非活決意 その後(23)

40年以上にわたり、私の人生を支配してきたといっても間違いない創価信仰が
実は日蓮大聖人を都合よくかつぎあげただけのエセ一神教だったこと。
そして功徳だ現証だと、実際目の前で起こる出来事の全てを信仰と結び付けて生きてきたが、
そのすべてが思いこみであったことに気がついた2013年5月。
創価が宗教を使った巨大搾取集団だったことに気がついたとき(2012年9月)よりも
更に大きな・精神的なショックがありました。

今だから言えることですが、それまでの40年余りを
「お題目を忘れなければ・信心さえ失わなければ(最終的に)どうにかなる」というような
何の根拠も無い自信と、安心感をもって生きてきたのです。 
信仰がいわば「人生の保険」のように考えてきた。 しかしそれは幻想。
現役活動家が「大確信」と胸を張っていられるのは、実はしあわせなことかもしれません。
それが幻だということに気がつかない方が、実は人生楽かもしれない。
しかし、その「楽」さと引き換えに人生の大事なものを際限なく失ってしまっているのです。
財産も・親子の縁も・家族愛も・人との縁も・社会との健全な関わりも・人生を豊かにする体験や
経験も・見聞を広める様々な機会も。
幻が無い代わり、怖れや不安も多いが・哀しみも喜びも楽しみも格段に多く幅広い・深みのある人生を
送る事を「リスキー」と捉えるのか。
それとも隔絶された世界で大勝利だ!ボロは着てても心は錦!今世がぱっとしなくても来世は幸福長者!
などと催眠から醒めず搾取され続ける人生を送る事を「セーフティ」と捉えるのか?
私はどれだけしんどかろうが、前者をとると決めました。

しかしながら、どちらの人生が良いのかは、人に依ると思います。
これは大げさでなく、学会2・3・4世として生きてきた人にとって究極の選択です。
なので私は、現役活動家盲目さんに対して(知り合いでも見ず知らずの人であっても)
「目覚めよ!」と行動に出たりはしません。
現役幹部の伯母や、バリ活な親戚と話す機会もありますが、かみついた事はありません。
ひとつの疑問ももたず、幻想の中に居る現役活動家盲目さんのブログに問題提起なコメントを
書いたりもしません。静かにロムってるだけ。
ただ、ほんの少しでも疑問や不満や言いしれぬ心のモヤモヤ感をもちながらも「罰論」や「しがらみ」で
そこにとどまろうとしている人に「勇気を出して、考えるのをやめなくていいよ」と言いたい。
気がついてほしい、と言っているつもりです。

これまで生きる後ろ盾としてきた「保険」が全く不確実で安心などとは程遠いものだったと
気付いてしまったとき。
愕然とし、これから私は何を規範として生きて行ったらいいんだろう?と大きく戸惑いました。
お曼荼羅を擬人化し恐れていたことも、あっさりと、憑きものが落ちたようにどうでもよくなり。
リビングの壁に向かってしていた遥拝ごん行も止めたのです。
日々少しずつでもと読んでいた御書も読むのをやめました。 どうでもよくなったのです。
この御書の扱いも、選民意識のあった頃は丁重でした。
何冊か本を積み重ねる時でも一番上にしないといけない、と母から教わっていたので
何も知らない夫が御書の上に別の本を置こうものなら「やめてよ!」と怒っていました。
だったらその辺に置くなよ、って話ですがw 本当に迷惑千万な妻でした。恥ずかしいです・・。

しかし、上記の「どうでもよくなった」は、すっきりと明るい方向ではありません。
全部が無意味だと思ったから止めたのですが、次のなにかを見つけて止めた状況でもなく。
喪失感で精神的に沈んでいました。

そして、前回書いた「まずいことになった」
これは実家の母との繋がりを失うことになるかもしれない・・という危機感でした。

以前も書きましたが、実家における母と私の関係は「信仰の師弟関係」でした。
普通の母娘という感じでは無いんだな・・と気がついたのは、結婚してからです。
そう思った経緯もこれまで書いたとおりなのですが、具体的に言えば母が家族の用事よりも
学会活動を優先してしまっても、私は全く疑問を持たず不満におもわなかったこと。
なによりも信仰や学会優先が大事だと考え、信仰に反対する父や・信仰を嫌う兄や姉を
家族でありながら敵視し・こんな素晴らしい法が理解できないなんて・・母娘そろって見下しても
いたこと。
父の死後も、母はきょうだいの誰よりも私を頼っていましたし、どんなこともまず私に相談があり
決定してから兄姉に伝えてきました。
母にとっては、私が一番信用できる。なによりも、信心の話ができるし解ってくれるから心強いと
面と向かって言われた事もあります。そして私もその自覚がありました。
信仰という絆あっての母娘関係だったのです。
そして母の兄姉に対する態度と、私に対する態度の違いもハッキリと感じていました。
私はそのことについて創価脳の頃、兄姉に対して優越感をもっていたくらいでした。 
今思えば馬鹿っぽいですが。
これ以前に創価は大聖人直結じゃないからダメ、活動しないという旨は母に繰り返し伝えてきました。
しかし、私も母も最後の砦として「日蓮大聖人の仏法」と「御本尊様」は絶対視をしてきた。
創価を否定しても、日蓮大聖人と御本尊様だけは別。 その一点だけはぶれていなかったから
母娘関係は揺るぎ無かった(と私は思って来た)のです。
それが、日蓮大聖人も・御本尊様も否定してしまったら?
母はきっと私への態度を変えてしまうだろう。頑なになり、私にも本心を言わなくなる可能性が大。
そうなると、母が完全に孤立してしまうことへの心配。
そして私自身が母から「拒絶」されてしまうのではないかとの懸念。
幻想だったと気付いてしまった事や、自分がもう日蓮仏法に依らないと決めた事は母に言えない。
しかし、そんな思いを隠したまま母に同調し続けられるほど私は器用じゃない。
これからどう対応して行けばいいんだろう・・。 
信仰の絆を信じ、私に心を開いている母が不憫にも思えて。
親不孝者なのか私は?という思いに苛まれたのです。

上記のような事柄を思い悩んでいた時、偶々ですが次子が通うプレクラスで、お友達とちょっとした
いざこざで、キーホルダーのチャームを(壊され)紛失して帰宅しました。
しかし次子は私に「気が付いたらチャームを紛失していた」と、いざこざの事は報告せず。
後日、先生と壊したほうのお友達のお母様から連絡と謝罪があって顛末を知り驚いたのです。
そのキーホルダーは、ハンドメイドが得意な友人が作ってくれたものでした。
もとは私が使っていたのですが、次子が気に入り何度もねだったのであげました。
それをスクールの鞄につけたいと次子が言った時私は「大丈夫?お友達に引っ張られない?」と
懸念を口にしたのです。 言ったとおりになってしまいました。
おそらく、壊されたと言ったら私が「いわんこっちゃない」と呆れると思ったのでしょう。
私は次子の心中を察し、
「あのキーホルダー、お友達がひっぱって壊れちゃったんだってね?先生から聞いたよ。
気に入ってたのに、残念だったね。
またOOちゃん(私の友達)にお願いして作ってもらおうね」と声をかけました。
次子は一瞬ぎょっとした顔をしていましたが(バレたか!という感じで)
「また作ってもらえるの?」と心配そうに聞いてき。
私が「怒られると思って本当の事いえなかったの?」と尋ねると、ばつ悪そうに頷いていました。
「そんなことで怒らないよ?今度からちゃんと話してね」と伝えると「うん」と答え
スキップして部屋を出て行きました。
このやりとりでホッとしたのもつかの間、自身の母娘関係を振り返って愕然としたのです。

我が子に対して「拒絶」なんて感情、普通に暮らしていて湧くことがあるだろうか?と。
(↑この「拒絶」とは、子育て中によくあるような、イライラしていて「もう、あっち行ってて!」と
 いうような一過性のものとは違います)

当然のことながら私は次子をこんな些細な件で「許せない」とは思わないし、拒絶なんてしません。
幼くとも個性があり・考えがあり・性格も違う子供たち。
親の意見が受け入れられない時もあれば、いたずらが過ぎて叱る事もある。
しかし私はそれに対して「許せない」なんて思った事はいちども無い。
まだまだ幼い子供達との毎日に、色んな事がありますが常に微笑ましいものです。
これから子供達が成長すれば、ぶつかることも増えるだろうけど、それにしたって「許せない」と
思うだとか・子供をなにかで格付けするような事はあるのだろうか?
親ならば、たとえ親の思いと違う方へ行こうとしたって、それが子供自身の決めた事ならば粛々と
静かに見守るものではないだろうか?
20歳を過ぎた大人ならなおの事・・。
思想信条を押しつけ、”同じものを信じることが出来ないなら信用できない”なんて
私は子供にそんなこと求めない。
そう考えた時、実家の母娘関係のいびつさ・おかしさにハッキリと気がついてしまったのです。

