非活決意 その後(28)

子育ての姿勢を母から批判され、遂にキレた私。
自分の気持ちをぶちまけました。
「あなたに何が解るっていうの?
丁寧に子供に関わっていくことがどれだけ大変か知らないでしょう?」
そこから堰を切るように、子供時代の私が母から「してもらえなかった事」を挙げました。
私はそれらを親になってから、身近なママ友であったり・義母さんの言動で知る事となり真似を
しながらいま子供を育てている。
子供に丁寧に関わっていく事が、自尊心を育てるのだと学んだ。
私にはそれが無かったから、自尊心が低く苦しんだと子育てを通して解った。
なんでもかんでも「御本尊様にお祈りしなさい」で片付けず、悩み迷える子供に親として
どう方向を指し示してあげたらいいのか、共に悩んで答えを出していく事が重要なんだと初めて知った。
私にはそれがなかったから、随分長い間生きづらかったんだと、子育てを始めて解った事。
学生時代も・OLになってからも、学会以外の世間で「私って変わってる?浮いてる?おかしい?」と
感じたことがどれほどあったか。 
また、普通にみんなが出来る事や簡単にクリアしていくことが自分には煩わしく・難しく思われた事。
「常識」を知らず数々恥をかいたことなどなど、自分がそれまで思い出さなかったような事まで
次々と出てき、泣きながらまくしたてたのです。

断っておくと、母がネグレクトだったわけではないと思います。
当たり前に食事も着る物も揃っていましたし、父のお陰で物質面で不自由さを感じた事は
ありませんでした。
ただ「声かけ」に関しては全くと言っていいほど不足していたと感じますし、
子供に対し”時間や手間”を省く傾向にあったと感じます。
それもこれも、時間があるなら活動に惜しみなく使いたいとの考えからだったのでしょう。
最近思い出しましたが、私がある楽器の習い事をしたいと希望した際、レッスンに親の付き添いが
必須だとの理由で「諦めなさい」と言われた事がありました。
また、幼少期~小学生時代、ずっと髪をのばすことを許されず肩までのボブかショートヘアでした。
これも最近になって理解しましたが、小さい子供は自分で髪を結えません。
親が朝、手入れしてあげるしかない。 それさえも「面倒くさい」と母の都合でショートにさせられて
いたのだなと。
長い髪を編み込みにしたり、可愛いヘアアクセサリーをつけている友達が羨ましかった。
でも、母にそれを言えない自分が居ました。
無意識のうちに我慢する癖がついていたのかもしれません。
そういった事柄が、もういくらでも出てきます。長くなるので別の機会に書きます。

いま自分が子育てをしているから解ることは「母は子供(わたし)に興味が無かった」のだと
いうことです。
そして高校生になってから急に過干渉になり、私は大いに戸惑いました。
今までほったらかしだったくせに何?と内心思っていた事を最近になって思いだしました。
これも別の機会に書きます。

このとき言わなかった件ですが
私自身が子育てに関して常に「母に相談したって仕方ない」と思って来た事・
相談すれば必ずや
「子育てに行き詰まるのは、学会組織についてないからだ!さっさと活動に出なさい」と
言われるに決まってる。
だから言えなかった・なんでもかんでも信仰と学会活動に直結させてしまい話にならない。
実の親なのにいざという時あてにならない・・といった不満もありました。

いつもと違う状況を察した子供は私に静かに抱きついてきました。そこではっと我に返りました。
母を見ると、苦虫をかみつぶしたような表情でした。
ショックを受けているというよりも、娘からダメ出しされたことを忌々しく感じているような顔でした。
私が話し終わるのを待って、母は「全部お父さんのせいよ」と言ったのです。
はぁぁ?
私は椅子に座っていましたが、椅子ごとコケそうでした。

なぜにそれが父のせいになるのか?
母曰く、父が母をいつもいつも悩ませ・困らせるような事ばかりしてきたからなのだと。
それは信仰に理解を示さなかった事をはじめ、兄姉のいいなり(これは母の表現です)となって
私立へ進学させた(そのため煩雑な事柄が母にのしかかってきた)こと、
父の性格(冷徹だった)問題など、母は常に悩みが山ほどあったと訴えました。
昼間の活動と折伏に励むことで一家の宿命転換をしなければと気張っていた・
私は年が少し離れて生まれているため、ちょうど兄姉の受験期間(中高大)に小学生期間があり
小さな私にかまっている暇はなかった、あなたは犠牲者だったね・・と言うのです。
以前書きましたが、父亡き後に姉から「お父さんが、祥蘭はお母さんの被害者だったと言ってた」
と聞かされた事がありました。
覚醒する1年前でしたが、この言葉には不思議と癒された思いがありました。
自分が被害者なのだと、感じた事がそれまで一度もなかったにもかかわらず
「父は私の事を解ってくれていたんだ(心にかけてくれていたんだ)」と感激したような思い。
今だから言えることですが、私は深層心理で「自分は母の人形だ」と不満を抱えていたのかもしれない。
だから父が「母の被害者」と発言していたことに反発や悲しみを感じず、癒されたのではないかと
思います。

しかし母が私を、父や兄や姉の「犠牲者」だったと言ったことについては、絶望的な思いしかせず。
「自分(母)はひとつも悪くないのか・人のせいにするのか・・」という落胆と。
そして両親から「犠牲(被害)者だった」なんて言われるとは・・と、私は目の前が暗くなりました。
40歳を超えて自分のアイデンティティが崩壊するような気持ちです。

「お父さんのせいにするなんてずるいよ。もうこの世に居ない人なんだよ」と
私は母を窘めました。
ここで母に
”あなたが功徳信心にとりつかれていたせいで家族が不仲だった・おかしくなったんだ”と
言ってやりたい衝動にかられましたが、思いとどまりました。
そこが海外であることや・姉の慶事で来たこと・次子も同伴していること、もろもろの状況を考えて
今言うべき事柄ではないと判断。
子供は私の尋常でなく興奮した様子を見て完全に委縮しており「どこにも出かけたくない」と言い、
母は見かねてフロントに連絡を取り、一人で行ってくれました。
母が出かけて少しすると子供も落ち着き「おなかすいた」と言うので2人で食事のため外出。
そのあと街を散歩がてらお土産を買いに行き、子供にすっかり笑顔がもどり私もホッとしました。
3歳児と見知らぬ街を歩きながら考えた事は、私は誰のせいにもしない子育てをしたいという事でした。
親として至らない事はいっぱいあるだろうし、完璧でもない。
もし成長後の我が子から「お母さんのこんなところがイヤだった」と突きつけられるような事が
あったとして、それを誰かや何かのせいには絶対にしたくない。 
素直に「悲しい嫌な思いをさせちゃったんだね、気付けなくてごめんね」と言える自分でありたいと。

