2013年 感謝

いつも拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
そして沢山の公開・非公開コメント、ブログ拍手からのコメントをいただけたことも
感謝しております。

皆さんからのコメントを読ませていただくたび、この問題は個人それぞれタイプは違えど
宗教詐欺に遭ったという点ではみな被害者なのだ、という思いを強くしています。

数多ある創価家庭でも、こんなに不仲なのは、うち(実家)だけだろう・・と、私は思っていました。
しかし、コメントを拝見するなか、パターンは若干違えど家族問題で悩まれている方が
大変多くいらっしゃる事を知りました。
これは、認知されていないだけで、ちょっとした社会問題だと私は思っています。

活動家時代、家族全員が活動家で、絵にかいたような「一家和楽」家庭の同志がおりましたが、
そうなれない私の家族はみんな業が深いのだと思っていたのです。
創価を盲信するあまり、家族が不仲になっていることに気が付きませんでした。
創価を理解できない他の家族(亡き父・兄姉)が悪くて、創価は悪くないと思っていました。
法華経信仰をたもつ母や私が悪いわけない。私たちは絶対正義だと信じて疑いませんでした。
その思いこみがますます私たち家族をバラバラにしてしまっていたと、創価脳の時は
気付けなかったのです。

現在、さまざまな宗教史、鎌倉時代の仏教興隆についての本を読んでいます。
まだまだ勉強の途上ではありますが、ひとつ強く思うのは、一番小さな幸せの単位「家族」を
ばらばらにしたり・そのことで揉める原因を作るような教義をもつ宗教が
万民を救うはずが無いのではないか、ということです。
創価の教義は、明らかに家族仲を悪く・おかしくさせます。
全員が同じ方向を向き、利害が一致している間は仲良く出来るが・誰か一人が教義に歯向かえば
信頼関係が崩壊する。 そんな宗教には誠実のかけらもない。
この時点で、世の中に不要な宗教だと私は思います。

最近覚醒された方からのコメントも多く頂いています。
創価ロジックからはずれた後の時間は、すべて自分のための時間です。
どれだけ時間がかかってもいい・どうか焦らずに、どんなことでも自分で考えて決めることから
スタートしてみてください。
そして自分を大切にしてください。自分のことをまっさきに考えて、その後に周囲でも
いいと思います。
創価脳はどうしても、自分をおざなりにしがちです。
まずは他者(というか組織)という意識がマインドコントロール期間に強くなっています。
それを「まずは自分」を最優先に、行動をしてみてください。
しんどいことは無理にしなくてもいい。
自分の心を護って・ケアしてください。
そしてどうぞ勇気と安堵感をもってください。
そして何度も書いていますが、仏罰はありません。 いたって普通に暮らせます。
仏罰だと捉えてしまう自身の心に問題があるのです(それがマインドコントロールです)。

来年もマイペースではありますが、更新を続けていきたいと思います。

皆さん、どうぞよいお年を迎えてください。
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非活決意 その後(17)

学会3世の元活動家の幼馴染と対面をし、私が反創価に転じた事・創価と決別し個人信仰を
決意した・それが正しいと私は思っていると伝えた(前回の記事です)。
彼女からは同意を得られず、考えを改めた方が良いのでは?的な答えが返ってきました。

私はこの対面において、彼女を破折するつもりではありませんでした。
私と同じ考えを持って欲しいとか・覚醒を促したいと思った訳でもありません。

単なる好奇心というと軽率かもしれませんが、興味があったのです。
彼女からどんな言葉が返ってくるのか想像もつかなかったけれど、
完全非活を貫き・10年近くも完全に創価(組織)をシャットアウトして生きている人なのだから
私の決意も(その是非は別として)いったん受け取るそんな心のキャパシティがあるんじゃないかな?と
考え(期待もし)確かめたかったんだと思います。
その場の勢い8割、好奇心と怖いもの見たさ2割でした。
結果は私の予想がまったくの幻想だったと気付かされたわけですが。

以前も書いたのですが、彼女とのやりとりから、オウム逃亡犯の高橋被告を思い出しました。
高橋被告が逮捕の際、麻原の写真や本を持っていたり、マントラを唱えていたって話を聞いた時、
一般社会にまざって16年の長きにわたって生活し・教団とは連絡のつかない状態(?)で
縁遠かったにもかかわらず・
これだけ悪事を暴かれ、反社会的な凶悪事件を巻き起こしてきたことが報道により周知されていても、
一途に教祖を信じ続けて来れたなんてすごいな、洗脳って怖いよね~なんて、他人事のように
思っていた件です。
創価学会員も根っこの部分は高橋被告とまったく同じ。 自分だって同じでした。
一般社会に混ざって生活していても、創価の組織から離れ縁遠くなっていても、なんにも気づけなかった。
三世の彼女も同じくで、10年以上創価隔離生活をおくっていても、創価への絶対心を持ち続けていました。
以前紹介した矢野氏の書籍(黒い手帖)に「スリープ」という言葉が出ていました。
創価内部で活動に積極的でない会員を未活・非活などと表現しますが、
矢野氏はそれを「スリープ」と呼んでいました。 創価中枢で使われている言葉のようです。
私はこの「スリープ」という言葉が、実に深く・しっくりくる表現だと今になって感心しています。
創価に籍を置きながら様々な理由で積極的な活動は行わず・非創価を装って暮らしている人であっても、
いざという時には最後の砦のように創価を護ろうと必死になる。それは自己防御にも見える。
その理由は「創価を離れたら幸福は無い」「創価を離れたら不幸になる」という”刷り込み”
単なる思いこまされにすぎないそんな理由を、命を取られるといわんばかりの悲壮感で口にする。
これをマインドコントロールといわずして何と呼ぶ?ですよね。
スリープとはいわば仮死状態。アクティブではないけど、信仰を全く失った訳じゃ無くて
ショックを与えれば起きる。
件の3世の彼女も、私が口にする創価に対するネガティブでマイナスな発言を耳にしたら
仮死状態から「起きた」。
また、不幸な出来事に見舞われたり・不遇な状況に転落しても仮死状態から起きる事があるでしょう。
不安や不幸と紐付きになっている絶対心。
スリープという言葉に、人が特定の信仰に盲信的になってしまうことの愚かしさ・脆さを感じます。

”脱会者が1万人いたとして、その1万人全員が不幸になったとでもいうのか?実際見たのか?”
この問いに「見た!」と答えられる創価脳は、バリ活でもスリープでも、いないと思います。
「見たことは無いけど、先生(又は幹部)がそうおっしゃってる」「大聖人の御書に書いてある」と
答えるのが関の山でしょうね。
そんな現実味のない、ウワゴトみたいな理由を命を左右するくらいの勢いで信じてるんですから
やっぱりこれは、まぎれもないマインドコントロールなのです。
「創価を離れても不幸にならないし・仏罰なんてない」と思える人は脱会も辞さない。
親族周囲への影響を考え、すぐ脱会が出来ない人は覚醒者として非活を貫くという事だと思います。
↑この姿勢は完全なる「覚醒」であって創価で言う「スリープ」とは違う。
非活未活と、ひとくくりになんて実は出来ない。
そこには「覚醒者」と「スリープ」という真逆の違いがある。
両者は決定的に違うように見えるけれども、一切の怖れを無くすまでは、右に左にと揺れ動きます。

私がこの3月、自身のテーマだと思ったことが「オカルト(怖れ)からの脱却」でした。
前年の秋に偽本尊という言葉を知って以降、私は自宅の仏壇を開ける事ができませんでした。
見るのも気持ち悪く・おぞましい存在となっていたからです。
創価との決別意志はハッキリしており、いつでも脱会届を出してやるくらいの気持ちで居ましたが、
お曼荼羅をどうにかすることが怖くて、お曼荼羅を巻くことすら出来ないと思っていました。
まず触れるのが無理。 呪いでもありそう・・というような気持だったのです。
そして、生活面でマイナスな事が続くと、曼荼羅を無視している祟りなんじゃないのか?との思いに
覚醒から半年経過したこの頃に苛まれていました。
そう考えてもすぐ「そんなわけないじゃん」と打ち消すのですが、一瞬でもこんな考えが頭をよぎるのは
オカルト支配されている以外のなにものでもないと自覚。
40年以上も、生活における波の上下は信仰と紐付きになっていることが当たり前(という思いこみ)の
人生を送ってきた。 この思考習慣、そんなに簡単に抜けきるものではありませんでした。
ここで、決定的な不幸な出来事・事故がなにかしらあれば、私は
「やっぱり仏罰が出たんじゃないか」と、アンチ創価を返上し、細々とでも活動に戻ったかもしれません。
生まれながらにして「御本尊様は絶対、創価は絶対。裏切り者には罰が下る」という刷り込みをされて
生きている。
キリストを信じる方々は、神は創造主。人間は神がつくった造物と捉えています。神は絶対であり、
人生にどのような困難がおころうとも抗ったり逆らったりすることは出来ず、ましてや神を逆恨みするような
事もありません。 すべては神が与えた試練だからです。
学会2,3世における、創価や御本尊様が絶対だという思考回路も、どこかキリスト教と似ている気がします。
私たちは御本尊様に逆らえない。全ては過去世からの宿業。それを良く転換するには、仏の尊極の生命を
涌現する日蓮大聖人の仏法を用いるしかない・・それが学会活動になるというのが、学会2,3世における
逆境に立った際のトリガーなのです。

この3月末、車検に出したばかりの車が不具合を起こし、子供達と私で隣県へ外出の真っ最中に
ストップしてしまい、初めてJAFを呼びました。 
このような事は、一般的にそう珍しくは無いのかもしれないのですが、
私はまっさきに「偽本尊の祟りか?」と考えました(wと、文末に今はつけたい気分です)。
結局は整備不良でしたが、不測の事態に遭った時、ものすごく焦りました。
他、予定していた不動産取得が全く納得のいかない理由で反故になり、不運が続いたのです。
いま落ち着いて考えればそれらは誰人にも起こりうる話で、些細なアンラッキー。
命をとられるような類の事でもありません。
ただ、この頃は覚醒から半年。 
それまでは仏罰と感じるような事が幸いにしてなにもおこらずでしたが、
このアンラッキーの連続は私の心を暗くさせました。
理由として思い当たることと言えば(当時の私には)「偽本尊放置の祟り」しかありませんでした。

4月に入り、創価の信仰を持たない一般人のママ友に会った際「最近不運続きでさー」と
愚痴ってみたところ、彼女はさらっとこう言いました「OO様(神社)へお祓い行ってきたら?」。
私は、目からウロコでした。 そんな考えは私の中にありませんでしたから。
彼女は氏神様へ日常的に(気がむいた時に)参拝しているとのこと。
不運が続く様な事があれば、お祓いにも行くと。 それで気分がすっきりとし、心を引き締めることができ
安心もするのだと。
創価脳は”お祓いくらいで変われば人生苦労しねーよ”と思ってしまうでしょう。
このときの私も、半信半疑というか、すんなり受け入れることはできませんでした。
なぜなら、創価の教えは完全に表向き「テイク&ギブ」であり、内実は「テイク&テイク」だからです。
頑張るからこそ功徳が出る、という考え。
自分が何かを行わなければ(=創価に利する行動を起こさなければ)功徳はもらえないし、宿命転換なんて
成しうるわけが無いと言う教えでした。
だから、なにも(特定の組織団体に)利する「具体的行動」をしないのに、お金(初穂料)で解決し
御利益だけもらおうという「お祓い」という行為になじめなかったのです。

ここで私は
「やっぱり創価を悪だと考えたり、お曼荼羅を偽本尊だ!と思ってしまう事は間違いだった」と
折れたくなかった。
特定の宗教団体にいた人間が批判的な考えをもち決別を考えたり・その団体が配布している本尊を
「偽物」とし、拝さなくなることが原因で悪い出来事が起こる・・そんなのただのオカルトじゃないか、と。
私はオカルト支配に屈してなるものか、強くそう思っていました。
ここで引き戻されたら、元の木阿弥。 
狭い学会世界に幽閉され、搾取され続け、自縄自縛の人生を送る。そんな生き方は御免だからです。

ママ友からの「お祓いに行けば?」という助言から、ふと考えた事があります。
お祓いに対して少しでも否定的な気持ちを持ったのは何故なのだろう?と。
私はこの頃も遥拝ごん行を継続しており、お曼荼羅ではなく、自身の「胸中の肉団」に在るという
御本尊様へむけて祈っていました。それを、個人信仰だと思っていました。
この個人信仰について、揺らぎ始めたのです。
絶対の確信を個人信仰にもっているなら、偽本尊におびえたりしないはずだよ?と自問。
偽本尊に怯えを持っている時点で、私はまだ怖いのだ、仏罰といわれているものが。
個人信仰とかいいながら、その土台(教学)は全て創価で教え込まれたもの。
もしかしたら、一旦「信仰」を全部とっぱらってしまわないことには、オカルトからの脱却は
不可能ではないのか?という思いが生まれました。
まっさらな状態・・といっても、私は生まれ落ちた時点から創価支配(母による)で育って来た人間。
まっさらが何なのかもよくわかりません。
それでも、一度全てを無にしてしまわないことには、私は一生オカルト支配から逃れられないのでは?
というような気持になりました。
心の支えとしての個人信仰と思っていましたが、実はそれが創価で言う「スリープ」と変わらない
状況だったのだと、今だから言えます。

どれほど、学会2,3世における精神的呪縛がキツイものなのか、御理解頂けるでしょうか。
創価が悪の集団だ!とわかっても、御本尊様を思いきることができなかった私。
特に私の場合は、対象としての「曼荼羅」に対する怖れが強く強くありました。
それは子供のころから、悲しい思い寂しい思い辛い思いを、ご祈念によりぶつける対象であった、
御本尊様がセキュリティブランケットのような存在であったせいかもしれません。
それなしでは生きられない、という固執です。
ただのヌイグルミや毛布の方が、まだマシでした。
こんな風に育ってしまった学会3世の自分は不幸だったと思います。
同じ思いの方も、きっと多くおられると思います。