信仰を否定したら母から「拒絶」されるのでは?と不安に思ったが、その時点でもう親子関係なんて
完全崩壊している。
信仰の絆ありきの母娘関係だなんて、狂っていると。

私と子供達の間に、「信仰」なんて絆はありません。無くて良かったです。
くだらないことで子供達に強制・縛り付けるだなんてありえないこと。
創価信仰をもつ母親は、それが「我が子の幸せ」と信じて疑わない。それこそが不幸の始まりなのです。

そして母子関係が「信仰の師弟関係」になってはいけないのです。
師弟なんて、創価ではさんざん美化して語られているけれど、しょせん「他人」なのです。
そして師弟関係には「破門」があります。
師匠の思いにそむくような言動があれば、師匠は弟子を切ることができる(逆もしかり)。
破門してしまえば「関係ない」。
意志疎通のとれている間はいいけれど、非常に無責任な間柄とも言えると思います。
親子関係にそんなものは不要です。というか、そうであってはいけないと私は思うのです。

40年以上も生きてき・自身も人の親になってから、こんな問題にぶちあたるとは
考えもしませんでした。
私は母親から拒絶されるかもしれない、創価信仰という・バカげた絵にかいた餅のせいで。
それは私にとって、ちょっとした脅威でした。

(24)に続きます。
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非活決意 その後(22)

2013年5月。
友人Aさんとの再会から「絶対感・生きる意味」についての再考が始まりました。
彼女の体験したことの壮絶さにひれ伏したくなったというか、自分の身に起きた出来事の
数々を「生かされた理由」としてきたことが、恥ずかしくなりました。
もちろん(今現在は)こういった経験は他人のそれと比較する様なものではないと思います。
が、当時は信仰観に揺れが生じていた&覚醒が進んでいたんでしょう、比較せざるをえませんでした。

補足になりますが、実事求是(6)に書いた内容で
「信仰に裏打ちされた勝利(結果)か否か」というものがあります。
Aさんに会って被災体験を聞くまでの私は「他者と比較なんてしない」人間でした。
それは選民意識=信仰をたもっているという優越感に支配されて生きてきたからです。
上手くまとめられないので(6)の抜粋そのまま貼り付けます↓

基本的・当然のことながら、信心していても不慮の事故で死ぬ事はある・大病を患い、
長期治療の甲斐無く死んでいくことがある、それは実際見てきたし承知していました。
逆に信心が無くても・あるいは日蓮仏法ではないものを信じていても、奇跡的な命拾いをする人や、
癌が治った人が存在する事も知ってました。
解ったうえでもなお、「それとこれとは違う」と思ってきた自分が居ました。
”同じ勝利でも、御本尊様に祈念して勝ち取った勝利と・そうでない勝利は質が違うのだ”的なことが
創価ではよく語られていました。
どう違うのか? 
「正しい(創価の)信仰に裏打ちされたものか否か」ということです。
けど、信仰に裏打ちされた勝利と、そうでない勝利を比べること自体おかしいのです。
勝ちは勝ち、負けは負け。それ以上でも以下でもない。
にもかかわらず、私は自分の命拾いを「信仰に裏打ちされた体験」として特別に思ってきた。
創価の「誇大妄想」に、私もとりつかれて居た事に、このときはじめて気が付きました。
誇大妄想とは、イコール優越感です。
他とは違うんだ!こっちのほうが格上なのだ!と思いこむ(思いこまされる)こと。
これぞ創価の「選民思想」です。自分たちだけは特別なのです。

私の「御本尊様に助けられた命」という思いこみも、この選民思想によるものじゃなかったか?
絶対感の正体は、実は「優越感と選民思想」ではないか?
そう気づいた時、ショックというよりは、「うわー・・」って感じでした。


上記を踏まえたうえで、過去3度の経験以外に、こんなこともありました。

2004年の暮れに私たち夫婦はタイ(プーケット)への旅行を計画していました。
主人の年休が溜まっており、消化するよう会社からも言われていたので年末の休暇に有休を
プラスして出かける予定でした。
しかし直前に主人の抱えていた仕事でトラブルが発生。どうしても休めない事態になり
キャンセルしました。
とても楽しみにしていたので残念でしたが、ちょうどタイ到着する予定だったまさにその日、
インドネシア領スマトラ島沖でマグニチュード9.1の大地震が発生。プーケットも津波被害に
襲われました。
このテの体験、創価にはとても多いですよね。
古くは日航機墜落事故の際、様々な理由で搭乗キャンセルして助かった学会員がいたなど・・
「諸天の加護」と、都市伝説かもしれませんがこんな話を組織でよく聞かされていました。
私もその一人でこの件を「護られたんだ!」と咄嗟に思い主人にもそう伝えました。
 主人の反応は「じゃあ行かなくて正解だったんだ、良かったね」と至って冷静なものでした。
私はこの経験も「功徳体験」として自分の中で大事にしてきましたが、一昨年に偶然
パン教室でご一緒した方が、まさにその時プーケットに居て津波を目の当たりにしたと
話してくれました。
その方はホテルのルームサービスで朝食をとっている時に地震に遭遇。
ベランダから津波がおしよせてくるところを見た、プールサイドのデッキチェアで寝ていた人が
デッキチェアに乗ったまま(サーフィン状態で)波に流され、ホテルに突っ込んで行くのを
見たと話していました。
しかしその語りぶりは実にあっけらかんとしたもので、幸い宿泊客に死者はいなかったことや・
十分なサービスを提供できなかったと宿泊費用の払い戻しや、空港までの送りが無料になって
ラッキーだった(?!)事などをさらっと話してくれました。
この時点で私はまだ創価脳でしたが、自分より格上(というのもおかしな話ですが・・)の体験を
創価信仰をもたない人がしていた事にまず驚きました。
そして事もなげにさらりと語ってしまう所に、得体のしれないギャップを感じました。
が、それを「境涯の違い」なのだと捉えるにとどめました。
特定の信仰をもたなくても、境涯の高い人は存在する。
”宿業の有無”という論理でそれを解決していたのです。
創価脳がむやみに外部の幸せな人をうらやんだりしないのも、ここに理由が隠されている気がします。 
全ての創価脳がそうだとは言いませんが、福運の有無・過去世を信じてきた人ならば
思い当たる節があるのではないでしょうか。
また、創価脳はなんにつけ「大げさ」です。功徳体験なども、さも大ごとのように語りますよね。
周囲もスゴイスゴイ!と必要以上に煽ってくれますし。針小棒大といったら聞こえが悪いかもしれませんが・・。
私も十二分にその傾向をもっていて、自意識過剰に体験を受け止めていた。
しかし、私以上の体験を持っている外部が、その事柄について実に落ち着いているのです。
仮にAさんや件のタイ津波と同じ体験を私がしたとして・バリ活だったら、総県クラスの会合で
体験発表をしたでしょうし、新聞に載ったかもしれませんねw
また近年、がんを克服したという話を周囲(外部)でよく聞きます。
多くは早期発見と適切な手術や投薬をうけたことで快方に向かわれているのです。
聖教新聞でいやというほどみてきた「がんが治った」功徳体験ですが、一般世間であっても
特定信仰を持たない人であっても治している。それほど珍しくもなくなっている事を認めるのです。

この違い・温度差が一体なんなのか?を、初めてちゃんと考えるようになった・
そのきっかけを作ってくれたのが辛い体験を洗いざらい語ってくれたAさんでした。
感謝に堪えません。

2013年5月の私は、Aさんの体験を以前のように「境涯の違い」と受け止める事が
できませんでした。
いったい全体、本当にそうなんだろうか?と、初めて(創価版)日蓮教義を本格的に疑い始めたのです。 
40年余り「絶対正義の教え」として信じ切っていたことを疑うのは、私にとっては非常に大きな
出来事であり、勇気のいることでもありました。
しかし、来るべくして来た時節だったんだと今になって思います。
「絶対正義の教え」を一度も疑わなかったかと言えば、そんなことはありません。
伏線はあり、ご祈念していても思い通りの結果が出なかった時は「何故?」と一瞬疑う事は
これまでだって数多くありました。しかしすぐに「不本意な結果ではあったが意味のあること」と
思いなおしてきた。 
そして実際、日が経過すれば後付けで「これでよかったのだ」と思えることが大半だった。
青年期の私の願望など(40代の今だから言えることですが)とるにたりないことが殆どでした。
情けない話ですが、功徳信心で生きてきただけに、高みを目指して挑戦を続けるような
人生でもなく。 聞こえは悪いですが、常に行き当たりばったりでした。
以前にも書きましたが、何につけ「考え抜いて結論を出す」ことを蔑ろにしていた。
ご祈念すればなんとかなる、いい方向にゆくだろう、そう考え・信じてきたことの裏返しです。
また、外部の他人のすごい体験や実際におきたすごい事柄が、創価脳当時は全くどうでもいい事で、
ある意味自分に起きた(なんでもない)事柄を「特別」だと感じてこれたのは、選民思想の賜でした。
自分が妙法をたもった「選民」だという意識は=優越感であり、外部他者を見下すに十分な
要素だったのです。
上記プラス、”私は3度命を御本尊様に助けて頂いた”という誇大妄想で、私の信仰の核が
形成されていたのだ、との考えに至りました。
何もかもが御本尊様のお陰・学会活動に励んでついた福運のおかげ・・という「お陰信仰」の
全ては、思いこみだったのです。