そして、母がなんでも他人のせいにすることについて「そういえば」と思い当たる事がありました。

この旅行中に度々あった違和感なのですが
”母ってこんなに愚痴っぽかったっけ?”と思う事の連続でした。
出国前の空港で話していたF活動についても、嬉々としては居ましたが
外部の友人が少ないという婦人部員が自分のF活動についてきたがって「ずうずうしいのよね」とか。
また、30年来で仲良くしていた学会員夫妻がいるのですが
その奥さんに対する悪口をえんえん続けた後「最近、老人骨折したのよ、罰があたったのよね」と
言ってみたり。
その奥さんに母は下種先(折伏しようと狙ってた独居老人)を横取りされたと怒っていたのです。
その夫妻と同じ友好サークルに入っていたのですが、母が別の習い事を開始するにあたり
サークルを辞めたところ、悪口をその奥さんからいいふらされた(サークルに残っている知人から
そう聞かされた)など。
正直、私からすればレベルの低い話というか幼稚で、どっちもどっちで感心できず。
母が同志の悪口をいうなんてこと、昔はありませんでした。
私が覚醒したから急に気になりだしたという感じでもないのです。
もし、私が覚醒前にそんな話があったとしたら私は確実に母を窘めたはずです
「同志の悪口は言っちゃいけないんだよ!」とw
母との学会話題は、常に明るい事が中心でした。こんないい功徳体験を聞いてきた・誰それの折伏が
実ったんだって・こんないい指導があった・・erc
「あの婦人部、性格悪い」的な話をした記憶がありません。
これはどうした事だろうと、疑問に思いながらも宿へ帰ると母もすでに戻っていました。
私に会館でもらったパンフレットを見せて「すごく良かった。一緒に行けばよかったのに」と言いながら。
午前中の会話は無かったことのように、普通に過ごしました。
夜、子供は疲れた様で早々に寝入り、母と2人でテレビを見ながら過ごしていました。
そこでも母は組織の話をしたのですが、またも同志へのダメ出し。
ここ一年地域で折伏成果をあげているのは自分しかいない、みんな口先だけで出来ない人ばかりだと
こき下ろすのです。
私は気のない返事をしながら、えんえん続く愚痴話を右から左へ聞き流していました。
母が「ほんと、まったくもうって感じなのよね(地域)」とため息をついたので
「思ったんだけどさ、(父亡き後)学会活動が朝から晩まで思う存分に出来て私は幸せだっていうわりに、
出てくる話は愚痴だらけなんだね」とストレートに感想を言いました。
母は”しまった!”というような表情を見せ
「そうよ。まわりが結果ださないから私がやるしかない。出来る私は幸せだと思ってるのよ」と
苦し紛れな言い訳をしました。
私はお酒を飲んでおり、リラックスした状態で軽く言いました
「あなたの話を聞いていると思うんだけど、基本自分以外の人が嫌いなんだね、不満ばっかじゃん」と。
母は大慌てで「そんな事ないわよ」と否定し「心外だ」と怒りだしました。
私は「そんなこと無いと思うよ。誰に対しても、愛情を感じない。いつも自分だけが可愛いんだよね」と
感情を入れずに言いました。
素面だったらこんな事は言えなかったと思います。
おそらくこれが感情的な語気であれば、母は激しく反発したでしょうが、たんたんと話したので
母は「そうかなぁ?」と、急に不安になったように考え込みました。
「うん、昔はお母さん悪口や愚痴なんてひとつもなかったよ。昼夜活動にでるようになってからだよ。
自分で気付かなかった?」と冷静に言ってみせると
「おかしいじゃない。学会活動で、心を磨いてるはずなのに」と苦笑いで自嘲気味に言いました。
その言葉に答えず、眠くなったので寝るわと会話を切り上げました(本当に眠かったのです)。

翌日は帰国日でしたがフライト中、3人とも映画鑑賞をし会話らしい会話もせず。
おそらくですが、母に前夜の会話が刺さっていて、無意識に愚痴や悪口を言ってしまう事を懸念し
(私に上げ足とられると)話すことを回避していたのではないかと察します。
空港到着し解散する際、母は
「あんたも色々思う所あるんだろうけど、とにかく信心だけはおろそかにしちゃだめだからね。
人に対して不満を突きつける時っていうのはね、自分の信心が歪んでる時なんだよ。
わかってるよね?」と私に釘をさすように言って別れました。
この期に及んで言うか・・と呆れました。
「人に対して不満を突きつける時っていうのは、自分の信心が歪んでる時」
ものすごい誤変換で責任回避の言葉を繰り出してきちゃったな、と落胆を通り越して笑えてきました。
”そっくりそのままその言葉、あなたにお返しします”
今ならそう言えますが、この時そんな機転はききませんでした。

信心一筋な母は唯我独尊。 なにも、ひとつも悪くないらしい。
「(創価)信仰」を何もかもの免罪符のように考えているんじゃないだろうか、この人は。
だとしたらもう、つける薬は無い・・。
私はそう感じ、自ら母との絶縁を考えるようになりました。

(29)に続きます。

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非活決意 その後(27)

2013年6月、姉の挙式翌日は観光をする予定でした。
しかし次子が朝起きようとしません。
到着3日め、子供は疲れていたのです。
私はそのまま寝かせておきましたが、次第に母がイライラし始めました。
「せっかく来たのに時間が勿体無い、無理にでも起こせばいいのに」と言うのです。
私は内心呆れました。 
大人の都合で連れてきた3歳児、観光といってもオプショナルツアーに申し込んでいた訳でもない。
自分たちで自由行動するだけのこと。
だったら子供にあわせてやるのが親心というものじゃないでしょうか。
無理をさせて体調を崩したら帰りの飛行機にも乗れません。
小さい子連れの旅は、気を使いすぎるくらいで丁度いいのだと私の持論です。
ちょっと待ってあげようよ、と言うにとどめましたが、母は我慢ならなくなったのか
子供をゆり起そうとしたのです。
すっとんで行って止めました。そして「時間勿体無いなら一人で行ってくればいいじゃない」
と伝えました。
母が行こうとしていたのは、創価の会館でした。
海外旅行に何度か出かけている母は、その土地にある創価の会館へ訪れる事をステータスと
しています。 地元地域にそんな人(何か国もの海外会館訪問者)は皆無だからです。
母は「そんな意地悪よく言うわね!」と怒りだしました。
慣れない土地(といっても、日本人観光客も多いところです)で高齢者をひとり行動させる気か?
酷い娘だ!というような口ぶりでした。
しかし私からすれば、そんなものは年寄りのワガママでしかないのです。
母親の私が、子供と高齢の母とどっちを優先するか。当然我が子です。
宿のフロントに日本人担当者がいたことを思い出し、その方にお願いしてタクシーを手配して
もらおうか?(会館と宿を往復してもらう)と母に提案してみましたが
「一人で行くんじゃ意味がない」と言うのです。
おそらくですが、創価を否定している私をその場所に連れて行くことで「やっぱり創価は素晴らしい!」
海外同志と触れ合うことで、そう思い直させようとしたかったんだと思います。
というのも、2012年にも母と私はハワイの会館を訪れています。
そのとき私が現地の同志に会った感想を
「日本の会員と全然違う、人の振る舞いを大切に丁寧に考えている気がした」と母に述べた事があります。
これはその時の正直な感想ですし、今現在も”心配りがあった”という点は認めるところです。
ただ「SGIメンバーだから」というよりは、その方が本来もっている人間性が出ていただけなんだと
思います。
一人で行ってよ・いやだ!・・そんなやりとりを続けていると次子がむくっと起きました。
母は起きた!と大喜びし、早く支度しなさいと次子にいうのです。
時差ボケで寝起きもよくない次子はぼんやりしており、すぐに支度が出来る状態ではありません。
そこを母が矢継ぎ早に「時間が勿体無いのよ!顔洗ってきなさいよ」などと声をかけ。
遂に私はキレました
「だからそんなに早く行きたいなら一人で行きなよ、子供には子供のペースがあるんだから」と。
(母が急いていたのには理由があり、この国の会館は随時解放ではないらしく
アポイントを前日電話でとっていたのです。)
それを聞いた母は「前から思ってたけど、あんたどうしてそんなに過保護なの?」と、
私の子育ての姿勢を批判しはじめました。
そんなに子供に気を使ってどうするの。子供には我慢を教えないといけない。大人に合わせる事を
いま教えなきゃ、親が子供に気使ってどうすんのよ?将来ナメられっぱなしになるわよ。
最近はひきこもりになる子供が多いけど、全部親の過保護が原因なのよ。
親が可愛いがりすぎたせいで、外の世界に出た時、現実に心が折れるの。そうなってもいいわけ? 云々。
上記以外にも言葉があったのですが、それらを聞いて、創価の矛盾やエセ一神教だと気付いて以降、
私が母に抱いていた違和感の全ての答えが解った気がしました。

