「勝手にしなさい。私は知りません」w
勝手にしなさいっていうなら、最初からひっかきまわすなよ!と、私は腹立たしく思い。
この話を母にしたところ、知人の経営者が若い男子の人手を欲しがっているとのことで、紹介したところ
就職が決まりました。
一応報告しておこうと圏女に連絡しましたが
「あなたはどうして厄介事にかかわるんですか?私は聞かなかった事にします。
なにかあっても、組織とは関係のないことです。それだけ弁えてください」と冷たくあしらわれ、
落胆を通り越して笑ってしまいました。
幹部といえど完璧では無い。出来た人ばかりじゃないことは解っていましたが、あまりにも了見が狭すぎで。
創価教育出を幹部にぞろぞろ据えても、温室育ちでは人生の機微もわからず・やる事といえば
ただ池田老人の指導をイイ声で棒読みするだけ。
これじゃあ組織はダメになると思いました。
(今となっては、ダメになってもまったく問題ないのですがw)

結果的に2人は別れ、彼女は「圏女に嫌われたからもうやっていけない」と未活になりました。
驚くべきことですが、圏女が直接彼女に「今後あなたの相談は聞けない。別の幹部にして」と
言ったというのです。
組織が理想とする女子部像からはみ出した奴は「お払い箱」にするんだな。
みんながみんな、あんたみたいな温室育ちじゃないんだよ!
どこが「徹して一人を励ます」組織なのだろうかと、私はこの圏女に不信の目を向けたし
その後も反抗的に接してました。 いま思えば子供っぽくてばかばかしいですが。
自分の気持ちがおさまらなくて、この話を私が信頼をおいていた同級生の圏幹部に話しました。
彼女は驚いていましたが、これを組織内で問題化するような事は当然なく
「先生の思いにそむくような事をした幹部は、必ず罰を受ける。これは道理だからね」と言いました。
当時は「そうであってほしい」と願いました。 

「先生の思いにそむくような事をした幹部は必ず罰を受ける」 
これも、いま思えば驚くほどよく出来た内部統制手法だったんですね。
ここでも池田老人はスケープゴートで絶対神です。
事を荒立てずに内部の・現場の不満を鎮圧するためにはうってつけなんでしょう。
今も変わらず、この言葉は使われているようです。
こんな理論で大人しくなるんだからチョロイもんだと、本部職員は笑いが止まらないでしょうねw

件の圏女は議員の娘だったので「先生に(組織に)迷惑をかけない」は、
常日頃から自身に言い聞かせていた事だったのかもしれないなーと、今になって思います。
組織に食べさせてもらってるようなものだから、何かあったら袋叩きですもんね。

恋愛なんて個人の自由だし、組織の上下関係で「別れろ」と横やり入れる事がおかしすぎるのです。
あなたの成長の妨げになるとか、あなたのためを思ってとか、大きなお世話。
女子部時代、このテの事はいやというほど見聞きしてきて、そのたびに人権無視だと思っていました。
そういえば「白蓮卒業後、一年以内に結婚したら訓練泥棒」という謂れもありましたw

自分は24歳の時に20歳のヨメもらっといて、なんで女子部の20代は恋愛するななんて言えたのだろう?
池田老人のエゴイズムともいえる指導を真っ正直に受け止め・そのとおりにすれば
盤石な幸福境涯が築かれるのだと信じ、鉄の掟を守り通した大勢の女子部員が時を経て、
40代で未婚のまま婦人部へあがっているのです。
健気に頑張っている人も、いるには居るんでしょうが、私の知っている限りでは、ありません。
自分で思考・取捨選択する自由を奪われ40年以上も経過し、自分の望む幸せがなんなのか、具体的に
思い描けない・全くわからないと悩む元幹部の友人がいます。
心身のバランスを崩し、世間と一切の交流を絶った人もいます。
これを罪深い事だと、池田老人や掟をごり押ししてきた側の人たちは思わないのでしょうか。

十分すぎるくらい組織に尽くしてきた人々に対し、
「それは個人の問題、学会とは関係ない」「信心がたりなかった」で片付けるなんて
絶対に出来ない・ゆるされないことだと思います。

水からの伝言

女子部の活動後期、組織の打ちだしで「これ大丈夫?」と思ったものがありました。
水に文字を見せて、波動を受けた結晶を撮るというものなんですが
女子部の会合席上でこの件が取りあげられていました(好意的に)。

↓リンク
水からの伝言

「南無妙法蓮華経」と書いた紙を水に見せて撮った結晶がとても美しい、ということを
写真パネルを使って説明し、私たちが唱えている日蓮大聖人のお題目がどれだけ素晴らしいのか証明された!
外部の方にもこの写真をぜひ見せてあげてください(折伏に役立てましょう)というものでした。

このとき、他に紹介された写真はネガティブな言葉(「死」や「悪」)を見せた水は結晶しなかった、
いびつな形になったというものと、南無阿弥陀仏の結晶も見せられました。
「南無妙法蓮華経みたいな美しい結晶になっていない」と貶していましたw

幹部曰く
人間の体の60%は水分で出来ている。
南無妙法蓮華経を唱えることで生命が躍動するのは、良い波動を与えているから。
この写真が証明してくれましたね。
ますますお題目を唱え抜いて・友人にも素晴らしさを語って行きましょう~云々。

当時、特に科学の知識があるわけでは無かったですし(文系で、理系はからきしダメです)
これがトンデモだ、と言い切れるものをなにか持っていたわけじゃないのですが
こういった一見してオカルト的・超常現象的なものを、法が正しいことの証明に使いだした事も
明らかな「路線変更」と感じ、私は内心受け付けませんでした。
イイのかこんな事して? 御書根本じゃなかったの?と思いながらも、
喜色満面で幹部が紹介しているさまや・大きくうなづきながら感動したように美しい結晶に見入る
メンバーをみていると、そんな事口が裂けても言えませんでした。

けど、この紹介はたった一度だけで、その後の会合では一切持ちだされる事が無かったんです。
特別なんとも思わず、すっかり忘れ去っていました。

昨年末、実家に帰ったとき仏間の本棚に「水はこたえを知っている」がありました。
母が婦人部で話を聞いて購入していたようで、この本には「南無妙法蓮華経」の結晶は掲載されて
いませんでした。
これって実はどうだったの?と興味がわき、ネットで検索したら「水は答え」と入れた瞬間
予測変換に「トンデモ」と出てきて、爆笑してしまいましたw

wikiによれば、「水からの伝言」はフィクションでファンタジーの扱いだということでした。
「証明」に値するなんてものじゃなかったんですね。
そして面白い一文を見つけました。
”2001年3月の参議院文教科学委員会で、公明党の松あきらが肯定的に引用した。”
私が女子部の会合で目にしたのも、年代的にそのあたりです。

後からトンデモだと解って、組織じゃ「無かったこと」にしたんでしょうか。お粗末すぎます・・。
一言「あれは違いました」と謝るくらいしてくれればよかったのに。
この件について「あれはトンデモだった」という説明は、組織で行われていないと思われます。
少なくともその後数年、女子部にいましたが、聞いた事なかったです。

創価のすごいところ(皮肉ですよ)は、この「都合の悪い事はしれーっと無かったことにする」です。
戸田城聖全集は絶版だし、「人間革命」が全面改定されると聞いてたまげました。
自分たちの歴史をあるがまま認められず
(まぁ、人間革命は最初から池田老人に都合よく書かれたもので歴史もへったくれもない創作ですが)
都合よく事実を捻じ曲げる、そこにどんな意味があるのか。
正義をこれでもかと主張する団体のやることじゃないと思うのですが?

水からの伝言が、「ファンタジー」だということを弁えたうえで、
上のリンクに紹介されているイスラム教「メッカの風景写真」を見せた結晶は非常に美しいですね~。
荘厳なイメージ。私はこの写真が一番好きかな。
でも、組織の会合でこの写真は紹介してくれませんでしたw 当たり前ですね。

おまじない

独身時代、外部の友人たちと旅行をし
縁結びの神様(島根 出雲大社)や縁結びのお寺(京都のお寺 名前失念)に
観光で行きました。
友人たちは、それはそれは真剣に願をかけ、住職の説法に聞き入っていました。
私はそういう時、ついて行くけどあくまでも「付き添い見学」です。御札お守りを買ったり、絵馬を
書く事はありません(というか、できません)でした。
彼女らを見ながら、私はこう思ってました「ばかみたい」。
”自分のお願い事ばっかりじゃん。他人を幸せにしない限り、功徳はいただけないのに・・”と
創価脳の女子部はそんな風に思い、醒めた目で見ていました。 
勿論そんなことを彼女たちには言いません。嫌われますから。
仏法対話が全く心に響いてないんだなと落胆しつつも、いつかは解る時がくるわ!と、見下しも入って
いました。
こういった、おまじない的な事を私はバリ活時代、すっごくバカにしていました。
外道や邪宗(他宗の仏教)にすがって何になるのよ? と思っていました。

京都のお寺には4人で行きました。本当は5人で行く予定が、一人はドタキャンをしたのです。
2年ほどの間に私を除いた3人が玉の輿結婚を決めました。
そのお寺は玉の輿に乗れることでも有名だったのです。 
ドタキャンした一人が、本当に落胆しきった顔で「自分もいけばよかったー!」と言うのを見た時も
思わず噴き出して笑ってしまったほどです。
ただの偶然にきまってるのに、なにを本気にしてるの?馬鹿みたいって。
今思えば、一番私が馬鹿だったんですけどね。

また、海外旅行に行った際、友人たちが土産物店でマスコットを買い占めたことがありました。
一体どうしたの?と尋ねると「これを持ってるとお願い事が叶うんだって。みんなにも配ろうと
思って」というので、そのときも閉口しました。
なんで噂を簡単に信じるのだろう。
そして、神社や寺に行ったメンバーも含まれていたので、神様や仏様はまだいいわ・
マスコットなんかただの「大量生産物」じゃん!
マスコット持ってて願いが叶うなんて普通に考えておかしいじゃん!と内心つっこんでいました。
でも、まともにその意見をぶつけたら険悪になることは解っていたので言いませんでした。

神頼みなんて信じなかった私ですが、創価の活動の中にも「まじない」が山ほどあったことに
活動家時代から疑問を抱いていました。

たとえば新聞啓蒙は「相手に経済力をつけてあげる闘い」とされていました。
女子部においては、親と同居の友人より一人暮らしの友人がターゲットでしたが、若い独居世帯に
新聞をとる経済的余裕なんてない・・と誰かが言ったところ
「そうではない。毎月ご供養しているようなものだから、必ず(お金が)巡ってくるようになる」と
婦人部が言ってました。 
結婚後、母からも「どれだけ生活に困っても新聞購読と財務は続けないとダメ。
やめたらますます生活が立ちいかなくなるから」と言われた事もありました。
読まない新聞を取り続けるくらいなら、そのお金を生活にまわすのが普通だと思いますが、
こんなところにも「罰論」が使われているなんて異常な事です。

また、法戦も大きな功徳が出るといわれてますよね。
私の住んでいた地域では「経済革命ができる」と言われていました。お金に困らなくなったとか、
法戦をやりきった後は必ず臨時収入があるとか、そんな話があっちでもこっちでも囁かれて
いました。
うちの母に至っては「候補者の名を借りて宿命転換させてもらっている」と言うほどですw
候補者の名前を語って行くこと=お題目くらいに思ってるみたいです。これもおそらく学会幹部が
指導で言ってることのウケウリなんだけど、そんなこと日蓮大聖人が言うわけないし。

そして財務は「どこよりも利率のいい宇宙銀行」とされていました。
そんなわけないのにw
財務と法戦については又、別の記事で書きたいと思います。

白蓮時代は会合後の大講堂に掃除機をかけるさい、かけた畳の枚数分だけ
将来大きな家に住めるようになる(暗に、玉の輿に乗るって意味もあったかもしれません)と
いわれていました。
当時の掃除機は業務用でとても重たく、畳を傷ませないように2人1ペアでひとりは掃除機をもちあげ・
一人がノズルで吸引(掃除)していました。
重労働なので私は嫌いでしたが、白蓮メンバーの間では奪い合いでした(理由は後述)。
トイレ掃除にも「将来可愛い子供が生まれる」という謂れがありましたし、
大昔のエピソード
「池田先生がとある会場に来られると決まった時、トイレを寝転べるくらい綺麗にしようと
青年部が頑張った。
私たちも、いつ先生がいらしてもいいように、その心意気で綺麗にしましょう」と幹部が
呼びかけていました。
要は皆がやりたくない事を率先してやるところに功徳がある、という図式だったんでしょう。

白蓮は「率先垂範 自発能動」がモットーだったから、みんな重労働の奪い合いでした。
私は瞬発力が無いので、いつも出遅れて楽な仕事ばっかりやってました。それを幹部が常日頃から
見ており「あなたにはハングリー精神がない。せっかくの訓練期間なのに、もったいない」と
注意されていました。
そんな風に言われても、私は皆を押しのけて(?)まで重たい掃除機を選ぶ気にはなりませんでした。
”そんなことに功徳があるわけないじゃん”って醒めていたんですね。
幹部も、そんな私の本心を見抜いていたんだと思います。
「なぜいつも一歩引いて見てるの?もっと欲張りになりなさい」と言われました。

この「率先垂範 自発能動」について、繰り返し幹部から注意と指導を受けました。
創価における「率先垂範」とは
”目的や理由が頭で(考えて)わからなくても、とにかく素直に素早く行動ができること”
私は頭で考えすぎて、行動が遅くなっていると指摘され
「上からの指示は全て池田先生の指示だと受け止めて行動することができれば、難無いはずです」
とも言われました。
繰り返し書いている通り、私は池田老人を師匠だと思っていなかったので、こんな指導も響かずでした。

こんな創価のおまじないと、神頼みだったら、神頼みの方がまだマシなんじゃないかと
最近の私は思います。
他人に迷惑(選挙、新聞)をかけないだけましでしょう。

創価の各種おまじないになびかなかった私だけど、お題目と仏法対話(法をひろめる事)には
絶対の功徳があると信じて疑わなかった。
自他共の幸福を願う行動(折伏対話)にこそ功徳があるんだと思いこんでいた。
でも、実際に私がやっていたことは、対話と称して「相手のウィークポイントを突く事」でした。
前向きになれた友人もいたし、議論好きの奇特な友人は私と話して良かったなんて言ってくれたけど、
大半の人にはイヤな思いをさせたと思います。 
自他共の幸福って言葉を軽々しく使って、実際私がやっていたことは「距離なしの行動」
「相手が望まない解決策(?)の伝授」でした。
これもまた、他人に迷惑をかける事。 
神頼みを馬鹿にしてた私は、神頼み以下の事に功徳を求めていました。 大馬鹿です。

本当の「自他共の幸福を願う行動」って、ゴリ押しで宗教(考え方)を押しつけることなんかじゃない。
そして考え方を受け入れてもらうためにと、対話の他に親切心を働かせることでもない。
相手を尊重し、自分も大事にしながら、いい時も悪い時も・遠からず近からず見守り、
本当に必要なとき邪魔にならない「現実的な」アシストをする事だと思う。
そしてこの行動に「功徳」なんて、ない。 人として当然の行い(振る舞い)をしたっていうだけ。

他人を救う(この表現はそぐわないですが)ことに、ごほうび・功徳なんかいらない。
功徳を求めること自体もうおかしなことで、「功徳」頂戴となった瞬間から、人の尊厳が失われる。
覚醒から一年経過し、やっとそんな考えに至ることが出来ました。

創価の価値観では、「一般社会」が生きづらいのは至極当たり前のことです。
バリ活は「何を言っている、我々も一般社会に生きている!」と反論しそうだけど、全然違います。
一般社会に居るかに見えて、全く別の世界に隔離されて居るのです。
だからって、創価から抜け出す事を恐れないで欲しい。
艱難辛苦を組織の中・組織の活動で味わうなんて無益です。
一般社会で味わった方がずっと実りもある。
なんでも「祈りで解決」なんて思って生きていた頃より、今の私は元気だし毎日が楽しいです。

覚醒しつつも迷いのある方、一日も早く、人間らしさを取り戻しましょう。

忠告

バリ活時代、対話した友人は数知れず。 
私はうまれてこのかた創価だったのと、周囲に創価の同級生も多く
学校内でも平気で会合の話題などしていたせいか(イタイですね・・)「周知の事実」になっていて
地元の友人に対話を開始するにあたっての葛藤は殆どなかったです。
ただ、大学や社会人になって出来た友人は別で、地元の友人にあたりつくした後に勇気を出し
当たっていました。
当時対話した友人の中で、いまも普通に連絡をとれている人は小中高校を通じての「地元の仲間」。
大学・社会人になって出来た友人で、仏法対話をした大半の人と縁が切れてしまった事を
覚醒後にあらためて気づき、これが現実だと思い知りました。

学生時代の友人を折伏セミナーに連れだした際。
学会色のない講演のあと、学会幹部がでてきて池田老人の平和行動の話がはじまります。
私は友人に創価の会合だということは黙って連れ出しました。 
友人は、会館についた時点であやしいと思ったようでしたが、講演自体は宗教色ゼロの内容で
普通に聞いてくれました。
しかし幹部が登壇して話を始めた途端、顔色がかわり不機嫌になりました。
帰り道に「騙された。もう二度と誘わないで」はっきりと言われました。
確かに私は創価のセミナーだといいませんでした。だました形です。でも、ここまで怒るとは思わず
申し訳なさと同時に、腑に落ちないものも感じていました。

これ以前に、地元の友人をセミナーに連れ出した事もあったんですが、彼女らはクールで
創価のセミナーなんかに連れ出しやがって!と怒ったりしなかったんです。
内容に関しては「よくわかんなかった」 あっけらかんとそう言って、「遊びに行こうよ!」と
さっさと気分を切り替えるような、そんな状況でした。
この温度差を幹部に話すと
「拒絶した人は、まだ機根が整っていなかっただけ。拒絶しない人は、機根がととのっている。
気にせずにどちらも粘り強く対話していくことが大事です」と。
そうだったのか、じゃあまた頑張ろうと私は気を取りなおしました。

でも、今はわかる。
機根うんぬんとかではなく、単なるしがらみの問題だったって。
学生時代の友人は家も遠く滅多に会う事はない。卒業してしまえばコミュニティは別になる。
だからはっきり、嫌なものはイヤと意思表示した。
地元の仲間たちは、うっとおしいなと思いながらもセミナーに付き合うだけ付き合って、
そのあと遊びに行けばいいやと割り切っていた。
地元は古い住宅地で、住民の出入りがさほど激しくない地域。親もだいたい知り合いで「しがらみ」がある。
これからも続くであろう長い付き合いを考えた上でのスルースキルだったというか、
世間一般の「処世術」だったんでしょう。
そんな単純なことも当時の私は解らなかった。
わかるどころか大きく勘違いし、地元の友人たちを「学会理解者」と捉えていました。

中には創価や池田老人を罵倒したり、覚醒せよと促すような外部もいて
対話のさなか、友人から酷い学会批判を受けて悲しくなったと幹部に話したメンバーが居ました。
幹部の答えは
「そういった人は仏から遠い存在で、地獄界の生命を持っているから近寄ってはいけない。
あなたの生命まで汚れてしまう。少し距離を置き、遠くから相手の事を祈っていけばいい。
必ず解る時は来る」という内容でした。
折伏行は、あくまでも菩薩行。
常不軽菩薩の行いを通し、
「相手が信心や創価を罵倒したり反対意見を言う事があっても”私の業を取ってくれてありがとう”と
 思えばいいのです」と組織では教えており、みんな健気に対話を続けていたのです。 
こう教わったのは20代前半の頃(1990年代)です。

しかしこんな教えも、2002年に池田老人が「永遠の指導者」入りして変わりました。
”創価は誰が何と言おうと勝利している。創価を悪くいうものは敗者。
 そんな敗者の言うことなど気にしなくていい。悠々と見下していきなさい”という趣旨のスピーチが
ありました。
私はこれを聞いた時、びっくりしました。 みくだして って言ったんです1回目は。
そのあとは「みおろして」って言い直してましたが。 みくだして が、池田老人の本意だと思います。
みくだす でも みおろす でも、この行動のどこにも慈悲・菩薩行は感じられません。
常不軽菩薩の精神には無いものでしょう。
以前は「学会批判者でも、いつかは必ず理解する」と相手の仏性を信じていたはずが、
遂に「見下していい」ことになった。
当時宗門攻撃のネガキャンは影をひそめていたけれど、実はまだ続いていて、神格化の裏テーマだったと
最近になって理解しました。
ネットで拾った話ですが、創価側は宗門が10年もすれば音を上げる(金銭面で)と思っていた
らしいですね。
それで創価に頭を下げに来るだろうなんて考えていたが、実際そうならないので、池田老人が
いろんな面で焦ってたと書いてありました。
当時の指導の流れなど思い返しても、これは納得してしまう内容でした。
「悪は断じて攻めなければならない。攻めて攻めて攻めて攻め抜かないと、放置した者まで悪になる」
宗門攻撃以降、こんなトンデモ指導がまかり通るようになった創価の折伏行(菩薩行)って一体。
相手を「敬う」という姿勢なんてこれっぽちもない。破綻してたじゃん、笑わせるなよです。
自己矛盾も甚だしい団体が推進するのは単なる「洗脳とマインドコントロール」、
折伏行なんて崇高なものではなかったのです。

対話する中、解りあえなくても・自分は宗教は無理かなってやんわり断っても、そこで縁切りという
こともなく・変わらず遊びには誘ってくれたり・付き合ってくれ、みんな表向きは友達でいてくれた
(そして徐々に遠ざかって行った)。
みんな「やんわり」だった中、一人だけ私の行いに対し「忠告」してくれた人がいました。
学生時代のバイト先の上司だった人で、上司と言っても年齢は1つしか変わらず、バイトを辞めた後も
交流が続いていました。
対話ではなく、選挙支援の電話をかけたとき
「お前、なにやってんだ?そんなことしてたら友達なくすぞ」と注意を受けました。
他の友人たちはみな「わかった」「考えとく」と、あたりさわりのない返事しか聞いたことが無かった。
はっきりと注意してくる人なんていなかっただけに、私はショックを受けました。
しばし言い争いになり「そんなことを頼むということ自体、友達を大事にしてない証拠だし、
友達がそれを注意しないのも、お前が大事に思われてない証拠だよ」と言われ、私はキレました。
そんなことない。 みんな変わらず付き合ってくれてる! 友達なくすぞなんて大きなお世話だ!
私は腹を立て、以降その人に連絡をとりませんでした。
元上司はその後もメッセージ入りの年賀状を毎年送り続けてくれましたが、私は返事を出す事もなく無視。
いま思えば上司の対応はまともだった。
私はおとなげなかったな、と反省しています。 