現在の私は、努力の上に天の加護があることもあるし・ないこともあるという考えです。
「天」というのは「天道思想」、古くから日本人がもっている信仰観です。
この天道思想についてはまた後日書きたいと思います。

どんな結果も「前向きに」受け止める。それ自体は悪い事だと思いません。
が、私の場合は自分の中で絶対神的存在であった御本尊様や自身の信仰を傷つけない為に
「いいように解釈」してきたにすぎないのだと、最近になって思い当たりました。
それは創価がなんでもかんでも「勝利」と言いたがる、敗北を認めないのと似ていると思います。

話が横道にそれますが、
私は幸いにも池田老人を人生の師匠にしませんでしたし、バリ活当時でさえなんの思い入れも
持ちませんでした。
創価脳の多くは、池田老人を崇拝し、師匠にお応えしたいと各種活動を頑張っています。
なぜに池田老人崇拝者は、池田老人が聖人君子だと信じるのか?
凡人を超えた存在と捉えているのか?全く疑いを持たないのか?私は長く理解に苦しんでいました。
しかし、今はわかります。
私が御本尊様や自身の信仰という核を傷つけないためにしてきたことと同じく、
池田老人という永遠の指導者・得難き大師匠を「いいように解釈」したい。崩したくないのでしょう。
それを一般世間では”偶像崇拝”と呼ぶのです。
繰り返しになりますが、私は池田老人を尊敬したことは一度もありませんし、何がすごいのかも
バリ活当時からよくわかっていませんでした。
覚醒し始めの頃、バリ活のブログを読むのにハマったことがあり、皆の心酔っぷりを読んで唖然と
していました。 
私も同じ創価学会員。バリ活時代もあったけど、到底理解できない心理だと感じ。
「池田先生は絶対に正しい」 聖人君子を信じる人たちに、私は「んな訳ないだろ」とパソコンの前で
ツッコミを入れていました。
若き日の日記でしたか、池田老人が会長になるかならないか当時の日記が本になっていますが
(女子部時代に読まされました)覚醒後にその内容を思い出し、疑問に思った点がありました。
日記の中では、常に微熱があり疲労がたまっている状態だったが、1日中学会のため同志のためにと
寸暇を惜しんで走り回る池田青年の姿がありました。
すごく俗っぽい疑問ですが思ったんです
「これだけ激務に続く激務で・微熱続きで体調もよろしくなかった人が、
 3人も子供をもうける事できるの?」とw
こんな疑問も創価脳は「NO~!」と怒りだすでしょうね。神聖なる師匠を汚すなとw
師匠に対し、絶対にこのような俗な疑問は持たないのでしょう。でもそれっておかしいですよね。
幾ら偉大な師匠とて人間なんだし。3人子供がうまれたのは事実なんだしw
調べたところ、この本も「人革」同様に描かれたものだという話が出てきて、腑に落ちました。
嘘も100回繰り返せば真実になる、という言葉があり、プロパガンダの法則とされています。
池田老人と側近による印象操作。偶像を小説の中に描き、会員の崇敬を集める手法はまさにこれでしょう。

話を元に戻します。

全てが思いこみで、誇大妄想だったと気付いた時の私の正直な心境は
「うわ~・・」
その次に
「まずいことになった」でした。

(23)に続きます。


非活決意 その後(21)

私が長らく信じてきたものが「エセ一神教」だったと気がついたのは、つい最近でした。

エセとつけたのは、日蓮大聖人は「創造主」ではないからです。
キリスト教で神とは「The Creator」
そのような概念は日蓮仏法にありませんよね。
神様とは創造主=万物・この世界と人類をつくった、と定義づけられています。
この世界を作りだした偉大なる主・祖として絶対的崇敬を受けている。
けれど、日蓮大聖人は「人間」でありながら「末法の御本仏」(あくまで正宗と創価解釈)と
されています。 
神様では無いけれど、絶対的存在であり絶対的正義という概念で私は捉えてきましたし、
多くの創価脳も同じくだと思います。
「世界で唯一絶対正しい」ゆえに、排他的になってしまうところが一神教をなぞっています。
なので「エセ一神教」と呼ばせて頂きます。

生まれ落ちて以降、母親による英才教育で「これだけが唯一絶対的に正しい」と教わったのは
(創価版)日蓮大聖人の教え。
その日蓮大聖人とは「末法の御本仏」であり、世界にたった一人・唯一無二の末法の救世主だと
事あるごとに叩き込まれてきました。
(一世の人は別として)ある意味、学会二世三世・創価内では「福子」と呼ばれる、母体に居る時から
創価に入会する事が決められていた人達というのは、ユダヤ人にも似た「選民(思想)」だと
思います。
選民についてwikiの説明によると
「特定の集団(民族、宗教の信者)が、神や血統などの独自性に着目して選ばれた
特別な存在となる(と信じられる)こと。またはそうして選ばれたと標榜している集団である」

とあります。
学会員は自分たちを「地涌の菩薩」だと教わり、存在意義の様に受け止める。
自分たち学会員は(日蓮大聖人の仏法と巡り合えた人は)釈迦と久遠の昔に法華経を広める事を約束し、
今生にうまれてきたのだと。
だから法を語り広めていく使命がある。 さぁ折伏!新聞推進だ!云々・・とけしかけられていく訳です。
また現在の創価は、日蓮大聖人の承認もないのに「日蓮大聖人直結」などと謳ってますが
これも選民思想の一端でしょう。
ユダヤの人に申し訳ないので、創価の人がもつ選民意識とは「創価版改悪選民思想」とでも言った方が
いいかもしれません。

キリストやアラーの神を信じる人々が、神の言葉に沿うように
創価の人もまた日蓮大聖人の言葉・教義に沿って物事の全てを解釈しようとします。
時に池田老人の言葉に沿う人も居るでしょう。 
そうやって物事の判断基準を、エセ一神教に委ねてきた私。
前記事に書いた、2013年4月に私が考えた「震災がおこった原因」が
”日蓮大聖人の教えを正しく広めようともせず、教義を狡猾に利用して拡大してきた創価のせいだ”
としたのは、私が創価が巨悪団体と気がついていても
まだエセ一神教=創価版改悪選民思想を信じていたからに他ならないのです。

本題に戻る前に、時系列の中で書き漏れていた内容がありましたので記載します。

2013年2月に新しい支部婦の家庭訪問を受けた後
「どうして私は創価を捨てても、日蓮大聖人の教えは絶対だと考え、個人信仰を続けるのか」を
自分なりに考えてみました。
そのさいハッキリ自覚したのが「私は御本尊様に生かされてきた」という経験(思いこみ)でした。
これが私の40年以上にわたる信仰の柱であり・選民意識であり・誇大妄想でした。
そのことを以前に実事求是(5) の後半部で書いています。
要約すると私はそれまでの人生において3度、生きるか死ぬかの状況に陥りました。
母体に居た頃の流産危機・生後数カ月で大病・2000年におこったある出来事です。
私は不思議にもこうして命拾いをし、3度生かされた。
それは何故なのか? 選民思想に陥っていた私は「法を広めるために違いない」そう思っていた。
無力な私ではあるけれど、仏法を語り広めていくために生かされたのだと、思いこんでいたのです。
そしてこの「思いこみ」こそが長い間、私の生きる理由でもありました。

創価を否定しても、脱会を決意しても、
私の中で揺らがなかった御本尊様への絶対心の正体とは=創価版改悪選民思想でした。
その絶対心を木端微塵に打ち砕いたのが、東北で被災した友人Aさんとの再会です。

再会前、2013年4月は長子と次子が新環境に進んだ時期でもありました。
幸いにも子供達が新環境にすぐ馴染んだことや、この年度は難関だった次子のプレ入園を
周囲から「入れたなんてスゴイね」と言われるたび誇らしい気持ちになっていました。
それもこれも”御本尊様のおかげだ。私は護られている”と思っていました。
冷静に考えれば、(一応面接試験はあったものの)長子もプレから入園~卒園しており、
プレに兄弟枠は無いのですが長子を通わせた実績(?)が次子入園に大きく寄与している事は
間違いないでしょう。 
普通に考えて当たり前のことでも、大げさに捉え「御本尊様のおかげ」とする思考回路。
ここも創価と決別を意識したところで、実は創価脳と殆ど変わっていませんでした。
そしてFBでずっと再会を願っていた友人Aさんと繋がることが出来たのも「御本尊様のおかげ」。
3月に悪いこと続きでへしゃげていた思いが、4月になって盛り返した。
Aさんが生きていたことまで「御本尊様のおかげに違いない」そう私は思っていました。