話は少しさかのぼりますが、3月の実家帰省中のこと。
母との会話の中で、私が前年11月をもって聖教新聞の購読をやめていたことを、母が知っていたことが
解りました。
地域の婦人部が母に電話を入れていました。
その電話は2月末にあったそうで、財務の納金報告がなかった件と共に知らされたとの事。
母が私にすぐ電話を入れなかったのは、3月に実家帰省することが決まっていたからで
電話で話してもらちがあかないので、直接顔を合わせる機会に話し合おうと思っていたそうです。
母は落ち着いたものでした。 
逆に、私が怒り心頭でした、地元組織の人間に対してです。
どうして、なんでもかんでも実家(の母)にチクるのか?
そんな行動をとったらどうなるのか、結果の想像もできないの?
私が創価に対しハッキリとした拒絶意志をもっていることは、今年初めの新人支部婦と対面し話して
いるのです。 (この記事)
頭が悪すぎるにもほどがあるだろう・・。
私はひたすら「むかつく!なんで電話なんかするのよ!馬鹿じゃん!」と怒りました。
母は、呆れた様子で
「なにを言っているの。あなたのこと、心配してくれてるんでしょ。馬鹿はあなたのほうよ!」と言いました。
いやいや、違う。 心配しているんじゃ無い。
本当に心配していたら無責任に親に電話なんてするわけないだろう。
ヤツは聖教の部数が減った、それが組織的に困るから、なんとかなりませんかと実家に電話を入れたそれだけだ。
母にそう言いましたが、母は「どうやったらそんな考え方になるのか解らない」と困惑していました。
そして母から贈呈で新聞を入れてやるというので、私は「絶対にやめて」と断りました。
母は言いました「泣いてからでは遅いんだよ?」
信心をおろそかにしたり、組織に反抗するような態度をとり続けて不幸になってから、しまった!と思い直し
組織に戻ってくるなんてかっこ悪い。そうではない。日々たゆまぬ信心を続けて行くのが一番なのだ、と。

こんな会話も、3月末に立てつづけにおこった不運を「偽本尊放置のせい?」なんて考えてしまう
伏線になったのかもしれません。


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続き(18)は、年明けに更新します。

年末にもう一回別の記事を書いて、今年の更新は終わりにしたいと思います。

非活決意 その後(16)

”自分が覚醒したこと・脱会決意したことを誰かに聞いて欲しい”
こんな思いがわき上がった覚醒以降。
入会はしているものの感覚的にほぼ外部な主人と姉に話したのち、
私が折伏本流をした学会一世の友人に話す事が出来ました(←前回の記事です)。

もともと無関心(?)な主人はともかく、信仰を巡り大ゲンカをした姉にさくっと受け入れてもらい・
一世の友人にも、寛容な心で私の脱会決意を受け止めてもらうことができました。
自分が思うほど、辛い扱いを受けなかったことに私は安堵していました。
「創価がおかしい」とほんの少しでも疑問を持ったことのある人になら、私の考えは受け入れて
もらえるんじゃないかと、楽観視したのです。

2013年春の帰省中、もうひとり旧友と会う約束がありました。
彼女は学会3世で、女子部時代バリ活の、幼馴染です。
結婚相手がアンチ創価で、婦人部の活動に一切出ていません。
財務はおろか、新聞もとっていませんし、自宅に御本尊様もありません。
家庭訪問されては困るとの理由で、統監カードも実家から移していないほどの徹底ぶりです。
彼女とはプライベートでも仲良しで、独身時代には共通の友人(外部)を含め旅行や遊びにも
よく出かけていました。
お互いの結婚式にも出席しましたし、遠く離れて住んでいてもSNSで近況は知っている。
帰省の際に時間があえば会って食事をする仲でした。
互いに婦人部から未活ということは知っていて、以降まったく信仰に関する話題なんてすることが
ありませんでした。
子育ての話題の中で、彼女が宮参りや七五三に行った(義実家主導で、氏神様で行った)と
さらっと話していた事もあり、私の中では「彼女は覚醒直前の状態」と思っていました。
実家の両親を悲しませたくないから、籍だけは残しているけど、創価のことを疎ましく思っているのでは?と。
確認した事はなかったですが、師弟観有りとも見受けられませんでした。
彼女と池田老人の話をしたことが、一度もなかったからです。
池田老人大好きっ子の知人も多数おりますが、彼女らは学会話題になると二言目には「先生」ですから。

この再会はいつものように「時間があったらランチでも行こうよ」と誘い、実現しました。
彼女も久しぶりに会って、会わなかった間にあった様々な出来事の報告会くらいに考えて
やってきたと思います。 
私も、特に「告白するぞ」と気負っていたわけでは無かったのですが、
彼女と会う数日前に件の一世の彼女と会って、思ってもみない好感触で・友情を確かめることができた
(創価を脱会すると話したが、友情が壊れなかった)
その高揚感で、調子に乗っていたかもしれません。
私は軽い気持ちで言いました「昨年の(衆議院)選挙、初めて公明以外に入れたわ」と。
彼女は「はっ?」と、眉をしかめました。
一瞬にして空気が変わり、彼女は困惑した表情で「いま何て言った?嘘だよね?」と
まじめな顔で言いました。
この反応で、私はまずいことを彼女に言ってしまった、と思い。
とりつくろわず「いや、嘘じゃないよ」と答えると、彼女は茫然とした表情でした。
そして「なんで?どうして?」と質問が。
私は逆に質問「あなたは、おかしいと思わない?どうして特定の政党を支援することが仏道修行に
なるのか。 それに、選挙権は国民に与えられた権利なんだから、宗教上の理由では無く
自分の意志で投票すべきじゃない?」
彼女は「でも、(投票すれば)功徳あるし。公明党以外に信用できる政党なんて無いでしょう。」と答え、
これを聞いた私はとんだ”思い違い”をしていたと解りました。
一切の活動に出なくても・御本尊様が自宅になくても・嫁ぎ先や世間体の前で非創価を
装っていても、徹底して創価を排除して暮らしているようでも、
創価のやっていることにひとつも疑問を持たない人が居る。
平常、信心があるように見えなくても、学会二・三世における精神的呪縛はとても根が深いことを
此処で改めて知ったような思いでした。 私も前はそのひとりでした。

私は、彼女が自宅に御本尊様をおまつりしなくても平気だという一点で、御本尊様への信も
たいしてないもの・創価もスルー対象なんだと勝手に思い込んでいました。
曼荼羅への執着心が、私はたいへん強かったけど、彼女は物体としての本尊への執着は無いのでしょう。
ただ、信心・・というか、創価に対する怖れ・呪縛は確実にあったのです。
彼女は選挙に関して一貫して公明党に票を投じ続けているそうです。
他の政党の事どれだけ知ってる?公約や理念を知ったうえで、他党は信用できない公明党しか無いって
思ってんの?と詰めると、彼女は「そこまで勉強はしてないけど・・」と困った顔になりました。
そして私が創価に対し批判的になっている事を「心配だ」と言い、
「あなたは女子部の頃、あんなに頑張ってたじゃない。私は随分と励まされたんだよ?」と言うのです。
過去の栄光(?)を持ちだされても・・と思いながら
「でもあなたは、現状全然活動してないじゃん?
 家に御本尊様もご安置してないでしょ。(活動や唱題を)やんなくても全然平気なんでしょ?
 それでも創価は大切な存在なの?」と尋ねてみました。
彼女は「それはー・・」と、言い淀みながらも、
「いつも心ではお題目を唱えてる。それに、私はちゃんと(活動を)やってないから罰も受けてる」
と言いました。
彼女が非活の罰だと考えているのは、お子さんの持病の事でした。
実は私も、覚醒前は彼女がSNSで綴るお子さんの闘病の話を読むにつけ「宿業ではないのか?」と
失礼乍感じていました。 創価脳だから、こういった考え方がスタンダードだったのです。
彼女は結婚にあたり、分所帯で御本尊様を頂くように周囲から圧力をかけられたのですが、
ご安置が無理という理由で頑なに拒否しました。
「受けて、とりあえず実家に置いてもらえば?
 あなたの名前で受ければ必ず、嫁ぎ先にご安置できるようになるから」
こんな囁きもあったけれど、それが自身のプレッシャーになることが嫌だと断ったのです。
お子さんが病弱で生まれた事を、彼女は上記のことが原因だと考え、あちこちの病院を廻っても
これといった結果が得られない現状を「非活の罰」と捉えているのです。
私は「そんなの、学会活動しないからとか(お子さんの病とは)全然関係ないよ」と言いました。
彼女は「そこまで言い切れるってすごいね」と妙に感心しながらも
「学会批判なんかしたら不幸になる。これまで築き上げてきたものが崩れてしまってもいいの?
 ”建設は死闘 破壊は一瞬”だよ?」と、池田老人の呪縛フレーズを口にしました。
私よりも先に完全非活を貫いている彼女から、そんな言葉を聞くことになろうとは、驚きでした。

この当時の私は「創価」という巨悪企業に騙されるのはまっぴらごめんだ・創価が標榜する学会活動に
功徳なんてものは無いのだ(ただし、御本尊様にご祈念することには功徳がある)という考えを
もっていました。
彼女にもそのことを力説しました。
しかし彼女は私の話が理解できないと言いました。
「創価を離れて信心が成り立つとは思えない」というのがその理由です。
今思えば、彼女は完璧な非活でありながらも未覚醒なので、こんな考え方があって当然でした。
かつての私と同じなのです。 信仰=学会活動という大間違いを「大正解」として教え込まれてきた。
その刷り込みで40年近くも生きてきたのだから。いきなり理解できなくても無理ありません。
このとき彼女に問いただすことはしませんでしたが、おそらく彼女の中には無意識のうちに
「創価」という団体自体に神がかり的な力でもあって、それを貶めるような・反抗するような考えを
もったり・言葉に出すことは「畏れ多い」という考えがあったのだと思います。オカルトです。
無意識のうちに、このオカルトに墜ちている創価脳はかなり多いと思います。

彼女も私も、子供を実家に頼んで出てきていたのであらかじめ解散時間を決めていました。
話は互いに一方通行でしたが、最後は笑顔で「じゃあまたね」とお別れ。
私は帰りの電車の中で、私が折伏した一世の彼女に対して想定していた問答集
(女子部時代に頑張っていたのに、なぜ創価批判なんて出来るの?的な事)が、一世の彼女には
全くあてはまらないもので・逆に同じ境遇の、学会3世の元バリ活の友人に当てはまってしまった事に
苦笑しました。
私の思考回路が、いかに創価脳であるかを思い知らされたからです。
一世の友人は、私の過去の栄光など意に介さず、過去を全否定するような言葉にも異を唱えず
問題にもせずに、私の結論を受け入れてくれました。
しかし、学会3世の友人は、完全非活にも拘らず私の考えは受け入れがたいと言ったのです。

この経験で、マインドコントロールという言葉が急激に現実味と真実味を増して感じられるように
なったのです。
覚醒後にさまざまなアンチ系ブログやサイトを見る中で「マインドコントロール」という言葉があっても、
さほどしっくりきていませんでした。
しかし、三世の彼女との会話といい・お正月の地元のバリ活ちゃんとのメールのやりとりといい・
この後に話をした居住地域の婦人部員といい、反応が面白いほどに全く同じなのです。
絶対にこちらの意見を受け入れようとはしないのです。 ただひたすら、学会正義を押し通そうとします。
そして二言三言目には「創価批判なんてしたら・創価を離れたら不幸になる」です。
しかし彼女らは全員、気付いていないと思います。 実際に創価を離れて不幸になった人間が
身近にいるわけでもないのに、刷り込みとイメージだけでそんな言葉が口をついて出ている事を。
すべては「創価のウケウリ」であることを。
見事なまでに刷り込まれているのです。 そこには自分の考えや経験なんてありません。

ここでひとつ訂正したいことがあります。
創価脳の恋人や婚約者を持つ外部の方へ、障らぬ神に祟りなしだと書きました。
学会2、3世についてはこのとおりです。 ちょっとやそっとじゃ、どうにもならないです。
まったくの外部の方が2世3世のマインドコントロールを解くのは、容易ではないのです。
親の教育で生まれながらにして、叩き込まれている。
それは生きる基盤であり、パソコンで言えばOSです。
本人がクラッシュするなりし、完全に心を入れ変えるよりほかないんです。
だから壊れた時に傍にいてあげられるだけの心の準備をして、笑顔で静かに横にいてあげて下さい。

ただ、学会一世に関しては、外部の方の働きかけ・覚醒へ向けての対話も有用だと思います。
生まれながらにして持っている基盤では無く、データが後から入ったという点で言えば
上書きが可能だからです。
恋人や婚約者や配偶者が一世の方は、望みがあると思います。頑張ってください。

それと、覚醒した人が非覚醒の創価脳のマインドコントロールを解くのは、簡単ではないけれど
出来ないことではないと私は思います。 
その理由は、経験があるから。 自分も未覚醒だった頃があるから、気持ちも立場も解る。
何故に相手が覚醒に至れないのかも分析できると思います。
100人いれば100通り、1000人いれば1000通りの信仰があることも、元創価脳なら
わかりますよね。
私が母に覚醒を促すじわじわとした対話を続けるのも、自分が気付けたのだから解るはずだ、という
思いあってのことです。
目を覚まさせることが、高齢者にとって必ずしも幸せだとは限らないと思う事も多々ありますが、
うちの場合、母はこのままだと家族愛を知らない寂しいおばあさんで一生を終えることになります。
本人もそのことに気付いていますが、創価の道に邁進することで一家和楽が達成できるのだと
半世紀以上やっていてもそうならないのに、そのことに気付かない、悲しい人なのです。
私は、そんな悲しい人のまま母に人生を終えてほしくない。 だから話を続けています。

