実事求是(3)

「偽」本尊と意識して以降、三唱を仏壇にむかってではなく
東の方角を向いてしていました。
自宅の仏間は東方向に家具が置けないので、仏壇は別の方角にあります。
しだいに和室に入ることすら億劫になり、気分が重くなって、お水がえもしなくなりました。
単純に気の問題だったと思いますが、暫くのあいだ家の中にいるとき、車酔いのような症状に
悩まされました。
子供が起きている時間は気が張っているのか、そのような症状はないのだけど、
子供達が寝静まって主人が帰宅するまでしばし一人になるときなど気分が悪くなるのです。
これはきっと「偽」のせいだと思っていました。 怒ってるんじゃないかとw
偽だなんて私が決めつけて三唱もしなくなり・御供えもお水もあげなくなったから、
私を困らせてやろうとしてるんじゃないか?と思ってました。

御本尊様問題と向き合う中で、私の信仰の基礎がオカルトに支配されている事に
気が付きました。
とにかく”祟り”を恐れていたのです。
バリ活時代、外部の友人がおまじないやらお守りなどに執心している様子を見て「馬鹿みたい」
と思っていたけど、自分だって同じ穴の狢でした。
原因は実家の母や組織幹部から聞かされた罰論。
御本尊様を粗末にしたら、どうなるものか。母からこれでもかと酷い話を聞かされてきました。
母も同じく誰かから刷り込まれたんでしょう。
そんな刷り込みによって、40年以上にわたってお曼荼羅(御本尊様)を脅威に感じてきた私です。
ただの巻き物だとは思えません。
そういえば、長子が3歳くらいの頃、夫と仏間でボール遊び(といっても、小さなゴムボールです)を
していたのを見て私は「ちょっと!何やってんのよ!」と大声で注意した事がありました。
夫と長子は、きょとーんとした表情で私を見ました。何がいけないんでしょうか?って顔です。
「他にも部屋があるのに、なんでここでやるの?御本尊様のある部屋でそんなことしないで」と二人を
追いだしたんです。当時すでに未活ですが、御本尊様への絶対心はありました。
夫にも仏間で子供と遊ぶのは止めてくれと頼みました。
理由も説明し、夫はたまたま子供と追いかけっこして仏間に入ってしまい延長で遊んでいただけで、
今後は気をつけると返事をしました。
私はこの時、一般家庭と創価の育ちの違いを感じました。
自分の育ちでは、仏間でボール遊び(他の遊びも)なんて許されませんでした。
仏壇にうっかりボールが当たったり、バタバタ走りまわる=衝撃で御本尊様が揺れては困るという考えで。
お曼荼羅が揺れるのはよくないと聞かされていました。命が揺れるからです。
お曼荼羅を巻きっぱなしにするのも良くない。自分自身の命が巻かれてることと同じ。
「自分の命と思え」と教わってきて、特別な力のあるお曼荼羅と信じ切ってきただけに
いくら「偽」とはいえ、私はこれが何の力もない単なる巻き物だと考える事は中々出来なかったです。

御本尊様について調べ始めると、創価の枠の中におさまっていた当時は知らなかった事実が
ざくざくと出てきて、インターネットってすごいわ! と、思う毎日でした。
御本尊様について詳しく調べている方が、ネット上に研究結果を記載してくれている事が
とてもありがたく、また、皆さんすごいなぁと感心しました。
十分に、学術的探求の対象になりうる事なのだと、このとき初めて知ったような次第です。
それだけ謎で、未だハッキリしていない部分が多いということなんですね。

なんせ創価で教えられた教学や日蓮大聖人の事は
「学会で教えていること以外に正しいものはありません」という紋切り型でした。
正しいものはこれしかないんだから、正しくない他のものなんて態々学んだり・知ったりする必要は
ないですよ!っていう。それは、何に対してもでしたね。 
よほど自分たちの教えにボロがでること恐れ、会員を盲目へと陥れていたのでしょう。
そうとしか考えられません。

真筆御本尊様(の画像)をネットで気軽に見られる事に対しても私は驚きました、そういえば。
創価では絶対に、御本尊様の相貌を写真や映像(ビデオ)に撮っちゃいけないって教えられてました。
理由は聞いたこと無かったですが、そういうものなんだと思い込んでたんです。
だからネットで画像を見るなんて、最初は悪い事をしている気分で落ち着かなかったですw

調べ始めてすぐに、戒壇の大御本尊様が後世の偽作であるとの疑義を目にしました。
こんなことも、昨年までまったく知らなかったのです。
真贋に関しては私にはもうどうでもいいんですが(日蓮正宗に帰依するつもりはないので)
あれこれ知識を得るうち、やはり創価が御本尊下付を始めてしまったのはマズかったと思いました。
この事実だけで、じゅうぶん脱会理由になるなって。

戸田先生が「これ(御本尊様)だけはわれわれ(学会)は作るわけにゆかない」と言っていたのに。
師弟不二をごり押しする自称戸田の一番弟子な池田老人が、あっさりそれを裏切るってありえません。
私的に、宗教団体が勝手に(独自に)印刷・製造したという点が解せなくて。
正宗がいう血脈相承はちょっと横に置いとくとして、御本尊様を独自に印刷・製造する行為自体が、
”信心があるなら誰人もOKで許される”というのならば、極端にいえば私が作ってもイイって事です。
最近じゃ、日蓮大聖人御真筆をインターネットで閲覧することも可能。
それらをパソコンに取り込んで、プリントアウトして、それなりの表装を施して自宅で御本尊様として
おまつりしても構わない、って拡大解釈も、出来てしまうような?(やりませんけどね)
御本尊様を印刷する事は、べつに創価学会だけに許された特権ってわけじゃないのだから。

折伏について考えた時も思いましたが、結局創価にとっての本尊は「金儲けのためのツール」だった。
だから、偽本尊云々の前にもう、何の威厳も格もないモノなんですよね。創価発行の御本尊様って。
雑誌広告に出ている、幸運のペンダント、あれと変わらなくしてしまった。
こんなこと言うと、バリ活が口から泡吹いて全力で否定しに来そうだけどw
「師弟不二の精神がある学会の御本尊だから、大聖人直結だから間違いない!正規品なんだ!」って。
残念ながら、それは組織内部・信者間でしか、通用しない理論です。
御書のどこにも、そんなこと書いてないから。
誰人にも、外部にもアンチにも「なるほどな」って、ぐうの音も出ないほどの証拠・根拠がない限り
創価の御本尊様の正当性を主張しても無理無駄だと思います。
永遠の指導者が仰る通り”仏法は道理”ですから。
自分たちにとってだけ都合のいいことを「道理」とは呼ばないのです。

創価が御本尊下付を開始した時期の私は、青年部なりたてでした。
無知で不勉強だったので、この暴挙がいかにそれまでの創価の文脈から考えてもおかしい事なのか
全然気づきもしなかったし、問題にも思いませんでした。
不思議なのは、戸田指導も見聞きしていたであろう古参会員はこの創価発行の御本尊様について
「いただけない」と思わなかったのか?ということ。
どうせうまく言いくるめられたのでしょうが、どう考えてもたかだか80年そこらの歴史しかない
民間の宗教団体が、インスタントに本尊を発行してしまうなんて、無責任にも程があると思います。

宗門側が絶対的に正しいとも、不勉強な私には言えません。
ただ、宗門にはそれなりの歴史(800年の)があるわけで、その間ずっと護ってこられ続いてきた。
創価学会が出来たのは昭和の話で、宗門との蜜月期間はたかだか数十年。
創価なんて姿形もない時代から、宗門には弟子旦那が常にいたわけで、それも800年もの期間。
信徒と、僧侶たちの、連綿とした繋がり・歴史があって今日に戒壇の御本尊様が伝えられている事は
さすが本山だな、と思います(現状の内部実態は別として・戒壇の真贋も別として)。
時代に翻弄される事があっても、細々とでも、ながらえ、人々によって護られてきたことは
間違いない事実です。

私は歴史が好きで、長く続いていることがら・伝統伝承というものは、本物だと考えます。
人々の心をとらえて離さないもの以外は、自然と時代に淘汰されていく。
創価の歴史は100年にもなっていない。まだ80周年そこそこ。
20年後にやっと100年超。
1世紀、存在し続けられるか? 私個人の考えでは、厳しいような気がします。
名前くらいは残るかもしれないけど、公称800万とはもう言えなくなるでしょうね。
そう考えると、組織には「覚悟」があるのか?と疑うのです。
これから何百年も先々、日蓮大聖人の教えを伝え続けて行く覚悟が、創価にあるのか?と。
その覚悟なくして、御本尊様を製造下付するなんてことは、本来許されないはず。
いまの創価は、池田老人の御威光がある期間限定のビジネス集団ってだけじゃないのか?
在家集団って、そういう意味で弱いと思う。 歴史伝統に裏打ちされるものがないし。
日蓮大聖人の仏法思想をベースにしてることになってますが、宗祖は池田老人なんですって
ハッキリ変更した方が、あと100年くらい、やってけるんじゃないですか?と思うくらいw
日蓮大聖人直結という、表看板は現状偽りがありまくるから、おろすべきだと思います。

近頃、Xデー間近なのか知りませんが、創価上層部の覇権争いが写真週刊誌に出たりと
きな臭い様相になっています。
池田老人が去った後の創価が、純粋な信徒の集まりに戻ることは、もう不可能でしょうね。
数の理論で、カネと権力を集約する旨みを知ってしまった上層部が、簡単に既得権益を手放すわけが
ないと思う。 
また、カネ目当てで群がって来ている一般社会(企業やメディアや諸外国の海千山千な人々)から
そっぽ向かれる事は「宗教界の王者」と謳ってしまった手前、耐えがたい事でしょうし。
そういったプライドをかなぐり捨てていちからやれるとは到底思えないです。

いろんな意味で、組織はもうダメでしょう。
良くなることはないだろうし、衰退の一途をたどり、破綻するような気がします。
宗門のように、何百年間も護って行くような対象が何一つない、組織には。
池田老人がお金を湯水のごとく使って集めたメダルや顕彰も、数が多けりゃいいってもんじゃないし
資産価値もさほどない。記念館をこさえたところで、興味があるのは会員と物好きな人のみ。
それに、ハコモノばっかり増やしちゃって、維持管理費が負の遺産となり、後継世代に借金残してるようなもの。
そんなものを、後継世代が果たしていつまでも、数百年にわたって「護って」いくでしょうか?
それほどの意味や価値をそこに見出せるだろうか?
人口減・会員減に伴って、いずれの時代には、組織の建物が居抜きで売りに出されるような
事態になりそうな気がします。

話が脱線しましたが、本尊について考えて行くうち、今度は
「本当にこの信心に功徳はあったのか?」という疑問にたどり着きました。次回記します。
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実事求是(2)

創価と縁を切る決意をし、次にやったことは自宅にある創価書籍を捨てる事でした。
結婚のとき持って来た本はそれほどなく、主に贈呈でもらったもの。
押印がしてあったり、非売品の写真集などなど・・。
どうでもいい余談ですが、押印本を贈呈する際の司会者や幹部の異常なテンションの高さに
私は当時からついていけてませんでした。
「押印頂いております!」 場内、わーっと歓声+拍手がわいてましたが
”そんなの、職員が押してるんじゃん。池田老人が自分で押すわけないだろ”と思ってました。
あれって「テンション高く紹介&贈呈すること」とかマニュアルあるんでしょうかね?w
私は部長どまりでしたんで、そういった内情を知りません。
書籍全てを一か所にまとめ結束バンドで止めて、本の回収日に出すべく納戸に入れていました。
でもすぐには捨てられなかったです、なんとなく。
まだ罰論を気にしてたんです。

しかし、意外なきっかけで全て捨てる事が出来ました。
それが「偽本尊」問題です。

私は創価が社会悪の団体だと解っても、御本尊様への信仰はまったくの別物だと思っていました。 
宗門から破門を受けたさい、その信徒団体である創価に自分の意志関係なく残る形をとってしまった。
私は創価を辞めても信仰を辞めるつもりはありませんでした。
御本尊様への絶対心は揺るがなかったのです。
そうなると自動的に「私は法華講に行くべきでは?」と考えるようになりました。

インターネット歴は10年以上ですが、宗門の事を調べようと思った事なんて一回も無く
初めて検索してみました。
すると「偽本尊」というキーワードが芋づる式に引っ掛かって来ました。えっ?何?どういう事?
ひとつのサイトを開いてみて、絶句しました。
創価が勝手に発行している本尊がカラーコピーで云々書いてありました。詳細は略。
驚きました。
印刷だって事は解ってました。しかし、カラーコピーってorz
表装部分までコピーされている事も、改めてみて「ほんとだ!」と気がついた次第です(お粗末)。
偽本尊・・いわれてみれば。 私には思い当たる節がいくつもありました。
当時心に浮かんだ事をありのまま書きます。
私の実家にあった御本尊様は日達氏の筆によるものでした。
その御本尊様でお題目を上げる時は、すんなりとあがるというか、全然しんどいと感じた事が
なかったんです。
私にとっては子供時代から親しんだご本尊様で、お題目を上げて行くうちにすっきりしたり
寂しかった気持ちが暖かな物に変わったりと、願いが叶ったのとは違う意味でも、随分助けられたと
思います。
私も母もたいへん気に入っていたのですが、あるとき幹部が
「創価の御本尊様に御取り換えした方が良い」と話をもちかけてき、2000年に御取り換えを
しました。
その直後に非常にショックでネガティブな事がおこりました。どんなことかは伏せます。
ただ、命を取られなくて良かったと思いました(察してもらえればと思います)。
幹部は当然こういいました「転重軽受だったね!」
ただの偶然といわれてしまえばそれまでだけど、おとりかえをした一年の間に親戚が数人亡くなりました。
皆さん50-60代で急死でした。 学会員も含まれます。
また、私はこの創価の御本尊様で初めての100万編唱題を約半年間であげたのですが
挑戦中「どうして?」と思うほど、悪いことが続きました。
仕事のトラブルだったり、プライベートな事でも騙されたりと、本当にろくなことが無かった。
同時期、同じく半年で100万遍に挑戦しているメンバーが他にも居て、ネガティブな出来事が
おこっていました。
「きっと魔が競ってるんだね、そんなの跳ね返そう。みんなでやりきろう」と励まし合った事を
覚えています。
そしてなかなかすんなり(気持ちよく)お題目があがらなかったのです。
あげている途中で心が停まる感覚がありました。祈っていると虚しくなってくるんです。
早く時間が過ぎないかな・・と、時計ばかり見るような。
こんな事は誰にも言いませんでした。

部長時代、拠点にお借りしていたお宅の御本尊様が好きでした。
境智冥合しやすいというか、幾らでもお題目が上がるんです。全然しんどくならない。
あまり見たことのない筆致でした。
そちらの御本尊様も、会場用の大きなものに御取り換えがあったのですが、それからすぐに
拠点としての使用NGになってしまいました。
理由は、組織内の人間関係でそのお宅のお母さん(婦人部)がメンタルを患ってしまったから。
学会員出入り禁止になってしまいました。
後日、御取り換え前の御本尊様が日顕氏のものであることがわかり、ビックリしました。
婦人幹部は「謗法の御本尊の害毒は、後から出るからきついし恐ろしい」と語っていました。
本物の御本尊様は、お題目があがりにくいものなんだ・謗法の御本尊は何の魂も入っていないから・
力が無いからいくらでもお題目があがるんだよ・・と実家の母も話してました。
本当にそうなんだろうか? 逆じゃないのか?と、偽本尊と知った私は考えました。

そして我が家にあるご本尊様(2004年に主人の名前で受けた)も、創価発行の御本尊様ですが
やはりというか、お題目がすんなりと上がらなかったのです。
長子の妊娠時・父危篤の知らせを受けた時がそうでした。

偽本尊は開眼してないから云々・・と、法華講の方がやっているサイトに書いてあって
この時「だからか!」と、妙に納得してしまったんです。

だけど、実家の(偽)御本尊様に願って叶えた(と思っていた)こともあって、
主人との結婚はまさにそれでした。
決して悪いことばかりでは無かったのです。

話を元に戻します。
「偽本尊」の文字を見てしまってから暫く、お仏壇の内扉を開けられませんでした。
仏間に入るのも嫌だったくらいです。
本当に私はどんだけ臆病なんだろう。今となってはお笑いです。
「偽」と知ると、御本尊様だけじゃなく、創価にまつわるもの全てが忌まわしく・気持ち悪く
感じられてきたのです。 それで書籍を捨てる事が出来ました。
書籍をゴミ捨て場に持っていた後、家に入ったら淀んでいた空気が綺麗になった気がしました。
とっても単純です。

しかし、御本尊様はどうしたらいいものか?
今すぐなんとかしたい!と気は焦りますが、具体的にどうしたらいいか解りません。
そこでまたネットで検索しました。
ゴミとして捨てたって人もいれば、お焚き上げをしてくれる神社寺院へ持って行った人、
正宗寺院に持参した人、脱会届と共に創価本部へ送りつける人、いろいろでした。
私は迷いました。
ご本尊様に、お水がえと御供えを欠かしたことがありませんでした。
ごん行が抜ける事はあっても、御供えだけは毎朝整えていたんです。 
それをやることで「一家の安泰が守られる」という、私なりの儀式でした。
しかし、「偽」といえどご本尊様をどこかへやってしまったら、儀式ができなくなってしまう!
それは困ると私は思いました。 すっかり習慣化して、やらないと落ち着かないし不安になるからです。

けれど、家の中に「偽」があると思いこんでしまったら、平常心ではいられず。
やはり私は法華講に行ったほうがいいのだろうか。そちらで正宗の御本尊様を頂いたら
いいんじゃないだろうかと、調べました。
正宗のサイトは中々よくできていると思います(デザインとか)。
創価とたもとを分かった件についてのテキストを読んでも、非常に納得ができました。
大石寺の桜の写真(近影)を見て感動しました。綺麗でした。
日顕氏が嫉妬に狂って(創価って「嫉妬」って表現好きですね・・w)桜の木を全部切ってしまったと
バリ活時代に聞かされて、ひどい話だと思ってましたが、全部というのは嘘だったようですね。
小学生の頃、大石寺に行くのが旅行気分で楽しかった。
そんな思い出もあり、一度行ってみたいな、桜の時期にと考えました。
御開扉は法華講員でなければ入れてもらえないと知り、
居住市に寺院がないので、近隣市のどの寺院に行くかを真剣に検討したりもしました。

だがしかし、残念なことに(?)法華講個人のブログを幾つか見て私は幻滅してしまいました。
法華講がどのような活動をしているのか全く知らなかったので、調べたのです。
これじゃちょっと移れないなって思ったのは、偽本尊問題のビラをポスティングしているという話。
それがお寺主導なのか・創価脱会者で現法華講員有志が自発的に(勝手に)やっている事なのかは
文章を読む限りわからなかったのですが、一地域の話ではなく、各地で同じ活動をしている様子。
私は、そういった活動はもうたくさんだ、と思いました。
私が望む信仰スタイルじゃないって感じたんです。

また、法華講員が創価学会を敵対視していることも、ぞっとしました。
人にもよるのでしょうが、憤怒に狂ったようなブログ(文章)を綴っておられる方もちらほら・・。
正宗はれっきとした「本山」なんだから、そこに属する法華講の皆さんは、もっとクールで
クレバーでも良いのでは?と感じたんです。
個人的に創価に恨みのある人が、極端に多いのかもしれませんが、異様に感じました。

創価で、団体行動にはもうウンザリでした。 敵と戦うのも、おなかいっぱいです。
宗教って信仰って、そういうものなんでしょうか?
宗教戦争があるくらいだから、戦わなければホンモノじゃないって言われそうですねw
だったら私は宗教・信仰なんていらないよって思う。

私の望む信仰スタイルは、静かに自分の内なる世界を見つめる事。
心穏やかに暮らすために在って欲しい、そう考えました。
ご本尊様にひとり祈念する時間はまさに「自分自身との対話」でもありましたし。
集団に所属して、さまざまな上からの打ち出しを受けて活動するというのは私の望む信仰スタイル
ではない。 
だったら、法華講に行ってもしんどい思いをしそうだなと考え、法華講に移ることは没になりました。

今すぐご本尊様をどうこう出来ないと判断した私は、徹底的に調べ・探そうと決めました。
どこの御本尊様だったら私が納得できるのか・心を落ち着けることができるのかを。

そして相変わらず内扉は開けず、相貌を見ないようにし、お水がえだけ続行。
御供え(ご飯、果物、お菓子)はやめました。
創価の(偽)御本尊様にお供えをすること=謗法供養になりそうでイヤだという理由で。
ちょっとしたこだわりでした。

実事求是(1)

今日から覚醒直後~一年間のできごと・
葛藤、偽本尊問題、信仰や御本尊様に対しての捉え方・考えの変遷を綴って行きます。

覚醒といっても、人それぞれ段階があると思います。 
組織の矛盾に気がついたからって、すぐさま脱会届を出して、御本尊様をどうにか処分する、
私はそんな思い切りのいい行動がとれたわけではありません。
なんせ、40年以上もマインドコントロールで・罰論でがちがちに縛り上げられ、
尋常ではない精神状態に置かれていたのです。
正気に戻るには、それなりの時間が必要で、現在進行形でリハビリの最中だと自覚しています。


@@@

創価学会が、宗教をかさに着た巨大搾取集団だとハッキリ気づいてしまった日。
子供達を寝かしつけたあと、明け方までインターネットを見ていました。
これまで意識してかせずか・ネットで探ろうとはしなかった創価のダーティな部分を検索し続け、
夢中になって眠れませんでした。
掘れば掘るほど、出てくる情報。
玉石混交で、そのすべてを鵜呑みにするわけじゃないけれど、自分が実際に感じた・察した事と
近似する事実を発見しては、やっぱり自分の抱えていた疑問、不審点は間違いではなかったのだと、
ひとつひとつ確認する作業にのめりこみ。
暫く、そのような日が続きました。

数日経過し、自分が何故にこんな悪どい宗教団体を信じ切ってしまっていたのか疑問をもちました。
どうして途中で気づけなかったのか?
チャンスはいっぱいあったはずなのにと、不思議でたまらなくなったんです。
自分自身のことであるにもかかわらず。

また、自分を取り巻いていた創価学会員(バリ活)の事を考えても、信じられない思いでした。
あまりにも多くの人がきれいに見事に騙されちゃってるという現実。
自分より人生経験のある母や母方親族もだし、女子部の先輩方、同期、地域の学会員の皆さまがた。
みんな真面目で熱心で一生懸命。
私がこれだけ創価に辟易しているこの時にあっても、目を輝かせて「先生と共に闘える弟子は
自分たちしかいない!」なんて、頑張ってる人がいっぱい居ると言う事実。
私の身近なところに、脱会者はいませんでした。
宗門問題から数年後に、地元の幹部と部員さんが法華講に移った事はありましたが、親しいわけじゃ
なかったから特に実感もなかった。
少なくとも、私の周囲には、創価に辟易してると口にする人はいなかったのです。
未活や非活もいましたが、創価について意見するなんて事もせず、静かにしていました。
けれど、それは当然のことかもしれません。異論を唱えたら罰が当たると刷り込まれてきたのは
メンバー全員。
みんな、内心思う所がやまほどあったって、吐きだせなかっただけじゃないかと思うんです、今は。
私はそんな事にもすぐには気づけず、一人孤独に思い悩みました。
誰にもこんな事、打ち明けられない。
地元の同期に話したら「何バカな事いってんの!」とお叱りを受けそう。
「私もそうおもってたんだ!」なんて言葉が出てくるシーンは、まったく想像できませんでした。

ひとり思い悩む中、次から次へと疑問がわきあがってき・さまざまな思いが洪水のように溢れて
訳が解らなくなってきました。
いまいちど、自分のこれまでの人生と・切っても切り離せなかった信仰と創価について細かく・冷静に
振り返る必要があると感じました。
そこで始めたのが、非公開式で綴るブログ。
ノートにペンで書くよりもキーボードを打つ方が早いし、なんとなく気楽でした。
だがしかし、いざ開設しても、はじめの1週間は何も文章を打ち込む事が出来なかったのです。
いざ何か書こうとしても、思考停止。
頭が真っ白になり、手指が震えて冷たくなり、キーボードが打てません。指がガタガタ震えるんです。
恐怖に怯えていました。罰論の恐怖に。
こんな経験は初めてでした。
これまで40年以上も、創価や信心に対して反対意見をもつことを禁じられてきたのです。
心で思っても、口に出す事は出来なかった。それを「文章にする」ことも、とんでもない罰当たりな
行動なんじゃないかと、恐ろしかったのです。
どれだけ仏罰を恐れていたか・罰論に心を縛り上げられていたのか、よくわかるエピソードだと思います。
心の中はもやもや。吐きだしたい事が渦巻いてると言うのに、身体(手指)が動かない。
これほどのマインドコントロールもないように思います。
自身の過去を冷静に振り返る事さえ許されないほど、罰論の刷り込みはキツいものがありました。

ブログを放置状態で次に私がやった事は「脱会後 ブログ」このキーワードで検索でした。
自分と近しい状況の、できれば女性脱会者・組織決別を意識した非活者のブログが読みたかった。
幾つか発見できたものの残念ながら2-3年前に更新をストップしているものが多かったです。
私が知りたいのは「現在進行形」で、罰に会うこと無く普通に暮らせている脱会者のブログでした。
とにかく安心したかったんです。 
仏罰なんてないんだよって、誰かに「今」言って欲しかった。
できれば女性に・・。男性のブログは、現在進行形で更新されているところ、結構あります。
そちらにお邪魔しつつも、ロム専門でした。 
何か意見を書きこむ事さえ怖かったんです。罰があたるんじゃないかとw
本当にどれほど臆病だったのでしょうか。
今、当時の自分を振り返ると、まるで他人を見るようです。

現在進行形の女性ブログ(まったく無い事も無いんです、法華講に移られた方は気を吐いてますw)が
ないなら、自分がやればいいんじゃ?と思い当たりました。
私みたいに、仏罰を恐れ、不安でぐるぐる巻きになって怯えている人が、他にいるかもしれない。
そんな人が一人でもいるなら、私の決心を綴る事もだれかの役に立つのかもしれない。
やっとブログを綴り始める事が出来たのですが、1ヶ月は非公開にしていました。
まだ怖かったんです、公開して誰かの目に触れる事で罰が当たったらどうしよう?ってw
しかし、記事をある程度かきためて、繰り返し読むうちにだんだんと落ち着いてきました。
自分の過去を冷静に振り返ることで、間違いにも沢山気づけたし、自分が混同していた問題点
(信仰と、学会活動は全くの別物だってこと)もクリアーになり、仏罰を恐れなくなり。
そこから公開にしました。

生い立ちから書きつづる中、第一の分岐点はやっぱり、宗門問題(破門を受けた時期)にあったと
思い当たりました。
宗門と創価の別れの理由も、聖教新聞紙上を読んだのみで
「宗門側からの一方的な破門」と受け止め、自分で確認しようともせず(というか、当時はネットも
無く、手軽な方法は何も無かった)。
就職しOLになって、わけもわからぬまま誘いにやってきた女子部のメンバーに促され会合デビュー。
職場の悩みをご祈念で解決した(と思いこんでしまった)ことから、バリ活へ。
幼少期から、母親の刷り込みはあくまでも
「日蓮大聖人様の教えはすばらしい・御本尊様にお題目をあげることで願いが叶う・法をひろめる事に
 功徳がある」ということ。
女子部の活動をするようになっても、この3点に重きを置いていました。
新聞推進や、選挙応援や、財務に対し意識が低かったのは家庭教育の賜物だったと思います。
池田老人が私の信仰の中心や、上位に来る事は一度もありませんでした。

繰り返しになりますが、私は「師弟観」が皆無です。
池田老人は創価の偉い人・代表者という認識でした。
でも代表者だから=団体のオーナーだとも思ってませんでした。
また、教祖だとも思って無かった。 
あくまでも私は日蓮大聖人様の教えを信じている。 
池田老人のスピーチや指導は、日蓮大聖人の教えを現代解釈として伝え、世間一般へ布教のために
やってると思ってました。 宣伝部長的な立ち位置だと解釈していたのです。
詳細は知りませんが(というか、知ろうとしなかった、めんどくさかったんです)海外の著名な
学者さんや政治家と対話を重ねるというのも、日蓮仏法を広く世の中に伝えて行く為にやってるんだと
思ってました。
池田老人は、日蓮仏法の「語り部」という認識だったんです。
だからといって、特別偉いとか世界一素晴らしいなんてこと思いませんでした。
人間革命も、白蓮時代に全巻読了しました。 けど、池田老人に対して幻想など抱きませんでした。
けなげに戸田先生につかえた一番弟子だったんだねー、程度にしか思わず。
逆に戸田先生や牧口先生がすごいんだ、との感想を持ちました。
(ちなみに新・人間革命は殆ど読んでませんw)

私が池田老人プロパガンダに罹らなかった最大の理由は、母が池田老人に対していいイメージを
持っていない・好きになれないと語った事にあると思います。 
私が高校生のときで、まだ宗門問題が表ざたになっていない時代でした。
母が青年部の頃、とある会合に池田老人が遅れてきたときのエピソードを聞きました。
池田老人が会長になって数年の頃だと思います。
詳細は伏せますが、母がそのときの池田老人の振る舞いを見て「感心しなかった」という話を
私はずうーっと、覚えてました。
要は横柄で、偉そうだったって事なんですけどね。
その後、女子部へあがってから聞かされる池田老人エピソードとは大いなるギャップがありました。
先生はどんなときでも「一人」を大切にされる云々。
どんな人物に対しても、敬意をもって接される。一流の人格者とはそういうもの云々。
それらの美談と、母から聞いた話は、真逆でした。
私は母が嘘を言ってるとは思えませんでした。なんといっても信心の直接の師匠は母だからw
会った事もしゃべったこともない、池田老人よりも、母の方が信用できます。
たった1度だけのことなら、思いすごしとか、たまたま池田老人がそのとき体調不良か何かで
不遜な態度だった等も、あるかもしれませんが、不遜な態度は1度では無かったのです。
女子部の会合で幹部が笑顔でさわやかに語る「私たちの先生像」を、内心「そうとは限らないよ?」と
思いながら聞いていました。
だけど正面切ってそんなことを幹部や同期につきつけたりはしなかった。
そんな事したら問題児扱いになる事くらい私も空気を読んでいました。
内部にありながら、そのような池田教に浮かれる人達を冷ややかに見て、楽しんでいたかもしれません。
でも、そんな”上から目線”の私も、もれなく池田教に搾取されてたんだから、
同じ穴の狢で馬鹿にかわりなかったんですけどね。

この件に関して、覚醒後に実家の母に問いただしてみました。
好きになれないって言ってたじゃん。だのになぜ、池田老人率いる創価に居続ける理由が
あったのよ?と。
母はいいました
「結果を見て。池田先生は、世界に広宣流布したじゃない!
 戸田先生の(師匠の)夢をかなえたのよ。弟子の模範なの」と。
個人的にいけすかないとは思ってたが、偉業(?)を成し遂げたから立派な人なんだと思いなおした、
見直したと語ってました。
私はその、世界広宣流布も懐疑的に見ているため、母のこんな後付け肯定に納得できません。

しかし、母のきょうだいで・同時期に女子部で活躍していたおばはずーっと池田老人命です。
すっかり心酔してます。 個人崇拝も甚だしいって感じです。
母は、家庭を犠牲にしても組織に尽くしてきたおばを
「私には到底真似できない、信心強情だ」と評しています。
池田老人のどんな魅力wが、おばを60年以上の長きにわたってそうさせているのか興味があります。

創価は表向き「日蓮大聖人」を宗祖としている。
そんな事情から”池田老人を師匠と思えない奴は創価からいますぐ出て行け!”と号令かけたりは
しません。 (号令、かけてくれたらよかったのに・・)
どんなに池田老人のことを好きじゃなくても、尊敬できなくても、どっちかといえば嫌いでも、
大っぴらに声を上げなければ・おとなしくしてれば、問題児扱いはされなかった。
だから私のような人間でも創価にいることが出来ました。

次に、私がどうして組織内で問題児扱いされないことを選んだのか?という疑問にぶちあたりました。
なにゆえ本心を隠して組織に居続けたのか。
その理由は「創価に所属して学会活動をやっていれば功徳がある」と思いこんでいたからに
他なりません。
当時、個人信仰なんて思い付きも・考えもしませんでした。
信仰する=どこか団体や寺に所属しないと出来ない事だと思いこんでたんです。とんだ間違いでした。

また、暫くたって思いだしたのは「無疑曰信(むぎわっしん)」この姿勢を、幼少期から
叩き込まれてきた事。 
これも思考停止へ導く最強キーワードなんですよね。
何か悩みや問題にぶち当たった時、私の母はこう言いました
「方や策に走ってる間はなにも解決しない。ただお題目を唱え抜く事しか解決法はないんだよ!」
御書の「なにの兵法よりも~」を持ちだしてこう教えました。
40代のいま、これを思い返すと、とんでもない事を教えられたものだなと背筋が寒くなります・・。
現実的な手立てよりもご祈念ってありえませんよね。
自分の子供にこんなこと、絶対教えませんw 正しい努力なくして何事もなし得ないと教えます。

しかし私は母から「とにかく疑うな、ただ信じ切れ、祈りぬけ」と教わりました。
「頭で考えてるうちはダメ」これは女子部時代に幹部からも言われたことです。
私はかなり理屈っぽいほうです。 くどい文章を読んでいただければ察してもらえると思いますが。
頭で考えるな、といわれるほうが無理でした。
でも、それが素直な信心に反する姿勢と言われ、気にしたこと何度もありました。
そういえば部長時代、幹部にこんな事も言われました。
「あなたは声聞・縁覚なのよね。賢いの。
 だけどそれでは仏になれない。成仏はできないんですよ」とw

思うに、私は何度も創価や池田老人がどうかしてる事には気づいてたし、解ってた。
けれど、それを口に出したり反逆したりすることは「無疑曰信」に反する行動だから控えてた。
組織内ルールに従っていたんです。
私はご本尊様を絶対だと言う事に関しては、自信がありました(敢えて過去形にします)。
でも、御本尊様「だけ」を抱きしめて、たった一人で信仰するという行動はとれなかった。
きっと組織を離れることが怖かったんだと思います。
今となれば、創価という組織に特別な法力なんて皆無であることがハッキリ理解できるのですが、
組織じたいに得体のしれない力があるのではないか?と、ずっと恐れていたのです。 
もうオカルトです、はっきり言って。


余談:覚醒直後に開設したブログは、このブログとは別のものです。 
今年の春先に運営側のパスワード流出トラブルがあり、ログイン不可となり更新できなくなりました。
このブログは、以前のブログ記事を再編集し、新たに書き加えたものです。
過去の下書き(ストック)があったから毎日更新できたのですが、そろそろストックが尽きます。
更新が3-4日に1度になる事も、今後あるかと思いますがそのような事情ですのでお知りおき下さい。
また「脱会を考えたり、非活になったり、実際脱会しても不幸にならない。普通に生活出来る」
それを伝えたくて始めたブログなので、私は出来るだけ細く長く更新を続けたいと考えています。
いずれ創価ネタが尽きたら全然関係ない事も書いていくつもりです。

未活時代(13)

2012年8月。
またまた財務の申込用紙がまわってくる季節になりました。
気の弱いしらゆり長から、家庭訪問に行きたい・希望の日をしらせて欲しいとメールがきたので、
在宅日時を伝えました。
しかし、内心は「どうしても、財務ってやらなきゃいけないのかなぁ?」でした。
前年の実験により、財務をひとりぶん・1口に減らしても、家庭の経済基盤はおかしくならない事も
実証済みでしたし。

”真心の財務には功徳が現れる”という指導を繰り返し聞きました。
だったら、私の今の財務って何?
まったくもって「義務」なだけ。
くだらないことでまた、こっちの組織から実家の親に電話を入れられたくないって、それだけ。
真心なんて、かけらもない。それは昔(活動家時代)からですけど。
そんな私が、どうして財務をしなきゃならない?意味無いじゃん。漠然とそう思ったのです。

真心のかけらもない人間からも「会の決まり」として、申込書を書かせ、1口一万円からという
高額な金額を集める。
そして後日、領収書を地域組織の人間を通じて手渡しする。
これについても「衆人環視手法」だと嫌悪感を覚えました。
結局、納金しないと地域組織にバレるよって構図なんですよね。
プライバシーなんてまるで無いんだなって。
財務、申し込んだけど気が変わるって事もあると思う。
それを許さないために、わざわざ地域の役職者を通して配布させているんだろうなぁと。
あくまでも領収(受領)証なんだから、直接個人に郵送してくるくらい配慮してしかるべきだと
思います、本来ならば。
創価学会という団体と・いち個人信者間のやりとりなのだから、他人を介して受領書を渡すなんて
おかしい。
長子が通っていた幼稚園へ年度はじめに寄付金を納めましたが、領収(受領)証は
役員から手渡しなんて事、当然ながらありません。
振込用紙が受領証となり、お礼状は後日個人(主人)宛に郵送で届きます。
それが寄付金に対しての通常の事務処理でしょう。
私が会合に出なかったせいもあるのですが、毎回あの領収書は半年以上経過してから受け取ってました。
手渡し以外の受け渡しがNGという理由で。
ポストに入れてくれと頼んだ事もあったのですが、うちの組織の人は絶対OKしてくれなかったから。

貰っても一切嬉しくない広布基金の記念品代と、領収書の発送費用なら、発送費用の方が安くつく
はずなんだから。記念品辞めて個人に郵送に変えればいいじゃないかと思ったりもしました。
あの貰っても迷惑なだけの記念品だって、どうせ創価系企業が作って儲けているのでしょうね。
自分たちの利益になるところにばかり無駄金使って、肝心なことはきちんとしないなんて
本末転倒も甚だしいと思います。 が、活動家の殆どが脳内花畑だから、そんなこと問題にする人も
いないのでしょう。 
大本営は、いつも「してやったり」でほくそ笑んでいるんでしょう。 全く腹立たしいです。

どうしてこのときまで、上記の事に気付けなかったのか本当に不思議ですが、
このとき初めて猛烈に財務というシステムに対し”腹立たしく”なったんです。
疑問では無く、明らかな怒りを覚えたのはこの時が初めてでした。

女子部時代、実家の母が話していました
「ある程度の時期が来たら、財務は無くしますって、以前幹部からきいたこともあったんだけどね。
 正本堂が終わったらなくなると聞いてたけど、ずっと続いてる。
 国外にまで布教活動してるから、お金がいるんだろうね」と。
この言葉を、そのタイミングで奇跡的に思いだしたのです。
そこで、ピーンときました。
これって、徳川幕府の朝鮮出兵と同じじゃないのかとw
幕府の統治が行き届き過ぎて、戦の機会をなくした武士たちの仕事を作るがために
わざわざ”必要のない国外への戦”を企てた。
武士たちの鬱屈勢力が幕府へ向かう事のないよう、国外(仮想敵)へ目を向けさせる為の
ひとつの政策という見方があると、丁度その頃、歴史の本を読んで知識を得ていました。
SGIで海外にも広宣流布とかいってるけど、あれは、国内で金集めの理由がなくなったから、
海外へ、世界へ打って出るため・広宣流布のために浄財が必要です!という壮大な話を出してき、
単純に財務を継続するがための大義名分にしたかっただけじゃないのかと、私は思ったんです。
世界は広いのです。際限なく集金し続ける理由・大義名分となります。
「戸田先生のご遺命」とか言ってるけれども、それもどうだか・・?
戸田先生の名前を出せば、古参会員は喜んで浄財を投げ打つだろうって、詭弁だったりして?!
(補足・後日、ぐぐってみたらこの世界広布は「戸田先生と私の2人だけの場で残された遺言の
 1つとなった」と池田老人が本部幹部会で語ったらしいのですが、瀕死状態の戸田氏の病床には
 常に看護の女性が数名つきっきりだったそうで、池田老人と戸田氏が「2人だけ」になど
 なれるはずがなかった・池田老人との間に「遺言」は無かったと、石田次男氏証言が出てきました)

うわぁ。最悪だ。

気の弱いしらゆり長とは約束しちゃったから、今年の分は仕方ない。私の分だけ申し込もう。
でも、来年はもう絶対やらない。そう決めて家庭訪問の日を迎えました。

しらゆり長が一人で来ると思っていたら、福運貯金の支部婦も連れてきました。
半年以上ぶりの再会です。
最悪。会いたくなかった・・と思いながらも、しらゆり長から用紙を受け取ってサイン押印を
玄関先ですることにしました。
支部婦はひきつった笑いを浮かべながら「昨年から、財務ひとり?どうしてなの?」と尋ねてきました。
私は答えずに支部名やら書きこんでいました。
すると
「ご主人のお仕事、うまくいってないのかしら?福運貯金が、とうとう尽きてきたんじゃない?」と
お門違いのことを言いだしたのです。
私は、それも無視しました。
腹が立ったけど、この女とは、話す気にならないそう思って。
書き終わったので、用紙をしらゆり長に手渡し「じゃあ」と強引にドアを閉めようとしました。
支部婦は「ちょっと待って」と、玄関に体を割り込ませて家の中に半分入ってきたのです。
私は気持ち悪さで、「不法侵入ですよ?警察呼びましょうか?」と言いました。
しらゆり長は驚き、大慌てで、支部婦の腕をひっぱって「帰りましょう」と促しましたが
支部婦はひきつった笑顔のまま
「まったく、残念ねぇ。夫婦そろって、池田先生のお手伝いが出来ないなんて~」と馬鹿にしたように
私に言ったのです。

はぁ?!いまなんて言った。 池田先生のお手伝い、だと?