この人は決定的に母性が欠如している。
母性が全く無いとまでは言わないが(私やきょうだいは育ててもらったし)
母性以前に強欲が勝ってしまう人なんだ。
その強欲は功徳信心と直結していて、功徳信心のためなら何でも二の次後回しに出来るし
情も捨て去ってしまう。
「人の尊厳」を蔑ろにしてでも、功徳が欲しい人なんだ、と。

これが創価脳な親の特徴、と断定はしません。 
母の人格に問題があるのは否めませんから。
ただ、こういった人格を持った人が、排他主義のエセ一神教を信仰し・創価の最凶婦人部になると
その家族に確実に苦悩の連続が訪れることは間違いありません。
何を差し置いても活動優先・仏事優先。
家族子供が大人(創価)の都合に振り回されるのは当然・創価を中心に世界が回るという思考回路を
もってしまう事に関しては、創価脳のなせる技だと私は思います。

なかには家事も子育ても抜かりない上で、暮らす事を大切にしながら、学会活動に東奔西走している
婦人部員も居るのかもしれませんが、残念ながら私はそのような人をみたことがありません。
慈愛にみちあふれた人にも残念ながら会った事が無い。
女子部時代の幹部は綺麗で弁舌さわやかだったけどまるで人形の様、魂は無くハリボテだった。
婦人部の幹部はドあつかましいだけ。
こんな風になりたいと憧れとなる人や、尊敬できる人はただの一人も居なかった。
こうはなりたくない・・と反面教師・悪い手本になる人はいっぱいいたけどw
むしろ、外部のご婦人のほうが遥かに尊敬できる・学ぶところのある人物が多い。
今思えばですが「いい人」は沢山いました。
けれどその親切心であったり思いやり・熱心なかかわりには「組織の手先」感があったことは否めず。
創価の同志だから・後輩だから優しく暖かく接してくれただけではなかったか。
それは私自身にもいえることで、バリ活時代に関わった未来部や女子部員に対する熱心な接遇の
発露はやっぱり「人材を育てなければ」という一点でした。
人材=バリ活ということです。 ただ、当時の私はまかりまちがっても創価が巨悪団体などと思いもせず
実態も全く知りませんでした。
創価の活動に励むことで、その人が幸せになる・無限の可能性を開く・不可能を可能にしてゆくと
信じ切っていたからこそ・100%相手の「ため」になると考えての導きで、善意の行動でした。
後継を育てるという「崇高な目的」に自分は携わっていると、カンチガイの誇りを胸にタダ働きを
していたのです。 いや、当時はその行動に「福運功徳」が積まれると信じて疑わなかったのだから
タダ働きではありませんでした。愚かな夢をエサにしていたのです。
面倒見の良さが”創価の麗しい世界”として語られがちですが、その先輩の心根の底に
「創価の組織に後輩をつける・信仰から離れないようにさせる」という魂胆あるかぎり
それは麗しい事でも何でもありません。 
見返りなど求めない。極端にいえば熱心に関わった後輩や会員さんが
「自身の考える幸せ」を見出すため、創価以外の宗教に改宗したり脱会しても「裏切り者!」と
けっして言わない。
”あなたが幸せだと思って選んだ道ならば”と、寛容に認めることができる、
そんな純粋なる親切心からの「関わり」ならば、麗しい世界といえると今の私は思います。
しかし、そうはいかないのが創価の実態です。
他宗に改宗や創価脱会は「堕地獄」という思いこみをしているから、それを許すことなんて
絶対出来ない。
活動家が自身の考えから未活や非活を選んだ時も同じ。創価の組織から外れないようにと、
”あなたのためを思って”なんて、思いこみの正義感から阻止しようとする。
組織幹部からの引き留めは、多くの覚醒者が経験していることでしょう。私も経験者です。
このブログを現役バリ活会員が読んでいる確率は低いと思いますが、もしここを読んでいたなら
胸に手を当てて考えてみて欲しいものです。
あなたの考える「絶対正義」は、万人共通思想ではない。組織から離れる事が幸せか不幸なのかは
その本人が決める事であって、創価学会やその組織人が決める事ではない。
”地獄に自らおちようとしている人(非活になろうとしている人、脱会しようとしてる人)を
 見過ごす事なんてできない。そんな無慈悲な事はできない”
正義感に貫かれたように見えるこの考えが「絶対正しい」と言える根拠は何なのか?
現役活動家で引き留めに躍起になっている人は、自分の言葉でそれを説明できるのでしょうか。
池田老人や日蓮大聖人の言葉や誰かから聞いた話に依らず、自身の経験と言葉だけで説明できますか?
それが無理なら、あなたの「絶対正しい」根拠を考え直す必要があるという事です。
一方的な借り物論で、ひとりの人生の決断に横やりを入れるような事はしないでもらいたい。
それは「大迷惑」でしかないのです。

私もバリ活当時に後輩が退転などしようものなら確実に困惑・怒り狂ったと思います。
私の時間を・砕いた心を返せ!忘恩の輩め! くらいのことを言ったかもしれません。
覚醒してしまえばそれはいかにおかしなことなのかが良くわかります。
麗しの世界には「下心」なんてあってはいけないのです。

話を元に戻します。

母に子育ての姿勢を批判された私は、我慢の限界に来てしまいました。
「あなたが言わないで!」
母に向かって、あなたが子育てについてとやかく言えた義理じゃないでしょう?と言いました。
母は顔面蒼白になってしまいました。


(28)に続きます。

非活決意 その後(26)

2013年6月、姉の挙式出席のため、母と私と次子の3人で海外へ行きました。
(主人と長子は仕事・学校があるので留守番でした)

この海外挙式出席は、2月に決まったことでした。
姉は2度目の結婚ですが挙式は初。また、お相手の家族が海外在住という事情から
親きょうだいの顔合わせも兼ね、私たちも参加することになりました。
5月に私が日蓮仏法と御本尊様への絶対心を失った事で、楽しいはずのこの海外旅行が
非常に苦痛な予定に変わったのです。
日が近付くにつれ、母にどんな顔をして会えばいいんだ・信心の話をふられたら
(というより、私たち母娘の会話の8割は、それで成立していたといっても過言では無い)
どう対応したらいいんだ?
また、前回書いた母親に対する絶望的な怒りもあり、それをどう抑えるか・又はその憤懣を
賢くうまく母に伝える術はあるのか? などなど頭を悩ませることになりました。