2013年5月。ゴールデンウィークにAさんに会うため帰省しました。
8年ぶりに会った彼女の、会わなかった間にあった様々な出来事を聞きました。

彼女がまず私に「連絡できなくてごめん」と謝ってくれたのは、自身のおかれている環境が
震災より前に変化していたことでした(苗字が変わった件)。
水臭い、どうして言ってくれなかったの?と聞きましたが、彼女なりに思う所があった様子で
理由を聞いて納得しました。
私が喪中ハガキを送った2009年の暮れ、すでに彼女は嫁ぎ先を離れていました。
ハガキは後日受け取って私の父の死を知ったが、自身の状況が落ち着かず連絡できなかったとの事。
嫁ぎ先を離れ、彼女はそこからさほど遠くない沿岸の町で暮らし2011年の2月に再婚。
その矢先に震災に見舞われました。
当日の彼女はアルバイト先に居たとの事。
お子さんの通う学校から電話があり、体調不良のため早退させたいとの連絡。
彼女は夕方までの仕事をお昼過ぎで切り上げたそうです。
お子さんの早退が無ければ、彼女自身どうなっていたかわからず、お子さんと一緒に避難することも
出来なかったとのこと。
お子さんを迎えに行き、自宅でゆっくりしていた時に地震が起きた。
すぐ御主人から連絡がきて、小学校が避難場所に指定されているので行くよう指示があった。
お子さんが腹痛を訴えて早退した事を伝えると、薬やホッカイロ、毛布などもっていくように
言われたそうです。 彼女はそれらをバッグに詰め、お子さんがしんどそうだったので車で学校へ
向かおうと車に乗り込もうとしたところ、通りがかった見知らぬ人から
「すごく渋滞してきてるから車はやめたほうが」と聞かされ、自転車で学校へ。
向かう道で本当に渋滞になっていたそうで、この忠告を聞いていなかったらお子さんともども
助からなかったと思うと話していました。 まさに奇跡の連続だったのです。 
途中、同じ小学校にお子さんが通うママさんと遭遇。そのママさんは保育園に預けている下のお子さんを
迎えに行ってから小学校に行くと話したとの事。
「後で(学校で)会おう」と言葉を交わしたのが最後になったと聞きました。
学校に到着して10分後に波が押し寄せてき、屋上へ避難。
私が報道番組で見たものより、さらに壮絶な状況を彼女は見ています(子供の目を塞いだと言っていました)
そこから約4日間、学校で過ごし。
救援物資も届かず、学校に残っていたわずかな食物を子供に与え、大人たちは殆ど何も食べず。
彼女は荷物の中にキャンデーを入れていたのですが、誰かにあげると他にもあげないわけにいかない。
しかしそれほど数が無いと、お子さんを毛布に潜らせひそかにキャンデーを与えていた話。
5日めになって、他の場所で避難していた御主人が小学校まで徒歩数時間かかって迎えに来た事。
御主人と合流し、学校に残らずに出ていくことになったとき、お子さんの友達で親とはぐれた
(親御さんが学校に来なかった)子供に泣かれたが、それを悲しいと思わず煩わしかった自分が
恐ろしかった事。
「道徳心ある日本人」と報道があったが、そうでない現実を数々見聞き経験したこと。
多くの友人、知人を亡くしたこと。 そして彼女の前夫(お子さんの父親)も亡くなっていたこと。
ここに書くことが憚られるような事柄も含め、彼女は淡々と話してくれました。

彼女の話を聞いて、私が自身のもっていた選民思想=思いこみに気がついた件は
実事求是(6)にも書いたとおりです。
実事ーに書かなかったことで補足しますが、
「いい人も悪い人も関係なく死ぬ時は死ぬんだよ、いっぺんにだよ?それってどうしてだと思う?」
彼女からこんな問いがありました。
この時、これは私が若いころ仏法対話をしてきたからこその問いなんだろうなと思いました。
仏法の教えに照らすとどういうことなのか、彼女は聞きたかったんだと思う。
だけど、それに対して何も答えることができませんでした。
これがifの話だったら、何とでも答えたと思います。 因果律云々・・。
しかし現実に沢山の人の死をいちどきに経験した人に向かって、私ごときが何も言う事はできませんでした。
バリ活創価脳だったら何と答えるでしょうか・・。
今の私では、それも予想がつきません。 
いくら(創価でいう)日蓮大聖人の教えに即したとしたって、当事者の立場できいたとき、
不謹慎な答えしか出て来ないだろうと思います。
そう思うだけ、私もだいぶ普通の人の感覚が解るようになってきたのかもしれません。

彼女の壮絶な体験、九死に一生を得た人のリアルは、私の思いこみをひどくつまらないものに
感じさせるのに十分な破壊力がありました。

今思えばですが、流産しかかっても助かる命は沢山あります。
生後数ケ月で原因不明の大病にかかりましたが、あれから40年余り、おそらくその病気には
名前が付いているでしょうし、私思うに突発性発疹だったんじゃないか?と。
念のため調べたところ、それらしき事実がでてきました。(1988年まで突発性発疹の原因となる
ウイルスがわかって無かったそうです)
2000年の出来事に関しても、周囲におなじ目に遭った人は一人もいませんが、ネットで調べると
世間に同じ経験をした人は結構いることが解りました。
私のもっていた絶対感と3つの経験も、広角で見ればそれほど大げさな物じゃなかった。
これも創価脳の視野の狭さが災いしていたと、今だから言えます。

実事求是では、さらっと端折ってしまいましたが、私は絶対感と改悪選民思想を打ち砕かれた後も
すっきりとそこから抜け出せたわけではありません。 
しばらくのあいだ、苦悩がありました。

(22)に続きます。

非活決意 その後(20)

2013年春。
よくない出来事が立て続けにおこり、偽本尊の祟りではないかと怯え、自分自身の信仰観を
疑い始めたにもかかわらず
4月に久しぶりに会った地域の御婦人から聞いた話を「現証」と捉え、斜めになっていた信仰観が
再びしゃきんと真っ直ぐになった。
覚醒から半年ほど経過していましたが、御本尊様への「絶対心」を巡り私は右へ左へ揺れ動いて
いました。
ちなみにまだ偽本尊を恐れる気持ちは継続しており、この頃久しぶりに仏壇の扉を開け
水だけ御供えし、再び扉を閉めました。内扉は開けずお曼荼羅は見ていません。
水を上げることで気休め程度に偽本尊の御機嫌を取ったという感じだったと思いますw
昨年末、偽本尊への怖れ・オカルトからの脱却と記事に書いた時にいただいた非公開コメントに
「御本尊様を擬人化していた」と書いて下さった方がいたのですが、まさに私も同じくです。
曼荼羅をひとつの生物みたいに考えていた。 そこに魂が宿っている、という認識。
幼少期から悲しい時も辛い時も嬉しい時も、御本尊様にお題目を上げることで気持ちをぶつけ・
向き合うことで心の中で語りかけ、報告してきた。
小公女セーラだったでしょうか、日常的にお人形に自分の気持ちを語りかけるシーンがありました。
お人形では無く友達感覚。 私にとっての御本尊様もそのような存在でした。
40年余りの長きにわたって常に自分が心のよりどころとしていた「御本尊様」
肉団の胸中に在る筈のそれですが、私にとってはお曼荼羅(掛軸)の方がリアルでした。
カラーコピーの偽本尊と聞かされたって、その事実をありのまま受け止めることも中々できず
「魂の宿った曼荼羅」を避ける日々が、まだもう少し続きました。

長子の卒園にともない、小学校が離れてしまう園ママさんにFBをすすめられ開始したのも
ちょうどこの春先でした。
SNSは別の物を以前からやっていましたが、地元の限られた友人との連絡に利用。
FBは本名登録が基本で非常に探しやすい事を知り、私は結婚・転居後に疎遠になっていた
学生時代の友人を中心に検索をかけ、みつかった人にメッセージ(申請)をおくりました。
軽い気持ちでしたが、連続で拒否をくらったことにショックを受けました。
その友人たちはかつて女子部時代の私が、セミナーに誘ったり・仏法対話をした相手なのです。
彼女らの中で、私は活動家時代のイメージで止まっている。
もう、活動なんてしていないし・脱会決意までしている私のことなんて知らない。知ろうとも思わない。
一切関わり合いになりたくない、という意志を感じました。
あとあと友人と話していて知りましたが、FBを拒否するってよほどじゃない限り無いそうですねw
承認しても、公開内容を絞ればいいだけの話だから、とりあえず繋がっておくというのが儀礼だそうで。
どれだけ避けられているのか解ってしまい、苦笑いを通り越して寒くなりました。
(創価だけが問題では無く、私の性格的な事もあるのかもしれません)