私はそんなつもりで財務をした事、ただの一回も無い。
あんたは、池田老人の手先になって金集めしてんのか?それが正しいと思ってんのか?

だけど、ここでそんなことをまくしたてたって仕方がない。
支部婦を睨みつけ、ドアを閉めてやりましたが、その後しばらく体の震えが止まりませんでした。
「池田先生のお手伝い」
この言葉が頭のなかをぐるぐると回って。
詐欺に遭った時、きっとこういう心境になるんだろうなと思いました。
私にそのつもりがなくたって、池田老人のお手伝いをさせられていた(?)という事実に
身の毛がよだちました。ありえないと。

本当に私は何も見えて無かったんです、40年以上も。
周囲がどんなに池田マンセーでも自分は違う・・私の師匠はあくまでも日蓮大聖人様だ、なんて
思いながら学会に居続けた。
けどそれはとんでもない勘違いで、場違いだった。
私は、組織に居るべきではなかったんだ。

会員が、池田老人のためにとお金を貢いでいたなんて、この時までまったく解りませんでした。
(100%がそうだとは思いません・・私みたいな人も中にはまだ、いそうな気がします)
池田老人を師匠と思ってない私が、なぜに池田老人の手伝いなどしなきゃならないんだ!
おまけにどうして池田老人の手伝いをする事(財務)がイコール、福運や幸福境涯に繋がるって
言うんだよ?
頭おかしいだろう、というか、それを気づきもしないでやり続けていた自分・・。
無知は罪・無知は悪をうむという言葉があります。
私の場合は「騙された」というよりは、あまりにも創価学会に対して「無知」でした。
学会3世として生まれ、母親から功徳信心を叩き込まれ教育され、御本尊様と信心なしでは
生きられないそんな人間に育っていました。
そして、宗門から創価学会が破門を受けた時点で、創価を離れるべきだったところ
母親やその一族が創価に残ったことで自分もなにも考えなしで創価に残った。
創価は、日蓮大聖人の仏法を根本とする宗教団体だと私は「誤解の解釈」をし、
そのまま20年余りも居続けた。
私は、このとき・この瞬間まで創価学会を「誤解」していた事に気付けなかった。
日蓮大聖人の精神を受け継いだ団体だなんて解釈、とんだ間違いだったんだ。
行き先の違う列車に乗っている事にまったく気づかず、現地に到着して「ハァ?!此処どこよ?」となった、
そんな心境でした。
尊敬のかけらもなく、どちらかといえば冷やかに見ていた池田老人が頂点の創価学会に
見事に「してやられた」。
考えれば考えるほどおぞましく、嘔吐しました(汚い話ですみません)。

私はその夜から、ネットで創価の真実を探り始めました。
そして、自分が気付いた事(金集めのための大義名分)に間違いが無さそうだという事や、
組織の機関紙を内部で山ほど取らせている(マイ聖教や贈呈等)ことについても、
組織の金集めに他ならない事を知って愕然としました。
また、組織全体の「ありよう」が、金集めの為、政治力を手中にするため、会員を外へ流出させない為の
宗教(教義)を使った狡猾なマインドコントロールであることにも気づき、怒りでハラワタ煮えくり返り。
罰論は、組織から逃げられなくするためもっとも都合のいい刷り込み。
幸福とか、福運を積む為とか、功徳だとか、そんな言葉の全てがまやかしだったと解ったのです。

ネットで書かれている事はデマだなんて、もう思いません。
とっかかりを自分で気づけたから、ひとつひとつ納得でき、合点もいったのです。
それに、組織の機関紙なのに外部に購読させろというのは、私には活動家時代から納得できない
事だったから。
だって一般人が読んだって「ハァ?!」な、トンチンカンな内容が殆どw
なのに、推進しろしろって、おかしいと思ってたんだ。

おい、ふざけんなよ。

そうじゃない、すべて誤解で、言いがかりだ!というのなら、財務は即刻廃止せよ。
会館で受け付ける善意・自発の「公布基金募金箱」にでも変更すればいい。
その会計内で維持できない会館・学校・会社は全部潰せばいい。不要ってことなんだから。
これまでの収支報告も行うべき。
そして、聖教新聞を1家庭で数部も購読させるような・マイ聖教という搾取行為はやめろ。
これは完全におかしい。
全くもって広宣流布になんて繋がって無い。資源の無駄なだけ。

そして強制的な選挙支援活動も即廃止せよ。票とりも会員にさせるな。
議員どもは自力で闘ってみろ。
自分がドブ板選挙してみやがれ。功徳をエサにそれを会員にさせるな。 
自分では出来もしない癖に。
その一議席が本気で政治を志す人間の邪魔になるんだ、自覚しろ。
強欲じいさんに貰った「使命」で議員になんてなるな。そんな奴はとっとと議員辞職すべき。

あと、”永遠の指導者”を池田老人とするのなら、すべての会員に「踏み絵」を義務付けろ。
私はちゅうちょなく踏めるよ。足蹴にするよ。
そして踏むような奴は即退会ってことにしたらいいんだ。
それをせずあくまでも「日蓮大聖人」を大看板に掲げるようなまやかしをするな。
どこが仏意仏勅なんだよ?
本当のところは外部の言うとおり”池田教”じゃねーか。ふざけんな。
そして池田老人を尊敬できない会員(私)からも金や票をまんまと巻きあげるなんて、
それこそが詐欺集団たる所以なんだよ。

こんな社会悪の団体に、一切カネも労働力も供出なんかするのやめよう。脱会しよう。
そう決意した2012年夏の終わりでした。

未活時代(12)

未曾有の大災害に接し、普段募金に意識の薄い私も、このときばかりは別だと考え
毎月決まった額を募金していました。
数ヶ月たっても安否が解らない友人が、どこかの避難所や仮設住宅にいるかもしれない。
少しでもその助けになればとの思いでした。
こんな年くらい財務はやめて募金にまわそうって、創価もそのくらい言うよね?
だって「開かれた人間宗」なんだもの。この期に及んで脳内花畑だった私はそう思ってました。
だがしかし、夏の終わりにきっちり申込書がまわってきました。
失望しました。組織はどんだけ守銭奴なんだろうかと、呆れました。
こんな年くらい、やめておけばいいのに。大本営の誰もそんな案を口にしなかったのか?と
がっかりしたんです。
おまけに前年の財務時期、婦人部員が「納金が無ければ事故扱い」と言っていた、
金に汚いイメージもついてまわって。
真心の財務でも、浄財でもなんでもない。こんなもん単なる集金じゃん!
”(商品ないのに)金よこせ・入金が無いなら事故扱いだぞ”って、まさに詐欺そのものw
私は結婚後の財務を「会館使用料」と思って納めていました。
結婚後、夫の分も増えたので、口数を減らしました。
しかしもう何年も会館に行ってません。そんな私が会館使用料をおさめるのは何か違う。
夫なんか全然信心もないしw 真心の財務になってないじゃん、もうしなくていいんじゃ?と
思い始めたんです。

ただ、全部やめてしまう事には大きな抵抗があり、母からすりこまれた「罰論」が気になったから。
「財務をしないと家庭の経済基盤が崩れる」という教え。
本当かどうかためしてみようと思い、この年は私の分だけをする事にしました。
申込用紙を持って来たのは、新任の気の弱いしらゆり長です。
後日、取りに来た時に「今年から私の分だけにします」と伝えました。
何かお咎めがあるのかも?と思ってましたが、あっさり「はい」と受け取り帰って行きました。
後日、振込用紙と、いつもらっても微妙な粗品wを持って来たのは地区婦でしたが、その時も
一人分に減らしたことについて特に何も言われず。
前々回の記事に書いた「納金したら必ずメールください」「それって大本営からの御達しですか?」
「全然ちがいますよ!」の会話はこの時のものです。

経済的に何か不遇な事がおこるのかと、疑心暗鬼でしたが、特に何も変わらず。
至って普通に暮らせる事に安堵すると共に、財務で福運うんぬんって本当、なんなんだろうな?と
思えてきました。
(まぁ、私は福運が出るほどの桁数をやったことはないんですけどねw)

2012年になり、長子が年長児になるため習い事を増やしました。
午後から出ずっぱりで夜に帰宅する事が増え、家庭訪問に遭遇しなくなりました。
帰宅時にポストを見ると、座談会や同中の券が入っており、来てたんだなってわかる感じです。
たまに、気の弱いしらゆり長と外でばったり会う事もありましたが、彼女は私より10歳くらい
若くて人見知りっぽい感じで、頭を下げてさーっと去って行くだけで、楽でした。
足止めしたり、活動にでてこいとヤイヤイ言うようなタイプじゃなかったので。

福運貯金の支部婦とは、顔を合わせずに半年ちかく経過していましたが
偶々、不足しているものを買いに夕方遅く近くのスーパーへ子連れで行った折、出くわしました。
声を掛けられ、会釈だけでスルーするつもりが「ちょっと待って」と足止めを食らい。
ただでさえ混雑しているスーパーに・小さい子供2人を連れて買い物に行く・それだけで
親子ともどもストレスで、早く帰りたかったのです。
長子はお腹が空いたと不機嫌で、下の子も若干ぐずっていました。
支部婦は長子に向かって何か尋ねましたが、長子も私の気分を感じとったのでしょう。
支部婦の問いかけを無視し、何も答えませんでした。
私が「急いでますので失礼します」と立ち去ろうとすると「あーあ、お子さん・・」と
聞き取れない声のボリュームでごにょっと何か言ったのです。
何よ?と思いましたが改めて聞く気にもなりません。この人、会話するだけで疲れるから。
長子の手をひいて店を出、帰宅しました。
数日後、帰宅するとポストに創価ではない宗教団体の冊子が入っていました。
しかもご丁寧にふせんが貼ってありました。ここを読めといわんばかりの。
なんなのだろう?と思って開いてみると、子供が自閉症で悩んでいたがその宗教に入ったことで
子供に改善がみられたというところで、「自閉症」の文字全てにマーカーでラインが引かれてました。
その時は、本当に何なのか解らず、質の悪いイタズラだと思い即ゴミ箱に捨てました。
しかし、しばらく日が経過してハッとしました。
こんなイヤガラセをするのは、あの支部婦しか心当たりが無いと。
支部婦がやったという確実な証拠は何も無かったけど、後年聞いた噂で「さもありなん」と思いました。
それは別の機会に記します。
そしてもう、私は絶対にこの支部婦と話さないと決めました。人としておかしいから。
全て無視してやると決めたのです。
しかし、それから半年間、支部婦が家庭訪問に来ることも・近所で会う事もありませんでした。

この年、主人の親戚がハワイ挙式をするため家族で参加する事にしました。
実家の母に行くと話すと「随分行ってないから自分も一緒に行きたい」というので、現地で合流する
事にしました。
主人は仕事があるので短期で帰国し、義両親や親族で時間に余裕のある人は長めに滞在。
母が主人と入れ替わりで来、義家族が子供達を預かってあげるからお母さんとゆっくり1日観光
しておいでと送り出してくれました。
まっさきに母が行きたがったのが、ハワイの会館です。
父が他界する数年前にも、両親は母方親族といっしょにハワイを訪れ、会館訪問したそうです。
私は全然興味が無かったけど、滅多に見れるものでもないし、見ておこうかなって感じでした。

ワイキキのホテルからタクシーで数十分。街中を抜け、坂道をどんどん上がって行く。
会館はヌアヌの山手にあります。周辺には日本の宗教団体の施設が他にもあり、非常に立派な
要塞みたいな施設もありました(教団名称失念)。
そちらと比べると、創価の会館はこぢんまりしています。
車が無いと来れないような場所です。
会館は外から見ると低い建物ですが、中に入るとすり鉢状になっていて、かなり広い。そして豪奢です。
階段を下りると受付があって、現地メンバーとおぼしき婦人が対応してくれました。
母が広布基金をおさめると言い、私にもやりなさいというので、しぶしぶ用紙に記入し納めました。
ふと会館の傍らを見ると「KO-FU FUND」と書かれた大きな箱がおいてありました。
ポストのような入れ口がついており、上部には申込書。募金箱みたいなものでした。
受付がいないときは、広布基金はそちらで勝手にドウゾって事でしょうか。
中を見学しますか?と、御仏壇のある大講堂へ通してもらいました。
ライブ会場と言うか、ホールのような雰囲気で、ステージ上に仏壇が置いてあります。
日本の会館みたいな須弥壇はありません。
客席(?)部分には沢山の椅子が整然と置かれてありました。畳じゃありません。椅子に座ってごん行や
唱題をするみたいですね。
この部屋の他、大小会議室に、池田先生のお部屋がありますと、さらっとメンバーが話してくれました。
ここでひっかかりました。 えっ?池田先生のお部屋?!
確か、日本の会館にも、もれなく全て池田老人のお部屋があると聞いてました。
私が通っていた地元の会館にもあったけど、白蓮は立ち入り禁止でしたw 
これ以上は入っちゃいけないってエリアがあったんです。なので室内を見た事はありません。
このハワイで、まだマインドコントロール下にあった私ですが
なんで年に1回これるか来れないかもわからないような海外の会館に、自分の部屋が要るのだろう?
感心しないな!と思いました。
15年以上前には「国外はおろか、国内移動もできない。なぜなら命を狙われてるから」って
言ってたじゃん・・。どういう事よ?と思ったんです。
受付の近くに、会合予定みたいなものがおいてあったので見ると「DAIMOKU TO-SO」って
書いてありましたw
題目闘争のことだと思います。
こんな、平和の楽園のようなハワイにおいても「闘争」なんて言葉を使うのかと、たまげました。
ほんと、覚醒したいま読むと「闘争」って、およそ仏の心とは相反するようなワードですよねw
闘って争うんだって。御題目でw 
組織でバリ活やってるときは、何の違和感もない単語でしたが、今は背筋が寒くなります・・。
私は早く街に戻って買い物がしたい(だから早く会館を出たい)と気もそぞろでした。
が、母はせっかく来たんだから!とベンチに座ったり・池田老人の写真パネルに詩が書いてあるものを
しみじみ眺めたりしてました。
私が退屈そうなのを見かねたのか、現地メンバーの婦人が「ハワイ楽しんでますか?何処へ行かれました?」
と声をかけてくれました。
子連れで、結婚式もあったので、まだ殆ど観光してないんですよ・・など答えましたが、
私のダルい態度の奥にある「不信心」を、現地メンバーに見抜かれているような気がしました。
きっと、信心強情なメンバーなら、海外の会館に来る事が出来た!先生もいらっしゃった会館に来れた!と
歓喜wするんでしょうね。 でも私は、そんなこみあげるような思い、何も無かったんで。
「良い旅になるといいですね」と言ってくれ、ボールペンとパンフレットをくれました。
御礼を述べて会館を後にしましたが、なんというか、ハワイのメンバーは日本の婦人部とは全然違うと
感じました。
必死感が伝わってこないのです。
眉間に変なしわなんてなかったし、とても落ち着いて、ゆったりした雰囲気をもってました。
海外のSGIは雰囲気良いと、他ブログで拝見したのですが、本当にそうなのかもしれません。

覚醒後、ネットで全国の会館に池田老人の部屋があるという情報を目にした際、
その部屋だけは最高の建材を使って豪華絢爛・贅を尽くしてあると書いてありました。
(矢野氏の手記です)
しかも池田老人以外はその部屋を使っちゃいけないって御達しだそうですね。
一度も行く事のないであろう会館でも、その仕様。
そのことを「執念にも近い自己顕示欲」だとも。 本当に、その通りだと思います・・。
国内会館の池田老人部屋は、平成7年に国会質問でも問題にされたようです。
参議院会議録情報 第134回国会 宗教法人等に対する特別委員会 第6号 楢崎泰昌議員の質問)
税務調査が入り、改築したりで隠ぺいをはかったそうですが、
海外(ハワイ)はそのままにしてあるって、なんともお粗末だと思いました。

後日書きますが、毛沢東思想(個人崇拝)なんですよね、姿は無くても部屋を作らせるって。 
こんな実態をも有り難がっている、池田老人を師匠と崇める現役バリ活たちが、不憫でなりません。
先生、先生と目を輝かせ師匠を求めるバリ活は、北朝鮮の住民となんら変わらないんです。
民主主義国家の日本にありながらも、プロパガンダにより完膚なきまでに洗脳されている。
けれど本人たちはまったくそのことに気が付いていない。情報化社会にあるというのに、見事なまでに
情報統制されているのです。
これは、とても恐ろしい現実だと思います。

虚構の王国が崩壊する時、バリ活たちはどうするのか。
女子部時代に大幹部から聞かされた指導が、いまも忘れられません。

「弟子というものは、いざという時、まっさきに師匠の元へかけつけなければなりません。
師匠の一大事のとき、一体どれほどの人が師匠の元へかけつけられるのか。
「先生!」と声をあげ、何を差し置いても、まっさきにかけつけることの出来る人が
 どれほどいるのだろうか。
 弟子が師匠を求めていくということは、常にそのいざという時のための訓練なのです。
 いざという時、かけつけられないようでは本物の弟子ではありません。
 そのいざという時が、明日なのか、10年後なのか、20年後なのか、30年後なのかは
 誰にもわかりません。
 その「いざという時」に本物の信心が試されるのです。
 青年部で闘って闘って闘いきって、師匠をどこまでも近くに感じる事が大事なのです」

”いざという時”って何?
肝心の、いざという時について、大幹部はひとことも説明しませんでした。

当時の私は、いざという時=池田老人ご臨終しか思い浮かびませんでした。
師匠のいざという時に、どれだけの弟子が師匠を求めて行けるのか云々って、
師匠が死んだら自分たちもあとに続けって事? 殉教?
有事の所作を教えられていたのでしょうか、ぞわっとします。
これはあくまでも、私個人の解釈です。別の人にはまた違う解釈があるのかもしれません。

そんな、くだらないことで命を落としてもらいたくない。
世の中にはもっと有意義で楽しい事が山ほどあるのに、そんなつまらない事に殉じないでほしい。
だから、一日も早く、覚醒して欲しいと願います。

未活時代(11)

2011年3月、大震災がおこりました。
私の居住地域は影響を受けませんでしたが、学生時代の友人が被災地域に嫁いでおり
なかなか安否の確認ができず、苦しい日々でした。
真っ先に浮かんだのは立正安国論。
民主党政権下でこのような大震災に見舞われてしまった国の不幸、そのことの意味を考えていました。
日々、内閣の茶番パフォーマンスを報道で見ながら、イライラしていたのです。

公明党が政権与党でなくなったのは、2009年の歴史的敗北が原因。
私は既に未活になっていて、F活動も殆どしていなかったけれど、実家の母にせっつかれて
地元の友人に電話でお願いしました。 これを最後にF活動は止めました。
友人から本音を聞かされたからです。
みんな選挙の時だけ「久しぶり~」と言って友人面で親しげに電話をかけてくるけど、それっきりだと。
なんなのかと、腹立たしいと言われました。
私はこの後、帰省して彼女をランチに誘い実際に会いました。変な話だけど、意地でした。
他の学会員といっしょにされたくなかったというか。
本当に彼女を友達だと思っているし、縁を大切にしたくて、票集めのための繋がりじゃないんだって
伝えたかったのです。 そこまでやってる学会員なんていないでしょうね・・w
なんせ、票を頼む事は「相手にも福運をつけてあげている」と組織では教えてますからね。
あくまでも”上から”な姿勢。 本当に、狂ってるしおかしいです。

この2009年敗北の際、池田老人が会員へ向けてのメッセージで「負けるが勝ち」と言ったと
聞きました。
これを知ったのは覚醒後だったのですが、賢明に票集めしてきた会員に向かって言う事じゃないだろ!
と、腹立たしく思いました。
そのことを昨年11月(覚醒後)母に言ったところ、とんでもない答えが返ってきたんです。
「前回の選挙は負けでよかったのよ。あなたわかってないわね。
民主党政権になって、何が起こった? 大震災、原発問題、領土・外交問題。災難続きよ。
こんなときに政権与党をやっていてみなさい、世間から、なにをいわれるか解ったものじゃない。
だから、”時機”ってもんがあるの。 政権与党にならなかった事は意味があった。
民主党が、全部難をかぶってくれたのよ」
私は絶句しました。
これが、母オリジナルの見解か・組織でささやかれている事なのかは解りません。
あんまりじゃないか、この言い草。
自分(の支持政党)さえ火の粉かぶらなければ、いいのでしょうか?
私は、震災当時、テレビ番組で被災地出身の自民党議員さんのドキュメントを見て、涙を流しました。
(現在、防衛大臣をやっておられる方です)
「自分たちが今この時に、政権与党であればと、これほど悔しい事は無い。
だけれども、出来る限りの事を歯を食いしばり、やっていくしかない」
この姿勢こそが政治家でしょう。
一番大変な時に、火の粉をかぶろうとも、最前線に立って仕事をする。
政治家は、その覚悟の無い人なら、なってくれるな・絶対やるな、やめてしまえ!と思います。
困難を避けるような人間は政治家になって欲しくない。
そこを、(政治家、政党を)支援してる人間が「難を被らなくて良かった」って一体・・。
池田老人がどういうつもりで「負けるが勝ち」と言ったか私は知りません。
しかし、後付けでこういった時の流れを見て
「やっぱり、負けるが勝ちだったよね~。先生の言った通りになったよ!
 いま政権与党だったらえらいことだったもんね!」と、鬼の首でもとったかのように言う支持者が居る、
そんな支持者が応援する政党は、ろくなもんじゃないと思います。

この頃、外を歩いていると、結婚当時にこの地域を担当していた元しらゆり長さんと
ご主人に遭遇しました。
ご主人は病を患っており、自宅療養中で一緒に散歩をしていたようです。
ベビーカーを見て、「2人目なの?お顔みせて」と駆け寄って来られました。
しばし立ち話をしましたが、ご主人も待っておられたし「ではこの辺で・・」と立ち去ろうとすると
「ちょっと待って。あのお友達どうなった?」と聞かれたのです。
あのお友達?思い出せずに居ると
「ほら、折伏したいって言ってたじゃない、お子さんが難病を患ってる・・」といわれ
「ああ」と思いだし。
私が女子部時代に仏法対話をしていた友人のことでした。
小グループの会合席上、折伏したい人はいるかと聞かれて、私が下種先として話していたのです。
友人は入決カードも書いてくれましたが、実家住まいで御本尊のご安置が出来ず折伏は見送って
いました。
後年、青年部で本尊安置が厳しい新入会者に、お守りご本尊授与される事になりましたが、
その頃に彼女はもう結婚してしまって、無理だったのです。
彼女のお子さんが難病を患っており、私の女子部時代に引き続き対話を継続していましたが、
本流には至らず。
いつかは折伏したいと、結婚当時は思っていました(しかしもう、この時はそんなこと考えて
ませんでした)。
しかし6年も前の話、話した本人ですら忘れてたのにwよく覚えてるなぁと、驚いてしまいました。
最近全然連絡してないんですと答えると、「そっか、また対話頑張って行かなきゃね」と励まされ。
微妙~と思いつつ、別れたのですが、そのあとなぜか”他人の不幸は蜜の味”という言葉が
脳裏に浮かんではっとしました。
別に、元しらゆり長がそうだといいたいわけではありません。
ただ、自分の主人が病で大変な時に、他人の折伏相手のことを咄嗟にでも思いだすって、
色んな意味ですごいなぁって。

偶然にもその数日後、件の友人から久しぶりの連絡がありました。共通の知人が亡くなったのです。
近況を話すうち、彼女のお子さんの病状が良くなっていることが解りました。
インターネットで発見した病院で、良い治療法を紹介され、そちらにかかってから快方に向かって
いるとのこと。
以前より声も明るくて、本当に良かったなと思いました。
長らく会っていなかったので、次の帰省時に必ず会おうと約束。
数ヶ月後、約7年ぶりの再会を果たした彼女と、いろんな話をしました。
お子さんの事は落ち着いたけれどご主人との関係で悩みがあると相談を受けました。
私は、そんなのどこだって一緒だよと同調しながら、彼女を励ましました。
すると彼女が私に向かって「今日は”祈ろうよ”とか、信心の話しないんだね」というのです。
え?どういうこと?と聞くと、結婚前の私は、悩みの相談を受けるたび
「祈って解決して行こうよ、私も祈るから」と毎回言っていたらしいです。
え?そうだった?と言いつつ すごく恥ずかしかったです。
「いつも励ましの言葉や、いい言葉を教えてくれて、最後は”祈ろうよ”だったよ」と教えてくれましたw
彼女は職場の先輩からも折伏を受けていました。現在進行形で、対話が続いているとの事で
「どうするの?入会するの?」と私が聞くと「絶対ない。主人が学会、大嫌いだから」とw
でも、祥蘭や先輩がかけてくれるいい言葉、いつも辛い時に思い出してたんだよと御書の一節を
言ってくれてジーン・・と、感動しました。
「入会はできないけど、信心がいい事だっていうのは理解してるよ。それでもいいよね?」と
彼女が言うので「全然いいよ!」と私は返事しました。

彼女に、やれ新聞推進だ・選挙だF取りだ・折伏だ・財務だなんて、させたくない。
婦人部の活動を知ってしまったら、入会なんて決してすすめられません。

それにしても何かがおかしい、組織って。
このとき彼女と話して改めてそう思ったんです。
信心は、もっとシンプルでいいはず。
日々の祈りを大切にすること・日蓮大聖人の教えを御書を拝して学ぶこと。
悩める人がいればこの仏法を教えてあげて、共に祈っていく。それだけでいいじゃないか。
どうして組織に加入させて新聞とらせて年会費(財務)おさめさせて選挙の応援させるの?
むだに毎週集まるの?いろんな敵と闘わなきゃいけないの?
怒られるからこんなことは組織の誰にも言いませんでしたが、 私は組織につくことも・
誰かを折伏(入会目的で)することも、もう絶対しないだろうと、このとき思いました。

いま思えばですが、子供を産んだ事もない未婚女だった私が
「信心で子供の難病もぜったい治る!だからやっていこうよ」なんて対話していたこと、
顔から火が出るほど恥ずかしいです・・。
真剣に悩んでいる彼女の思いを、きちんと受け止めていたかといえばそうじゃなかったです。
”当時はマインドコントロール下だった”という言い訳をしますが、
全ての悩みはご本尊様に祈念すること・日蓮大聖人の教えを信じ行じてゆけば、何もかも解決すると
私は絶対的に信じていました。
だから自分の置かれている立場と彼女の立場の違いなんて全く思慮に入れませんでした。
とにかく悩んでいる彼女と病気で辛い思いをしているお子さんを「救いたい」その一心だったんです。
そう組織から「思い込まされてきた」ともいえます。

身の程知らずと言うか、子供は生んでみなければわからない事っていっぱいあるし。
特に、子供の問題って、デリケートなんですよね。
「経験もないくせにあなたが上からモノ言わないで」ってこと、ありますものw
よく彼女も、腹を立てずに聞いてくれたものだと・友人として居続けてくれたなって、
その寛容さに感謝します。

自分が母親となり、ママ友とつきあう中で言えることは、子育ての悩みって概ね誰かに聞いてもらう
だけですっきりするものなんですね。
聞いた上で、自分の経験談や”こういう話をよそで聞いたよ”って助言をするのはアリだけど
得体のしれない方法(創価の信心)で「悩みを解決して行こうよ!」だなんて、大きなお世話。
誰もそんな事、望んでない。 
一般のひとたちは、相手に悩みをどうにか解決してもらおうなんて考えるほど浅はかじゃない。
そんな他人任せでしゃべっているわけではない。
だのに組織では、悩みを話してくる外部の事を「仏法を求めている人」と教えていた。
”折伏のチャンスだよ!こんど会合に連れておいでよ!”なんて、女子部では盛りあがっていたw
部長時代、私もそんなこと部員さんに言いました。
友人の悩みを解決へと導くための仏法対話(折伏)=善い行い、と組織から思いこまされてきたけど
実はそんな崇高な目的なんて、何もなかった。 
大本営は単純に新たなカネと労働力を提供するコマが欲しかっただけ。
自分の馬鹿さ加減にも呆れますが、なによりも純粋な人心につけ込むゲスな組織に憤懣やるかた
ありません。

誰かに悩みを話す時。みんなちょっと楽になりたかったり・別の視点を聞かせてもらうことで
突破口をみつけたかったり・迷っている事に対して背中を押してもらいたい(肯定してもらいたい)
というだけ。
信頼関係があるからこそ、話してくれている相手に、もっと敬意を払うべきでした。
その信頼につけ込むような「仏法対話」なんか要らない。 
心を開いて語ってくれる友人に、誠実にむきあうこと。それだけで良いのだと、最近は思います。

未活時代(10)

第二子を出産した年の財務時期、これってどうなの?と思う事がありました。
夕方、見知らぬ電話番号で携帯が鳴り、悪い予感がしたので出ませんでした。
留守電が入ったので聞いてみると、OO支部のしらゆり長をしているOOですと。
私が女子部時代に折伏をした友人の地域の人でした。
友人の事でききたいことがあるんで、連絡もらえないでしょうかとの事。
なんだろう? とりあえず友人の携帯に電話してみたところ、電源が入っていない旨の音声。
何かあったのかと、SNSを見ました。
彼女も私も、頻繁に更新しており近況を知るにはそちらを見る方が早かったのです。
すると前夜遅くの更新に「子供が高熱、救急に行ってきます」とありました。
更新から既に半日以上経過していました。新たな更新が無く、携帯に出ないと言う事は入院かも?と
直感。
私もこの時期に長子がRSウイルスをこじらせて入院した事があり、彼女の子供も小さかったので
そう思ったのです。
SNSに「落ち着いたら連絡頂戴ね」と書きこんでおきました。
そこまであたりをつけてから、電話をくれたしらゆり長に連絡。
彼女と連絡が取れなくて困っている・財務の入金報告がなかったので、どうしても今日中に
連絡を取りたいんですというのです。 私は驚きました。 
そんなことで、紹介者にまで電話してくるんだ?!と。
既に夜の8時をまわっており、その日が財務の最終振込日でした。
私は、彼女の子供が風邪をこじらせて、おそらく入院しているので携帯つながらないんだと
思いますよと伝えました。
しらゆり長はうろたえていて「どうしよう~、どうしよう~」と困った声で呟きます。
私はイライラしてきました。どうしようったって、どうしようもないじゃんか!
「確認が取れないと、そんなに困るんですか?」思わず尋ねました。
しらゆり長は「ええ、万が一納金できていない場合は”事故”になりますから・・」と答えました。
「けど今更電話連絡がついたところで(万が一、入金してなかったとして、これから入金は無理だし)
 同じですよね?」と私は話し。
おそらく大丈夫でしょう、彼女からの連絡待ちましょうよと、しらゆり長をなだめました。
「ご迷惑おかけしてすみません」と、しらゆり長は電話を切りました。

財務の納金が完遂されていなければ「事故」 こんな事、初めて聞きました。
まるで、金融機関の与信みたいですよねw 
なぜに”真心の財務”が未納金だった場合を「事故」と表現するのか。
兼業主婦時代、営業事務を経験しました。客先から予定の日時に入金がなかったり、手形が不渡りに
なればそれは確かに「事故」と呼んでました。
だけど、財務は商取引じゃありません。あくまでも個人の意志による「寄付」という行為のはず。
そこに「事故」という表現を持ちだすこと自体、組織のどす黒い魂胆がミエミエです。
そして、納金すんだよの連絡がなく・本人と連絡がつかなければ、紹介者のところにまで電話で
確認してくるなんて。
闇金よりひどくない、これ? と、ドンビキしました。

翌日、彼女から電話がありました「心配かけてごめんね」と。
私の予想通り、彼女のお子さんは肺炎手前で即入院。
24時間点滴で、慣れないことでお子さんも落ち着かず、母親はずっと付き添わないといけなくて、
旦那さんや身内と連絡をとっているうち、携帯の充電がなくなったとのことでした。
しらゆり長から悲壮な声で留守電が何本も入っており、私に連絡を入れたと言っていたとのこと。
財務の納金については1日前に済ませていて、連絡しなきゃと思っていたが子供の急病でうっかり
忘れていたと話してくれました。
ほっとしたと同時に、こんな家族の緊急事態の時にまで「カネカネ」言って来る組織ってなんなの?
と、許せない気持ちになりました。

この直後に実家帰省の折、幹部のおばに会ったので苦情方々訴えてみました。
するとおばは「しらゆり長が勝手にやったことで、その組織の長の意識がそうさせた」と
あくまでも、地域が悪くて、大本営が悪いとは言いませんでした。
当時も釈然としない思いでしたが、今ははっきりこう言えます。組織の長をそこまで追い詰めるほど、
大本営からのカネ集めへの圧力がきついって事じゃないのかよ!と。
なんでもかんでも現場のせいにして、池田老人と大本営を「聖人君子」にしようとする組織は
腐っています。
上がおかしいから、下ももれなくおかしいんです。 なぜそんな簡単なことがわからないんだろう?
マインドコントロールでしてやったりでしょうね、大本営は。