(17)に続きます。

非活決意 その後(15)

2012年秋に組織の矛盾に気が付き覚醒が始まり、一番最初に心が折れたのは
折伏した彼女や・仏法対話や選挙支援にたいしイヤミもいわず、笑顔で常に協力的であった
外部の友人の顔を思い浮かべた時でした。
私は、とんでもないことをしでかしてしまった。
当時いくらマインドコントロール下だったとはいえ、無礼の数々を働き・非常識が過ぎた。
今ごろ「真実に気がついた、ごめんなさい」と謝罪したところで「なにをいまさら・・」と、
あきれ顔され・離れて行かれても、仕方のないこと。
とくに、入会までしてしまった彼女からは、激怒・罵倒され、絶交もありうる。
どんなにひどい言葉をぶつけられようとも、交流を断絶されようとも、私はこの件について筋を通したい。
なによりも「創価」という団体に属し、額に関係なくお金をむしり取られ、票をもむしりとられて
いることが「大まちがいで、悪への加担になる」という事実を、彼女に伝える義務が私にはある。
誘い招き入れた私が気付いた真実を、黙ったまま友達でい続けるなんて無理。
私は逃げてはいけない、と考えました。

私が婦人部から非活であることを、彼女は知っています。
彼女も私が結婚した後年に結婚しましたが、ワークであることを理由に婦人部の活動に不参加。
私は「新聞、選挙、財務さえ断らなければ煩く言われる事は無いから」と彼女にアドバイスしており、
彼女もそれを守って(?)いたようです。
日常的にSNSで近況を知っていましたが、信仰についての話題は互いになにもなく。
記憶に新しいところでは、2010年の財務時期に彼女の地域のしらゆり長から
「納金連絡が無い。事故扱いになるから、彼女と何がなんでも連絡を取りたい」と言われた事。
この一件以来、創価がらみの話をお互いにすることは無かったのです。

実は、お正月にも会うチャンスはありましたが、私のなかで信仰をどうするか方向性が
定まりきっていなかったので見送りました。
あやふやなままで彼女に謝罪したところで
「じゃあ今まで”正しい”とあなたが主張してきた事はなんだったのか?」と問われた時、
明確に答えられない自分で会うことは無責任だと思い、再会の機会を見送りました。

私は、創価の活動は一切しないし、この巨悪企業の経済活動のひとつのギアから外れることを決めた。
けれど、それ(学会活動)と「信仰」はベツモノ。
繰り返しになりますが、正月当時の私は日蓮大聖人の教え(創価版の)と御本尊様への信は
絶対であるとし、心は揺らいでいませんでした。 
学会の本尊を拝まない代わり、東の壁へ向かっての遥拝ごん行を継続し、日々の国家安泰と
身の回り・友人の安全を祈念していました。
そして3月、祈念していくなかで「御本尊様(お曼荼羅)は不要」論に自分なりに辿りついていました。
一時期は、身延山で販売されているという、日蓮大聖人真筆御本尊様のレプリカ(印刷)を購入しようかと
真剣に見当していました。 でもそれも、なんか違うな・・と思い。
何かが違うって思うという事は、結局は私の「気」の問題。
何もかもが疑わしい・宗教をかさにきたビジネスのように思え、そんなところから買う御本尊様では
私の心は満たされることは絶対に無い。
だったらもう、無理にお曼荼羅を自宅におまつりしなくたってかまわないとの考えに至りました。
私の中で「個人信仰」という選択肢が固まり、そこで彼女に会う覚悟も決まりました。

実家に帰省してから彼女に連絡を取りました。
「会って話したいことがある」と伝えると、彼女は
「丁度良かった。こちらも近々に話したいことがあったから」と言うので、もしや?と思いながら
「驚かせてごめんね、実は創価を脱会しようと思ってて」と伝えると
彼女は「本当に?」信じられないという言葉とともに「実は私も同じことを考えてた」と言いました。
数日後に会うことが出来、彼女の婦人部以降の葛藤を聞くことができました。

彼女のご主人の実家はごく一般的な宗教観(仏教+神道)をもつ家庭です。
彼女が創価の信仰をしていることについて、ご主人は可もなく不可もなく、彼女個人がする事ならと
何も言わずでした。
後々知ったのですが、ご主人の両親には創価のことを一切話さなかったそうです。
義実家が遠く、新婚当時の家に来た事もなかったそうで、仏壇を見られる心配がなかったのと・
彼女のご両親は神道のみ信仰しており、それが実家の宗教だ、と説明するにとどめたそうです。
「創価を出すと揉めごとになると思う」とご主人のアドバイスに従ったとのことでした。
ご主人がそう言うほど、創価は一般的にマイナスイメージがあるって事でしょう。

結婚後の彼女は公団に入居しました。
そちらの組織は高齢者が多く、かなり濃密な人間関係。距離なしで辟易したとの事。
彼女は専門職についており多忙。結婚していきなりワークだった為、活躍は最初から期待されておらず。

ある日、しらゆり長から生協(宅配)をやっていることを咎められてドンビキしたと。
「生協は共産党系の企業だから、悪に加担することになる。悪を肥やすような事をしてはならない・
 生協購買はやめてほしい」といわれたのだそうです。
私は彼女に聞くまで生協=共産党系なんて知らなかったのでビックリでした。
生協宅配はとても便利で、彼女のように帰宅時間が日によって違い・スーパーでの買い物もままならないと
いう多忙な主婦には、なくてはならないサービス。
そこを、信教の事情(?って事に、組織ではなっているようです)で利用を制限されるなんて。
彼女は、あいた口がふさがらなかったといいます。
その場では「考えます」と言って追い返したが、便利なので結局利用は止めませんでした。
選挙の時期になり、しらゆり長が婦人幹部を連れて家庭訪問にやってきました。
そこでも生協の話が出、まだ購買しているというと
「票を頼まれても絶対入れちゃだめよ」と念をおされたとのこと。
だけど、生協の宅配担当者が票を頼んでくるような事はありませんでした。
偏見にみちみちたオバサン集団という印象をもち、他のこと(以前書いた、財務の入金確認の件も
含みます)もいろいろ重なって、彼女は婦人部が大嫌いになったと言っていました。
こうなっても、当然のことだと思います。

また、プライバシーが守られないことにも非常に嫌な思いをしたとの事。
彼女の子供が通う保育園の1年上に、偶然同じ住宅に住む活動家のワークも子供を通わせており。
彼女は保育園ママさんの誰人にも、自分が学会員だと言う事を話していませんでした。
だのに勝手に、1年上の先輩ワーク婦人部がバラしていたというのです。
理由は婦人部総会の結集。
「OOさん(彼女)も学会員なんだよ」と、誘い文句に使われたとの事。
先輩ワークは、創価であることに誇りを持っている厄介なタイプでカミングアウトも平気。
保育園ママのあいだでも、陰で噂されていたとのこと。
彼女は特に熱心な活動もしていないにもかかわらず、さも熱心な仲間のように語られた事が腹立たしく・
自分が誰にも話していなかった事を勝手にカミングアウトされ、非常に迷惑だったと話していました。
これも、リアルタイムで私に言えずに居た。「言ったら絶対、説教されると思っていたから」と。
私はこの言葉を聞いた時、彼女にどれほど不愉快な思いをさせたのかと、後悔でいっぱいになりました。

この当時の彼女は財務も新聞も断り、家庭訪問も不要と組織の人にハッキリ伝えていました。
もともとご主人が未入会で「厳しい」と言ってあるので、しつこくされることもなかったそうです。
家を購入する予定があり、引っ越す際に会員カードを新居住地にまわされたくないと考えていた。
組織の人に内緒で引っ越したにしても、紹介者の私に連絡が行く可能性が大。
どうしたものか?と悩んでいたところに、私が電話を入れて脱会の意向を伝えたので
「以心伝心かと思った」と喜んでいました。

私が彼女と再会するにあたって、いちばん不安だったのは、
「あなたが信じて間違いないと言っていたから入会したのに、どうして脱会するなんて言えるの?
 自分にすすめてきたときの熱意あれはいったい何だったの?」と詰め寄られる事でした。
それに対するアンサーを日々考えていたのです。
「当時は本当にそれが正しいと信じて疑わないマインドコントロール下にあったから」としか、言い様が
ない。
こんな答えで彼女にキレられたとしてもそれは仕方ないし、呆れられても、罵倒されても、馬鹿にされても
どんなに厳しい言葉&態度も、私は黙って受けとめるしか無いと思っていました。

だけど、彼女は聡明で冷静でした。 
私が脱会を決意するに至った理由に真摯に耳を傾け、ところどころ同感してくれました。
決して攻撃的にならず、フラットに接してくれ(現在もです)本当に感謝にたえません。
そして「今だからいうけど」と本音を語ってくれたのです。

「祥蘭の言ってくれる事に励まされたし、この信心はすごいっていうのも伝わってきた。
 だけど正直ついていけないこともあったし、絶対にわかりあえない部分あるなって常々思ってた」と。

彼女としては、御本尊様へ祈念することについては一点の曇りもなく、信じようと思えたそう。
だけれども、特定の政党を応援することや、消息不明じいさんのろれつのまわらないスピーチを
見るために、決まった日時に開館に足を運ばされ・いかなかったら出席率に関わるのにと
組織の人から咎められることは、全く理解できなかったといいます。
頼まれたから仕方なく投票にも出向いたし、誘われるから仕方なく同中にも出かけていたけれど
組織で言う「自発能動」で、自分からすすんで他人に票を頼んだり・同中に行こうと思った事は
一度もなかった。しぶしぶだったと。
そりゃあそうだよね、って思いました。
彼女はじゅうぶん分別の付く大人になってからの入会だったし。
学会活動のひとつひとつ、アホらしくて出来ないとか・いったい何のために?と思う事が、
山ほどあったって不思議じゃありません。
実に冷静に学会組織と学会員を観察し、活動内容についても「納得できるか・できないか」で
分けて考えていた様です。
そして「盲信することが怖かった、拒絶感があった」とも言い、入会後も引き続きネットで
アンチ情報を見ていた事・池田老人に心酔しきっている人達を軽蔑していたこと・
組織の一員となった後も、あくまでも自分は「良いところだけを学ぶ」ようにしていた、と
語ってくれました。
そこは一世ならではの柔軟さだと感じました。

彼女は私に対して「一緒(の時期)に気付いてよかったじゃんね」と笑顔で言ってくれました。
私はそれを聞き、彼女の朗らかな表情を見て、いろんな感情が混ざり合い、泣きました。

このときにおいて覚醒しないままの私であれば、彼女が引っ越しを機に統監カードをまわされたくない・
脱会したいなんて言い出したら、友情なんてないも同然の扱いをしたと思います。
組織を離れて行く人に対しては「忘恩の輩」と切って捨てたでしょう。
そんな態度の、どこが人道主義なんだろう?!
覚醒してしまうと、覚醒前の凝りかたまった思考をもっていた自分に対して訳がわからなくなる。
自分自身のことなのに、どうしてそんな思考回路していたの?!と、理解ができないのです。
ハリボテの私に借り物の魂が入っていたような、そんな印象さえあります。

ちなみに、彼女は脱会に関して「罰論」に縛られる事が一切ありませんでした。
一世で、大人になってからの入会であり、紹介者の私も「罰が出る」様な刷り込みはしなかったので
被害がなかったのでしょう。そこにも安心しました。
彼女にとって、脱会を考えた時の大きなネックはやはり「私」という紹介者の存在で、
「絶交も覚悟していた」とのこと。
結果、同時期に同じことを考えていたので万事休すでしたが、私が未覚醒だったら・・と考えると
大事な友人でさえも「裏切り者め」と切り捨てていたであろう・・と、恐ろしいです。
そうならなかったことは幸いでした。

後日、彼女は手続きを踏んで(本部へ御本尊様+内容証明送付)脱会をしました。
何らかあれば、紹介者の私のところに連絡がくるだろうと思っていたのですが、
彼女の地域の学会員からの連絡は、まだ一度もありません。
彼女が一世だったから、あっさりしたものなのでしょうか。
二世、三世ともなれば実家に連絡がいくとのお話を経験者の方から伺いました。
組織に入会する事や脱会する事も、個人情報・個人の秘密として扱われるべきはずなのに
プライバシーなんて全くありません。 この時代にあって、非常識極まりないと思います。
親子間を揉めさせてでも、なんとしてでも組織にとどまらせたい。逃がすもんか、って感じでしょうね。
金づると票は手放したくないって事のあらわれでしょう。


(16)に続きます。

非活決意 その後(14)

2013年3月 実家帰省中に、旧友と会う約束をしていました。
女子部時代に私が折伏をした友達です。

彼女のことは以前にも書きましたが、10代から仲良しでした。
20代になるころ、彼女にとって大変つらい出来事が起きました。
そこから彼女はまるで人が違ったようになり、自暴自棄な言動が目立つように。
私が女子部の活動に出始めたころ、彼女に以前のように明るく快活なあなたに
戻って欲しいと、仏法対話をしましたがシャットアウトされました。
その後、連絡もつかない状態になり数年経過。
私も女子部の活動をドロップアウトし、再び活動に戻ったところで彼女と偶然の再会。
彼女はまだ暗いトンネルの中に居ました。
やっぱり彼女を救いたい。彼女こそ仏法を求めている人だ。
私はそう思い、再び対話を始めましたがまたも激しく抵抗されました。
私もその頃は学会活動+遊びに忙しく、正直彼女だけにかまっている時間は無い・・と割り切って、
気が向いたらまた遊ぼうよ、といって一旦彼女を突き放します。
すると後日、彼女の方から「祈ってみたい目標ができた、どうやるか教えて欲しい」と連絡が。
驚きましたが、私はこのとき思いました「毒鼓の縁ってこのことだな」と。
共に唱題をするようになり、ときどき女子部の活動にも参加。
彼女は願いを叶えることが出来、入会したいと申し出てくれました。
少しはしょっていますが、入会前に「ひとつ引っかかることがある」と、こんな質問がありました
「なぜにネットであそこまで悪く書かれているのか。ネットで書かれていることは真実なのか?」と。
彼女自身が、会合で顔を合わせる女子部メンバーは皆、明るくて、会えばにこやかに迎え
声をかけてくれる。
自分が見ている創価と・ネットで書かれている創価が重ならない。
そこが「とても怖い」との、非常に外部らしい指摘でした。
このような見方は、内部で育っている学会2,3世には絶対にない視点だと思います。
私は彼女に「どっちが正しいと思う?自分の目から見て」と尋ねました。
この頃の私は、夢見る夢子の女子部しか知りませんでした。壮婦男子部なんか知ったこっちゃない。
女子部なるモラトリアム集団のいち部員でした。
だから自信満々に彼女に問う事が出来たのです。 
彼女もまた、女子部の世界をほんの少し垣間見ただけの状態で、入会しました。