FBで久々に繋がれた人のなかに、学生時代の知人がいます。
彼女に真っ先に尋ねたのが、2011年の大震災で連絡がつかないままの
被災地域に嫁いだ友人(仮にAさんとします)の消息でした。

Aさんは学生時代の友人で、同じアルバイトをしていた時期もあり仲良しの一人でした。
就職後も地元を離れなかったので時々あっては近況報告を。
私が女子部の活動に出るようになり、バリ活になって以降もセミナーや展示などなど
誘って予定が合えば来てくれました。
仏法対話はいつもはぐらかされていたけれど、つきあいじたいを拒絶されることもなく、
彼女が20代後半で結婚し東北へ行ってからも帰省の際に食事に行ったりしていました。
最後に会ったのは私が結婚した翌年のお正月(2005年)、互いに実家に帰ったときでした。
彼女のお子さんに初めて御対面させてもらい、感激したのを覚えています。
その後は年賀状のやりとりを続けていましたが2010年は私が喪中だった為、彼女からも届かず。
この時は、私が喪中ハガキを送ったので年賀状を遠慮してくれたのだと思っていました。
2011年の正月、彼女からの年賀状が届かず。
あれっ?と思いましたが、住所録ソフトで前年喪中の人にチェックを入れたまま、翌年印刷にかけて
出し漏れるというミスを思い出し(そのようなミスをした経験があります)来年また来るでしょう、と
深く考えませんでした。
その年の3月におこった大震災。
直後からずっと彼女の安否が気になって仕方ありませんでした。
共通の友人に尋ねてもみましたが、彼女と結婚後も連絡をとっていた人は残念ながらおらずで
手がかりなく。
彼女もSNSをしていましたが、更新マメでもなくいつのまにか放置されており
ちょうど2009年末くらいでストップしていました。
実家に連絡をとろうかと考えたこともありましたが、私は彼女の実家に行った事が無く・御両親とも
全く面識が無いのです。
同県内に住んではいましたが、居住地は電車で1時間以上離れた所。常に街中(外)で会う間柄。
幼馴染とは違い、互いの親を知っているような仲ではありませんでした。
そんな私が実家に連絡を入れていいのだろうか?という躊躇。 怪しんで教えてくれないかもしれない。
また、万が一悲しい結果だったとしたら、私はそれを確かめた事を後悔しないか?
親御さんにも申し訳ないような気がして、実家への連絡はためらわれたのです。
彼女の嫁ぎ先の住所地を、園ママさんでその方面に親戚のある人に尋ねたところ
震災直後は壊滅的な状況だったと教わりました。
家を流された人の多くは、住所録的なものを失ってしまい、遠方の友人に連絡がつかない事もあると
聞きました。
もしかしたら、彼女も同じ状況なのかもしれない。
仮設住宅などに入っておれば、日々暮らしていく事で精神的にいっぱいいっぱいで、古い友達に
連絡をつけようなんて思わないのかもしれない。 そう自分に言い聞かせていたのです。

FBで繋がれた知人はAさんと高校の同窓で大学も同じでした。
Aさんがどうしてるか知りませんか?と尋ねると「元気ですよ。FBやってます」と返事が。
私は涙を流して喜びました。良かったー!と。
ただ、元気でいるのにどうして私に連絡をくれなかったのだろう?と残念にも思い。
そしてFBでまっさきに彼女の名前を検索したのにあがってこなかった事が不思議でならず。
知人のリストのOOさんがAさんだから直接連絡してみて、とメッセージをもらい、はっとしました。
Aさんの苗字が変わっていたからです。
検索にかけても上がって来なかったわけだ・・と理解したと同時に、何があったんだろうか?と思い
おそるおそるメッセージを送りました。
数日後にAさんから返信があり、GWに実家帰省するつもりだから予定があえば会いましょうと。
メールのやりとりだけでは語りつくせない、いろんなことがあったから直接話したいとあり。
帰省の予定はなかったのですが、Aさんに会いたいその一心で私はOKと返事をしました。

2011年の大震災を契機に、創価や公明党の矛盾に気が付き覚醒したという方も多くおられます。
私は覚醒に至らずでしたが、未曾有の大震災があった年にもかかわらず
いつもと変わらず金集め(財務)を行った創価に多大な不満・不信感を抱きました。
当時の私はアンチ婦人部でありながら創価脳に変わりなく、創価の良心をまだ信じていたのです。

以前にも書きましたが、私は覚醒の2-3年前から日本史の本を読んでいました。
日本のはじまりを知ろうとするにあたって、天孫降臨伝説や神信仰は避けて通れず、
そういった本も読みはじめた頃、大震災が起こりました。
この一大事のときに民主党ど素人政権下にあったこと、
日本国の窮状は、人智を超える何か(神)の「警告」ではないか?と感じていました。
大震災がおこったとき、まっさきに頭に浮かんだのは「立正安国論」でもあり。
国(の政治)が乱れているからこんなことがおこってしまった。
民主党が全部悪いと本気でそう考えていました。 ”この国の一凶”とは民主党政権だと
思っていたのです。
また、創価の仏敵と目される石原氏が、都知事を辞すると言っていたにもかかわらず、再出馬を
表明したのもまさに震災当日の午前中で、私はこのことも震災がおこった因だと思っていました。
今思えばトンデモなこじつけですが、当時は本気だったのです。
創価の敵が不穏な動きをしたから、諸天の神が怒ったのだとw
我がことながら、これほどの創価脳もないと思います、いま思いだしても恥ずかしい限りです・・。

彼女に会うことが決まり、ふと自分が震災時期に上記した考えをもっていたことを思い出しました。
この時はもう「創価の敵のせいで大震災がおこった」などという考えは持ちあわせず。
創価脳だった自分を振り返って「馬鹿だったな」と思っていました。
そして震災の原因を改めて考えた時、国家鎮護を命題とし・繰り返し叫んだ日蓮大聖人の志が
現代に響いていない事・創価が国家鎮護よりも功徳信心を蔓延させてしまった誤りに
あるんじゃないのか?と考えたのです。

日蓮大聖人は基本的に愛国者だと思います。御書を読めばわかります。
それを創価は日蓮直結と言いながら「国家鎮護」をスローガンには掲げなくなった。
一時期は国立戒壇云々と掲げていたけれど、政教分離の大義名分のもとそれは言えなくなった。
また、組織の求心力をいち個人(池田老人)に保たせるためにも、国家鎮護なるスローガンは邪魔だった。
狡猾に教義を利用しながら、日蓮の志とはまったく違った方向で組織運営をはかり
”美味しいとこどり”しようとする、そんな社会悪の創価が日本に存在しているから諸天の怒りにふれ
大震災が起きたのではないか? と、2013年4月の私は考えました。

が、今の私は上記もトンデモ説だ、と思います。

2013年春当時の私はまだ御本尊様への絶対心を失っていませんでした。
なので物事の考え方が全て”日蓮大聖人”という末法の御本仏(これも、創価と日蓮正宗の大看板を
自分の言葉で説明できる根拠も無いまま、そのまま信じ込んでいたわけですが・・)を中心として
成立していました。
のちのち、ユダヤやイスラム・キリスト宗教史の本も読むようになり思い当たったのですが
「御本仏」でも「神」でも、救世主はひとつ(ひとり)という「一神教」という思想観念のもとで
すべてを理解・解釈して行くには、日本じゃ限界があるという事でした。
ただ、諸外国におけるユダヤ・イスラム・キリスト教は物凄く長い歴史があり、常に人間の傍に
あったもので、宗教を超え既にしっかりと社会通念・文化となっている面があります。
(同じものを信じていても解釈の違いから解り合えず・譲り合えず現代も戦争の因となってはいますが
 ここではひとまず置きます。)
が・日本の国において、日蓮大聖人が「絶対神」として・日蓮仏法思想が社会通念となるほどに
根付いているのか?といえば結果は皆さんもご存じの通りです。
鎌倉時代に出現した、仏教を盛んにした僧侶たちの出現。そのなかの一人が日蓮大聖人でした。
日本には仏教が入る以前から神信仰があり、祭祀として豊国を願う祈りが捧げられていました。
以前も書いたと思うのですが、日本に仏教が入ってき、広く馴染んだ経緯には
神信仰には「救済」という概念がなかった点にある。
ケガレを嫌い、死後の世界を恐れていた平安貴族にとって、死後の世界を「極楽浄土」へと
導く仏教に光を見出し、用いられた・・そして鎌倉時代に民衆へと広がって行った・・と
歴史学者の方は分析しておられました。
その結果が現代日本人にも広く浸透している「神道+仏教」という信仰観でしょう。
最近知ったことですが、昨年末に肉親を亡くされた友人の家へ遊びに行ったところ
神棚に白い紙が貼りつけてあり、何事かと思い尋ねました。
忌明けの四十九日までは神封じとして白い紙を貼りつけるのだと教わり、その理由は
神道では死を「ケガレ」と解釈し、神様の居場所である神棚にケガレが入れこまない様にと
白い紙を貼るのだと。
歴史の本を読む中で「死=ケガレ」との知識は入っていましたが、このような儀礼を初めて
目の当たりにしたことで「なるほどなぁ」と深く感じ入りました。
神信仰でいかんともしがたい死後の世界を、外来仏教を取り入れることで解決した。
これこそ日本人のしなやかさ・寛容性でしょう。
それを認めずして、長い歴史の中ではぐくまれてきた日本人の宗教観・社会通念を
ぶち壊そうとする教義をもつ創価信仰。
どれだけ表向き平和理念を訴えたところで、創価信仰が広く日本に浸透する事は、
天地がひっくり返っても無いだろう。日本の歴史をナメるなよ、と今の私は思います。