私も、「財務の納金が済んだら必ずメールして欲しい」と言われていたクチです。
普段活動に出ないから、信用ならないって事なんでしょう。
一昨年も「納金が済んだら必ずメールお願いします」と言われたのですかさず
「それって、学会本部からの御達しなんですか?」と地区婦に尋ねたら「そんなことないですよ!」と
何故か大慌てで否定してました。
組織ぐるみで集金に必死、そう思われてはならぬ・・みたいな感じなのでしょうか。
財務集金が完全なる創価学会の「生業」になっていること、もうみーんな知ってるよ、今更隠すなと
思ったりしました。

2011年、年明けに主人に異動の内示がありました。
やっとこの地域から抜け出せる!という喜びもつかの間、通勤圏。
長子の幼稚園を変わるのもどうかと思い、引っ越しはしませんでした。
私はこの転勤で引っ越しがあれば、統監を地元に戻してもらおうと思っていました。
姉が離婚した際、実家に帰らなかったのに統監は転居先ではなく、地元に戻した経緯があり
自分も同じくしてもらいたかったのです。
この地域がダメでも、引っ越し先で活動を頑張ろうという考えは数年の間にもう無くなっていました。
その理由は、時折母から送られてくる活動報告メールで、婦人部の戦いの流れを知っていたから。
”新聞・新聞ってうるさい、やれ折伏はじまった、婦人部総会で多忙、いついつ選挙がある”云々。
ルーチンワークですね、と思いながら読んでいました。そしてその活動のどこからも楽しさが伝わって
こないのです。むしろ、苦しそうでした。
母は私に心を許して組織内の愚痴を吐いていたのでしょう。
結びの句はいつも「一家和楽の為、頑張るね(ハートやガッツポーズなどの絵文字入り)」
しんどいけど、やりたくないけど、なんでこんなことしなきゃならない?だけど
「一家和楽」という自身の命題のため母はいつだって一生懸命。
そんな、やりたくない事をしなくても、お母さんが「信心しろしろ」って兄姉にいわなければ
(自己完結の信心をしてくれれば)一家和楽はすぐにでも達成可能なんだけど?と私は思うように
なっていました。
でもそれは、絶対母に言えないことでした。

組織の活動に冷ややかな目を向けるようになっても、私が脱会を考える事はありませんでした。
脱会は無間地獄に落ちると(実際見た事もないのに)聞き、それを信じて疑わなかったからです。
活動しなくても組織に籍だけ置いて、御本尊様をお守りしていけばそれでいい。
母亡きあと学会葬を出すために、私一人が細々とでもこの信仰(創価)を背負って行けばいいと
考えるようになっていました。

また、子どもを介して知り合った一般のママさんがたと過ごす時間が長くなり
私が「一般の感覚」に慣れ親しみ、創価婦人部の異様さを全く受け付けなくなった事も大きいです。

あいかわらず福運貯金の支部婦は待ち伏せ、自分のものではない携帯から電話をかけて来て
在宅確認したうえで家庭訪問にくるなど、ストーカーっぽい行動をとっていました。
支部婦に会うたび、脅し文句で揺さぶられます。
その場では「はいはい」って感じで受け流しますが、訪問を受けたあと数日、身の回りで何か
悪いことがおこると”活動にでていないから?”と、一瞬不安になるのです。
悪いことと言っても、子供が転んでけがしたとか・うっかり料理のときに切り傷を作るとか、
家具の角に足の小指をぶつけるとか、そういった類の、普段なら気にも留めないような事柄。
数日間、身の回りのネガティブを数えて不安に陥ります。
これは創価脳の人に多い傾向じゃないでしょうか。
福運を感じ、嬉しくてたまらずに活動を続けていると言うよりは・不安に駆られ、罰論がちらついて
活動から抜けられない人の方が多いような気がします。

私が不安に陥っていたのは、未活であるがゆえの「負い目」がその原因。
活動を頑張った時期があるだけに、未活=福運が切れて自分や家族の身に悪い事が起こる、という
刷り込みを刺激されると、忘れていた古傷がうずきました。
女子部時代、活動をドロップアウトしたから職場をリストラされた、と思いこんでいました。
それが古傷です。
べつに、負い目なんて感じなくていいのに。
自分の人生です。活動やるもやらないも、自分がきめればいいこと。福運は自分持ち。
じゃあ一体誰に負い目を感じていたのか?
それを突き詰める事を、私は長らくしてきませんでした。
覚醒後、アンチ系ブログで「思考停止」と目にして、まさにそう・その状態だ!と思いました。
じゃあなんで思考停止するのか。私の場合だと、それはやっぱり「罰論」に行きつきます。
私はあくまでも日蓮大聖人の教えと御本尊様を信じてきました。
だのに「組織の活動=仏道修行」との大間違いを教わってしまったのがまずかったのです。
「組織の活動を拒否すること=信仰を怠ること」という刷り込み。
日蓮大聖人は、御書の中に一つも「会合に休まず出席しなさい・新聞推進しなさい・選挙の応援を
しなさい・折伏とは組織に入会させることです励みなさい」とは書いていないのです。
だのに、どういうわけか、学会活動こそが仏道修行と組織から教えられ、信じ込んでしまった。
それが全ての間違いの始まりでした。
こんな単純な事に、40年も気づけなかったのです。

実家の母とは、電話で話したり、帰省で会ったりするたびに
「まだ寝てるの?そろそろ起きて活動をしないと、いろんなことに障るわよ」と、これも罰論で
脅しをかけてこられました。
私はそのたびに「御本尊様を粗末にするような事はしていない。大事にしている。
活動にでないことが不幸の因をつむことなんて思わない。”日蓮は慈悲広大”なんでしょ」と
母に反論。
それに対して母は
「あなたは今、自行化他の”自行”さわりの部分しかやってない状態で化他がない。
 それでは功徳はいただけない。どちらも揃ってこその仏道修行だ」と返す。
こんなやりとりが実家を離れて以来ずっと続いていました。
喧嘩にならないよう、わかったわかった、と返事をして穏便にすませてきました。
自行化他という言葉についても、「化他」部分が新聞啓蒙や選挙活動というのがどうにも違和感です。
折伏に関しても、「日蓮大聖人様の教えを広め、御本尊様に出会わせてさしあげる」ここまでの
行動ならまだ許せます。
それと引き換え(?)に「組織に入会」させることは、どう考えても折伏行ではありません。

御書にひとつもかいていないことを、それが正しい・それこそが仏道修行で幸せになる為の道筋だ!と
いうのならば、もう、本尊(本仏)や御宗祖を「日蓮大聖人様」というのはやめたらどうでしょう。
立派な「永遠の指導者」もいることですしw

看板を借りて巨大搾取システムを構築。
詐欺集団と言われても、仕方が無いことだと思います。

未活時代(9)

長子の入園式は義両親だけ来てもらいました。
母に宗教系幼稚園に入れた事は黙っており、母は学会活動が忙しくて行けないと言うのでこれ幸い。
いきなり「お祈り」があったので、呼ばなくて正解でしたw
しかし隠し通せるはずもなく、帰省の折に子供が「幼稚園でお祈りが毎日ある」と話したことで
宗教系の園に入れた事が母にバレました。
母は感心しないと不機嫌でしたが「最近の創価ではOKみたいだよ、OOさんも・・」と、
地域の女子部がキリスト教系の学校を出ていると話すと「そうだったの?でもなんか変ね。
いつの間に変わったの?」と不満げでした。
私は実質的な活動が女子部時代(1993年~2004年)だけなので、この期間に創価の教えが
ガラリと変わってしまったな、と思った事ってさほどなかったんですが
親の年代はまだ戸田先生の指導が色濃く残っていたでしょうし、創価ルネサンス以降の流れについて
認識も低く、違和感を覚えて当然だと思います。
でも、違和感を覚えても「おかしすぎる」と反発しないのは、功徳信心だからでしょうね・・。
反対意見を持つことで功徳が消されてしまうと本気で信じてますから、おかしいとは思いつつも組織から
はみ出そうとか・異を唱える事はしないのです。
戦後の貧しい時代を経験している母からすれば、経済成長の上げ潮に乗り、現代の豊かな暮らしが
ある事は「功徳以外の何ものでもない」と感じているみたいです。
こう言ってはなんだけど、その年代(戦前生まれ)は、頑張れば報われる時代の人達でした。
財テクの利率も良い時代だったし、年金も60歳から満額でもらえてます。
そこに信心の有無は、それほど関係ないと思います。
でも、そのおかげだと思いこんでもう半世紀以上なので、なかなかマインドコントロールが
解ける事はありません。

第2子出産の際、前半数週間は義母さんが来てくれ、後半の2週間を実家の母がやってきて
世話してくれました。
(注:里帰り出産をしないことは、父の存命中に決め、サポートして欲しいとお願いしていたので、
 父の遺言?に沿って母は学会活動を休んでくれました)
私は2人目の妊娠も組織の人に伝えず、家庭訪問も完全に居留守を使っていました。
出産までの期間、短期で実家に帰る事も多く、車移動メインだったこともあり組織の人に
近所で遭遇する事も無かったのです。
このときも無視したかったけれど、うっかり母がインターホンに出てしまいました。
私を部屋に呼びに来たので、応対に出ると、新しい支部婦人部長と、地区婦でした。
「人事が変わったからご挨拶に」と。
私が2人目を出産したばかりだというと、驚かれました。
新しい支部婦は年齢が私とほとんど変わらない、数ヶ月前にこちらに引っ越してきた人物でした。
婦人部ヒエラルキーを思い出した私は”こりゃ、女子部で大幹部だったにちがいない”と直感。
地区婦が「そういえば、幼稚園はどこに通ってるの?Oさん(発達障害ママ)が気にしてたわよ」
というので、園名を答えたところ「えっ!あそこって・・」と、地区婦は絶句してました。
創価のくせになんでわざわざ宗教系の園を選ぶか?という反応です。
私は教育環境の良さで選んだ、と返事をしました。
選挙が近かったので、チラシと日程表を置いて帰りました。
余談ですが、母が「あなたのいったとおり、ここの婦人部の人たち、華が無いわね」と印象を述べて
いました。

第二子の宮参りも義実家の氏神様でしてもらいました。
のちの七五三なども、そちらでしてもらっています。
夫もその神社で七五三をしており思い出の場所で、義両親にとっては感慨深いようです。

その後、支部婦が一人で家庭訪問にくるようになりました。どうしてもあなたとお話しがしたいと
不在時にメモがはさんであり、1回くらい話してみるか・私が活動に出る気が一切ない事も、
このさいだし話しておこうと思い連絡をしました。
家庭訪問にやってき、私に対して
「女子部時代がんばっていたのに、どうして休んでるの?そろそろ起きてもいいころじゃない?」と
言いました。
説明するのも面倒だったので、今は活動がしたいと思わないしその必要もないと返答。
すると「福運貯金の話、知ってるでしょ?」と切り出しました。
ああ、知ってますよ。女子部時代、耳にタコができるくらい聞かされましたね、と答えると
支部婦は「女子部卒業して何年?6年、だったらそろそろ貯金も切れる頃だと思うけど」と言うのです。
どういう尺なんでしょうかw 6年でそろそろ切れるとか。誰がどういった基準で決めているのやら。
(注・支部婦は私が結婚直後にワークをしていて、1年ほどで未活に転じた事を知っていました)
「6年も本格的に活動しないで、よく平気で生きていられるわね、私だったら無理だわ」と、
馬鹿にしたように言うので、おや・・?って感じでした。
こんな幹部は初めてかも、ちょっと今までとタイプが違うなと思ったのです。
私は「べつにそんな事(福運が切れたと)感じてないです」と答えました。
すると「あなた自身がそう感じていなくたって、だんなさんや子供に障る事もあるんじゃないの?
どんなかたちで宿業が出てくるかなんて、誰にもわからない。孫の代で出たら、後悔しない?」と、
悲惨なたとえ話を続けました。
この人、怖いとおもいました。 こんなのただの脅しだよと。
「信心の確信がないわけでもないんでしょ?だったらそろそろ起きないと。
 本当に、怖い事になってからじゃ遅いわよ」と、どこまでも脅しを貫こうとするのです。
本当に私って、幹部運がないのかもと思いました(そう母にいわれたんです・・)。
喧嘩してもよかったんですが、なんとなく厄介なタイプだと予感した私は
第二子も生まれて間もないことだしと前置き、
「活動に出たくなったらこっちから連絡するので、そっとしておいてください」と伝えました。
支部婦は次の予定時刻が迫っていると、すんなり帰って行きました。

しかし、これで終わるはずもありません。毎週のように支部婦が家庭訪問にやってくるように
なりました。
私が留守の時間帯に来る事が多く、しめしめと思っていたのですが
子供を幼稚園に送った帰り、駐車場に戻ってきたところを待ち伏せされました。
怖かったです。 どうしてそこまで?と思い。
寒い季節、まだ赤ちゃんだった2人目を抱っこのまま、足止めを食らうのは気分のいいことじゃ
ありません。
会うたびに「調子はどう?福運貯金、まだあるのね」とイヤミを言うのです・・。

幼稚園では、朝の見送り時でもママさんがたは綺麗にお化粧をし、髪を整えています。
軽やかなダウンコートを羽織って、ファッション誌から抜け出てきたようなママさんも多いです。
そんなママさんがたと会った後に、支部婦と会うとその落差に愕然とします。
バブル時代に買ったものなのか、肩パットの入った分厚いウールのコートに、
白髪交じりの髪はつやがない。
それでも表情がまだイキイキとしていれば見どころあるけれど、はりついたような笑顔は目が怖い。
”「福運貯金」て、何?”と、支部婦を見て失礼乍ら思っていました。
見た目だけで判断してはいけないにしても、ギスギスした雰囲気・口を突く言葉は罰論と脅し。
「幸いは心より出でて我を飾る」とは真逆じゃんか。
そんなあなたが福運貯金がどうのこうの言っても説得力がない・・と思いました。

残酷ですが、女性の40代って気をつけないとすぐに老けこみます。
個人差はあっても、老いは確実に身の上に起こり、何もしなければみすぼらしくなっていきます。
若いころとは違い、ある程度のお金と手間をかけないと、普通に見せる事すら難しい年代。
池田老人が指導集に書いていた
「女性の本当の幸福は40代できまる。若い時にどれほど華やかで、きらびやかであっても
 40代になった時に不幸であれば意味がない。
 そのために若いうちは信心強情に福運を積んで行くのだ、そうすれば40代になった時に
 勝利の人生が待っている」という内容。
私は20代終わりにこの指導を読んで、私の40代はどうなっているんだろう?と想像しました。
途中で活動さぼった時期があるから、あんまりかもなとかw
そして、わき目もふらず創価一筋の同志(幹部)は、すごい福運を掴んで幸せになってるんだろうなと
脳内花畑だった当時の私は想像していました。

だがしかし、現実は池田老人の予言(?)とは違うものでした。
父の葬儀で久しぶりに再会した大幹部の先輩方は、活動に疲れ切ってか、眉間に深~い縦じわを
作っていました。 
ストレス過食なのか、別人のようになってしまった人も。
同期に至っては、結婚しないまま婦人部へ勇退し、メンタルを患った人・人間関係を絶った人もいる。
私から見て「福運掴んだね!」と思えるような同志が一人も居ないのです。
むしろ、結婚後に未活・非活に転じた同期のほうが幸せそうです。
この支部婦、白蓮経験者。女子部でもかなり上の役職者だったと言っていました。
40代前半で支部婦に上り詰めた。そんな福運長者?が、見るからに古い重たそうなコートを着て、
生活やつれした姿で、目の前に現れ「福運貯金がなくなったらどうする気?」と、私を脅す。

「勝利の人生」って一体なんなのだろう? 
バブル後期を経験した私は、俗物的で、幸せを「見た目」で判断するところがおおいにあります。
”勝ち組”なんていう言葉もこの当時、メディアなどで盛んにいわれていましたが
勝利の人生=勝ち組、でいいのだったら、私の目の前に現れる信心強情で・女子部時代に
わきめもふらず学会活動にひたすら励んできた幸福王女は、どうみても「勝ち組」ではない。
子供の通う、幼稚園のママさんがた(30-40代の、一般のご婦人)は確実に見た目「勝ち組」だけど。

十数年を経て、数々の池田老人指導が、悪徳商法のカタリのように思えてきました。

未活時代(8)

父の葬儀後、私と姉が10日間ほど実家で母と一緒に過ごしました。
この間、長子は義実家で預かってもらいました。
あまりにも急だったので、母がおかしくなってしまわないかと私たちは不安だったのです。
私は身重で、子供の入園準備もあるので先に戻ることになり、姉は1ヶ月程度実家から職場へ通う事に
してくれました。
この時点で、誰が母の面倒をみることになるんだろうかと考えました。
まだまだ元気ではあるけど、いつ介護が必要になるかもわからない。
兄は遠隔地で、すでに奥さん(一人っ子)の親御さんと共に住んでいます。
母を呼ぶ気もないだろうし、母が入り込む余地もないでしょう。 となると、姉か私しかいない。
そして、父の葬儀方式であれだけ揉めたんだから、母のもしもの時、兄が友人葬を出す事は無いだろう。
私は、それだけは阻止しなければいけないと思っていました。
母が人生のほとんどをかけて信じてきた創価です。亡くなった後の事は、死人にはわからないとはいえ、
俺には関係ないと、兄の一存で母が別の宗派でおくられることは、母が可哀相過ぎると思いました。
私が喪主になる事も、考えなければいけない。
そうなると、私がどんなにアンチ婦人部で・組織の活動に疑いをもっていようとも、私は創価を離れる事は
一生出来ない。そんな覚悟も生まれていました。

暫くして姉に連絡を取ると、1ヶ月を待たずして自宅に戻ったというので驚きました。
お母さんは何も心配ないよ。家族より学会仲間の方がいいんだよ。あの人はそういう人だよと
吐き捨てるように言うのです。
一時期、姉は同居も考えたそうです(この頃はまだ、再婚していませんでした)。
しかし2人で生活してみると辟易した、なんでもかんでも創価創価。せめて1カ月は喪に服したら?と
いうのも聞かないで、葬儀のお礼にいかなきゃと、私が帰った直後から夜の会合に参加しだしたと
聞きました。
父の存命時、夜の会合は殆ど出られなかったので(父が出かけている時だけ行ってました)
出たくて出たくて、うずうずしていたようなんです・・。
そりゃ、姉もいやになるだろうと納得しました。
余談ですが、私がまだ実家におり・未活だった当時の事。
地域の座談会の日になると、会合時間帯に地区幹事が家庭訪問に周り「5分でいいから出てきて」と
結集のために呼び出しをしていました。
夜の出席は無理と伝えているにもかかわらず、インターホンを鳴らす地区幹事。
母が「申し訳ないんだけど出れなくて、本当にごめんなさい。ご苦労様です」と丁寧に対応していると
父が怒鳴り声で「学会員か?こんな夜分になんなんだ。さっさと追い返せ」というような言葉を
投げかけていました。
そして、母は会合終了時間までじっとりと、掛け時計を眺めながらつらそうな表情を浮かべるのです・・。
その時間帯は夕飯どきです。いっきに夕飯がまずくなります。父が不機嫌になるからです。
私は、当時どうして母がそんなに夜の座談会に出たがるのか理解できませんでした。
昼間じゅうぶん活動してるんだから、月に1回の座談会をスルーするくらいどうってことないでしょ?と。
母に尋ねた事もありました。
すると母は「昼間は婦人部しかいない。夜は四者だから、いろんな話もきけるでしょう?
福運を積むチャンスをみすみす逃していることが、辛くてたまらない」と、涙ぐみながら話していました。
母にとっての会合とは、ひとつひとつが「福運を積む因」だそうです。
出れば出るだけ幸せになれる、と思いこんでいるんです。
それは現在もです。会合を休む事をものすごく嫌がります。
もはや強迫観念に近いと、見ていて思います。
そんな夜の会合に、やっと心おきなく出られる。父が亡くなった事を喜んでいる、とまでは言わないけれど
「やっと使命の時が来た」くらいに考えているようで、そのことが私も姉も、許せなかったりします。

姉は特に、父親寄りだったので父の死を受け入れがたかったと思います。
静かに粛々と、喪に服すのが当然と思っているところ、母親がいそいそ活動に出かけるんじゃ、
いったい何なの?と思って当然です。
この時期から、姉と頻繁に連絡をとるようになりました。

まだ私のマインドコントロールは解けておらず、父が亡くなる直前に最後の海外旅行へ一緒に出かけ
思い出をつくることができたのは「御本尊様のお陰だ」と思いこんでいました。
こんな思い出を作れたのは、きょうだいの中で私だけで、特別な意味があると思ってしまったんです。
しかし、後日姉から聞いて驚いたのですが、父は私がつわりで実家に戻る少し前に
兄の住む土地へ単身出かけ、兄一家と小旅行に出かけていました。
そちらが父の郷里でもあります。お墓参りをし、親戚のところにも顔を出したとの事。
「これが最後かもしれないな」というので、父方のきょうだいは”何を言ってるの、遠いけどまた来れば
いいじゃないか”と話していたというのです。
また、姉とも亡くなる1週間前に二人で食事に行ったそうです。
両親は仮面夫婦のため、母はこの事を知りませんでした。
父は死期を悟ってお別れをしていたのか、ただの偶然なのか。いまでも不思議です。

また、父の突然の死の意味についても考えていました。
創価では「全ての事には意味がある」と教えられていたから。この死に、どのようなメッセージがあるのかと。
マインドコントロール下にあった私が一番に考えたのは「私が学会活動をさぼっていたせい」でした。
”組織に戻りなさい”って、そういう事なの?と。
だけど父はアンチだったのです。 もしそうだとしたら、亡くなる前に学会理解を示すような言葉だとか
行動など、あると思う。 けれどそんなもの何もなかったです。
心が弱ると、信仰に戻りたくなります。悪いことがあると、信仰をおろそかにしたせいでは?と不安になります。
普通に生きている人は、そんな事のせいにしないで居られるのに。
生まれながらの英才教育で「洗脳」されていると、なんでも信仰と絡めて考えるのが当たり前になっている。
それが不自然で異常なことだなんて思いもしない・気づきもしなかった。
それまでの人生を、ネガティブな事柄があるとすぐご本尊様の前に座って唱題をし・学会活動を
頑張ることで乗り越えてき(たと思いこんで)ました。
父のお弔いのためにも、組織に戻った方がいいの?
そう考えたけれど、居住地域の婦人部員に連絡を取る気には全くなれませんでした。

その後、子供の入園までの数ヶ月間は毎月実家に数日帰省していました。
2月だったと思いますが、たまたま戻った時期に同中があって母が「一緒に行こう」と言うので
久しぶりに地元の会館で同中を見ました。
最後に見たのが2005年頃なので、5年ぶりの同中。
池田老人は椅子に座ったまんまで、殆ど声を発さなかった事に、私は驚いてしまいました。
原田会長?(正木氏だったかも)が立たされたまま、スピーチ原稿を読み上げし、それを横で時折
池田老人が茶々入れてました。
記憶があいまいなのですが側近が池田老人の言葉を聞きとって発表していたような?
スピーチ内容は全然覚えてませんw 原田会長(正木氏かも)がへこへこしまくりだったことしか・・。

母に「なんで先生は自分でしゃべらないの?」と尋ねたところ、
80歳を超えてご高齢で、スピーチは編集されているけど、実際常に1時間以上あるから
(って、本人が好き勝手しゃべってただけでしょうが)お疲れになる。
長生きして頂きたいから、後進が役割を担って行けるようにしているんだよという返事でした。
確かに、80を過ぎて小一時間も、時に血管切れそうに怒ったりしながらw訴えるようなスピーチは
無駄に体力を消耗するだろうな、と思いました。
しかし、新聞へ随筆や小説、書籍の出版も続々とあり、小一時間しゃべれない人がいったいどうやって
それだけの執筆をこなしてるの?パソコンは使えないだろうし(未確認ですが、なんとなくそう思いました)
ぜんぶ手書きだとしても、そちらの方が気力体力ともにキツイと思うんだけど?と母に尋ねたところ、
わからないのでおばに聞いといてあげるわ、と。
後日回答があったのですが「口頭で話したものを側近が原稿に仕上げてる」との事でした。
本当かどうかはしりませんけど、小一時間のスピーチが出来ない人が、あれだけの原稿量を「しゃべる」
というのも、整合性がとれないんじゃ?と当時不思議でした。
けれど、ゴーストライターがいるだなんてことは夢にも思ってませんでした・・。
マインドコントロール下だったので、そういったマイナスな事柄はイメージ出来なかったんだと思います。

同中時の池田老人の顔色はよく、体系もでっぷりしてましたが、健康状態はよくなかったのだろうと
今になって思います。声を殆ど発さなかったのもそのせいでしょう。
この3ヶ月後から一切姿を見せなくなったそうですね。覚醒後に知りました。
私にとっては、動く池田老人を見た最後の同中になりました。
というか、これが本当に最後の同中。 
以降、参加していないし、これからも参加するつもりはありません。

同時期、父の四十九日法要を行いました。
約束していた儀典長に急用(というか他の葬儀)が入り、法要の導師ができないと前日に連絡が
入りました。
母は大慌てで地域の幹部に連絡をし、地区部長しかつかまらなくて、導師は地区部長がやりました。
この地区部長、私が青年部時代に同じく青年部で頑張っていた人で40代です。
見た目が若いので、威厳がないというかw 
こんな席で導師の経験が殆どないのですが、一生懸命させていただきますと開始前に挨拶してました。
私が読経する方がいくらか上手なんじゃ?と思うくらいなんだかなでしたし、
兄は「なんでもありなのかよ」と苦笑し、馬鹿にしてました・・。 
父方の親戚も、遠方から来てくれましたが、内心どう思っていたのでしょうか。
一般的仏教で僧侶にお願いしておれば、こんなこと(キャンセル)ってまずあり得ないと思います。
誰でも儀式をとり行えるって、いいのか悪いのか、よくわからないなってこの時思いました。
時期は前後しますが、義実家の親戚が他界し、主人は子供時代から大変その方に可愛がられていたので
葬儀、四十九日、百か日、一周忌と法要に行きました。
浄土宗のご僧侶がいらして毎回厳粛な読経と、親族とお話の時間も設けてくださって、大変すばらしい
ものでした。
私は創価で「邪宗の坊主は宗教ビジネス、読経してお布施を貰ったらさっさと帰る」というような悪評を
青年部の頃に聞かされており、全く良いイメージを持っていなかったんです。
けれど違いました、彼らはプロなのです。
遺族からの質問に対しても平易な言葉で「仏様はこうおっしゃっていますよ」と教えてくれ、
高圧的でもなんでもなく、やさしく供養への心がけを語ってくれました。
私は感心しましたし、他宗派僧侶への認識を大きく変えました。
それに「故人の分まで先生にお応えしていこう!折伏、新聞拡大の闘い頑張ってまいりましょう」なんて
無粋な事も言いませんしねw
なんでもかんでも、組織の金儲けに結び付けて行こうとするよこしまな創価とは大違いです。
どっちが「邪宗」だか?って思います。
一般既成仏教を「邪宗」なんていう資格、少なくとも創価にはないと思います。

未活時代(7)

財務の申込用紙が出回るころ、地区婦といっしょに例の発達障害ママが家庭訪問にきました。
子供は3歳になっていました。
応対に出ると、ママさんが「幼稚園はどこにするの?」と尋ねてきました。
メールが相変わらず毎週届いており、自分の子供と同じ園にしてはどうか・いついつに体験入園が
あるからきませんか・・etc 誘い文句が続いていました。
別の幼稚園に入れることは確定だったけれど、言いたくなかったので「検討中です」と回答。
翌日、ポストにママさんの子が通う園の願書とパンフが入ってました。
どこまで必死なんだろう。本人は仲良くなりたくて必死だったんでしょうが、私はこういった
距離なしの行動が本当にイヤでたまらず、早く嫌がってる事に気付いてほしいと思っていました。

秋になり、無事入園も決定。ほっとした矢先、急な体調不良でダウンしました。
邪宗の幼稚園に入れたから御本尊様がお怒りなのかと、不安になりましたが、妊娠していました。
つわりがひどかったので、子供の相手もろくにしてあげられず、私たちは実家に帰りました。
3週間ほどお世話になり、自宅に戻ったところ、些細なことで主人と大喧嘩になり私は子供を連れて
実家にとんぼ返りしました。
母は私に対して「我儘だ」と怒っていましたが、父は「いい機会だから旅行でもするか」と言いだし
驚きました。 そんな事を父が言うなんて、思ってもみませんでした。
父がさくさくと手配を進め、海外へ行くことになりました。
パスポートを自宅に置いてきたので、父が主人に連絡を取り送ってもらいました。
その際に父から主人へ「旅行から帰ったら機嫌なおってると思うから、迎えに来てやって」と伝えていた
そうです。 後から聞かされて驚きました。
両親ともに孫と旅行が初めてで、とても喜び楽しんでいました。私ものんびりさせてもらえ、
はじめて両親と「家族団欒」できた気がして、涙がでるほど嬉しかったです。
帰国後、夫が迎えに来たので素直に自宅に帰りました。
その約1ヶ月後に、父が逝ってしまいました。

母から連絡を受けたのは夕方で、父は集中治療室に入っていました。
すぐにでも帰りたかったけれど時間的に無理があり、翌朝出発する事に。
頭をよぎったのは「私が学会活動をさぼったせいでこうなったのか?」「邪宗の幼稚園に入れたから
罰が出たのか?」ということでした。
じっくり御題目をあげたかったけれど、身内、義実家と連絡を取ったり、帰省の準備などバタバタし
夜中にほんの少しあげただけでした。 このときは涙は出ず、とにかく無事で居て欲しいとそれだけ
願いました。
翌日、地元に到着すると駅に義両親が車で迎えに来、病院まで送ってくれ、子供を預かってくれました。
本当にありがたかったです。
母、姉、私で医師の話を聞きました。
今晩が山ですと聞かされ、姉は出て行きました(泣きに行った)。私と母は、泣きませんでした。
泣きたいのは山々だったけど、そんな暇は無い、題目だ!と思ったのです。
兄は出張中で、翌日の昼前に到着するとの連絡が入りました。いつ容体が変わるかも解らないので
姉も職場に休む旨電話を入れ、自分と母が付き添うから、あなたは実家に戻って、妊婦なんだから
身体を休めなさいと言ってくれました。
ところが(?)母は「私が(家に)帰りたい」と言いだしたのです。理由は、御本尊様の前で御題目を
あげたいからでした。
姉は激怒しました。なに言ってるのこんな時に?死に目に会えなくてもいいの?と。
でも、私は当時まだマインドコントロール下です。母の気持ちが解りました。
仏壇の前に座りたいんだ、御本尊様と対話したいんだなって。
私が間を取り持ち、母に一時帰宅してもらい、家で御題目を上げてから戻って来てもらう事にしました。
姉とふたりで病院に居る時、あなたは気が長いよね~、と呆れたように言われました。
お母さんに対してよくキレずにいられるよね?って意味です。
姉の気持ちも、わからないでもなかったですが、こんな時にご本尊様を求められない姉が可哀相だと
思っていました。 
自分はご本尊様を信じているから、こんなときでも取り乱さずにいられるんだ、と。
お守りご本尊様を身につけて来たので、私は心の中でずっと御題目を唱えていました。
夜になって母と交代し、実家に帰宅して仏壇の前に座って御題目を上げました。
この時初めてわっと泣いてしまいました。 我慢していたものが一気に噴き出すみたいに。
だけど、どういうわけか集中力が切れ、親戚から電話がかかってきて対応したりで御題目は
30分ほどしか上がりませんでした。
翌日、兄の到着を待っていたかのように、父が息を引き取りました。

そして葬儀。 
兄や父方の親戚・姉と、葬儀の形式で揉めて、私は兄と父方のおばから「縁切り宣言」されました。
みんな創価学会の葬式を出すのはおかしいと反対していたのです。父はアンチでしたし
父の実家は浄土真宗です。
私は、あくまでも喪主は母なんだから、母の気持ちに沿うべきだと主張し喧嘩になったのです。

葬儀受付は地元の婦人部が務めてくれました。
葬儀が済んだ後、名簿とお香典を確認していたところ、父方親戚の名前と香典がありません。
えっ、どういう事?と思っていたら、姉が静かにバッグから不祝儀袋の束を取りだしました。
「私が預かった」と。
つまり、父方の親戚は、創価の葬式じゃ香典を組織幹部にみーんな持って行かれるとの噂を信じており、
受付や・母や私に渡すのがいやだったので、受付を通さず一番信用のおける姉に託したというのです。
どんだけ信用ないのよ、創価。
おまけに私や母まで親戚からそんな風に見られていた事に、愕然としました。
これも地域差があるんでしょうけど、実家方面の葬儀では幹部にそっくり持って行かれると言う事は
なかったですが、広布基金というかたちで少し大きな金額をおさめていました。

通夜で、地元の先輩方に再会しました。
圏女や本部長を務め、地元男子部と結婚し、そのまま地元で婦人部幹部になった皆さま方。
変わり果てた姿に驚きました。
華やかなスーツ姿でキラキラしていたイメージは何処へ・・で、激太りした方。
産後太りのレベルでは無く、ストレスによる過食だろうなって、思いました。
また、眉間にたてじわくっきりな先輩も多かったです。まだ40代なりたてくらいなのに。
申し訳ないのですが、皆さん神経質そうな怖い顔をしており、ちっとも幸せそうには見えなかったです。
「むこうで頑張ってるの?」と聞かれ「いえ全然」と答えると
「ダメじゃん、お父さんの分も、お母さんを支えるためにも、組織についてしっかり先生にお応えして
 いかなきゃ」云々。
なぜにそんなにアツいまま居られるの?と、不思議でたまりませんでした。

葬儀の最中は夢を見てるみたいで(父の死を受け入れられなかった)ぼんやりと出来事が流れて行く、
そんな印象でしたが、年数が経過するにつれ目で見た記憶が鮮明によみがえってきます。
つい最近思いだしたこと。母方のいとこで社会的地位の高い人がいます(非活です)。
おじが入院中だったので名代として多忙な中、葬儀にかけつけてくれたんですが、その手には
一重のお数珠が巻かれていました。
創価の葬儀だってことは百も承知だったと思いますが、略式数珠だった事に私は驚きました。
お焼香を済ませて、母に挨拶だけして即帰って行きました。
うちの主人も略式数珠を一般の弔事で使いますが、この時は私が創価のお数珠を持って行き
使ってもらいました。 親戚の目があるからです。略式数珠なんてかけていたら注意されますから。
余談ですが、アンチの兄、姉は略式数珠を持参してましたが、母が実家の数珠をかけるよう強く言って
変えさせていました。
だけど、いとこが全くそんな事意に介してないのをこの時に見て、へぇ~?って感じだったのです。
葬儀に行く機会もきっと多く、多忙だからいちいちそんな細かいところまで気をまわしていられないの
だろうけど、これはいとこの意志表示でもあるんじゃないかと、そのとき思いました。
「自分は創価と一線引いてますよ」って事かと。

そして火葬場でのこと。
火葬する前に、前室のような場所で父に最後のお別れをしたときです。
ごん行をしたのですが、棺の周囲にがっちり集ったのは、父と縁もゆかりもない地域の学会員と母方の親戚で、
父に近い姉や兄、父方の親族など「身内」が、部屋の隅でそれを見ているような状態でした。
私は父の頭に近い部分にたまたま立っていたので部屋全体が見渡せて、方便品をとなえながらも
「あれっ?みんな(身内)どうしたの?なんで集まらないの?」って思ってました。
見かねた葬儀屋さんのディレクターが、学会員のおじさんおばさんを棺の周りから離れるよう促し、
身内に傍に行くように誘導してました・・。
地域の学会員は、創価の葬儀っていうだけで、自分たちのもの!みたいな気分だったんでしょうか。
創価の葬儀は参加者ともども、読経が出来るところが素晴らしいと学会員はいうけれど
外部の参列者からすれば、疎外感しかない。 まるで学会員だけのもの(儀式)になってしまう。
こんな創価の自己満足で排他的な葬儀、すべきではなかった。
父方の親戚や、アンチの兄姉の気持ちを今考えると、私が当時マインドコントロール下だったとはいえ
反対意見側に回れなかった事、申し訳なかったなと思います・・。
また、儀典長が挨拶を述べる際、棺に向けてお尻を向けていた(棺のまん前・中央に立って話そうとした)
ことで、これもディレクターが「ちょっと待った!」と止め、儀典長をはしっこに連れて行き
ここで話して下さいと注意してました・・。
常識も、なんにもないです。故人に対する敬意もです。 
挨拶も結局は、学会・池田老人賛美だったし・・。
これもおかしいと思いました。
父方祖父の葬儀では、浄土真宗でしたので読経後、ご僧侶のお話に”親鸞聖人”が登場しました。
学会葬では読経後、儀典長あいさつに日蓮大聖人の名前もちらっと出たけど、池田老人の名前も
出てきたのです。
なぜ? ただ宗教団体の長なだけなのに。組織内部でのみ罷り通る「永遠の指導者」ってだけなのに。
参列者は100%学会員というわけじゃない。外部も居るのに内部の上下関係をこんなところで
誇示しなくてもいいじゃん、と。
「宗祖」ではない池田老人の名前を出してくるところ、当時から私は違和感でした。
そんなことするから世間から「池田教」なんて言われちゃうんだよ、組織は馬鹿だ、と思ってました。
私は師弟観がありませんから、池田教と外部から言われる事が一番いやでした。
あくまでも私は日蓮大聖人の教えを信じてるんであって、池田老人のこと信じてた訳じゃないから。
でも、そんなこと思ってたのは自分だけで、その他大勢の学会員の皆さんは池田老人を”御本仏”と
崇める事に、何の違和感もないみたいですね・・。
覚醒後、バリ活ブログをさまざま読んでいて、そう確信したと同時に、心底呆れました。
余談ですが、父の葬儀は一般的な葬儀場で行ったため、儀典長の挨拶~喪主挨拶で終わった訳ではなく
葬儀場のナレーターによる「故人を偲ぶ語り」が儀典長あいさつ後、音楽と共に長めに入りました。
しかも学会歌ではなく、父が好きだった映画音楽のピアノ曲でした(姉が選びました)。
葬儀社からの演出提案ですすめられたものです。
これって、外部参加者にも少しはほっとする時間を、との葬儀社の配慮だったんじゃないかと思います。
あくまでも父の葬儀で、創価のプロモーションでも学会員のイベントでもないんだ。
幾許か、創価臭がとれたので、姉もこの葬儀社に頼んで正解だったと後日語っていました。
この演出をしたことが、唯一救いと言えるかもしれません。