結婚後の私は地元を離れ新天地で暮らし、今に至ります。
こちらで出来た友人には、創価のことは話していませんし、非活なので仏法対話も選挙や新聞を
お願いしたこともありません。
短期間勤務した会社の同期や上司と、退職し数年経過した今でも交流があります。
子供が生まれてからできたママ友は、幼稚園や小学校が別になっても、おつきあいが続いてます。
覚醒するまで意識したことなかったですが、こちらにきて出来た友人たちのほうが心の垣根を互いに
とりはらってつきあえている気がするし、心地よいです。
他人の心に土足で踏み込むような事を、私がしなくなたったからこの環境を得られたんだと思います。

女子部時代に仏法対話した(地元以外の)友人の多くと”自然と”連絡をとりあわなくなったと
覚醒前は思っていたけど
そうでは無く、相手から距離を置かれていたとやっとわかったきっかけが、facebookです。
覚醒後にママ友の勧めで始めました。
学生時代の友人・OL時代にできた友人を見つけたので、気軽に友達申請したところ連続で拒否され
「ああ、そうだよね、やっぱりね」と納得しました。
彼女らの中の私は対話当時の「厄介な創価のバリ活」イメージで止まってるわけだから。
今更なんなの?無視しておこう、ってそうなっても当然です。寂しいことですが。

創価の活動や選挙支援で「友達なくすぞ」という、元上司の忠告は本当でした。
今頃、どこでどうしているのか知りませんが、もしどこかで会うことが出来たら当時の無礼を
謝りたいです。

折伏(2)

仏法対話をしていく中で、心に刺さった友人の言葉があります。

「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」

私はこの問いかけに、言葉を詰まらせてしまいました。
彼女曰く
「あなたの話は、信心がなければ・御本尊様が無ければ幸せになっちゃいけないみたいに聞こえる。
それはあなたにとっての正解かもしれないけど、他の人にとっては間違いかもしれないんだよ?
信心なしでも幸せになろうと頑張っている人の努力を馬鹿にしないで」と。
友人の言葉だけは鮮烈に記憶してますが、私がその時なんと答えたのかは全く思いだせないのです。

「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」
今の私は「全然かまいません」と答えることができます。どうぞどうぞ、です。
実に鋭い、いい質問ですよね。 
でも当時の私はバリ活で、残念ながらこの言葉を「気づき」とすることはなく。
どう答えたかを思いだせないのは、思考停止で、不利な記憶を無意識に消去したからかもしれません。

また、30代の活動期に折伏本流した友人からいわれた言葉。
「信心が素晴らしい事は解った。だけど何故、創価に”入会”する必要があるのか」

友人について。当時、自暴自棄な面がありました。
私は心配で、一日も早く立ち直り幸せになって欲しいと思い仏法対話をしました。20代前半の頃です。
しかし彼女は「創価の人は、他人の不幸は蜜の味。弱みにつけこんで入会させたいだけでしょ」と
心を閉ざしてしまいました。
連絡がつかなくなり、私も組織をドロップアウトしたりで、数年のあいだ音信不通状態。
20代後半、私がふたたび活動に戻った後、偶然同じ電車に乗っていたことで声をかけました。
その時、私の言葉の全てが、自身を否定していると感じ、耐えられず連絡を絶ったと話してくれました。
だけど私からの連絡が全くなくなったことが寂しかったとも。
もう見放されたんだと思っていた、というので、私も組織を離れた時期があって遊び呆けていたと説明。
再び食事に行ったりするようになりました。
ただ、彼女の自暴自棄はまだ完全に収まっておらず、少しでも前向きになってほしいと、私の悪い癖で
仏法対話めいたことを始めると、彼女は激怒しました。
「上から目線でしゃべらないで。信心の話するならもう会わない。絶交する」と言いました。
驚きましたが、私はそこで彼女を一旦突き放します。「また話したくなったら連絡して」と。
当時部長だったので、日程はタイトだし、私はリア充を目指していたので予定が沢山あって
彼女とのかかわりを少し面倒に思い始めていました。
数ヶ月間、彼女と会う事も連絡もありませんでしたが、また偶然駅でばったり会いました。
帰り道に近況を語り合っていると、彼女が初めて「叶えたい事が出来た。祈ってみようかと思う」と
言いだしたのです。
びっくりしました。 そんな事、一度も言ってくれたことがなかったからです。
どうするか教えてというので、まずは三唱から開始して、慣れてきたらお題目を5分唱えて、などの
実践を教えました。
そして彼女は創価で言う「初心の功徳」を得たのです。
願い事が叶うと嬉しいし、楽しくなります。彼女は「もっと信心のことを知りたい」と
会合に参加するようになりました。
それを見て、上の幹部が黙っているはずもありません。私にいつ本流できそうか、尋ねてきます。
私は過去の苦い教訓があるので、急かさないで欲しい。彼女が本気で求めるまでは静かにお願いしますと
答えていました。
その後、会合に居合わせた幹部が彼女に直接「入会したらどう?」と尋ねたのです。
彼女はその場では「もう少し考えます」と返答し、のちほど私に入会に対して二の足踏んでいる理由を話して
くれました。 それが、インターネットで調べた創価の悪評でした。
私も当時既にネット環境はあったのですが、創価の悪評を調べた事はありませんでした。
2chの存在も全く知らず、彼女が教えてくれて初めて見た様な状況です。
私は彼女に「あなたが実際に会った創価のメンバーと、ネット上で語られる創価は同じに見える?」と
聞きました。
彼女は、全然違う。だから尚更怖いとも。

少し話はそれますが、創価の悪評を見ると「命が汚れる。だから見るな」と、組織で言われていました。
当時はまだ現在ほどネット環境が浸透してませんでしたから、ネットというよりは暴露本や週刊誌を
指していたと思います。
そんな指導があったので私も深く掘り下げてみた訳ではなく、巨大掲示板の2-3のスレッドをさらっと
ながし読みした程度でした。
そこに書いてあったのは、会員が起こした凶悪犯罪でした。しかし、組織ではこういったネガティブ情報が
一切流れていなかったので「こんなの嘘だ。でっち上げに決まってる」と私は思いました。
また、脱会者が語る創価についても書き込みがありましたが、私には関係ないと思えるような内容でした。
当時、池田老人賛美に辟易していたし、一部の幹部がわからずやなことにも腹を立てていましたが
私の周りのメンバーは良い人が多く・信頼できる同期も沢山いたので、私の知らない創価がネットに
書いてあったって「私の知ってる創価とは違うから関係ない」と結論しました。 
当時ブログはまだ無かったと思います。個人の意見を述べるサイトも、探せばあったのかもしれませんが
そこまでしなかったし、必要もありませんでした。 
女子部はモラトリアム集団なので、そんなにおかしい人もおらず、身に迫る実害も無かったからです。
ただ、覚醒後(2012年)は事情が違いました。
沢山の、個人の率直な意見が綴ってあるブログを拝見しました。それは私にとって実に信憑性の
あるものでした。もっと早く見ればよかったと思ったくらいです。 

話を元に戻します。

信心のすばらしさは解った。でも、だからってどうして「入会」する必要があるの?
そこがわからないと彼女に言われました。

私はその問いにこう答えました。
「入会しないと御本尊様が頂けないから」
仏界の生命を涌現するには、御本尊様が必要。もっとあなたに信心の確信を掴んで欲しいから
御本尊様を頂いたらどうかな?って事だよと伝えました。
こんな説明で彼女は「じゃあ入会する」とあっさり言ったので、私は拍子抜けでした。
本当に大丈夫?と何度も確認しましたが、決意は固く入会本流となりました。
入会後の彼女は様々な願いを叶え、精神的にタフになって行きました。
私はそれを見て「やっぱり信心ってすごい。御本尊様を授けることが出来て良かった」と
思っていたのです。

彼女が前向きになれたのは、信仰心のおかげといえるかもしれません。
何の信仰に依るか、ということではなく、単純に彼女はそれまで心が定まりにくかったところ
精神統一ができるようになり、それが様々良い影響を及ぼしていったのだと、今はそう解釈しています。

今年の春に彼女と会う事が出来、私の思いを伝え、過去を謝罪しました。
彼女も婦人部で組織のおかしさを痛感し、随分前から脱会を考えていたが、私の手前どうするか
悩んでいた事・既に非活になっている事を話してくれました。
私としては、紹介者の自分が脱会を考えているなんて許されない事だろうと戦々恐々で会いましたが
外部だった彼女は私よりも冷静に状況判断をし、組織と折り合いをつけてくれていたことに
安堵したし、有り難いことだと思いました。
同じことを考えていて良かった。胸のつかえが取れてすっきりしたと、彼女は脱会しました。

「入会しないと御本尊様(曼荼羅)がいただけない」
さらっと言ったコトバですが、覚醒後の今は、ほんと馬鹿だったと当時を振り返って思います。
仏界の生命を涌現できないと言ったけど、そんな事は無かった。
覚醒後に改めて日蓮大聖人の御書を拝読して解りました。
「信者は一人もあまさず、絶対に曼荼羅を持ちなさい」とは、どこにも書いていないんですよね。
ご在世当時も、信徒全員に御貸し下げしていたわけではなかった事が解ります。
ご在世当時は、信徒全員が御本尊様を持っていなくても仏界の生命が涌現できたのに、
御入滅後は「一家にひとつ曼荼羅がないと無理」になったんだとしたら、もうそれはおかしい事ですよね。
いつの時代から「マイ御本尊制」になったのか、不勉強なので解らないのですが・・。
バリ活の頃はこんな基本的・簡単な事にも気が付かず、創価の打ち出し通り御本尊様を「持たせる」ことが
目的になっていて、それが自他共の幸福に繋がる事なんだと思っていました。

御本尊様という、池田老人曰くの「幸福製造機」を盾に「入会」を迫るなんて、ずるい事に思えます。
新入会者が御本尊をたもつことで、功徳という飴と仏罰というムチで懐柔し、金や労働力を
どんどん組織に貢がせる。 まるで魔法陣みたいな扱いだなと今は解ります。
創価が自己矛盾を承知の上で、禁を破ってまで「本尊発行」に至ったのは、やはり新規会員獲得が
目的だったんでしょう。 
新たなる集金先と労働力を、次々に・たゆまず獲得する。それが至上命題。
本尊発行は、折伏の呼びかけは、強大な権力を保持するための手駒を増やす手段にすぎないと
いうことでしょう。

その悪の肩棒を、何も知らずに担がされていたこと・
いまだ何も知らず「善行」と信じ切って、崇高な使命と勘違いし、喜んで悪の肩棒を担いでいる人々が
居る事を、私はやっぱり看過することはできないのです。
一日も早く、ひとりでも多くの方々に気づいて欲しい、社会悪と決別して欲しいと願います。

折伏(1)

自他共の幸福を叶えるため、私も仏法対話・折伏をがんばっていた時代があります。
選挙支援や財務や新聞啓蒙に対しては、不満をもって挑んでましたが
対話や折伏に関しては「なんでやらなきゃいけないの?」と思った事は、一回もなかったです。
日蓮大聖人が「我もいたし 人をも教化候へ」と仰っている。この行動に間違いは無いと
思えたからです。 

女子部なりたての頃、仏法対話に対して幹部はこう話していました
「なにも難しい事がわからなくても、とにかくこの信心は素晴らしいという事を語って行くことが
大事です。
それが仏種仏縁となっていくからです。
仮にあなたの対話が実らなくても、時を経てその種が芽を出し花開く時が必ず来る。
あなたが植えた種が、他の誰か(学会員)によって養分を与えられ花開くことがあるのです。
とにかく種を植えて行くことが大事です。 
たとえ自分の対話が実らなくても、そこにもちゃんと功徳があります」と。
このときタイミングよく(悪く?)私に「仏種仏縁」はあるのだ!と信じ込ませてしまう出来事が起こります。
高校時代のクラスメートで、隣家が創価の拠点になっており題目がうるさいんだよねという女子が
いました。
毎日ナンミョーってあんなもんで幸せになれたら苦労しない、と、彼女は同窓会の席で言いました。
私は当時大学生で、学会活動は何もしていなかったけれど、創価の悪口を言われて腹立たしく思い
彼女に「そんなこと言ってたら、あなたも絶対信心することになるよ」と言いました。
毒鼓の縁の話をしたのです。
彼女は「そんな馬鹿な。絶対やんないよ!」と否定しました。
そんな彼女が、男子部と結婚し入会したとの情報が耳に入ったのです。
うわっ、すごい! 本当に「仏種仏縁」はあるんだと私は確信を持ってしまいました。
こんな不思議な偶然が、その後幾つかあって、それも御本尊様への絶対感をぬぐえない因でした。

日々活動もあるなか、外部の友人と約束をとりつけ遊ぶときが絶好の対話チャンス。
待ち合わせ場所に向かう道すがら、今日はどう語って行こうかなどと考えるのが当たり前になっていました。
単純に友人との久々の時間・会話を楽しもうという姿勢はそこになく、完全に下心をもって臨んでいました。
でも当時はそのこと(仏法対話)が、自他ともどもの幸せに繋がることだと信じ切っていたから。
自分はいいことをしているという意識のみだったんです。
外部を組織に引き込み、労働力と金銭を供出させ、組織や池田老人の手駒になんて当然思っていないし・
組織の黒い思惑なんて知る由もなく・全く気づいていない時代でした。

友人と会う時はいつもどこか気負っていたし、限られた時間の中で相手の中に一瞬の「隙」を見出そうと
必死でした。
「隙」とは、愚痴や悩み事・心の闇などのネガティブです。
そういった話題をちらっとでも相手が出してきたら、食らいついていました。
御書にはこう書いてあるー学会ではこう教えているーと、どんどん相手の領域に攻め込みます。

私は20代初めの折伏で痛い目を見て、もう二度と折伏なんてしないと思ったにもかかわらず
のちに折伏をした友人がいるのですが(次の記事に書きたいと思います)
この友人も創価でいう「毒鼓の縁」か、最初は激しく抵抗し、信心の話するならもう会わないと
絶縁されたこともあったくらいなのです。
その友人は(抵抗当時)いいました
「祥蘭もだけど、学会の人は全員、他人の不幸は蜜の味と思ってる。
心配してるなんて嘘で、他人の不幸につけこんで入会させようとしてるだけだ」と。
なんてこと言うの! と私は怒りました。
あなたのためを思って言ってるんじゃん。なんでわかんないの?と訴え、悲しく腹立たしくもありました。
当時は深く考えませんでしたが、あとあと思い返せば、友人が指摘した傾向は多分にあったと思います。
全く悩みの無い・自慢話しかしないような友人には時間を割いてまで会いませんでした。
そういった友人とは、私の考える仏法対話にならなかったからです。 そんな人は少なかったですが。
悩みのある人を選んで会っていたといっても間違いでは無く、それを「他人の不幸につけ込む」と
受け取られても仕方なかったと、今は解ります。

OL世代、大なり小なり、みんな悩みがありました。 
悩みをうんうんと根気強く聞いた上で、仏法対話に持ち込むのは常套手段。
「励まされた、ありがとう」って言ってくれた友人もいて、私はそんな友人に
「いま一瞬、励まされて勇気が出たというだけでは勿体無い。そんなものは消えるんだよ。
自分の心の中に、常に消えない勇気を持つことが信心なんだよ。だから一緒にやろう。祈っていこうよ」って
言ってました。
そのたびに友人たちは困~った顔していました。

いま思えば困った顔されて当たり前です。
友人たちは問題の解決を望んではいても、その方法に「創価の学会活動・信心」を選ぶほど、現実離れして
いなかった。地に足ついていたんです。
私に悩みを話してくれたのは、聞いてもらうだけでちょっと心が軽くなれば・客観的な意見を聞けたら
解決の糸口が見つかるかもと、思っていただけなんだと今は解ります。
だけど当時の私は、そうとは捉えなかった。 
友人が悩みを私に話すという事は、根本の解決を望んでいるんだと思いこみます。
創価で習った「元本の無明を晴らすには、この信心しかないんだ・語る時が来ているんだ」と、使命感に
燃えていました。

私は(何度も書きますが)生まれてこのかた全ての問題解決を「御本尊様へのご祈念と学会活動」でせよと
親から教え込まれてきた人間で、全くそのことに疑問を持たずに生きて来れた。
ある意味、幸せでした。 
御本尊様に祈念して出した全ての結果は良くても悪くても「御仏智」なのだと教わり、
それで納得していました。
しかしよくよく考えたら「現実逃避」だったって事を、つい最近まで認められませんでした。
自分なりに努力して・ご祈念もして、その結果が”よくても悪くても「御仏智」”だというのなら、
それが創価の信心でなくても良かったのです。 どこかの神頼みでもよかったんじゃないか。
けれど、御本尊様への「絶対心(感)」があると、そうはなりません。
誰よりも何よりも至高の存在は御本尊様をおいて他ない。神頼みと一緒にスンナとなっていたのです。
いま思えば、自分が外部のみんなと「育ちが違う」ことを自覚せずに生きていられたことが
不思議でなりません。
そんな私がどれだけ自分に起こった功徳を語っても、外部から「眉唾ものだな」と思われたって当然でした。

覚醒前までの私にとって仏法対話と折伏は「善い行い」だと信じて疑わないものでした。
池田老人賛美には馴染めなくとも、宗門攻撃がどう考えても整合性のとれない事でそこに違和感が
おおいにあっても、日蓮仏法で「善の連帯」を作る事・人々を幸福にしてゆく事、創価はそれをやっている
団体だから素晴らしいんだと思いこんでいました。
だから昨年、組織の実態「巨大搾取機構」に気がついた時は、腸煮えくり返る思いでしたし、
酷く落胆したし、これほどまでになく恨みました(現在進行形)。
”善の連帯”なんて耳当たりの良い言葉で「入会」勧誘を促し、それを成し遂げた会員は宿命転換が出来る・
大功徳が出るなどと「アメ」までぶら下げ、単に人の良心につけこんで、新たなるカネと労働力を貪ろうと
してきた。今現在もしている。
こんな事が許されていいんだろうか。
私はこのことを許せないし、黙って見過ごしたく無いから、こうしてブログを書いています。 

絶対感

20代前半のころお世話になった本部長は「鬼教官」と呼ばれるくらい
厳しい指導で有名でした。
2世3世の多い中、高校時代に友人から折伏を受けて入会したという叩き上げで、
親御さんが大反対する中、ひとり信心を貫いていました。
この鬼教官が恋愛ごとに特に厳しく、25歳以下の彼氏が居る子はいつも詰められて泣いていました。
どうして彼氏がいちゃいけないのか。鬼教官が語ったその理由は
「信心が歪む。恋愛によって、絶対感が揺らいでしまう。
御本尊様や池田先生より大事な物が出来てしまってはダメ。」との事。
当時の私は恋愛とは無縁だったので、他人事として聞いていましたが
「御本尊様より大事な物が出来てしまってはダメ」という部分に関しては、「わかる!」と思っていました。
私は御本尊様より大事なものなんてない。そこは自信あるわって思いました。
そんなことに自信をもつなんて、おかしいと気づいたのは随分後のことです。

25歳以上で彼氏がいる人に関しては「折伏するつもりがあるのか」を詰めていました。
当時、外部と結婚する際は相手を入会本流していくのが当然という空気があり、
できなかった場合は「あの子は使命を果たさずにお嫁に行った」などと言われる状況だったのです。
最近の事はわかりませんが、おめでた婚への理解はほぼ無かったと言っていいと思います。
男子部のおめでた婚は何も言われないのに(相手は確実に入会させられてましたが)
女子部はよろしくないと受け止められるなんて、本当に不公平というか、女性蔑視ですよね。
恋愛は25歳までするなというのも人権無視だし、なにがガンジーキングイケダなのか
さっぱりわかりません。

余談ですが、鬼教官は30歳のとき結婚して婦人部へ行きました。
結婚のけの字もおくびにださなくて、結婚する1週間前の会合席上で「いままでありがとう」と挨拶を
したときは、たまげました。 いつの間に?相手いたんだ!誰?と。
詳細は明かされず「信心のある人です」とだけ言って鬼教官は去って行きました。
当時、女子部幹部の結婚は相手や馴れ初めなどの詳細を明かさないのが通例でした。理由は知りません。
後年わかったのですが、鬼教官は組織内部における略奪愛で結婚していました。
あれだけメンバーに厳しい事を言っておきながら自分は略奪婚て一体と、呆れと共に怒りも湧きました。

最近の事情はわかりませんが、私が青年部だった当時は女子部が外部と結婚するのは
結構大変で、信心強情な人であればあるほど大変でした。
結婚に当たって創価の信心をやめてもらいたいと言われたり・相手の親御さんから御本尊様を
家に入れるような事はしないでくれと言われ、それを受け入れられなくて破談になった例が山ほど
あったのです。 
彼女らも、「御本尊様より大事なものは無い」と思っていたのです。
(多くの人はそこに「池田老人」も含んでいたかもしれません)
それくらい「絶対感」を常日頃刷り込まれていたということです。
自分以上に大事なもの・大げさではなく命を落としても守るべきは「御本尊様」という教えが
蔓延していたのです。
最近はどうなんでしょうか。原田会長はソフト路線だから変わったかもしれないですねw

通常、日本社会では「夫の家の宗派に入る」のが当然とされてきました。
相手の家の墓に入るという事が、イコールその家の宗派に入るって事につながります。
しかし「絶対感」がある女子部にそれは受け入れられない事。
この「絶対感」に苛まれ婚期を逃したり、本当に好きな人と一緒になれなかった人も数多くいるのです。
そして「絶対感」を飛び越えたいと思っても、組織の先輩や同じく「絶対感」をもつ肉親から
引きとめられ、「あなたが信仰を捨てることで孫末代まで祟られる」「三世永遠の幸福を断絶する気か」
などの仏罰で脅され、泣く泣く諦めた人もいるのです。
また、相手が反対していても御本尊様だけは持って行きなさいと強引に分所帯された人もいます。
そういった人は、罪悪感をおぼえながら御本尊様を押し入れやタンスの中に隠し、何かネガティブな
出来事が起こるたび「御本尊様をお巻きしているせいだ」と恐怖感に怯えるのです。
身内も同じことを言い、早くご安置するよう・相手を折伏するようせっついたりします。
そのことが原因で家庭不和を招いたり、離婚した人も居ます。
幸せになるためにと始めた信心が、何故こんな事になるんでしょう。

もはや宗教でも何でもない「まがいもの」が、脅迫観念ひとつで数多くの人々の人生を揺さぶってきたのです。
その人の幸福の為を思っての事なんかでは全然ない。
単純に組織に利するように仕向けるためだったのです。
どれほど罪深い事かと思います。