いま振り返れば、女子部だって相当イカレた・・いえ、おかしな集団だったのですが
それでも婦人部よりは幾分かマシでしょう。
入会後の彼女は積極的に会合に参加し、唱題を重ねて、つぎつぎと目標を叶えて行きました。
当時の私は彼女が変わっていくさまを横で眺めながら
「妙とは蘇生の義」という言葉を思い出して、信心ってスゴイ!御本尊様ってスゴイ!と思い
自身の信仰心をより強固なものにしていきました。

しかし、冷静に分析すると、上記のことは決して「信仰に依る功徳」ではなく
「創価に入会したお陰」でもありませんでした。

彼女はもともと、学業に秀で、文武両道な優秀な人でした。
ただ、不幸な出来事にて受けたダメージから、その全ての才能・可能性を閉ざした状態に
なっていたのです。
全ての事柄に対して、諦めと・やさぐれが先行している状態が、長く続いた。
そこに私が繰り返し仏法対話をしかけていたが、彼女は聞く耳を持とうとしなかった。
ところがある日、「叶えたい」という目標ができ、心の底からそれを熱望する思いがわき上がった。

私、思うのですが、彼女はこの「叶えたい目標ができた」時点でもう、暗いトンネルから
「自力で」抜け出していたんです。
”何かを強く望む”と言う事さえ、それ以前の彼女は出来なかった。 
そのような思いがわきあがっても「無理無理!できっこない!」なんて、自分で打ち消していたんだと思う。
けどこの時は数年ぶりに、彼女を大きく揺さぶる衝動があり、彼女は立ちあがり走ってトンネルを
抜け出たのです。
抜け出たところ、そこに偶々立っていたのが、幸か不幸か創価女子部の私だったということでしょう。

彼女は唱題をすることによって、それまでぶれまくりだった心がひとつのところに定まったのだと思います。
祈り・お題目の効用と言えば精神統一、自分を高め・気持ちを強く持つ。そこに尽きると思います。
なにも唱題でなくともよく、神社で参拝することが精神統一になる人もいるだろうし・
武道に励む人もそのような感じではないでしょうか。 写経や座禅もアリかもしれません。
また、試合前に音楽を聴いて集中力を高めたり・世界観を作るスポーツ選手も多いと聞きます。
パワーストーンやアクセサリーや、勝負服というものに託す人も居るでしょう。
生まれながらにして創価学会員な私たちは、御題目を上げることが日常的になりすぎていましたが、
世間一般の(特定の宗教をもたない)普通の人たちからしてみれば、読経は特別な・非日常な経験だと
思います。
半信半疑の唱題ならまだしも、この時の彼女は明確な意志をもっており、そこへ向けて心を一点に
定めることができた。
精神統一・心を定めるための儀式はほんとうは何でもよかったのだけど、たまたま彼女は
創価学会員の私から「願いが叶う御本尊様」の話をたびたび聞き、このとき唱題を実践した。 
そして「心が定まったことにより」良い結果を次々に出して行ったのだと思います。

彼女が願いを次々叶えたのは「御本尊様による摩訶不思議な法力」ではありません。 
そして、創価に入会し、会合に参加したことによる「功徳」でもなかったのです。
創価の御蔭ではありません。
単純に、彼女が「本来の自分自身を取り戻し、彼女の能力で掴みとった幸運と成功」です。

20年ほど前の青年部会合でたびたび聞いた体験発表は、10代の頃は札付きのワルで
高校も中退、道を踏み外しかけていた・・という青年が、何かのきっかけで男子部の活動に
出たことでお題目を上げるようになり~決意し活動に励み~更生し・自営業で成功をおさめた
(又は、職場で実証を示した)というものだったが
彼らには「胆力」があったのだ、と書きました。 本当に、ここ(胆力)に尽きると思います。
いつだったか見た大白蓮華の青年コーナーにも、会社で人間関係になじめず・
やりたいことが何かもわからず、すぐに退職したのちニートだったが(この人は学会2世だったと思います)
両親と家庭訪問にやってきた男子部の激励で立ちあがり、活動を開始したところ、好きな分野の
アルバイトにつくことが出来・真面目に頑張った結果、正社員登用された・・というようなエピソードが
掲載されていました。
このような話は、ごろごろ組織内に転がってます。
かつて(青年部)の私だって同じくで、リストラという憂き目に遭いましたが、唱題で自分を奮い立たせ
再就職の面接に挑み、採用をもらいました。
挫折を経験した後、そこに「唱題」というものがあって、祈りという行為で心を定めて行くことに
よって、自分の言動に自信をみなぎらせ(自己暗示)、その時々で良い結果を勝ち得たのだと思います。
こう書くと「自分の持っている最大の力を引き出せるのが、唱題だからね!」と創価脳は言うでしょう。
でも、今の私の結論は、確かに唱題で精神統一でき・その効果で良い結果を招いたことは認めますが
その唱題じたいに「摩訶不思議」な力があったわけではないと思います。
また、精神統一の方法は他にも存在します。
なにも唱題ではなくとも、別の方法であっても心を高みに引き上げ、自身の持っている最大の力を
引き出す事は可能である、ということです。
(「別の方法」を知りたい方は、自己催眠や自己暗示トレーニングで調べてください)

また、単純に誰かの励ましや・見返りを求めない応援があって立ち直る人も多くいます。
それが偶々、創価メンバーだったことから入会したが、現実的な組織のあり様に疑問を感じる。
しかし、紹介者への「恩」があり脱会を迷ったり・活動をやめたいが忘恩が心苦しいという方から
コメントを頂いたことがあります。
私の意見ですが、「恩」は紹介者個人に感じればいい事です。創価に恩なんて感じなくていい。
組織と個人は別です。
当然、紹介者が現役バリ活だった場合には「恩知らずめ!」など罵倒されかねませんけれども、
それこそおかしな話なのです。 
紹介者は下心と見返りを求めて施しを行っていたのか?という事になります。
脱会や非活動を「恩知らず」と捉える紹介者のほうに問題がある。
個人に対し恩を感じ、御礼を述べること。それだけでいいのです。
恩がえしや見返りに集票や新聞購読や財務や会合結集が絡んでくる時点で、どこにも紹介者の「真心」は
無いのです。
あなたはただ「紹介者の真心」を受け取ったのだとし、「感謝の真心」を言葉で伝えるだけで十分だと
私は思います。
不遇な環境にあった子供が、民間支援団体の援助を受け、生活と勉強の面倒をみてもらい
就学や就職ができたり・大人であっても同じような支援団体はあり、立ち上がれたというような話が
世間に沢山あります。
何も、創価だけがつまずいた人を立ち上がらせる団体ではありません。
(↑そんな風に以前は言われてましたけど、最近はどうなのでしょうか?)
また、民間団体に助けてもらった人達はのちのち、今度は自分が子供達・困った人達を助けたいと
ボランティアに携わって行きます。 
利害は存在しない、それが人助けの基本姿勢でしょう。
そこには集票もお金も絡みません(共産党系NPOなら絡むかもしれませんが・・)。

話を元に戻します。

青年部時代の疑問で、同じ信心しているのに、どうしてこうも違うのか?と、同志を見ていて
不思議に思う事が多くありました(心で思うだけで、口に出すことはありませんでしたが・・)
学会活動を頑張りながらも、職場でも実証を示し、いつも楽しそうにしている部員さんがいる。
学会活動に積極的に参加してはいるが、毎回同じ悩み事を話し、一向に解決を見せない部員さんがいる。
一つのところに立ちどまり、堂々巡り。 
↑この方は、先輩だったのですが、20代の初めに私が出会ったころも・10年後も、全く同じ人間関係の
悩みの前でぐるぐるしていました。 
よく不信をおこさないなって、私はそっちが不思議でしたw
また、後輩にも就職が決まらず・アルバイトを転々とし、就職したいですと悩みを毎回語り、
いつも幹部指導で手厳しいアドバイスをされている子がいましたが、彼女も10年間同じでした
(就職しないまま、結婚し婦人部へいきました)。
これらを創価では「桜梅桃李」と呼びました。花の咲く時期は違うんですとw
しかし、今の私はこの疑問にハッキリ答えを出しています。 
結果を出せる人は、御本尊様に祈念すればなんでも叶う・・などというような
「摩訶不思議な法力」や「祈れば出てくる功徳」などというものに力点を置いていません。
本人に内在する力を出すための、精神統一。そこに(無意識に)力点を置いていただけのこと。
そして現実的な方策をきちんと講じ、結果をつかみ取った。 それだけの話です。
いつまでたっても結果を出せない人は、心を定める以前の問題で、ふわふわと「御題目上げてれば叶う」
「摩訶不思議な法力」のほうに力点を置いていた。
法や策は捨てよ、との学会指導を真に受けて、現実的方策を講じる事も無く、御本尊様頼みしていたと
いうことでしょう。
祈りが叶わないからと、不信を起こしそうになった時は新池御書
「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては
 何として都の月をば詠め候べき」を引用される。
しかし、方向が間違っていればどれだけ長く歩いたところで京の都に辿りつけない事を、誰も教えない。
そこは自分で気がつくしかない。 
疑いを起すな、全てが無に帰してしまうぞ!というような脅しともとれる(言葉はもっと柔らかいですが)
指導も数多くありました。
なには無くともお題目、これは思考停止を促し・「御題目を上げている」という安心感で空中階段を上らせ、
現状が一つも良くなっていない事に、気がつかせない手法なのだと思います。
空中階段だったことに気がついた時は悲惨ですが、組織はそんなこと知ったこっちゃありません。
すべては自己責任。 
騙され続けて・騙されていたことに気付かず死んでいくしか救いは無いようにも思えますが、
自分で自分を救うしかない。 間違いに気が付いたら、やり直せばいいのです。

池田老人の指導「お題目しか無い」「宿命打開にはお題目」
幹部は繰り返し、どのようなシーンにもこれを語っていました。 
そして「師匠に心を合わせて祈っていくところに勝利の方程式」だの
「池田先生と心を合わせたお題目をあげないと、宇宙のリズムと合致しない」などとほざいていました。
創価脳だった女子部当時の私ですら「池田老人に心を合わせたら宇宙のリズムと合致する」というのは
トンデモにしか聞こえませんでした。 
一介の凡夫である池田老人に心を合わせることで宇宙のリズムと合致って、何なの?!とw
こういった数々の題目指導は
御本尊様への絶対心&無疑曰信を植え付け・池田老人への忠誠心&崇敬心を刷り込むための戯言だった。
私はそう思っています。

前置きがものすごく長くなりました。(いつものことですが・・すみません)

折伏した彼女に会う目的は、私自身が脱会意志を固めている事の報告と
彼女に間違いを教え・押しつけてしまった事・入会へ導いてしまった件の謝罪でした。

(15)に続きます。

特定秘密保護法成立までを眺めていて思った事

先日、特定秘密保護法が成立しました。
連日報道番組をにぎわせたこの法案も、通ってしまえば静かなものですねw
マスコミの大半が、この法案に対し懸念があると伝えているように私には聞こえました。
出演するコメンテーターについても「諸手を上げて賛成します」と言う人は見かけませんでした。
(意図的に賛成派を呼ばなかった?それがマスコミのやり方なのかもしれませんけど?!)