また、父の死相はたいへん美しかったです。
肌の色は透き通るように白く、静かに眠っているように見えました。
そんな姿を見て母方親戚一同は「皆の題目のお陰だね」と語ってました・・。
生前猛烈なアンチでも、通夜本葬で学会員が御題目を上げたら、見事な死相になるらしい。
いい加減だなと思います。どこまで自分たち至上主義なのかと。
何故、ひとことでも「故人の生前の行いが良かったからですね」って言えないのかと。
当時は私もマインドコントロール下だったので、親戚の言葉に頷いてましたが(馬鹿でした)、
いま思うと、本当に故人への敬意かけらもなく、ひどかったなと落胆します。

こんな身内ノリ葬儀のいったいどこが素晴らしいのか? 自画自賛にもほどがあります。
外部からすれば隔絶された世界観の葬儀で、非常識きわまりないのに、学会員は盲目ゆえ
そんなことも解らずにいるのです。

この葬儀に関しては覚醒後、思いだすたび気が狂いそうになります。

自宅リビングに父の写真を飾って、果物が大好きな父だったので欠かさないようにしています。
写真に手を合わせるたび、お墓参りのたび、おとうさんごめんなさいと、心の中で謝ることしかできません。
私が覚醒し反省している事・心から悔やんでいる事は、父にも伝わっていると信じています。

父の葬儀を通じ、創価という組織じたいに村社会を感じ、疑問を覚えていましたが
それでもまだ「脱会」を考えるような事はありませんでした。

未活時代(6)

初めての土地での子育ても、周囲の環境に恵まれそこそこ楽しくやっていた私ですが
全く悩みがなかったわけではありません。
長子の成長過程では、悩みの連続でした。
過ぎてしまえば、どうってことなかったなって思える事ばかりだけど、初めての子供に対して
神経質になりすぎていたと思います。
今でも苦い思い出となっているのが、離乳食がなかなか完了期にならず焦っていた事。
周囲のママ友から聞く、「あれを食べた・これが好物」という話を聞くたびに焦っていました。
うちの子はフォローアップミルクが大好きで、液体でお腹を満たしたいという欲求が強く(?)
ごはんをわざと食べないような気がしていました。 
まだ言葉が出ない時期だったので、真意の程は定かではなく。
そして、子供が自分の思い通りの成長を踏んでくれない事に、ものすごく落胆していました。
保健士さんに相談すると、身体的に成長曲線どおりだし標準だから心配は無いけど、1歳半までに
哺乳瓶をやめないと虫歯になりやすいですよと指摘があり、そこでまた焦りを感じ。
すでに1歳5か月だったのです。
やめさせようと、あれこれしてみるのですが、ジュースやお水はコップを使って上手に飲むのに
コップに入れたミルクは飲もうとしないのです。スパウトや、あれこれ試しても、イヤイヤと言い、
哺乳瓶がある戸棚を指差します。
入れかえてくれないと飲まないって事です。
「だめ、これで飲んで!」と言うと、号泣されます。
そんな時、私がどういう行動をとったかといえば、子供を暫く無視していました。
本当に最低な行動だったと反省しています。
無視すれば、諦めてコップで飲むんじゃないかと思っていたのです。
けど子供にしてみれば、何故哺乳瓶に入れてもらえないか理由もわからず、要求が満たされなくて
悲しくて、コップ入りミルクは飲まず、泣き疲れて寝るという状態でした。
後日このことを保健士さんに話すと注意を受けました。
それは泣き疲れじゃないんですよ、子供は自分の処理能力を超える出来事が起こると寝るんです。
つまりパニックに陥っている、ということでした。
なんと酷い事をしてしまったのかと、自分を責めました。子供には沢山謝りました。
そして、理由をちゃんと説明して、軽く儀式のような演出も取り入れて、子供に納得してもらった上で
辞めることができるよう、計画を作ってもらいました。
保健士さんにいわれたとおりにやってみたら、子供はあっさりと哺乳瓶から離れることが出来ました。
哺乳瓶をやめると、フォローアップも要らないと意思表示するようになり、お腹がすくからか食事を
シッカリ食べるようになって行ったのです。
もっと早く相談すればよかった・・と思いました。
そして、自分が「子供が思い通りの行動を取ってくれない時、無視してしまった」事について考えました。
この先また私は繰り返すかもしれないから、そうならないよう原因を探りたかったのです。
その時思いだしたのが、母がやはり、子供が思い通りにならない時、無視する人だったという過去でした。

私はわりあい、母のいうことを聞く方だったのですが、それでも日常生活で母の言いつけに反する事を
やると、暫く無視されることがあったのです。
信心のあった私でさえこうなので、兄や姉はもっとひどかったです。
ずっと無視されるわけではなく、ほとぼりが冷めたらいつもの母に戻ります。しかしそれでもいい気はしません。
私は、無視されたら母の機嫌をとろうと必死になるほうでした。
父に頼れないので、母しかいなかったからです。
しかし兄や姉は父と仲が良く、母が無視してきたって全くへっちゃらって感じでした。
私が常に、母親の顔色を見てきた事を自覚して、これってどうなのだろう?と考えました。
ただ、この当時(6年前)、まだマインドコントロール下にあった私は、こんな親子関係に創価のフィルターが
かかっている事を全く自覚していませんでした。
そして私がこうなった背景・原因は父にあると考えました。
父が私に冷たかったから、母親を頼るしか無くて、母親の顔色ばかりみて家族の中で生きるしかなかったと。
すると、父が冷たい原因=信心・創価への不理解となります。
ここで「創価が悪い」には絶対ならなかったんです。あくまでも、信心や創価を理解しない父が悪人です。

我が子に、私のように育ってほしいかと言えば、答えは当時から「NO」でした。
主人は仕事が忙しいながらも、子供の面倒はよくみてくれるタイプです。
基本甘やかしなので、ママより絶対パパがいいと、休日は主人から離れないほど。
そして、義両親も孫には甘いのです。多少お行儀が悪かろうが、多少危険を伴う事をしようが、我儘だろうが、
一切叱りません。
声かけはしますが、基本にこやかに眺めているのです。
(余談・うちの母は、孫を容赦なく叱ります)
私はそういった環境にもなじめなくて、いつもモヤモヤしていました。なんで注意しないの?って。
私が注意をすると、子供はとたんに不服そうな顔をします。それを義両親が「まぁまぁ」って感じでなだめて
圧倒的に孫の味方です。 こんなのどうかしてる、と不満に思っていました。
ママ友に話すと「うちもそんな感じだよ」と言ってくれるのですが、皆、それを「当然」として受け止めており
私みたいに苛立ちや不満を持っていない様子で、おや?と思いました。私がおかしいのか、と。

幼稚園に上がって、父兄向けの講演会で聞いたのですが、10歳まで子供は甘やかして育てて当然と。
本人・他人の命を伴う危険なことだけはしっかり教える必要があるけど、それ以外の事は自由にさせてあげる。
親から見てマイナスと思える事柄に対しても、子供に対しポジティブに導く言葉をかけられることが大事で、
大人の理由でやみくもに叱りつける事は、脳がストレスを感じ、子供の可能性を狭めると言うお話でした。
甘えてもいいんだ、という状況が自己肯定力を生むという事。
幼稚園や小学校では、子供といえど外に敵ができる。いいことばかりでは無い。自分の考えや行動が
受け入れられない時もある。子供はそういったマイナスな事象からも、実はしっかり学びとっている。
家庭はシェルターで、自分を受け入れてもらえる場所があるということがどれだけ子供の自信に繋がるか。
外でマイナスになった部分を、家の中で補ってプラスに。そしてまた外へ出て行く。
この繰り返しが心の体力づくり(寛容性、耐久性)に重要なのだと。 
それが、外で凹んで帰ってきているのに家庭の中でガミガミ・否定的な言葉を投げかけられると、
子供はますます委縮してしまう。
そうならないように、幼少期から親子間の信頼関係を築くことが重要ですという話で、目からうろこでした。
義両親や主人がやっていたことは、理にかなってたんだと気づきました。
そして私の育ちといえば、家庭の中で母は優しかったけれど、「甘える」という感じでは無かったのです。
信仰上の師匠と弟子みたいな関係だと思います。 条件付きなんです。
信仰があるから優しくしてもらえるけど、無かったら優しくしてもらえないのです。
この件については、覚醒後にいきあたることになるのですが、それはまた別の機会に書きます。

子育てを通じて、子供から教えられた事は数限りなく、全てを要約すれば
「私が育った環境は不幸だった」ということでした。
経済的に困った事は父のお陰でなかったけれど、心はいつもさびしかったです。
我が子を見ていて、羨ましくなることが多々あります。
私は子供時代、父親に甘えるなんて考えられませんでした。何かクレームをつけられるのではないかと
いつもびくびくして接していました。
けれど、辛い思い出ばかりというわけではないです。母が実家に用事で行って不在のとき、父が
子供達を連れて外食に連れて行ってくれる事がありました。
そんなときの父は、きょうだい分け隔てなく接してくれましたし、普段生活の上でも、なんでも3人が
平等になるようにと心がけてくれました。そういった面は、父の深い愛情と受け止めています。
家族団欒、5人が揃って楽しく食事をしたという記憶が一回もないことが本当に残念でなりません。
常にだれかが不機嫌でした。私が物心ついた時は兄が反抗期だったので険悪でしたし・・。
自分の子供が、食卓で笑顔で居てくれると涙が出そうになります。
私は実家でこんなに笑ってご飯を食べた事なかったなって(暗い話ですみません)。
出かける際も、下の子が歩き出すまで長子は必ず私と主人の間に入って両方と手をつなぎたがりました。
そんな事も私は経験がなかったし、なんというか、本当にさびしい育ちだったんだなって事を
自分が子供を産んでから実感した次第です。
そんな事、子供を産むまでまったく感じていなかったし、問題にも思わず、自覚がなかったです。
物質的に恵まれていたので、むしろ自分はいい育ちをしてきたと、勘違いしてました。

「無償の愛」という言葉があります。子供に向けられる愛情こそ、この言葉にふさわしいと思います。
報われなくても、見返りなんてなくても、子供のためにと心を尽くす。親なら当然のことでしょう。
私はそんな無償の愛を、母からもらったことが無かったと気づきました。
母の愛は、見返りを求めています。 創価の信心ありきの優しさと愛情なのです。
それはもう、ハッキリしています。

学会員を見ていると、子供を親の従属物みたいに捉えている家庭が多い事に気付きます。
もちろん100%とは言いません。中には子供は自分たちとは違う、ひとつの立派な人格者と尊重し
認めている関係もあると思います。 が、少ないでしょうね。
子供が信心をしなくなったり、捨てたりしたら、縁を切ると言い切る親の多さ。
血族よりも、信心・学会組織・永遠の指導者が大切だという認識のもとにあるからそんな発言が出るのでしょう。

また、子供に対して信仰上の強制をはかるあまりか、子供がいい年して独身という家庭も多いですよね。
私の身内(いとこ)も50代独身でした。
学生時代に交際した女性と結婚を考えていたようですが、相手が入会を拒否したため、親が結婚に反対。
いとこは、若い時そこそこ頑張って幹部をしていましたが、壮年部から非活です。
親は幹部をしていて「こんな立派な息子なんだから、絶対に女子部の嫁にきてもらう」と、
組織内お見合いをさせていました。
それも”初婚・大卒”と相手を限定したお見合いです。親の理想の高さで、子供の結婚のハードル上げて
しまってどうするんだろう?と、私は感心しないなと思っていました。
けれど、いとこは元彼女が忘れられなかったみたいです。どんな縁談も断って、遂に見合い話も来ない年齢に。
一人っこ長男なので、親の希望に沿う相手以外と一緒になることが難しい・親を裏切れないとの思いから
そんな年齢になったのだと思います。
そこの親(おじ)は「友達(当然女子部)で、誰かいい人いない?」とたびたび私に尋ねてきました。
50代近くなると、縁談話もなくなったようです。
親として、責任を感じないのだろうか?と、私はおじおばを軽蔑していました。
数年前、おじが他界。 おじの奥さんは結婚を機に入会し、つりあい人事で幹部だった人です。
昨年、いとこは50代半ばにして結婚しました。 お相手は外部で、入会はしていません。
結婚式は2人で海外であげ、ハガキが送られてきましたが有名なチャペルをバックにしたものでした。
おじの奥さんはきっと、信心強情なおじとそのきょうだい(母やおば含む)に遠慮して、息子の本当の幸せを
考えながらも、おじ存命中は息子の背中を押し切る事ができなかったんでしょう。
おじが亡くなったことで、いとこも奥さんも足かせがはずれたのかもな?と思いましたし、おじの奥さんに
普通の親心があった事、私は嬉しく思いました。
しかし、うちの母やおばたちは「兄が死んでから信心がおかしくなった」というような陰口を言っていました。
あんたたちのほうがおかしいよ!と思いながら、苦々しくこの会話を聞いていました。

まがいもの宗教や、それに騙されている親が足かせになり、自身の幸福を選びとれないなんて、不幸にも
ほどがあります。
創価の信心のせいで、何かを諦めたりする必要はありません。
親は大事ですが、マインドコントロールに罹っている親は本当の「親心」や「人間愛」を、悪魔に奪われて
いる状態です。 
そんな親の思いに沿う必要なんてありません。
自分の考えで、思いで、行動して欲しい。
もし迷っている人が居るなら、私は背中を押してあげたい。
創価や信心やそれを信じてる親に、何の遠慮もいりません。
そんなもの振り切って、あなた自身の幸せを全力でつかみに行ってくださいと。

未活時代(5)

子供が2歳を迎えると、ママ友の間で幼稚園選びの話題が出るようになりました。
選択肢の多い地域ですが、産院で知り合ったママさんの大半がプレクラスのある幼稚園に入れると
いうので、私も同様にすることにしました。
その幼稚園は、宗教系です。入園に際してテストと面接がありますが、プレクラスに通っておれば
選考有利になります。
主人に相談したところ快諾してくれ、3歳を迎える年度から入園しました。
当然、組織の人には言いません。おまけに、実家の母にも言いませんでした。
今から30年近く前の話ですが、当時の創価では進学先が宗教系だとNGという教えがありました。
兄の大学がそれで、入学式まで知らなかった母は激怒していました。
邪宗の大学に通う=学費や寄付金をおさめる=謗法にあたるという理由だったようです。
私が高校生の頃も、高等部担当者の女子部のおねえさんが「なるべくなら宗教系大学は避けてほしい」と
話していました。
が、私が女子部長になった頃、高等部担当者に聞いてみると「現在そんな指導は聞かない(していない)」
とのことで、実際キリスト教系の女子校を出た若い部員さんもいて、ソフト路線でいつの間にか
条件緩和されたのだと思います。
宗教系の園に子供を入れる事は謗法に当たらないと私は判断。
しかし母の認識は変わらないだろうし、文句を言われるのもイヤだったので黙ってました。

この園に通わせることにした最大の決め手は、ママ友の口から出たなにげない一言です。
「こういった一般よりお金のかかる教育機関に子を通わせるのは、スクリーニングにもなる、
 変な宗教の勧誘や、意識の低い親(子)に遭遇する可能性が下がるから良い」と言ったのです。
彼女は「変な宗教」と言いましたが、私は瞬時に”創価の事だ!”と思いました。
私はこの地域で婦人部の活動に出るつもりが金輪際なかったので、子を介して横のつながりで婦人部から
つついてこられる事を懸念していました。
これは先に結婚した女子部時代の友人の経験談から。
彼女は未入会のご主人の手前、婦人部の活動に出ていなかったのですが、園ママに他支部のバリ活がいて
「あなたの地域のOOさんから聞いたんだけどー」と話しかけられ、会合に出るよういわれたそうです・・。
未活婦人部の子供(未来部)がどこの園や学校に通ってるという情報を把握し、支部・本部を超えて
同じ学校に通うバリ活の親から声かけするケース。主に選挙の内確がとれない時に使われる手だそうで。
そういったバリ活は、創価の話を一般人の前ですることに何のてらいもなく、平気なので
周囲に内緒にしていたのに勝手にカミングアウトされた状態になり、腹立たしかったとも言っていました。
そういった煩わしい事を避けるためにも、宗教系幼稚園はうってつけでした。
実際、創価の人に遭遇することはなく、選挙を頼まれることも一回もなかったです。

新たに知り合った園ママさん達からも、私は良い刺激を受けました。
産院つながりのママさんにも自宅おもてなしの得意な人がいましたが、園に上がると更にその数が増え。
聞けば皆さん花嫁修業で、さまざま習いごとを経験。結婚後も学び続け、それぞれ得意な事がある。
既に講師として自宅でお菓子の教室を開いている方も居ました。
恥ずかしながら、私は独身時代そのような習い事を一つもしたことが無かったのです。
彼女らの経験を聞くにつけ、自分は一体何をしてきたんだろうと、己の独身時代を振り返り寒くなりました・・。
それでもこのコミュニティから脱落せずなんとかついていけたのは、職場で知り合った主婦友達のおかげで
出産直前まで手工芸の習いごとを続けていたから。
経験を話すと「教えて欲しい」と請われ、皆で集まって一緒に作ったりしました。
文化的活動を共有できることは強みです。 
もし私が、習い事をあの時(婦人本部長に辞めろと言われた際)やめていたら、引け目を感じまくりで
このコミュニティに居られなかったと思います。
続けて良かったと、誘ってくれた主婦友達に感謝しました。

そういえば20代の活動期、一般の友人達は習い事やエステにジム通いなど、余暇を自分磨きに
使っていました。
当時の私は、そういったことを「いいなぁ」と思いはしても、自分もやろうとは何故か思いませんでした。
おそらく「私は学会活動で生命を磨き、福運を積んでいる」という誇りwがあったからだと思います。
いま思えばそんな事、何の為にもならないのに・・。
活動をドロップアウトした時期も、習い事よりは社交に興味を向け、スポーツサークルの活動に
没頭し、遊んでばかりいました。
それまで夜は学会活動ばかり。抑圧されていたせいか、飲みに行ったり食べ歩きをしたりと
遊ぶのが楽しくて仕方なく。「学び」は抜け落ちていました。 
世間一般のOLさんと比べたら、何もかもが周回遅れ。
一般の友人たちが、幸せな結婚生活に向けてOL時代に努力を重ねてきたのは、こういう事だったんだと
園ママに教えられました。
花嫁修業的な習い事は日程(曜日)が固定されているので、女子部で役職を持つ人は中々できないと思います。
私も条件面で最初からあきらめていたかもしれません。
また、周囲の女子部員にも習い事をするような人はいませんでした。活動で忙しくて皆、それどころじゃ
なかったんですね。
女子部に居たら、こじゃれたお菓子や料理を作れなくても、お花がいけられなくても、な~んにも困らない。
それを恥だと思わずに済む世界でした。
きっと婦人部でバリ活やっていても同じくで、教養なんかなくても信心は一流です(キリッ!なんて
私は思っていたかもしれません。 
そうならなくて、本当に良かったです・・。

また、おもてなしが得意なママさんの子供が「ママの作ったおやつ」を誇らしげに、美味しそうに
食べているのを見て、心をわしづかみにされました。 
これこそ子供の幸せだよね、と。
(私がパン教室に通い始めたのは、このお子さんの姿を見たことがきっかけでした)
自分の育ちを振り返ると、物ごころついた時に母は学会活動で昼間不在。
学校から戻り、自分でカギを開けて家に入ると、食卓の上に袋菓子やビスケットの箱がそのままおいて
ありました。 お皿に移し替えるでもなく、パッケージのままポンと放置。
手作りのおやつなんて食べた記憶、ほぼありません。夕飯も、父不在時はお惣菜のでる率が高かった。
そんな環境下で育っていたので、我が子に市販品のおやつしか与えた事がありませんでした。
自分で子供に作ってあげよう・上げたいと思った事が一度も無かったんです。
女子部時代、創価のセミナーで聞いた話ですが、親って自分が子供時代に親からしてもらった事しか
次世代(自分の子供)にしてやれない。 経験が無い事は、行動として出てこないって話でした。
いいことだけではなく悪い事もで、虐待をする親は、必ず自分も子供時代に親から虐待を受けている。
当時はなんとは無しに聞いていたけれど、本当にその通りだと愕然としました。
自分の感覚が正しいと思っちゃいけない。自分を疑うくらいで丁度いいのかもしれない。
(余談ですが、blogタイトルは「自分を信用しない」ところから真実を探ろうって意味でつけたんです)
私はいびつでおかしな家に生まれ育った、この経験をベースにすると子供に悪影響が出るだろう。
だから尊敬出来て・いいなと思える他人の子育てから学び、取り入れようと思ったのもこの経験からです。
・・というか。いま思えば、こんな内容を創価のセミナーで話してたって言うのも皮肉ですよねw
2世3世の大半は、毒母(=婦人部)に育てられていると思いますし・・。

実際、地元組織で不登校になったり・問題行動から高校中退・引きこもりになっている3、4世の話を
耳にします。その数は少なくありません。
母親は私と同世代の、女子部時代からバリ活で、結婚後もバリ活婦人部。
赤ちゃん時代から子供を学会活動にひきずりまわしてきた人達。
0歳児の頃からそういった子たちの姿を見てきた実家の母はいいます
「あの子たちは幼少期、昼間公園で遊んだ事なんてないだろうね」と。
これは幼児教室の先生から聞いた話ですが、就園前(~3歳)までに公園で遊んだり運動習慣
(スイミング等)のない子供は、筋力も少なく、運動能力が発達しておらず、集団生活に入ったとき
差が生じやすいとの事。
運動能力が3歳までにどのような経験をしたかであらかた決まり、4-10歳が伸びしろになると
いう話で、これは脳科学に基づいた話だそうです。
活発な子供は園生活の中で遅れを取り戻し、周囲と足並みを揃えますが、そうでない子は小学校に
入学した時に、またどんと差がついてしまい、本人も消極的になり様々な事に影響を及ぼす。
身体能力の向上のためにも、公園で適度な時間遊ぶことは子供の成長に重要だということでした。
運動が出来ない事で消極的に・・というのは、私も子供時代に経験しているので、頷ける話でした。
上のきょうだい2人は、会合に連れまわされた記憶が無いようですが、運動は得意でした。
私はうっすらと会合に連れて行かれた記憶あり、運動は苦手でした・・。
(注・社会人になってスポーツサークルに入りましたが、マネージャーをしていました)

また、身内の話ですが幹部をやっていた親戚の子は非行に走りました。
一人はのちに組織について現在幹部をしていますが、一人は他の宗教に入り親と縁を切りました。
素直に育ち、学生部で活躍後、有名企業に入ったけれど鬱を患い、大人のひきこもりになった人もいます。
現状、組織に就いているいとこは自己実現できなかった人が大半です(私もその仲間です)。
はなから親と自分は信じるものが違うと、組織につかなかった人の方が自己実現出来ている。
これは偶然ではない気がするのです。
うちの一族だけかもしれないけど、信心をすれば、ダメな子でもうだつが上がらなくても親は手放しで
受け入れてくれる。
信心をしたくなければ、自分が頑張るしかない。親を頼らず生きて行かざるを得ない。
どこもそんな親子関係だったんじゃないかと、大人になった今、親戚を見渡して思います。
信心に頼らず、地位を築き上げた子供達を「信心・祈りのお陰で立派になった!」と親は自慢に
しています。
本人信心してないじゃん!非活じゃん!と、毎回突っ込みたくなります・・。

私が女子部当時に見ていた、夜の会合に連れて来られる小さな子供達は、どんな会合でも、
大人の邪魔にならないよう部屋の隅で声も出さずに遊んでいた。
小学校に上がる前の子供の興味は、最大で30分しか続かないと聞きます。
1時間以上にわたる会合時間を、限られたスペースに拘束され、聞いてもさっぱり解らない話の場に
同席させられることは、退屈でたまらないでしょう。 
小さな子どもにとってこれも十分、精神的虐待じゃないのかと私は思います。
赤ちゃん当時から連れて行っておればそのような環境に慣れるのかもしれないけど、それでもちょっと
普通の事ではありません。
一般家庭に育つ子供なら絶対に経験せずに済むことです。
子供らしいのびのびとした時間を奪う事が、成長を伴うにつれ歪みを生じさせるのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、永遠の幸福境涯や・三世にわたる福運功徳や・世界平和や・
師匠の理想の実現のために、一番身近な幸せの集合「家族」を蔑ろにしてしまう事は、人間の所業では
ありません。
ここでも池田指導の矛盾を感じます。
「ひとりの友を救えずして、広宣流布はなし得ない」そう言っていたけれど、
友達はおろか、一番近くにいる身内を幸せにせずして、世界平和なんか成し遂げられるわけがないんです。
友達より家族の幸福の方が先だろう。 まちがい教えんなよと、私はそう思います。

創価では「恩を忘れるのは畜生、人間以下」と教えていました。
しかし、本来恩を向けるべき家族家庭をすっとばして「師匠」や「組織」に恩を向けろなどと
こんなものは国賊の教えです。

ママさん世代にこそ、一日も早く、覚醒して欲しいと願います。

未活時代(4)

子供が1歳を過ぎる頃、しらゆり長が変わりました。
友人に折伏を受け入会した一世で、すごくキャラの立った、アツい人でした。

ある日、出かけた帰りに遭遇したのですが、ベビーカーのハンドルをつかまれて足止めされた事に
恐怖感をおぼえました。強引すぎるのです・・。
その後も、外で会うと必ずベビーカーのハンドルに手をかけます「行かせないよ」って感じです。
どこでそんなの覚えたんでしょうか? それが嫌でした。
「なんで昼間の活動出て来ないの?もうお子さん1歳過ぎてるんだし、連れて来れるでしょ?
 それに家に子供とずーっとこもってたって、どうしようもないでしょ、退屈じゃないの?」って
言うのです。
私は、家にこもってなんか無いですよと返事。
当時リトミックやベビースイミングに通い始め、ママ友づきあいも含めれば全く予定のない日なんて
ありませんでした。
するとしらゆり長が心底残念そうに
「1歳から習い事?なにも無駄なお金使ってママ友づきあいしなくたっていいんじゃないの?
 会合に来れば、みんな話聞いてくれるし、子供の面倒だって(おばさま方が)みてくれるのに」と、
本当に残念そうに、なんだったら私を「馬鹿な子だねぇ」と言いたげに言うのです。
私は思わず爆笑してしまいました。 
なんで笑うの?どこがおかしいの?としらゆり長は困惑していました。
私からすれば、創価の世界しか知らないしらゆり長のほうが残念でした。

この当時、子供の習いごとで会費や月謝が極端に安いところは要注意だとママ友に教わりました。
その理由「必ず学会員がいて、お茶会に誘われる」というものでした。
近所に会費の安いベビー英会話の教室があり、ママ友がトライアルに行ったところ創価ママに遭遇。
親しげに話してき、メアド交換を迫り、2度目の誘いがお茶会だったそうです。
後日、例の発達障害ママも子供をその教室に通わせていたと聞いて「うわぁ」でした。
別の地域では、絵本の読み聞かせサークルだと誘われて行ってみたら池田老人の絵本だったとかw
また「平日午後のOO銀行には行かない方が良い」という噂もあって、ベビーカーで(子連れで)
用を足しに行くと、外に出たところでママさん世代の女性から声を掛けられて、
読み聞かせサークルや・子育ての悩みの相談をやってるから来ない?無料だから、この近所のお宅で
やってるからと勧誘されるというものでした。
ついて行ったら創価だったって、これはその場にいた人の誰も実際に行って確認したわけじゃなく
噂でしたが、実際に私もその銀行に行ったら声をかけられました。
すごく切羽詰まった風に声をかけてきたのは、ヤングの年代の方でした。
創価ですか?って聞こうかなと一瞬思ったけれど、めんどくさいことに巻き込まれても困るし
「忙しいので」と断って立ち去りました。
私は30代半ばで結婚したため、ヤングの活動内容を知らないのですが、こんな強引な連れ出しも
あるのでしょうか。 地域にもよるのかもしれませんね。
こういった会話を通し、世間一般の創価へのイメージの悪さをまざまざと感じました。
”絶対関わり合いになりたくない”という皆の強い意志を感じ、かなりショックでした。
創価が一般人に良い印象を持たれていないだろう事は薄々感付いてましたが、まさかここまで嫌われていた
だなんて。
気味が悪い・おかしい・貧乏くさい人ばかり・頭悪いよね・・という言葉もありました。
平静を装って聞いていましたが、いま私がここで「実は自分もそうなんだ、未活だけど」って話したら
どうなるんだろう。
場は凍りつくのかな。そしてもう二度と、誘ってもらえなくなるのかな?と、背筋が寒くなりました。
私はこの土地に来て、知り合いの誰にも自分が創価だとは話していません。
だからこそ聞けた一般社会人の本音だと受け止めました。
地元でバリ活だった時は、友人の全員が私が創価だってことを知っていました。
なのでここまで忌憚のない外部の意見を聞いたことが無かったのです。
一般良識人は、学会員に面と向かって本当の事なんて滅多に言わないのです。
所謂サイレントマジョリティってやつです。

その後、数年にわたって、入れ替わり立ち替わり、婦人部の家庭訪問を受けましたが
みんな「活動するのが当然の毎日」を送り続けて久しいせいなのか、語り口は
「家にいたって暇でしょう?」「仕事もしていなくて専業なのに、どうして学会活動しないの?」なんです。
専業のくせに学会活動しないなんておかしい、なんで?と、不思議そうな顔で尋ねてきます。
どうして”専業=学会に尽くして当然”という考えを何の疑問もなく受け入れることができるのか。
私は、あなたたちの方が不思議だよって思っていました、ずっと・・。
一般の専業主婦がどれだけ有意義な時間を過ごしているのか知らないから、こうなるの?
子育てだって人それぞれ、パターンが違うことを受け入れられず、子供は会合につれまわせばそれが福運を
積む因となるなんて本気で信じてる。 
毛穴からお題目が入って行くから0歳時から会合に連れて行くのが本当はいいんだよ、なんて言う婦人部もいて
呆れました。
しまいには婦人部のみなさんが不憫だと思うようになりました。
近年、私は子供の園と習い事送迎・その合間に自分の習い事やママ友づきあいと一日中家を開ける事も
増えたんですが、ある婦人部が
「駐車場に昼間ずっと車がないから、お仕事始めたんだと思ってた」と言いました。
想像力に乏しいと言うか、本当に世間を知らないんだなと、可哀相になりました。

また、専業主婦で学会活動をしている事を誇りにし・ワークを見下しているわりには
大きなお世話かもしれないけど、皆さんパートに出る方がいいんじゃないの?と思うほど
所帯じみて・くたびれたいでたちなのも私には理解ができませんでした。
流行や美容について意識に個人差があるので、全く気にしないタイプなのかもしれないけど、
おそらく常に婦人部員としか一緒にいないから、感覚がマヒしてしまうのかな・・とも。
(あくまでも私のいる地域の話なので、他地域にはおしゃれな婦人部員もいるのかもしれませんが)
そのくせ、ワーク婦人部に対して「ワークは財務で組織を支えるのが使命」と言ったりする。
これは私が折伏した友人が実際に言われた言葉です。
彼女に対して私は財務を「がんばらなくていい。会費みたいなものだと思って1口でかまわない」と
伝えていました。自分も3桁なんてしようと考えた事なかったですし、負担になるようなことを
言いたくなかったので。
彼女もその認識でいたのですが、結婚し転居した先で出会った婦人幹部から
「お仕事してるんだから3桁は当然だよね?」と言われ、ドンビキしたとの事でした・・。

私から見た婦人部は「暇を持て余した盲目主婦による池田老人ファンクラブ」という印象。
私は師弟観がなく、俗物的だから婦人部には向かない人間。
同じ創価にあっても、あの人たちと私は違うし、一生分かり合う事は無いと思うようになっていました。

子供の入会について、家庭訪問のたびにせっつかれ、実家方面でやりますと口からでまかせを
言いました。
ところが、実家方面でやるにしても統監カードの問題で、こっちの支部長に書類を作ってもらう必要が
ある事がわかり(地域の人が調べて教えてくれた)入会せざるをえなくなりました。
馬鹿でした。ハッキリ「子供は入会させません」って断ればよかったのに・・。
実家帰省のついで地元の会館で入会GGをやってもらいました。
母は私に子供の入会を「1歳までにしなさいよ」と常に言っており、1歳をすぎてしまいましたが
無事入会が出来、ほっとしたと言いました。
しかし、私は子供を創価の会合に参加させる気は全くなく、入会したのはあくまでも母への体面を
保つためだったのです。

入会GGの導師をしてくれた婦人幹部は知り合いでした。
なんの学会記念日も、同中も行事もない、中途半端な時期だったこともあり
参加したのは母と私と、会館にたまたま居合わせた婦人部2-3人。
幹部からは
「どうして(入会GGを)居住地域でやらないの?もっと大勢の人に喜んでもらえたでしょうに」と
残念そうに言われました。
子供の信心は環境が大事だ、地域の人に見守られながら育って行くから、信心から離れないし
たとえ離れたとしても創価家族の中に戻って来れるんだよと、諭されました。
”居住地域の婦人部が残念すぎて活動してないんです”なんて言ったら説教くらうのは解っていたので
敢えて何も言わず「お手数かけて済みませんでした」と返事したところ
婦人幹部は
「お手数だなんて、そんなことは思ってないからね。地域に帰ったら必ず皆さんに報告してね」と。
何も聞いてこなかったし話さなかったけど、おそらく私が地域で活動に出ていない事を幹部は
わかっていたんでしょう。
「わかりました」と返事はしたけど、こちらから連絡なんかしませんでした。
帰省後、統監カードがまわったことで入会を知った地区婦が
「座談会で(新入会者の子供を)紹介したいから、家族で参加してほしい」と連絡してきましたが
多忙を理由にお断りしました。

子供を連れて会館へ行ったのは、長子の入会・父の初盆供養のたった2回。
どちらも物心つかない時期でした。 第二子については入会していません。
そして子供達を一般的な会合に連れて行った事は、一度もありません。
子供達はまったく創価を知らずに育っています。
最初から意識して遠ざけたわけではないのですが、結果的にそうなったのは、出会った婦人部のみなさんが
残念だったからにほかなりません。 この点は、感謝すべきかもしれません。
私の心をわしづかみにするような、憧れの婦人部員でもいたら展開は変わったかもしれませんが
たぶん日本の何処を探しても、そんな人はいないでしょう。
そんな人はきっと賢明で、創価の実態を鋭く見抜き、とっくに脱会しているでしょうから。

未活時代(3)

実家から戻り1ヶ月ほどしたころ、婦人部が家庭訪問に来ました。
知らぬ間に新しい人に変わった地区婦としらゆり長。
丁度子供が寝ている時間でした。
赤ちゃん見せて欲しいと言うので、奥で寝てるので無理ですと断りました。家に入れる気はありません。
そして地区婦が「入会はどうする?」と聞いてきました。
私は子供の入会に関して、迷っていて、まだ誰にも相談していませんでした。
返答に困っていると、しらゆり長が
「書類が時間かかるみたいだから早めに言ってね。今からだと、O・Oなんかいいんじゃない?」
学会記念日に合わせようとするのです。
主人と相談しますと答えると
二人は「そうだよね、せっかくだから入会GGは家族全員で参加したいよね」とニコニコしていました。
まだ赤ちゃんだし、無理しなくていいよ、出られる会合があったら来てねと日程表を置いて帰りました。
しかし私は、子連れで会合に参加するなんて想定しておらず。
役職を断った時点で、こちらの会合に出るつもりは一切なかったのですが、組織の皆さんにその旨を
説明しなかったので(言えばややこしくなると思っていたので)この後もずっと、活動に出て欲しいと
言われ続けます。
態度をはっきりさせなかったのは、組織の人たちと対立する事で仏罰が当たるのではないか?という
恐怖心からでした。

帰宅した夫に、子供の入会についてどう思うか尋ねてみました。
夫は「本人が辞めたいと言った時に絶対やめさせる事が可能なら、入れてもいい」と言うので、驚きました。
大反対されるものと思っていたからです。
私自身、女子部をドロップアウトしていた時期、記憶・理解がないうちに創価に入信させられたことを
疎ましく思った事がありました。 結婚話がダメになった時です。
我が子に同じ思いをさせてしまうのはどうなのだろう・・と、自問自答するも、答えが出ませんでした。
ただ入会させるにしても、この地域で入会GGは絶対したくないと思いました。
とにかくこの地域の婦人部員と必要以上に関わりたくなく、相変わらず買い物も隣市のスーパーまで車で
行くような状況でした。