これは女子部を卒業してからの話ですが、私が初めての出産をした当時。
母から「昔の学会指導で、お題目をあげている最中に赤ちゃんが泣いても絶対とんでいってあやしてはダメ。
赤ちゃんは賢いから、泣けばきてもらえると学習してお題目が聞こえてくると泣くようになってしまう。
お題目中、泣いたとしても暫く放置していれば、赤ちゃんは自然と仏事が何より大事であること・
御本尊様が一番大事であることを学んでいくとあった。あなたもそうしなさいね」と言われたのです。
(こんなトンデモ指導、いまはもう無くなっていると信じたい)
それで私は恐る恐る「お母さんはそれ、実践してたの?」と尋ねたら「もちろんよ!」と返ってきて
私は酷くどんよりとしました。
「あなたは特にいい子でね。おとなしくて手がかからなかったわ。
なにが大事なのか赤ちゃんの時から、ちゃんと解ってたのね」とも。
のちのち、育児書を読むようになって解ったことですが、赤ちゃんが泣くのは「自己肯定感」を
高めるためで、泣くことで母親がすぐ抱き上げてくれたり、ケアしてくれることで自己肯定感を高めて
いくものなんだと書いてありました。
私は、自分でも自己肯定感の低い方だと常々感じていましたが、その原因見たりでした。
おとなしかったというのも、母は喜んでましたが、サイレントベビーだっただけじゃんと辛くなり。
当時すでにアンチ婦人部と化しており、ごん行唱題もたまにしかしない生活になっていたので
母の語ったトンデモ指導を自分の子育てに取り入れる事はしませんでした。

こんな事も、つい最近まで思いだしませんでした。
今この指導に対して「異常な教義」という言葉が浮かびます。
でも、聞いた当時の私は覚醒前。まだ御本尊様への「絶対感」を失っていなかったので
どう考えてもおかしい指導を受け流してしまい、母に問いただすような事はなかったのです。

しかし、赤ちゃんが泣いても御本尊様の方が大事だからと放置するとか、やっぱりおかしいし
あり得ないことです。
そういえば火事や震災の時は何をさしおいても御本尊様を持って逃げるんだぞと、創価脳の伯父から
教えられたことがあります。
たとえ小さい子供や老人が居て、そちらを連れ出せても、御本尊様をおいてきてしまったら本末転倒で
必ず一家離散になったり、助かったにしても不幸な事になる。
御本尊様さえ持ちだせれば、家族は不思議とみんな助かるんだと言ってました。 
おそらくこれも昭和30-40年代の指導なのでしょうが
誰よりも何よりも御本尊様が大事、という刷り込みがどういった目的でおこなわれたのか。
そんな指導に40-50年近くも縛られ続けている人が居るという事が、恐ろしくてたまりません。
人の尊厳を捨ててまで欲しい功徳とはいったいなんだったのか、私も己を振り返ると目眩がしてきます。
「絶対感」のせいで、過去にはからずも沢山の人を傷つけたり・いやな思いをさせてしまっただろうなと
考えると、逃げ出したい気持になるのです。
けど、私は「まちがいに気がついたから、やり直そう」と決めました。
そうやって仕切り直さないことには、こんな私でも関わってくれた善意の人たちに申し訳が立たないからです。

覚醒後、私はこの「絶対感」に随分と悩まされました。
仏罰は無いと気がついた後でも、この「絶対感」に関しては拭いきれないものがありました。
最近、やっと冷静に捉える事が出来るようになりました。 (また別に記します)
いま、火事や震災が起きても、あたりまえに真っ先に子供を助けます。
つい1年前なら、きっと迷ったと思います。
ここが創価のマインドコントロールの恐ろしさです。

覚醒しはじめたけど、迷っている方へ。
誰よりも何よりも、御本尊様や池田老人が大事だなんて、もうやめましょう。
そろそろ人間らしさを取り戻しましょう。

そして若い世代は
「絶対感なんて知らない。昔の指導だから自分たちには関係ない」なんて思うなかれ。
そうやって数多くの人々を苦しめてきた歴史の上に、あなたが今「人間主義」だなんてウットリしている
創価があるということを、知るべきです。

再始動

20代後半で組織に戻った私は、それまでの「地に足のつかなさ」を猛省していました。
御本尊様を信じていさえすれば、特に強く具体的に願う事が無くても
全てがなんとなくうまくいくと思っていた。だけど20代後半で見事にずっこけた。

再スタートにあたって、ふわふわした考えは捨て、なりたい自分になるために信心(活動)をすると
決めました。
平たく言えば、いまで言う「リア充」になろうとしたのですw
もともと池田老人が「女性抄」で言ってるような、
20代は(若いうちは)福運を積むために学会活動だけしてれば・組織に尽くせばそれでいいなんて
大嘘だと思っていました。勿論それは誰にも言いません(言えません)。
リア充じゃないのに、外部に「この信心で幸福になれる」なんて言ったって、説得力があるわけないよと
思っていたのです。 活動だけでなくプライベートも充実させるんだと必死でした。
今振り返ると信心というより「自己啓発」の域。
そのような考えに至った背景はリストラによる敗北感と、劣等感です。
これまでの自分を変える、そのための信心(活動)にしようと決め、特に生活面での勝ちにこだわり
思いこみの激しさで様々な目標を叶え、殆どを自分の思い通りにしました。
そしてすべて御本尊様のお陰、学会活動を頑張ったお陰(功徳)だと思っていました。
ただ、当時の私は思い通りになってるはずなのに気持ちに余裕がないというか、常にイライラしていました。
池田老人神格化の波に閉口することもありましたが、いちいち考えてたら私のためにならない。
このときは学会活動=福運を積む因と私は信じ切っていたし、現世利益のためにやっていました。
池田老人賛美しないかわり、事務的に神格化と折り合うことで「思考停止」していたのです。

地域組織に戻ると活動家は少なく、すぐに部長の任命をうけました。
面接の担当幹部は白蓮時代にお世話になった方で、
私がドロップアウトした経緯も御存じだったので「お帰り、よく戻って来たね」と言われたときは
涙がどっと溢れ出ました。 過去の出来事自体はもうどうでもよくなっていたのに、何故か。
私は活動を休んだ事を謝罪し、時間を取り戻すべく後輩の育成に努めていきますと決意を発表しました。
幹部は「何もあやまらなくていいよ、福運は自分持ちだからね」と言いました。
要は、休んだ分はバイト料(=福運)ないよってことでしょうか。
「もしまた(組織の活動に於いて)傷がつくようなことがあっても、余所に求めてはいけないよ。
 組織でついた傷は、組織の中でしか癒せないんです。そのことを絶対忘れないでください」と言ったのです。
この「組織でついた傷は、組織の中でしか癒せない」は、名言だと思います。
当時は感動して、面接を終えてすぐ手帳にそのフレーズを書きました。
覚醒した今は、これほど完璧なマインドコントロールの言葉ってないよねと恐れ入ります。
「先生は全部わかってくださってる」と並ぶくらい思考停止促進度高め。

久しぶりに同中に参加したら、池田老人のスピーチが「世界の偉人・賢人に学ぼう」と化しており
驚きました。
諸外国の賢者と日蓮大聖人のスピリットは同じなんだと言いたいのね、と解釈する事にしました。
しかし毎回延々と、畳みかけるように他人の言葉ばっかり引用するのはどうなんだろう?
他にネタが無いのか?と疑問がわくこともありましたが
「そういえば人間革命で、戸田先生が池田青年に信心以外の世界のさまざまな学問を教えたって書いてたな」
と思いだし、同じことを自分も弟子にやりたいんだろうなーと納得するようにしていました。
また、やたらに名誉博士号や賞をもらい始めたのもこの頃で、同中時間の2/3が
授賞式の模様という眠たい展開の時もあり、そんな同中に友人を誘って参加した日には萎えていました。
内部の私でも興味無いのに、外部はこんなの退屈にきまってんじゃん!と。
同中に友人を連れ出すのも、大事な活動の一つでしたし、参加者数や%をとっていたので必死で、
こっちとしては外部を連れて行くんだからもうちょっとマシな内容にしてよと、思ってましたが
そんなことは口が裂けても言えませんでした。

そして各種会合も明らかに変化したと感じました。
御書を学ぶ時間はなくても、池田老人のスピーチ学習・紹介の時間は必ず取られます。
幹部の話には必ず池田老人賛美が入ります。
最初は気のせいかと思ってました。が、部長になって会合を仕切る立場になったとき担当幹部から
「あなたの挨拶には一切先生の話が入っていなかった。これからは必ず入れるように」と
注意がありました。
えっ、なんで? と思ったけど、聞けませんでした。それがお流儀に変わったんだなと理解し
「わかりました」と返事。
でも自分が特に伝えたいと思うような指導がないときは無視して御書の一節を引くようにしてました。
御書の一節や御金言は今でもすらすらでてくるのに、なぜだか池田老人の指導や言葉はでてきません。
私は読書が好きだけど、池田老人の指導集や作品は読み難いものが多かった。
すっと頭に入って来ないのです。
いま思えば同中スピーチも、継ぎはぎ編集で動画は文脈おかしくなってる事が多かったですよね。
当時、右から左へ聞き流しつつ「あとで新聞読めばいいや」と思ってましたw
アツいフレーズを山ほどちりばめて、結局本意がよくわからない長文が多いなと、最近ネットで
「生死一大事血脈抄講義」の一部分を読んでそう思いました。
あれを読んで内容が理解できる創価脳の人達ってある意味すごいと思います。尊敬はしませんが。

また、部の日(女子部の小単位の会合)に必ず本部以上の幹部を呼んで開催するようお達しもありました。
幹部指導は絶対と言っていいほど池田老人の話だし、ある時など幹部が池田夫妻のイメージビデオ?を
持参し、ビデオ学習会と称し30分ほど集まったみんなでビデオを見るという事がありました。
内容は、本当にイメージビデオで、夫妻が研修道場を散歩したり・自宅でのごん行風景などなど。
こんなの見てなにが楽しいの?どこが学習なの?私は不満でしたが、口に出す事はできませんでした。
今年に入ってワイドショーを見ていたら、北朝鮮の将軍様がイメージビデオを公開したと報道しており、
将軍様が老婆を激励しているシーンでした。あれ?こんな動画どっかで見た事あるわ・・と
思いだしたのが、件の池田夫妻ビデオでした。
北に詳しいパネリスト曰く、このような動画を一般に公開する事を「プロパガンダ」だと話していて、
前々からおもっていたけど、ほんと創価のやることって北路線で、どちらが真似してるのかは知りませんが
いったい何なのかと思います。 
上記のことは、私が20代前半(宗門攻撃まっさかり)当時には全くなかった事でした。

この時期さかんに幹部が会合で話していた内容は
これだけ数多くの顕彰・特別・名誉称号を池田老人と組織が世界から受けるようになったのに、
一切そのことが一般のマスコミ報道にのらないことを
「先生がすばらしすぎることを、世間は羨み妬んでいる。だから報道しないのだ」w
この件に関しては、池田老人も同中スピーチで触れていた記憶があります。
猶多怨嫉をひいて「自分は大聖人が御書に仰せ通りの目に遭っている、私だけです。
だからこそ本物なのです!」キリッ!とやってました。 
世界は理解している。日本社会だけが、先生の凄さ偉大さに気付いていない、気づかないふりをし、
認めようとしない。
日蓮が生まれた、南無妙法蓮華経が発せられた国であるにもかかわらず、このありさま。
これこそが日本国の「一凶」なのだ。 だから広宣流布が必要なのだ。 という指導もありました。
マインドコントロール下にあった私は、疑う事もなく「マスコミって偏狭なんだな」とそっくりそのまま
受け止めていました。今となればお笑いです。

「ノーベル平和賞も、先生に打診が来ている。だけど、先生は断っている。側近も断っている。
なぜなら、先生は命を狙われていて、国外に出る事が出来ないから授賞式に行けない。
それを察したノーベル財団が、ノーベル家の家宝を先生に贈った」という話もありましたね。
しかし「授賞式に行けないから断ってる」は、嘘でした。
2010年に受賞した劉 暁波氏は投獄中で授賞式に出席していません。 
さきほどwikiを見たら、授賞式に出られなくても授与した例はこれより前にもあり、
1935年にカール・フォン・オシエツキー氏、1991年にアウンサンスーチー氏も受賞しています。
会員は馬鹿で情弱だから解らないだろうと思ったのか・幹部もこの事実を知らずに上から流れてきた話を
そのまま現場におとしたのか。どちらかは解りませんが、お粗末です。

どこまで欲どおしい爺さまなのかと、必死感が漂い、うすら寒くすらあります。
どうしても認めてもらいたかったんでしょうか、サルでもわかる(?)世界的財団から賞をもらえれば
一般社会(マスコミ)は絶対無視できませんもんね。

これほど熱烈に会員から愛されても、まだまだ足りなくて、名誉欲に走るだなんて困った人だと思います。
そんな意見を幹部の伯母に話したところ、鼻で笑われ
「あなた、なんにも知らないのね。
先生は、(顕彰などを)自分に貰った訳じゃない・会員のみんながもらった賞だって言ってるの。
先生はあくまでも学会の代表として受け取っているだけなのよ。
一介の庶民の私たちが、そんな賞をいただける機会なんてない。
だけど庶民が力を合わせたら頂けるってことなの。素晴らしいでしょ?誇らしい事なの!」とのことでした。
また、別の幹部は
「先生は自分亡きあとの創価学会が、世間から笑われないようにするためにも、世界的権威の団体にしようと
賞をお受けすることにしたのだ。後継に対する有りがたき配慮で、先手を打ってくださっている」
と言ってました。

タダでもらえるならいいけどさ、頂戴するためにいっぱいお金使ってるじゃん。
そんな賞いらないから金の出所の財務を止めればいいのにと、私は思うのですが。
(もっとも私は、もう財務はしてませんけど)
バリ活の皆さんは、伯母や幹部が言うような説明を素直にありがたがったり・喜べるものなのでしょうか?
私にはまったく理解ができません。

死について(2)

創価の人達の死生観は時に残酷で、デリカシーもなく、
外部や一般社会にはまったく受け入れがたいものだと、覚醒後に気付きました。

バリ活時代、組織の方が何名か亡くなられました。
壮年部が多かったですが皆さん50~60代で、がんで亡くなられていました。
うち、がんであることを公表したひとは1人だけで、他の方は「そういえば最近会合で見ないな?」と
思ったら、お葬式に呼ばれ「末期がんだった」と知るというパターンでした。
当時はなんとも思って無かったので意識しませんでしたが、どうも役職が上になればなるほど、がんであることを
隠すみたいですね。
それはメンバーに動揺を与えてはいけないと思うからなのでしょう。
がんで亡くなる、現代では珍しい事ではなく、死因の1位です。
それでも創価の人達にとっては「常日頃から福運を積んでいる」だけに、病死はネガティブな事のようです。
余談ですが、元気で会合に参加していた80代のおばあちゃんが急に姿を見せなくなり、
「足腰が弱くなってきたから」とその家族は説明していましたが、実は痴呆になったからで
その後、施設で亡くなられました。お見舞いの一つも行けなかったと、地元組織の人たちが残念がると
やはり痴呆になったなんて公表しづらかった、と家族の方は言っていたそうです。

今思いましたが、上記事情って池田老人とも繋がってますよね。
一切姿を見せなくても活動家が誰も何も言わないのは、自分たちがネガティブな事象を日常的に隠すように
大本営も同じくだとしたら、ショックで確かめたくないとの思いが沈黙に繋がっているんじゃないかと
邪推します。
(余談ですが、この件について現役活動家の母にたずねたところ
「先生は後事をすべて弟子に託されたんだから、中途半端に出て行ったら張り切っている弟子の顔を
潰してしまうので静かにされている」という答えが返ってきました。
新聞紙上の近影や、学園を車で訪れている、アフリカのメンバーが来た時は車の中から激励した等の
エピソードから「お元気でいる」と確信しているそうです)

淡々・粛々と人の死を弔う。そこで終わればいいのに、創価の人はそれでは済まない。
そこに美談エピソードや、ポジティブ要素を求めます。
たとえば、親御さんの死にふれて未活だった家族が「弔いがしたい」とごん行をするようになったとか・
分所帯で御本尊様をお受けするなどのエピソードがあると「あの人は死でもって子供を折伏した!」と
言うのです。 これは美談です。
葬儀にご近所の外部が多数参列すると「学会理解の輪が広がった」といいます。
外部の人がうっかりつられて唱題に加わるとそれも「折伏」と言う事もあります。
皆さんはただ、常識をわきまえてご近所づきあいの一環で参列されたのだと思いますが。

これも私が青年部だったときに未来部が交通事故で亡くなるという痛ましく悲しい事がありました。
そちらのお母さんは婦人部で頑張っている方でしたが、大変ショックをうけられて暫く活動に出てきませんでした。
ある日、その一家が引っ越しをすることになったと婦人部づてに聞きました。
思い出の詰まった住まい・町にいることが辛くなったんだろうか、と私が推察していると、婦人部は
「(お子さんが亡くなったことで)補償や保険金が沢山入ったみたいで、新築を買ったのよ。
 やっぱり学会員だから、福運よね~」と。
たとえそれが現実だったにしても、こんな言い方アリなの?と私はドン引きしました。
最愛の我が子が亡くなっても、思いがけないお金が入ったから「福運」と捉える。
これこそ「創価の常識は世間の非常識」じゃないでしょうか。

私の父も、数年前に不慮の事故がきっかけで救急搬送、数日後に亡くなったのです。
このときもいろいろなことがありました。
父の突然すぎる死を受け入れられず、茫然としていた私に対して
母方の親戚(バリ活)は言いました。
「きっとお父さんは(組織の活動に反対していたので)お母さんに思う存分学会活動をさせてあげたくて
 早くに逝ってくれたんだよ」と。
私は、そんなものなのか?!と思ったけれど、何も返事ができませんでした(ちなみに覚醒前です)。

親戚がまったく同じ事を、姉にも別の場面で言っていた事をつい最近知りました。
組織アンチでお父さん子の姉は「ふざけんな!その言葉を取り消して謝れ」と、つっかかっていったそうです。
それがまことに普通の「人間らしい」反応だと思います。
学会活動の邪魔だったから逝ったと片付けられるなんて、ありえないことです。
覚醒後のいま、これを思い出すと私は怒りを通り越して涙がでてきます。そんなわけないだろう、と。

けど、覚醒前(未活だったけど)の私は、「その言葉を取り消して謝れ」とは全く思わなかった。
父の死に対して、組織に都合のいい理由をつけられたにもかかわらず、明確な怒りは湧かなかったのです。
ここがマインドコントロールの怖さだと思います。

父は入会はしていましたが、折伏大行進時代の無茶な状況下の事で、組織アンチでした。
宗門と蜜月の頃は寺や御山に足を運んでいましたが、学会の会館や会合に行った事は
一度もなかったのです。
父はとくに池田老人を嫌っており、宗教団体の政治参画はおかしいといつも言っていました。
父の言っていた事は正しかったのに、一切聞く耳を持たなかった私は大馬鹿だったと今更ながら悔やまれます。

葬儀は母と創価の親戚ごり押しで学会(友人)葬でした。 
一部親族からは反対意見もでましたが、未活でも御本尊様を信じていた私は母に加担しました。
(いま思えば、父はどう弔って欲しかったのだろうかと、とても心が痛みます)
学会葬は何度も参加していましたが、父のようなアンチの学会葬は初めての経験でした。
組織からは「名誉OO長」の任命額と池田老人のメッセージが届きました。
戒名がもらえない代わりに、学会から名誉役職がもらえるのです。意味不明です。
母に「お父さん、理解者でもなかったのに。こんなものくれるんだね」と言うと
「これはお父さんにもらったんじゃない、私の信心で頂けたの!」と嬉しそうに言うので
それってありなの?と思いながら、モヤモヤしていました。
儀典長(僧侶のかわりに導師をする創価幹部)が、あいさつでシナリオ通りに
「故人の生前の強情な信心云々」と読み上げた時も、心がモヤモヤしました。
父がアンチで、壮年部の家庭訪問に一切応対しなかったことなどなど、組織の人はみーんな知ってたのに。
せめて少しシナリオを書き変える等の配慮はできなかったのかと、思いましたが誰にも言えませんでした。
当時の私はまだ仏罰を強く強く信じていたから、自分の心に湧いてくる否定的な思いをおさえこむ傾向に
ありました。

父の死後、突然の死の意味をずっと考えていました。
創価では「すべてのことには意味がある」と教えられていたので、突然の父の死は私に対して
どんなメッセージだったのか、何の意味があるのか考えていたのです。
信心反対の親が亡くなった際、最後に学会理解して逝ったなどの美談エピソードが会合上で語られて
いました。うちもそうなるのかな?と青年部時代、ぼんやりと思っていました。
しかし父は意識不明で亡くなりました。アンチのまま逝ったと思います。
美談エピソードどころか、学会葬に反対したきょうだい2人vs母の肩をもった私は大喧嘩になりました。
父方の伯母(学会葬に反対)とも私は激しく言い争いました。
誰も喪主の母には言えなかったので、私に学会葬を考え直し、家族葬など宗教色のないセレモニーにするよう
仲介役を頼んできたのですが、私が断固拒否したからです。
マインドコントロールに罹った人に仲介を頼むのは無理があると思うのです(言い訳)。
元々仲良くなかったけれど、きょうだいから絶縁宣言まで飛び出したことに、当時まだ創価脳の私でも
さすがに落ち込んだし、こんな状況の何処にも「ポジティブ」要素は見つけ出せませんでした。 
(余談ですが、姉とは昨年和解しております)
当時の私は覚醒前で未活動でしたから、父の死は「自分が信心(活動)をおろそかにしたせい(罰)」とも
考えました。
だけど、自分の居住地域の婦人部がアレすぎてとてもじゃないけれど、父のお弔いにと活動に戻る気には
全くなれませんでした。

覚醒後は「意味なんかいらないんだ」と思うようになりました。
結局この「すべてのことには意味がある」も創価のマインドコントロールのひとつの手法で
どんな些細な事でも、全部を信心へと向けるための・執着心を煽るためのものだったと解ったから。

そして学会員が同志の「突然の・早すぎる死」に対していいエピソードや意味をやたらに欲しがるのは、
常に学会活動で功徳と福運を積んでいるという建前上、死に対しての「ポジティブ」要素が
絶対に必要だからなのでしょう。タダでは死んでません的な。

究極の理想の師匠・永遠の指導者のエンディングは、どのようなものになるんでしょうね。
Category: 覚醒の伏線

死について(1)

子供のころから母に「臨終」について言い聞かされてきました。
昭和30-40年代ころの指導をベースにしたもので
「死ぬ際に人生の全てが出る・臨終こそ人生の総決算」というものです。
どんなに生きている間が華やかできらびやかで豊かであっても、晩年がみじめであったり、
その死が孤独で悲惨なものであれば、その人の一生は空しいものとなる。
大聖人様のように(入滅の)時を知り身辺を整え、布団の上で安らかに、家族に(弟子に)みとられて
死にたければ信心に励みなさい、と教わりました。
世間一般でも言われる通り、健康長寿の老衰死・自然死が一番良いモデルケースという意味だと思います。
そういえば池田老人も「健康長寿」の押印和紙や色紙を会員に贈ってますよね。
私も貰いましたw