話が若干横道にそれていますが、私の完全覚醒へ繋がる箇所で、まだまだ長文になりますので
次回(21)に続けさせていただきます。

非活決意 その後(19)

前回書いた、前支部婦のこと。
創価脳にとっては誇りともいえる役職を拝し、恩師である池田老人から部員さんを「お預かり」し、
組織の小さな一つのギアとなって賢明に働く中年世代。
自分が40代になってみてわかったことですが、男女ともに在る程度人生の見通しがついてしまう
そんな年代ではないでしょうか。
特に20代~40代の20年間は大きいのです。あっという間の20年、その間に自分がどれだけの
経験をしてきたか・何かを残してこれたか、振り返ることも増えました。
この20年間を青年部~婦人または壮年部として健気に学会に尽くしてきた、現(うつつ)を
ないがしろにしても、師匠の理想を実現するという崇高な目的(あくまで学会内部規範)に
四半世紀を捧げてきた人達の現状が、決して幸せなものではないことを、私は身近なところに
見ています。

創価脳だった当時(つい2-3年前)は、そのような人達(学会活動に熱心で組織に尽くしているが
生活面で報われない)の現状を聞くにつけ
「どうして?あれほど頑張っているのに?」と不思議でなりませんでした。
”学会活動をすることで福運がつく・お題目をあげまくることで功徳が出る”長い学会生活の中で
こんな方程式が常識になっていた私でしたから、学会活動に専心し・お題目を何百万遍とあげている
そんな人たちの苦闘を聞くにつけ不思議でならなかったのです。 
これを創価脳は「桜梅桃李」で片付けがちです。長い長い苦闘も、いつの日か必ず報われるのだ!
だから一歩も引いてはならない。活動で引いたら人生も負けるのだ、と。
逆境に在る時、さらに組織隷属を強めようとする。これもひとつの手法なんでしょうね。
(偶然にも)状況好転することがあれば、これぞ功徳だ・大勝利だと歓喜し、それを信仰体験とする。
確信を得たことでその経験を周囲の学会員にも語り、共感を得る。
話を聞いた学会員もまた「この信心は正しいのだ」と思いこみを深め、奮起する。
相互効果でますます自己洗脳を深めて行くのです。
本当に良く出来たシステムだと恐れ入ります。 

しかし、苦闘が長引けば多分どんな人でも精神的に疲れてきます。
いくらお題目で生命力をつけ(これも思いこみというか、おまじない効果でしょう)、
から元気で明るくふるまっても、変わらない現実が横たわる。
それがきっかけで組織の矛盾に気付き覚醒できればいいのですが、年始にも書いたとおり
信仰とは「蓄積」です。
積み上げてきたものを今崩して、明日報われる予定にあるかもしれないのにそれは出来ないと、
思いとどまらせるのもまた創価信仰なのです。
繰り返しますが、本当に良く出来たシステムです。

例の支部婦も、上記パターンだったのではないかと思います。
誇らしい役職につきながらも現実はままならない。
たいして信心があると思えないヒラ部員やら、未活動者が
自分より恵まれた環境(表面上、目に見える事)に在るのを見、恨み事のように
「福運貯金があるうちはいいけど、貯金が切れたらあなただってわからないわよ(転落するぞ)」
などと口にすることで、自身の心の葛藤をおさめていたのではないか?
脅迫ともとれる活動を促す言葉も「部員さんへの激励」と、自己正当化していたのかもしれない。

この「自己正当化」は、暴走創価脳にありがちなこと。
婦人部の役職を私が断った際、実家に電話を入れられた事がありました。
常識で考えてありえないことだと思うのですが、そのことを当事者の幹部は
「あなたのためを思ってやったこと」だと言いました。
すべてがこの調子。 その行動をとることで、相手がどう感じるかなど知ったこっちゃない。
自身の誤った正義感・創価イズムに則った”勘違い慈悲”からくる行動です。
「あなたのためを思って」と言いながら、実は自己満足なだけ。相手のことなんて全く考えてない。
程度の差はあれ、創価脳の大半が活動にまつわる事全てを「善の行動」と捉えている。
なにもかもが正しい、と正当化している。そこに疑問をさしはさむことはありません。
お正月に実家に帰った時、父の口癖を思い出しました。
「自分たちが絶対正しいって顔をするな」
「いつも自分が正しいと思っているだろ、そんなのは大きな勘違いだ」
繰り返し母・ときに私にぶつけられたこの言葉、父亡き後、今年になるまで思い出しませんでした。
このタイミングで思い出した事も、私の覚醒が進んだ証だと感じます。
創価教義で誤った正義感・正義という観念を植え付けられてしまうことは非常に厄介です。
学会員の原動力の源は「自分たちは絶対正しい」という、ちょっとやそっとじゃ揺るがない
刷り込まれ続けた(勘違いの)信念なのでしょう。
しかしどんな創価脳でも、自分の言葉だけでその「正しさの根拠」を説明できる人はいないと思います。
池田老人の言葉や日蓮大聖人の御書や仏法用語をひいて説明する事はあっても。
実際に私が青年部で活動家だった頃、会社の先輩に仏法対話を挑んだときに言われました
「感覚だけで”正しい”とかいわれ・すすめられても、やれないから」とw
如何に私の言葉が空回りでハッタリで薄っぺらだったか、ということだと思います。
大昔、「りんごは食べてみないと味がわからない」という折伏の常套句がありました。
信心の話を目前に、躊躇するくらいならやってみればいい。功徳がでなかったらやめればいいんだし、
というものです。
これも今となれば、なんといい加減な・・と思ってしまいます。
一度入会しようものなら、気軽にやめますとは絶対言わせない組織なのにw
結局のところ創価でよく使われる大確信も突き詰めれば「思いこみ」「感覚だけのもの」なんでしょう。

話を元に戻します。

正月に実家帰省した折、地元で有名な活動家夫妻の現状を聞きました。
私とは同年代で青年部時代いっしょに活動していました。
部内恋愛で結婚した二人は新婚当時から3桁財務をし、未来の幹部候補夫妻と目されていました。
自宅は当時男子部の拠点。御主人は独立し自営、奥さんも専業で学会活動に専念。
まさに創価に尽くしてきた一家ですが、お子さんが中学から不登校、出席日数不足で高校受験が
できなかったとのこと。 現在自宅でひきこもっています。
私が女子部時代すでに生まれていたお子さんで、たまに会合などで見かけていましたが
今思い返しても覇気が無かったというか、会合で騒がないおとなしい「イイ子」に見えました。
しかし、覚醒した今おもうことは、お子さんは当時から既にSOSを発していたのだという事です。
学会活動中心の生活を送る両親のもと、子供らしい時間をすごさせてもらえなかったのでは?と。
奥さんは定期的に10時間唱題をおこない、お子さんが学校へ行ける様になるよう祈念しているとの話。
以前の私ならそれに対して「頑張って。いつか祈りは必ず通じるよ!」と思ったでしょう。
しかし今は違う考えです。 10時間も仏壇の前に座る時間があるなら、お子さんの好物でも作ってあげて
気楽に語らうとか・一緒に出かけて季節の移ろいや景色を楽しむとか、そんなお子さんと向き合う時間を
もてないものかと。
それもやった上での10時間唱題、というわけではないと思います。なぜなら奥さんは現役活動家だから。
おそらくそんな暇はないでしょう。
そして結婚後数年で購入した自宅は売却し、今は賃貸住宅に移っているとの事。
御主人のトラブルの賠償に費用がかかって・・という話でした。
以前の私なら、このような話を聞いて
「どうして?これほど活動頑張っているのに・組織に尽くしてるのに」と
首をかしげたと思います。
しかし今は思います「努力の方向が違ってるんじゃないですか?」と。
なんの罪もなく、愚直なほどに創価に尽くしている人達が「幸せ」でないこと。
他人だけではありません。身内(母方親戚 いとこ)にも同じような話があります。
壮年部バリ活のいとこはリストラに遭い、ダブルワークに追われ、奥さんも深夜パートに出ています。
その状況で創価教育機関に子供を進学させようとしています。
私からすれば「そんな無茶な・・」ですが、本気みたいです。
お子さん自身がそれを希望しているというので、私がとやかく言える問題でもないのですが。
進学にあたって資金を融通できないかと親戚に打診があったと聞きました。
結局そういったきたるべき事柄に備えず、宇宙銀行にせっせとお金を差し出していたという結果。
(これで親戚から資金が出れば「功徳」と言いだすのでしょう・・ありえないです)
私は母に「絶対出しちゃだめだよ」と言いました。 
そんなことは親が用立てるべき・もしくは本人が特別奨学生になれるくらい頑張るべきだと主張。
母も思う所がある様で、その話にはのらないと約束してくれましたが、
子供のひとりも創価教育を出すことが出来なかったと嘆いていた事もあり、親戚が行くのならと
援助するのではないか?と私は疑心暗鬼です。
この件に関してはいとこに直に釘を刺そうと思っています。 