暫くすると、例の発達障害ママさんからメールが来るようになりました。
「子育ての悩みがあったらいつでも聞くから言ってくださいね!」という内容。
関わり合いになりたくないと思い、返事は送らず無視していました。
返事しなくても、メールは毎週届きます。
私だったら、2-3回メールして返事が無ければ、嫌われている・つきあいたくないと拒否されてるんだなと
感じてメール送信はやめます。 相手の迷惑にもなりたくないし。
けれど彼女はそんなことおかまいなしです。
以前、小グループで一緒だったメンバーが同時期出産だったこともあり、発達障害ママさんから粘着されて
耐えられないと、子供を無認可保育園に入れて働きに出、非活に転じた事がありました。
ターゲットが私に変わったって事なの?と思うと憂鬱でしたが、このテのタイプは社交辞令なんて通じない・
へたに情を見せたら勘違いされると思ったので、以降も一切無視を貫きました。

生後3ヶ月を過ぎると産院で知り合ったメンバーと再会し、一緒にベビーサインとマッサージの教室に
通うようになりました。
教育機関・小児科の評判や、子育ての情報は彼女達から聞けるし、同時期出産なので育児に関する悩みや
不安、疑問もだいたい同じ。
話すだけで気持ちが楽になる事も多く、定期的に集っていました。
また、近所に住む主人の職場の先輩(の奥さん)も親切で、あれこれと世話を焼いて頂き、
身寄りのない土地で初めての子育ても、落ち着いて楽しくやれていました。
加えて、義母さんが月に1度、孫に会いに来てくれました。いつも2、3泊していくのですが、その間に
子供をみてくれるので、私は一人で身軽に出かけたりと気分転換させてもらえ、とても助かっていました。
ちなみに実家母は、そのようなことは一切しません。学会活動最優先だからです。

私がもし、育児ノイローゼ気味になったり・ママ友もなく孤独に陥っていたら、やはり信心・学会活動に
向かったと思います。
創価しかよりどころがなかったら、きっと悲惨でした。
おそらく覚醒する事は無かったと思います。
これはもう、運が良かった・新しい家族や友人、環境に恵まれたとしか言い様がありません。

主人も義両親も、慣れない土地で親元を離れての初めての子育てだからと、私に負担がかかりすぎないよう
気を使ってくれていました。
それも、実家母と私の関係を見ていて不安に思ったからだと、最近聞かされてドキッとしました。
特に義母さんからは、私が母親に対し常に遠慮しているように見え、甘えベタで・ひとりで全部抱え込む
性格が災いしないか・育児に悪影響が出るんじゃないかと、気になっていたそうです。

たびたび「実家のお母さんは(孫に会いに)来ないの?」と義母さんから聞かれました。
私は「忙しいので来れないんです」と、当たり前のように答えていました。
忙しいと言ったって、学会活動は仕事(生業)ではありません。
義母さんにしてみたら、宗教活動が休めないほど忙しいなんて、意味不明だったと思います。
私の中では、実家の母が「孫より娘より創価の活動が大事である」という事を全く問題にしていませんでした。
「仏事だから仕方が無い」と思っていたんです。
義母さんが、そのことについて疑問というか、実家の母をよく思っていない様子なのは当時から私も
薄々感じてました。

また、当時の私は義母さんの親切すぎる行動に対し疑心暗鬼でした。
ママ友に「義母さんが(遠方から来てくれて)子供を見てくれて、OO(赤ちゃん連れで入れない店)で
主人とランチしてきた」というような話をすると、皆一様に驚きます。
お姑さんにそこまでしてもらえるって、すごいね!嫁姑仲が円満で羨ましいなと。
そう言ってもらえるのは嬉しくて自慢だった半面、どうして義母さんがそこまでしてくれるのか?
真意がわからず、怖かったのです。
主人に理由を尋ねた事もありました。主人は「孫がかわいくて仕方が無いんだろうね」と言うだけでした。
本当にそれだけ? だって孫は他にもいるじゃんと、いつもこの回答に納得できず。
いま思えばですが、暗に虐待していないかチェックしに来られていたんじゃないかと思います・・。
当時のエピソードで忘れられないのは義両親が泊まりがけで来てくれたさい、
子供が締め切っていた和室(仏間)の引き戸をあけて入って行き、義両親もついて入り、
大きな仏壇があるのを見られてしまい、なんともいえない表情を見せていたこと。
創価の信心を許しはしたけど、こんな仏壇家に入れたの?というような、驚きと戸惑いに見えました。
私に対して義両親は何も言いませんでしたが、私は見られちゃった・・と、気持がどんよりしたのを覚えて
います。
ちなみに仏壇は、母が嫁入り道具として買ってくれたものでした。

義母さんも、当時は小言的なことを何も言わず、粛々と自分の意志でサポートをしてくれていました。
これは義父さんが協力・応援してくれたから出来た事だと思うし、本当に感謝に堪えません。

義母さんがたびたびこちらに来ている事を、実家の母は
「いい事だわ。嫁に行ったのだから嫁ぎ先で可愛がってもらうのは当然よ」と言っていました。
しかし父は、うちが放置状態にしていると思われているのではないかと、母をせっついて行くように
促してみたり(しかし母は聞き入れませんでした・あくまでも学会活動優先です)、
「義母さんが来た時に一緒に食べなさい」と、良い食材を送ってくれたり、細やかな気使いを見せて
いました。
父の存命中は、父から本当に良くしてもらったので全く感じませんでしたが、
父亡き後、実家と義実家のパワーバランスに差が大きく出たことで、私はハッとさせられました。
どれだけ父が、私が義実家や夫に対面を悪くしないよう気を使ってくれていたのかが解りました。
一般の良識ある家庭に嫁いだのだから、釣り合いを考えて、私に恥をかかせないようにしてくれたんでしょう。
父自身のプライドもあったと思います。
けれど母はそんなことなんにも・一切気にしないタイプです。
孫はおろか、実の息子・娘の誕生日も記憶してない人ですから・・。
読みもしない書籍や、売れ残りの民音チケットはばんばん買う。
新聞は最高5部購読していた時期があります。
そういった創価関係の出費は惜しまないのに、祝い事や儀礼的なつきあいに関しての出費を渋る方です。
これについては「ちゃんとしてほしい」と話しあって、最近まともになってきました。

父亡き後、選挙の応援に他県へいく移動費・旅費・手間もおしみません。
けれど私の子供達の園行事や入学式など、これまで一回も顔を見せた事がないんです。
常に創価の日程優先で「OOがあるから・忙しいから無理」といいます。旅費が無いわけじゃないのに、です。
義両親は毎回来てくれます。
これに関して、うちの子は「おばあちゃん(母)は来るわけないから呼ばなくていい(連絡しなくていい)」と
言うようになりました・・。
孫にそんな寂しい事を言われても、なんとも思わない母です。

一般的な家庭の人たちから見れば、創価の母子関係はよほど特殊な関係に映るようです。
うちの母が特別非常識で、人間らしい感覚を失っているのかもしれませんが、
創価の中で長く生きていると、どれほど婦人部が一般と感覚が乖離するか・隔絶感がうまれるのか、
女子部時代は全く見えなかった事を、結婚後に痛感した次第です。

そのような、おかしな世界で、迷い苦しみながら活動を続ける理由なんてどこにもない。
創価の中だけで誉められて生きたって、どうしようもないんです。世間から見ればごく少数派、
いずれ孤独に陥るのは当然です。
礼節を知り、和を重んじ、世間一般に認められ、普通に生きて行くことの方がどれだけ有意義で
人生の為になることか。

永遠の指導者だって、世間一般に認められてはいません。
その昔、認められたくて必死の様相でした。
創価のなかだけでちやほやされたって、満たされなくて、顕彰をギネス並みに取得した。
だけど非常識で反社会的だから無視され、メディアで取り上げられることは無く(現在進行形)。
それを「世間は嫉妬」などと誤変換する。 
よく同中で、机をたたいて言ってましたね「仏法は道理です!」
全くその通り、一般世間・世論から認めてもらえないのは道理です。
非常識で反社会的だから「カルト」なんていわれるんです。

ごく簡単な事です、弟子の皆さんには、早く気づいて欲しいと願います。

未活時代(2)

外部と結婚し、さまざまな問題が生じてくるのは子供が出来てからだと思います。
日本的宗教観をもっているご家庭なら「戌の日参り」「宮参り」ははずせない行事でしょう。
我が家においても同じくでした。

戌の日参りについては義母さんが行きたがりました。が、私は拒絶感があり、母に相談。
母は「こちらの方式でやるからご心配なくと伝えなさい」というので、言われたとおりにしました。
実際は何もしてませんw 創価にはそんなものないですしね。
後日、義実家から立派な安産祈願の御札、お守りが届きました。何もしないのでは不安だったんでしょう。
ご本尊様のある家に、そういったものを入れると喧嘩してトラブルがおこると昔々に聞いていた私は
これはまずい!と思い、とりあえずそれらを玄関の靴箱の中に隠しました。
捨てるわけにはいかないしとネットで調べると、出産が無事終わったら寺や神社に返しにいくとあったので
それまで保管しておくつもりでした。
が、まずいことに主人にみつかってしまい、激怒されました。
君はうちの両親の気持ちを踏みにじるような事、良く出来るね?と。普段は温厚そのものの主人です。
私は震えあがりました。そして、御札が苦手だからごめんなさい。私がしんどい思いをすれば
お腹の赤ちゃんにも悪い影響が出ると思って・・と伝えました。
主人は「お腹の赤ちゃん」という言葉に我を取り戻したように「こっちこそごめん」と謝ってくれ、
だまって御札を持って家を出ました。どうしたのかと聞いたら、自分の車のトランクに入れたとの事でした。
夫婦の危機に展開しなくて良かったと、胸をなでおろしましたが、これから先もこのような事が
続くんだろうなと思うと、どんよりしました。
先に外部と結婚した女子部時代の友人から「孫が出来ると本当に大変」と聞かされていましたし。
こういうことか・・と初めて実感しました。

出産後、義両親はやはりというか、お宮参りを希望しました。
私は悩みました。
自分としては絶対にやりたくない。けど御札事件で、夫への負い目がありNOとは言えない。
それに、うまれてきた子供は私だけの子供じゃない。
主人の家の名前を継ぐ子供なのだと思えば、母親の一存でそれを断る事は出来ないと判断。
けれど、実家の母に話したらトラブルになることが目に見えていたので、義両親に「実家には内緒で」と
お願いしました。
義両親は快く受けてくれ、義実家の氏神様でやってもらいました。
私は神殿に上がる時も生きた心地がしませんでした。罰論が頭をよぎります。でも、この子(赤ちゃん)は
まだ入会をしていない。まっさらです。だから罰を与えるなら私だけでお願いしますと、祝詞をあげて
もらっているあいだも御本尊様に祈っていました。
当時私の中で、お寺と神社なら、神社の方に拒絶感が強かったです。
創価で10代の頃に刷り込まれた「外道」、仏教より神道は下という考えが影響していました。
しかし覚醒後に歴史の本を読んで認識が変わり、宮参りは土地の氏神様へのご挨拶だと知って
理にかなった・日本古来の風習、伝統であることを理解し、やみくもに邪宗の儀式だからと
切り捨てて・忌み嫌うような考え方を持っていた事を恥じました。
創価の教えは、日本人としての矜持を殺ぐものであると思います。

あとあと知ったのですが、お宮参りの子供がまとう着物は嫁方で用意するものらしいですね。
私はそのようなルール?も知らなかったので、退院時に用意したセレモニードレスだけ着せて
宮参りをしました。
義両親は、そういった事柄はきちんとやりたがるほうです。
内心どうだったのかと思うと今も恐縮してしまいます。
きっと「非常識だけど、創価と知って嫁にもらったんだから仕方が無い」と諦めていたのでしょう。
実家の父に話せば(一般人の良識があったので)喜んでお支度してくれたと思います。
だけど当時の私にとって、父は信仰の敵で、宮参りが母にバレても困るので相談なんて出来なかった。

お食い初めは、実家の父が支度を買って出てくれ、義両親を招いてきちんとしてもらいました。
父にしてみたらお宮参りができないので(やったんですが、両親は知らないので)
義実家へお詫びのしるしのようなものだったのではないかと、いまになって思います。
その後、初節句やそれにまつわるお祝いなども父がお支度をしてくれました。
この件についても、父に足向けて寝られないと感謝していました。
外部と結婚した友人は、両親ともに創価脳だったので、何もかもスルーされ
「やりたいならそっち(義実家)で勝手にやればいい。うちは邪宗の行事にお金は出せない」と言い、
嫁ぎ先から「あなたの親は非常識」といわれ、肩身が狭かったと話していました。
最近の創価は、こういった子供にまつわる宗教行事に関してもユルくなったと聞きますが、
本音は「邪宗の行事に金出すくらいなら財務・新聞多部数購読してくれ」って感じなんでしょうね・・。

話は前後しますが、妊娠中に姉が離婚した事を母から聞かされ驚きました。
離婚原因などは教えてもらえず(というか、母も知りませんでした)気になりましたが、
普段から連絡を取り合うような仲でもないのに、ここぞとばかり連絡して詮索する事は賢明でないと
判断。
いい印象の全く無い元旦那だったし、お別れ出来て良かったじゃん!と内心思っていました。
しかし、出産後、姉がお見舞いに来ず・実家でお世話になっているあいだも姿を見せずで、
私は悲しくて泣いてしまいました。 
産後、不安定になっていたことも原因としてあります。
これには伏線があって、主人と結婚が決まった時、主人のきょうだいと配偶者は、私にお祝いとは別に
実用品のプレゼントに、メッセージカードや手紙を添えて贈ってくれました。
新しい家族を歓迎するという気持ちが伝わってきて、ありがたかった半面、私のきょうだいは誰も
主人にそのような事をしませんでした。それが恥ずかしく・腹立たしくもありました。
けれど、私だってきょうだいの結婚のとき配偶者に対しそこまでの気遣いを見せませんでした。
姉の元旦那に対しては不幸の手紙を送ったほどですしw だから自業自得なんです。
出産に際しても、主人の身内は入院中にかけつけ、子供へのお祝いとは別に、私に対しても
気遣ってくれ「出産御苦労さま」とお花やケーキを持って来てくれました。
それに比べて、なんでうちの身内はこんなに残念なんだろう? と悲しくなったのです。
根本から違うのに(一般の円満家庭と・片方だけ創価の機能不全家庭)比較していました。
兄は父から連絡を受け、お祝いを送って来ましたが手紙やメッセージなんて当然ありません。
姉に関しては、何もありませんでした。
でも、それは当然でした。
離婚して間もなくで、気分的に落ち着かなかっただろうし・実家に帰ったら結婚に反対し・元旦那を拒絶した
母に絶対会わなきゃならない。「それみたことか」母なら言いかねません。姉にしてみたら屈辱です。
煩わしい事だらけで、会いに来れなかったのは当然だと思います。
母は泣く私にむかって
「そんなことで泣くなんて馬鹿だね~、OO(姉)が愛想なしなのは、今に始まった事じゃないでしょ」と
呆れていました。これもいま思えばどうなのかと・・。
そして私はやっぱりこのとき、きょうだいが残念なのは「信心をしていないからだ」と決めつけていました。
誰ひとり信心してない主人の身内がまともである、という点はオールスルーで。
なんでこの単純な構造に気づけなかったのかは、繰り返しになりますが「絶対感と傲慢」のせいでしょう。

私が自宅に戻って暫くのち、姉が突然お祝いを持って遠いところを遊びに来てくれました。
出張のついでに立ち寄ったという事でしたが、こんなことは初めてでした。
両親のいないところで姉に会うというシチュエーションも初めてで、私はとても緊張したのを覚えています。
姉は子供をずっと抱っこしあやしてくれ、お茶を飲んでしばらく話をしたあと帰って行きました。
このとき、離婚原因について尋ねる事は出来なかったけど
「次の恋愛は?」と聞いたら「まぁね」というので
「再婚もありそう?」と尋ねたら、首を横に振って「ないない。結婚は暫くいい。あの人(母)うるさいし」と
答えが返ってきました。
私は内心、姉さえ信心に理解を示せば母とわかりあえるし、たとえ次の再婚で相手の男性が入信しなくても
理解者であってくれさえすれば、母は態度を軟化させるのに・・と思いましたが、姉には言いませんでした。

父亡き後(覚醒する約1年前)姉からこの訪問が父の助言によるものだったと聞かされました。

父は、母と兄姉の関係修復についてはもう諦めていたといいます。
創価に魂を奪われた母を「不治の病」だと姉の前で表現していたとの事。
だけど、創価のせいできょうだい間までぎくしゃくしてしまう事を、常に案じていたと聞きました。
そして兄姉に、母を恨んではいけないと教えていた・私のことを不憫だ、あの子はおかあさんの被害者だから
理解してやらないといけないと、話していたとのこと。

母が一心不乱に「一家和楽」を祈り学会活動にすがる傍らで、父は静かに家族のため、心を砕き、
円滑にいくようにと現実的な手を打っていた。
一家和楽のために、現実的な行動をしていたのは、父の方でした。

この事実を知った時、私がこれまで見ていたもの・絶対だと信じて疑わなかったものとは何だったのかと、
茫然としました。

未活時代(1)

婦人部の活動を約1年でドロップアウトし、私は未活に転じました。
アンチ婦人部となり、未活に転じても、覚醒するまでに約6年かかりました。
経緯を綴ると長くなりますが、私のようなパターンがあるということを知って頂きたく
(組織が嫌いになっても、御本尊様への絶対信を捨てられないから脱会は考えないタイプ)
覚醒までの道のりを、今日から書いて行きたいと思います。

役職断り事件以来、私のところに支部婦が顔を見せる事はなくなり、地区婦としらゆり長が
家庭訪問に時々くるようになりました。
母には、この地域の婦人部とあわないので活動はしない、役職は断ったと伝えました。
すると母から条件が出され
「御本尊様のお給仕は毎日・御供えは欠かさない事」
「新聞購読、財務、選挙だけはちゃんとすること。組織の人と連携を取る事」を守るよう言われました。
私は素直にそれを受け入れました。
いま思えば、母親から信仰に対して条件が提示されるっていうのもおかしな話です。
既に独立家計にいたのに、信心においては常に母の監督下におかれてるって状態。
けれどそのことを私も「不自然、おかしい」とは思わず、なんの反発も感じなかった。
これぞ創価内における母子関係の異様性・恐ろしさです。

「新聞、財務、選挙」当時は意識なかったですが、これって創価の実質的活動の3本柱。
たしかにこの3つをきちっとやって、家庭訪問には時折対応し、反抗的な態度をとらずにいれば
会合になんて一切出なくても組織の人は強引な事を言いませんでした、3年前まではw

余談ですが、この数ヶ月後に帰省のおり、幹部をやっているおばに会ったのですが
「役職を断ったなんて本当にどうかしている。あなたもう、一生お話を頂けないわよ?低い境涯のまんまよ」
と言われました。
婦人部が嫌になったとはいえ当時、まだまだマインドコントロール下にあった私に
「役職を断った・一生ヒラ信心・低い境涯のまま」という言葉は、地味にショックでした。
主人の転勤があれば・引っ越した先で頑張れるかも?という思いがこの時まだ少しあったからです。
あくまでも、この地域の婦人部が残念でおかしいのであって、余所にもっと素晴らしい組織(婦人部)も
あるかもしれないと・・脳内花畑だったので、そんな期待もこの当時ちょっとだけありました。

覚醒した今は、「役職があったら高い境涯・なかったら低い境涯」なんておかしいとハッキリ解ります。
幹部連中の間だけで罷り通ってる俗説・都市伝説みたいなもんでしょう。
婦人部ヒエラルキーは結局「見下しの世界」です。
やっぱり創価は権威主義じゃないか、くだらないし馬鹿じゃんって思います。

アンチ婦人部になっても、私の御本尊様への信は揺らぐことはありません。
毎日ご飯とお水がえ、ごん行も朝だけは欠かさずやってました。
もう完全なる「お守り信心」でした。 
ご本尊様の前に座らないと悪いことがおこるかもしれない・・という恐怖心。
それと、いまの落ち着いた暮らしがあるのは私がこれまで積んできた信心による福運のおかげなんだという
思いこみ。
誰かに仏法対話をしたいと思わないし、学会活動に出ないから不安ということはありません。
理由は、実家を離れた事により、両親の不仲を目の当たりにせずに済んだこと・日常生活の中で
アンチ創価な父の存在がなくなったことが大きいです。
実家があたたかい家庭でなかったことが、私の活動の大きなモチベーションだったのです。
そんな実家を遠く離れ、私の生活は一変しました。
主人は大変穏やかな性格で、喧嘩になりません。私が一方的に腹を立てる事があっても、いつの間にか
仲直り、問題にならない。夫婦仲は普通に良いほうでした。
仕事の傍ら職場の友人と遊びに習い事にと、今までにない穏やかで充実した毎日。
私の活動のモチベーションは「悩みを解決したい・辛い状況を変革したい」って事に尽きたのです。
幼少期から功徳信心を植え付けられてきただけに。
師弟観がゼロなので、師匠のご構想を現実に!とか、組織のために!という意識が無かったとも言えます。
だからもう、活動を頑張る必要がありませんでした。

暫くして妊娠がわかりました。仕事は続けるつもりでしたが、主人の希望もあり退職する事に。
この頃から家庭訪問に居留守を使うようになりました。
選挙や財務なら時期的にわかるので、そういったときは応対に出ますが、そうじゃないときは出ません。
5ヶ月まで仕事をし、退職後は産院のマタニティクラスに入ってスイミングやヨガなどしていました。
そこで知り合ったプレママたちと仲良くなり、又新しい世界が広がりました。
年齢もバラバラ、出身地も違うけど、みんな素敵な人達。
私は出産を実家方面の病院ですることに決めていましたが、おかまいなしで産後も仲良くしてもらい、
現在もお付き合いがあります。
組織の人に妊娠の事は絶対バレたくないと思っていました。
絶対「安産のために活動で福運つまなくちゃ!云々」うるさいに決まってるからです。
移動は殆ど車を使用。婦人部に会いたくないので隣市の遠いスーパーで買い物するようにしていました。
しかし、臨月近くなりプレママ仲間とランチをするため駅前を歩いていたところ、しらゆり長に
見つかり声をかけられました。
「おめでただったのー?」と驚かれました。しまった・・と思いましたが、ばれたら仕方ありません。
明日にも実家に帰る。3ヶ月くらい帰って来ないと思いますと伝えました(本当は2ヶ月でしたが)。
しらゆり長は「産休だね、組織の方に伝えておくわね」と笑顔で去って行きました。

すると翌日、思いもかけない人からメールが入りました。
例の発達障害ママさんです。
「しらゆり長さんから聞きました。おめでとうございます。ママ友が増えて嬉しいです。
 私の子供の新生児服で、綺麗な物をとってあるので良かったら使ってください」と。
ちょっとまて?! いつママ友になると言った?私は引きました。
子供の物に関して、主人の両親にとっては初の内孫ということで、性別も解っていたので
すでに新しいものを山ほど用意してもらっており、未使用の品物を主人の会社の先輩からも頂いていました。
「綺麗な物をとってある」って、使用品ってこと?たいして親しくもないし、そんなの要らないと思い
「お気づかいはありがたいのですが、既に準備してますのでお構いなく」と返信しました。
翌日、仕事から戻った主人の手に紙袋があり「これ、ドアノブにかかってたけど」と。
中を見ると、使用済のヨレった新生児服。しかもうちの子供と性別が違う彩の。
ちゃんと断ったのに、何でこんなことするんだろうと理解に苦しみました。
何と言うか、呆れてしまって、お礼のメールなんてする気になれず(ありがたくないし)
申し訳ないですがゴミの日に捨てました。
そして、ハッとしたのです。
これまでは、「仕事があるから出来ません」と言っていれば良かった。
しかし、子供がうまれたら、あの手この手で活動させようとつついてくるだろう。
それでなくても
「早く仕事を辞めて活動一本に」と言っていた組織の人達。
出産で仕事を辞めたことがわかったら、やいのやいの・出ろ出ろと言って来るかもしれない。
私は急激に不安に、憂鬱になりました。 
仕事を辞めたからと言って、組織の活動に戻る気はもうなかったからです。

そういえば、私は妊娠したら出産までに100万遍唱題に挑戦がしたいと考えていました。
実家の母が3人の子供を産むとき挑戦し、私たちがやりたい事(お金のかかる習い事や旅行や進学)を
あきらめることなく成長できたのはそのお陰(福運)だ、と聞かされていたので、
自分も子供に同じくしてあげたいと思っていたのです。
けど、覚醒したいま思えば、経済的に困らずに居られたのは完全に「父(やその実家)のお陰」なんです。
ご本尊様や信心、創価のお陰というわけではありません。 母の思考回路がほんとよくわかりません・・。

だけど、100万遍はあがりませんでした。
30分ほどで気力が切れてしまうのです。
体重も増えて正座の姿勢がツライというのもありましたが、お題目があがらなくても出産への不安は
不思議となく、淡々とその日を迎えました。

違和感の連続(5)

活動一年を迎えようとする頃、地区婦人部長から個人的にお茶に誘われました。
むげに断れず応じると、会合中に笑顔が無い・いつも辛そうで、私の事が心配だと言いました。
女子部とあまりにも違うから馴染めないの?と言われたので、思わず「はい」と答えました。
地区婦は、私の気持ちがすごくわかる。
メンバーも信心あるのかないのか、よくわからない人も多いし、幹部もレベル色々だし
(以前書いたヒエラルキーを指していると思われます)人間関係に疲れちゃうよねーと私に同調。
「けど、活動自体がいやなわけじゃないんだよね?」と聞いてきました。
私は「そうですね」と答えたけれど、実際は婦人部の活動に対しても疑問だらけでした。
なぜ御書を殆ど学ばずに、池田老人の指導学習が中心で先生奥さま賛美に終始なのか。
仕事を辞め活動一本にしろとうるさいのか。 でもそのことは言いませんでした。
家庭内に問題は無いのか?というところも、しつこく聞いてき、全く何も無いですよと答えましたが
どうも婦人部のみなさんは、主人がネックで私が活動に積極的でないと思いこんでいるようでした。

この直後、しらゆり長が婦人部総会の記念品(参加者に配る)を作って欲しいと
頼んできました。 しかも2日間で仕上げてというのです。
私はその頃、会社の繁忙期で残業もあったので「無理です」と断りました。
しかし、OOさんはこれをやってくれた、OOさんはあれをやってくれてる、あなただけ何もしないのは
不公平だからお願いと、自宅に材料を持ってやって来ました。
でも私、婦人部総会に参加しないのに。 日時が平日昼間だったんで。
こんなのおかしいと思い、地区婦に訴えました。
地区婦がしらゆり長に確認すると、記念品作りを私に依頼したのは支部婦の指示だった事が解りました。
たとえ当日参加できなくても、少しでも私に携わってもらいなさいと。
地区婦は、余計な事してくれちゃってー!と支部婦のことを怒っていました。結局、3等分して3人で作る
ということで落ち着いたのですが、それでも私の気分はもやもやしていました。
なんでこうも、なにもかもが押しつけがましいんだろうかと。

完成したものをしらゆり長宅に持参する約束をしたので行くと、支部婦がいました。
ちょうどいいところで会った、私に役職の話が来ている、面接に行って欲しいと書類と会館へ行く日時を書いた
メモを手渡されました。地区副婦人部長の役職でした。
しらゆり長をすっとばして、地区副?ありえないと思いましたし、私は役職なんてやる器じゃないですと
その場で断りました。
すると支部婦は全然心配ない、あくまでも「副」だから名前だけで全然忙しくないし、お仕事してても出来る。
あなたがいずれお仕事を辞めた時に正に上がれるように準備しておくだけだよというのです。
無理です、と断りました。役職なんてするつもりないんですと。
支部婦は「リーダーがやり辛そうだったから、外してあげた」と恩着せがましく言い
「だからリーダーの代わりに、更にあなたが飛躍できるような場(役職)を用意してあげようと・・」と、
これまた恩着せがましい発言。
私はもう婦人部に嫌気がさしていました。
「現時点、いっぱいいっぱいでやってるのに、これ以上追い込まないでもらえませんか?」と言いました。
支部婦には結構強く言えた私、婦人部ヒエラルキーで強気にでていました。
地区婦が「支部婦は女子部上がりでない、信心がヌルい」と言った事で、私自身も支部婦を軽視していたのです。
婦人部ヒエラルキーで言ったら私の方が上だ、という潜在意識、確実にあったと思います。
しらゆり長も、はっきり物を言う私に引いていました。

翌日、仕事終わりで携帯を見ると実家の母から着信が数件。メールもあり「大至急電話下さい」と
ありました。
当時、父が少し体調を崩していました。何かあったのかと驚いて電話をかけると母は
「あなた、役職を断ったらしいわね」というのです。
つまり、支部婦が実家に電話を入れていました。
私は血の気が引きました。え、なんで?どうして役職を断ったくらいで、実家に連絡されるわけ?
母は「だめじゃないの、ちゃんとお受けしなきゃ。信心で引いたら、生活面でマイナスが出るわよ」
忙しいからまたね~と一方的に電話を切られました。
私はしばらくその場から動けないほどショックでした。
既に家庭を築いており、30代半ばをすぎた立派な「社会人・おとな」の私です。
なんで創価の役職を断ったくらいで、親に連絡されなきゃいけないんでしょうか。
幼少期、断りもなく習い事をさぼって教室の先生から親に電話を入れられ、父に叩かれた事を思い出しました。
これはまだ理解できます。習い事の先生は、私が来ないから心配して家に電話したんでしょう。
独立した成人の・個人の判断を、親に連絡され、親からダメ出しされる。
プライドがズタズタに傷つきました。
私は、結婚後殆ど実家に連絡をしないようにしていました。母への依存心が強い事を自覚していたので、
自立したかったし、嫁に行った以上は必要以上実家にベタベタすべきでない・主人の家族に誤解されるとの
父の教えもありました。
それをこんなつまらないことで連絡されるって何なの?猛烈に怒りがわき、私は帰宅後ふたたび母に電話。
「支部婦がいったい何っておかあさんに言ったわけ?娘さんが役職が嫌だっていうから、おかーさん説得して
 やってくださいって言ったの?」と、つっかかりました。
母は「あなた何を誤解してるの?支部婦さんは、あなたのことを心配してたのよ。
信心熱心だった娘さんが役職を断るなんて、おかしい。家庭内に何か問題でもあるんじゃないでしょうか?って」
私の怒り、さらに倍です。ありえない!!!
私が実家に心配かけないようにしてきた心がけを、あっさり踏みにじってくれたなと。
しかも大いなるカンチガイで。
どうしても、私が信心や学会活動に必死にならない事を、主人のせいにしたいんだな、と思いました。
私が活動に出たくないのはあんた達のせいだ、勘違いするなと怒りは頂点に達し。
私は母に怒りのたけをぶつけました。家庭内に問題なんかないよ!婦人部おかしいよ!と
母は「知ってるわよ。だから支部婦さんにも説明したわよ、いい旦那さんなんですよーって。
あなたがちゃんとしないから、誤解を招いてるんでしょ?きちんと支部婦さんに連絡をして謝って
役職の話はお受けしなさいよ」 じゃーまたね、と電話を切られました。
私は気持ちがおさまりませんでした。暴れだしたいほどでした。
婦人部っていったい何なの?!
この出来事から、私はアンチ婦人部になりました。

翌日、支部婦に連絡を取るとしらゆり長を伴って家庭訪問に来ました。
実家の母に電話を入れた事に対し、私が大変腹立たしく思っていることを伝えました。
こっちは心配かけないようにしてるのに、余計な心配かけてくれましたね。非常識ですよ?とハッキリ言いました。
支部婦はこんなに怒らせるような事をしたとは思っていなかったようで、顔がこわばり、しどろもどろでした。
「役職者に向かってなんて口をきくの」と言われましたが、そういう事を言う時点でこの幹部ダメなやつだと
心底見下しました。
それでも役職の面接は受けて欲しいというので「絶対嫌です。行きません」とお断りしました。
後日、えらい幹部(役職は忘れました)と地区婦がやってきて、あなたの気持を確認しないで話を進めて
申し訳なかった。
でも、面接はもう決まっている。やりたくないですと言ってくれて構わない・こちらからも事情を伝えるので、
形だけ受けて欲しいと書類を渡されました。
しぶしぶ了解し、指定された日時に会館へ行き面接を受けました。
担当幹部は
「長い人生です。信心も長い目でみていかなければいけない。大事なことは先生と心をひとつにすることを
 忘れない点。役職があっても無くても、そのことを忘れないでください」と言いました。

後日、私が役職を断った経緯をしらゆり長から聞いた地区婦が
「あなた、支部婦にかみついたらしいわね、やるじゃん!」と嬉しそうに言いましたw
紋切り型で問題解決しようとする支部婦を地区婦はいつも
「支部婦のやりかたは池田先生の気持ちに反してる」と思っていたとのことです。
支部婦が実家に電話したというのも、地区婦的には「それやっちゃおしまいでしょと思った」と言ってくれ、
私の気持ちを解ってくれる人が組織に一人でもいた事は、ちょっとだけ救いでした。

支部婦は結婚してからの信心で、ご主人がかなり上の幹部だったので釣り合いをとるための役職という
一面もあったようです。
これは実際、私の身内でもありましたし、地元地域でもありました。

覚醒後、バリ活のブログを読んでいたら「創価の役職は全て、その人物の人柄と・信心の厚さによって
決められている」との一文を発見して、噴き出して笑ってしまった事があります。
そんな風に真面目に捉えてる人には全く申し訳ないけど、そうじゃない場合の方が多いと思います。
前回も書いた婦人部ヒエラルキーの通り、私みたいな活動から逃げようとした人間に対してだって
女子部長経験者だったからしらゆり長すっとばしで「地区副」をつけようとした、そんなもんです。
人柄やら信心の厚薄なんて関係ありません。 ただのご都合主義です。

こんなだから末端は、みーんな幹部に不満があるんでしょう。
「池田先生がこんなダメ幹部の現状知ったら御嘆きになる・・」云々いう活動家もいるけれど、
師匠は「仏眼」で、ぜんぶ見えている、お見通しだそうですので(本人が同中で言ってたので間違いありません)
なんにも御嘆きになってません。お嘆きだったら是正しますよ、命より大事な組織なのにw
弟子の皆さんには、早く目をきっちり開けて現実を見て欲しいと願うばかりです。

違和感の連続(4)

イヤイヤながら小グループのリーダーを続けていた私でしたが、一年を待たずして
転居してきた新しいメンバーに交代する事になり、お役御免となりました。
このときの喜びと言ったらなかったですw
同時期に、職場の友人から土曜の習い事に誘わたので通う事にしました。
隔週レッスンだったけど嘘をついて、「毎週あるので小グループに出れない」と新リーダーに連絡。
すると地区婦から電話がかかってき、事細かに時間帯や場所などを確認され、怖っ!と思いました。
「あなたの出られる時間帯で(会合)設定するからね」というのです。
絶対休ませないよって事です。
これじゃ私がゴネてるみたい。赤ちゃんのネンネの時間にあわせてくれっていうのと変わりません・・。
私に負い目を感じさせようとしてるんだろうな、とはっきり感じました。
婦人部っておそろしいと思った瞬間でした。

また、今更気づきましたが、ワークの私をリーダーに据えてみたり・無理やりでも土曜の会合を取らせたのは
私がそのうち「自分が仕事を辞めれば平日に会合を取ることができるのに、このままでは皆さんに
申し訳ない」と気づいて、自ら仕事を辞めるだろうとの目論見だったんだろうなーって事。
当時まーったく、そんな風に思わず、鈍感な私でしたw きっと周囲は苛々していたことでしょう。 

直後の小グループに出ると、婦人部の本部長が来ていました。
転居してきたメンバーと私は本部長と初対面ということで、指導がありました。
しかも、参加者全員にじっとり聞かれている図です。たまらなくいやでした・・。
本部長は私が習いごとを始めた事を知っており(地区婦が言ったのだと思います)、
そのことについて尋ねてきました。
将来その道のプロにでもなろうとしてるんですか?というので、始めたばかりだし、そんなところまでは
まだ考えていないですと答えると
「じゃあ辞めたらどう?」というので、驚きを通り越して、思考停止で言葉がでませんでした。
「あなたは活動から逃げようとしてるんです。そんな事でどうするの?
 活動の1日は、未活動の100日。 そのくらい差がある。さぼったら取り戻すのにどれだけかかるか。
 特に婦人部は、女子部時代と違い自分ひとりの福運ではない。家族の命運まで左右するもの
 なんですよ」と言われました。
私はとっさに、女子部長の面接で幹部から言われた
「(活動さぼったことを)何もあやまらなくていいよ、福運は自分持ちだからね」を思いだしました。
めちゃめちゃ、矛盾してるじゃん!!
言いたかったけど、そんなこと言えません。
”福運は自分もち。だったらあなたにとやかく言われる必要はない”こう言ってやればよかった。
そして服装等を指し「独身気分が抜けてない、浮ついてる証拠。もうミセスなんだから自覚を持たないと」
と言われ。
どうしてそんなことまで注意されなければならないのか、さっぱりわからない。
もはや、言いがかりの域だったと思います。
この発言に対し自分がどう返答したか全然思いだせないんですが、たぶん「以降気をつけます」みたいに
答えたんだとおもいます。
当時の私は、幹部の前でまだいい子を演じようとしていました。 そろそろ限界にきていましたが。