バリ活時代に外部の方からしょっちゅう聞かされた話ですが
「学会員は他宗派の葬儀に顔を出しては仏さんの”死相格付け”をする。
邪宗を信じていたからあんな死相になるんだなどと噂する。非常識だ」とありました。
(その昔、婦人部員から「O宗だとこんな死相」話を聞かされたことも実際にありました)
こんなエピソードや、私が母から教わった指導からも伺えるとおり、この信心をしていれば素晴らしい最期
(健康長寿の末の、自然死・老衰死・成仏の相)を迎える事ができる・その裏返しの刷り込みもあったのだと
思います。
しかし近年、創価内部でも不審死があったり、病死、突然死も相次いでいます。
最近では「どのような死であっても、遺された家族が幸福であれば大勝利」という指導に変わったようです。
(実際、私も父が亡くなった時に幹部からそのように言われました。
未活の覚醒前でしたが、いや~な気分になった事をおぼえています)

覚醒後一年のあいだに、私の知っている組織の人が多数亡くなられました。
詳細は伏せますが、病死・事故死・孤独死でした。
それらの死について、突然で早すぎる死だと私は感じましたし、ショッキングというか
お気の毒で言葉が出ないと思う事もありました。
不謹慎だと弁えたうえで、「あんなに熱心に活動してたのに(?)」と感じたケースもありました。
組織の人は、いろいろ理由をつけ無理にでもその死を「正当化」というか「ポジティブなもの」にしようと
していましたが、私からすればそんなものはこじつけにしか聞こえず、故人とそのご家族に対しても
とても失礼な事柄に思えました。 

たとえば子供の無い夫婦だったので(ご主人が先立った事を)
「子供が無いだけましだった。奥さんは再婚のチャンスがある」という人が居ました。
たとえば新築したばかりのご家庭だったので
「死亡保険で住宅ローンはなくなるし、残された家族に迷惑をかけてないから功徳だった」という人が居ました。
たとえばアンチ学会の喪主(となるはずの子供)と連絡がつかなかったので
「学会葬でおくることができた。もし子供が来ていたら他の宗派でおくられたかもしれない。
 最高のお弔いをしてもらう事が出来てあの人は幸せだった」という人が居ました。
この発言の背景は繰り返しになりますが
「遺された家族が幸福であれば、路頭に迷わなければ、その死がどのようなものであっても大勝利」
という最近の創価の指導からくるもので、
そこには「死因」における「ネガティブ感」を覆い隠そうという意図が私には感じられたのです。

創価の人は「宿業・因縁」話が好きなのに、創価身内の「死」に対しては、そのようなことを一切言いません。
どれだけ早すぎる・理不尽と思える死に対しても「過去世の宿業」とは言いません(最近は)。
必ず「宿命転換をして安詳として霊山へ旅立った」って事にします。
勿論それが故人への敬意で当然のことなのですが、学会員は日々の学会活動で功徳・福運を積んでいるという
大義名分も関係してくるのでしょう。
↑ここで「自己完結」「自己満足」してくれれば、まだましなのですが。

それにしても、仏敵(反逆者、脱会者、退転者、他宗信仰者)の「病」や「死」に対して容赦ないのは
どうしてでしょうか。
仏罰が下ったんだ、現証だ、悲惨な最期の姿だと喧伝します。創価の死とは違う事を強調します。
故人への敬意など微塵もありません。

ここ最近、組織外の方も亡くなられました。亡き父の友人と、実家ご近所の高齢者です。
亡き父の友人は心臓発作でしたが母は「OO教なんて信じているからそうなるのよ」といい、
高齢者は末期がんですが「氏子総代なんてやるからそうなるのよ」と言いました。
なんたる言い草と、あいた口がふさがりませんでした。
組織の中で同じような死があったら、なんだかんだと正当化したり美談をもってくるだろうに。

10年ほど前でしたが四者の会合で、退転者の(不幸な)死が語られることがありました。
話をしている時の幹部は、神妙な顔つきでしたが「学会正義が証明された」と言う時は、がっと目を
見開いて、勝ち誇ったようでした。
最近、原島崇さんが亡くなった際の状況を書かれた文章をネットで見ましたが、組織目線で書かれたものは
これでもかっていうほど酷い内容でした。
が、組織目線でないサイトでは、原島さんが元々健康ではなかったこと・組織に居る間すでにストレスから健康を
害しており、うつ病にもなっていたことが奥さんの証言と共に書かれていました。
(それが契機で脱会後も長らく体調不良をひきずっておられたのは想像に難くありません。
組織や信仰に対し、純粋・真面目であればあるほど、反動もきついとおもいます) 
一人の人物の晩年も、書き方ひとつでここまで印象が違うものかと感心しましたが、明らかに前者は「仏罰」を意識し
悪意を持って書かれていると取れる内容でした。

人の死について、あれこれ言う事が、どれだけ非常識なのかを組織の人はわかっていなさすぎです。
そして「組織に利する」と信じてやっているその行動が、どれだけ法を・自身を貶めているかを
いまいちど考えた方がいいと思います。

40代を過ぎ、訃報が身近に増えてきた今わかったことは
私が幼少期に教わった「理想の臨終」にあてはまる死に方は、レアケースだということです。
私が見てきた死に関して言えば、健康長寿の自然死は祖母しかいません。 
その後、信心強情だった母方親戚も亡くなりましたが、残念ながら家族が誰も死に目に会えなかったり
意識不明のまま逝かれました(死相はそれなりに綺麗でしたが、祖母ほどではありません)。
バリ活で、本当に真面目にやっておられても、長年の功労者であっても、病気や事故で亡くなられます。
何度も手術や入退院を繰り返された末・長い闘病生活の末・不慮の事故・などなど。
悲惨な死の報にふれる事もあります。
それは、一般社会に於いても同じです。
「死」は早かれ遅かれ、全ての人に平等に訪れること。
どんな「死」であろうとも、そこに優劣(死相云々含め)をつけるなんて無意味で悪趣味だと思います。
しかし無理やりでも同志の「死」をポジティブにとらえようとする創価の人達の姿が、滑稽に思えはじめました。
他人の死に於いても必死なのです。
自分たちの信仰が優れていて特別だってことが死においても証明されないと、不安でたまらないのでしょう。

このポジティブな「死」に気がついた時、閃きました。
自分たちの活動の正当性を主張するためには、退転者には「不幸」に「堕地獄」に、「辛い悲惨な死」を
迎えてもらわないと困るのです。そうならないと都合が悪いんです。
それが創価の組織で語られる「仏罰」です。
たとえばそれが誰人の人生上にも起こりうる事柄であったとしても、「創価を捨てた者に降りかかる
悲惨な出来事」として恐ろしげに語る。
マインドコントロールに罹った状態でそれを耳にするから「脅威」となるのです。
外部が同じ話を聞いたって、「ふーん」でおしまいです。

こう書くと
「仏罰について日蓮大聖人様がこう仰っている!」と、御書をひいてバリ活が抗議してきそうですがw
もはや創価が日蓮大聖人を語ってはいけないと思います。御書で「これが文証だ」というのも無効です。
なので「創価における仏罰」と書きますが、その正体は自分の影をバケモノと見て怯えるが如。
自分の心が、自分を縛りあげていた。それだけの話なのだと思うに至りました。
「この信仰を・創価学会を捨てるような事があれば罰が当たる」そう決めているのは、私自身の心だったんです。

生老病死と同じく、人生における困難も、大なり小なり誰人も避けては通れないことです。 
仮に、組織を出た後にネガティブな事象がおこったとして、それが組織に背いたペナルティかどうかは、
自分の心が決めればいいこと。
「仏罰」と捉えてしまう心があるうちは、まだマインドコントロールから解放されていないんでしょう。
そうしてまた組織に戻ってしまえばもとの木阿弥です。
思考停止を解き、冷静に、時間をかけて一般社会と・創価内とでおこっている「現実」を見て行けば
仏罰なんてないことがわかります。

これは余談ですが、昨年、覚醒後すぐのころに正宗のことを調べていたら、
あの仏敵と呼ばれ、数十万人の学会員に不幸を祈念されたであろう日顕氏が90歳を迎えて元気で
信者さんの前にも姿を現していると知り、拍子抜けしました。 
まさに「健康長寿」 皮肉な物ですね?!
このことを創価の活動家たちは、知ってるんだろうか?と、母に話してみたら
「んまー!とっくに死んだと思ってたのに!」と驚いていました。
学会における最大の仏敵で気になってしょうがない相手のはずですが、組織や創価新報では現状をお知らせ
しないようですw 
どうしてなんでしょうねー?
Category: 覚醒の伏線

契約

初めての折伏が実ったのは、20代前半で白蓮をやっていたときです。
学生時代のバイト仲間で、彼女は芸能関係の仕事を目指しておりフリーターをしながら
一人暮らしで頑張っていました。
彼女に仏法の話をすると、スピリチュアルな世界に興味を持っていたと関心を示してくれ
対話を重ねて行く中、組織で青年部中心のイベントが開催されることになりました。
会友さんも参加してよいとのことで、私は彼女に出演者として出てみない?と持ちかけます。
舞台に上がる事を熱望していた彼女は大喜びでOKしました。
会員と合同の練習なので、必ず開始時にごん行唱題をします。練習場所は創価の会館でした。
彼女はそれも抵抗感なく受け止め、御経を読んでみたかったんだ~なんて言っていました。
イベント後、何名かの会友さんが入会希望し本流に至りました。彼女もその一人。
じっくりひざ詰めで話しあってからというよりは、ほぼイベント後の勢いだったのです。
私はもう少し先でもいいと思ってましたが、状況を知る幹部から「時が来てるんだよ・
あなたの腹が決まれば彼女の腹もすんなり決まる」と後押しもあり、本流となりました。
暫くは遠方(電車で1時間かかるところに彼女は住んでました)から私の地域に通い、各種会合に参加。
彼女が来ると地域のメンバーは大歓迎で、ちやほやされていました。
数カ月もたつと彼女が会合の場に居る事は日常になります。
そして、地域の幹部が彼女の統監カードを居住地域へ移そうと言ってきました。
私はまだ時期が早いんじゃ?と抵抗しましたが、翌年に選挙を控えていたのです。
「一日も早く地元で馴染んでもらうことが、彼女のためにも地域組織のためにもなる」と押し切られました。
彼女にその旨を説明すると、不安そうではありましたが了承してくれました。

その後、彼女には時折手紙を書いたり電話を入れていました。いつも元気そうでしたが、
地元組織の活動には出ていない様子で、知り合いが誰も居ないから面白くないという回答でした。
彼女としては、私の地域にいた時のような「歓迎感」がなかったのも、つまらなかったようです。
次第に電話にでなくなり、手紙は送るものの返事は来ません。
そして選挙直前、彼女の地域の女子部長から私に連絡が入ります。
全く会うことができません・電話も通じないし、新聞が溜まってます。何かあったんじゃないですか?と。
当時は携帯電話も普及していません。驚いて家を訪ねると既に引っ越していました。
即、幹部に指導を受けると「とにかく相手を探しなさい。そして御本尊様の所在を確認しなさい。
まだ彼女の手元にあるようなら、預かって来なさい。とにかく不敬だけは絶対に阻止です。
不敬があれば、あなたも友人も不幸になってしまう」と言われたのです。
すぐに交友関係をあたり、引っ越し先を突き止めて家をたずねました(ストーカーっぽいですが・・)。
ドア越しの会話しか許されず、御本尊様をもう信じていないなら私が持って帰るから渡して欲しいと伝えると 
彼女は「引っ越し荷物の中にあると思うがほどいていないので、見つかったら送る」と言いました。
その言葉を信じたのですが、待てど暮らせど送って来ません。
電話番号を教えてもらえなかったので、何度も何度も手紙を送りましたがなしのつぶてです。

数年後、共通の友人の結婚式で再会することができ、直接御本尊様はどうなったのかを聞きました。
彼女は「実は引っ越しの際中に紛失していた」と答えました。
私はひどく落胆しました。だったら何でもっと早く言ってくれなかったの?
紛失では無く、自分で捨てたんじゃないの?(それが一番怖い)と質問。
彼女の答えは
「捨てたんじゃないよ、本当に紛失した。早く言えばよかったのに言い辛くて、ごめんね。
 本当に申し訳ないと思っている」怯えたような話し方でした。
私は、この結果に心底がっかりしたし、相手との温度差を思い知って愕然としました。
私にとっては命より大事な御本尊様。うっかり紛失なんて絶対考えられない。
だけど彼女にとっては「ただの曼荼羅・巻き物」でしかなかったんでしょう。
その後、彼女は他県へ引っ越して行きました。以降、どうしているのか知りません。
私は御本尊様を紛失した彼女を許す事はできず、これからも変わらぬ友情を、なんてこと言えませんでした。
仏法に照らすとどうなるのか・自身の振る舞いについて、じっくり考える事もなく
組織がやっていたように彼女を「反逆・退転者」扱いし、切り捨てました。
(もっとも、彼女のほうが私と連絡を絶ち・共通の知人にも所在は絶対に言わないでと口止めしました。
それほど私は嫌われ・厄介がられたということです。
覚醒した今は、彼女がどこでどうしているか気になります。もし会う事が出来たら、追い詰めてしまった事など
謝罪がしたいです)

この顛末を幹部に報告すると
「そうなってしまったものは仕方が無い。
相手の分もあなたが罪滅ぼしと恩返しをしていかなければいけない」と、さらに活動に励むよう指導を
受けました。

この経験で、私は二度と折伏本流なんてしないでおこうと思いました。
「友を幸せに」と思ってやった行動が、場合によっては自他ともどもの不幸を呼ぶなんて恐ろしすぎると
思ったのです。
また折伏相手が結果的に不敬をした、という事実は、覚醒後もしばらく私にとって脅威でありつづけました。
生活の中で少しでもネガティブな出来事があると「あの時の罪業がでたのか?」と考えたり。

覚醒後に宗教史の本を読んでいて、海外の一神教が「神との契約」で成り立っていると知りました。
また、日本の宗教においては稲荷信仰がそれと近い気がします。
あくまでも「契約」なので、反故にするとそれなりのペナルティがあるよということです。

創価における、御本尊様をたもつ・信心をたもつということもこの「契約」なんだなと
覚醒後に解りました。

ただその「ペナルティ」は、本当にあるのかどうか?
若い時は母や組織幹部や先輩に聞かされる「退転後」談を、ただただ恐れていましたが
40代を過ぎ一般社会と・組織内と、様々な人間模様を見て行くうち、なんとも言えないと感じるようになりました。
いま現在の答えは「ペナルティかどうかを決めるのは自分の心」だということです。
他人や外野が決める事じゃないんです。
そう思えるようになったら、創価でいわれている「仏罰」は怖くなくなりました。

この考えに至るまでのことは次の記事に書きます。

宿業

私が再び組織の活動に戻ったきっかけは、職場のリストラでした。
業績不振に伴い自分の所属していた部門がなくなり、他の社員は配置換え・関連会社へ出向と
次々決めて行くのですが、私だけ受け入れ先が決まらずに退職。

この職場は、活動家時代に「祈って(学会活動に)動いて勝ち取った(と思いこんでいた)」転職先でも
ありました。
そんな職場をリストラされたとあって、かなり思う所がありました。
そこへ母が追い打ちをかけます「それみたことか」と。
落ち込む娘へ親が言うような言葉じゃないと思うんですがw 本当の話です。
「学会活動をおろそかにしたから、こんな事になるんだよ?前から言ってたとおりになったでしょう」と。
私は反論できませんでした。
自分のそれまでの人生において、小さな挫折は数多くありましたが、それらと比較にならないほど
初めて味わった大きな挫折だったと思います。
既に20代後半になっていた私は、焦っていました。
周囲はどんどん結婚し、家庭を築いたり、婚約を決めた友人も何人も居ました。
仕事が順調な友達も、相応のポジションを得ている。
自分だけ何も無くなってしまったように感じられ、ひどくみじめで自信喪失しました。
こんな結果になったのは母の言った通り「活動をさぼったから、功徳が失われた、罰があたったのだ」と
私は考えました。
幼少期から刷り込まれた「功徳」というアメと「罰論」というムチは、窮地に立った時にこそ威力を発揮します。
弱みにつけ込まれているようなものですが、物の考え方の全てを「信心」を中心に教えられて育つと
解決法はこれしかなくなってしまうのです。

罰論のムチに打たれ、心を入れ変えたように毎日一万遍唱題をし、再就職先を探し面接を受ける。
母はすぐにでも組織の活動に戻るよう言いましたが、無職になって女子部の活動に戻ったなんて
プライドが許さなかったから、再就職が決まるまでは活動に出ないと決めていました。
組織では、無職のメンバーに対し風当たりがきつかった。仕事があってこそ社会人として一人前。
当時フリーターも敬遠されており、正社員しか認めないような空気がありました。
面接を受けても連敗中、かつての女子部同志が家庭訪問に来てくれました。
水の信心を続けていた彼女は圏幹部になっており、私は素直に現状を話しました。
彼女は「それみたことか」とは言わず、「絶対に大丈夫。就職勝ち取っていこう。私も祈ってるから」と
励ましてくれました。
弱っていた心に、彼女の言葉は嬉しくて、早く採用をもらえるよう頑張ろうと決意。
数週間後、好条件の会社から採用されました。(しかし入社してみると、若干ブラック企業でした)
「御本尊様はやっぱりすごい」 と、私は薄れつつあった確信を取り戻し、
これまでさぼった分の罪滅ぼしをすべく、活動を再開しました。
久しぶりに戻った現場では、日顕宗撲滅が影を潜めたかわりに「池田老人神格化」がメインテーマに
なっていました。
師弟観のない私は大いに困惑しながらも、年齢を重ねたぶん狡猾になって、ある意味「自分の幸福のためだけ」に
割り切って活動に勤しみました。 後日書きます。

覚醒後、これら自分の信心歴を振り返ってシンプルな疑問が浮かんだのですが
「どうして私だけが、信心で困難を乗り越えなければならないのか、考えなかったんだろうか?」という
事でした。
周囲の友人たちは、信心などしなくても(勿論、言わないだけで困難や悩みもあったのでしょうが)
順調に自分の人生を歩んでいっている。 信心以外の方法でも乗り切れるということでしょう。
なんで私だけ?とは考えず、すぐに”組織の活動をしていなかったから下り坂がやってきた”と思ったのか。
それは母親からの刷り込みもありますが、「三世の生命」における過去世の宿業を信じていたからでした。
何の障害も困難も無く進んで行く人は、宿業がまだ出ていないだけ(これから先に出る可能性がある)・
もしくは前世で善根を積んできた人。 私が今こんな目に遭っているのは、過去世の宿業が出たから。
私は当時この「宿業・因縁」も強く信じていました。
前世なんて(霊的能力もないですし)確かめようもないけど、どれだけ考えても答えの出ない苦悩に対して
「宿業」という名前が与えられたら、それで納得できるから楽だった(?)のかもしれません。
勿論、それを「宿業」と受け流すだけではなく現世で「転換」していけることが、日蓮大聖人の仏法・信心の
醍醐味と捉えていました。
その宿命(宿業)転換の方法として、もっとも早道と組織で教えられたのは「折伏行」で、
友人に仏法を語り入会へと導いて行く事・御本尊様を御受けしてもらうことでした。
創価ではそこに「具体的な数値目標」を求められました。四者でいつまでにO世帯というふうに。
何故に、数値目標が必要なのか。当時は深く考えませんでしたが、今はこれこそがおかしいと思います。
数合わせに必死な現場は、なんでもいいから出来ないか(折伏数をあげられないか)と
自活して家を出ている学会2・3世(自覚なし)の分所帯を行うなど、苦し紛れの策をとっていました。
私の母も、期限に拘りすぎて折伏相手を怒らせてしまう(どうしてそんなに急かすのか・大切な事だから
ゆっくり考えたいのにといわれる)事が何度もあり、そのたびに愚痴を言っていますが、馬鹿だと思います。
「池田先生のために必ず結果を出そう」と、そんな言葉もよく聞かれました。
既に友の幸福のためではなく、組織の偉い人を喜ばせるため(?)になっているんだから、本末転倒です。
そんなこともわからなくなって「先生のために」それが活動の目的になってしまっていること自体
私は恐ろしい事だと思うのです。

未活時代

組織の活動に参加しなくなった私は、「普通のOL生活」を数年間楽しみました。
バリ活だったときは、定時退社でわきめもふらず帰宅する事がほとんど。
通勤に時間がかかったので、19時からの会合に間に合うよう「時間との闘い」でした。
当時の女子部では「会合に遅れない事も祈っていかなければならない」とし、残業がちで会合に
遅れるとか・間に合わず不参加だったメンバーに対して「時間革命ができていない、やっていこう」と
幹部が指導していました。
ちゃんと祈ってないからそうなるんだよ、という理屈で責めるのです。
いま思えば、どうしようもない時だってあるでしょって感じなのですが、当時は「そういうものだ」と
真に受け、素直に信じていました。
そして「時間革命ができてない」と注意されたくないがために必死で早く帰宅していたのです。
これは大聖人の教え云々ではなく、完全なる組織統制のための学会教義だったんでしょう。
当時の私は、それをごっちゃにして同じものと捉えていました。
そういえば仕事で会合に遅れがち・休みがちだったメンバーに対し
「もっと会合に出やすい職場に就かせてくださいと祈念していくことが大事」という指導もありました。
他の事柄もですが、とにかく組織から離れないよう・組織の身近で世界を終わらせるような生活指導が
当時は多々あったのです。
(余談。牙城会の人と交際した事がありますが、彼は指導どおり「会館から30分圏内」の会社に転職しました)
結婚後も地元で婦人部になって「地元に恩返し」せよという指導も、私の住んでいた地域ではありました。
「組織から離れない事が幸せ」という価値観で全ての生活指導がまとめられていました。
学会活動=仏事で、生活のすべとになるように、がちがちに縛りあげようとしていたとしか思えません。

社内で個人的な飲みや遊びに誘われても、学会日程を最優先で殆ど断ることが常だった私は、
次第に誘われなくなっていました。
でも、バリ活の頃それを気にしたことはなかったです。
学会活動で「永遠の幸福への因」を積んでいるのだから、取るに足りない事だった・・というよりも
活動が忙しすぎてそんなところまで気にしていられなかったのが実情です。
職場での学会宣言もしていなかったので、周囲から「退社後にアルバイトでもしているんだろう」と思われて
いたことを、未活動になり職場づきあいをはじめてすぐに知って、少なからずショックでした。
そんな風に見られていたんだ、と。
たしかに、普通のOLが理由も言わずに職場づきあいを避けていたらそんな憶測があっても不思議じゃない。
私はバリ活のときまったく「周囲」が見えていませんでした。