出発までの短期間、母に対する恨みというか・残念な感情も、子供とのなにげない日常で
フラッシュバックし困惑していました。
ある日、長子を学校へ迎えに行った帰り道。長子の表情が冴えませんでした。
わかりやすい子なので、エキサイティングな事があれば興奮気味に話してくるし・
何も無かった日は穏やかでのんびりした表情。
これは何かあったんだろうな・・と感じ「今日は学校、どうだった?」と尋ねました。
長子は答えず。 
もう一度、お友達の話題をふってみたところ「もう、うるさいって!」とふてくされた表情に。
いま触られたくないんだなと判断し、それ以上はなにも聞かずにおきました。
このような事は特に珍しいことじゃありません、日常茶飯事です。
だのに何故かこのとき急に、私が小学生の頃のことが思い出されたのです。
全く楽しくなかった小学校生活。
嫌な気持ちを引きずったまま帰宅した日も多かったと思うのですが、学校から帰っても
母は活動にでており、ほぼ不在でした。
(補足:最近になって判明したことですが、母は昼会合のあとに行きつけの喫茶店へ寄るのが
日課になっており、そこで知り合った人を次々折伏していたようです)
母が17時ごろ帰宅するとまず夜のごん行を慌ただしく済ませ、そこから夕飯の支度。
気ぜわしさでいっぱいの母の背中を思い出します。
私は母に学校であったことを話したことが多分殆どなかったと思います。
気を使っていました。いま話しかけちゃいけないな、など。
母から「今日は学校どうだった?」なんて聞いてもらえる事もありませんでした。
そのせいか、提出物や学校へ持って行く用品(工作の材料など)が間にあわない事も多々。
学校でいじめに遭った時も、母に話す事が出来ず。
あるとき洋服を墨汁で汚され、それを見て気付いた先生が家に連絡したことで母に初めて
いじめの事が知れました。
その時「どうしてもっと早く言わなかったのか」と母から軽く責められました。
遠い記憶ですが、いじめで悲しい思いをしている間も、私は御本尊様に祈念することで
解決しようとしていた。
いじめといっても完全孤立したわけでは無く友達も居たので、学校へ行かない(不登校)事は
無かったのですが、 早くこの時間が過ぎないかな、とただただ憂鬱でした。
はっきり自認していたわけではありませんが「母親に話したところでどうにもならない」との
諦めがあったのかもしれません。
長子が私に不機嫌な態度をとってみせる、それは親子として「らしい事」なのだと思いました。
そして私は”あのころ、八つ当たりする相手も居なかったな”と思い返したのです。
私には御本尊様しかいなかったな、と。
そして、学校で面白くない事があっても、八つ当たりする相手(=私)がいる長子は幸せだな、と
思ったのです。 
長子は帰宅後落ち着いて、学校で友達とある事の取り合いになった・相手が強引に
それを取ってしまったので気分が悪かったと話してくれました。
「悔しかったね。でも、譲ってあげたって思えばいいんだよ」と声をかけました。
長子は「譲りたくなかった!」と思い出し、また怒りだしたのですが、次のチャンスに賭けると
前向きになってくれたようでした。
こういった、何気ないやりとりを子供とするたび私は「発見」します。
自分の子供時代に流れなかった親子の時間・やりとりを感じて、はっとさせられるのです。
そして、私と母のあいだにあった時間についてどんよりとした気持になります。

私が創価の巨悪に気がついたことで、それまで失っていた「人の尊厳」を取り戻したばかりに、
それまでなんとも思わなかった・問題にならなかった事柄がクローズアップされていく。
母だけが悪いわけではない。
私だって、創価脳だった時は「人の尊厳」なんて失っていたんだ。だから母とわかりあえていた。
なんと皮肉なことだろう、と再び絶望的な怒りと悲しみが湧いて来るのです。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが
「創価を憎んで母を憎まず」 そう思わなければ、やっていけないと思いました。
今現在もこの考え方は変わっていません。

どうしてこのタイミングで気付いてしまったのか、私?と自分を責める思いもありました。
気付かないままでいられたら、何も考えず笑って姉の挙式に参加できたのにと。
憂鬱な気分のまま、出国日を迎えたのです。

母と空港で落ち合いました。
搭乗まで時間があったので食事をすることになり、入った店で母がおもむろに始めた話題は
「法戦前に5日間も海外にいくなんて、組織の人に申し訳なくってねぇ」だったのです。
翌月の参議院選挙を意識した発言でした。
私はのっけから絶句です。
なんのために行くのか。遊びではありません。身内の・娘の「慶事」なんです。
どっちが大事なのか?という話です。
半分キレながら「何言ってんの?大事な用事で行くんだから。申し訳ないなんて思うなって話だよ。
選挙活動があなたの仕事なの?違うでしょう?だったらそんな風に言うのはおかしいよ」と返し。
母は、ややひきつった顔で「それはそうだけど」と私の言葉に不服そうでした。
その後も、母は空気を読まずに創価話題を続けます。
店内は混雑しており、両隣の席にもお客さんがいましたが、そんなの母はおかまいなし。
小声でもなく堂々と、F取りエピソード話を続けるのです。
羞恥心というものがありません。創価学会員であることに「誇り」を感じているからでしょう。
余談ですが、昭和30-40年代の創価学会員は鶴丸のバッジを身につけていたそうですね。
財務部員になるともらえるもので、活動に出る際、それをつけるのが当たり前だったそうです。
鶴丸バッジをみれば、相手が創価学会員だとわかる。見ず知らずでも街中で偶然会って会話が弾む・・
そんな時代もあったそうです。 恐ろしすぎます。何の罰ゲームでしょうかw
母が嬉々としてF活動の話を続けるのが恥ずかしい私は「その話はもういいわ」と遮って
別の話題に変えたのですが、母は適当に受け流しながらも、また自分のしたい創価話題へと
もっていくのです。
これが続く様ではたまらない・・と思い、機内では即、寝たふりをしましたw

現地到着し、翌日が挙式。
先に到着していた姉・兄と合流し、夕飯を家族水いらずで採りました。
こんな時くらい、信心の話は止めて欲しいな・・と思ったのですが母はやっぱり創価脳です。
「こんな風に子供達と、海外で食事が出来るようになるとは若いころ、想像も出来なかった。
 信心も50年を越えると自由自在になるっていうの。証明したわね」と。
兄姉は薄笑いで何も言いません。私も無言でした。
なにも今回の事は、母ひとりの信心のたまものではないのです。
渡航費は姉夫妻が負担してくれたため、宿だけ自分たちで取ったのですが、兄の会社が提携している
宿だったので格安で泊まることが出来ました。
それは兄や姉のこれまで積み上げてきた努力や実績の結晶だと思います。
また、私自身も主人が快く送り出してくれたから参加する事が出来ました。
そんな事情はすっとばしで、何もかも「自身の信心のお陰」お手柄だと思っている事に呆れました。
母からすれば、家族・子供達は信仰のパーツでしかない。それは以前から感じていたことです。
兄姉はアンチ創価だけれど、世間的に属性の高い職業についている。
母はそのことを自慢にしています。たとえアンチであろうが、子供達が立派になったことは
「母親である自分が信心をしていたから」だと思っています。
これも以前に書きましたが、子供達に良い事があれば「お母さん祈ってたよ」と言いますし・
悪いことがあれば「それみたことか!信心をおろそかにするからだ」と言う。
子供たちの努力以前に「信仰の力」のお陰で成し得たという考えが母のスタンダードです。
功徳信心を刷り込まれたおかげでたいした努力もしてこなかった私はさておき、
正しい努力のみで自分史を作り上げてきた兄姉にしてみれば、これほどの愚弄もないでしょう。