初対面なのに、学会の上下関係だけでこんな事を言う幹部。私の何を知ってるっていうんだろう?
個性や生き方を認めるのが、創価のいいところだと、私は青年部時代思ってきました。
その思いを打ち砕かれた。 婦人部は、右へならえの義務教育みたいだ。
贅沢や華美は敵。時間もお金も惜しみなく組織に差し出す事が婦人部の使命。
一部の特別な人達(各種グループの方々)は別として、一般末端主婦は学会活動だけしてればいい。
組織に尽くすのが当然の生き方。
はみ出すやつは許さない。婦人部にはそんな空気を感じ、こんなの耐えられないとの思いが強く
なっていきました。
習いごとは辞めずに続けていましたが、会合に出た後に習い事へ向かう車の中でいつも苛々して
叫んでいましたw そうやって気分を切り替えないと、いや~な気分を引きずったままレッスンに
突入するのが嫌だったから。
そして、習い事の教室に入ると、主婦やOLさんのレッスン仲間に癒されます。
と同時に、なんだろうこの違い?と、愕然とするのです。
さっきまで一緒にいた婦人部のひとたちは何だったの?と。
同じ街の、そう遠くない生活圏に住む、年齢も同じくらいの女性たち。
主婦という立場も同じなのに、ぜんぜん違う世界の人間みたい。
創価婦人部メンバーの、一般世間との乖離感・隔絶感のハンパなさったらない、という思いを深くしました。
そして、私は婦人部にまみれるより、普通の人たちのコミュニティに属していたい。
こっちの方が明るい、楽しい、綺麗、おしゃれだし、なにより一緒にいて楽しい。
女子部の時は、女子部の友達と居ても・外部の友達と居ても、ここまでの落差なんて感じなかった。
一般の主婦仲間と接するたび、婦人部を「いかがなものか」と思う気持ちが強くなっていきました。

本部長の公開指導を機に、どういうわけか派遣のしらゆり長が「上から」な態度になったのも嫌でした。
何の確認も私にとらず勝手に書籍や雑誌(潮やパンプキンw)を注文し、自宅に持って来て
「OOOO円だから(お金払ってね)」と請求する。
えっ、頼んでませんよね?と私が言うと
「買うのが当然でしょ。ワークなんだしお金に困ってる訳じゃないんでしょ」というのです。
なんなの、この人?でした。
何度かそんなことが続いたので「もう持って来ないで欲しい」とハッキリ断ると
翌日、1冊の新刊をもってきて「これは私からプレゼントってことにしとくね」と言うのです。
つまり既に注文してしまっていた本が来たけど、あなたが断ったからお金は私が払いますという意味です。
どうしてこういう、押しつけがましいと言うか・こちらに気を使わせるような物言いをするのか。
だったら友人に贈呈なさったらどうですか?と私が本を突き返そうとすると
「いいのいいの、私そんな(本を贈呈するような)友達いないから」と去って行く。
すごく気分が悪くて、借りを作りたくない私はお金を地区婦人部長を通じて渡してもらう事にしました。
もう、険悪にでも、どうにでもなれって気分で。
女子部当時は地域で書籍を頼む事が無くて(母は買ってました)、こんなに頻繁に・半強制的に書籍を
買わされるなんて全く知りませんでした。
組織力で”売上No.1”を取るなんて、何の面白みもないだろうに。物書きのプライド無いんですね。
ゴーストライターが書いてるとの噂もあるし、売れて世に自分の名前が出れば何でもOKって感じでしょうか。
池田老人と大本営の虚栄心を満たすために、読みもしない本が山積みになっている会員宅は多いでしょうね。
実家も同じくです。

婦人部と合わない。どうしようと悩みだしたこの頃、夜の同中に一緒に行かない?と、近所で商店を
営んでいるワーク婦人部の方(以下Aさん)からお誘いを受けました。
たまたま主人の出張と重なっていたのでOKし、車で連れて行ってもらい、帰りは一緒に
ファミレスで夕飯を食べました。
Aさんも結婚で入会した一世です。草創の家に嫁ぎ、義家族にいわれるがまま活動してきたと言います。
ご主人は役職をもっていて、自宅は拠点になっていました。
お互いの事を色々話していく中で、Aさんが「夜の活動にどうして出ないの?旦那さんが反対してるの?」と
突っ込んできました。
直感で、Aさんがそんなことを尋ねてくるのはおかしいと思い、誰かから探るよう言われてるんですか?と
聞くと「ばれちゃったー」と照れ笑いをし、支部婦人部長の差し金だったと解りました。
私が女子部で部長を経験していたのに、婦人部の活動に熱心でないことを、支部婦人部長は疑問に思って
いるようで、皆に「なんでだと思う?」と聞いていたそうです。
旦那さんの入会が浅いので、理解を得られていないんじゃないか?と噂になっているというので
私は否定しました。 実際、主人は私に会合に行くなとは一言もいっていないのです。
私が仕事と家事の両立に手こずっていること・実家の母が夜の活動に出ない人だったので、抵抗もあると
話しました。
Aさんは「良かった~。みんな心配してるんだよ。幹部候補だから、潰しちゃいけないって」と
言いました。
本心をこの時言えばよかったかもしれません。私はここの婦人部メンバーを受け付けないんだ、って。
さすがにそんなことを言うほどの度胸はありませんでした。
そこには、創価の「同志を悪く言ったら誹謗」という刷り込みが強く強く働いていたと思います。
どんなに非常識でうんざりでも、同志だから。
我慢しなきゃいけないと、まだこの時は思っていました。

この地域の婦人部員には失望させられていたけれど、私の御本尊様への信心が揺らぐことはありません。
お題目を上げて、主人の転勤を祈念しました。まだ引っ越して一年経過してなかったのにw
ここにいる限り、ここの婦人部メンバーとの付き合いが続く。
そんなの耐えられない!
私が好きな戸田先生の指導(人間革命からなので、作り話かもしれないのですが)
「場所(環境)では無い、信心だ」が、揺らいでいました。 
違うよ戸田先生。場所もぜったい関係あるよと思いながら、お題目をあげていました。

また、婦人部の活動で「御書持参」しなくて良くなった事にも疑問がありました。
女子部時代は、使おうが使わまいがマイ御書持参がセオリーだった。
婦人部では御書の出番がなく、9割方池田老人のスピーチ、かねこ婦人の談話から学ぶ状態。
同じ組織にありながら、どうしてこうも流れが違うのかと、そこも私が馴染めない理由の一つでした。

ちなみに、主人に私のそんな胸の内を話した事は一回もありません。
話したところで、入会したとはいえマインドは完全外部な主人に、理解できないだろうと思ったからです。
壮年部の家庭訪問もありましたが、一回だけ主人は応対に出て、愛想良くあしらっていました。
仕事が多忙なので会合には出られませんと私から断りを入れたので、しつこくやってくることも
ありませんでした。
同中にはなるべく2人で参加するようにしてましたが、用事や予定を優先で、毎月きっちり参加する
わけでもなく。
暫くするとしらゆり長から「参加したら必ずメールください」と言われるようになりました。
そういう事も、女子部時代は連絡するのが当然の義務と思っていましたが、だんだん婦人部からの
連絡・連携が煩わしく感じるようになっていきました。

違和感の連続(3)

小グループのメンバーに、明らかにメンタルを患ってるな、という印象の人がいました。
30代すぎのママさんでした。
女子部時代に接した部員さんにもそういった方が居て、挙動が似ていたのです。
このママさんがトラブルメーカーで、距離なしの行動をとり、他のメンバーが困惑の末活動に
出て来なくなるということがありました。
私もたびたび彼女の言動にぎょっとさせられたり、それに対し腹立たしくても
”普通じゃない”前提ゆえに、なす術なしというか・やるせなかったり、しんどい思いがありました。

ある時、私の中で決定的に許せない事を、自宅で会合をとった際にやらかされました。
私は厳しい口調で彼女に注意したのですが、しらゆり長が「まぁまぁ」って感じで丸くその場を
おさめようとした事に納得がいきませんでした。
内容は伏せますが、とても非常識な行動で、注意してしかるべきだと私は思いました。
気持ち悪くて、もう二度と家に入れたくないと思いましたし、しらゆり長が問題をなし崩し的に
したことも気に入らず、地区婦に報告しました。
地区婦は、「またか」って感じでしたが「彼女、発達障害もあるから勘弁してやって」と言いました。
おまけに旦那が男子部の幹部で多忙。帰宅も遅く、近頃育児ノイローゼ気味にもなっており
問題行動はそのせいじゃないかと思うというのです。
それっておかしくない?!どうしてこっちが迷惑被らなきゃならないの。
家庭内の問題だろう、きっちり嫁をたてなおしてから活動にいきやがれ男子部め!そう思いました。
地区婦が私の気持ちを理解してくれた事で、その場は落ち着きました。
が、私は想像以上にダメージを受けており、数日経過しても彼女への嫌悪感がどうにも拭えなく
もう会いたくない・次の会合出たくないと思っていました。
こんな状態でリーダーなんか無理。
再び地区婦に連絡し、グループのリーダーをやめたいと申し出ました。
すると「役職はやめられないの知ってるでしょ?でも、支部婦に話してみるね」と言ってくれました。
後日、支部婦が家庭訪問にきたので、それまで支部婦に話した事の無かった思いのたけをぶつけてみました。
うんうん聞いてくれましたが最終的に
「あなただって、組織の中で誰かに迷惑をかけたかもしれないし、これからかける事もあるかもしれない。
 お互い様だから今回の事は信心でおさめてやって」と言いました。
いやいや、私はあんな非常識なことしないし! 迷惑の質が違うだろうと、むっとしました。
全く私が納得できない慰めを言う支部婦を、「信心がヌルい」と地区婦が表現したの、よくわかるわーって
感じでした。
けど、たとえ女子部あがりの幹部だったとしても、私を納得させるような答えの出来る人はいなかったでしょう。
結局、組織は「事なかれ主義」だから。
根本の解決になるような事はやらないのが常です。

その後、この会合は彼女の自宅が固定会場になりました。
グループリーダーはやめさせてもらえず、イヤイヤ続けました。
毎回変わり映えのしない会合内容。先生奥さま賛美なんて私が最もつまらないと思う事です。
活動の後半はかねこ抄を読み、友人に贈呈運動もあり、組織から2冊買わされました。
私はこのとき、職場の友人に渡すかどうかものすごく悩みました。
自分で読んでみて良い内容だったら渡したかもしれませんが、どう考えても外部向けではないし
私にとっては、なにひとつ参考になると思う部分無しでした。
こんなもの渡したらドンビキされ友情にひびが入ると判断し、渡しませんでした。
これほどの池田夫妻神格化プロパガンダもなかったな、っていうような活動内容。
いま思えばですが婦人部デビュー=学会デビューな一世に「これでもか」っていうくらい
「理想の夫婦像とは先生&奥さま」を植え付けようとしてたんでしょうね。正直キモチワルイです。

この数年後、彼女に役をつけたので、私はほんとここの組織ってどうかしてると思いました。
役をつけたにもかかわらず、その下に就くメンバーに対し「彼女の事は無視していいから」って言ったんです。
どんだけ矛盾してるの?とそのときも呆れましたが、組織も彼女をどう扱っていいかわからないって事かも
しれません。
また別の機会に書くかもしれませんが、女子部時代に接したメンタルを患っていた部員さんも、
活動を休んだ方が絶対本人のためになると私は思いました。 が、本人が「休むと余計おかしくなる」と
思いこんでおり、幹部は「本人が出たがってるのに止めちゃ可哀相だ」と野放し(?)で、ますますドツボに
ハマって行く悪循環がありました。 
結局、周囲に迷惑かけようが、大本営に迷惑さえかからなければ活動家で居てくれるほうがマシって事なのか。
ほんと、組織ってわけがわかりません。

途中でしらゆり長が変わり、他地区からの派遣者になりました。
その人が毎回、茶話会で「悩み無い?」と全員に聞きだすのです。
ママさんがたは子育てのことを中心に話し、不妊治療中の人は健康上の不安を話していました。
でも、私は悩みが無かったので
(悩みはこの会のリーダーを辞めたいって事でしたがそんなこと言えません)
毎回「特にないです」と言っていましたが、「本当にないの?何でも話してよ」って笑顔で言うのです。
それがすごく嫌でした。 
なんでたいして仲良くも無いあなたに悩みを言わなきゃならないのよ?と。
女子部時代でさえ、悩みを聞きだすような事しませんでした。本人の口から自然と出る話は聞いたけど。
まるでメンバーの弱みを握りたいかのように思え、私はそんなところも婦人部ってヤダと思っていました。

この当時、平日夜の会合には全く出ていませんでした(協議会、座談会等)。
仕事を終えて帰宅すると19時前後。夕飯を作り、家事をしていると会合には間に合いません。
なにも炊事や家事を放り出してまで、出る必要はないと思ってました。
自分の母が夜の会合に出ていなかった事もあって、私も夜の会合に頻繁に出る事に抵抗がありました。
主人の帰宅はだいたい21時前後。
全てが整わない状態で「おかえりなさい」と、お出迎えするのはイヤだったのです。
女子部当時は協議会等に出てましたが、あのとき参加していた婦人部は一体どうしてたんだろう?って
思いました。
ほぼ専業主婦だったから、早めに夕飯を支度して子供たちと自分は先に済ませていたのでしょうけど、
だんなさんが会合中に帰宅する場合など、どうしていたのだろうかと。
「勝手にレンジでチンするなり、食べといて」って感じでしょうか。
だんなさんも壮年部バリ活なら、その時間は家に居ないから関係ないのかも。
私からすれば大黒柱に対してそんな事、月に1度程度はいいけど週に何度もなんて考えられませんでした。
創価学会に、普通の暮らしを奪われている事、なんとも思わないんでしょうか。
「永遠の幸福境涯」「三世の福運」のためなら、現世の家族の暮らしなんてどーでもいいって事なのか。
人間らしさを失くすそんな生活と引き換えに欲しい功徳・福運とは一体なんなのか。
功徳・福運欲しさじゃない人もいるんでしたね。
世界平和や師匠の理想の実現のために「自分の家族」の「普通の暮らし」を犠牲にする事は、理に適って
いるんでしょうか。
その環境で育つ子供たちの大切な何かを奪っても、成し遂げたい幸福境涯って・世界平和って、何なんでしょう?
私には理解できない事ばかりです。

違和感の連続(2)

婦人部の活動に出始めた直後、小グループのリーダーをするよう言われました。
私の仕事都合で会合は休日の土曜に開催。
結婚数年以内の、婦人部デビュー組の集まりという事でした。
メンバー5人。週1回集まり、池田老人のスピーチ学習のち、茶話会をします。
私以外のメンバー全員専業主婦。
なんで私がリーダー?ワークで一番忙しいのに・・と不満を覚えましたが、そんなこと言えません。
初会合には地区婦人部長としらゆり長も来ました。
初対面のグループメンバーは、3人が20代後半~30代前半のママさんたち。
もう一人は40歳手前の子供の居ない人でした。
自己紹介をしたところ、私以外の全員が結婚を機に旦那さんから折伏を受け入会したメンバー。
つまり学会活動を始めたのは婦人部から。 
池田老人との原点もなければ、信心の確信も掴んでいないという事でした。

スピーチ学習は段落を分けて一人ずつ朗読しましたが、私以外4人の朗読は仕方が無いことだけど
グダグダです。
仏教用語や御書の一節、創価独特の言い回しなど、普通に生きてきた人はすんなり読めなくて当然です。
それを聞きながらあからさまに”違うんだよね”と言わんばかりのため息をもらす、地区婦(元女子部幹部)w
スピーチを読み終わった後、各々感想や決意を話すよう促され(司会はしらゆり長でした)
みんな、どこか的外れというか、創価の幹部が聞いてもピンとこないであろう内容を話しました。
でもこれは、仕方のないことです。 だってみんな、学会初心者だから。
私は女子部バリ活出身者だったので、「うわー・・すごい(色んな意味で)」と思いながら聞いていました。
私が最後にまとめるような形で話しましたが、地区婦としらゆり長はにこにこ聞いてくれたけど
他の4人はしらーっとしてましたw 
お茶を飲みつつ小一時間話し、次回日程を決めて解散。
帰りにしらゆり長からB5サイズの用紙を手渡され「これが報告書だから、毎回開催のあとに記入して
3日以内に提出して下さい」というのです。
B5サイズ埋めるのが大変じゃんと思いました。たいして何もしてないのに。しかも毎回やることは同じ。
こんな活動になんの意味があるんだろう?と、思いましたがそんなこと言えません。

次の会のとき、朝11時開始でしたが当日朝に「赤ちゃんがおねむの時間で出かけられないという
メンバーが居るので、午後からに変更して欲しい」と、しらゆり長から連絡が来ました。
私にとったら貴重な休日。午後からは友人と約束を入れていたので「無理です」と連絡すると
しらゆり長が「お友達の方を融通してもらえないかな?」と電話をかけてきました。
私は憮然としました。 子供の居なかった私からすれば、意味不明です。
赤ちゃんって寝てたら出かけられないの? わからない。 こういった場合、赤ちゃんが居る方が立場強いの?
私は「どうしても無理です」としらゆり長に伝えました。
しらゆり長が機転をきかせ、じゃあ寝ちゃった赤ちゃんの居るお宅に会場を変更しようとなり、
開催したのですが私は内心もやっとしてました。
次回日程を決める段になり、赤ちゃんの居る3人から「午前中はどうしてもおねむだから、会合とるなら
午後3-4時が良い」との意見が出されました。
私は無言でした。え、それって私が合わせなきゃいけない? 多数決だと、私は不利w
土曜が貴重な休日だということなんて、この人たちには理解できないよね、働いてないんだから。
だけど毎週土曜の午後3-4時という中途半端な時間を拘束される事は、私には耐えがたい。
そんなこと考えつつ黙っていると、しらゆり長が「どうかな?」と私に聞いてきます。
私は折れませんでした。
理由は言わずに「だったらもう、リーダーできないです」と答えました。
しらゆり長は慌てて、地区婦に相談するねとその場は終了しました。

帰り道、40代目前の子供の居ないメンバーから
「あの人たち、我儘でしょ。私も苦労したんですよ」と話しかけられました。私の内心、見抜かれてました。
私がくるまでこの方がリーダーをしていたのです。
「赤ちゃん、赤ちゃんって、大変なのはわかるんですけど、こっちの都合なんてお構いなしで・・」と
ドタキャンされたこともあったし云々、かなり不満が溜まっていたのか愚痴ってました。
この方は、不妊治療をしており宣言していたので周知の事実でした。
子供が居ない事を深刻に悩んでいた面もあって、赤ちゃんだらけの会合に来る事も実際は辛かったのでは
ないかと(私の勝手な想像ですが)思います。
それでも子供を授かるならと、活動を頑張っていたのでしょう。
だのに、幹部は気遣い・デリカシーが無く、私に向かって「もう30代後半なんでしょ、子供、急がなきゃ」と
言ったりするのです。
不妊治療している40手前のメンバーがいると知ってて・彼女もいる席でする発言ではないと思う。
そういったことを平気で毎回口にするので、こっちが冷や汗ものでした。

夜、地区婦人部長から電話がかかってきました。
「参加してわかったでしょ?みんな女子部経験してないから、信心ヌルいのよ。なんにもわかってないの。
 だからあなたが一旦引き取って、そこからメンバーを細かく”しつけて”いくのよ。
 女子部出身者の役割は、信心の基本ができてない婦人部に信心を教えて行くことだからね」と。
女子部を経験してないからヌルい・わかってない・・確かにそうかも、と当時は思いました。
会合優先の生活なんて、今までしたことがないから、赤子のねんねの時間に合わせてくれって言うんだなと。
ものすご~く、納得できました。
ちなみに、しらゆり長も女子部を経験しておらず
「メンバーのいいなりになってるところがあるから、あなたはそういうところ、しらゆり長にもビシッと
 言ってね」と地区婦から言われました。

”とんでもないところにきてしまった・・”私はそう感じました。
女子部時代は恵まれていた。
同志の大半は学会2,3世でした。信心の基本が出来ている人達です。
まれに一世もいましたが、基本的にOLさんで家庭や子供などないので身軽です。融通がききます。
しかし、結婚してから初めて信心を始める人に、創価イズムwを教えるなんて難しい。
女子部活動家当時から感じていた事ですが、私は生まれてこのかた創価で育っていたので
そういった環境の無いところから入会する人(一世)の気持ちが全然わかりませんでした。
私だって婦人部初心者なのに、一世の婦人部初心者を”しつける”なんて出来ないよと、憂鬱でした。

また、地区婦人部長いわく、この地域には女子部上がりの婦人部員が極端に少なく
支部婦人部長でさえ結婚してからの入信者なのでヌルいのよね~と言ってました。
後に解ったことですが地区婦人部長と支部婦人部長は、犬猿の仲でしたw

婦人部の中にヒエラルキーが存在する事も、この時初めて知りました。
頂点は、女子部で総県分県幹部までいった人でしょう。おまけにご主人も幹部だと完璧。
圏女、本部長経験者だといきなり地区婦になることもありました。しらゆり長なんてすっとばし。
そういう世界です。 一世よりは、女子部(幹部)経験者が上。
そして概ね女子部経験者だった幹部は、結婚を機に入会した一世の婦人部に冷たい。
最初は優しくするんだろうけど、年数重ねても進化しない人のことは軽視する。そんな風潮が見えました。
実家方面の婦人部の話を聞いても同様で、幹部指導を受けるにも女子部経験者の幹部を選ぶ・
婦人部しか経験せず幹部になった人の指導なんて「命」が入って無いという人もいます・・。 

女子部では一世のこと、特に大事にしてました。一人立つ信心、素晴らしい!頑張って!と
温かく見守っていました。
婦人部は(この地域が特別ヒドかったのかもしれませんが)できて当然、出来なければ努力して当然って
空気。 
一世でも主人(身内)に折伏されたなら、家庭内で教育してもらえって感じなんでしょうか?
友人から折伏を受けた一世に関して話は別で、大事にされるようでした。

女子部の頃、このようなヒエラルキーが、あったのかもしれないけど、全く解らなかった。
厳しい怖い先輩もいたけど、派閥のようなものはなく、みんな仲良く和やかな、出来る人も・出来ない人も
おおらかに包み込むモラトリアムな世界でした。
だから私のような我儘な人間でもやれたんだと思います。
しかし婦人部は・・このヒエラルキーのせいで、嫌気がさす人も多いのではないでしょうか。
幹部だからと言って人間性がいいわけではない、が、婦人部に顕著なのはこのヒエラルキーも
おおいに関係していると思います。

この数年後に出会った婦人幹部も女子部の幹部上がりでしたが「威圧感」がハンパない方でした。
(その人のお陰?で覚醒出来ました)
覚醒後思い返せば、指導は的外れだけどホンワカした婦人部役職者って、ほとんど女子部を経験してない一世。
気合入ってる幹部はほぼ女子部出身者で、みんなイライラしてるというか、顔が怖かったw
口元笑っていても目が笑ってない。
女子部上がりと・そうでない婦人部の気合の有無、温度差、落差にイライラしてああなってしまうんでしょうね。
いま思えばですが、そう考えると合点がいきます。

違和感の連続(1)

結婚後、地元を遠く離れて暮らすことになりました。友人も身寄りもない土地です。
母は「日本全国、どこにでも同志がいるから大丈夫よ」と励ましてくれました。
私もすぐ組織につくつもりだったので、さほど不安なく新しい土地へ引っ越しました。

婦人部がどんな活動をしているかなんて全く知りませんでしたが、この時点の私は婦人部でも
活動を頑張る気でいました。
引っ越し後、片付けが済みひとつきもすると私は家にいることに飽きました。
統監カードが回るのが遅かったようで、婦人部は家に来ないし、でも新聞は早々と入ってましたw
母が数カ月分を贈呈で入れてくれたので、集金が来る事も無い。
暇を持て余す私を見かねた夫が「働いてみたら?」というので、ダメもとで面接を受けたところ
地元の企業に契約社員で採用され、2ヶ月目にして兼業主婦デビューしました。
職場に私と同じく結婚でこの土地に来た人がいて、年齢も近く、好きな物も似ておりすぐ意気投合。
彼女は好奇心旺盛で素敵な人、さまざま良い影響・刺激を受けました。
仕事の傍ら主婦業を楽しみ・休日はご主人とあちこちおでかけし、暮らしや人生を楽しんでいる雰囲気が
伝わってきました。 
私はそういった主婦像・夫婦像を知らなかったので(実家の両親は不仲でしたし・・)
とても新鮮で、彼女を新生活のお手本にさせてもらおうと思いました。
お互い主人の土曜出勤が重なる事も多く、そんな時は街を案内してもらったり、
買い物に行ったりランチにお茶と、話もつきなくて楽しく過ごし。
学会活動をしないことへの罪悪感は少しあったけど、組織の人がこないから活動のしようがない、
こればっかりは仕方無いと思っていました。

引っ越しから4ヶ月ほど経過したころ、やっと婦人部が家庭訪問に来ました。
支部婦人部長としらゆり長。第一印象は「地味だな・・」でした。
早速週明けから昼間の会合に来て欲しいと言うので、私は仕事をしていると話しました。
「えっ、お仕事してるの?」2人は驚いていました。
なぜに、そんなに驚くのか意味がわかりません。
じゃあワーク(婦人部)を紹介した方がいいわね、近々きてもらいますと言って帰って行きました。
後日、ワークの幹部が家庭訪問にやってきました。
第一印象は「絶対、女子部時代に幹部してただろうな」で、これは大正解。
会うなり、私の女子部時代の役職と、白蓮をやっていたか、委員長が誰だったか、などなど聞いてきます。
そして「年齢の割に部長どまりって、どういう事?」と聞いてきたのですw
鋭い質問だなと思いつつ、数年間活動をさぼっていた時期があると説明すると「なるほどね~」といわれ。
私への質問が終わると、自己紹介を始め女子部時代の役職やら、自営業者だと教えてくれました。
こっちこそ「なるほどねぇ~」でした。
そこはかとなく、威圧感があって、えらそうだったからですw
この方が後に地区婦人部長になりました。 いま思えばですが、こちらで出会った婦人部のなかでは
一番話が解る人だったかもしれません。
ワークの会合日程をもらい、最初だから会場もわからないだろうし、連れてってあげるわといわれ
約束しました。
車で迎えに来てもらうと同乗者がおり、優しそうな50代とおぼしきご婦人でした。
この方は地域で商店を経営しておられ、私が今も普通に話せる組織のおばさまです。
地元の会館で行われた会合は活気もなく、特に印象に残るようなものではなかったです。

後日、圏単位の婦人部の会合が夜にあり参加。
この県のえらい婦人幹部を招いているということで、後で紹介するからと最前列に座らされました。
えらい幹部の話は、自分が経済界のセミナー(企業の社長が集まる)に特別に招かれており
「学会婦人部の意見をビジネスの参考に取り入れたい」と求められている、と語ってました。
地元の有名企業の会長からもらったというお礼状を見せながら。
池田先生の智恵を、社会が求めている。聖教新聞を読んでいる財界・経済人がどれほど多いか云々。
おなじような話を、半年くらい前に地元地域でも聞いていました。
壮年幹部が毎回「日経新聞を読むより聖教新聞を読むほうがいいと、どこそこの会社のエライ人が
言っている。一般紙は暗いニュースで溢れているが、学会は明るい。いいニュースしか載って無い
(池田老人が顕彰受けた系ニュースの事を指す)、元気と知恵がわいてくる」云々。
だからこんな素晴らしい新聞を一般の人たちにも読んでもらいましょう、聖教啓蒙の話でした。
当時、母がいってました「それが一体なんなの?」とw
「あの幹部、新聞の話しかしないわよね。信心や御書の話が出来ない人が幹部なんておかしいわ」と。
私も違和感を覚えていたので、壮年幹部が単純にネタ切れで他にしゃべることがないのかと思ってました。
が、土地が変わっても”経済界が創価や池田老人に注目し高評価している”という話がされているのを
知り、へぇー・・って感じでした。
それを耳にしても「だから創価ってすごいんだ!世の中も認めてる!誇りだ!(嬉)」なんてことは
思いませんでした。
いま思えば、そういった打ちだしが大本営からあったって事なんでしょうね。
下々の会員に自信を持たせるために、社会から創価が認められているという風潮にしようとしたんでしょう。
そして聖教啓蒙の嵐が吹き荒れ始めたって感じでしょうかw
この後くらいから、電車内の中吊広告(週刊誌の)から創価バッシングがピタリと消えた気がします。
私が20代でバリ活やってた頃、毎週のようにひどい見出しが躍っていたのにです。
莫大な資金力を使って情報をコントロールし始めた時期だったんでしょう。

会合終わりでえらい婦人幹部のところに連れて行かれ、最近婦人部になったOOさんです、OO県から
引っ越して来ました、女子部で部長でしたと、同行した幹部が紹介してくれました。
私は女子部時代からネイルサロンに通っており、結婚後もサロンで爪を綺麗にしてもらっていました。
最近では普通の事ですが、当時主婦の間では一般的ではなかったかもしれません。
えらい婦人幹部は、私に向かって
「もう婦人部なんだから、その爪はどうかと思う。弁えないとね、つつましくね」と注意したのです。
えっ? 意味が解りませんでした。
なぜに婦人部になったら「つつましく」ネイルをやめないといけないの。
婦人部になった途端、贅沢は敵。生活を切り詰めてでも財務しろという事?
私はもともと、財務に思い入れが無いのでそんな発想はみじんもないし、サロンに行くお金は自分で稼いだ
お金。どう使おうと私の勝手じゃん!と、この押しつけがましい発言に違和感を覚えました。

この地域の周囲の婦人部を見渡すと、本当に皆さん「つつましい」いえ、ハッキリ言うと
「所帯やつれした」雰囲気でした。 これは地域差がある事なのだと思います。
私の実家方面は、派手さはなくとも身なりは普通にきちんとしたご婦人が多かったです。
しかしこちらは、首周りの伸びたよれったTシャツとか、毛玉のできた洋服を平気で着て家庭訪問に
やってきたりするので、「えっ?」と思う事が多々ありました。
昭和で時代が止まっているような雰囲気の方が多いのです、同年代でも。
地価物価は実家方面より高く、一般住民の方々は皆さん小奇麗・豊かな雰囲気です。
一般住民の方たちと、組織メンバーのギャップが大きいところも私には不思議でならず。
実家方面は、一般住民も婦人部も同じような雰囲気でした。
私は子育てをするまで、カジュアルな服装を殆どしたことが無く、当時は仕事もしていたので
休日でも綺麗めの服装をしていました(決して派手ではありません)。
しかし、こちらの会合で小奇麗にしていると悪目立ちするようで、本部長から
「独身気分が抜けてない、地に足がついてない証拠」と言われた事もありました。
周囲に合わせろと暗に言いたかったのかもしれないけど、私がそちら側に歩み寄るだなんて
あり得ないと思っていました。

毎回、幹部に会うたび「お仕事やめて活動に専念すればいいのに」と言われる事に、イラっときていました。
”なぜに私の生き方を認めようとしない?”と思っていました。
契約社員でしたが、やりがいのある仕事だったし、会社に仲良しの友達ができたこと・働きやすい職場
だったので私は仕事を辞めようなんて全く考えませんでした。
極めつけは支部婦人部長で、家庭訪問にやってきて
「お仕事大変ね。私も結婚当時は、主人の給料が少なかったから、働いていたのよ。
 でもね、御本尊様に”信心一本でいきたい”とご祈念して思いきって仕事を辞めて、婦人部の活動に
 専念したら、主人の給料が上がったの!
 あなたも早く、お仕事辞められるように祈っていこうね」と言った事。
私は薄笑いしてしまいました。
何故に、うちの主人が薄給で私が働いていると思いこんでいるんだろう、このオバサンは?と。
まるで私が、働きたくないけどやむをえず働いていて、大好きな学会活動が出来ない・・ような物言いで
うちの主人に失礼だろう。主人に謝れ!と内心思いました。
その後も会うたびに「いつお仕事やめられそう?」と聞いてき、
私が「やめるつもりないです。子供が出来たら考えるかもしれません」と話すと
「じゃあ、早くお子さん作りなさいよ! 旦那さんにお願いして・・云々」となる。
なぜに子作りまで組織の人に指示されなきゃならないんだろ?
子作りに関しては、私は自然に任せるつもりでしたが
「いつまでに何人欲しいって、ちゃんと御本尊様にご祈念していったほうがいいわよ!」などという
婦人幹部もいて、呆れました。
こういったデリカシーの無い会話、私は嫌いでした。

なぜに、学会活動に生活のすべての照準をあわせなきゃいけないの?
婦人部の人たちと話すたび、そんな疑問が浮かび、いつも首をかしげていました。
婦人部とは元来、そういうものなのかもしれませんが、私にしてみれば「聞いてないよ!」です。

おばさま方とのやりとりに疑問を感じ、私は女子部時代の同志で兼業主婦の子に電話で愚痴を言いました。
彼女は地元の隣市に嫁いでいましたが、そちらの組織では「早く仕事を辞めて婦人部の活動一本に
しなさい」というような誘いは、全く無いとの事でした。
こっちは活動家が多いからかもしれない、祥蘭とこは大変だねって言われて、地域差なのかと納得するしか
ありませんでした。

女子部時代の学会活動は、余暇を利用してすればよいものでした。
でも、婦人部は違います。余暇なんて基本ないんですね。知りませんでした。
同じ創価という組織にありながらも、ここまで感覚が違うものだとは知らず、違和感の連続でした。
婦人部員の押しつけがましさに閉口しつつも、それでも私はまだこのとき、出来る範囲で活動を
頑張るつもりでした。 

傲慢(3)

交際から1年ほどで主人の異動時期が決定し、結婚を申し込まれました。
私はご本尊様を主人の名前で受けて欲しい事を改めてお願いしましたが、断られました。
「君の信仰の邪魔はしないし尊重する。自分には必要ないと思っている。もし必要になった時は
 入会するが、今はその時期ではない」との答え。
20代半ばで結婚話が出た彼からは、ハッキリと「信心やめてほしい」と言われ、別れを選びました。
だけど今回は「認める」と言っている。でも本人は入会しない。
圏婦人部長の指導「本当に好きなら入会する」は、主人にあてはまらず、惚れた弱みで入会なんて
しないことがわかり、私は少し落胆しました。

私は、きっと母が「あなたにも信心してほしい」と主人に迫るだろう、そうすれば主人も断れないんじゃ
ないかと甘い期待を抱きました。
が、父が最初に筋を通した為(主人の両親に創価の信心OKをもらった)母はそれで満足したようで
主人を無理にでも折伏しなさいとは言いませんでした。
母にしてみれば、兄と姉の結婚で残念な思いをし、疲れ、懲りていたのかもしれません。
信心や創価に理解を示してくれてるなんて、素晴らしい親御さん&彼じゃないの。いい縁談だと思うわ!と
喜んでくれました。
あれー?って思いましたが、母が安心している様子を見、父が筋を通してくれた事実を鑑みても
自分だけが主人の「入会本流」に拘って、円満な空気を不穏にしてしまうことが場違いに思えてきました。
両家顔合わせ、結納、結婚準備とウソみたいにとんとん拍子で進んで行きます。
当時のエピソードで忘れられないのは、私は彼やその両親に母をあわせる事は特に問題ないと思って
いたのですが、父をあわせる事に懸念を抱いてました。
父がいつも家の中で気難しい顔をして、私たちに攻撃的な言葉を発する事が多かった為、こんな頑固お父さんじゃ
印象が悪いだろう・主人の家族に引いてしまわれるんじゃないか?と思っていたんです。
ところがそれは大間違いでした。一般良識人の義両親と父は、すぐ意気投合していました。
母は話に入って行けず、横で笑顔を作るのが精いっぱいだったんです。
これはものすごく意外でした。
父は気難しくて・・と、私が義両親に話すと「全くそんなことはない、知識も豊富でお話していて楽しかった」と
いわれ、義母さんからは「お母さんは遠慮してるわね、何も肩ひじはらなくていいのに」と言われ続けて
いました。
主人からも「お父さんはすごくまともっていうか、常識人だよ」といわれたんです。
これって、暗に私や母が「非常識」っていわれているようなものだったんですねw 最近気づきました。
当時は全然そのことに気がつかず、父の外面が素晴らしく良いんだと思いこんでいたんです。
他人には社交性を発揮して、なんで家庭内で私と母には冷たいんだ!と腹立たしく思ったりもしました。