組織の活動に出ない罪悪感が全くなかったわけではありませんでしたが、
私は失われた数年間を取り戻すべく、バリ活のときに出来なかった人付き合い、外部との恋愛もしました。
創価の信仰を持たない人達と密接に関わって行く中で、意外だったのは、様々な事柄に対して
偏見をもたない人が多いということでした。

組織を離れて最初に交際した人は、某宗教の教会主の息子(後継者)でした。
会社の先輩で、私がいつも定時でそそくさと片付け帰って行くのを見て心配だったと言いました。
社内で噂になっていたバイトについて、借金があるのか・家族を支えるためなのかと、考えていたそうです。
私が急にのんびり社内に居るようになったのを見て、なぜいつも早く帰宅していたのと聞いてきました。
そこで「創価で活動を頑張っていた」ことを、嫌われるのを覚悟でカミングアウトしたら、
相手は「よかった深刻な事情じゃなくて」とあっさり受け入れてくれました。
驚いた私は、創価の事を気にしないんですか?と尋ねたところ、自分も秘密がある。と、教会主の
息子であることを話してくれました。
私はここで、ひるみました。いい人だし、付き合いたいと思ったけど、邪宗だったらちょっと無理と。
先輩は私に対し、「君の育った背景にあるものを否定しない」と言いました。
「なんて器の大きい人なんだ!」と感動してしまいました。
私はといえば、邪宗だからと、それだけで相手を否定しようとしたのです。
自分の偏狭さを恥じた瞬間でした。

約1年の交際中、先輩は無理に私を自分の宗教の行事に参加させようとする事もなく、その件は
持ち込まないようにしてくれていました。
そして私が先輩を「折伏しよう」と考えたことも、一度もありませんでした。
私の何倍も、先輩は幸せだと思えたから。
家族仲が良く、両親を尊敬していると何のてらいもなく言える先輩が羨ましかった。
私はその真逆で、父がアンチ学会で組織の悪口ばかり言うことで、信仰の敵だと思っており
心から尊敬の念をもてずにいました。 母がそのような言動を普段からとっていたのも影響としてあります。
そんな自分が何を語ろうと無意味と思ったのです。
むしろこちらが学びたいと思う所がたくさんある人でした。

私はそんな先輩との交際を母には絶対に言えず、ひた隠しにしていました。
それは、邪宗の跡取り息子と交際するなんて母には受け入れがたい事だと思ったからです。

やがて先輩は修行で長期間、教会本部へいくため退職しました。
修行期間中は会えないのでお互い辛くなるだろうし、縛りつけたくないから一旦別れようといわれ
快諾し、笑顔でお別れ。
その後、修行を終えて戻ってきた先輩から会いたいと連絡がありましたが、私は「もう会いません」と言いました。
会ってしまったら、年齢的なこともあり今度は私がどうしても「結婚」を意識して辛くなることが予測できたから。
信仰を捨ててまで一緒になろうとするなんて私には無理。そんなことしたら「堕地獄」だ。
背景には、幼少期から刷り込まれてきた「罰論」がありました。
この信仰を絶対に捨ててはならない、捨てたらどうなるか・・という教えです。

その後の(外部との)恋愛においても、結婚の話がでると私は自分の信仰を絶対に捨てられない・
そこは譲れないと主張し、困惑した相手と話しあいをもつも平行線で別れていました。
表立って活動もしなければ、創価だということを黙って交際していたので、結婚の話がでた途端に
突然そんな事を言い出す私に相手も混乱したのだと思います。
「本当に人を好きになった事ないんでしょう?」と、言われた事もありました。
当時はそう言われても意味が解らなかった。
私は「自分と御本尊様の間に他人を入れない」ようにしてきたのだと思います。それが絶対的な幸福へと
繋がっていると信じて。
これは、組織から教わった事では無く、家庭の中で母親から刷り込まれたことでした。
当時、組織の活動に出なくても、私の中で「御本尊様への信」が揺らぐことはなく
「絶対感」と「仏罰・罰論」を恐れる心がありました。
覚醒した今、冷静に考えると絶対感の裏付けは「仏罰・罰論」思想にあったと思います。
神との契約にも似た発想です。

私が活動に出ない事を、母は時折「いつかは絶対(活動を)やらなきゃいけなくなる」と言っていました。
いずれ「功徳」が切れて、悪いことばかりおこるようになる。そのときに慌てて活動したって遅い。
常に組織から離れない「水の信心」でなければならない、というのです。
母にとっては「功徳を積む因(信心)=学会活動」で、私もそう教わった通り、活動家時代は頑張っていました。
この、「活動を止めたら不幸になる」という刷り込みも、組織へと向かわせる・組織から離れないように仕向ける
マインドコントロールに過ぎなかったと今は思います。

未活動になり少し一般社会と交わって、覚醒のチャンスもあったのに、私はふたたび組織に戻ります。
そのきっかけは「功徳が切れた」と痛感した出来事でした(次回に記します)。

ドロップアウト

女子部時代、順風満帆の活動家で通せたわけではなく、
数年間、私は組織の活動に一切出なかった時期があります。
きっかけは、四者合同で行われるとあるイベントにて、リーダーを務めていた私が
男子部の責任者(いかにもモテナイおじさんでした・独身)から叱責を受けたことでした。

そのイベントに招集された女子部員は20代前半の若い子中心で、信心はこれからという感じの
「女子部デビュー」組でした。
組織の活動に興味を持ってもらうため、とっかかりで晴れ舞台を用意して、そこからじっくり
育てて行くという目的があったのです。
このため、女子部のイベント責任者から私は「メンバーが必要以上に男子部とはしゃがないよう
気をつけて見ておいて欲しい・必要とあれば注意を促してください」と言われていました。
その理由は、壮年婦人部から見た時に「遊びに来てるんじゃねぇぞ!」とおしかりを受けるような状況では
先生に申し訳が無い・イベントといえどあくまでもこれは仏事だから。
どこでだれが見ているかもわからない、外部の目もあるので、節度を持って現場にのぞむようメンバーにも
御達しがありました。
このような注意がなされるのは、イベントきっかけで男子部と女子部が恋愛し、すぐ結婚するパターンが
わりにあったからです。
年の若い男女が短期集中で一緒に行動するという事は、ちょっとした合コン状態になります。
女子部サイドとしてはこれから部で活躍を!というところで結婚されてしまうのでは、訓練の場もなく
勿体無いから(これはあくまでも「本人」の成長に対しての勿体無いです)
という理屈です。
で、中に1名おふざけのすぎる女子がおり、行動が目に余るものだったので、私は彼女を口頭で注意しました。
すると彼女はふてくされましたが、逆切れしたように「はいはいわかりましたー」と返事。
イベント終了後、私は男子部責任者から個別で呼び出しをくらいます。
そこで何故、彼女を注意したのかと御叱りを受けました。
私にしてみれば、女子部のラインで「リーダー」を任されていたからやったまでのことです。
素直にそう答えると「君は池田先生から直接その任命を頂いたのか?」と突っ込まれたのです。
唖然でした。なに言ってるのこの人?状態です。
違いますと答えると、「池田先生から直接任をうけたわけでなければ、リーダーとはいえ部員さんとは
上も下もない。同等の立場なのだ!そんな人間が注意したりもってのほかだ。
池田先生に謝れ」と怒られました。
ものすごくショックでした。
女子部のラインでの顛末を、男子部からダメ出しされ、叱られたのです(大笑)。
なによりもショックだったのは、こんなところにまで池田老人の名前が出てきたところです。
いまそれ関係ある?!といったかんじで。
責任者が池田老人の名前を出したのが、とてつもなく高圧的に感じられました。
それさえ出しておけばひれ伏すだろう的な。うまくいえないのですが、本当は個人的な苛立ちだけだろうに
池田老人を大義名分にしかりつけ、私が良かれと思ってやった行いを全否定したことに
私はショックを受けました。
学会は権威主義では無い、と事あるごとにいいますが、こんな馬鹿権威主義のカンチガイ幹部もいるのです。
もちろんほんの一部ではありますが、こんな馬鹿幹部を生みだしてしまう背景は、当時の男子部特有の
軍隊的な組織統制にあったんじゃないかと思います。
後輩に手厳しく指導するあまり、自分がえらくなったと錯覚するのでしょう。
でもそれは、男子部の中だけで通用する話で、ラインが違うのに男子部が女子部をしかりつけるなんて
非常識で異常な事でした。

いま思うと、この男子幹部はとんだカンチガイ野郎。「てめえが言えた義理か!」と言い返してやれば
よかったのですが、当時の私はまだまだ素直で可愛い、ガラスのハートの持ち主だったのですw

私は翌日から会合に出なくなりました。
大きな会合に行くと男子部責任者に会ってしまうので行きたくない。 
怖かったのです。完全に心が委縮してしまいました。
いま思えばこれはPTSDだったんでしょう。
心配した女子部の先輩が家庭訪問に来てくれても、顔を見るだけで涙が止まらないのです。
学会関係者の顔を見るだけで、怒られた時のことがフラッシュバックして、何も考えられなくなる。
この状況はしばらく続き、一ヶ月ほど女子部幹部が入れ換わり立ち替わり家庭訪問をして
くれましたが、私がダメージを負っている事を理解してくれ、無理に会合に来なくても
大丈夫だよと気遣ってくれるようになりました。
又、この件はすぐ方々に広まり、壮婦も巻き込んで件の男子部責任者には厳しい注意があったようです。
後日家庭訪問にやってきて謝罪もありましたが、へらへらとした感じで
「そんなに真に受けると思わなかった。ごめんなさい。まだまだ修行中の凡夫の身だから許してよ~」などと
言っていました。
当然、許す気になんてなれませんでした。
尚、その男子部責任者が私を叱った理由は、おふざけのすぎる女子部員から
イベント打ち上げの席で(私から叱られたと)泣きつかれたからで、10歳以上も年下の女子に
相談をうけたことでのぼせあがり、何やらカンチガイをおこして暴走してしまったようでした。 
(おふざけ女子部員は、イベントで一緒だった若い男子部員とほどなく結婚しました)

ひとり、数カ月にわたって毎週のように家庭訪問にきてくれた幹部がいて
その方は常にこう言っていました「自分と池田先生との間に、他人を入れちゃいけないんだよ」と。
自分と師匠の間が揺るがなければ、組織の現場でどんなひどい事・辛い目にあったって乗り越えて行ける。
あなたにも、まっすぐ師匠を見つめてもらいたい。 師匠はいつでも弟子を見守ってくださってる。
先生は全部わかってくださってるんだよ。
(思わず太字にしてしまいましたw これ、いろーんな幹部からいわれたので)
間に誰人も入れない、「師匠と私」という、強い信心をしてもらいたい。
そうじゃなきゃ勿体無いよ? 小さな事にとらわれて、広宣流布の波に乗り遅れてしまう。
活動の1日は、非活の100日だよ(それだけ修行が遅れるという意味)。
件の男子幹部なんて関係ない。師匠と自分という基盤ができていれば、取るに足りない事じゃないのと。

これも、残念ながら私には全然響かない指導でした。
師弟観がない人間にそんなこといわれても、だったし、
「師匠と私」で外野を完全シャットアウトしろだなんて、私には無理でした。
組織であった非常識や抗議したくなるような出来事・見過ごせない言動などを”なかったことにしてしまえ”だなんて。
傷ついた私の心なんかどうでもいいのか?
先生は全部わかってくださってる、って、そんなおまじない私には効果ありませんでした。

覚醒後に「なるほどなぁ」と思ったのですが、この「自分と池田先生との間に他人を入れない」も
強固なマインドコントロール手法だったんですね。
問題から目をそらさせるために、「究極の理想の師匠だけ見てなさい」って事で全てを解決にもっていく。
決してそこで問題意識をこじらせないよう、「思考停止」へと促しているように感じられます。
池田老人=究極の理想の師匠をスケープゴートにして、問題の本質的な解決を遠ざける。
単純にやりすごしているだけなのに、そうとは捉えない。
師弟観がきっちりある人は、これで組織内のどんな理不尽なことも乗り切って行くんだからたいしたものです
(褒めてません)。

ネガキャン(2)

創価の幼稚な宗門ネガティブキャンペーンに私がつきあえなかった理由は大きく2つあります。

ひとつめは「大聖人の教えに反している」と感じたからです。
大聖人の精神と言えば「大慈悲」で、折伏行も慈悲の行動です。
それは創価の教学で教わったことです。
創価では日顕氏が「反逆者」という扱いで、私も当時はソースが創価発行物・幹部から聞く話しかなかった為、
この情報を真に受けていました。
反逆者だからといって、徹底攻撃していくことが・会った事も話した事もない相手を恨み、撲滅を祈念して
いくことが、本当に正しい仏法者の姿だろうか?
百歩譲って、自分が直接の被害をこうむったというのならわかりますが、
だとしても「撲滅」という、存在を無にしてしまえという発想ではなく相手の「改心」を願う事が
仏法者のふるまいとしてふさわしいのじゃないかと考えたのです。
こう書くと、「宗門が破門したせいで寺や御山に行けなくなったから学会員は被害者だ」と言う人もいるかも
しれないけど、それなら創価を脱会して宗門に行けば済む簡単な話なのです。
とにかく「昨日の友は今日の敵」とばかりに、てのひら返して総攻撃の狂乱は、慈悲とは真逆の姿勢と私には
思えました。

ふたつめは「着地点(おとしどころ)がわからない」と思った事。
喧嘩をするにしても、着地点がないとエンドレスです。相手にどうしてもらいたいのか?
怒りをぶつけるだけぶつけたらすっきりするのか・謝罪が欲しいのか・謝罪じゃ足りないから目の前から
居なくなってもらいたいのか。
組織のネガキャンはそこが見えないと思っていました。
これについては母や伯母に当時聞いたのですが、二人は「日顕氏に出て行ってもらい、御山を返してもらう」
と答えました。あくまでも組織側の答えでは無く、個人の見解です。
10年ほど前に、圏幹部をしている女子部の友人にも同じ質問をしてみたところ、彼女もしばらく考えた後
「猛省を促す。謝罪してもらう」という個人的な答えで、組織から着地点を聞いた事はそういえば無いと
言っていました。
話し合いは決裂しており、組織は20年間ずーっと宗門の悪をあげつらい、戒壇の大御本尊様まで否定しました。
こうなってくるとほんと、着地点なんてないのですね。
おそらく現在、組織側のほうがネガキャンに辟易している気がします。でも、会員の手前やめられない。
会員の中には未だに「御山を返してもらう」をご祈念に入れている人がいます。
その数は少なくないでしょう。
いくら創価が「謗法の山」とか、桜の木を日顕氏がぜんぶ切ってしまって、荒れ果てた枯れ山になっただとか、
(これも若干嘘があり、桜の木は存在していて地元で有名な「桜名所」になっていると、覚醒後に
 ネットの情報で知りました。近年撮影の、富士山をバックにした桜景色の非常に綺麗な写真も上がっていて
 組織の嘘は罪深いなと思いました)
戒壇の大御本尊様が偽作らしいとかアナウンスしても、会員の御山を求める心はまだ消えておらず
諦めていないのです。
若い人は知りませんが、正本堂建立にあたって特別財務をした年代の人達の執着心は強固だと思います。
私の母、伯母がまさにその年代です。
友人のお父さんは、学会本部に「いったい何をしているんだ、早く御山を買い戻せ」と電話したというほどでw
(「御山を返せ・買い戻せ」については発想が根本から間違っています。私もそのことは解っていますが
 あえてここでは会員の言葉通り記載します。別の機会にこの件についても書くつもりです)
この層は団塊世代ちょい上で、まだまだ元気で現役活動家も多く、法戦においても大切な実動部隊。
そんな層のニーズを全く無視するわけにもいかず、いい加減終わりにしたいけど、ダラダラと続けているように
私には見えます。

組織はいつも「対話で解決」っていうのに、交渉決裂(?)したからと、態度豹変し敵にまわす事も
私には納得のいかない事でした。
どんな人間にも仏性があるというのなら、日顕氏にだって・その他学会の敵となってる人物(山崎氏や
乙骨氏矢野氏などなど)にだって、あるはず。
その仏性をないものとした理由は、ただ「池田老人の敵」だったからでしょう。
組織では「大聖人の精神に反する(のは宗門のほう)」との主張を展開していたけれど、無理があります。
御書を「一部分だけ」ひっぱってきて、日顕宗撲滅は「宗祖のご遺命」と主張し
会員を煽っていた。
(ちなみに一部分だけひっぱってきて都合よく使っていることに気付いたのは、覚醒後です)
日顕宗撲滅は、現場が勝手にやっていたことではなく、大本営(学会本部)の運営方針に従ったまで。
当時はまだまだお元気でしたから、これは池田老人の肝入りネガキャンだったと
いってもいいと思います。
当時そんなことをやらなきゃいけなかった最大の理由は、(仮想)敵がいるほうが組織内部に疑惑の目や
不満の矛先が向けられなくて済むからだったんじゃないかと、私は思います。
会員に絶対知られてはならない「不実」を目立たせないためにも、必要以上に派手に敵を攻撃しなきゃ
ならなかったんでしょう。
この不実に関しては、覚醒後に矢野氏の著書を読んで深く納得しました。
組織における宗門ネガキャンは、いまの中国政府とやりかたがまるで同じです。

長々と書きましたが、私がネガキャンにつきあわなくても組織に居られた理由は、
組織の活動は多岐にわたっていて、こればっかりやってたわけじゃなかったからです。
それこそ「今後は撲滅運動しかやりません」と方針決めされたら、私はその時点で脱会したと思います。
伯母からは時折「わがままな信心」と窘められたことありましたが、私は活動をランク付けして
好きな事は積極的にやるけど、嫌な事はなるべくやらない方向で居ました。
具体的に言えば、仏法対話や折伏・後輩の育成や未活女子部の掘り起こし・御書学習・唱題は好きでした。
新聞啓蒙と選挙と財務は感心できなかったのでほどほどにしかしませんでした。
ネガキャンも池田老人賛美も、内心馬鹿だなとかくだらないと思っても、そのことを口に出さず大人しくしていれば
誰からもお咎めありません。 一緒になってやらなくても何も言われないのです。
けど口に出してしまったらさいご指導の嵐で、完全に危険人物としてマークされたでしょう。
女子部はモラトリアム集団なので、こんなわがまま信心(活動)でも通ったのです。
自分の好きな事しか頑張らないこのスタイルが逆に仇になって
いつもいいところに気が付いていたのに、覚醒するのに時間がかかってしまったのは、そのせいです。

最後にことわっておきますが、私は宗門びいきではなく、お寺さんに戻る気もないです。
宗門をかばっているような表現になってるところもありますが、そういうわけではなく
あくまでも創価の活動現場に居た当時、見聞きした事実・異常性を書いただけですのであしからず。

ネガキャン(1)

ちょうど20年前、私は女子部の活動家で地区役職をしていました。
当時~数年間が最も「日顕宗撲滅運動」の激しかった時代として記憶に残っています。
宗門から破門を受けてまだ間なしの頃、現場は狂乱していました。
私はその空気になじめず、強い違和感をおぼえていました。

地域の座談会で、日顕氏を蔑む替え歌を婦人部が披露、
学会歌同様に大きな歌詞カードを作成し、参加者全員で歌うよう音頭を取ります。
お富さんの替え歌で♪死んだはずだよ阿部日顕~♪と、手拍子を取りながら歌わされるのです。
私はこのような幼稚な行動になじめず、歌いたくないと思い、歌いませんでした。手拍子はしてましたが。
最近まで、登山の喜びを語りあっていたおばちゃんたち(婦人部)が、
師匠の敵・学会の敵だからと目の色変えて日顕氏を罵倒。
聖地であったはずの大石寺を「謗法の山」と呼ぶ。 ほんの1-2年前まで、嬉々として行ってたのに。
地域の座談会だけではありません。県単位の活動家大会でも、日顕氏に扮した壮年部が
青年部から棒でボコボコに叩かれ袋叩きになる寸劇を披露。
悪は攻めて攻めて攻め抜いて行こう!仏敵倒すぞ!オー!と会場全体で勝どきをあげていました。
一時期、会合の出しもの(1コーナー)に、こういった嫌日顕宗ネタを入れるのがお流儀になっていて
そういった茶番を、私は常に一歩引いて醒めた目で見ていました。
そこまでやらなくても・・・と思っていたし、それをやることに何の意味があるの?と。
馬鹿みたいだとおもっていましたが、そこは口に出せませんでした。
毎月の同時中継でも、男子部長(青年部長?どっちでもいいや)が登壇すると必ず日顕宗ネタでしたよね。
裁判の話が中心でしたが、学会勝訴の話しか聞いたこと無かったです。
実際は敗訴もあるのに、それについて同中で発表しているのを私は一度も聞いたことがありません。
男子部長の、口唇のはしに泡をためて大声でまくしたてるあの演説スタイルは、とても正気の沙汰には見えず。
内容の是非をさておいても、見苦しいしうるさいだけなので、私はいつも秋谷会長の話が始まるくらいの
時間を見計らって(ちょっと遅れて)会館に行くようにしていました。

実際に会った事も、話した事もない日顕氏を、自身の敵だと思えという指導もありましたが、
これも無茶な話です。
(同じく、会った事も話したこともない池田老人を、師匠と思えといわれても私には無理でした)
「師匠の敵は弟子の敵」「師匠のかたきは弟子が取る」幹部指導でよく叫ばれていました。
私は師弟観に疎く・原点のない会員なのでこれらの号令は全く心に刺さらず、受け流していました。

そういえば、県本部の指導会に行ったメンバーが自身の悩みがなかなか解決しないことを話すと
担当幹部が唐突に「あなたは日顕宗撲滅を祈念していますか?」と問うてきたとのこと。
日顕宗撲滅を真剣に祈念しないから壁が打ち破れないのだ、他人事と思っているうちはダメ。
極悪を攻め抜かない姿勢=自身の一凶を見過ごしていることと同じだから、真剣に祈念していきなさいと
言われたと聞き、私は驚きで受け止めました。
悩みが解決しないのは、信心がたりないからじゃなく、日顕宗撲滅を真剣に祈念できていないからだなんて
初耳でした。
この指導には続きがあり、「御本尊様にどんな事を祈念してもいいのですか?」と聞いたところ
幹部「相手の”死”以外は、なにを祈ってもかまいません」との回答だったのです。
その理由は、誰かの不幸が誰かの幸福な場合もあるし・表裏一体だからということでした。
これは今から12年ほど前の話です。12年ほど前の創価では、他者の不幸も祈念していいと言う事になって
いました。
きっと、日顕宗撲滅祈念を会員に促すにあたって、至極まっとうな質問
「他者の不幸を祈念してもいいのか?」が殺到し・つじつまを合わせるためにそんな指導が生まれたのでは
ないかと思います。
こんな指導を聞いても、私は深く考えませんでした。
日顕宗撲滅に対し無関心だった+思考停止に陥っていたからスルー出来たのです。
本来ならスルーせず「それはおかしい」と気づくのが普通なのだけど。