賛成しようにも反対しようにも、判断材料に乏しいと思っていたところ、11月30日深夜の
「朝まで生テレビ」のテーマが”特定秘密保護法案”だったので見ました。
パネリストは自民党議員2・民主党議員1・共産党議員1 にジャーナリスト達。
政治家面子になぜ(賛成派の)公明党議員が居ないのか? と不思議に思いましたが、
田原総一郎氏の「公明党は逃げた」発言があり(私はこのシーンを残念ながら見逃しました)
実は斉藤鉄夫氏が出演予定だったが、ドタキャンしたと知りました。
ええっ・・と、引きました。
なんで逃げるかな~?と。堂々と意見を言ってみせればいいのに。

何度か斉藤氏登場回の朝生を見ていますが、常ににこやか~に、ヌルイ対応をする。
わかったようなことしか言わないからです。 言葉尻でかわすのも常套手段。
今回は凄腕論客ぞろいでもあり、束になってつつかれたら笑顔でフリーズするしかないから
出演しなかったんでしょうねw
また、公明党の支援団体でもある創価学会の従順な会員の中にも、この法案に懐疑的な意見を
持つ人が少なくない事を、ネットを通じて知っていました。
そんな懐疑的支援者たちが納得するような議論・発言が出来ない(軸がぶれぶれだ)から、逃げたのでしょう。
ヘタしたら火に油を注ぐ結果にもなりかねませんものね。
しかし「お粗末だな」と思いました。 
だったらなんで法案に賛成なんだよ・・おかしいだろうが!と。

番組の議論中、”この法案が現代の治安維持法ではないのか?”という章になり
「今更このような法律を整備しなくても、既に公安は国の安全を脅かすような・
国益を損ねるような(テロを起こしたり、韓国中国に情報を売りそうな)団体・個人については
調べ上げている。これ以上、捜査の裾野を広げてどうする気なのか?」という発言がありました。
この発言を聞いて、公明党がこの法案に賛成している事のおかしさを感じました。

公安がすでに「国の安全を脅かす・国益を損ねるような団体個人を調べ上げている」のだとすれば、
創価学会なんてとっくの昔に調べあげられているだろうよ、とw
中国共産党とのパイプは太く、韓国にもすり寄り、組織内部にテロを起こしかねない人材グループもある。
昭和中期の話とはいえ、クーデター計画が創価内部にあったことを矢野氏も著書で公にした。
明らかに公安から目をつけられていそうな、創価という団体が支援母体となっている公明党が
この法案に賛成するというのは、摩訶不思議な事ではないか?と思ったのです。

また、この法が「(特定)情報漏洩した人物(公務員)」だけを罰する法律では無く
「(特定)情報を様々な方法で盗み取り・知り得て、それを外部へ漏えいした人物」も罰する法律で
あるという事。
公明党議員(の大臣含む)が知り得た(特定)情報を、創価学会側に流すことだって罰せられる。
そしてその情報を創価関係者から中国韓国へ流すような事も罰せられる。
↑これらはすっごくイイ事のように思えますw 

こんな法案を創価・・いや公明党が「賛成」するって、自縄自縛じゃないの?との印象を
持ちました。 よくOKしたなぁと。
そして勘ぐりました。
もしや、「創価については一切触れない・見逃してくれるなら」という密約アリで
この法案に賛成したのだとしたら、とんでもないことだなと。

番組全体を通して、自民党vsパネラー(司会者の田原総一郎氏含む)の図式でした。
自民党議員は冷静沈着に笑顔でごくシンプルな箇条書きの法案内容だけを繰り返し明示し
「心配ありません」という・
パネラーは繰り返し「このような重要法案はもっと議論してしかるべき、拙速に通過させるものじゃない」
と自民党議員に言い聞かせていました。
自民党議員の、余計なことは口にしない感じが「言質とられちゃたまらない」的に見え。
そういった態度が余計不信感を生むんだけどな~と思ってしまいました。

番組を見た翌日、偶然にも創価脳な母方いとこから電話がありました。
祝い事を知らせる連絡だったのですが、いきなり「公明党も大変だよね」と話を特定保護法案について
現役活動家のあなたはどう思っているのか?と尋ねてみました。
ちなみに、現役男子部で創価班で役職もあります。
彼は「忙しくてニュースなんて見る時間ないからわからない」と、さらっと言いました。
うわぁw
すごい話題になってるじゃん。ネットも見ないの?と尋ねると、「見ない」ときっぱり。
これが現実なんだろうな、と思いました。 だから覚醒なんかするわけないよねと。
世間はなんで公明党が賛成するのか解らないって言ってるけど?と言ってみると
「公明党のすることだから、悪い様にはならないと思うよ」と答えが返ってきました。
政党を応援しながら、政治には全く関心を示していない。アンテナ張ってる訳でもない。
これが何を意味するかといえば、大半の熱心な学会員にとっての政党支援とは「仏道修行」だという事。
応援している候補を当選させ、政党に「大勝利」という結果をもたらすために「行動する」
これだけが目的。 だから公明党がどう動いていようが全く無関心でいられる。
勿論そんな人達が100%ではないと思います。(半数くらいでしょうか?)
他の方は応援の傍ら公明党が全く思った様な政治推進をしてくれないことに苛立ちを感じている。
苛立ちを感じつつも、師匠の為だとイヤイヤ支援活動をしているのかもしれない。
または、それとこれとは別なのだと割り切って、他党を応援している人もいるのかもしれません。

かつて(青年部時代)の私も、彼と一緒でした。
ニュースなんて見ている時間はありませんでした、活動で多忙でしたから。
そして一般紙に目を通す事も稀でした。 
「公明党のする事だから、悪い様にはならない」私もそう思っていました、なんの確証もないのに。
創価が支援している公明党が悪い政治を推進するわけないという「オカルト信仰」です。
これが非常に恐ろしいことだと気がついたのは、覚醒後なのでここ一年のこと。
思いこみと「仏道修行」という、おおよそ政治とかけ離れた部分で政党支援をし、議席を守る。
それがどれほど国民のためにならない、愚かなことなのかと気がついた今は、マインドコントロール下に
あったとはいえ、浅知恵で公明党を支援してきたことを恥じ・猛省しています。

法案成立した後、報道ステーションを見ていました。
なぜ今回の法案に公明党が賛成したのか、その理由についてコメンテーターが
「軽減税率の事案を通すためだった」と話しており、驚いてしまいました。
そんなことのために!? しかし、さもありなん。
公明党を熱烈支援している、学会員の大半は増税に対し怒っています。
軽減税率の事案をいくつ「公明党の実績として」通せるか・これは公明党的政治生命に繋がる命綱です。
もし、軽減税率事案が思うように実現できなければ、いくら従順な学会員といえど次の選挙は知らないぞ、
となるでしょう。
そうならないためにも・また、次の選挙戦で学会員が「公明党がやりました(実績)」と語れるネタを
作らないといけない。 
軽減税率の税制改正大綱が今月10日から審議に入るスケジュールは前から決まっており、それまでに
特定秘密保護法案を「賛成可決」で通しておく必要があった。
結局、自民党から「賛成してくれれば、お土産あげてもいいけど」と鼻先にニンジンぶら下げられて
いたって事ではないのか・・と私は思いました。 密約です。
いや、密約では無く「見せしめた約束」でしたね。
法案通過に協力してあげましたよ、だから絶対、軽減税率についてはやってもらわなきゃ困るんですよ?
という。
結局は、自党存続に利する事のために動いたって事なんじゃないでしょうか。
この軽減税率導入について、公明党の担当者は斉藤さんですね。
以前「新聞にも軽減税率を導入したらどうか」と発言したことがニュースになった時も、私はガクッと
椅子からずり落ちそうになりましたw 
聖教新聞に課税するなってことですよねwと。 いえ、もっともらしい理由はちゃんと語ってましたよ。
一般紙も当然課税するなって事にはなりますが、斉藤さんが「新聞」って言ったら、私は聖教しか
思い浮かびませんでしたw どこまでも、身内の為なんだなぁと。呆れてしまったんです。

特定秘密保護法のおかげで、公明党がどこまでも小手先の政治しかしない団体だということが
理解できました。 
そして自分が覚醒前、公明党という政党団体を応援していたにもかかわらず、政治に無知であったのは
結局はそれが「政治改革を願う・国のためを思う政党支援」だったわけじゃなくて
単なる「仏道修行」であったから、後がどうなろうが興味が無かった。 
公明党は悪いようにしない、と丸投げしていたのは信頼では無く「オカルト信仰」(コトダマ信仰といっても
いいかもしれません)だったという事が、よーくわかりました。

現在の私は、この法には不安を持っています。諸手を上げて賛成とは言い難く。
自民党(安倍政権)が、未来永劫に続くわけではありません。
民主党が再び第一党に返り咲く事は無いと思いますが、どこかのタイミングで新たな政党への政権交代が
無いとは言い切れません。
そのときに再び、ど素人の集まり内閣がこの法をどのように援用するのか?
そこが怖いと思ってしまうのです。
第三者機関を設置すると言いますが、その「第三者」を決めるのだって時の政権であり、
自分たちの考えに近い人たちを招集するのが常でしょう。
抜け穴のない法なんて作れっこなさそうですが、拡大解釈や恣意的な使われ方がないことを祈るのみです。

今回、特定秘密保護法案について様々調べた中で、
青山繁晴さんが関西の報道番組(アンカー)で語っている法の核心部分と未来図が興味深かったです。
アメリカとの関係を深めると言うよりは、アメリカからの「独立」が視野にあるとの読み。
現段階で「本当なのかなー?」と、私は懐疑的ではありますが、このような情報も
知識として、あるのとないのとでは違うと思います。
番組内容を文字起こしされているぼやきくっくりさんのブログ記事を貼らせていただきますので
興味のある方は御一読ください。 (ぼやきくっくりさん、ありがとうございます)

関西テレビ アンカー 8/28放送分
関西テレビ アンカー 11/20放送分

そして同じくぼやきくっくりさんのブログ記事で、思わず笑ってしまった記事がありましたので
貼らせていただきます。
「創価学会員の方へ」
正宗の地道なポスティング活動・・カラーコピーもあるんですね。知りませんでした。
我が家のポストに入ったことはありませんがw 一度現物を見てみたいものです。

非活決意 その後(13)

私の母は思い込みが強く、騙されやすい人だと思います。
それに気づいたのは結婚して親元を離れて以降のことです。

同志がすすめてくれたからと、色んな物品を紹介で買わされてみたり
マルチに誘われ、結構な金額を投資した事もありました。
そういった事柄(マルチやネットワークビジネス)が創価内部で禁止されている事は、
私よりよく知っているはずなのにもかかわらず。

マルチで散財したのは1回では無く2回あり、どちらも誘って来たのは同じ人です。
私の同窓女子の母親でもある学会員(幹部ではありません)。
そして、こういった事は父には全くの秘密でした。

マルチの1度目は私が小学生の頃の話で、私が成人してから「騙されちゃってね」
と思い出話のように語られて知りました。
2度目は私が嫁いだ後で、そのときは「始めてみたのよ」と報告されました。
某国企業が最新技術を結集して作った製品を、日本においてメンバー制で流通させるというもの。
上位リーダーになり・口座が増えればお金が入る仕組みは、ねずみ講そのもの。
パンフレットに書いてあることはもっともらしく立派でしたが、怪しさ満載に思え。
絶対に騙されている、最初に払ったお金は帰って来ないにせよ諦めて
次の出資は絶対してはいけないよ?と忠告したのですが
「お金は出すから、あなたの名義だけ貸してくれない?」と頼んできたのです。
断りましたが、それから1年ほど経過して見知らぬ会社から分厚い封筒が私あてに届きました。
”会則変更に伴う改訂約款” と書いてあって、これは何なのかと母に電話を入れたところ
「急にシステムが変わって大損させられた」と嘆き。
断ったにもかかわらず、私の名前を勝手に使って口座を作っていたのです。
それで私の家に封書が届いたというわけです。
いわんこっちゃない!と呆れました。

母は言い訳がましく
「@さん(婦人部)だけの勧めなら断ったけど、△さん(壮年幹部)がやってたのよ。
 △さん、絶対まちがいないって言ってたのに・・」と。 
こりゃだめだ、と思いました。

こんな目に遭えば活動に行くのが嫌になりそうなものですが
(私なら、絶対やめます。騙された自分が悪かろうが、儲け話を持ちかけてきた奴の顔なんて
 見たくない)
母は、それとこれとは別と考えられるタイプなのか? @さんや△さんへの恨みつらみを
延々口にするようなことはありませんでした。 そこが不思議でなりません。

△さんは4桁財務をしていると噂の方でした。
自営業者で「功徳で毎年右肩上がりで業績が上がっている」と話していたこともありました。
娘さんが居て、女子部世代でしたが一度も会合に参加せず。
家庭訪問に行っても会えず、△さんは会合で私に会うたび
「娘が活動しなくてすまないねぇ、君に会うと本当に申し訳なくなるよ」と声をかけてきました。
私は内心、そこまで責任感じてもらわなくても・・と思いつつ、いえいえと返事。
のちに娘さんと学生時代に仲良しだったというメンバーが引っ越しで私の地域に来ました。
ぜひ彼女にアポイントとって欲しい・女子部としての接触では無く、旧知の友として。
そして気持ちを聞いてきてもらいたいとお願いしました。
メンバーは同窓会で彼女に会い、話した内容を報告してくれましたが驚いたことに
彼女が学会活動に一切出ないその理由
「親が女子部の活動なんてするなと言っている。
 女子部の活動なんてしていたら婚期を逃すからやらなくてもいいと言われている」だったのです。
私は耳を疑いましたし、怒りを覚えました。
△さんは私に「申し訳ない」と言いながら、内心は女子部を小馬鹿にしていたんだなぁと。
△さんの奥さんはつりあい人事で支部幹部でしたが、結婚を機に入信したと聞きました。
女子部蔑視の壮年部w そんな人間が幹部をやっているということも腹立たしかった。
今思えば、女子部の活動が婚期を逃すと言うのは正論なので、娘をそうしたくないという
△さんの考えは理解できますが、当時は怒り心頭でした。 
なんなの?と。馬鹿にすんなよと。
そんな△さんへのマイナスイメージが先行していたため、母から儲け話の黒幕が△さんだったと
聞かされた際は、怒り心頭でした。
今度会ったらどんなイヤミを言ってやろうか?
打ちのめしてやりたい(当然暴力では無く言葉で、ですよ)と考えた物です。

しかし無情にも?再会を果たす間もなく△さんは逝去しました。
闘病している事を公表しておらず、とつぜんの葬儀連絡で母も大変驚いたと報告してくれました。
そして、葬儀の後に「実は△さんから持ちかけられた儲け話で損をして・・」というような
話をする方がいたとのこと。
声を掛けられていたのは、多人数に上るという事でしょう。
その方は母と同じくで、生前の△さんを直接責めることはしなかったそうですが
このような死を迎えたことに「結果が出たのかも」と、自身を納得させるかのような発言をしたのだと。
まるで不祥事を「信心で収めた」というような。
仏法は道理、悪いことしたからそうなった・・ような解釈で収めたように私は感じました。 
それでその方が心から納得できているのかは解りませんが、こんな場面にまで創価ロジックが
力を発揮していることに、呆れるやら・感心するやらでした。
本来ならば、組織本丸に報告なりあげて、処分されるべき事案でしょうが、
末端会員の高齢者たちは”いい人”すぎてそんな事しなかったと思われます。
「組織に迷惑をかけてはいけない」と、飲み込んだんじゃないでしょうか。