2004年秋の結婚が決まり、私の青年部時代最後の闘いが例の1000万選挙です。
絶対に、金字塔を打ち立てて見せる。1000万をやり遂げ、広宣流布後の景色を見てから
女子部を卒業するのだ!と今までになく頑張りました。
が、結果は無残で、私の心には大きな穴があきました。
いったい何だったんだろう?1000万って、広宣流布って、青年部って。虚無感に襲われます。
この時点で私が分所帯で御本尊様をお受けすることになっていましたが、このなんともいえない
もやもやした気分を、どうにか払しょくしたい!と思った私は「そうだ折伏しよう」と閃きます。
母に相談し、母と主人と3人で話す事にしました。
母は、主人やその両親が創価の信心に理解を示してくれた事を本当に感謝している。
だけどこの子(私)はそれだけじゃ不安みたい。
この子が信心を続けるのを認めるその証に名前だけでいいから入会して御本尊様を受けてくれないかと
直談判しました。
主人は困った顔していました。そりゃそうです、入会の必要はないとハッキリ意思表示し続けていた。
私は、ほんとうに名前だけでいい。活動の無理強いはしない、何もしなくていいからとお願いしました。
根負けした主人が「本当にかたちだけで、両親には絶対内緒にする」ことを条件に、入会してくれることに
なりました。
こんなもの折伏でも何でもありません。
相手の幸せを考えて・・なんてものではなかった。完全にエゴです。
私は自分勝手でした。自分さえよければ、それでよかった。
自分の「女子部時代最後の闘いにケチがついた」から、なんとか取り繕いたかっただけ。
そのために主人の良心につけこんだのです、親まで使って。
本当に最低だったと思い、深く反省しています。
支部の人に、主人を折伏すると言っていなかったので、急な入会本流に驚かれましたが大喜びでした。
当時、入会に際しては新聞購読やO回以上の座談会出席など、ハードルがありました。
一つもクリアしてなかったけど当時の支部長が「祥蘭の旦那になる人だから、まぁいいや」とハンコを押してましたw
どこまでも現場は結果主義。 内容はどうであれ数さえ上がればいいんです。
そして私も面子を保てたことにほっとしていました。
「女子部長が使命を果たさず嫁に行った」と言われなくて済むから。
こうして私は自分なりに青年部時代最後の闘いに落とし前をつけました。
結婚式のちょうど1ヶ月前のことでした。

私は父や二人のきょうだいに対して思っていたのと同様に、主人に対しても
「こちらに歩み寄るべきだ」をやっていました。
こちらが絶対的に正しいから、そちらが歩み寄るべきだと言う姿勢は「傲慢」以外の何物でもありません。
圏婦人部長が指導で話していた「本当に好きなら入会する」という考えも傲慢だと思います。
折伏という行為自体が、実は傲慢なんですよね。
バリ活時代、友人をセミナーに連れて行き折伏しようとした時に言われました。
信心して宿命転換していかないと、と迫る幹部に対し
「まるで信心しなきゃ私が不幸になることが決まってると言われてるみたいで、不愉快だ」と。
そんなつもりで言ったんじゃない。あなたの幸せを思うから言ってるんだ。なんでわかってもらえないんだろう。
こんなやりとりを、何人もの友人としました。
こちらとしては、心の奥底から「相手の幸福を願う行動=折伏」と思いこんでいた。だから相手の弱点を
突いていた。
しかし、覚醒した今になって思えば、それら全ては単なる「恫喝」でした。

そういえば、池田老人の書籍に、「折伏は恋文のようでなくてはならない」というのがありました。
(女性抄だったかな・・うろ覚えですいません)
相手に不愉快な思いをさせることなく、その気にさせるということ。粘り強く根気よく、美辞麗句を並べろ。
乱暴な書き方をあえてしますがそんな内容でした。
けどそんなの「折伏」じゃない。単なる甘い語り口のセールスじゃんw 
当時はそこまで思いませんでしたが、折伏がそんなソフトなものでいいはずがない、それは摂受でしょう?と
疑問を感じた事を覚えています。

創価の行っていた「折伏」が、日蓮大聖人の本意と大きくかけ離れたものであることは明白です。
単なる票と金集めのコマを増やす活動にもかかわらず「崇高な使命」だと錯覚させ、たきつけ、
従順な会員をだまくらかしてコマ集めさせていただけ。
そのために、従順な人々の心に「傲慢」を植え付けた。とんでもないことだと思います。
最近の創価の信心は功徳を求めないというのが、私の中でかなりツボだったのですが、
確かにそうでしょう。実際、組織で頑張っている知り合いを見ていると、幸せな人がいないんです。
病気や事故や不幸が絶えません。
一時期(覚醒直後)は、偽本尊のせいなの?と思ったりしていましたがw
それはさておいても、「傲慢」を「正義」「破邪顕正」に誤変換し生きてきた、その結果なだけじゃないのかと
最近は思います。

現在、主人に脱会の意向を話してあります。
私は実家の母や親戚の手前があるので、池田老人Xデーを見届けてからにするけど、あなたは今すぐ
やめたければ手続きするからねと伝えましたが
「いちいち面倒だから一緒にやったらいいよ」と言ってくれています。

これまで長らく私を支配していた「傲慢」が、家族や友人たち関わった人のすべてを
不用意に傷つけ・不愉快にさせ・違和感をおぼえさせたことを猛省し・一生忘れず、
謙虚に前向きに、これからを生きて行くつもりです。

傲慢(2)

前回書いた、圏婦人部長の指導内容の続きです。

特定の相手もなく出会いもない、結婚できるのか不安があるが、そういったことを御本尊様に
どう祈念したらいいかわからないというメンバーの質問に対して
「紙に書かないと祈りは叶わないよ」と圏婦はいいました。それも、事細かに具体的に。
ただ「結婚したい」ではダメ。何歳までに・どういった人と(条件、環境etc)とにかく細かく書きなさい。
そしてお仏壇の近くに置いてご祈念しなさいと言いました。
これも池田老人の指導からで、池田老人は手帳(スケジュール帳)を御仏壇の前に置いて唱題していた。
スケジュールの他、創価の未来構想が書いてあり、それらが無事故で思い通りに進むようにと
ご祈念していたって話です。
ぼんやりとなんとなく祈念するなんてそんなものは届かない。御本尊様へのご祈念はいつも「誓願」で
なくてはならない。
ここで何故か(当時)公明党の浜四津さんの話題も出され、浜四津さんが御本尊様を叱咤するご祈念を
していたと聞きました。
「この祈り、叶えなくてどうするの!」と、強い祈念をして行かなければ願いなんて叶わないっていう
話でした。
「女子部は福子が多いから恵まれていて、どうしてもご祈念が弱い面がある」との苦言も呈されました。

私も子供の頃から母に「御祈りごとを書きなさい」と毎年お正月に書かされました。
叶うとひとつずつ線を引いて消していきます。小学生時代の祈念なんてかわいいものです。
「OOのグッズが欲しい」とか「OO(遊園地)に行きたい」など。それは母が見て頃合いを見て叶えて
くれました。そんな単純なことでも私は「御本尊様のお陰・功徳」と思いこんでいました。
中高生になると「OOのライブに行きたい」「最前列のチケットが欲しい」「OO(アーチスト)に会って
握手してもらいたい」そんな事ばかり書いてました。
最前列はとれなかったけど前から3列目がとれたらその願いは叶った事にしていました。
いま思うと、ばかばかしいけど、こうしてどんな些細なことでも「御本尊様のおかげ」「御本尊様への祈念は
絶対」という刷り込みをされていたことが問題だったと思います。
努力なしでも叶うような事まで御本尊様のお陰とする、依存体質になってしまって当然です。
そういえば、初めての5時間唱題をしたのは、高校受験の前日でしたw 
普通の親なら「勉強しなさい」って言いますよね。
うちの母は「5時間唱題しなさい、絶対勉強したところが試験に出るから」って言い、私はそれに素直に
従いましたw いま思えば無茶苦茶です。

どんな小さな事柄でも「書いて祈念する・叶った事を確認する」これもマインドコントロールの手法です。
祈念で叶ったか疑わしいようなことまで「御本尊様のおかげ」と感謝させる。
そういえば「功徳を頂いたら感謝の祈念をする」これも義務付けられていました。その姿勢が無いと
慢心に陥るからダメだっていう。
そうやって御本尊様への依存心を高めることが、ひいては組織への依存心を高めることとなる。
その積み重ねが「絶対感」を確実に育て上げて行くんです。卑劣なやり口だと思います。

この指導会の後、私は「次に出会った人を折伏して結婚します」と誓願の祈念を開始しました。
すると1ヶ月後に主人から数年ぶりの連絡がきたのです。
主人とはドロップアウト期間に会社のスポーツサークルの活動を通し知り合いました。
主人は練習試合相手のチームにいました。
当時は互いに恋愛感情もなく、大勢で遊びに行ったり飲み会をする仲間。二人で会った事もありません。
主人が転勤になり、私は職場をリストラされ、数年間連絡が途絶えていたところ、転勤で再び地元に
戻って来たんで飲み会しましょうとの、一斉送信メールでした。
大人数で再会しましたが、そのとき特に何か思う所もなく。翌月、共通の友人の結婚式2次会で再会。
それでも主人を特に意識する事はありませんでしたが、2ヶ月後に思いがけない場所で再会を果たしました。
お互い参加するとは知らなかった音楽イベント(フェス)に友人と行ったら、主人も友人と来ていたのです。
遠隔地で、広い敷地で、数万人規模が参加するイベントで偶然会った事に私は運命を感じました。
音楽の話をしたこともなかったけれど、同じアーチストを見に来ていた事が解りました。
ご祈念していた「次に出会った人」は「この人かもしれない」と思ったのです。
イベントがきっかけで主人との距離が縮まり、交際に発展した際、私は最初に筋を通すべく創価の会員で
役職がある。会合優先の生活をしていると話しました。
主人は私が女子部なんじゃないかと薄々感じていたらしいです。そして活動に関しては全然いいと思う、
応援する。でも信仰は自分には必要ない(だから入会しないよ)と言いました。
主人は異動がきまっており、時期未定でしたが、その時はついて来て欲しいと言いました。
暗にプロポーズだと私は思い「でも、うちの母は厳しい人だから、相手が創価じゃないなら結婚を認めないと
思う」と、脅しをかけてみました。
主人は「そんなの(母に)会ってみなきゃわからないでしょ」と取り合いませんでした。
そして、実は学生時代の友人から10年以上も折伏・仏法対話を受けている。会合参加・書籍を読んだ事も
あると話してくれました。
こんな仏縁ってある?!私は驚き、主人に出会わせてくれた御本尊様ありがとうと思いました。
功徳以外の何ものでもない。主人と出会うための今までだった(数々の失恋)と感謝の思いでした。

ただ、主人は難攻不落です。友人から10年以上も折伏を受けても、入会しないくらいですから。
私が話しても、「いい話だと思うけど、自分に信仰は必要ない」いつもこれで片付けられていました。
私の活動の邪魔をするような事は一切なく、いつも「頑張ってね」と励ましてくれます。
それが嬉しいような・突き離されたようで悲しいような複雑な気持ちでした。

ちなみに、何故主人が私を「女子部じゃないか?」と薄々感じていたか、その理由。
サークルで関わっていた当時、私は絶対に人の悪口を言ったり、否定するようなことを言わなかった
そうです。自覚は無いのですが。
普通の女の子は、少し仲良くなると、自分の弱みを見せるように?異性の興味を引きたいがためか
「OOさんが意地悪」とか「OOさんはああ見えて実は」的な打ち明け話をするらしいのです。
スポーツサークルだったので体育会っぽい上下関係もあり、そうなりやすかったのでしょう。
だけど私は誰に対してもそういった話をしたことが、そういえばありませんでした。
苦手な人は勿論いましたが、はっきりと敵意を向けられたり、不利益を被らない限りは問題にしないというか。
普通の人付き合いにも「創価の排他主義」を取り入れていたのかもしれません。
主人は当時、私の事を、隙が無く本心が解らない「すごくいい子」で、逆にキモチワルイと思っていたそうです。
そして主人に10年以上仏法対話を続けてきた男子部も私とまったく同じタイプらしくw
もしかしたら、そうなのかもなと感じたと言うのです。 鋭いと思いました。

実は、結婚後に勤務した会社の上司にも言われました。
「そつがなさすぎる。そんなにいい子でなくてもいいんだよ。旦那さんには我儘いってちゃんと甘えてるか?
 家庭内では息抜きしないといけないよ」と。
本当の私は、いい子ではありません。我儘だし怠惰で攻撃的なところもあります。
無意識のうちに、外でいい子を演じていたのかもしれません。
本心をなかなか言えない・自分の思いとは違っても、風向きを見て相手にあわせてしまうところ・
そういった部分は家庭と組織の中で培われたものだと、自身のこれまでを振り返って思います。
池田老人を師匠と思えなくても、組織の先輩にそんなこと正面切って訴えませんでした。
そんなことしたら袋叩きに遭う・問題視されることが解っていたからです。
黒いものを白だと師匠が言えば白になる。昨日の友も、今日の敵となる。
師弟観の無い私です。普通ならばそんな矛盾に満ちた狂った世界に居続ける意味なんて感じず、
反逆者といわれても異を唱えたでしょう。
私は師弟観が無い故に、居心地の悪さを感じても、黙って組織に居続けなければならなかった。
その理由は母との絆です。
私の実家でのよりどころは、母しかなく、その母と良好な関係を保っているためには、創価にいなければ
ならなかったのです。
こんな親子関係が、つい昨年まで、未活を長く続けても「創価を脱会する事は絶対に出来ない」との抑止力に
なっていました。

(3)に続きます。

傲慢(1)

御本尊様と信心への「絶対感」が強かった私は、20代半ばで外部と結婚の話がでた際
相手の親御さんから「創価の嫁はいらない」と言われ、結婚を諦めました。
当時の私からすれば、結婚によって御本尊様や信心を辞めるなんてことは考えられなかった。
結婚よりも信仰を取ったことで、当時の彼を傷つけました。
一般的な日本人に、好きな人との結婚より大事なものが「信仰」だなんて、受け入れがたい事だと
今は理解できます。
結婚をあきらめた理由は「絶対感」と、もうひとつ「母を悲しませ・悩ませたくない」ということが
ありました。
兄や姉の結婚で、母が創価の信心を主張するあまりきょうだい・そのつれあいと関係がこじれ
傷つき悩み、こんこんと唱題するのを見てきただけに
私だけは母に喜んでもらえる・文句のつけようがない結婚をしたいと考えていました。
また、それは兄や姉に対するコンプレックスの裏返しでもあり。
学歴も経歴も2人に及ばない私だけど、親の喜ぶ結婚をすることで見返したかったというか。
今となれば、ばからしいのですが。

姉の結婚の際も、創価の事で婚約者と母が険悪な仲になりました。
相手の男性がアンチ創価で、インターネットで得た知識で頭でっかちでした。
どういうわけか、最初の挨拶に来た時、うちの母を覚醒させるつもりだったのか喧嘩腰で
挑んできました。
二人は数年間同棲しており、姉が常々、母親と関係が悪い。創価の信心をごり押ししてくるから
うんざりで、縁切りしたいと彼に話していたのが原因(姉談)のようですが、
今思い返しても非常識な男でした。
結婚の許しを得にきたのに、母にダメ出しするような発言を繰り返したのです。
当然母は激怒し、結婚を反対し、彼を実家出入り禁止にしたのです。
父も彼の礼節をわきまえない態度に、姉の事を本当に大事に思うなら最初から喧嘩腰でくるはずは
ない・姉にふさわしくない相手だと、結婚を考え直すよう姉に言いました。
しかし姉は反対を押し切り入籍しました。 結婚式はしませんでした。
そして諸事情から、数年後に離婚。
私が彼に会ったのは実家に挨拶に来たとき一度だけです。
実家出禁にしたので、彼がうちの敷居をまたぐ事は入籍後、ありませんでした。
毎年お正月に姉一人で挨拶に顔を見せていましたが、実家では彼の存在は無い物になっていて、
私も敢えて「旦那さんはどうしたの(連れて来ないの)?」と聞く事はなかった。
いま思えばこんな不自然な事ってないと思うんですが、当時の私にとって姉の旦那さんは
「母を傷つけ私を不愉快にさせた、私たち家族と創価の敵」 無視して当然でした。
こんな態度のどこにも仏性なんてありません。
私は”日顕宗を撲滅せよ”という池田老人や創価幹部の指示に対しては、それはおかしいと思い・
会った事もしゃべった事もない阿部法主を「自分の敵」だと実感できなかったのでスルーできましたが、
目に見える・身近なわかりやすい「敵」に対しては「悪は攻めて攻めて攻め抜く」をやっていたのです。
信心の、創価の悪口を言うやつは許さないと思っていました。
創価の人は排他的といわれますが、本当にその通りです。 
実は元旦那に手紙を書いた事もありました。挨拶に来た時の態度が許せなかったからです。
母へ謝罪しろ・家族に受け入れてもらいたければ態度を改め、御書を学ぶべきだと書きました。
しかし、その手紙に返事もリアクションもありませんでした。
覚醒後、姉にその件を伝えたんですが(不幸の手紙を送ったと)、姉は元旦那から何も聞いてないと
言ってました。
元旦那はどんな思いでその手紙を読んだのでしょうか。
”創価の人って怖いな、二度と関わりたくない”と思われたかもしれませんw
(余談ですが、姉は再婚し、現在幸せに暮らしております)

20代後半の再活動期、私が結婚に対して決めた事は
「外部を折伏しよう。無理ならもう一生独身」でした。

何故、男子部との結婚を考えなかったか。
その理由は20代前半の活動期に男子部と交際をして嫌な思いをしたからです。
後にも先にも、男子部と交際したのはその1人だけ。
同じ地域で地区リーダー同士、家も近かったし、幼馴染でもありました。
男子部で、モテる人は限られます。私が交際した相手もそうで、女子部の間で「あのカッコいい人」と
有名でした。 牙城会をしていたので顔を知られていたのです。
そして、そんなモテる人は女子部から女子部を渡り歩く。
私の場合も例にもれずで、交際期間がかぶっていました。
私と別れてすぐ、女子部の妊娠がわかり、そちらとおめでた婚しました。
ちなみに、私の前に交際していた相手も女子部で、同じ部の人です。
男子部のいやなところは「結婚しても地元を離れない」事です。
役職のせいもあるんでしょうが、結婚後も居住地を遠方に移さない。本部管内に住む。
モトカノと会館で会う可能性も十分あると解っていながら、妊婦の嫁と嬉しそうに同中に参加したり
するわけですw
そういう、デリカシーの無い人が残念ながら私のいた地域には多かった。 このテの話はよく聞きました。
活動家の男子部は出会いの場も限られ、どうしても組織内恋愛になってしまうのでしょうが
地元を出て行かないというのは、致命的だと思っていました。

再活動期、組織で「婦女一体」の活動が始まりました。
婦人部と女子部の連携を密にし、家庭訪問に一緒に行ったり、会合に圏以上の婦人幹部を招いて
指導会を行っていました。
あるとき、女子幹部上がりで厳しいと有名な圏婦人部長の指導会がありました。
30代メンバー限定で、テーマ「結婚」。
圏婦は「30代まで女子部で訓練受けておいて、今さら外部を折伏出来ずに結婚なんてかっこ悪い事は
しないでほしい」と言いました。
つまり、10年近く女子部で訓練うけてるんだから、きっちり折伏決めて結婚しなさいって事。
自分の名前で分所帯し、主人は未入会なんてかっこ悪いというのです。
これってものすごいプレッシャーだと感じました。
女子部はただでさえ出会いも少なく、創価のためにと青春を捧げ切ってる人も多いのに、結婚まで
ハードル上げられたらたまったもんじゃありません。
外部の相手を折伏せずに嫁に行くと「使命を果たさずに行った」と言われる風潮も、女子部の婚期を
遅らせる要因になっていたと思います。

参加メンバーの一人が、交際中で結婚を視野に入れている相手がいるが、どう折伏にもって行ったらいいか
わからない・相手にはぐらかされると質問しました。
すると圏婦は「相手に”私と結婚するって事は、もれなく御本尊様と学会がついてくるって事なんだよ
あなた得したね!”と明るく言ってやりなさい」とw
「そしてとにかくお題目を上げ切って行く事。こちらの腹が決まれば、相手の腹も決まる。
 本当にあなた自身のことを好きなら、入会しますよ。細かい事、ぐちゃぐちゃいうような相手なら
 こっちから願い下げにすればいい」と答えていました。
女子部たるもの、毅然としなさい!と池田老人の指導からの言葉もありました。
頷きながらメモを取るメンバーもいましたが、私は懐疑的だと思いながら聞いていました。
ただ「本当にあなた自身のことを好きなら、入会しますよ」このフレーズは刺さりました。
確かに惚れた弱みってあるかもしれない・・そんな甘い事を考えたのです。
だがしかし、惚れた弱みだけで創価に入会するような男性って全く賢明ではないですよね・・w
(もしいらっしゃったらごめんなさい)。

後年聞いたのですが、件の圏婦人部長は組織内お見合いで結婚していました。
そんな人が外部との結婚について上からアドバイスしていたなんて、お笑いです。
経験もないのに、なんでもかんでも「池田先生はこう仰ってる」と綺麗事で指導する幹部の多かった事。
従順なメンバーは真剣なまなざしでその指導に耳を傾け、受け止めていた。
私は幸いにも家庭内プロパガンダを受けなかったので「池田先生がこう仰ってる」に対し
ひれ伏すようなことはありませんでしたが・・。
なぜに、池田老人はそこまでのカリスマになりあがることができたんでしょうか?
人間革命というフィクション小説のおかげなんでしょうか。
全く惹かれなかった私からすると、池田老人を師匠と崇める人の深層心理に今、とても興味があります。

(2)に続きます。

家族という魔(3)

家庭内の対立軸が、実家における大問題で、母の教育ですっかり創価脳に育っていた私は
「父やきょうだい2人が信心をしないから・学会理解をしないから、うちの家族は仲が悪い」と
つい一昨年まで、ずっと思っていました。
あくまでも、信心や学会組織を理解しない父や2人のきょうだいが悪いのであって、
対立の原因を「母と自分が信心しているせい」にした事はなかったんです。
そして、私の青年部時代の活動モチベーションのひとつが”両親の不仲解決祈念”でした。
それには父の創価への理解が不可欠だと思っており、
あくまでも父に「こっち側」に歩み寄ってもらう事でした。

私は外部の主人と結婚してさまざまな気づきがあり、覚醒に至る下地が出来ました。
主人の家族を見ていて、私が育った家庭が随分といびつなもので、私自身がその影響を大きく受けて
生きづらさを感じるようになっていた事に気が付きました。
義実家は、日本人らしい宗教観です(浄土宗で、神社も参拝)。
当然のことながら、誰も宗教祭祀・政治思想でもめる事はありません。
最初は、単純に義実家が仲良し家族なんだろうと思っていました。しかし長く関わるにつけ、これは
宗教の問題ではないか?と思うようになりました。
創価が私たち家族の和楽の邪魔をしているのでは?と気がついたのです。

結婚の際、私の父は主人と会う前に
「相手の親御さんが創価の信心を了承しているのか?無理なら結婚はあきらめなさい。
 親御さんのOKが取れていないなら、会う必要はない」と言いました。
アンチ創価の父の口から、こんな言葉が出た事に驚きながらも、私は主人にこの件を話しました。
私から直接義両親に尋ねる事になり、実家を訪れた際
義両親は「若くして信仰を持っているなんてすばらしい。私たちも信仰を持っている。
おたがいの信仰を尊重し、押しつけ合わず、侵さないようにしましょう」と言ってくれました。
つまり、容認はするが、家庭内折伏はしてくれるなという意味です。
それでもはっきりと「創価の嫁なんていらない」と言われなかっただけ、私はありがたいと思いました。
父にこの事を話すと「最初が肝心なんだよ。あとでわかってそんな嫁いらないって、返品されても
 困るからな」と言っていました。
いま思えば、父は一般人の良識をもっていたからこそ、私や母が創価の信心を持っていることで
一般家庭の人と無用なトラブルをおこさないように、最初に筋を通し・注意を払ってくれたのでしょう。
また、私が新しい家族の中で、信仰のせいで悲しい辛い思いをしないようにとの、娘を思う親心だったと
思います。

独身時代、実家に住んでいた頃、父と和やかに会話をした記憶が殆ど無く、結婚後やっと普通に
話せるようになりました。
父は、私の主人や子供(孫)を前にすると、本当に柔和なリラックスした表情で、笑顔で話していました。
そんな父をみたことが、独身時代一度も無かったので本当に驚きました。
父の笑顔を引きだしてくれた、主人と子供たちに感謝しました。
だけどいま思えば、父は誰に対してだってそんな笑顔を向けられる人だったんです。
母と私が「創価学会」という組織に属し、猛信的色眼鏡で父をみていたから、父も私や母に対して
厳しい姿勢で挑み、お互いにわかりあえなかっただけなんだと、脱会を決意して以降に解りました。

父は、私たちに「目を覚ませ!」と、言い続けてくれていました。
「お前たちは、組織にだまされている」と、しょっちゅう言われました。
一番身近な父のその言葉を、父の存命中、全く素直に受け止める事は出来ませんでした。
そこには母の刷り込み
「この信心は正しい。正しいが故に魔が競う。
 お父さんの強固な反対姿勢は、その”魔”なのだ。
 お父さんに魔が入って、私たちを怒鳴ったり脅したりして、信心をためしているのよ。
 だけど、それに恐れをなしてひいてはいけない。一歩も引いてはならない。それは不幸の始まりになる。
 私たちが、反対に屈せずに信心を貫けば、お父さんが理解する日はきっと来るのだから」と。
これも、おそらく、母が幹部から聞いた指導のウケウリでしょう。
私は、こんな組織に都合のいい教えを、幼少期から叩きこまれていました。
なので、父の言葉を「魔のたわごと」と受け止めていたのです。

家族の反対を「魔」扱いするなんて、そもそもどうかしています。
女子部時代に聞いた体験発表で、アンチ創価の父に最後まで活動を反対され続け・その父が病死したとき
「父が猛反対してくれたからこそ、私は強い信心を貫く事が出来た。父に感謝した」というものがありました。
当時は、そんなものかなと思いながら感心して聞いてましたが、こんな発想じたい、おかしい。
究極どっちが大事なの?って話で、生みの親よりも信心=この時勢では学会と師匠の池田老人って事でしょう。
こんな結論、人の尊厳を完全に失っています。
これのなにのどこが「人間主義」なのか。もう、理論的に破綻してる事は解ってるので問い詰めませんが
親や家族に反対されても創価の信仰を貫くなんて、そんな事は馬鹿げています。
そんなことしても幸福になりません。損はしても得は一切ない。
人生において、取り返しのつかない後悔が増えるだけです。
もし、親や家族に信心を反対されながらも「永遠の幸福境涯のため」「世界平和のため」「一家和楽のため」
と、創価の言いなりに信心に励んでいる人がいたら、すぐにやめて欲しい。
家族と良好な関係修復に努め、笑顔で向き合う時間を過ごす方が、人生においてどれほど建設的かと思います。

父の急逝時、私はまだマインドコントロールのさなかにいました。
最後まで組織理解を示さなかった父の死を、私は悲しいというよりも「残念」だと感じていました。
私の結婚後、やっと普通に話が出来るようになったのに。
もっと色々、話したかったと思いました。

マインドコントロールのとけた今は、父に申し訳ない思いでいっぱいです。
ずっと、本当の事を訴え続けてくれていた父を、色眼鏡で見てきた。
「この信心の凄さが解らない、可哀相な人」と、上から目線で思っていた。
けど頭が悪いばかりに組織に騙され、いいように使われ搾取されて可哀相なのは、私の方でした。
もっと早くに私が覚醒していればと、後悔してもきりがありません。
あらゆる出来事を思い返すと、鬱になりそう。だからもう、私はそれら煩わしいことに蓋をすると決めました。
私には私の家族や家庭があって、子供は日々育っていて、つまらないことで成長を見逃したくない。
立ち止まっている暇はないからです。

そして、父の死後と少し遅くはなりましたが、組織の矛盾に気付けて本当に良かったと思っています。
父が一番心配したのはきっと、私が新たに主人と築く家庭を、実家と同じものにしてもらいたくないって
事だったと思うので。
私と主人が信心で対立し、子供の一番身近な存在である私が子供に洗脳教育をし、創価一色にし、
父親を「学会や信心を理解できない、可哀相な人」なんて思わせてしまう、そんな不幸な歴史を
繰り返してもらいたくはない。
父が私に訴えたかったことだと思います。

40年以上かかって間違いに気がついた。
戻らない過去を悔いるよりも、前を向いて、やり直したい。
それが、ずっと真実を訴え続けてくれた父への供養になると信じています。

家族という魔(2)

私の母の、信心におけるスローガンは50年近く「一家和楽」(の信心)で、未だ達成されません。
池田老人が書いた色紙も、実家の仏間に飾ってありますw

母における一家和楽の信心とは、家族全員が信心をすること。
創価の活動を理解し、参加する事です。
地元にそんなご家庭がいくつもありました。お父さんお母さんは地域の役職を持ち、
子供たちも従順に活動に就いている。いつもにこにこ・家族みんなで座談会に出席。
母の理想の家庭像で「いいわね、うらやましいわ」といつも話していました。

私も母の英才教育を受けていたので、家族全員が信心をすることが一番の理想なのだと信じて
疑いませんでした。
しかし女子部にあがると、親の反対をうけながらひとり入信し頑張るメンバーがいたり・お父さんかお母さんの
どちらかが入信していて、片方は反対で、迫害(?)を受けつつも活動に参加するメンバーがいました。
そういったメンバーに対して幹部は
「家庭のなかでたった1人でいいんだよ。たった1人でも信心を頑張っていれば、三世にわたる功徳がある。
先祖も、今の家族も、孫末代も福運で飾られていく。
一人でも頑張っている事が尊いと、池田先生が仰ってます。だから大丈夫ですよ」と励ましていました。
ムムッ、そういう事?
「じゃあ、一家和楽の信心って何ですか?」私はすかさず質問しました。
幹部は「家族全員が喜んで信心をできること」と答え、究極はそこを目指していかなくてはいけない。
自分たちの振る舞いで、創価に反対する家族の心を変え、導いて行くことが大事なんですと答えました。
当時はこの回答に納得しました。
その場では「よし!」と思うのですが、家に帰ると「無理でしょ」となります。
活動家になった私と母が、居間で会合や指導の話で盛り上がっていると、父が怒って雑誌や本を
投げてき、「俺のいる前でそんな話するな。よそでやれ!」と怒鳴るのです。
聖教新聞も居間に置けませんでした。仏間が定位置です。
父が在宅時の夜のごん行は声を出さずにしていました。うるさいからやめてくれとの要望で。
私が活動に出ることについて大きな反対はありませんでしたが、帰宅が遅い事については常に怒ってました。
創価学会は夜に若い女性をほっつき歩かせてどういう了見なのかと嫌味を言っていましたし、
「お前に何かあったとしても、個人の過失だと言って創価学会は責任を取らないぞ?」と言われる事も
ありました。
これに関して、現在はほんとそのとおりだ、と感じます。
余談ですが、私の実家の周辺は住宅地ですが極端に街灯が少ないんです。
夏休みに実家に帰った折、ひとりで夜8時にコンビニに徒歩で行ったんですが、人通りも少ないし
暗いわで、行き帰りものすごくドキドキしました。
今、通り魔に遭っても、誰も気づかなくてもおかしくないよねって感じで・・。
女子部で頑張ってた当時はコンビニもまだなく、もっと暗い夜道を、近場の会合の際は自転車や徒歩で
22時すぎに平気で帰宅してました。 若さゆえだったのか、怖いと思った事は無かったです。
父からしたらそりゃ心配だったろうし、非常識に感じ、非難しても仕方ないと納得しました。
実際、県で事故もありました。
そこから女子部は帰宅21時厳守になったんですが、部長以上の会合は平気で21時からとられてましたし、
圏幹部になると22時に会館ってこともありましたから、本当に創価って非常識だったなと今になって思います。

選挙になると揉めるので、それも憂鬱でした。
父は政治討論番組が好きでよく見ており、本や新聞(一般紙)を常に読んでいて、政治の知識は学会員の
数百倍あったと思います。
なので、母や私が公明党の政策はすばらしいだの、組織からおりてきた話をそのまますることに
我慢がならなかったようで、しょっちゅう喧嘩してました。
政治に宗教団体が介入する事を父は絶対におかしい、お前たちは騙されている!と毎回言ってました。
私は父の話が始まると、あースイッチ入っちゃった・・ってかんじで、だらっと聞いてました。
そんな姿が余計に怒りを増幅させていたと思います。 
そして母は、父が公明党になんて絶対票を投じないというと「罰が当たるわよ」と平気で言いました。
こんな環境下で、一般常識人の父が狂わなかった事は奇跡だと思います・・。

一家和楽なんて言葉に、母がとらわれず、「家庭の中で、たった1人でもやっていれば尊い」を採用し
他の家族に押しつけずに居れば、まだ良好な関係を保てたのかもしれません。
家を離れた兄や姉に対しても、母は新聞を贈呈してみたり・時折電話を入れて近況を聞いては
最後に「信心や学会から逃げていてはダメ。つまずいてからでは遅いのよ」と呪文のように言うのです。
ほとぼりが冷めたころ兄嫁に創価の書籍(かねこ抄)を送りつけたりしてましたし。
きょうだいに喜ばしい事があれば「良かったじゃない、お母さん、毎日祈ってたわよ!」といい
マイナスな事があれば「それみたことか」です。
信仰に依らず、本当に真面目に現実と闘い、社会で実証を示している兄や姉からすれば
なんでもかんでも信心と絡めてくる母親と話すのは、徒労・苦痛以外の何ものでもないでしょう。
兄は結婚後ほとんど実家に帰ってきていません。
母は兄の子供たち(孫)にも殆ど会った事が無く、父の葬儀の際に会えたのですが、すっかり青少年に
なっていたので「可愛げがないわね」なんて言っていました。
小さくて可愛い時代に会えなかったのは自業自得なんですが。自覚が無いようです。

創価が標榜する「一家和楽の信心」とは、囲い込み・精神的に追い込む言葉だと思います。
家族の誰かが非活や未活であることに負い目を感じさせる作用が確実にありました。
創価の地域組織って結局、相互監視社会だから。
私がバリ活だったころ、壮年部のおじさんたちが、父に会合に出るよう頼んで欲しいと言ってきました。
家庭訪問NGだったので、壮年部から頼めなかった故です。
私は「言ってもいいけど、うちの父は来ませんよ」と答えていました。
すると壮年部のおじさんが「そこは娘の信心でお願いしますよ~」というのです。
毎回こう言われて、むっとしました。いや、すんごい腹立たしかったです。
うちの父にそんなもの通用しないんだよ・通用してたら苦労しないよ!と心で叫んでいた。
まるで父親が創価の活動に出て来ないのは、家族の責任と言われているようでむかつきました。
で、そういった壮年幹部の子女に限って未活非活だから笑わせんなよ、でした。
逆に言ってやることもありました「じゃあ娘さんおねがいしますね、お父さんの信心で」って。
おじさんは苦笑いしてましたw 

実家の母は、非活の父や子供たち(とその配偶者)に信心をやってもらいたい一心で
信心・活動を頑張ってきたといっても過言ではありません。
父は逝ってしまいましたが、遺された家族にわかってもらいたいと今も一生懸命です。
折伏のご祈念板には、兄嫁と孫の名前も並んでます。それを組織の人も知っているから、いつ出来そう?
頑張ろうね、みたいにいわれて、それがプレッシャーになっている気がします。

私も覚醒前までは、母の狂おしい思いが伝わってきて、早く家族が解る日がくればいいなと思って
いました。
だがしかし、覚醒してみると、母が創価の標榜する「一家和楽」を手放すことができれば
あっというまに家族の仲は良くなって、普通に楽しく過ごせるんじゃ、と思うようになりました。
なんといっても、私が覚醒後、姉との関係が格段に良くなりました。
一生分かり合えないだろうと思っていたのにです(向こうも、私の事は宇宙人だと思うようにしてきた
らしいです)。

「一家和楽」という言葉が強迫観念になって、家族やその配偶者・孫の入会に躍起になる親世代も
多いと思います。
無理強いすればどんどんこじれる関係もあるのに、「絶対感」を持つ創価の親はそんなことおかまいなし。
「信教の自由」という国の定めも、絶対感の前では何の力も持ちません。
創価の組織内だけ治外法権なのかと思うほどです。

創価のサイトには
「一家和楽の信心」とは、
この仏法が、自分一人だけでなく、一家、一族の繁栄を実現するものである、ということです。
「和楽」とは、仲が良く、楽しいことです。

こう説明がありました。
はっきりと「家族全員が創価の活動家になる」とは書いてないんですね。
指導上、逃げを作っておくためでしょうか。

余談ですがこの一家和楽の信心は、戸田先生が「永遠の三指針」として示したうちの1つ。
面白い事が書いてあり、2003年に池田老人が2つ加えて「永遠の五指針」になったそうです。
それを「師弟の合作」と表現していましたw どうなんでしょうそれ。
2003年当時、おもいっきりバリ活やってたのに、知りませんでした。

追加の2つが「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」
池田老人の願望がありありと出ていて、苦笑してしまいます・・w

(3)に続きます。

家族という魔(1)

私の家族について。
少し前にも書きましたが、機能不全家庭でした。
父はアンチ創価。兄と姉は父と考えを同じくし、母の事を煙たがっていました。
母は熱心な創価学会員です。私は母の影響で御本尊様と信心は絶対だと思って来ましたし、
母と同じく、この信心がわからない父やきょうだいを「かわいそうな人達」と見下していました。

兄姉と5歳以上の年齢のひらきがあり、私は末っ子です。
最近、姉から聞いて解った事なのですが、母が婦人部の活動に熱中しはじめたのは
私が幼稚園生の頃だそうです。
兄、姉ともに、会合につれまわされたという記憶がないらしく、ごん行を覚えなさいとか
朝夕、必ずお仏壇前に座って御本尊様に御挨拶(三唱)しなさいと言いだしたのは、家を新築して
仏間ができた時期(=私が幼稚園の頃)だったということでした。
それで納得しました、兄や姉がアンチ創価で生きて来られた訳がw
私は自我がはっきり芽生える前から母の英才教育を受けた形です。兄姉は、もう小学校高学年。
母の押しつけをはねかえすだけの意志をもっていたのです。