当時、なぜ日顕宗を組織を上げて攻撃するのかその理由について「破和合僧だから」と幹部は説明していました。
そのほか、女子部や婦人部幹部が好んで使っていた説明としては
「日顕氏は、自分より人気があって称賛を受けている池田先生が憎い。だから学会を切った」
「日顕宗は嫉妬のかたまり」というのがありました。
うちの母など今現在も↑こんなこと言ってます。
この言い草「人気があって称賛を受けている池田先生」に、池田老人の自惚れを感じて苦笑いでした。
池田老人に対しての思い入れが何もない人間からすると「そうでもないよ」って感じで・・・。

また当時、創価新報が毎号毎号、スキャンダラスな宗門ネタでスポーツ新聞化していくのも
面白半分で茶化しながら見ていましたが内心「ここまでやるか?!」でした。
いかに宗門が遊蕩三昧かを知らせたかったようですが、百貨店で高額なメガネを買ったとか
そんなこと「誰が興味あんねん!」だったし、記事としてとりあげるほうの品位を疑ってました、当時から。
創価新報がねつ造写真を掲載していたことは、覚醒後に知って驚愕しました。
さもありなんとも思いましたが、なんでそこまでやらなきゃならなかったんでしょうか。
嘘をついてまで、日顕氏個人と周辺、宗門を貶める必要があったんでしょうか。
余談ですが、昨年末に知人のお店(学会員です)に創価新報が置いてあったので見せてもらったら
20年経過したいまだに日顕宗のこきおろしをやっていて、笑ってしまいましたw

創価では「大悪は攻めて攻めて攻め抜かないといけない」と、宗門叩きを正当化していたけれど。
写真や記事をねつ造してまで、相手を貶めるということは、宗教抜きにしても人道的に
「やっちゃいけないこと」です。
繰り返しになりますが、私は昨年覚醒するまで、あの創価新報に捏造写真が掲載されていたこと・
宗門との裁判に組織が数々敗訴していることを知りませんでした。
勝訴は聞いても、敗訴なんて教えてくれた覚えがない。
私はここ10年間、未活動で組織から離れていたから知らなかっただけかもと、ずっとバリ活やっている
実家の母や伯母に聞いてみましたが、その件は知らない・ネットで知ったの?だめよネットなんか見てちゃ。
ぜんぶ嘘が書いてあるんだから! と、判で押したような回答でした。
また、バリ活当時の同志で今も活動家の婦人部にも聞いてみましたが
「仮にそう(ねつ造)だったとしても、創価新報の人が勝手にやったことで、池田先生の指示では無い(と思う)」
という回答でした。
そのような不祥事があったなら、会員にお詫びコメントのひとつも出すと思いますが。
都合の悪い事は何もかもひた隠しにし、会員にはマイナスな面を見せないように徹底している。
会員を馬鹿にしているのです。
あいつら馬鹿だからなぁって、なめられているのです。
なんでそのことに、気づかないのか。 それはやはり、自分が積み上げてきた「信仰」を崩してしまうのが
怖いからじゃないでしょうか。

内外相対

創価で教わった五重の相対のうち「内外相対」で、神社神道は外道とされていました。
低い教えなので用いてはいけない・帰依してはならない。
神社参詣を禁止する理由もそこからきていると聞きました。
私がこの教義を教わったのは任用試験の勉強会で高校生当時(20年以上前)のことです。
いかに法華経が優れた・一番正しい教えであるかの論拠の説明に終始していました。
内外相対が一番さらーっと流された印象で、神社神道がどのようなものであるかの解説は一切
ありませんでした。

先のブログに書きましたが、私は一般社会で神社神道がこれほどまで広く受け入れられている事を
活動家の時代は意識したことも無かったし、知る環境にありませんでした。
活動家時代は見ることが出来なかった(丁度会合の時間だったので)19時から放送の
NHKのニュース番組を日々見るようになって気づいたのですが、神事をよく取りあげているのです。
日本各地の神社でどのような神事があったかを映像と共に紹介しています。
季節の風物詩として伝えているのでしょうが、公共放送のニュースで紹介されるという事は
それだけ国民の関心も高い事柄なのだと思います。
また、テレビドラマを見ていても、商店や会社のセットに神棚が祀ってあることがわりに多い。
(余談ですが、「あまちゃん」でも事務所のセットに神棚があります)
当たりまえに日本文化として馴染み、市民権を得ている神社神道。
創価の教義で育った私にしてみたら、どうしてこんなに「外道」がもてはやされているのか不思議で
ならなかったのです。 「邪宗」扱いでしたから、創価では。

歴史の本を読みあさるうち、自分の無知・無学がはっきりとし本当に恥ずかしかったのですが
私はつい2-3年前まで「神仏習合」を知りませんでした。
神社とお寺が一体化した宗教施設(あえてこう呼びます)が、その昔は普通に存在していたこと。
それを明治政府が「神仏分離」で分けてしまった事を初めて知りました。
神道には教義が無く、「外道」の文字通り「内道=個人の内なる心の問題」を解決する術や個人救済は
説かれていないそうです。
神道の基本は始祖崇敬で、成仏や救済を求める信仰とは違い、ましてや現世利益などを求める類の
ものではないと解りました。
その昔、貴族や権力者は死後の世界を恐れていました。神道ではそれらを解決できない(専門外)ので、
死後の世界や成仏を説いている仏教が、宗教祭祀として取り入れられた流れで、寺と神社が同じ敷地内に
建っている状況が生まれたと知りました。
神道と仏教が日本の国で長らく共存してこれた理由は、日本人が「餅は餅屋」の精神で使い分け
(的確な表現ではないと思いますが他に浮かばないので敢えてこう書きます)してきたからでしょう。
全く専門が別れてるから共存できたということだと、私は理解しています。
そしてこの「使い分け」こそが、日本人特有のしなやかさであり、自国の文化を大切に守りつつも
他国の文化も柔軟に取り入れていける国民性であり、素晴らしいと書いてある文章に出会った時は
感動しました。 その通りだと思いました。

よく、創価の折伏現場では「日本人の宗教観はめちゃくちゃだ」というロジックが使われていました。
生まれた時は神社で宮参り。正月は神社で初詣。だけど葬式とお盆は寺まかせ。
結婚式はチャペル式で12月にはクリスマスだと騒ぐ。こんなのめちゃくちゃでしょ?って
外部の人に問いただすのです。
キリスト教のイベントはさておき、神社とお寺を使い分ける事は決して「めちゃくちゃ」ではなく、
神仏習合~分離という歴史背景を知れば、当然の流れだという事が理解できます。
創価の人で、そこまでわかっている人が果たしてどのくらい居るんでしょうか。
覚醒後、神道について現役創価の活動家に聞いてみましたが、説明できた人は誰も居ませんでした。
青年教学1級をもっている人でも無理でした。外道は外道、そこで終わっているのです。
それは組織が五重の相対を単なる「絶対心を煽るためのツール」としてしか教えてない結果じゃないかと
思います。 

日蓮を冠した宗教は「一神教」だと仰る歴史・宗教学者の方が多数います。
それは間違いじゃないと思います。
折伏相手が「日本人は宗教デパート」ロジックに納得しない場合、今度は海外事情を持ちだすのです。
たとえば欧米ではキリスト教・イスラム圏ではイスラム教と「一神教」で、日本人のような節操無しじゃ
ないんだよ?
アメリカじゃ無宗教というと馬鹿にされるし信用してもらえないんだよ。
宗教をたもつこと=アイデンティティなんだよと畳みかけるのです。
(そして「だから君も諸外国と肩を並べるがごとく、日蓮仏法に帰依したまえ」と続く)

創価でバリ活だったときは上にあげたロジックが納得のいくものでした。
だけど、歴史を知ってゆく中で、この説はちょっと違うな。日本人にはなじめないものだ、と思うように
なりました。
そして、内外相対で外道(神社神道)を切り捨ててしまうことじたいが、日本文化に馴染まない事柄であって
否定している間は、広宣流布はなし得ないんじゃ?という疑問がわいてきました。
だって、一般社会への(神社神道の)浸透は想像以上の物があります。
神棚を焼き払えと言って、はいそうですかわかりましたなんて、戦後の混乱期ならいざしらず
これだけ社会が成熟した今じゃ無理でしょ?と思ったのです。
焼き払え、とまでいわなくても、祀ってあるものを撤去することは「始祖への崇敬」を意識している人には
ありえないことだろうなと感じたのです。土着文化で、日本古来の風習なのだから。
日本文化、日本人としてのアイデンティティを捨てろと言うに等しいと思ったのです。

ただ、そこに気がついた時点でも、まだ私が覚醒する事はありませんでした。
理由は、私が子供のころから培った御本尊様への「絶対信」と、
巧妙に使い分けられるアメ(功徳)とムチ(仏罰)にがちがちに縛られていたからです。
自分が正しいと40年以上も信じてきた、人生のバックボーンを、そんなに簡単に否定できない。
ましてや、友人たちに「これが一番正しい」とさんざん語ってきたのにと。
困惑した私がどうしたかと言うと「もう絶対折伏はしないでおこう」と心に決めましたw
自分が納得していない・説明できない事を他人にすすめるなんて出来ません。
バリ活時代の私は20代ー30代前半と若かったし、折伏対象も同年代でした。
周囲に宗教に関して理論武装できて居る人(外部)はいませんでした。
だから創価のトンデモ教学を教わった通りそれが正解なのだと断定してしゃべってればよかった。
無知だったからそれでもなんとかなったのです。

ここで創価教学の破たんを認めて、脱会を決意しなかったのは、私が「現世利益」を強く信じる人間だったから。
御本尊様を疑う事だけはしたくないと思いました。イコール創価を疑う事につながるのだと、まだこの時は
思っていたのです。 全然ベツモノなのに、一体と考えていました。
せっかくいいところに気がついたのに、マインドコントロールは解けませんでした。
好きな人に対して、どうしてもひいき目になってしまうことがありますが、それと同じで
私は日蓮大聖人や御本尊様をずっと信じてきただけに、なかなか認めることができませんでした。

その半年後、好きでも嫌いでもなくひいき目には見れない池田老人がきっかけで私は覚醒できたのですが
この話は別の機会にします。

尚、最近ネット検索中に得た知識ですが
日蓮大聖人ご在世当時がまさに「神仏習合」の時代だったことから、他の仏教宗派・寺院が
神社を管理している状況下だったので、神社神道を「外道」とし参詣してはならないとしていたと
いう説を読み、これは歴史背景に照らして納得できるものでした。
氏神や日本古来の神様を全否定している訳ではないとの見解に、ちょっとほっとしました。
創価が教えている「低い教えだから」という単純な理由よりも、しっくりきます。
明治時代以降、神社と寺院は別れたので
氏神様や、伊勢神宮等に対する「始祖崇敬」のための・祈祷を伴わない参詣(ごあいさつ)だけなら、
日蓮大聖人の教義的にもOKということになるのでは?と私は思うのですが
創価や、その他の日蓮を冠する宗派ではいまだ「神社参詣はNG・謗法にあたる」となってる様子です。
それは「低い教えに迎合する必要はない」という切り捨て主義なのか?
神社に行かれては困る(自分たちの主義主張の整合性が取れなくなる)からではないでしょうか。

日蓮を冠する宗教が過激でカルト的だったということは、今に始まった事じゃありません。
「天文法華の乱」という史実でもわかるとおり、日蓮仏法以外は劣っている・排除してしまえと
他宗の寺社を焼き討ちにしていた時代もあるのです。
もっとも、それをやったのは正宗ではなかったので「うちは関係ない」と正宗や、正宗の教えを踏襲している
創価学会は否定するんでしょうけど。
しかし、宗祖はたった一人なのに・のちのお弟子さんがこれだけ様々な解釈で宗派を分かち
世間一般常識から大きく逸脱した教義を展開して「弘教拡大」なんて言っているのって、特異ですよね。
日蓮大聖人の教えは、誤解されやすいのではないかと思います。

こんな現状に、宗祖の思いや如何に?と考えてしまうのは、私だけでしょうか。
Category: 覚醒の伏線

気づき

「なんでも願いが叶う御本尊様」物ごころついた時から母にそう教わったことで
私は子供の頃から様々御本尊様にご祈念していました。
幼稚園年長から子供用経本を与えられごん行も開始。
子供にとっての導入部は「世界平和(広宣流布)」なんていう壮大なテーマではなく、身近なラッキー。
全ての願いが叶った訳もなく、割合にすれば3-4割だったと思いますが、
叶えばそれは「御本尊様のおかげ」そうして依頼心を強めて行きました。
私の基本は幼少期に培った絶対的な御本尊様への「信」です。
そこを揺るがせてはならないという気持ちが、組織の矛盾と向き合うことを拒絶していたと思います。

どうしても叶えたかったことが叶わず、不信を覚えた事もありましたが、そんな時に親や先輩から
「あなたにとって本当に必要でない事柄は叶わない。叶わなかった時もちゃんと意味がある。
それは後からわかるんだよ」と慰められ、素直に「そういうものなんだな」と信じていました。
40代を過ぎた覚醒した頭で考えると、べつにそれが(祈念の対象が)御本尊様でなくても・
学会活動じゃなくても、なんでもよかったじゃんと思います。
結果論なら、何処の宗教だってなんとでも言える。 納得の仕方、単なる楽観主義じゃないのかと。

親の家庭教育が、のちの人格形成に多大な影響を与える事を思うと、創価活動家の親にもとに生まれる事は
毒であり不幸だと思います。
私の場合、母の認識が根本から間違っていたにもかかわらず、それを「一番正しい」と教わった。
日蓮大聖人を崇敬し、御本尊様を信じることと・創価の存在やそこで活動する事を同列に置き、
創価の活動が仏道修行になるのだと(現実は全く別物なのにもかかわらず)。
間違った公式を「これが究極の正解でまちがいないんだから一切疑うな」と押し付けられ、
常に疑問をさしはさまないよう「功徳」や「仏罰」という言葉で封じられてきました。
気づきのきっかけは、これまでにも山ほどあったと思います。
親切に創価のカルト性や教学の破綻を教えてくれた外部の友人もいましたから。
けれどそんな忠告を私は「魔が競っている!」と捉え、創価お得意のトンデモ教学で拒絶しました。
こちらの言い分は存分に主張するくせに、相手の意見に耳を傾ける姿勢はまるでなかったです。

ヒヨコがはじめて視界に入った動くものを「親」と認識するがごとく
親から教わった事を愚直に真実だと信じる幼子時代に、この宗教が一番正しい・他は全て受け入れてはならない、
全否定しなさいと教わる事は、可能性・視野・一般社会や日本文化と接する機会を狭める
とても残念なことです。
結婚後に痛感したのですが、一般社会では神社参詣の作法は常識であったということがショックでした。
神社を見学はしてもいいけど詣でるなと言われて育った私は、参拝方法(拍や礼)を知りませんでした。
当然、初詣にも行ったことがなかったです。禁じられてますから。
そういった事柄について一般社会人と話したり、参拝しないといけない(観光やら会社行事で)シーンに
立ちあった時も「信仰上、禁じられてますんで」としらっと言うことで切り抜けられましたが
それは厚顔無恥な創価活動家の間(独身時代)だけでした。
当時の周りの人たち(一般社会人)は、そうなんだ~、とスルーしてくれましたが
内心は「非常識」「育ちの悪い子」と捉えていたと思います。
私は結婚後に未活動に転じたことで、新天地で出会った一般社会人の友人と「一般社会人のふりをして」
つきあうことになりました。
思えば、結婚前までの私は創価であることをカミングアウトしていたし・同じく創価の家で育った友人が
多かったので「非常識」を容認してもらえる環境下にいました。
それが、創価であることを隠してつきあうとなると神社や神事は避けて通れない話題なのです。
初詣はどこに行ったか。子供がうまれると宮参りや七五三のこと。
また、居住地域近くに有名な神社があることから、そちらのお祭り(神事)について
季節ごとにあたりまえのように日常会話に出てきます。
氏神様を大事にしている(定期的に詣でる)人が多いことにも驚きました。
民度の高い人たちが、日本古来の神様を大事にする傾向があることにも気が付きました。
地域社会にて、これほどまで「神社」や日本古来の神が生活の一部として寄り添っている事を、私は結婚で
この土地にくるまで知らなかったのです。 
結婚前までは、創価の人脈の中で生きていたからわかりませんでした。

私は結婚相手(外部)を折伏し、形だけの入会をしてもらいました。
主人の実家は一般的宗教観をもつ家庭で、菩提寺もあるし氏神様にもお参りします。
子供が出来た時、私は未活動ではありましたがまだマインドコントロール下にあり、神社参詣に対して
強い拒絶感がありました。
だけど、うまれた子供は主人の実家の姓を名乗る「主人の家系の子供」。
家という単位でとらえたとき、私の一存で・私の信仰だけでそれを「やりたくない」と言うのは我儘だと
考え。
なにより創価の私でも温かく受け入れ接してくれている義両親に申し訳が立たず、宮参りと七五三は
義実家の氏神様でやってもらいました。
ただし、私の実家には知らせず内緒でやりました、母はいまだにこのことを知りません。
ママ友とそんな話題(どこの神社でしてもらったか)になる時、さらっと「主人の郷里の氏神様」と
言えた事は、一般社会になじもうとしていた私には有り難いことでした。
創価が世間からいかに遊離した、隔絶された村社会なのかを強く認識できるようになったのは
外部との結婚・出産で一般社会との接点ができたおかげだったと思います。
また、婦人部が大変居心地の悪い組織で私にはなじめない処だった事も、結果として良かったと思いますw

まさに「創価の常識は世間の非常識」
それを一般社会の人付き合いになじもうとする中でヒシヒシと感じ、焦り始めた私は
組織で「外道」のひとことで切り捨てられてきた、神社(神道)について知りたいと思い
日本史を中心に読書を開始しました。3年ほど前のことです。
そのときは、組織で教わった教学を疑うというよりは、自分が信じてきたことが揺らぎ始めたので
強固な裏付けが欲しくて勉強しようと思ったのです。
また、公明党議員がとある政治バラエティ番組に出演したさい
歴史認識についてパネラーから容赦なく突っ込まれ、たじたじになっているのを見て落胆したことも
きっかけとしてありました。
(自分の意見を持たず、党から用意されたセリフだけをしゃべっていることがよくわかった瞬間でした)
ここで組織の書籍に依らなかったのは、日本の歴史・風習(神信仰)の中で日蓮仏法の立ち位置を
客観的に描いたものが私の手持ちに無かったからです。
私が結婚で家を出る際に実家から持って来た本は池田老人の指導集(もらいもの)と、御書だけなので。 
日本という国のあらましから知らないことには無理だと思い、図書館に通うようになりました。

歴史を知ると、目からうろこの事柄が山ほどあり「無知は罪なり」だと思う事の連続でした。
社会で創価学会員が情弱だとか頭弱だとかいわれますが、否定しません。
不勉強だからこそ簡単に騙され、搾取され続けて、それでもなお「尊い使命に、師匠と共に生きる喜び」
などと嬉しがっているのです。

長くなったので、歴史を学んだ中での「気づき」については次に書きます。
Category: 覚醒の伏線

原点とは何か

女子部になって、たびたび幹部から問われる質問にいつも答えが出ず戸惑っていました。
その質問は「あなたの池田先生との原点は何ですか?」というものでした。

創価の組織では、池田老人を師匠・会員はひとりもあまさずその弟子という認識が
まかりとおっています。
が、私は子供時代からそんな教育を受けていないので、(母親が池田マンセーではなかったんで)
池田老人は学会の偉い人という認識のみ。
なので、あたりまえのように女子部の会合で幹部が
「今日もお元気な池田先生と共に」とか「師匠の正義は弟子が証明する」など叫んでいても
ぼんやり聞き流してました。 自分にはしっくりこないと思いながら。
当時、池田老人のことは、どうでもよかった。嫌いじゃないけど好きでもない。
組織内部でそんなことを話したこともなかったです。言える雰囲気じゃなかったですから。
プラス、組織に関する事で少しでもマイナスととられる言動をとれば「仏罰が下る」と思いこまされていたのが
大きいと思います。
この幼少期からの刷り込みは、40歳を超えるまで脅威でありつづけました。

「池田先生との原点」とは、自らが師匠を求めて作るものだと幹部がいっていました。
原点がなにかを答えられた部員さんの話だと、たいていは実際に会えたとか、物(本やお菓子)や
伝言をもらったなどで「先生から直接・間接的に激励を受けた」そういう類のものです。
それを特別と感じられたときが原点になるのでしょうか。 今持ってよく解らないのです。
私も伯母が大幹部でしたのでw お菓子をもらった事も絵本や書籍をもらったこともあります。
でもなんとも思った事ありませんでした。 伯母は大興奮して渡してくれたけど、意味がわかりませんでした。
その後も、女子部に上がってから折伏ができたとか、部で成果をあげたなどで書籍を幾つもいただき
押印やら色紙やらも頂きましたが、心からありがたいと思った事ありませんでした。
それどころか、なぜ大全集を号をとびとびでくれるのか?せめて1巻の次は2巻というふうにくれれば
続きも買いやすいのに配慮ないなと内心思っていました。 当然そんなこと誰にも言いませんでしたが。

「原点は?」と面接で問われるたびに、困ってました。
無いものはないし、嘘もつけないし。
ありませんと正直に答えると「じゃあ女子部時代にしっかり原点つくっていこうね!」と励まされて終わり。
必要以上に追及されることもないので、その場しのぎでよかった。
ここでヤイヤイ原点つくれだの、無いなら組織から抜けろといわれたら、脱会したかもしれません。
私のような人間でも、組織に利する行動(財務、選挙応援、新規会員の獲得)は大人しくやっていたから
排除する事はなかったのでしょうね。
師弟観は皆無でも、組織には従順=労働力とカネを供出するのはまちがいないわけだから。

白蓮は先生直結ということで(どういう意味?いま冷静にそうおもった)
毎月、池田老人に手紙を書いて送るという課題がありました。
ふだんなんとも思ってない人に一体なにを書けばいいのか。
400字詰め原稿用紙に書かされましたが、400字を埋めるのは大変苦痛でした。
たいてい、その時がんばってることを書いて、必ず結果を出してまいりますーと結んでいました。
そういえば池田老人は「結果しかいらない」って人らしいですねw