先日、矢野氏と島田裕巳さんの対談本を読んだ時にも感じた事なのですが
現状60代以上の・宗門と蜜月時代の「創価」と、私たちの様な宗門問題を経た「創価」を
知るものとでは、かなり信仰観も異なるということです。
戦後の時代は上げ潮でした。前にも書きましたが、高度経済成長の波もあり、敗戦国のどん底から
立ちあがった国全体のパワーみたいなもの。
頑張れば報われる時代を知っている、私たちの親世代は時代の恩恵を「功徳」と捉えたのです。
しかし私たち以降、ロスジェネ世代には時代の恩恵なんてありません。
あるのは負の遺産と早すぎる時代遷移です。 
奇しくも創価と宗門がまっぷたつに別れたのはバブル崩壊後。
私たち世代が受けた創価プロパガンダには功徳に見えるような時代の後押しがありません。
学会活動をやればやるだけ、生活の中心軸がずれていく。それが20年にも及ぶとどうなるのか。
その結果が私が見ている40代活動家の現状なのではないかと、思います。
勿論、こんな人たちばかりではないでしょう。
中には幸せに生活基盤も盤石な活動家の方々もおられるかもしれない。
しかし残念ながら、私の知る限りそのような話は無いのです(組織系企業の方は別として)。

ファンタジーの世界には、そう長く生きられません。そんな「いい時代」はとっくの昔に終わっています。
どこかで気がついて組織と距離を置いた人と、そうでない人の差が、これからもっと開いていくと
いっても言いすぎでは無い気がします。

一日も早く、多くの方が覚醒する事を、今年も願ってやみません。

(20)に続きます。

非活決意 その後(18)

2013年4月
多忙でしばらく足が遠のいていた近所の商店(学会員一家が経営)へ久々に買い物に
行きました。
私のなかでここの奥さんだけは特別、バリ活学会員であっても気楽に話のできる相手。
久しぶりじゃない!と笑顔で奥さんは迎えてくれました。
支部婦が変わったのは知ってる?と聞かれたので、2月に家庭訪問でお会いしましたよと返答。
奥さんが「びっくりよね~」と、前支部婦(福運貯金)が突然いなくなった顛末を語ってくれました。
詳細は伏せますが、いなくなった理由は良いことではなく、驚きました。
婦人部=オバサンというものは、得てして噂話やスキャンダルが好物ですw
商店主の奥さんのところには地域の情報がどんどん集まってくるので情報ツウ。
このネタを話したくて仕方なかったようで、えらく仔細に話してくれました。

それまで前支部婦の身の上話を聞いたことは、一回もありませんでした。
女子部時代に幹部だった・白蓮もやっていた、その程度の情報だけで家族構成などは知らず。
このとき初めて知ったのですが、お子さんは居なかったそうです。
指導が厳しく・言葉に険があり・嫌味っぽいことで評判が悪かった・・というのは納得でした。
奥さんは、気の弱いしらゆり長が潰されたのも支部婦のせいだが、他にも活動に出て来なく
なった婦人部員がいるといい、新任者が来てくれてこの地域は救われたと話しました。
思わず「私も結構失礼な事、いっぱい言われましたよ」と告白。
奥さんは「そうだろうねぇ」と答え、私は「え?どういうことですか」と聞き返しました。
奥さんはしまった、という顔をし
「あなただけって訳じゃないのよ。もう終わった話だから聞き流してね」と前置いて
「皆の前で、活動に出て来ない人の悪口を名指しこそしないけど、解るように言ってた」と
教えてくれました。
うわぁ・・。
にわかに信じがたいと言うか、私の知る限りですが、組織のそれなりの幹部で部員の悪口を
いう人なんて聞いたことがありませんでした。
心を許せるごく少人数で「あの人が・・」みたいに愚痴っぽく相談するのとは訳が違う。
それは「あってはならない事」じゃないのか?!
しかし私がよく知っている「組織」とは、モラトリアムの花園=女子部だけなのです。
女子部でそんな事はなくても、婦人部の魑魅魍魎の世界では、普通にありうることなのかも
しれません。
奥さんいわく、支部婦は自身の生活が思うようにならない鬱憤やストレスを活動の場面で
ぶつけていたのではないか?と、いなくなった顛末から推察したと。
気の弱いしらゆり長が非活に転じた理由も聞きましたが、支部婦の「妬み」からくる厳しい言動と
陰険な行為があったそうです。 
「信心してても、心が可哀相な人っているのよね、自分にないものを持ってる人が
 妬ましかったんでしょ。 きっとあなたの事も、羨ましかったんだと思うよ」と。
そのとき奥さんが思い出したように
「そういえばお子さん元気?」と聞くので、長子が小学校・次子が長子の通っていた幼稚園の
プレスクールに入園したことを話しました。
「そう、良かった~」と奥さんが安心したというリアクションだったので、
え?なにか御心配かけるようなことありましたっけ?と尋ねると
「上のお子さんが、精神的に不安定なんじゃないか?って聞いてたのよ」と言うのです。
このとき、私がすっかり忘れていた記憶が突如呼びさまされました。
自宅のポストに入っていた、「自閉症」のところにびっしりマーカーされた他宗教のパンフレット。
(この記事です)
背筋が寒くなり、鳥肌が立ちました。
「それって、(前の)支部婦が言ってたんですか?」と聞くと
奥さんは首をかしげて「誰だったかな~?・・思い出せないわ」と。
私は、誰が話していようと、ネタ元は前支部婦に違いないと思いました。
ここ一年、子供達といるところ遭遇し話しかけてきた学会員は、前支部婦しかいないのです。
同じ幼稚園に学会員はいませんでしたし(少なくとも地域の学会員は皆無です)。
そしてあんなこと(他宗のパンフを投函)したのも前支部婦なんだと、証拠は無くてもそう確信。
前支部婦が気の弱いしらゆり長にした事(陰険)からしても、十分に可能性はあると思いました。

奥さんから前支部婦の話を聞いて数日のあいだ、心のモヤモヤ感がとれませんでした。
地域を去って、二度と会う事は無いだろう前支部婦。
大嫌いだったけど、私に創価の矛盾を気付かせてくれ覚醒させてくれた(?)人物でもあります。
前支部婦に会うたび、他の学会員から感じたことのない強い違和感を覚えていました。
2度目の対面で「福運貯金がそろそろ切れる頃じゃないのか?学会活動しないと孫の代で
宿業が出たとき後悔しないのか?」と詰め寄られた時(この記事)、当時の私はまだ創価脳でしたが
なんと慇懃無礼な人なのかと感じたのです。
幹部の、上からの物言いは珍しい事じゃないけれど、前支部婦はその上をいっていました。
今思えばですが、はっきり言って未活を馬鹿にしているような言動です。
”福運が切れたら大変だから活動しなさい”という言葉が、私のためを思って言っているようには
(覚醒前でも)まったく聞こえず。
誰にも言った事は無かったけど、毎回思っていました”私に何か怨みでもあるの?”と。
けれど、どんなに慇懃無礼な幹部であっても「同志」であることには変わりないと、
相手を必要以上に悪く思わないようにしていました。これは活動家時代の訓練の賜です。
「同志を悪く思ったら堕地獄」そんな指導が完璧に刷り込まれていたからでしょう。
その後も、対面するたび不愉快な気持ちがしましたが、その因を深く考えた事はなく。
違和感の正体がはっきりと解りました。 私は相手からあからさまな「敵意」を感じていたのです。
前支部婦と遭遇するたびに、心に泥がべっとりついたような気分になっていたのは
「敵意」を感じながらも”同志なのだ、悪く思ってはいけない”とこちらも敵意をもつような事を
しないよう抑制していた、その反動だったんだと理解しました。
前支部婦がどんな思いで活動をしていたのか。少なくとも希望に満ちた前向きなものではなかったと
察します。
まるで呪いのように聞こえた「福運貯金が切れたらどうする気?」「福運貯金まだあるのね」
こんな言葉、心に幸せや充足を感じている人からは絶対に出て来ないと思うのです。
考えすぎかもしれませんが、活動をおろそかにすることで私が不幸になる事を手ぐすね引いて
待っているようにしか受け取れませんでした。
組織の幹部という、創価脳にとって誇らしい役職を拝しながらも現実の生活は厳しかった。
そのギャップにうまくおりあいをつけられず、八つ当たりするような言葉しか出て来なかったのでは?
と邪推してしまいます。