父は仕事が忙しく出張がちでした。
母のきょうだいに幹部が多く、昼夜を問わず会合へ出かけ、子供だけで留守番させているのを
父はよく思っておらず(のちに非行に走った子も多かったので)
母に「夜の活動は一切禁止」していました。見張り役は兄と姉です。
母はそれを苦々しく思っていたようで、その反動か昼~夕方までいつも不在。私たちは鍵っこでした。
そのせいで、翌日学校へ持って行く物が揃わなかったり(お店が閉まった後で買えなかった)
しました。
兄や姉はそういった事柄を、逐一父に報告して、たびたび母は父から怒鳴られていました。
私はそれを見るのが辛くて、母が活動で遅くなって私が迷惑被るような事があっても
絶対にそれを誰にも言いませんでした。 母を庇っていたんです。
ただ、一度どうしようもなく辛い出来事がありました。
小学校の宿泊学習から戻り、親が学校まで迎えに来ないと帰れないという事がありました。
初の宿泊学習なので、担任から親に直接引き継ぎというか、一言お話しするという趣旨です。
私の母はプリントを見落としていたらしく、学校に迎えに来なかったのです。
中にはお仕事しているお母さんも居て、解散時間から遅れてお迎えに来る人も居たので
私も居残り組にまじって待っていたんですが、とうとう最後の一人になってしまいました。
当時は携帯電話もありません。先生が自宅に電話をしても、出るのはきょうだいです。
結局、先生が私を自宅へ送ってくれました。 父は出張中でした。
そこへ活動を終えた母が自転車で戻ってき、先生が母を説教しました。こんなの前代未聞ですよと。
母は平身低頭謝罪してましたが、私は疲れと・迎えに来てもらえなかった悲しみと・母が先生から
怒られているという慣れない状況で、号泣してしまいました。
当然これを黙っている兄姉ではありません。帰宅した父に報告。父は激怒し、母に暴力をふるいました。
それを見た瞬間、私は「自分のせいだ」と思い、父に謝りながら止めに入ったのです。
そしてきょうだいのことを罵倒しました。「おまえらが余計な事しゃべるからいけないんだぞ」と。
きょうだいにしてみれば、私を思って(?)の行動なのに、私が怒りをぶつけた事に憤慨しました。
もう、家族全体、怒りの方向がバラバラで、しばらく家の中は険悪ムードでした。
この経験から、きょうだいにも親にも、自分の本心を言わなくなりました。
心の中で悪態ついても、ぶすっとした表情だけ見せる。 気に入らない事は表現するけど言葉にはしない。
兄や姉から私が嫌われた事は言うまでもなく、家庭内いじめのようなこともありました。
子供にとって家庭がシェルターでなくなると、周囲との差異がでてきます。学校でいじめにも遭いました。
私の心のよりどころは御本尊様しかありません。
悔しい事・悲しい事があったらすぐ仏壇の前に座ってお題目を上げていました。
我ながら、精神的に可哀相な幼少期だったとおもいます。

心の休まることがない家の中で、自分の部屋と、締め切った仏間だけが落ち着く空間です。
兄姉は仏間に入ってきませんでした。入れば母から「ごん行するの?」って言われるから。
食事時などもいつも誰かが苛々していて、食べ終わったら逃げるように部屋に帰っていたほど。
家族団欒なんて経験したこと、ありませんでした。
兄も姉も大学は県外で実家を出て行き、私の心の平和は中学生の頃に訪れました。
一人っ子状態で、わがまま放題です。暗かった性格も明るくなりました。
父は相変わらず出張がちで、母と私で夜の会合に行くようになりました。
母は私が小学生時代、辛い思いをしていたのを知っているので言いました、
「祥蘭ちゃん、これを”冬は必ず春となる”っていうんだよ」と。
なんて良い言葉だろう。大聖人様ってすごいなぁ、私はそう思っていました。
この当時、父と母と私の3人でお正月に正宗寺院に行った記憶があります。
父はアンチ創価ですが、登山にも参加していたし、正宗寄りだったのかもしれませんがよくわかりません。
そういった話をしないままだったので。いま思えばもっと話せばよかったのですが、
私にとっての父は信仰の敵であり「魔」だったから、距離があったと言うか、ちゃんと話ができませんでした。
実の父親に対してそんなことを思うなんて本当に悲しいことです。覚醒後、この件については
思い返すたびに後悔で、涙が出てきます。一生この後悔は忘れないと思います。

兄姉ともに中学受験をし、有名私立を経て有名大、国立大へ進みました。
常々、優秀なきょうだいと比較されるようなことを父から言われるのも辛かった。
でも母は勉強なんかできなくてもいい、大事なのは信心だよって慰め励ましてくれる。
人間、楽な方に流れます。当然私は、優しい言葉をかけてくれる母が大好きで、現実的なことばかりいう
父が嫌いでした。
いま、親の立場になると、父の方が正しかったし、父の言葉の本意を見ようともせず楽な方に流れた
自分が情けないです。
これも、マインドコントロールのせいだと思っています。創価の人は「それは違う」って言いそうだけど
違いません。マインドコントロールのせいです。

私は向上心がなく、中学も地元だったし・高校も友達の多くが進む近くの公立校を選びました。
大学選びとなっても、偏差値の低いところしか狙えません。
私は手に職をつけた方がいいんじゃないかと考え、専門学校への進学を希望しますが、父から反対を受け
あっさり大学受験に変更しました。
母は「創大に行って欲しい」と熱望しましたが、私は興味が無く、父は創大にお金は出さないと言うので
却下でした。 
母は、子供が3人も居て1人くらい創価教育を出したかったと、いまだに言います。
孫の一人でもいいから行って欲しいと、私に勧めてきますが、絶対に行かせたくありません・・。
一人暮らしをお前にはさせられない、他の2人と違って根なし草だからと父に言われ、実家から通える
距離の大学を選んで受験しました。
なんとか合格した大学に通いながら、バイトと遊びに明け暮れていました。

そんな中、兄の結婚が決まり、暫く平和だった家の中が宗教によって荒れました。
兄は創価の自覚なんて、ありません。活動に参加したこともないし、大学・就職で地元を離れ
遠隔地で生活していますが、統監カードは地元に置いていました(無用な家庭訪問を避けるため)。
母も、兄が頑な事はわかっていたのですが、なにせ長男だし・結婚の時は分所帯で御本尊様を
うけるべきだと主張しました。
しかし、兄が聞き入れないと解ると、婚約者に「うちの宗教は創価です。嫁に来るんだから入会するのが
あたりまえです」と直接連絡を取り言ったのです。
兄は、婚約者に創価の事は話してませんでした。婚約者の親御さんはアンチ創価でした。
破談にしてほしいといわれ、兄が激怒し、親子の縁を切りたいと父に連絡してきました。
父と母のケンカの原因は、9割が創価の事なのです。
私は、この当時はマインドコントロールにかかっていたので、なんで兄や兄嫁や父が創価を理解できない・
認めようとしないのかが、わからなかったし、そっちが歩み寄ってくれれば解決する簡単な話じゃん!って
思ってました。
あくまでも、相手が歩み寄るべきで、自分たち(創価の信心ごり押し側)が歩み寄る気はさらさらありません。
その背景は「絶対感」です。
この信心が、絶対的に正しくて、世の中に2つとないものだから。歩み寄るのはそっちの方だ。
そんな考えを平気でしていました。
これって、とっても恐ろしい事です。話し合いの姿勢なんてありません。こっちが絶対に正しいって
思いこんでるから、話し合いにならないんです。
三つ子の魂百までもといいますが、幼少期からの刷り込みは大悪、害毒です。
私の場合、御本尊様や信心が絶対である事は、太陽が東から昇り西へ沈む「法則」同然になってました。
理屈じゃないんです、もう。

結果、父がお嫁さんの実家へ出向いて詫びを入れ、母の暴走だったこと・今後一切の連絡窓口は父が
おこなうことなど約束して事なきを得ました。
最近になって姉が話してくれたんですが、この当時の母は更年期障害が酷く、若干鬱ぽくもあり
向精神薬を服用しており、正気の沙汰ではなかったということでした。
姉は兄から電話で相談をうけていたので、父に「もう(母と)離婚したら?」とたまりかねず言ったそうです。
すると父から母のメンタルについて説明があり、そういった訳だから理解しないといけないと
いわれたとのこと。
私は、なーんにも知りませんでした。そして当時、創価や信心を理解しない家族たちがみんな敵で
「魔」だとおもっていました。とんだ間違いでした。

(2)に続きます。

広告塔

活動をドロップアウトしていた当時、勤務先に出入りしている営業マンに声をかけられました。
その人は女子社員のあいだで「王子」と呼ばれるほどのイケメンで、スーツ姿も他の営業さんと
比べると数ランク上でした。 いいもの着てる・靴やバッグや時計もお金かかってるなって感じです。
大手メーカーさんだったから、お給料いいんだろうねって噂していました。
でも、どう考えてもその年齢(20代後半)にしては派手って印象。
「きっと親がお金持ちに違いない」と皆、思っていました。
そんな王子から食事に行こうと誘われたのです、私は指折り数えて約束の日を待ちました。

王子と食事に行き、最初はたわいもないことを話していたのですが
突然「君、どっかで喋りの訓練受けてるの?」と聞くのです。驚きました。
どうしてそう思ったんですか?と尋ねると、発声が違うんだよねと。
仕事で私と電話のやりとりが多かったので、気になっていたと言うのです。
声が通るし、語気がしっかり・はっきりしてる。ナレーターコンパニオンとか目指してるの?と。
この時思いました、白蓮でうけた訓練の賜物だとw
何も目指してないです、と答えると、その声を生かさない?と持ちかけられました。
何かと思えば、ネットワークビジネスのサクラでした。

後日、とある会場に呼び出されました。行ってみると私と同世代の男女が集まっていました。
賑々しい音楽と共に男女の司会者が現れて、ビジネスで成功を掴んだ会員のお話を
聞いて頂きます、それではOOさんどうぞーと、一人の小奇麗なOL風の女性が登壇しました。
どこにでもいそうな、柔らかい雰囲気の女性です。
貧しい家庭に育って、就職してやっと落ち着いたかと思えば、男に騙されてなけなしの貯金を
奪われた。そんなとき友人からこのビジネスの話を聞いた。
半信半疑ではじめてみると、最初の月は10万円程度だったが、半年を超えるあたりから
収入が50万円を超えるようになり、進学をあきらめていたきょうだいの援助もできるようになった。
このビジネスと出会えた事を感謝している。
次は自分の上にいるリーダーを目標に月収3ケタを目指している。
先輩方の成功談を聞いていると、みんな私と同じく学歴もなく・親が資産家だったわけでもない・
一般庶民でもやる気と考え方の変革次第で富を得られることがわかる。要は気の問題。
このビジネスを始めることで、皆さんにも豊かに幸福になってもらいたいと、爽やかに訴えるのです。
決して芝居がかって無いところがまた、リアリティがありました。
女性の後は男性の登壇で、王子でした。
既にファンも居るのか参加者の女性から黄色い声援があがっていました。
時に笑いを交えながら成功談を語り、最近高級外車を買いましたと言って会場をどよめかせていました。

王子はこのネットワークビジネスの、登壇者(サクラ)をやって、会員を勧誘し報酬をもらって
いたのです。
本人はビジネスに手を染めているわけじゃないんです。あくまでもサクラなので。
年齢にふさわしくない持ち物は報酬で得たお金が原資だったと解りました。
そして王子は、私にもサクラをやらないか?と言ったのです。
あくまでも本業にせず、サイドビジネスとして勧誘しているので、大手・中堅企業に勤めている
普通のOLがやっている、というのも一般の人に対し「自分にもできそう」「間違いなさそう」という
信用力になるとのことでした。
勧誘がいやだったら、登壇だけでも1回5000円でどうかと持ちかけられました。

当時、このテのマルチやねずみ講が流行ってて、友人から誘いをうけたこともありました。
でもその時は、友人本人がハマっており(既にお金をいくらか投資した後で)リアルにやっている人間の
誘いでした。
まさかサクラがいただなんて知らなかった私は衝撃を受けました。
あの友人たちも、サクラ(実際にビジネスはやってなく、用意された台本を読んでる)に騙されて
始めたんじゃないかと思うと、いたたまれない気持ちになったし、世の中が恐ろしくなりました。
要は登壇者の”見た目”と”語り口”で
「自分もこのビジネスをはじめたら、あんな風になれるかも」と憧れを抱かせ、騙してるって事だから。
実際ビジネスで儲けてる人なんてほとんどおらず、上層部と運営側(サクラ)だけが甘い蜜吸ってると
いう事実。

やんわりお断りすると、王子はお金が必要になったら俺に相談してよ・この事は秘密にしといてねと
言いました。
その後、王子はうちの担当を外れて別の営業さんが出入りするようになり、後日上司から懲戒解雇になったと
聞きました。 密告者がいたようです。
私以外のOLにも、数多く声をかけていたと思われます。

この経験を通して、フラッシュバックしたのが20代前半バリ活当時のエピソードです。
父が仕事柄、海外出張が多く通常より安く手に入ると言う事で、私は分不相応なブランドの腕時計や
アクセサリーを身につけていました。20代前半のお給料では買えないものです。
また、私は活動が忙しいストレスを買い物で発散しており、とっかえひっかえ洋服や靴、バッグを
買っていました。 でも、おしゃれをして行くところは会合しかありませんw
白蓮になると会館へ週に何度も行く事となり、自宅から会館が遠かったので、自転車だと夜道が心配だと
いうことで、父が乗用車を買い与えてくれました。 
アンチ創価の父だったけど、娘思いでした。
こういった事柄を見て、メンバーの一人が
「祥蘭は折伏も出来てるし、信心強情だから功徳の出方が違うね。すごいわ。私も頑張らなきゃ!」と
笑顔で言ったのです。
私は当時その言葉に「え?これって功徳?」
そんな風に見る人もいるんだ、と新鮮な驚きでした。

また、当時の女子部幹部が地元で有名な不動産オーナーの娘さんで、ものすごく華やかでした。
朝・昼・夜、一日の会合なのに全部服が違うと話題だった程ですw
「信心頑張ったらあんな風になれるのかな」っていう人もいました。

しかし、こんなの功徳でもなんでもないのです。
女子部で信心や活動を頑張ったからそうなったわけじゃない。折伏ができたからでもない。
無一文から這い上がった、というのとは、訳が違う。素地・基礎体力の有無の話です。
こんな基本的な事も、盲信的になると解らなくなるのでしょう。
同志におこったラッキーな出来事も環境も、全部が「信心、功徳のお陰でそうなっている」と
見る人もいる。全ては信心の厚薄によると信じ切っている、そして自分も、と学会活動に励む。
これは厄介な構造だと思います。
他人を見て頑張ろうと思う事は悪いことではないけれど、組織の場合は努力の方向を間違うことが
往々にしてあった気がします。

女子部の圏幹部以上を思い出すと、皆さん学歴もお勤め先も立派でした。
毎回の会合では華やかなスーツを着こなされ、キラキラしていて、憧れの存在でした。
そういった方たちの親御さんももれなく幹部で、自営業者だったり・創価関連の仕事をする裕福な方達です。
壮年部の支部長クラスをみていても、ほぼ自営業者だった記憶があります。最近のことはわかりませんが。
壮年部はいがみあいがスゴイって話を30代の活動期に耳にした事があって、支部長になれなかったから
非活に転じたと噂される壮年がいました。
自分の方が信心強情なのに、社会的地位であいつのほうが上だから選ばれたんだ、悔しい・・的な話です。
当時はそんなことで役職が決まるとは思えなかったけど、覚醒した今は、その傾向は多分にあるだろうって
思います。
幹部=広告塔。
大福運を掴んでいると見えないと、下は当然ついてこない。

創価が宗教を笠に着た巨大なネットワークビジネスだと思われても、いたしかたないでしょう。
確実にもとおかれている「属性」を人事に利用してきた事は間違いないんです。
実家の母がいってました、昭和30-40年代の創価ではスーツを着た男性を「人材」と呼んだ、とw
ブルーカラーよりはホワイトカラー。高卒よりは大卒。
そういった属性の人はすぐ幹部に登用されたそうです。
創価は権威主義では無いと言いますが、大嘘です。
民衆、庶民って言うけど、属性の高い人を広告塔にしてきたことは間違いない事実です。

今年の選挙で新人議員を見ていても、見事に広告塔って感じでしたもんね。
若くて見た目もよくて、創大卒w 経歴も素晴らしい。
会員は、そりゃ応援しますよね。 
また、「創価家族」という言葉があるように、直接血縁関係が無くても同じ創価の仲間というだけで
そういった珍しく抜きんでている人達を”身内”の感覚で、まるで自分たちの誇りにします。
活躍している芸能人・スポーツ選手など有名人に対しても同じ感覚ですよね。
彼らも元々のポテンシャルが高く、そうなれたのであって。信心の厚薄によるものではない。
彼らの活躍を自身の手柄のように語る学会員が多いのも、私は活動家時代からうけつけませんでした。

近頃の創価の信心は、功徳や福運を求めないものになってきているとシニフィエさんのブログの
コメント欄で拝見しました。
みんな、そろそろ現実が見えてきたのでしょうか。
もう、広告塔にむやみにあこがれてみたり・惑わされること無く、自分の足元を見つめているのでしょうか。
そうであれば覚醒前夜だと思います。
次は、仏罰なんてないこと・罰論からの脱却ができれば、もう怖いもの無しです。

宇宙銀行

創価の命脈ともいえる3大活動のひとつが「財務」。
私が考える3大の内訳は「財務」「新聞」「法戦」
この3つさえ最低限おさえておけば、普段の会合に一切出なくても組織の人は何も言いません。
結局、具体的な信心(折伏や教学研鑽)なんかしなくても、会員はおとなしくカネと票だけ供出すれば
大本営的にはOKって事。私が未活婦人部約10年で気づいた事です。

組織では財務を「どこよりも利率のいい宇宙銀行」なんて言っていました。
広宣流布のために使ったお金は必ず倍返しで戻ってくるという言い伝え。
私はそういった言葉を信じられないタイプでした。
実家の母が「身の丈に合わない財務はしなくていい」という現実的な考えの持ち主で、
有り金一切合財やるような姿を見ていなかったのも影響していると思います。
その背景は、父がアンチ創価な上、一切の金銭管理をしていた故。
母は毎月決まった生活費をもらって家計をやりくりし、父の稼ぎの総額を知りませんでした。
貯蓄、保険関係も全て父が管理。まとまったお金を母にもたせないようにしていたのです。
父がそうしていたのは、母に家計をまるごと預けて創価にお金を持っていかれちゃたまらないと
思っていたからだ、と父亡き後に姉から聞きました。
そして私は恥ずかしながら、20代後半の活動期まで自分で財務をしたことがありません。
母が家族全員分をこっそりやっていた為です。
父にばれたら領収書出せとか、生活費を無駄遣いするなと大騒ぎになるのが予測されたので、
家の中で私に財務の話をして欲しくなくて、秘密裏にしていました。
地域の人に申込書を家族分一括でもらいサイン。振込用紙の控も、後日組織からくる受領書も
家に持ち帰った事は無く、いつもびりびりに破いて駅のゴミ箱に捨てていたらしいです。
アンチの父に気付かれないよう、徹底していました。

白蓮の頃、同じ班のメンバーが活動報告をしました。
「初めての3桁(100万円)財務させていただきました」という報告で、私は驚愕しました。
彼女も私も社会人2年目でしたが、当時私の貯金額が3桁なかったからです。
自宅から通うOLで、家にお金も入れてないのに(父の方針で、親が貯金しているとあてにするな、
自分で管理しなさいって事でした)私は買い物が好きでブランド物にも目が無い。
社内預金で細々貯めている程度だったので、とてもじゃないけど3桁財務なんて今出来ないと思いました。
彼女が活動報告をした後、登壇した幹部は
「女子部2年目で3桁なんてすごい」と彼女を誉めたたえ
「皆さんも必ず、女子部の時代に一度か二度は3桁財務に挑戦してください。3桁ができれば境涯が
確実に変わります。3桁を積み重ねればどんどん境涯があがっていくということです。
素晴らしい幸福境涯を、一生の基盤をこの女子部時代に築きましょう」と指導しました。
3桁ができれば「境涯」が変わるって、どういう意味なんだろう?
どんどん境涯が上がって行くって一体?

活動報告の後、彼女に「境涯が上がった実感ある?」と聞いたメンバーが居ました。
彼女は「うん。すっきりしたよ。何か違うって感じする」と笑顔で答えました。
質問したメンバーは「すごい!私もがんばろう」と決意した風で。
私は横でこのやりとりを聞いても、憧れるとか・自分も頑張りたいとかそういう感情は一切わいてこず、
ただただ、すごいな。でも私は絶対出来ない。そう思っていました。
何か「絶対的に超えられない壁」が私と彼女の間にあると思いましたw
私はきっと強欲なんだなと、業が深いんだなと思うしかありませんでした。

財務のたびに婦人幹部をまじえた懇談会があって、どのくらい出来そうか聞いてきます。
具体的な金額では無く桁数です。
私は母にやってもらってると言えないので適当に毎回「2ケタ」と答えていました。
就職何年目かも聞いて来て、年数が長い人だと「そろそろ3桁頑張ったら?」と言われる事もありました。
なんか毎回とてもいやーな雰囲気でした。
婦人幹部はあるときこうも言いました
「お金なんてものは、必要な時に必要なだけあったらいいんです。余分な蓄えなんかいりません。
たとえば、急に家電が壊れたとする。その壊れた家電を買い変えるだけのお金がその時手もとにあったらいい。
今そのお金がなくても、財務をしていれば必ず”間に合う””事足りる”境涯になるんです。
だから我が家は、12月は預金残高が¥0なのよ。 でも、不思議と必要な時に必要なだけのお金はある。
それを境涯っていうんです。 余分なお金は全て広布のために使って頂くという思いがあれば、生活は
必ず守られるもの。
結婚資金なんてためこまなくていいのよ。嫁入りに身一つで来てくれたらいいよって、お金持ちの男性と
結婚できるだけの福運がつくんだから」と。
私はこの話にも全然なびかなくて、そんな馬鹿な!と思っていました。
又ある幹部は、3桁財務で得られる「境涯」とは「お金に振り回されなくなる事」と表現しました。
お金がなくても悠々と生きていけるってことだったんですが、それを幸福だと私は理解できない。
これは世代的にバブル後期を経験しているせいもあるのですが、自分の欲しいものを我慢してまで
広布に使って頂くという発想にどうしてもなれませんでした。

20代後半から自分で財務をすることにし、母に一体私の分を毎年いくらしてたの?と尋ねたところ
10万円だというので驚きました。 もっと少ない額を予想していたからです。
母は未活のきょうだいの分、父の分もしており、一家の総額となれば結構な金額です。
10万円から金額を落とすような事をしてはいけないと母がいうので、しぶしぶ毎年冬のボーナスから
出していました。 月々こつこつためるとか、上乗せしようと頑張る事はありません。
保険料年払いみたいな感覚でした。
同志と財務の具体的な話をすることもあまりなかったのですが、30代になって同級生の活動家と
話していたら、彼女が25歳から毎年3桁をやっているとさらっというので、驚きました。
彼女は途中転職もしていて、仕事をしていない期間があったのですが、そんな時どうしても100に届かず
カードローンで補てんして3桁を納金したというので、たまげました。
どうしてそこまで出来るの?と素朴な疑問をぶつけたところ
「1回3桁やっちゃうと、意地になる。
金額を落としたら負けみたいに思えて、自分に負けたくない。だからなんとしてでも3桁やってやる!って
なるんだ」と話しました。
私はそんな考えが全く理解できなくて、ほぉー、と聞くだけでした。
彼女がそこまでして財務を頑張る理由は
「海外にもっと衛星中継の拠点を増やして欲しいから」で
「アメリカでは、同時中継を見るために車で5-6時間かけて拠点に集まっていると聞いた。
 もっと拠点が増えれば、アメリカのメンバーが先生のご指導に触れる機会が増えるでしょ?」と。
ただただ、すごいなぁって感心するしかありませんでした。
私は財務にそんな思い入れ、みじんもなかったから。

けど、彼女には言わなかったけどこうも思ったんです
「そんなのアメリカのメンバーがお金だしあってやりゃーいいじゃん!」と。ODAじゃあるまいし。
なぜに日本人がアメリカの同志のために財務を3桁、しかも借金してまで納めるのか?
余ってるお金をあげるのとは違うのに、と。

彼女は決して「宇宙銀行に預けている」とは思って無く、純粋に海外の同志のために3桁財務を
続けていたのだと思います。功徳欲しさではなしに。
私のような俗な人間からすると、あれほど財務を頑張っていたんだから、彼女は絶対すごい境涯を
つかむんだろうな・とんでもない大富豪と結婚するのかしら?と思っていました。
現在、彼女は独身で、仕事の傍ら親御さんの介護をしています。
婦人部に勇退してからは非活です。
以前は帰省の折にお茶に行ったりできたのですが、数年前に「通院してる。誰とも会う気がしない」と
断られ、そこから連絡を取り難くなりました。
組織やいろいろに、思う所あっての事だと察します。

私は結局、女子部時代マストといわれた3桁財務をすることはありませんでした。
というか正直、勿体無くて出来ませんでした。
結婚前年の財務懇談会で、婦人部から桁を聞かれ「2桁」と答えたところ
「限りなく3桁に近い2桁よね?だったらもう、3桁いっちゃいなさいよ」と促されましたが
苦笑いで切り抜けました。
30代以上だと貯め込んでいると思われるのか、3桁は当たり前という空気で話が進むのも
怖いなと思っていました。
中には、転職期間中なので今年は控えめに・・って言ってる人に対して
「そんなことだと運が離れて行く。運というものは、一歩前に出た時についてくるものなのよ」と
まるで貯蓄を切り崩せといわんばかりの婦人幹部もいて、あなた何様?って思った事もありました。
あの手この手で3桁させようと必死な婦人幹部。
尋ねた事は無いけど、支部でノルマでもあったんでしょうか?

当時の女子部は、正社員で働いてこそ一人前。フリーターやパートは「一日も早く社会で実証を」
と幹部がせっついて就職活動を促していました。
これも、今から考えると財務部員を増やしたいだけだったのね・・と呆れます。
会員は単なるカネ集めの道具にすぎない。
女子部なんて特にそうだったのかもしれない。
恋愛を禁じたのは、男目線を気にするあまりおしゃれや美容に無駄にお金をかけたり、早々に結婚されたんじゃ
集金期間が短くなってしまうからたまったもんじゃない。
大本営における女子部とは、3桁財務の顧客くらいの認識だったんじゃないかと思ってしまいます。
恋愛の自由を奪われるわ・真面目に働いて稼いだお金は吸い上げられるわ・
すべてが「永遠の幸福境涯」という、誰も見たことのない・絵にかいた餅のために行われていた。
こんなに人をばかにした組織もないなと、いまさらですが腹立たしくなってきました。
3桁をした事のない私が怒るのもなんですが、2桁だって積み重なったら3桁になる。
募金詐欺よりたちが悪いでしょうこんなの。
財務はあくまでも寄付だから、返してもらえない事は百も承知だけど、返してほしい。私と親のお金。

そして私の覚醒のきっかけがまさに財務でした。また別の記事で書きます。

極善と極悪

私が覚醒して一年が経過しました。
一年前の私は、創価が宗教をかさにきた巨大詐欺集団であることに気がついた時、吐きました。
池田老人のおぞましさに嘔吐したんです。
自分が40年以上も「極善の団体」であると信じて疑わなかった創価の本当の姿を知った時、体中の震えが
なかなか止まらず、動揺していました。

事実に気がついても、私がいままでやってきたこと(信心・仏法対話・青年部時代の活動)のすべてが
間違いだったと認めたく無いという気持ちが強く働き、いいことばかり思いだそうとしました。
その中の一つに「後輩が夢を叶えて幸せになった」という経験がありました。

30代に入ってから関わったある部員さんは17歳で、私と年齢差が14ありました。
高校中退のフリーターは「女子部」の括りだったので。
家庭訪問に行っても殆ど会えず、お母さんが出て来てくれ、いろいろ話を聞いていました。
彼氏ができると家に帰って来なくなる。将来的に心配なので早く女子部の活動について落ち着いて
欲しいとお母さんは語っていました。

繰り返し通ううち、やっと会えましたが、年齢が離れすぎているせいか心を開いてもらえず。
年齢の近い地区リーダーに行ってもらうと、意気投合したようで偶に活動に出てくるようになりました。
しかし、地区リーダーとちょっとした行き違いがあって機嫌を損ね、すぐ出て来なくなりました。
私が一人で家庭訪問に行くと、もう創価の人との面会は今日で最後にしますとの通告が。
なにかあったの?と尋ねると、仲良くなった地区リーダーから
「女子部は社会で実証を示さないといけないんだよ・フリーターじゃなくて正社員の仕事探しなよ」
と言われて、上から押し付けられるもの言いに気分を害したとのことでした。
17歳らしいなと思いながら、リーダーはあなたのためを思って言ったんだと思うよ。
今のバイト、気に入ってるのかな?だったら続けたらいいよ。他になにかやってみたい仕事はないの?
と尋ねてみると、彼女はもじもじしながらクリエイターの仕事に就きたいと話してくれました。
だけど高校中退なので大学にも専門学校にも行けないと思う、と諦めていたのです。
専門学校なら、高卒資格がなくてもOKのところもあるよ?と私が言うと、彼女の顔がぱっと輝きました。
彼女の周囲にはそういった情報源が一切なかったのです。
私がネットで調べてあげるよ、今度持ってくるねと約束。
検索すると通える距離内の専門学校がいくつかあり、夜間部もあることがわかりました。
資料請求をし彼女に持って行ってあげると大喜びで、バイトをして入学金を貯めて翌年春の入学を
目指す事になりました。
並行して女子部の活動にも再び出てくるようになり、彼女は本当に変わりました。
人間革命ってこういう事ね!と、彼女を間近に見て私は嬉しかった。
予定通り入学した彼女は夜間部に入って、昼間はアルバイトを続け、次なる目標である留学のために
頑張っていました。 女子部の活動は、土曜か日曜だけ出る感じになったけれど、私は彼女の夢を
応援したいから、全然かまわないと思っていたし彼女にあうたび励ましていました。
そこへ、上の幹部が役職の話をもってきました。私は、バイトに学校に課題制作と、彼女の多忙さを
わかっているつもりだったので「負担になると思いますよ」と言うと
幹部は「時間はつくるもの。祈りで状況はいくらでも変えられる。彼女に挑戦の機会を与えてあげるのも
先輩の役割です」と言いました。
結局、彼女が固辞したのでその話は実現しなかったけど「せっかくのお話だったのに・境涯を開く
チャンスだったのに残念ね」という幹部を私は「信じられない」と思いました。
週に1-2度の会合ですら、時間をこじあけて来ているメンバー。それだけでありがたいじゃん。
なんでちょこっとでも頑張りだすと即「役職」っていうんだろうと、上の幹部を訝しく思い。
役職なんか他にやること無い暇な人間がやればいいのよと、当時部長の私は思っていました。

私は、自分が具体的になりたい職業もなくOLになりました。
というか、高校時代に夢はあったけど、父親に反対されその方面の学校に進学する事は叶いませんでした。
自分で学費を稼いででも、奨学金を利用してでも、という心意気もなかった。
父親が大学だったら資金を出すというので「じゃあ大学にしとこ~」ってそんなレベルで、向上心の低い
甘えたな若者でした。
だからなおさら夢をしっかり持って、素直に頑張っている彼女が羨ましく、心から応援したかった。
学会幹部といえど夢を邪魔するやつは私が許さない!くらいに思っていました。

卒業後、留学を志望していた彼女でしたが、恩師の勧めと身内の援助もあり都内にある学校へ
進学する事になりました。
その道のプロである有名な講師がたくさんいて、スカウトも随時あり、仕事に就くには大変有利な学校との
ことでした。
深夜に及ぶ制作もあるとの事で、地元を離れ親戚宅へ身を寄せる事となり、地域を出ていきました。
幹部に報告すると「せっかく育って来たのに勿体無い。人材だったのにね~?」というのです。
私はこのときも大きく違和感でした。 
彼女の夢が、また一歩現実に近づいたのに。何で喜んであげられないの?って。
自分たちの地域組織だけが、よければいいのか。活動家の流出はそんなに残念か?
いったい何のための信心なのよ?
部長になってから、上の幹部と話すたび、こんな疑問と葛藤が常にぐるぐる渦巻き状態でした。
部長以上のミーティングで、各部員さんの状況を尋ねられた時、私は仕事が忙しくて出て来れない人の事を
なるべく庇うようにしていました。
それでも幹部は「時間革命が出来ていないって事だから、ちゃんと指導して行かないとダメです」と言う。
なにも組織の活動にベッタリ・バリ活になることだけが「信心」じゃないはず。
みんな理想や希望やがんばりたいことがあって、それを叶えたくて信心してるんじゃないの? 
組織はあくまでも、その後押しをするためにあるんでしょう?(これは当時の私の見解)。 
少なくとも私は、センセーセンセー言うだけの人間を増やすために部長やってるわけじゃないよ。
あんたたち(幹部)とは違うんだよ。 そんなことを心の中で叫んでました。

件の部員さんとは年賀状をやりとりしていましたが、途中で年賀状が来なくなりました。
きっと忙しくしているんだろうなと思っていると、数年後に彼女から「結婚しました」はがきが届き。
新住所の下にHPアドレスがあったので見ると、御主人となった方がその業界で著名な方だと
いう事が解りました。
メールをすると、御主人の会社で彼女も一緒に仕事をしているとのことで、本当に彼女が夢を現実のものに
したことがわかり、胸が熱くなりました。
当時の私は未活婦人部。でもまだ、創価のことは「極善団体」であると信じ切っていた。
自分が関わった後輩が夢を掴み幸せになれた事を、これぞ学会組織の素晴らしさだとうっとりしていました。
こういった組織内で自分が体験した「美談」が他にもいくつかあります。
学会組織がなかったら、彼女らと出会うことはなかった。
そう考えた時、どうしても創価を悪く思えない自分が居ました。
宿命や仏縁という言葉に、一般人よりも強い思い入れがあるせいでしょう。
組織の本質という「極悪」と・その組織の中に確かにあった「極善」の落差をどう考えるか?そこに暫く
私は悩んでいました。

だけど時間が経過するにつれ、冷静に考えられるようになってきました。
組織は関係なかったのです。
私と彼女らが出会わなかったとしても、彼女らは別の世界で助言や気付きを与えてくれる人と出会えた。
そして自らの力で人生を切り開いていっただろうと思うようになりました。
なにも、創価が無くても良かった。 偶然の縁がそうさせただけ。
そんな考えに至れたのは、現在身の回りにある人間関係です。
結婚して新天地にきた私は、未活から非活になりました。
こちらにきて出来た友人たちは全員、私が創価だと知らないし相手も創価ではありません。
ごくごく普通の、一般社会の人間関係です。
そんな中でも、ちゃんと日々励ましはあるし、優しい心遣いもあります。誰も見返りなんて求めません。
私は結婚後に習い事を始めたのですが、パン教室の先生がとても素晴らしい人で、生徒の一人一人を
いつも励ましてくれます。
書物で読んだいい言葉や・有名なお寺の和尚さんの言葉など、手帳に書き留めていらして
会食の最中にこんなことで最近落ち込んだ・・というような話を誰かがすると、手帳を開いて
状況にあった言葉を選んで声かけをされます。 そして相手が笑顔を見せると「その笑顔よ!わすれちゃだめよ」
って言うのです。
落ち込んでる時だけじゃない。髪型を変えるとそのヘアスタイル素敵、良く似合っているわよとか
持ち物をほめてくれたり、いやみじゃなくほめ上手で、愛情を感じるのです。
何と素晴らしい人かと、私は感激しましたし、感心しました。
創価の人も、いい人は多いけど、必ず見返りを求めます。
うちの(パンの)先生は、励ましのあとに
「新聞とらない?いいことがいっぱい書いてあるの!」と言わないし
「いいお話が聞けるのよ。同中っていうんだけど。一緒に行かない?」と言わないし
「世の中を良くするには政治が大事よね!」と特定政党をごり押ししてくる事もないんです。
優しさや励ましの裏には、何も無いんです。 
ただ、相手を元気にしてあげたいって言う真心だけです。

創価は違った。 
私はそんなつもりなかったけど、後輩を励ます傍ら、会合や同中に行くよう促したし・
マイ聖教をとるように言ったし・選挙を友人に頼むよう指示もした。
私の真心を組織に利用されていたともいえますが、真心の裏には常に創価のあくどいカネ&票集めがついて
まわっていたのです。
そんなのを「学会組織の素晴らしさ」なんてうっとりしてたこと自体、違ったというか、洗脳教育の賜物だったと
気がついた時は愕然としました。

罪を憎んで人を憎まず、この言葉の意味がいまはよくわかります。
中の人はたぶん悪くない。みんな、綺麗な心・真心をもってる。いいことしてると信じて疑わずに居る。
人材とは、組織に飼いならされた従順なる「羊」なのです。
会員の「極善」の心、そこにつけこむ創価という組織が、罪で「極悪」だということです。

一日も早く、すべてのひとたちに覚醒して欲しいと願っています。