翌日の挙式は天候に恵まれ、素晴らしいセレモニーでした。
父のかわりに兄がバージンロードをエスコート。
その姿を見て、父が生きてくれていたならと、涙が止まらなくなりました。
誰よりも姉の花嫁姿を見たかったのは父だろうと考えると、堪らないものがありました。
余談ですが、キリスト教式を母が何も言わず受け入れたことにほっとしました。
(20年前の兄の挙式の際は「ありえない!私は出ない!」と激怒していました)
ご主人の家族も素敵な方たちで、姉の幸せが嬉しく・安心しました。
そして私が創価脳だった当時、姉に対し抱いていた非常に失礼な考えを思いだし猛省したのです。
姉が両親から反対されるような初婚をした際、私は「信心してないからそうなるんだ」と思いました。
姉が離婚したときは(私自身、前主人が嫌いだったので)別れて正解と思ったと同時に、
「やっぱり信心してないからこうなったのでは?」と思ったのです。
それを面と向かって姉に言った事が一度もなかったのが幸い(?)でしたが、私の内心は
態度に出ていた筈でとても恥ずかしく、いたたまれない・消えてしまいたい気持にもなりました。

森羅万象全てに通じる、大宇宙の法則。そんな思想を植え付けられたからこそ
信心やそれにまつわることがらを基軸としてしか物事を捉えられない・考えられない状態だった。 
そのような感性では人生の機微も解りませんし、時に非常識な言動にもつながっていきます。
創価脳当時は全てを解ったような気になっていましたが、それはとんでもない勘違いだった。
事あるごとに、その現実を突きつけられ、過去を思い出し苦しくなります。

話が少しそれますが、
まちがいに気付く事が、全ての創価脳にとって良い事だとは限りません。
人それぞれ、置かれている立場の違いや動かしようのない現実があり、大なり小なり苦悩が
ついてまわると思います。
私とて全てが吹っ切れた訳でもありません。 
40年以上も習慣化している考え方の癖は抜けず、ほんの些細な事柄に心をいつまでも引っ張られる、
いまもそんな傾向にあります。
創価脳だった時はお題目をがむしゃらに上げることや、御書を読むことで解消された(誤魔化すことが
できた)それを、別の方法で消化するにはどうしたらいいのか?と、困惑がありました。
最近になって実践しはじめたのは、自分の肩をぽんぽんと叩いて「大丈夫だよ」と声に出して言う事。
自分で自分を励ますのです。
そして心でつぶやきます”世の中はそんなに悪いものじゃないよ”と。
単純で子供だましの様ですが、頭で考えすぎて疲労する私にはこのくらいシンプルな方法のほうが
効果があります。
あとはいい意味での「忘却力」を身につけたいと思っているところです。

覚醒後、心の置きどころがわからず不安に苛まれるというコメントも多数拝見しています。
心の置きどころは、自分の中です。
学会2,3,4世で、MCで自我を塞がれてきた私たちはまず、自分自身と向き合い
自分の本心を観察する事から始めるのが、遠回りのようで早道だと私は感じています。
それは特定信仰にどっぷり浸からず普通に生きてきた人達なら、子供時代からやっている事です。

結局、めんどくさい自分の面倒をいちばん見ることができるのは自分自身。
創価脳だった時は、その面倒を”エセ一神教”がみていてくれたってことでしょう。
(面倒見てもらってるつもりが、実にうまい具合に組織にもろもろ搾取されていたという酷い話。)

人それぞれに、心穏やかになれる事があると思います。
それが何かは自分で見つけるしかありません。
パッケージされている宗教に頼りきりだった私たちは、何も無いところから考える事・探求する事を
煩わしく感じる傾向にあるのかもしれません。 だから解りやすい「教え」に依ろうとしてしまい、
手っ取り早く宗門を選ぶ方も多いのではないかと、私の勝手な一考察です。
(考え抜いた上で宗門を選ぶ方も当然いらっしゃるでしょうけど)

そんな自戒も込めながら、上手に自分の面倒をみれるようになれたらいいなと思います。

(27)に続きます。

非活決意 その後(25)

生まれてこのかた、母親から「唯一無二絶対正しい」と刷り込まれてき、
私にとっては生きる指針であった日蓮大聖人と御本尊様を中心とした、創価教義による信仰。
そのすべてが不実な夢物語であったとハッキリ気がついてしまった2013年5月。
親子の絆以前に、信仰における師弟関係であった私と母。
不実な夢物語を「盲信」し続けている母との関係を、このさきどう保って行けばよいのか・
また、信仰において母を裏切る私は「親不孝」なのか?と悩みはじめました。

親不幸とは、世間一般的に”親を泣かせるような事”とされ、子が親より先に逝く事が
よく上げられます。
親の信仰を子が引き継がない事や・親の信仰を子が否定する事は果たして「親不孝」なのか?
今の私は、違うと思います。 
が、「親を悲しませたくない」という意識が強かった当時は、親不孝に当たるのではないかと
暗澹とした気持でおりました。

前回書いた、学会2,3,4世における、
信仰がらみで「親を悲しませたくない」「親を悲しませてはいけない」という共通意識。
私も”母を悲しませたくない”と思いました。
これは2012年9月に、創価が宗教を利用した巨大搾取企業だということに気がついた時にも、
まっさきに考えた事です。
母は創価が巨悪団体だとは夢にも思っていない。
でも私は気付いてしまったし、解った以上は金輪際、お金も労働力も気持ちも騙し取られたくは無い。 
自分は活動を一切拒絶するにせよ、母にこの件は言わない方がいいんじゃないか。
何も話さず、信心があるふりをし・地域の人間は嫌いだけど組織に忠誠心はありますという
ふりをしながら、幻想に踊る母をじっと見守る(見過ごす)しかないんじゃないかと。 
その理由は「母を悲しませたくない」からでした。
けど私一人がそう考えたって、地域の学会員は母を悲しませ困惑させます。
実家に逐一電話を入れ、やれ娘さんが役職ことわりましたよ・新聞やめましたよ・財務の納金確認も
ありませんでした・投票済みましたの連絡も入れてくれないんですよと、全部告げ口するんだからw
組織に忠誠心がないことをバラされまくり、隠密になんて行きません。
なので私が創価の活動を全てしないこと・それは日蓮大聖人の心に背く行動だからという
自分なりの結論は2013年1月の段階で話しました(この記事)。
母は、日蓮大聖人と御本尊様への絶対崇拝心を私が失っていない事を確認した上で、学会活動を
一切しないことに関しては”容認”してくれました。
しかし今度ばかりは事情が違います。
私は、母との最後の絆ともいえる「日蓮大聖人と御本尊様への絶対崇拝心」も、
思索の末否定するに至ったからです。
この私の結論を話すわけには、さすがにいかない。
私にとって40年あまり「生きる指針」だったそれは、母にとってはほぼ生涯をかけたもの。
そして3人子供が居て、やっとなんとか一人(私)に受け継ぐことが出来たと安心している母を
裏切るようなまねはできないと、重く考えたのです。