「必ず結果をだしてまいります」という言葉も、組織内で聞きなれた言葉で、決意発表の常套句。
なんで池田老人に結果を出す事を「誓う」のか、私はそのことについても心の中で?疑問でした。
御本尊様に誓うならまだわかるけど。 なぜに先生なのか?
白蓮期間中に友人を折伏し本流できたので、活動報告をすることになりました。
原稿は幹部にチェックされ
「池田先生におこたえする人材に、友人と共に成長して行けるよう、これからも闘ってまいります」
という一文を書きこまれました。私の書いた原稿にはイケダのいの字も入ってませんでしたが。
心にもない事を読まされるのかーと思いながらも、納得いきません!と反抗するでもなく。
組織ではこれがお流儀だからなぁ、とあきらめ、書き加えられた部分をそのまま読みました。

創価学会というと、100人いたら全員が池田老人を師と仰ぎ崇拝してると思われがちですが
そうでもないのです。私みたいなのもいます。
繰り返しますが私は学会3世。うまれたときから「家の宗教が創価学会」という環境で育っています。
実家の母も、会員ではありますが池田崇拝者ではありません。
日蓮大聖人様の教えと御本尊様を崇敬しているだけですが、創価学会員なのです。
本当なら正宗にいくべきだったと思います。 なんで創価に残ったのか、それは身内(母の一族)が
みな創価学会だから。 自分だけ飛び出すような事はできない。
それと、創価では師弟観(師匠が池田老人で弟子は会員ひとりひとり)をこれでもかというくらい説き、
会合で御書講義はやらなくても池田老人の話は絶対でてきますが(指導の紹介)、
あくまでも「日蓮大聖人が宗祖」と言い張ってきかない。
ダブルスタンダードなのです。
だから、私の母や私のような、池田老人にとくに思い入れのない人間でも、表立って反抗はしないので
はじかれることなく組織に居られた(る)のです。
踏み絵でも行ってくれれば、私は平気で池田老人の写真でも書籍でも踏みつけることができます。
師匠を池田氏と呼べないなら出て行けと、言われれば即出て行ったでしょう。
それをあえて組織で行わないのは、私たちのような
「池田マンセーじゃないけど大聖人様と御本尊様は信じてる」という人間も集金対象として
残しておきたいからなのでしょうね。
わたしたちのような会員も実際多いと思うのです。
師弟の道に心酔していないタイプの会員の多くは(私や母も含め)学会活動に「現世利益」があると信じ込んで
いる(いた)人達です。
活動のさなかに願い事が叶ったり思ってもみない解決をみたり、ラッキーな事があった経験を
「創価の活動で得た功徳」と思いこんで、組織から離れられなくなった、不幸なパターンです。

日蓮大聖人門下とかいいながら、池田老人との「原点」をもつことをさかんに会員に促していたのも
池田老人神格化へのひとつの草の根運動だったんだろうなと、今はわかります。

結局女子部で活動をしていた期間、原点をつかめず、私は結婚し婦人部へ。
婦人部は、女子部の何十倍も「池田神格化」のきつい組織で、私は居られなくなりました(笑)。
でもそれでよかったです。
下手に原点なんてカンチガイを起こしていたら、いまも思考停止のまま搾取され続けていたでしょうから。

白蓮の頃(2)

白蓮をしていた当時、御本尊様の「おとりかえ式」の任務についた事がありました。

正宗と決別した組織で、御本尊様の御貸し下げが始まったのです。
私は昨年覚醒するまでまったく知らなかったのですが、この組織が御貸し下げする御本尊様は
カラーコピーだそうですね。 
大量発行なので、印刷だろうなーとは思ってましたが
そんなインスタントなやり方だとは思いもよらなくてショックでした。
いわれてみればたしかに表装までがっつり印刷で、のっぺりした仕上がりですもんね・・・。

で、宗門と別れた後の創価で、日顕さんの筆による御本尊様はよろしくないという
組織サイドの呼びかけか・会員による不満の声があったのか、
御本尊様を新しくおとりかえする会員さんのために、GG会が行われ白蓮も任務についていました。

式終了後に、会員の皆さんが自宅から持参した(日顕さん他の)御本尊様を
段ボール箱に詰める作業をさせられました。
黒盆に(巻いた状態で細長い紙袋に入っている)御本尊様が山積みになっています。
その黒盆が所狭しと長テーブルに置かれて。
大講堂横の小さい和室に集められ、その部屋の空気はなんともいえない、重たいものがありました。
会員の皆さんが、日々様々なご祈念をされ「念」の入っている御本尊様の山。
ただの「巻き物」ではないのです。当時の私からしてみれば、御本尊様を段ボール箱に入れるという行為じたい
怖かったです。 
たとえそれが、学会で悪とされている宗門発行の本尊だったとしても。
御本尊様に変わりは無いわけだし。 実際、つい最近まで信じて毎日拝していたいた対象なのに。
こんなことを私みたいな信心歴の浅い人間がやっていいのかなと疑問に思いながらも
上からの指示だから作業していました。
緊張しつつも白手袋をして、ひとつずつ段ボール箱に入れました。

作業をしていると、部屋に当日の会合責任者がふらっと入って来ました。
壮年部の幹部ですが、学会職員をしている人でした。
手には白い紙袋。その紙袋をぶらんぶらん振るように入ってき、
すぐ近くに居た男子部員(一緒に段ボールに入れる作業をしていた)に「今日、(おとりかえ)何件?」と聞く。
男子部員は「@件です」と答える。(ちなみに、3桁です)
すると学会職員の幹部
「ふーん、やっぱりなぁ。今日は紙袋が軽いわけだよ」がははと笑いながら去って行きました。
その紙袋には、おとりかえに際して会員の皆さんが持参したお金(広布基金)の封筒が
入っていたのです。

こっちが緊張しながら慎重に作業をしているところに、紙袋ぶらぶらさせて入ってきて
紙袋が軽いから件数(=金額?)少ないとか。なんと不謹慎なんだろう。
軽率な行動にもほどがある。
どうしてこんなKYな奴が幹部(会合責任者)をやってるのかと、不愉快に思った記憶があります。

単純に古くなった御本尊様や日顕さんのご本尊様を新しい御本尊様にとりかえるんだと
当時は思っていたが、 これが組織の金集め目的だったとは。
昨年の9月にネットでそれを知ったとき、紙袋ぶらぶらの光景がフラッシュバックし
知らなかったとはいえ、とんでもないこと手伝わされてたんだと、涙が出ました。
あの幹部は紙袋の重さで、上納金が多いか少ないか、はかっていたんだろうなと。

同時に、大本営は御本尊様をとっくのむかしに軽視していた(金集めのツールという認識)
ってことじゃないのか?とも。
軽視していなければ、戒壇の大御本尊を否定するような後の指導にもつながらない。
どこまでも会員をナメてるというか、食い物にしてるんだなと、腹立たしいのを通り越して呆れてしまって。

皆さんが持参された御本尊様の入った段ボールはガムテープで封をしたあと、牙城会の人たちが
どこかへ運んで行きました。
どう処理されたのかは知りません。

その数年後、今度は日顕さん以前の法主の御本尊様も創価のカラーコピー御本尊へおとりかえが
はじまりました。
実家の御本尊様は日達さん筆で、母も私も気に入っていたのですが、地域組織幹部から
かえてあげると話をもちかけられ、一旦は断りました。
が、幹部曰く「正宗の御本尊様を拝んでいても功徳が出ないよ」と。
そんなことないけどな?と思いながらも、頑なに拒否る理由もなかったのでおとりかえをしました。
(取りかえから一ヶ月後、災難がおこりました。 どんなことかは書けません。
 でも当時は「転重軽受だよ、命まではとられなかったんだから」と創価の幹部に励まされて
 そういうものだと思ってました。 実際はどうなのか解りませんが、この話はべつの機会に。)
でも、冷静に考えたら、創価が発行してるカラーコピーのご本尊様だって
原版は「正宗の」僧侶の筆によるものだから。 なにがどう違うのか?自己矛盾じゃないですかこれって。
発行元が宗門か創価かだけの違いで、功徳の出方が違うだなんて、普通に考えておかしいし
これはもう立派なオカルト・霊感商法領域だと感じます。
本尊問題については、昨年覚醒してからとても悩みました。それも後日書きたいと思います。

また、創価では10年くらい前から「お守りご本尊様」の授与が既存会員にも開始されました。
もともとは、家族の反対で自宅に仏壇をおけない新入会メンバーのために「特別に」
渡されるものとの認識だったのですが。
急に方針がかわったのか、当時部長をしていた私にとつぜん「あなたに授与のお話がきてます」と
幹部から連絡があって。
しかもお守りは、おかたぎよりも高くて最低¥5000からお金を用意するよういわれました。
私はこのとき、組織に疑問など持たない活動家だったけど、欲しいといってないのに勝手に「授与します」
ときて、お金を払えといわれたのには、ちょっと納得がいきませんでした。
なのできっちり¥5000と印鑑(受け取り書類に押す為必要だった)を持って会館に行きました(大笑)。
このときはGG会ではなくて、きめられた時間内に取りに行ってくださいという感じで
非常に事務的な受け渡しだったのも、おや?と思いましたが、さほど問題にも思わなくて。
思考停止してましたから。

これも、いま思えば「集金手法」だったんでしょうね。
どうにかこうにか、会員からお金をまきあげようと必死。
けどいくらなんでも、一番畏れ多いお曼荼羅で儲けようなんてひどすぎますよ。
大本営にどんな罰がくだるのだろうかと、私はそれを見たくて幽霊会員を続けています。

白蓮の頃(1)

女子部の活動に参加するようになり、私のスケジュール帳は組織の会合予定でびっしり
埋め尽くされて行きました。
アフター5に出かけるという事が、気軽に出来なくなります。
19時から始まる会合に遅れないように出席しようと思えば、退社後即帰宅というパターンになるため。
なんでこんなに会合だらけなんだろう?と疑問に思うことはあっても、何故かそれらを「さぼる」という
考えはおきませんでした。
ひとつひとつの会合・活動がすべt仏道修行と、組織で教わったからかもしれません。
休んだら、休んだ分だけ、自分の宿命転換が遅れて行くんだーというような指導があり、それを真に受けて
いたのです。 
いまおもえば、なんの根拠もないそんな言葉を盲信してただなんて、非常にアホらしいのですが。

会合でがんじがらめに縛りあげる事も「囲い込み」の手法だったと思います。
そうやって、組織以外の人間関係を薄くさせて行くのです。
まるでオウムが信者を出家させていたのと変わりません。 
実際、女子部の活動をはじめてから友達が減りました。創価だとカミングアウトしたせいもあると思いますが。
外部の人よりも、組織の人間と過ごす時間が長くなれば、組織活動に日々行く事が普通になります。
肌感覚として組織の常識=世間の常識みたいになっていくのです。これ又恐ろしい。

活動を開始して半年ほど経過したころ、白蓮Gの面接を受けてみないかと
女子部幹部から持ちかけられます。
白蓮Gは、幹部養成ともいわれていた人材グループ。
幾つかルールがあり、絶対強制ではなかったけれど、私たちの時代はロングヘアは禁止で
ショートカットの黒髪と決まっていました。
会館へ行く時は常にスーツかワンピースを着用する事、平常の会合でもジーンズ(デニム)で
行ってはいけない、スカート姿で行きなさい、などと規則もありました。

そして、恋愛禁止(大笑)。
当時は白蓮Gにも年齢制限があって、班長や委員長でもないかぎり、ヒラ班員の上限は25歳。
20-25歳という、女子にとって一番華やかで楽しい時期の1年間(在籍期間、もっと長くなる人もいた)を
恋愛禁止・ショートカットで過ごせという・・・時代錯誤もはなはだしい。
(いまおもうとこんなしきたり、将軍様の喜び組みたいでキモい)

そういえば、当時の女子部ではメンバーが恋愛しているとわかると幹部がうるさかった。
信心が歪むから、20代は恋愛なんてせずに、学会活動ひとすじで信心を積むべきだという指導も
実際ありました。
「信心が歪む」ってどういう意味なのか。
組織の活動にでなくなることを指すのだと思いますが、それを「信心が歪む」と表現して
普通の(会員以外の)年ごろの女性が普通に送っている日常生活を禁じるようなことを指導し、
従わせようとしていた。
人権蹂躙でしょう、こんなの。
池田老人の書いた「女性抄」という本にも、恋愛で信仰をおろそかにするようなことがあってはいけない・
若いうちは迷いやすいから云々と書いてありました。
そういうテメエは20代前半の女(ヨメ)と結婚したじゃん・・・と今なら突っ込む。
日蓮大聖人様が、いちどでも若い女子は恋愛禁止なんておっしゃったこと、あるのだろうか。ないと思います。
たぶん創価の将軍様(池田老)の意向だったんでしょうね、ああキモい。

そんな白蓮Gに入ると、忙しさはさらに輪をかけました。 
通常の会合に参加のかたわら、会館任務につき、課題もいろいろとあり(人間革命全巻読了、任務前日は
かならず一万遍唱題)本当に時間がなくて。仕事の時間以外は組織に時間を奪われる状態。
自分の時間なんてほとんどありません。
この当時は、それをイヤだとか不満に思う事は不思議とありませんでした。
そうして忙しくしている自分に酔っていたのです(大笑)。
広宣流布という崇高な目的に向かって自分は進んでいる。
その功徳は無量なんだ、今遊ぶことも・恋愛も出来なくても、未来に御褒美があると思いこんでいたから
平気でした。 脳内花畑だったのです。

恋愛禁止は強制ではなかったので、班員には彼氏もちの子もいました。
そういったメンバーに対して、幹部の指導は無駄に長かったし、非常に厳しかったです。
毎回別れろとハッキリ言ってました。仏道修行の邪魔だからと。
泣きながら指導を受ける班員、少し離れたところで他の班員は御書をよみながら指導が終わるのを待ちます。
8ユニオンといって、白蓮Gひと班のメンバーは8人なのですが、毎週班会があって
全員の指導が済むまで帰ってはいけないというルールがあったのです。
私のいた地域は厳しかったので、うちだけのルールだったかもしれませんが。
私は彼氏がおらず、8人のうち2人の班員が彼氏持ちだったのですが、この2人のせい(?)で帰宅が遅くなります。
内心、イライラしていました。口に出す事は無かったけど。
別れて無くても、嘘でもいいから「もう別れた」って言っちゃえばいいのにーと思っていました。
いまとなれば、こうして恋愛無関係のメンバーまで居残りにして見せしめのような指導を行っていたことにも
意味があったんだとわかります。
周りに迷惑をかけてるんだぞ、と恋愛しているメンバーにプレッシャーをかけていたんでしょう。
そして恋愛していないメンバーに対しても、恋愛するとこうなるぞと見せしめていたんでしょう。
暴力こそなかったけど、精神的総括・粛清でしょうこんなの。
当時はそれがあたりまえというか、組織における日常でそれほど違和感もなかったのだけど
いま遠くから眺めるように思い返すと本当に怖いし、ただただ異常。
カルトと言われても、仕方が無いと思います。

白蓮Gは「率先垂範」がモットーとされていました。
私は瞬発力に欠ける方で、グループでいるときに幹部から何かを指示されても
まず頭で考えて行動してしまうほうでした。そして、そのことを毎回幹部から注意されていました。
「頭で考えるよりもまず行動せよ」「信心は能動でなくてはならない」
自分では、対話数もあがっていたし折伏の成果もあり(任期中に本流しました)、ちゃんとやることやってるよ!
と思っていたのですが、幹部は誉めてくれない。正直不満でした。
幹部が誉めるのは、成果などろくにあがっていなくても、ただ従順に、愚直に幹部のいうことを聞き、
打てば響くとばかり一声かかれば鉄砲玉のように飛び出していく、瞬発力のあるメンバーでした。
当時はなぜ、そのようなメンバーばかりが誉められるのかまったくわかりませんでしたが、今はわかります。
要は、創価の組織で重用されるのは
「意味はわからなくても上からの号令に反発せず行動できる」人なのです。
いちいちまともに考えてたら、つじつまの合わない事だらけだから。創価の活動の打ちだしなんて。

私が白蓮をしていた当時、創価で御本尊様の授与が開始され折伏戦が活発になった頃でした。
いま思えばぎょっとするような、組織はやっぱ腐ってたなとおもうような事柄を見聞きしました。
そのことは次に書きたいと思います。

囲い込み

創価には未来部というカテゴリがあって、小学校~高校までの子供たちが名簿で掌握されている。
月に1度、部会の会合もあって、そこには未来部担当者という女子部のおねえさんが来ていた。
おねえさんは会合の連絡で家庭訪問にもやってくる。
12年間かけてじっくり人間関係を作り上げ、女子部(=社会人・金も票も供出できる年代層)へ
囲い込みやすくするための手段なんだと今はわかる。

表向きは「未来部は学会の宝」「後継の成長を願って」なんて言ってるけど、
実情は子供たちが立派な社会人・おとなになったとき、組織の手駒となって素直に従順に
動き・組織に利する人間となるよう、監視誘導しているだけ。

けれども、未来部担当者と呼ばれる女子部のおねえさん(や、男子部のおにいさん)は
そんなどす黒い組織の魂胆は全く知らない(気づいてない)。
心から「善の行動」として、それをやっている。
寸暇をおしんで家庭訪問に出かけては子供たちを励まし、会話でなごませ、時にはお菓子を配ったり
もする。当然「善意」です。組織からお金がでているわけではありません。
そうして身内でもないのに、おねえさんがたはこどもたちの「成長を見守って」いた。 
でも実際、これは大本営からしたら「とりこぼさないための監視」です。
組織でいう活動のすべてが、きれいごとのタテマエ&どす黒い大本営の本音のリバーシブルで出来ています。
大半の善良な会員は、どす黒い本音に気づいていません。
まさに人の良心につけこんだ、詐欺搾取機構で、社会悪です。

私も、ずいぶん沢山の女子部のおねえさんに関わってもらいました。
概ね20代半ばくらいの方たちだったので、私とは10-15歳年齢の開きがありましたが
私が女子部にあがる年代になってもまだ(独身で)女子部に在籍している方もおられ、
おおきくなったねー!と、驚かれる事もたびたびありました。

そして自分も、諸先輩方がしてくれたように、未来部員に接していきました。
先輩がくださった恩を、自分が今度は後輩たちへ・・・と考え。
当時の私は、そうして地域の小中高校生の女子たちと接し、会合へと連れ出して行くことが
「善の行動」で、彼女たちの幸福と成長を願えばこそと、思っていました。
組織からそう思いこまされていましたので。

私は生まれた頃から結婚で家を出るまでずっと同じ地域に住んでいたこともあり、
近所に組織の知り合いが多かった。
大卒後、社会人になってからも自宅から通勤だったので、家にはすぐ「女子部」のメンバーがやってきた。
そのとき部長をしていた人が、私が中学生のころの未来部担当者。
一緒についてきたのは、一足先に社会人になった同級生女子でした。
全く見ず知らずの人じゃないだけにタチが悪いのです。
むげに誘いを断る事も出来ず、会合に行く約束をとりつけられた。
私は学生時代、まったく組織活動に参加して無かったので(学生部のない大学でした)
すんなりと女子部の活動へ入って行けたわけではありませんでした。
誘われた会合に一度でたあとは、何かと理由をつけては避けていた。
しかし、草の根運動的に十年以上かけて出来あがっている人間関係。家庭訪問に居留守を使うような事は
出来なくて。
信仰心は多少あっても学会活動に興味無いのになーと思いつつ、家にこられれば戸口に出て会話してしまう。
悩み事ないの?と聞きだされる事もあったけど、特に悩み事などなかった時は「全然」と言えばよかった。

社会人になって数カ月経過した頃、職場の人間関係に悩み始め、タイミングよく女子部が会合に誘いに来た。
何か変わるきっかけがほしくて、参加してしまいました。
そこで自分が悩んでいる事をうっかりしゃべってしまい、だったらご祈念しながら活動もしてみようよ!と誘われる。
ご祈念だけではダメで、学会活動する事で「生命が磨かれていくんだよ!」と先輩方にいわれる。
高校時代、任用試験をうけていたので、信行学・自行化他という言葉は知っていた。
さあいまこそ、「行」=学会活動 「化他」=折伏(創価へ他者を入会させる)で自分の壁を打ち破っていこうよと
励まされた。
心が弱ってた+下手に知識があったものだから(トンデモ教学だったわけですが)、それもそうなのかなぁと
これをきっかけに会合に出るようになりました。

そうすると不思議なことに、悩みの種だった職場の人が季節外れの転勤になって居なくなりました。
そして、その人の担当業務が私にまわってき、まともに仕事をさせてもらえる環境になりました。
確か2ヶ月ほどで状況ががらっと好転したのです。
子供時代に「功徳だ!」と、はっきりかんじたときのこと思いだしました。
そしてどっぷりと、女子部の活動にハマっていくのです。
いま冷静になって考えると、この件は「功徳」ではあったろうけれども、それは私が御本尊様に
ご祈念したことで出た結果であって
決して、創価学会の活動で得た「功徳」ではないと思います。
だけれども、組織の中にいると、これは「組織の中で活動をし、ご祈念した功徳」と変換されてしまうのです。
組織活動と・ご祈念(信仰)はまったくのベツモノなのに、いっしょくたにしてしまう。
これが創価の悪だと私は思っています。

私の場合ですが、人間関係が希薄であれば、女子部の活動にハマることは無かったと思う。
活動に出ればかつての同級生が何人もいたし、みんな大人になっていて、同窓会ノリで会うのが
楽しかった。
こんなこと信仰とは何の関係もないのですが、仏道修行といいながらも
実際は組織に利する為だけの活動を、大勢の人を集めて行うためには
「楽しい雰囲気」「なんかよくわからないけどにぎやか」という空気が必要なのでしょう。
一種の祭り的な。 選挙戦なんてまさにそれですからね。
人間関係がある程度出来ているから、いったん活動家になってしまうと嫌になってもコミュニティを
抜けづらくなるという面もでてきます。 
引っ越しするしか、抜け出す方法は無い。まさに村社会そのもの。
子供時代から囲い込みを行うなんて、どこまでも恐ろしい集団だとおもいます@創価。

うちの姉に関しては、もともとアンチで小学生当時から部員会をブッチするほどだったのですが、
中学受験をし私立中高→大学は県外へ出たので、まったく地元・女子部に知り合いがいません。
だから誰が訪ねてきても「知らない人と話したくない」と顔をだすことがなかった。
知ってか知らずか、スクリーニング出来ていたという。
どうして同じ家で育ってこうも違ったんだろう。
不思議でなりませんが、私は創価に深く縁せねばならぬほど「業」が深かったのだと
思う事にしています。