責任ある役職をつとめ、創価のためには十分働いていたであろう前支部婦。
福運貯金を連呼するわりに、本人の福運は切れたという事なのか?地域を去ってしまった。
これを当時は「仏法は道理」だと思いましたし、御本尊様の摩訶不思議な力を信じ、
選民意識をもっていた私は
「やっぱり私の周囲のおかしな人は消えて行くんだ・これは現証なんだ」と思っていました。
しかし、現在はこのことが現証だとは考えません。 ただの自滅でしょう。
現証についての記事
ちなみに、前支部婦の振る舞いについてモノ申したり・更に上の幹部に直訴するような人は
いなかったそうで、みんな内心「何なの、この人?」と困惑しながらも黙っていたようです。

創価内部にはいろんな人がいます。これは一般世間も同じです。
いい人も多いけど、歪んだ人もそれなりに存在している。
バリ活の人は、非活に転じた人を案じ、その理由を単純に「怨嫉」と決めつけます。
人間関係のもつれから創価の活動に出て行かなくなる人は実際いますし、私もとっかかりはそうでした。
特定の人物がどうこうではなく「婦人部」というカテゴリにどうしても馴染めなかったのですが。
しかし、きっかけは人間関係であっても、組織と隔離されたところにいたら、次々といろんな矛盾に
気がついていくものです。 そうなるともう、理由は「怨嫉」なんてレベルの低い物じゃなくなります。
にもかかわらずバリ活の人は「怨嫉」だけで片付けようとしがちです。
そして言うのです「池田先生にそむく行いをした幹部(学会員)は必ず罰をうけるのだから、くだらない事で
信心を止めたら・寝たら勿体無いよ?」と。
組織には自浄作用があって、悪い行いを働いたら必ず報いを受けるんだから、あなたが気にしなくても
いいのよという、斜め上の解決策です。
おそらく、この前支部婦の事の顛末も、組織内部では上記ロジックで片付けられ・結論づけられて
いたのだと思います。 
そうやって組織内で起きる出来事すべてを「法の正しさ」「先生の偉大さ(?)」と絡めて見、
勝手に納得してゆく。
先日、矢野氏の本を読んだのですが(「創価学会 もうひとつのニッポン」島田裕巳さんとの対談集)
矢野氏が”折伏や選挙戦を外部へ語っていくことが結果「自己洗脳」にもなっている”と語っていました。
この言葉になるほどな、と思いました。
相手に対して言葉を発しているようで、実は自分に言い聞かせているということ。
創価の教えは正しい、創価は正義、功徳がある、と。
そして偶然起きた出来事や見聞きした情報を絡め、どんどん自分の中で確信を深めて行く。
自己洗脳、自己催眠とも言えると思うのですが、創価の世界は殆どがそれで成り立っていると言っても
過言ではないような気がします。 

そしてこのときの私は、覚醒はしていたものの、前支部婦が去った事を「現証だ」と思いこみ
やっぱり御本尊様はすごいのだ。大聖人様の教えは間違いないのだと「自己洗脳」にかけていました。

(19)に続きます。

年始所感

寒中お見舞い申し上げます。

年末年始期間も沢山の拍手(コメント)ありがとうございました。

本日からブログ更新再開します。


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年始、実家に帰りました。
母との対話は非常に有意義でした。
一年前なら考えられないような会話内容。同じ事を一年前に話していたらおそらく
私は母から勘当されていたかもしれません。
しかし、今回そうはなりませんでした。
この一年間の、対話の積み重ねがあってこそだと思います。
激しく言い合う場面もありましたが、創価話題を離れたところでは笑い合い、買い物に出かけたり・
一緒に家事をしたりと至って穏やかに楽しく過ごしました。
私がこちらに戻ってから届いた母のメール
「楽しい正月だった。もう春休みが待ち遠しいくらいですよ」とありました。
(注:春休みに帰省します)
そんな素直な思いを母が述べた事に私は驚きました(素直では無いタイプだからですw)
また、細かい事では「政党応援してるわりに学会員は世の中の事何も知らない」と以前伝えた効果か?
母は年末年始の池上彰氏の番組を録画予約していましたw
こんなことも以前なら考えられなかったことです。

私が覚醒してからずっと抱いてきた懸念は、私が創価を全否定すること=母から拒絶されるのでは?
という点でした。
繰り返しますが、一年前ならそれは現実だったでしょう。
実家出禁になっていてもおかしくなかったし、事実、数か月前には脅しと取れる発言も
ありました(これは後日書きます)。
しかし、この一年で母は少しずつ「人の尊厳」を取り戻したのではないか、と感じています。
熱心な創価学会員・信仰者である前に「人の親」であることを自覚してくれたのではないかと。
兄の結婚当時(20年くらい前)の母は、完全に「人の親」であることは忘れていました。
親子の絆よりも、信仰上のつながりを重要視する人でしたから。
順番に書きたいので、このお正月の話は追々記します。

話は変わりますが。
私の子供時代、母から年頭に必ず「お願い事(かなえたいこと)をありったけ紙に書きなさい」と
言われていました。
この一年も御本尊様にたくさんお題目を上げ、願いを叶えてもらいなさい、という趣旨です。
子供時代を過ぎても、本当につい最近まで、私は年頭にお願い事を書き連ねていました。
活動家時代は「OOさん折伏本流」だの「部の活動家8割に」など書いてましたがw
それ以外は煩悩です。あれが欲しい・ここに行きたい・そんな内容ばかりでした。
近年については、未活動でしたので、100%煩悩でした。
そのお願いごとの決算は年末にするのですが、達成率を出してはやや満足したり・がっかりしたり。
当然のことながら100%達成なんて年はありません。
年末に毎度、未達だったことを、ああでもないこうでもないと分析してみたり、次年度にもちこしたり。
2013年頭、私は覚醒こそしていましたが、御本尊様は「お願い事を叶えてくれる」と思っており
ご祈念事項を手帖に書いていました。
先日、手帖レフィルを入れ変える際にその項目に気が付き見返したのです。
半分くらいは叶えていましたが、半分は未達。
例年の私なら、未達事項に拘りました。 なんで叶わなかった?等考えたと思います。
しかし今年の私はそれを見ても、心にマイナス感情がひとつも浮かんでこなかったのです。
いい意味で「執着心」がとれたのだと思いました。
そして、私が創価信仰を捨てたことで心底「楽」になれた理由も解りました。
私は創価脳だった頃、煩悩に追われていたんだなとw
”全ての願いが叶う”と教え込まれてきたので、ひとつひとつの願望に対し執念をもっていたのです。
それが子供時代からの常だった為、当たり前に思って来ました。
何かを成し遂げる際に執念をもつことは大事かもしれません(受験勉強など)。
しかし一介の主婦である私の・超個人的な些細な願望について執念など持っていたら疲れるだけ。
覚醒した今は、多くを望む事はありません。
「足るを知る」で、等身大の自分を許せるようになったから楽になったのでしょう。
創価脳だった頃は、そうはいきませんでした。今よりずっと良くならなくては信心してる意味が無い・・
そんな風に思いこまされてき、そのような思考回路で万事に対応してきたのです。
ずいぶんとシンドイ生き方をしてきたのだな、と気が付きました。

創価脳だった頃は、過去への執着も強くありました。
断捨離なんて絶対出来ない。過去の栄光wにこだわったり、古いものを捨てられない性格。
創価脳の「建設は一生 破壊は一瞬」これも過去への拘りではないでしょうか?
積み上げてきたものをぶち壊しにしてどうする?と、昔取った杵柄(=青年部時代の活躍)を
後生大事に・青年部時代に受けた訓練だの薫陶だの語りたがるのも、過去への執着。
それが組織への隷属&呪縛に強く作用していた事に最近気が付きました。
たった一度でも疑うことでこれまで積み上げてきたものがぶち壊しになるんだぞ?だなんて
単なる「脅迫」にすぎないのです。

ご祈念への拘り・過去への強い執着も、自縄自縛の一因となっていると思われます。

現在の私は過去よりもこれからの事に興味があります。
そして今を大事に・今在ることに感謝しながら生きていたいと思っています。
ビルド&スクラップ トライ&エラー それでいいんじゃないでしょうか。
過去を否定する事に、罪悪感をもたなくていい。
それが間違いだったのなら、なおのことです。

覚醒後、上記のような拘りや執着をもたなくなって本当に気楽に生きられるようになった。
改めてそんなことに気がついた2014年初頭でした。

2014年、善き一年にしていきましょう。
本年も宜しくお願いします。