このような話は、氷山の一角。
この話は創価本丸が悪いわけではないですが、庶民のコミュニティに「幹部」など上下関係を
つけた上に、幹部=境涯が高い人みたいな扱いにしてしまうことも、確実に問題の因となっていると
私は思います。
池田老人は、幹部にこそ厳しく!などと、秋谷会長相手に衆人環視でイジメ・かわいがりを
やってましたが(同時中継で) 末端現場であのような事は誰も出来ない。
池田老人以外は誰もモノ申せない状態になっているのです。末端現場で幹部が頭を低くするような事は
殆どないと言っていいと思います。
幹部が自身の立場を利用して小遣い稼ぎ・・というような事は、珍しくない事のようです。

頼まれたら断らない母は、書籍も出ますよと言われたら全て予約購入。
開けたことも無い本が本棚に入りきらず押し入れにあります。
民音絡みのチケットも頼まれたらまず断りません。
新聞も一人暮らしなのに複数部入っていたし(現在は減らしましたが)
それら全て、イヤイヤではなく「喜んで」引受けているのです。
それが出来る境涯(経済状態)にあることに満足しているように見えます。

借金があるわけじゃないし、それを優先するあまり暮らしが立ちいかなくなって
身内や他人に迷惑をかける状態でも無かったので、傍で見ながらやきもきしつつも
覚醒前の私はこう割切るようにしていました「活動とそれにまつわる全ては母の趣味」
趣味の出費で本人の懐範囲でのことならだれも文句は言えないと。
外部友人の母親も、韓流スターにハマって高級車が買えるほどの金額を一年で使うと
聞いた事があり、極端かもしれませんが、それよりはマシかと思うようにしていたのです。

だが、数年前に「母はおかしい 正さねば」と考えを改めました。
学会関係に使うお金は惜しまないのに、孫に使うお金を出し渋ったことがきっかけです。
父の生存中、嫁ぎ先に対して恥ずかしくないように何かと気遣ってくれていました。
母はそのような考えはなく、孫の誕生日も覚えていない有様。 なんと子供(兄姉私)の誕生日も
覚えていません。
父の生存中、子供の誕生日のお祝いが欠かさず届いていましたが、亡くなった後は届かず。
4歳の誕生日、長子は届くのを楽しみに待っていたので、寂しく思った様子でした。
忘れてたのかもねと、母に連絡を取ったところ
「それはお父さんが勝手にしていたことなの、私はしたことないのよ」と。
孫は一人じゃないから、 全員に同じことをしていたら大変よね(だからやらない)と母曰く。
なにも高価な物をねだってる訳じゃなくて、気持ちの問題。
新聞を5部も6部も取り続ける事が出来てるんだから簡単なことでしょうと私がとがめると
母「それとこれとを一緒にしてはいけません!」と怒り出したのです。
他にもそのようなことが重なり
この件については根気よく話し「常識的なおばあちゃん」になって欲しいとお願いをしました。
母も理解してくれ、以降改善されましたが、家族より組織(での見栄)が大事なのかと
嘆かわしく思ったのです。
いいカモにされているだけなのに・・と。

何が問題かって、母が「自らすすんで喜んで」やっているのが問題。
何が母をそうさせてしまうのか?
創価の世界にしか生きる場所をみつけられなかったことが災いしているのだと思います。
本来なら基本にたちかえり「家族の中の母」として、家庭生活での幸せを見いだせれば
良かったのに。
買い物依存症の方のブログを拝見した際、
「自分は買い物という行為も、購入した品物にも興味は無かった。
 それよりもショップで店員からにこやかに迎えられ、気持ちよく対応してもらえることが
 重要だった」と書いてあり、私の母もこれに近いのかもなと思ったのです。
つまり創価の世界でお金を使うと、新聞・民音や書籍担当から感謝される。
衆人環視(協議会の席上)などで取りまとめが行われるため、周りの人間にも自分が創価へ
「投資」を行った事が知れ、優越感を感じる。
おまけにこれらの行為は創価では「ご供養に等しい」とされているため、功徳がつまれると
母は思いこんでいる。
選挙応援(全国交流)で高い交通費を払って遠方に行く事も同じくで、会合席上で活動報告ネタになる。
創価と直接の関係が無くても、同志である学会員からもちかけられる物品セールスや儲け話に
簡単にのっかることも、結局は「周囲からよく思われたい」意識なのではないかと思ったのです。
金銭が絡む事ばかり上げましたが、折伏本流も組織の人間から称えられる事柄。
母が躍起になって折伏に取り組んでいるのは、使命感というよりも
組織の人間から「誉められたい」意識が強い。
母の全ての行動はこの「組織内で誉められたい症候群」といっても過言ではない気がして。
なんだか、これほど組織側に都合のいい人間もいないように思えます。
まさに思うつぼというか。

父亡き後の実家に母はひとりぼっちです。
古くからの住宅街に住み、親しく顔を合わせるメンバーの大半が昔なじみの学会員。
外部の友人もいますが、創価に協力的か肯定的か・否かで母は態度を変えています。
また、趣味サークルや行政が運営している老人サークルへ参加しては新たな対話相手を探していますが
最初はいいのだけど、信仰を持ちだした途端、けんか別れする事も多く。
いい加減に何故そうなるのか、常識というものに気がついて欲しいと思いますが、
母にとっての「仏法対話」「折伏行」は、疑うべくもなく「功徳を積む因」なので
誰に嫌われようが・離れて行かれようが、そんな事はへっちゃらで関係ないという思考回路です。

私はそんな部分も「怖い」と感じています。
人に嫌われたら悲しいとか、無いのです。
創価批判をする人間についてはすべてが「仏敵」であって、攻撃対象。 
相手を罵倒しまくる事はあっても、相手の態度から何かを学ぶということはしません。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞い」
「どんな人にも仏性がある」
これは創価で教わったことですが、反逆者や批判的な人間には仏性なんて無いのだとばかり
罵倒し攻撃している。
池田老人煽動のもと、盲目会員は「師匠の敵 創価の敵は許さない 師匠の仇は弟子が討つ」
などと勘違いも甚だしい・およそ仏の教えをたもつものとは思えない使命感に燃えている。 
それが自身の人間としての伸びしろを無にし、偏狭な小我に貶めている事を気づいていないのです。
自分の頭で考えず「師匠の言う事は全て正しい」「学会は絶対正しい」
狡猾なマインドコントロールにより、こんな思いこみのみで、生きているからそうなるのでしょう。

マイナスな出来事やそのことに起因する負の感情を、うまく自身の糧へ昇華していくことが
よりよく生きて行くには必要不可欠であり、多くの「心がけある」一般常識人は
このように対処していると思います。
そこに神や仏の教えはなくとも、出来る人もいるんです。そんな人が世の中の大半です。
盲目な人はそこに早く気がつくべきです。 

ここまで身内(母)の事を悪く書いておきながら、いうのもなんですが、私は母が好きです。
そこは誤解なきようお願いいたします。
母に対し、残念な思いをするようになったのは、私がバリ活でなくなり、創価に対して懐疑的に
なって以降のこと。
それまでは大信頼を寄せていました。
子供時代、優しい母がいなければ私は本当にどうなっていたかわかりません。
厳しい両親・優秀なきょうだい・落ちこぼれの私にフォロー無し、だったら引きこもりになったり、
自暴自棄になり人生どうなっていたかわからないと思います。
信仰の絆ありきで、母が優しく接してくれていたのか・・と思うと、やりきれない気持ちになることも
ありましたが
そうではなかったことにしたいから、母に対し地道に覚醒を促す対話を続けている現在です。

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私信:シルバニア様へのコメントを公開しています。 ご覧ください。

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次回は特定秘密保護法案成立についての私の感想です。

そのあと(14)に続きます。

非活決意 その後(12)

2013年3月 長子の卒園式が終わり、長い春休み。
姉の慶事打ち合わせもあり私と子供だけで実家帰省しました。
正月やお盆の帰省は常に義実家にも行くので慌ただしく、実家に一週間以上の滞在は
第二子を出産後、初めてのことでゆっくり過ごしました。

滞在中、母が”メーラーがおかしいから見て欲しい”と言いました。
おそらく誤操作で変わったのであろう設定を復活させました。
母は喜んで、じゃあついでだから@@さんのメールだけ抜きだして見れるようにしてほしいと。
フォルダを作ろうと設定を弄っているうち、ひとつの送信メールを読んでしまいました。
70を過ぎた母ですが、中高時代の同窓会連絡などPCのメールでやりとりしています。
相手がたはほとんど全員、組織外の人たち。
母は選挙のために同窓会事務局を20年ほど前から引き受けているのです。

@@さんは事業をしており、お子さんの代に譲り現在リタイヤ生活中ですが
手がけていた事業の人脈を生かし、被災地支援・奉仕活動をされています。
その方の自宅で行われた食事会の写真を以前母から見せられたのですが、建築家の建てた
瀟洒な住まい。 うちとは世界がまるで違うな、と感じました。
富裕層で社会貢献に対し意識が高く・行動力のある方です。
(創価は金だけ集めたおして、私利私欲に使っても慈善には殆ど使わない。全く愚かです・・)
そんな@@さんに向かって母は、メールで仏法対話をしかけていたのです。
勝手にメールの内容を見てしまったことは申し訳ないのですが、私は呆れてしまいました。
相当な「上から目線」で語っていたからです。

”いくら財産があっても、お金はあの世に持って行けない。どれだけ心が充実しているか、
 心が輝いているかで幸福価値は決まるんです。蔵の財より身の財・・”というような事を
書いており、永遠の指導者wの指導も引用している。
私は、とても恥ずかしくなりました。
母は、世間知らず過ぎないか?相手に笑われてるよ、と。
百歩譲って相手がなんらかの悩みを抱えており、母に相談をもちかけてきたその返信なら
わからなくもないけれど、そうではありません。実に唐突に創価仏法を語る文面でした。
@@さんからしてみたら、母からそんな言葉をかけられてもね・・って感じでしょう。
同窓生のよしみでつきあっているだけで、メールなんてリアルな用件だけ読んで、
一方的に押しつけの「幸福価値」についての話など一笑にふしておしまい。 
だけど、はっきりと@@さんから拒絶されていないから母は気付かないのでしょう。
いや、スルーされている事は自覚しているかもしれない。
それでもなお(相手に馬鹿にされていると知りつつも)一方的な仏法対話を続けるのは
「これこそが不行菩薩の振る舞い」だと悦に入ってる可能性がある。
創価では、相手が聞く耳を持たなくても・なびかなくても仏法を語るところに意義があり、
相手がどんな反応をとろうが語った者に「功徳」が積まれるのだ、と教えています。
どれだけ馬鹿にされようとも嫌われようとも、動じない人が多いのはこんな教えがあるからです。
とんでもねぇな、と覚醒した今はそう思います。

@@さん夫妻のほうが、母よりよほど充実し・輝いた人生を送ってると私には思えます。
勿論、外側だけで判断できないこともあります。
ただ少なくとも母より広い世界、世間でものを見聞きし経験し、確実に社会に貢献している方。
そんな相手に向かって、自分が所属している宗教団体は素晴らしいんです。すごいんです。
この仏法で幸せになって欲しい・・なんて言えるってほんとに母はお花畑の住人だ、と思いました。
何も見えていない。
まず、自分の立ち位置が全然見えてないしわかって無い。
それってある意味、幸せなのかもしれないけど、組織どっぷりな人間の盲目さって怖いなと。
私も、同じような部分が女子部時代は大いにありました。
このメールの件について、私は何も母に言いませんでした。

翌日、今度は母の携帯に頻繁に迷惑メールが入り困っているというので、これも設定を
変更することにしました。
弄っている最中に入ったメールが、唐突な書きだしの長文で
私は「あ、こういうメールって怖いよね。騙しだよ絶対」と、全文を開いてみたところ
”新聞はいりません””マインドコントロール”という文字が目に入り、「えっ?」と声を出して
しまいました。
横から母が携帯を覗き「ああ、これは違うのよ」とバツ悪そうな様子。
なんなの?と聞くと、趣味サークルで知り合った人に新聞を贈呈で入れさせて欲しいと頼んだが
断りの返事とのこと。
相手はやはり、(母のメインターゲットの)独居老人。
「この人、すごくさびしがりで、しょっちゅう電話してくるから相手してあげてたのに
 学会のことを話したら、とたんにてのひら返しちゃってね」と、相手の悪口を言い始めたのです。
こうしてハッキリ断ってくる人がいることに、私は内心感謝しました。
そして母に
「逆じゃない?そうやって”新聞とってほしいから・選挙で票を入れて欲しいから”って
 (下心ありきで)親しげにしているなんて。あなただって同じだと思うけど。
 逆恨みもいいところじゃない?」と言ってやりました。
母は「そんなことない!これは仏道修行なのだ!」という内容の反論。

「でもね、普通の人付き合いでそんなのってないよ。
 何もかもが(組織の手玉となる)手段になってるって、そりゃ一般の人から疑われたり
 嫌われたりしても仕方が無いよ」と私は母を諭しました。
以前の母ならこんな言い草に対し激しく応戦したでしょうが、思う所あったのか、この時は違ったのです。
ぽつぽつと、愚痴を言い始めました。
主に、周囲にいる外部がわかってくれない・学会への風当たりが最近きついという話。
贈呈であっても新聞を断られることが増えたとの事。

高齢の母にあまりきつい事も言えないので、やんわり言ってみました
「組織内部の、周囲を見渡してみて。
 豊かで幸せで、充実感をもって生きてる人達ばかりなの?
 そして組織外部の友人さんを思い浮かべてみて。 どう、違うでしょう?」と。
母の顔が強張り。
思い当たる節が、山ほどあったんだと思います。
だけど母は言いました
「物質や金銭面だけ豊かでも心が貧しかったらどうしようもないでしょ。
同志はそういった(経済)面では恵まれて無くても、とにかく楽しそうにしてる。だからいいのよ!
 それこそ、幸福価値観の違いよ」と。
 