これは私の母が常々問題にしていたことなんですが
「誰が実家の仏壇を守るのか」と、私が20代の頃からしょっちゅう不安視し・嘆いていました。
老い先を考えた時、父より母が先に亡くなる事もある。そうなったら、アンチの父はこれ幸いと
御本尊様と仏壇を撤去してしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
しかし父が先に亡くなった。そうなると次は子供の代。
長男がアンチ創価なため、仏壇+お曼荼羅を受け継いでくれないとしたら、代が途絶えるから
困るという話です。
今考えると、おかしな話なのです。
世間一般のお仏壇は先祖供養の名目で配置されているから、家督を継ぐ長男が守るというのは
なんとなくわかる話です。
しかし創価の仏壇は先祖供養名目のものではありませんよね(一応、回向はするけれども)。
それに、実家において仏壇じたい代々受け継がれている物ではない。
母が自分で買った仏壇です。
また、父は長男ではありませんから実家は”本家”というわけでもなく。
以前実家にあった日達上人のお曼荼羅は、父が無理くりの折伏でうけたものでしたが、
10数年前に創価版カラーコピーに取り換えたので現在あるものは
「父がうけた(父から子へ受け継ぐ)」御本尊様というわけでもありません。
現在の実家の状況としては、母のひとり信心の本尊&仏壇という位置づけ。
「実家の仏壇を守る」といえば、代々続く信仰をまもっていく・先祖供養のためという趣でしょうが、
私の実家におけるそれは、「母のひとりよがりのインテリア」の体です。
通常、結婚したら嫁ぎ先の宗派を守っていくのが普通かと思います。
(信教の自由が法律で認められている以上、この限りではありませんが)
そこを母はどういうわけか、嫁ぎ先である父方の信仰などまるきり無視で、
自分が盲信している創価(もと日蓮正宗)の信仰を「我が家の宗派」だと譲りません。 
そしてそれを子供が引き継ぐのは「当然」だとしています。
アンチの兄は、信仰を引き継ぐ気などさらさらないでしょう。母はそのことを憂いています。
母亡きあとに仏壇や御本尊様を不本意な形で廃棄されてしまうことを心配しているのです。
なので私に後の事(葬儀、お墓の管理含め)を任せたいと言っています。
そんな母親からの「後事を託す」伝言も、”親を悲しませてはならない”という思いを一層強く
させました。 プレッシャーになっていたのです。
母親のひとりよがりであっても、「家の信仰」として遺したいという意志に背くことが
「親不孝」にあたるのだと捉えていました。

この「親の信仰を引き継ぐ問題」は、創価家庭において厄介事。
素直に学会2,3,4世として育ち何の疑問ももたずに邁進していく人は無問題でしょうが、
親のテンションの高さに到底ついていけず非活を選んだ2,3,4世にとっては厄介事でしかない。
所詮は新興宗教。伝統仏教とは訳が違う。
伝統仏教を葬式仏教などと表現する学者もいますが、私はそれでいいじゃないかと思います。
”坊主の金儲け”などと創価学会員も僧侶を悪く言う傾向にありますがw 少なくとも彼らはプロです。
石山教学をちょっとかじった程度のど素人が言えることではないと思います。
もともと仏教が日本で受け入れられた背景は(以前にも書きましたが)神道では死後の世界や
救済を説かない為、死後の世界に恐れをなした平安貴族に仏教の教えが重宝された故。
鎌倉時代に現世利益を説く僧侶も出てきましたが、元々は「死」への恐怖を取りはらうため・
心の安らぎとしての効用に重きを置いたのだと思います。
先祖供養のためのお仏壇と本尊、それならまだ子は素直に引き継ぐことが出来るでしょう(強い意志で
キリスト教などに改宗した場合は別として)。
しかし創価信仰は違います。
親亡き後、継続意志を表明しようものなら地域組織という包囲網が敷かれ、新聞購読・選挙の投票確認・
その他もろもろついてまわるのです。 
こうなるともう、静かに故人を偲ぶための宗教ではありません。
創価という巨大企業と・公明党という創価護衛政党に寄与する事こそ「先祖供養」になるなどと誤変換。
これなら「葬式仏教」と揶揄される伝統仏教のほうがいくらかマシじゃないでしょうか。
お盆のたびに・法事のたびにお坊さんを呼んで「布施を取られる」と創価ではいかにも悪げにいいますが
それで人の心が落ち着くのであれば・達成感が得られるのであればそれもアリなんじゃないでしょうか。
お布施を支払うのは資本主義社会なんだから当たり前です。
使途も明かさない財務や広布基金をやみくもに搾取されるより、わかりやくていいんじゃないのかと
私は思います。

また、創価では御彼岸やお盆の供養も会館に足を運ばされ集団でごん行会。
その際に広布基金という名目で供養を搾取されます。
イヤなら行かなければすむ話ですが、節目ごとの供養(法事)も創価形式には明確な儀礼フローが
ありません。
そういった事がどうでもいい(拘らない)家族なら楽でいいと思うのですが、
私の場合は戸惑いが大きくありました。
父方の親戚や主人の実家はごく一般的な日本人の宗教観をもつ人達ですから、法事はきちんとしたがる
タイプだからです。
事あるごとに(きちんとしたい人達は、当事者である私たち家族以上に、月命日やO回忌を覚えています)
どうするのかと訊ねられたり・お菓子やお線香を送って頂いたと母から連絡を受け、ハッとさせられて
いました。
きちんとしたい人達からすれば、ひとりよがりな創価形式儀礼は「非常識」に映る様です。
創価の人たちにしたら「外部なんて知ったこっちゃない」んでしょうけど「開かれた宗教」などと言いながら
実際やってることは閉鎖的で、活動自体も「宗教行為」とは言い難いもの。
新聞を売り(自爆営業含む)、票を集める。永遠の指導者を崇敬し、家族より優先すべき存在とする。
そこに「功徳」がある、現世利益があると教えているのだから目も当てられません。
 
話をもとに戻します。

創価のみならず、日蓮大聖人や御本尊様への絶対崇敬心も否定するに私は至ったが、
気付いてしまった事・私は母から受け継いだそれを信奉せずにこの先を生きて行くと
きめた事は、母に話さないでおこうと考えました。
それを告白してしまうことは、母を悲しませると同時に、母娘の断絶もひきおこすと想像したからです。