創価か宗門か 選択

先にも書きましたが、私の母が草創の家の生まれで私は学会3世です。

母の両親が仕事の関係で知り合った人から話を聞き、入信。
ただ、当時はあくまでも寺院に所属(?)するというかたちで
もとは浄土宗だったところを改宗し、御本尊様を御貸し下げ頂いて、日蓮正宗寺院との関係が
できたとのこと。
ふつうの仏教宗派なら「檀家」になるところ、紹介者が創価学会に属している人だったので
自然と創価とも繋がりをもったということのよう。

祖母については、学会マンセーという雰囲気は全くありませんでした。
祖母の家が同県内にあったので、時々遊びに行ってましたが(祖父は私が生まれた時には
もう他界していた)
祖母は創価の会合に出る事もなく、ただ朝夕のごん行を欠かさないという、ごく普通の信仰でした。
一緒に菩提寺や、大石寺へいったこともあります。
でも、創価の会合や会館へ一緒に出かけた記憶はまるでなし。
高齢で、組織の活動は達者な者がやればいいという感じだったのかもしれません。
同居の長男夫妻は、組織の地域役職をしていました。
その祖母の死相が大変綺麗で、自然死で95歳の大往生だったことが、一族の自慢。
「信心強情なばぁちゃんだったから、見事に即身成仏した!」とかなんとか
法事のたんびに聞かされて。
ただ、祖母は「創価の活動」に熱心だったわけではなく、日々御本尊様にご祈念申し上げていただけ。
なのに子供たち(母とそのきょうだい)は都合のいい脳内変換をし
祖母の死相が学会正義を証明したんだなんて言いやがる。
おばあさんも創価ひとすじだったというような解釈をしているのが、どうにも解せない。

母の兄弟は全員、創価学会の「活動家」で、県幹部もいました。
中でも伯母が池田命ともいえるほど心酔しており、この伯母が一族を牛耳っているように見える。
宗門問題が勃発し、寺につくか・創価につくか決める際も、伯母の一声で右へならえと
寺を切り捨てたのです。
そこには身内が何名も創価組織で幹部をしている手前、寺につくなんて”忘恩の輩”といわれてしまう、
という面子もあったと思います。
この宗門問題表面化の頃、祖母は既に他界していました。
もし生きていたら、どうだったろう。祖母はお寺につくことを選んだのじゃないかなと。

私の母は、伯母のような「池田命」ではありませんでした。
大聖人様と御書についての話はよくしてくれたけど、池田氏を称賛するような教育は全く無し。
部屋に写真を飾るような事もありませんでした(色紙はありましたが・・・)。
このことは私にとって、不幸中の幸いといえます。
師弟だなんて、思った事も考えた事も無かったから。
女子部に上がっていきなり「池田氏を師匠と呼びなさい」といわれても、ハァ?って感じでした。
きっとなにもわからない、幼稚園小学校あたりから、池田命を親から刷り込まれていたなら
なんの疑問も持たずに「師匠!」と、崇めていたでしょう。
そして今も、活動家として頑張っていたかもしれません。

のちのち知り合った(女子部時代)同年代の女子に、先生と奥さまのツーショット写真を手帳の表紙に貼って
「いつも私たちを見守ってくださってるの」とウットリ眺めている子がいて。
神格化もはなはだしいと、ぞわっとしたのを覚えています。口には出せなかったけど。
同じ創価の組織にいながらも、私はこの感覚がまったく理解できなかったし、ドンビキでした。
彼女の両親は組織幹部で、家の仏間は四方、池田氏と奥さまの写真パネルが飾ってあるような環境。
英才教育を受けると、こんな風に育ちあがるんだ~、恐ろしいことです・・・。

余談ですが、創価小の面接で
「池田先生はいま、なにをしておられると思いますか?」という質問があると聞きました。
6歳そこらの年長児に、こんな質問をして、どんな答えが模範回答かというと
「世界平和のために行動されています」「世界平和のため御題目をあげてくださっています」◎
「昼寝」「散歩」「あそんでる」「ごはんたべてる」「テレビ見てる」 は当然×
右も左も良く解らない就学前の子供が、何も教わらないままで模範解答をいえるわけもなく
これも親が「先生は日々、世界平和のために行動なさってる」と教え込んでいるからこそ出てくる言葉。
家庭内プロパガンダの恐怖。
北朝鮮となんらかわりない気がするのは、私だけじゃないとおもいます。

話しが横道にそれましたが、平成3年に日蓮正宗が創価学会を破門したさい
すべての学会員(=檀家)が、どちらにつくか選択を迫られました。

いまになって思うと、この破門って、創価的には「してやったり」だったんだろうなと解る。
大半の会員が聖教新聞を購読しておりプロパガンダはばっちり、がっちりと地域組織でタテヨコ
おさえこみに成功。
宗門側の言い分をまともに受け止める土壌なんてなかったから。
囲い込みに既に成功しているぶん、宗教を使った巨大搾取機構が「笠」いらずとなり
総本山(=宗門)にマージンとられなくてすむようになるんだから、ウハウハだったんだろうなと。
むかつきますね、ほんと。 

ちょっと落ち着いて考えれば、宗門につくのがここではスジだったと理解できたはずなのに。
私は当時まだ親の庇護のもとにある学生で、それほど組織のこともわからず(未活動だったし)、
家の宗教なんだから、親がきめたことにしたがうのが当然というか・・・いえ、まったく深く考えて無かった。
お寺に行けなくなるのは嫌だと思いつつも、さほど問題にしていませんでした。

そして私の母も、身内(創価の大幹部のきょうだい)が言うなら従っておこう~くらいの
ノリだったのでしょう。
このとき地域組織・親族関係という「しがらみ」に目を塞がれて、重要な真実を見落とした会員が
ごまんといると思う。 創価は村社会そのものだから。
はじかれては困る、孤立したくないという思いも、組織へと向かわせたんじゃないか。

私が今現在すぐに脱会手続きをとらない理由の一つは「親族とのしがらみ」です。
宗教は心の問題で、家族といえど口出しはできないというか、個人の考えを尊重されてしかるべしなのに。
こと創価組織となると絶対にそれが許されない空気。 そこもカルトといわれる所以だと思います。

昨年、私が覚醒したさい初めて母を問い詰めました。
なぜあのとき、お寺につかなかったのかと。創価なんかを選んだんだ?と。
母はいいました
「だって、お寺は何もしてくれなかった。教学や御書をおしえてくれたのは学会だった。
 学会がなかったら、御本尊様にも巡り合えていなかったんだよ。
 最初に紹介して下さった人が創価の人だったのだから、そちら側につくのが当然でしょう」と。
なんたる不幸。
組織への依頼心を強める為だけのトンデモ教学なのに・・・。
お寺は何もしてくれなかったって、なんじゃそりゃ・・・。
たとえきっかけは創価関係者からの紹介だったとしても、信仰において本山を切り捨てるなどと
悪魔の乗った神輿を担ぐようなもんじゃないか。
信徒団体ってナニ。本丸(本山)の無い信徒団体なんてありえないよ。
日蓮大聖人が御宗祖とうたっているわりに、会館には御宗祖をかんじられるもの・絵画の一つもなし。
日蓮の教えは偶像崇拝NGだからってもっともそうにいってるけど、じゃあなんで池田老人の写真は
飾ってあるのよ?(大笑)。
本山を捨てた時点で本丸が狡猾に池田老人にすり替えられてしまっていた事、私は昨年まで気づけなかった。
それは幼少期から刷り込まれつづけた
「この信心は絶対」「学会を(先生を)裏切ったら地獄に落ちる」という恐怖心から
真実を・疑問を追及する意欲をがっさり削がれていたからです。
いわゆる「思考停止」に陥っていたからです。

のちのち本山のことも調べてみたら「おや???」と首をかしげるような事が多くあり
宗門もどうなのかなぁと疑わしくなったので、今現在お寺につく気は一切ありませんが。

ただ、この20年間、創価学会にいいように使われ搾取されてきたことを思うと、納得がいかない。
遅くはなったけど、昨年気づけて本当に良かった。

40歳不惑を過ぎて、ちょっと考えられるようになった今現在は
どちらか選ぶなら、あのとき宗門につくべきだったと非常に悔やまれます。
創価につくよりは絶対マシだったと思うw

しかし、なりゆきのまま、お寺につかず創価の女子部にあがった私は
「仏道修行=創価の活動」という、大間違いを信じ込んで活動家となってゆきます(つづく)。

お寺が好きでした

私が女子部にあがる少し前まで時代は「昭和」でした。
創価学会と宗門が表向きには蜜月を装っていた頃です。

宗門問題が表面化するまで、私の母やその親戚は、ほぼ毎年登山(大石寺)へ出かけていた。
(私が幼少期、初めて新幹線に乗っていった旅行先は静岡県wもちろん登山)

そしてお寺もわりと近所にあったので、たびたび出かける機会があった。
たとえばお正月はお寺に行くのが当たり前でした。
当時から創価の会館でも、新年GG会はやっていたと思うのだけど、我が家はお寺に行くのが当然で。
そして、記憶の中では中学生くらいまで父やほかのきょうだいも
年に一度、この正月だけは一緒にお寺へ行っていた印象が残っている。
組織に疑問を持つようになった昨年まで、はっきり認識したことはなかったが、父が嫌っていたのは
あくまでも「創価」という組織であって、宗教としての日蓮正宗までは否定していなかったのだと思う。

高校生になった私は、高等部の活動に積極的に参加。
仲良しの友人が部長をしていたので、一緒に部員会企画を考えたり
設営をやったりと、楽しんでいました。
そして私たちは唱題にも力を入れていて、よく放課後にみんなでお寺にいってお題目をあげていた。
高校3年生になると、受験突破を祈念しに行くように。
お寺がとても身近な存在。
このお寺、若い僧侶さんと奥さんがいつもいらして、私たちが御題目を突然あげに行っても
嫌な顔一つせず、笑顔で迎えてくれたのもありがたくて。
お布施をもっていくわけでもなく、常に手ぶらで行ってたけどw 高校生だったからかな?無問題。
だから私はお寺に対して(平たく言えば宗門に対して)全く悪いイメージを持っていなかった。
このため、後に組織で激しい宗門・寺叩きを目の当たりにし、常に複雑な思いをすることに。

時は平成に。
宗門問題(破門)が聖教新聞で大々的にとりあげられたのは、私が大学生のとき。
当時の私は、学生局には参加してなかった(通ってる大学に組織がなかった)。
かといって女子部の会合にも誘われず、宙ぶらりんな状態。
組織の活動に一切参加していなかった時期です。

母から「何度新聞を読んでも意味が理解できない、あなた読んで説明して」と手渡された新聞を読み
宗門から創価学会が破門を受けた事、もうお寺にいっちゃいけない(?組織をやめれば行ってもよし)
ということを知った。

このときの、私の率直な感想は「お寺にいけなくなるなんていやだよ!」でした。
お寺なくして、一体なにが信心なのよ?という思い。

しかし、それほどドップリと活動や信心に浸かっていたわけじゃない私は
この問題を深く考える事もしなければ、自分自身の問題として向き合う事もしませんでした。
あくまでも「家(というより母)の宗教」だから、親が決めたことに従うのが当然くらいに考えて。
この件で母は随分悩んだようだった。というのも、母もお寺大好き人間だったから。

母のきょうだいが創価で県幹部をしていた事が影響し、母方はみな組織についてお寺を切る方向で
まとまって。
その県幹部のおばが、いかに宗門が金に汚いか云々(当然それは上の組織から流れてきた話であって
自分で見て聞いたことではない・だけど、組織が言うなら絶対という「盲信」ぶり。恐ろしい)を
ぶちまけ、愛する先生(大笑)のためにも、私たちはお寺にいっちゃいけないと説得をしたようです。
母も、身内がそういうならと方針を決め、我が家は脱会することなく・お寺へ行くのを辞めました。

大聖人様の御書や・お寺が好きで、組織がいう「師弟」について全くなんの愛着も思い入れもなかった私は
その後、女子部へあがっても違和感の連続でした。

今、振り返ってみて。
親に従うのが当然、という自分の当時の考え方はもろマインドコントロール下だったなと感じます。
本来ならこんな大事な件・信条にかかわる事は自分で考えて結論を出すべき。
だのに「親任せ」にしてしまうとは。
学会2世、3世が抱える問題として「多少の疑問は持っても、結果的に親のいいなりになる」という点。
マインドコントロール下に居ると、それが当たり前になってしまう怖さ。
別居だとそれほどではないことも、同居だと精神的支配下に置かれやすい気がします。
自分の経験上そう思います。

功徳体験

「願えば(御本尊様に祈念すれば)なんでも叶うんだよ」母にそう教えられた小学生の私。
なんでもかんでも、祈っていた。

要領も悪く、どんくさい私はいじめのターゲットになったこともあった。
あからさまないじめというよりは、仲良しを装って実は足蹴にするというタチの悪いもの。

ある時、いじめのリーダー格の女子に大手スーパーへ一緒に行こうと誘いだされた。
私以外の、リーダーの取り巻きも数人参加。
衣類売り場で、ちょっと今から靴下をとってくるからあんた見張り番してと。
つまり万引きの見張り役(店員がこないか・みてないか)を頼まれた。
悪いことだとわかっても、断れなかった。
目の前でいとも簡単に靴下を盗んだリーダーと取り巻き。 このときは見つからなかった。
スーパーを出て、ちょろいもんだよと得意げな彼女たち。
絶対言うなよ、と口止めをされた。
心暗かったが、誰にもこの事はしゃべらなかった。

後日、リーダー格が「次は別のお店でやるから。今度は私が見張り役やるからあんたが取ってきな」
と、万引きを強要された。
ちょうどその日、私は午後から親戚宅へ行くことになっており、親と一緒に出かけるから無理だと断った。
するとリーダー格が「じゃあ来週のO曜日は絶対明けといて。その日にしよう」と。
いやな約束をとりつけられてしまった。
ここで、まともな育ちのお子さんだったら親や先生に相談するのだろう。
私はそれをせず、御本尊様にご祈念することにした。
”どうしても行きたく(やりたく)ありません。なんとかしてください”と。
御題目を上げながら、涙がでるくらい必死に祈念したのを覚えている。

予期せぬ事態がおこった。
リーダー格の子の住む家(公営住宅)が火事になり、約束どころではなくなった。
その子は家庭環境が複雑で、焼け出されたあと親が蒸発し福祉施設に入ったので
地域や学校に戻ってくることは無かった。

イヤな約束は反故となり、取り巻き連中もリーダー不在となったら
「普通の子」に戻っていった。

この体験で私は「祈りとして叶わざるなし」という確信を掴んでしまった。
幸か不幸か。

実際のところ、本当に偶然だっただけで、願いが叶ったのかどうかわからない。と現在は思う。

だけど純粋な小学生時代の私にとって、この体験は絶大な確信・説得力をもつものになった。

こんな偶然ともいえる運の悪戯が、その後も何度かあり、そのたびに私は「信」を深めて行った。
ただしこれは「御本尊様への深い信」であって、決して「組織」に対してのものではない。

でも、大人になると(女子部にあがると)「組織」がそこに巧妙に入り込んでくるから厄介な話となっていく。

機能不全家庭

私が育った家庭は「機能不全家庭」だった。
ものごころついた時から両親は不仲。
その原因は、創価学会だった。

母は学会2世で親戚縁者もすべて創価学会員。
父は一般的な日本人の宗教観(神仏習合)の家庭に育った人だった。

そんなふたりが結婚して、うまくいくわけもない。

なにかといえば学会、信心、とうるさく「これが一番正しい」と譲らない母に対して
父は常に正論でたたみかけ、挑んでいた。
喧嘩が絶えない。喧嘩原因の9割は、創価だったと言ってもまちがいない。

そんな両親のもと3人の子供が育ったが、私だけなぜか母のいうことを聞く子供で
あとの2人は父と考えを同じくしていた。
私は母を罵倒する父や2人のきょうだいが嫌いでたまらなかった。
そして2人のきょうだいは、なにかといえば信心が足りないだの・ちゃんと信心しないからだと
口を開けば「信心」で片付けようとする母と・それに同意する私を馬鹿にしていた。
まさに、家の中が右と左両極にわかれていた。

おかげで私は、家族や家庭に対して良いイメージをもてないまま育った。

私が素直に母のいうことを聞いて信心が出来たのには理由がある。
私は子供のころから、他のきょうだいと比較してなにをやってもだめな子供だった。
勉強も運動も出来ない。誉められるような事がひとつもない。
習い事も長続きせず、成績もふるわず、父からいつも叱責されていた。
ほかのきょうだいは勉強・運動も出来、良い成果を上げているのに。
父から比較されることがとても辛かったし、居場所が無い気がしていた。
それが母は、そんな出来の悪い私でも誉めてくれる。
あなたは御題目しっかりあげている、ちゃんと少年部員会にも出席している、偉いじゃないの!
勉強や運動ができなくたって、信心さえしっかりしてれば大丈夫だからと励ましてくれた。
そんな母が大好きだったし、誉められたくて信心(と、創価の組織で呼ばれる行動)を
してきたのだと、今になって思う。

小学校低学年のころから「願えば叶わない事は無い」と、現世利益の甘い考えを叩き込まれた。
こんなベースが、三つ子の魂100まで状態で、40年近く自分の心眼をふさいできたのだと思う。

非常識な当日確認

昨年の秋以降、地区の婦人部員は家庭訪問にやってくることがなくなりました。

今年2月ごろ、担当者・組織が変わるとかで支部婦が家庭訪問にやってきて。
そのときに、はっきりと「もう組織と関わる気はありません」と伝えました。

顔をひきつらせながらも、支部婦は「じゃあ家庭訪問も来ないで欲しいって感じ?」
と質問。
私「そうですね、お話しする事ないですから」
支部婦「そう、残念。一応、新しい担当者に(家庭訪問NGの件)伝えておくね」と
帰って行きました。

その後、おどろくほど何の音沙汰もなし。
やんわりと断るよりも、はっきり言う方が効果あるんだーと拍子抜け。
はっきり拒絶したら引き留めでイヤガラセみたいに家庭訪問とかあるのかなぁ?と
ぼんやり想像してい1たので。
私のいる地域は「人材不足」ゆえ、集団でイヤガラセにまわるほど人手もなく
それどころじゃないのかもしれないけどね。

そして今夏の選挙。
家のポストに候補者一覧と広報が入ってた以外、地元組織からは何のコンタクトもなかった。
選挙ともなれば毎回必死だから、いつ投票に行くのか?行ったら必ずメールくださいねという
お決まりの確認事項くらいは言って来るのかな?と予測してたんだけど、なーんも無し!
家庭訪問もなし。
ここまであっさりしてくれていると、気楽だわ~と思っていました。

そして選挙当日、朝のうちに投票を済ませ
(当然、組織が応援する党には入れません。自分で考えてきめた政党に投票しました)
家族で海水浴へ。
スマホの充電をしてなかったので、電池残量が少なく、ビーチに居る間は電源を切っていた。
夕方、帰り支度を終えて電源を入れたところ、留守電が3件。
嫌な予感。
確認すると、実家の母からだったので電話。

開口一番
「あんたなにしてんのよ!こんな大事な日に!投票には行ったの?」キレ気味にまくしたてる母。
私、あっけにとられながらも
「朝一で行ってきたけど(ナツヲの党には入れてませんけど)、いったい何なの?」
母は深~いため息をついて
「なら、どうして拠点に連絡入れないの?電話一本しとけば済む事じゃないの!」
私「ハァ?!」

私の地域の創価学会員(婦人部)が、私や夫が投票に行ったかの確認がとれないので
お母さん確認してもらえませんかと、実家に電話をいれていたのだ。
こういうことは、初めてじゃない。でも選挙絡みでは初だった。

地元婦人部員のずるいところは、自身がなにひとつ私に確認していない・事前の根回しもしてないこと
全くひたかくしのまま、
あくまでも、私が連絡を怠っていて困ってる風を装って実家に電話を入れている事。
きたないんだよ、やりかたが。

今回の選挙について、私のところに、地元組織からは本当になんの連絡もなかった(メールも電話も)。
投票のお願いもされていなければ、投票に行ったら連絡してねともいわれてない。
それ以前に、現在の地域の担当者が誰に変わったのかすら私は知らないしわからないw
(関わりたくない、と伝えたので家庭訪問に来なくなったから)

こんな状況で、私が投票にいったかどうかを、私個人に直接確認することをせず
わざわざ実家に電話入れるって、なんなの?????
投票の確認取るためなら、なんでもありなのかよ。

私が着信拒否にしていたわけでも、メアド変えたわけでもない。
私個人に連絡をとる手段はあったのだし、こんなこと直接本人に確認するのが筋だろうが。
家庭訪問にこないで欲しい・けど実家に連絡してOKだなんて許可はしてないぞ。
非常識にもほどがある。
手が震えるくらい、腹立たしかった。

実家母にも、その旨伝えた
(今回の選挙・投票について、組織の人から連絡くれと一言も言われてない件)。

しかし母は、組織員の非常識さは棚にあげて、組織員をかばった
「あなたもさ(電話した婦人部員の)立場がわかるでしょう、活動を頑張ってた時期があるんだから。
自分の地域の部員さん、ひとりの票もおとしてはならないという責任感が
(実家に電話を入れるという、非常識な行動)そうさせたのよ。
そのくらいわかってるなら、頼まれていなくても、連絡くらいしてやんなさい!
私だって忙しいのよ・・・云々かんぬん(自分も当日確認で拠点につめていて、電話もひっきりなしで
大変だとの愚痴。だったら辞めちまえよ・・・と思いながら聞く)」

電話中、ものすごい疲労感。と、隔世感。

一票のためなら、なんでもしちゃうんだね。
そこまで必死になって地域の会員の票を追わなきゃならない理由って何なの?
上から脅されてるの?w
もしくは、地域から一人でも棄権者がでたら「功徳が出ないから」必死なの?w

母に正論をぶつけても組織脳で理解できないことは十分承知している。
とりあえず、私の主張と事実(連絡して下さいと頼まれてない・選挙自体頼まれてない)を
伝えて電話を切った。

そして即、地元組織の知り合いにメールで釘をさしておいた。
実家に電話で確認取るなんて非常識にもほどがある。なんで私に直接きかないのか?
次に同じことをやったら、しかるべきところに申し出ますけどいいですよね?と。
詫びのメールが届いたが、次の選挙までにうちの地域員がやる事はきっと
「私の統監カードを地元(実家)に戻す」だろうな(大笑)。

ほんと、必死すぎるし、どこまで選挙屋さんなんだろうか。創価学会って。
あらためて異常さを感じた。
宗教団体のやることじゃないだろ、こんなの・・・・。

夕飯をファミレスで済ませて帰宅後、テレ東の選挙特番を見た。

池上さんの、女史へのツッコミをニヤニヤしながらみてしまった。
美人かもしれないけど能面。自分で物事考えたこと無いマインドコントロール顔の代表だね。
女子部にああいう幹部やまほどいたわー。
そして概ね、創価教育出身者だったわー。と、なつかしくおもった。