いまこの言葉を思い返すと、創価の信仰を保っていない人は「心が貧しい」というような
決めつけ前提で話をしている時点で、甚だ失礼だと感じます。
”生命哲学が、仏法が無ければダメな人”なんて、そんなわけあるはずないのに。
その生命哲学とは「何もかもを乗り越えて行く力になる」こんな風に創価の世界でいわれて
いますが、その考えがいかに偏狭な世界の話なのかを考えた方がいいと私は思います。
そんなものがなくても、心豊かで・達観し悠々と・どんな境遇に在っても生きている方が大半です。
また、どのような困難に対しても・創価の信仰に頼らずして立派に乗り越えた「人生の勝者」だって
広い世の中、山ほどいるのです。
ただ私は、覚醒前はそのような(創価の信仰を持たずして幸福な)人達に対し
「この人たちは、業が深くないんだ(前世で善根を積んだ人)」と結論づけていました。 
私自身は前世の業が深いのだろう。だから信心していくしか、よりよく生きて行く方法は
ないのだと思いこんでいました。
こういった「自分は業が深い=自己卑下」な考え方を植え付けられるのも、創価のMCの特徴では
ないでしょうか。
出発点がマイナスだから、ほんのちょっとしたことでも大げさに喜べてしまうのです・・。
そこがなんでもかんでも「功徳」と誤変換してしまう原因のひとつでもあると思います。

「幸福価値観」って、なんなのだろう。
創価で教わったのは、絶対的幸福至上主義。 相対的幸福では刹那に流されるからダメだと。
その「絶対的幸福」って突き詰めたら、ランナーズハイではないのか?と私は考えました。
脳内麻薬が出っぱなしってことでしょう、要は。
多くの疑いを持たない創価脳は上記の状態なのでしょうね。
しかし、それって本当に幸せなのか?!
現実を見据えずに「勝ち」だの「大勝利」だの言えるのはドーパミンの仕業じゃないのか?!

本人がよければ、それでいいのか。何もかもがそういう事なのか。
騙されていたってそれに気付かず、幸せだと思えているうちが華なのか?
気持ちよく騙されているのなら、それでいいのか?!

・・いいえ。絶対によくない。
騙されているだけじゃない、お金が絡んでる。確実に詐欺に遭っているのだ!
私は母に絶対搾取されてほしくない。 だって、母の小金はそのほとんどが父の遺したものだから。
創価にやすやすとだまされ搾取されているだなんて、父が悲しむ。
正月帰省時に新聞部数を減らす事を交渉しましたが、このときは選挙支援で高い交通費を使って
遠方へ行かないように話をしました。
選挙活動で功徳がつめるわけないんだよ? と。
母は半笑いで聞いていましたが、この夏の選挙後に笑えなくなりました。後に記します。

騙される、詐欺で思いだしましたが、創価内部で母は詐欺まがいの被害にあっています。
次回書きます。

(13)に続きます。

非活決意 その後(11)

絶対的信仰を心身に刻印されるトリガーは偶然の合致と思いこみの産物=「功徳」と、
もうひとつはこれまた同パターンの「罰」でしょう。
その「功徳と罰」の経験が鮮烈であればあるほど、絶対心は強靭なものとなります。

私の母における「罰」の現証を、以前も幾つか書いたのですが、最近ふと思い出しました。
もっとも強烈な例が母の親戚にあるのです。
母のいとこにあたる女性(現在60代後半)の半生です。

いとこの女性は女子部で頑張っていましたが、恋人から結婚の条件として創価の信仰を
やめるようにいわれ、御本尊様を破った(不敬をした)そうです。
(昭和40年代のことで、宗門の御本尊様です)
結婚相手は堅気ではない人です。

そのいとこが、流産を繰り返した事を母は「不敬した罰だ」と言っていました。
母は「人間になれない状態で流れてしまう」と表現しており、
この話を聞いた当時の私は20代で、妊娠出産に関する知識も乏しく、
ただ「得体のしれない恐ろしい事象(妊娠に至らない)」=罰なんだ、と受け止めていました。
また、母の認識も上に同じだったと思います。
しかし、私自身が妊娠出産を経験する過程で「不育症」なる症例がある事を知りました。
医学である程度解明されていることであり、この症例を乗り越えて出産に至っている方も少なく
ありません。 多くは先天性のものだそうです。
昭和40~50年頃は現在のような情報化社会でもなく、また母の無知も大きく災いして
「不敬した罰」などと、わけのわからないこじつけをしたのだと思います。
これは今度、母にあったら話して聞かせる予定です。 
罰なんかでは無い・不育症だったんじゃないのかと。
ちなみに、そのいとこは流産の後にお子さんに恵まれ、その子は立派に成人しています。

話はそれますが、私が婦人部になりたて当時、会合で顔を合わせていたメンバーの一人が
不妊治療中でした。 彼女はご主人から折伏を受けた一世で、40代手前ということもあって
焦りもあったようです。
治療をしている事をカミングアウトしており、体調に不安があることを時折会合で話していました。
自分たちが子供を授かれないのは業なんじゃないか、と発言したことがあり
「そんな事無いよ」と皆でフォローしました。そこには地区婦人部長以下しかおらず
厳しい事を言う人は誰も居ませんでした。
彼女が「業」という言葉を自身の境遇にあてはめ、不安を感じていることに対し、この時はなんとも
思いませんでした。
「業」という概念が私にとっては日常茶飯事すぎてなんとも思わなかったのです。おかしな話ですが。
いま思えば、そんなこと(業)でただでさえ苦しい気持ちに、更に重荷を背負っていたのではないかと
彼女が不憫になります。
結果、彼女は治療で授かることができないと医師から宣告を受けて諦めたそうです。
そして非活になっています。
ご主人は活動家ですが、奥さんについてはそっとしておいてほしいと話している・・と
近所の商店の奥さん(ワーク婦人部)から数年前に聞きました。
私の友人(外部)にも、治療の末に諦めざるをえなかった人がいます。
友人の体質的なことが処置段階でわかり諦めたのですが、こういった事柄を「業」や「宿命」
または「罰」と絡めて語る事は、非常にナンセンスだと私は思うのです。
創価に於いては、その「業」「宿命」「罰」をえさに学会活動に励ませようとしているだけだから。
そんなこと(学会活動)で克服なんてできません。
なんにでもあてはまることですが、問題に直面した時、現実的な手立てに勝るものなんてないと
私は思います。

話を元に戻します。

十数年経過のち、いとこはご主人と離婚。原因は相手の浮気でした。
しかしその後、浮気相手と別れた主人が戻ってきて復縁。
夫婦で始めた商売が当たり、メディアで紹介されるほどになりました。
羨ましいほどの豊かな生活をしていましたが、それから十余年後、ある日こつぜんと姿を消しました。
ご主人が多額の借金を背負っていたらしく、商売先や自宅が差し押さえられたのです。
そして夫婦ともども、行方不明です(現在進行形)。
まるでジェットコースターのような、浮き沈みの激しい人生。
周囲でもこれほど激動の人生を送っている人の話は聞いたことがありません。
母はこのようないとこの人生を「全ては御本尊様を不敬した罰」によるものだ、と言っています。
このいとこの件をたびたび話の引き合いに出すのです。 まるで言い聞かせるかのように。
私も覚醒前までは、このような不幸な目にあうのは退転・不敬した罰に違いないと思っていました。
ただ、このご主人が堅気では無かった(反社会的勢力の傍に常にあった)事を含めて考えれば
「さもありなん」だと最近思うようになりました。
不敬した罰がどうとかいう以前の問題で、単純に置かれている環境が悪すぎたのだと思うのです。
しかしこう言えば
「そんな事は無い、御本尊様を不敬しなければ・信心を貫けばこんな目に遭わなかった!」と
母は言いだすと思うのですが、だったら私は突っ込みたい。
「なぜ女子部で真面目に頑張っていた人が、そのような相手と巡り合ってしまったのか?」と。

そう問えば
「活動家には魔が競う」「魔に食い破られたから(本人の責任)だ」とでもいうのでしょうか?
もう、こうなると結局は全てが「本人の判断と運次第」
信仰云々とは関係ない次元の話。
信仰とは「心がけ」 それだけでいいじゃん。
それ以上のものなんか何もない。
功徳やら不思議な法力がそこにあるようなウマい話でたらしこむな、と私は思うのです。
不思議な法力があると仮定するならば
「信仰をしていれば判断を誤らないんじゃなかったっけ?」と私は聞きたい。
いとこには御仏智がなぜ働かなかったのか?と。
一瞬のすきをつけ狙われた、とでもいうのでしょうか。

また、それが全て本人の「宿業」だったという片付け方もあるかもしれません。
そのまま信心を保っていれば宿業転換できたのに残念だねと。
私はそのような片付け方に対しても、覚醒してしまった今は納得がいきません。

業という話で、身内で語り継がれているエピソード。
母方が浄土宗から改宗し入会に至った事を前回書きました。
創価では浄土宗の業を「男が立たない」としていたそうで、男性が早死にすると言うのです。
母方祖父は50代で病気で亡くなりました。もっとも、30代で大病を患っており40代で亡くなると
言われていたところ、50代まで生きられたのは「功徳」で、宿命転換できたと身内の見解です。
男きょうだいで50代で突然死をした人も居ました。幹部をしていましたが、このおじが亡くなった時も
「浄土宗の業がでた」と母方身内は結論づけ。
おばの主人も60代目前で亡くなり、うちの父も60代後半の急死でしたがこれらも母方身内に
いわせると「浄土宗の業」だそうです。
また、長兄は80代ですが近年認知症になりました。
家を継いだ人がそうなったということでやはりこれも「浄土宗の業」だと母は言うのです。
法華経信仰を始めてすでに半世紀以上、それでもまだ浄土宗の罪業は消滅されていないというのですw
いつになったらその業がなくなるんでしょうか。
単純に男性陣が早く亡くなっているのは(祖父を除き)、創価信仰によるストレスのせいじゃないの?と
最近の私は思っています。

いい時は信仰のお陰。 悪い時は本人の自己責任もしくは(宿)業。 なんじゃそりゃ?!
この現実をいまもって活動家の方々は、どう捉えるのでしょうか?

「偶然の合致と思いこみの産物」 
これまでに信仰で得たと感じていた功徳について、私の場合は殆どがそれだと判明しました。
また「罰」だと思っていた事に対しても同じく・・または、根本から方法が間違っていたとか・
以前も書きましたが素行不良であったり、心がけが悪くてそうなってしまったという事柄。
なにも御本尊様が下した「結果」では無いのです。
そして「学会活動をさぼった」からでも「創価を裏切った」からでもありません。
現実的な原因究明なくして、それを摩訶不思議な法力に絡めて考える事は問題を複雑にしたり
曖昧にもします。 そしてまた同じ不幸を「繰り返す」恐れもあるのです。
これは、もし今迷っている方・悩んでいる方がいらしたら、自身の経験・思い当たる節を
ぜひ紙に書きだすなりして確認・検証してもらいたい。
そこにあなた自身の努力や機転や行動は無かったのでしょうか。すべてがタナボタだったんでしょうか。
また、周囲からもたらされた恩恵であるなら、それはもともとあなたがもっていた環境によるものでは
ないでしょうか。
そんなの何も無くて、本当に思いもかけない幸福を「学会活動+唱題」のみで掴んだという人が
いるのなら、私はその人に言いたい「ものすごく運がいいんですね」と。

母という人も、元々たいへん思いこみが激しい人です。
つまらない例ですが・・父方実家の菩提寺(浄土真宗)は山号に「妙」の字がつきます。
母は私に「あのお寺さんは、もともと日蓮宗だったけど浄土真宗に鞍替えしたに違いない」と
私が高校生の頃から言っていました。
そんなことあるわけないじゃんw どうしてそう思うの?と尋ねると
①鶴丸の紋がついた寺院幕・家具がある 
②お厨子のとなりに、墨染の衣をきた僧侶の絵画(掛け軸)がある(日蓮の絵だと思う)
③寺の山号に「妙」が入ってるから というのです。
鶴丸=日蓮正宗。 墨染の衣=日蓮および日蓮正宗の僧侶がきているもの。 
戦時中に弾圧を受けて、仕方なく浄土真宗になったけど日蓮を捨てきれないんじゃない?という母の見立て。
私はこの説を「そんな訳はない」と一蹴しましたが、詳しく調べた事はありませんでした。
覚醒の1年くらい前にふと、ネット中にこの事を思い出したので調べてみました。
すると、鶴丸の紋は日野家=親鸞上人の実家の家紋だと言う事が解りました。
そして墨染の衣を身に付けた親鸞上人の絵画は、多数描かれている。
決して墨染の衣=日蓮正宗の専売特許ではないということが判明したのです。
また「妙」を山号にしている寺院は、ものすごい数あって、宗派はばらばらです。
もう、笑ってしまいました。お母さんあなたって、なんて思いこみが激しいの!と。
この結果を伝えたところ母は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしました。
いつか、寺の住職に尋ねてやろうと思っていたが、それ以前に父が急逝してしまい
(父方田舎へ行く機会がなくなったので)確かめようもなかったが、聞いてたら大恥をかくところだったと。
無知って恐ろしい。
そして思いこみは、もっともっと恐ろしい。

母は天然ボケなところもあり、そこは可愛らしさでもありますが、概ね騙されやすいのだと思います。
そして戦後間もなくの時代から創価イデオロギーどっぷりで生きてきた。
ほんとうの「母」という人格が、創価イデオロギーに覆い隠されてしまっている。
それは「人間らしさ」を失ってしまった状態です。

母が「どうしてこんなに残念な人」なのか。
その理由・原因は、半世紀以上にわたる創価のプロパガンダにあると私は結論します。

非活決意 その後(10)