反面、それは不実だという思いもありました。
また、誰よりも私が悲しいと感じました。
こんな嘘っぱち宗教を
「信じない。あんなもの全部創価の金儲けのための嘘だった」とぶちまけることで
親子の絆が切れてしまう可能性が多いに在る、それは私の存在意義をも疑いたくなる事実でした。
自身も親となり、子供と接している中で初めて気がついた、創価の母子関係の「異様さ」。
(前にも書きましたが)私と子供のあいだに「信仰」は介在せず、
縁や絆が切れてしまうような事柄はまるで想定できません。 そしてそれが普通だと思います。
今後成長の局面で、対立する事が増えて行くでしょう。親の思い通りに育たない事も解ります。
しかし親はどこまでも、子供を大きく包み込んで、容認できるものでありたいと、私はそう考えながら
子供を育て接している。 
その子育てのお手本は母親ではありませんでした。
私が現在我が子にしていることの殆どは、私が母からしてもらえなかったが・してもらいたかった事です。
第一子を出産した折、母から創価流トンデモ育児指導を聞かされました。
お題目を上げている時に、赤ちゃんが泣いても放置せよというものです。
赤ちゃんは賢いので、泣けば母親がきてくれると学習してしまう。そうなってはいけないので
お題目を上げている間は泣いても絶対に抱き上げてはいけない・・仏事優先を赤子時代から
叩きこめという、昭和30-40年代の指導です。
これを聞いた時、私は愕然としましたし(酷いと感じました)、母親を手本にしてはいけないと
瞬時に判断したのです。
当時すでにアンチ婦人部と化し、組織についていなかったのも幸いでした。
バリ活だったらトンデモ指導を真に受けて子育てしたと思います、恐ろしいです。
お手本としたのは結婚し新天地で出会ったママ友たちであり・義両親であり・接する機会は少なかったが
節目ごとに短くも的確な言葉を伝え、行動で示してくれた亡き父でした。
そして母親に子育ての相談をすることも、昔も今もほとんどありません。
こんなことがあったよ、的な報告はしますが相談はしません。 相談しても無駄だからです。
この件に関しては別の機会に記します。

余談ですが子供を会合で騒がせてはいけない、そのために会合に生活リズムを合わせよという指導、
今現在も横行しているそうですね。 とんでもないと思います。
会合なんて親の都合じゃねーか。子供を振り回しておいて、なんたる勝手な言い草かと、憤りを感じます。
創価では「未来部は宝」などと言っていますが、現実子供達は組織の犠牲者です。宝扱いなんてされません。
これは私自身が経験者だから言えることです。

2014年2月現在の私は、さまざまな疑問や怖れに整理がついた状況で
冷静にこの頃を振り返って書いているのですが、当時は精神的に不安定でした。

「大聖人様と御本尊様を否定したら親子の縁が切れる・親子関係がおかしくなる」
事実として、それはそれと割り切って、粛々と受け止めることが出来れば楽だったかもしれませんが、
そう簡単に受け流せる問題ではなく。
”それって何なの? 親として・人としておかしくない?!”
母に対する、絶望的な怒りがわいてきたのです。
私の中で、この問題をすぐに消化することは出来ませんでした。

(26)に続きます。

非活決意 その後(24)

「親を信仰がらみで悲しませたくない」
これは学会2,3,4世の多くの方々がもつ共通意識だと思います。

自身は覚醒したが、高齢の親を今更奈落に突き落とすことは出来ないからそのことは言えない・
親を悲しませたくないから、創価決別意志は内密にしておく。
親をみとった後に脱会したいと考えている・・そんなコメントも沢山の方から頂戴しました。

私も「母親を信仰がらみで悲しませたくない」という創価脳意識で40年以上生きてきた人間です。
そして、母が喜んで・安心してくれるから、幼少期の私は素直に仏壇の前に座ってお題目をあげたし、
会合にも行ったのです。
青年部でバリ活だった当時も、夜の会合に出られない母のぶんまで私が一家の福運を積むんだ!という
思いがひそかにありました。
(注:アンチな父は存命中、母に対し夜の会合参加を禁止していた故です)
子供時代から何に秀でるでもなく、成績も振るわない私がほんとうに唯一(実家のきょうだいの中で)
一番になれたのが信心でした。
母は勉強なんてさほど出来なくていい、何よりも信心第一であってほしい。
大聖人と御本尊様は絶対だと確信している事が何より肝心との教育方針(?と呼んでいいのか疑問ですが)。
アンチの父は母の方針と真逆でした。 ←こっちが普通だと今では理解できます。
片信心の機能不全家庭に育った私にとっては、信心強情で在ることが自分をたもつための手段でした。
そうしないと母親から認められず・愛されないからです。
でも、そう意識してやっていたわけではありません。完全に無意識の行動でした。
兄や姉は創価なんて馬鹿にしてました。そして父親のいうことはよく聞いていたと思います。
随分大人になってから、姉が語っていたことですが
「お父さんは正しい努力をきちんと認めて、その過程を見守り叱咤激励してくれる人だった。
 だから勉強その他を頑張れた。結果を誉めてくれるから、さらに頑張ろうと思えた。
 けど、お母さんはそんな正しい努力は二の次。とにかく信心のごり押しだったから苦手だった」と。
この話を聞いた時、同じ家に育ちながら目線と感じ方が全く違う事に驚いてしまいました。
「正しい努力」 そういえば私は、してこなかったな・・と思い当たり愕然としたのです。
いつもいつも、お題目をあげたらなんとかなる。御本尊様は決して悪い様にはしないんだから、
そんな思いこみありきで生きてきたからです。

創価脳の親にも、いろんなタイプがいると思います。
うちの母は「勉強なんて出来なくてもいいから、とにかく信心を!」という人でしたが、
友人の母(創価脳)は「池田先生にお応えする人材になるためには強情な信心+優秀な成績を!」と
ハードルを上げる人でした。
どっちもどっちな気がしますが、私のような「信心さえしてればいい」で育った学会2、3、4世は
見通し甘めの・地に足のつかない人生を送る傾向にあると思います。
覚醒したときに「しまった!!!」と、取り返しのつかない事が多すぎるパターンです。
何につけ、じっくり考え抜いて結論を出さない。すべては御仏智と、自分にいいように解釈しながら
世の中を渡って行こうとする。 
学会活動さえしてれば功徳も福運もつくんだから大丈夫さ!という堕落性楽観主義に陥って
現業をおろそか・もしくは程々にし、学会活動や仏法対話という行動に「逃避」するのです。
前にも書いたのですが、高校受験の前日にうちの母は「5時間唱題しなさい」と私に言いました。
5時間お題目を上げて行けば、必ず試験問題は勉強したところが出るんだからとw
そして私は真に受けて5時間唱題していきましたし、大学受験の前日も2時間半(1万遍)やって
挑みました。 結果、滑り止め校にしか受かりませんでした。
それでも「きっと私はこの(第一志望では無い)学校へ行く”使命”があるんだ」と受け止めましたw
その滑り止め校には自分が一番学びたいと思っていた学科・専攻はありませんでした。
だのに「使命がある」で片付けたのです。
そして入学後に「しまった」と思いましたが、なんとかなるさ・ケセラセラ・だって私には御本尊様が
ついてるから~とバイトと遊びに明け暮れ、就職でふたたび泣きを見るのですが
(希望していた業界に全敗)、親戚のコネで新卒内定をもらいそれを「功徳だ」と思っていました。
断っておきますが、創価脳のすべてが私のような堕落思考だと言っている訳ではありません。
中には高みを目指して激しく努力され、希望を叶えている方も大勢いらっしゃいます。
そういった方々は「池田先生のお役に立てる人材に」型で育った2,3,4世でしょう。
それで私が何を言いたいかと言えば、どっち型で育っても「組織の思うつぼ」ということです。
現業をおろそかにしても、組織に尽くし抜く人。これは下働きの労働力として現場では重宝です。
盲信者なので、功徳が出るといえば理由理屈抜きでガンガン票集め・連れ出し・なんでもやるのです。
努力の上で社会的地位を得た人。広告塔になります。こんなに素晴らしい人材が育つ組織!と。
「師弟」があるからこそ、こんなに立派な後継が育つのだ!と宣伝になる。
本人がのちに非活になろうともおかまいなしで「組織の実績」として語られます。
2:6:2の法則どおり、優秀な・広告塔になりそうな人材は2割あればいい。
優秀な人達ばかりでも困るから。結局、泥臭い仕事は「活動で功徳が出る」と信じて疑わない
下働きの6+2割が請け負わないと組織は成り立たない。 
その6+2割がいなけりゃ選挙に勝てませんw
どうしてこうもうまく出来ているのかと、全く誉められたもんじゃないけど感心します。