私の折伏の親でもある母と、実家の信仰背景と考察。

母の実家は貧乏人の子だくさんを地で行く暮らしでした。
おまけにもともと祖父は体が丈夫な方では無く、戦前に大病を患い。
藁をもつかむ思いで、仕事仲間にすすめられた法華経の信仰をすることになり入信。
もともと信仰していた浄土宗からの改宗です。
このとき母は生まれておらず、誕生後に入信した2世です。
家族全員入信(入会)しています。
戦後すぐ一家離散の危機に直面。
幼いきょうだいは子供の居ない親戚、跡継ぎのいない家にそれぞれ預けられ
そのまま養子になる予定だったとのこと。
この時代そういったことは珍しくなかったようです。
しかし祖父の商売に支援者が現れ、一家はふたたび一緒に暮らせるように。
この頃、長兄(母の兄)は既に中卒で社会人となっており、創価学会の活動に参加。
戸田先生の時代です。
詳細が解らないのですが、お寺に所属することと創価入会がイコールになったのは
おそらく戦後だろうと思います。
母実家に於いて、創価色が濃くなりだしたのは長兄が何かのきっかけで青年部の活動に
参加したのが契機ではないかと推察。

昭和30年代初め、長兄が祖父の商売を引き継いだところで貧困状態が一転。
高校進学をあきらめていたところ、経済状態が良くなったことで母は進学が叶いました。
家も建てなおしたそうです。
この経験を「功徳だ」と受け止めた事が、母一家の信心の原点なのだと思われます。

冷静に考えると、時代背景的に戦後復興の上げ潮時期であったことは間違いなく。
父方の祖父は事業をしていましたが、この頃に財を成したと聞いています。
事業規模やバックグラウンドが全く違うので単純比較は乱暴ですが、母方実家の経済好転とは
レベルの違うものでした。
創価の信仰をもたず・浄土真宗+神道を信仰していても、桁違いに儲けていた人がいる事実を
考えれば、創価で語られる「信仰の功徳」というものが実に観念的なものであるということが
解る気がします。
本人が思ってもみないラッキーを「功徳だ」と受け止めるか否か、それだけの問題。
此の時代に於いて言えば、経済振興はちょっと頑張れば誰人にも起こりうるラッキーだったのでは
ないでしょうか。 
所謂「いい時代」だったのでしょう。

母の夢のような実家暮らしは長く続きませんでした。
高校在学中、長兄が結婚しお嫁さんも同居する事になったため、小姑はいらないと
卒業後すぐ家を出て行くよう命じられます。
他のきょうだいも自活しており、母も就職をし先に家を出たきょうだいを頼って共同生活。
その後、きょうだいが結婚すると一人暮らしを開始。
給与も少ない中、自活をし学会活動で交通費や書籍と出費がかさんで大変だったこと・
新しい洋服や靴を買う事もままならなかったこと。
実家のすぐ傍で暮らしていたようですが、長兄の代となり気楽に帰れる実家ではなくなった為
寂しく辛い思いをしたと語っていました。
堅い企業に勤務し・実家が裕福な父と出会い結婚したことで、経済的不安はなくなり専業主婦に。
その事を(経済状況が良くなったという意味において)母は「功徳」で、
「女子部時代に積んだ福運のお陰」だと、私に繰り返し語りました。
「あなたも経済的にしっかりしたところに嫁ぎたかったら、女子部の活動を頑張りなさい」
と言い聞かされたものです。
ちなみに、両親の出会いは母が父を折伏しようと街で声をかけた(所謂逆ナン?)こと。
父は当時既に、取引先の偉い人から無理やり寺に連れて行かれ御本尊様をもたされていましたが、
それが何なのか解っておらず、母に相談したことが縁となったのでした。 
出会いからすると、私がうまれてこれたのも創価のお陰の様になってしまうので嫌な感じですがw
それはもう問題じゃないと思うようにしています。

母は折伏成果もかなり上げており、独身時代だけで20以上。
現状、此の当時の折伏相手と交流が続いているのはたったの2人で、うち1人は脱会しています。
殆どの折伏相手と連絡が途絶えている、これが何を物語っているのか。
母は居住地域(県)を変えたことが一度もありません。生まれ故郷でずっと暮らしています。
これは結婚後、婦人部に上がってからの母の本流成果にもいえることなのですが
後のケアが殆どと言ってよいほど出来ていないのです。
折伏相手は「一世」なわけだから、冷静な判断でカルトだと気が付き、フェードアウトされた部分も
多いにあると思います。
が、母の折伏を私がこの数十年見ている限り強く感じることは、結局は「数」それだけなんです。

子供時代、家にたまにやってくる御陽気なご婦人が居ました。
母が折伏した人です。
ものすごい大声で玄関前で挨拶をし、断りも無くずかずかと家に入ってくるのです。
幼心に「この人かわってるなぁ」と思って見ていました。姉など本気で嫌っていて、
そのご婦人が現れると奥の部屋に隠れていたほどです。
いま思えばですが、その方は知的障害者でした。
自分で判断して入会したと言えるのかどうか、謎です。
それが本当に相手のためを思った「折伏行」だったんでしょうか?
誰でも良かったんじゃないのかと思ってしまいます。
このご婦人はある時期を境にぱたっと来なくなりました。
それは同市内で実家が新築をし引っ越した時期とかぶるのですが、おそらく母はご婦人に
新住所を教えなかったのでは?と思いました。
後日確認したところ、家の前で騒いでいたご婦人を父が怒鳴りつけたという出来事があったそうで
以来、来なくなったとの事でした。
その後、相手は引っ越しをしてしまい行方知れずだと母は言い、あくまでも相手から離れて行った・
自分は面倒を最後まで見るつもりだったと言っていましたが、疑わしいです。

ここ10年の間にも、母は何世帯か折伏をしています。
私の結婚後(父存命時)、母が折伏のために毎日出歩き、遅くまで帰ってこない事で
父が怒って大げんかになり、仲裁に入った事がありました。
私は、母がなぜにそんなに必死なのか意味が解らず。
当時はまだマインドコントロール下にいた私ですが、母の折伏姿勢は理解ができないと思っていました。
相手の方は、子供に恵まれず・つれあいに先立たれた独居老人。
母は「ご安置しやすい・家族の反対が無い」という理由で相手をターゲットにしていたよう。
そんな理由で?と、心底呆れたのです。
それって、相手を救ってあげたいとか幸せにしてあげたいって出発点じゃないじゃん、もはや。
「本流し易そうな人だから」って、それって折伏行?
しかも、相手は一人暮らしが寂しい、という悩みがある程度(?)で
健康状態も良好、経済的にも不自由のない人。そこそこお友達もいて、立派に自活している方でした。
全ての人に法華経をたもたせてあげるのが、折伏の大前提(という事に創価ではなっています)。
しかしだからといって、母のやらんとしている事が「とにかく本流できたもの勝ち」のように思え
酷く違和感で。
母は期限を切っていて、組織のいわゆる「記念日」に照準を合わせていました。
そのため、期限まで時間が無いと、焦って毎日会う約束をとりつけ半ばストーカー的に相手をおとそうと
していたのです。
私は、母に「相手の気持ちを全く無視している!それは違う気がする」と意見しました。
すると母は「そんなことはない。相手は揺れている。迷ってる。だからこっちが腹を決めて
一念を決めて挑まないと決まる物も決まらなくなる。そのための期限設定なんだ」と反論。
私「そうじゃないでしょ?あなたがそう考えてたとしても、相手にも時機ってもんがあるんだよ。
あなたの話聞いてると、あくまでも組織に利するようにとしか聞こえない。相手の都合なんか
全然考えてないと思う。成果上げたいってそれだじゃん」と言い返し。
それに対し母は
「いいじゃないの。私たちを闘わせてくれるために・会員に宿命転換させてあげようって・
 頑張れるようにと、組織が(期日を)設定しているの。
 相手の時機も、こっちが決めて やるくらいじゃないと、折伏なんかできないんだよ」と。
こんな言い草、全く納得できなかった。
母には言わなかったけど、私は思ったんです
「結局、組織から誉められたいだけじゃん(呆)」。
その方への本流は実りましたが、後日ささいなことから喧嘩をしてしまい、今は交流がありません。
組織にもついておらず、おそらく相手は脱会を決意しているでしょう。
母の折伏は、このようなケースが結構あるのです。

また、必死で折伏アタックをかけていた別の人物に対し、母は物品を贈ったり何かと親切にしていました。
ところが、その人が別の学会員からも同じく折伏を受けており、その人からもあれこれ恩恵を
受けている事を知るや否や「人をばかにしている!」と、相手を切り捨てました。
折伏の親は一人なのだ。 どっちから入ろうかな~なんて、入会をエサに時間を稼ぎながら
利益供与(そんな大げさなものじゃないけど)を受けているなんて許されない!と。
このときも、母の怒りの方向が私にはよくわかりませんでした。
折伏精神って一体なんなんだろう。この人にとっての折伏って???と、首をかしげたんです。
私が、組織の活動に必死な母を見ていて、ずっと違和感だったのがこの「成果主義」。
なんでもすごく頑張るし結果も出すけど、そこには慈悲がない。
相手を心から幸せにしてあげたいという思いを感じないのです、残念ながら。
やったらおしまいで、実際の話、面倒を見れていない。
とにかくこの日までにとか、この数字にしたいとか、そんなことばっかりに必死になっているように
見えるのです。
創価の世界で結果を出し、誉めたたえられることに最上の喜びを感じている。
質より量です。中身は誉められたものではない。
それでも創価の世界(現場)では、数を上げたもの勝ち。これが現実です。
真心だの何だの言うわりに、中身は伴わない。 それで良しとしてきた根本は何なのか?
結局大本営が欲しいのは「金と権力(のために無償奉仕してくれる手駒)」だからです。
中身なんかどうだっていい。 それが正体でしょう。
現役活動家の方は全力で否定するかもしれませんが、よく考えてみてください。
あなたの周りにも、このような話は幾つか転がっているはずです。
慣れ合いの空気で有耶無耶にされているでしょう。
真に人心の通う宗教団体であればこのような「中身はどうでもいい・成果主義」が許されるはずは
ありません。 
そんな会員には、お咎めがあってしかるべきなのです。 だけどそんな事はほぼありません。 
どんな無茶苦茶な折伏・新聞推進・度を越していると思われる選挙の連れ出しや投票の要請は
「見て見ぬふり」されている。
選挙に関しては、末端組織幹部がそれを煽り・自ら率先してやっている例が数多くある。
こんなものが「人間主義の行動と哲学」なわけありません。
また「一部の心無い人間のせいで創価全体を悪く言われて迷惑。自分は違う(キリッ!」
タイプの方もいますが、それは詭弁というものじゃないでしょうか。

話を元に戻します。

母がこうなってしまった背景に、生い立ちが関係していると分析。
母はいつも、誰かに誉められたい・認められたいと思う気持ちが人一倍強い人なのだと
気がついたのは最近のことです。
社会(=仕事)にそれを見いだせればよかったが、母は女子部の活動に必死になるあまり
条件重視の転職を何度もしていたようで長続きせず。
給与の大半を交通費に費やし、大ブロックを廻り、折伏できそうな人がいると聞けば
飛んで行ったとも聞きました。
現代ほど娯楽のない時代とはいえ、自活の上、稼ぎの大半を創価の活動につぎ込んでいたのでは
他の事柄に目を向ける余裕も全くなかった青春時代なのだと思います。
というより、創価の活動が「娯楽」がわりだったのかもしれない。
組織の活動に「やりがい」を見出し、虜になってしまったんでしょう。
また結婚後も、実家からそう遠くない地域に住み、幹部となったきょうだいたちの「目」もあった。
父とは信仰をめぐり喧嘩が絶えず、それがますます母を創価の世界へ向かわせてしまった。
創価が掲げる「一家和楽」なる、家族全員が洗脳されなければ実現不可能なスローガンを
自身の命題としてしまったことも不幸のはじまりでした。

母がそうなってしまったことは「かわいそうだ」としか言いようがありません。
愛情溢れる家庭生活・子供時代を経験しないまま、青年期に突入し創価を心のよりどころとする生活。
自己実現が何なのかハッキリわからないまま、創価の活動=生活の中心となってしまい
創価の世界で自己実現を求めようとしてきた。 現在進行形で。
こう考えれば、子育ての姿勢がおかしかったことも納得です。
そして私も(結婚までは)、母と同じ道をたどったのだと解りました。

人生、もっとほかのことに充足感を求める事も出来れば・自己肯定感を高めることだって出来る。
なにも創価の組織じゃなくたって。というか、これほど愚かな事もないように思え。

これは自己責任で、組織が悪いわけじゃないという人もいるかもしれません。
だけど、母のような人を明らかに「利用」しているのが、創価という組織だと思います。
数さえ上げれば無責任に誉めたたえ、ちやほやと扱う。
少々後始末がわるくても、組織に直接迷惑かける問題じゃなければスルー。
ループになりますがその理由は、大本営にとって必要なのは「金と権力(保持のための手駒)」
この2つさえ手中にできれば末端現場で起きている細かい件はどうでもいいのでしょう。

生きる目的が解らないまま、宗教の教えに深く入り込む。
その宗教が「他人を幸福にする勧誘活動こそあなたがこの世に生まれてきた使命」だなんて
刷り込むと、崇高な目的に生きる私!と、その人は勘違いする。
そして意のままにどす黒い団体に搾取され続ける。 
こんな恐ろしいことが、日本のあちこちそこかしこで、数十年間に渡り行われている現実。
宗教法人法になぜメスを入れないのでしょうか?
課税対象にするだけでもかなり風向きは変わると思います。
そうされないがためにも結党し、微妙な数であっても議席を「死守」しようとしている宗教団体。
百害あって一利なしとはこのことです。

(11)に続きます。