そして自分が40代になって覚醒した今つよく思う事は
「親が子供にカルト信仰を押しつけるような事は絶対にあってはならない」ということです。
これは法整備してほしいと、本気で思います。
信教の自由を法律で認めてしまってる以上、踏み込めないとか、そんな次元の話ではもう無いでしょう。
これだけ社会が成熟した現代で、親の一存で子供(赤子)を勝手に特定宗教団体に入会させ・
うまれおちてから徹底的な家庭教育におけるプロパガンダで、特定組織に利する人間となるよう仕込まれる。
こんなもの狂っているに決まっているのです。
そして「狂っている」ことに自分で気がついてしまった子供は、いい大人の年齢になっても苦悩します。
無用なトラブルを家族間でひきおこすし、ろくなもんじゃありません。
そういえば先日、気になるニュースをネットで拾い読みしました。
「高3女子神隠し」の衝撃背景
この不思議な事件、印象に残っていましたがまさか原因が親の信仰押し付け(創価ではありませんが)
だなんて、想像もつきませんでした。 しかし、さもありなんです。
これは氷山の一角で、おそらくこのような話は表になっていないだけで枚挙にいとまがなさそうです。
私のいとこにも、学生時代に創価幹部の親と喧嘩して家出をした人が実際おります。
そして家出中にキリスト教の洗礼を受けました。
しばらく親子断絶していましたが、結婚し孫が生まれた事が契機で行き来が復活しました。
私は創価脳当時、このいとこの行動が全く理解できず「馬鹿なの?」と思っていました。
芸術肌の人なので若いなりに見聞も広く、創価に対しおかしいと思う所が山ほどあったんだろうと
今は理解ができます。
ちなみにいとこも3人きょうだいで、末っ子が現在もバリ活ですが、上の2人は大卒&大学中退の
アンチなのです。
そしてバリ活末っ子は50代目前でリストラされ大変です。
これは偶々かもしれませんが、やっぱり「功徳信心」を信じ追い続け、必死になって車輪を回す
ハツカネズミは6+2割の人間なのだと思わざるをえません。
しつこいようですが、みんながみんなそうだとは言いません。でも、これは現実の一端です。

同じ親から生まれても、私のように母親のいうことをまるまる信じ切って育った人間もおれば・
兄姉のように「おかしい」と幼いころに見切りをつけ、とりあわずに育つ人間もいる。
そこにどんな差があるのかは、まだ解析の途中です。 
そして私は創価信仰を母から教わり、受け継いだという意識がとても強くありました。
この信仰が、万人に受け入れられるものではない事も理解していた。だからこそこの信仰を「理解できる」
選民としての私が信仰を捨てたり・否定するようなことはあってはならない、と思っていた。
母娘の「信頼関係」は、(創価)信仰ありきのものだと認識し、それが当然となっていました。
けれども、自身が母親となった時、子供に創価信仰をごり押ししようとは考えなかった。
そこには「私一人の子供じゃないから」という”遠慮”がありました。
主人の家の名を継ぐ子供達にたいし、私の家系の信仰をつないでいくのはちょっと違うんじゃないか?
という思い。 主人はかたちだけの入会だから、創価=主人の信仰でも無かったし。
これがもし、主人が入会後にバリ活に転じていたら? 私は今も覚醒していなかったかもしれませんね。
子供達にもごん行指導していたと思いますし、なんでも御本尊様にお願いしなさい!と英才教育したと
思います・・そうならなくて、本当に良かったです。
子供と接していて感じることは、子供って本当に、スポンジのように吸収力が高いということです。
親の言う事は正しいと信じています。 だからこそ、疑問質問を投げかけられた時の回答には気をつけないと
いけません。
それと、見ていないようで本当に良く・ちゃんと親の表情や顔色も見ているのです。
つい先日のことですが、帰宅途中の車内で助手席に座っていた長子が私に突然言いました
「ママも、泣きたいときは口笛を吹くといいよ!」と。
私は第一声「は?」とマヌケな返答をしてしまいました。いったいどうしたの?と聞くと、
学校の図書室で読んだ童話の中にそのようなクダリがあったそうです。
「いいこと教えてくれてありがとうね」と答えましたが、ハッとしました。
私、そんなに辛い(泣きそうな)表情にみえたのかな?と。
確かにその日はちょっとした悪い出来事の原因を考えていました。
いまだ創価脳が抜けていなくてイヤになるのですがw 悪いことがあると「出来事の意味」について
考え込んでしまう癖があります。 それが信仰に背いたからだとか、そんな風に思う訳ではありません。
ただ「何故?」と考えることに囚われる傾向がまだあります。納得できる理由を探すのです。
考えたところで正答なんて出ませんし、解らないのがオチなのに。
けど、創価脳だった40年あまり「すべてのことには意味がある」こんな呪縛思考で生きてきたので
考え方の癖が抜けないのだと思います。

そして子供時代の私も、やはり母親の顔色を見て・気を使っていたこと思いだしました。
母=創価や信仰、大聖人様、御本尊様は切っても切り離せない存在。
御書の話や、過去の功徳体験を語る母親は常にいきいきと水を得た魚の様でした。
しかしひとたび父と信仰がらみで喧嘩になると、母は厳しい表情になった。
そんな母を見るのは悲しかったし、母を困らせる父が憎く、敵対心が生まれた。
お題目あげなさい・新聞読みなさいという母に悪態をつく兄姉のことも嫌いだった。
悪態をつかれたあとの母は、怒りながらもどこか悲しそうで、私はお母さんを悲しませないぞと
一緒にごん行をしお題目もあげ、兄姉が読まない中学生新聞や高校新報を私が読んで
母に内容を教えてあげた。 そして喜んでくれる母の顔を見るのが好きだった。
父が不在時、リビングで母と信心や御書の話をしている時は母を独占できた。
兄姉は近寄りもしない。 それは私にとって優越感をおぼえる時間でもありました。
信仰という共通話題があるからこそ、何時間でも話していられました。
だけど後になって思えば、母から私の学校生活や友人関係、将来の夢や目標について
聞いてくれた事も無ければ・私から積極的かつ事細かに話した事も無かったなと。
ビックリするくらい、母は子供達のパーソナルな話題について「無関心」でした。
それはむかしも現在も変わりません。
あるのは「子供達に信心があるか・ないか」 本当にそこだけと言っても、過言では無いくらいです。

それほどに創価信仰ひとすじの母親を「裏切る」
私は親不孝なのだろうか? と暫くのあいだ、悩んでいました。

(25)に続きます。