非活決意 その後(32)

朝起きぬけの幻聴が続くと、心が追い詰められたようになり
日中普通にいつもの家事スケジュールをこなしてはいましたが、少しひとりの時間が出来ると
さめざめと泣いたりしていました。
なにか希望をもつことも面倒に感じ、本当に死んだら楽になるんじゃないか?そんなことまで
思い浮かべる始末。
自分のこれまでを否定するような事柄ばかり思い出され、完全に幻聴に心を引っ張られていたのです。
しかし徐々に「何かがおかしい」と思い、その声を腹立たしく感じだしました。
なんで私が死ななきゃいけないんだよ? そんな事をいうオマエは一体誰なんだよ!
その声に対して「うるさい!」と反撃の声を上げた朝、私はその声の原因を探り・退治してやると
決意。
その声の主を「死神」と名付けました。
寝ている場所が悪いのではないかと考え、実験的にリビングで寝てみることにし。
偶然かその日は幻聴が無く、ごく自然な目覚めでした。

死神の正体として、疑ったのは偽本尊でした。
5月以降、仏間は開かずの間と化しており。
かろうじて春先にお水がえだけしていた仏壇もまったく開けておらず、意を決して仏間に
入りました(大げさですが)。
その部屋には主人の私物もあり、主人がたまに(見かねて)掃除機をかけていました。
私だけが一切、仏間に入ろうとしなかったのです。
仏壇はうっすらと埃をかぶっており、手前の扉を開けてみるとお水入れは干上がっていました。
曼荼羅に書かれている「若悩乱者頭破七分」という文言に対して忌々しさを感じ。
この言葉は天台宗の妙楽大師によるものだそうですね。
何故にこの文言を曼荼羅にしたためたのか、知りませんが(今となっては知ろうとも思いませんが)
このときの私にはもう「脅迫」としか受け取れませんでした。
子供時代から「有供養者福過十号」をアメに「若悩乱者頭破七分」をムチに、
御本尊様しか信じるな・ご本尊様を裏切るな、学会しか信じるな・学会を裏切るなと言い聞かされて
きたのです。
このような偏った・特殊な価値観を植え付けられることが人生においてどれだけのマイナスなのか・
被害・不幸をを自他ともに広げてしまうのか。 
「自他共の幸福を目指している平和団体」だなんて、ちゃんちゃらおかしい話なのです。
そんな話、特殊な価値観をもつ者同士の間でしか成立しません。
言っていることと現実が真逆になっている事に気がつかないのだから、洗脳とは恐ろしいものだと
思います。

”私に死ね死ねいうのはお前か!”と曼荼羅を見つめ。
怒りがわいていました。
5月に日蓮仏法を否定するに至ったとき、お曼荼羅はただの巻き物だったとの認識に変化しては
いましたが、この曼荼羅がなにか魔物(死神)の棲み家になってしまったんじゃないだろうか?と
考えたのです。
だとしたら早急になんとかしたい、お焚き上げにでも持って行こうかな?と思いましたが、
脱会届もまだ出せないのに
(注:この当時は池田老人Xデーを待って脱会しようと考えていました)
お曼荼羅を先にどうにかしてしまっていいものか?と躊躇し。
さまざま考えた末、仏壇に布をかけて全体を覆うことにしました。
子供だましですが、自分なりに「死神」を封じ込めたつもりでした。

この日、次子の通うプレで1学期の学習成果を見る参観がありました。
合唱をしてくれたのですが、私は子供達の純真無垢な声を聴いて滝のように涙を流し、周りの
ママさんがたを驚かせてしまいました。
未就園3歳児の歌は、ストレートです。「うまく歌おう」なんて考えていません。
ただまっすぐで、生命力にあふれ、一生懸命で、私を励ましてくれているようで心が震えました。
「生きろ」とのメッセージを受け取ったのです、勝手に。
その声にものすごいパワーを感じ、私にとりついた悪しきものが洗い流されていくように
思えました。
次子の通う園は宗教系で、歌を披露した小ホールの正面には像が設置してあります。
窓からの光でその像が輝いて見え、子供達の声がさらに荘厳さを高めていました。
その独特の空間・雰囲気に包まれながらふと、私は心のよりどころを求めている・・
創価と日蓮仏法という「誇大妄想」は捨てたが、どこかなにかに「心の依り代」が欲しい。
そう思いました。
そして単純な私は一瞬「この(幼稚園の)宗派に改宗しなさいって啓示?」と思ってしまったのですが、
帰宅し冷静に考えると、ちょっと違うなと思え。
この夜は寝室で寝ましたが、幻聴はありませんでした。
今思えば、子供達の声のお陰で心が洗い清められ、リラックスしていたからなのだと思います。

しかし翌日は再び、とてもいやな夢を見て目が覚めました。
死ねの声は聞こえなかったけれど、寝床で横になりながら涙が出て止まらず。
自分が情けない・・と思っていました。
昨日は良い感じだったじゃん。なんで一日でこうなるのよ、と。
その夜、ネット検索中に「組織によるストーカー行為・電磁波攻撃」記事をいくつか読みました。
以前にも見た事はありましたが、その時は「いきすぎた盲想」だとしか思えませんでした。
しかしこのときは「さもありなん」と思ってしまい、今思えば精神的にかなりきていたことが
解ります。
幻聴を死神の仕業だと思っていたが、ひょっとしたら電磁波攻撃的な?!と思ってしまったのです。
リチャードコシミズ氏のブログにもある通り、組織が一介の末端不良非活会員を監視したり
電磁波攻撃するメリットなんてひとつもありません。 手間暇ばかりかかって、一利なしでしょう。
当時の私は(以前の)ブログを休止状態でした。
前にも書いたと思いますが、ブログサービス全体のパスワード流出で再設定をしなければ
ならなかったところ
ちょうど5月の日蓮仏法をも否定するような覚醒と時期が重なり、放心状態からブログも放置で
気付いたらもうログイン出来ない状態になっていたのです・・そして私はこの件をも
”組織がアンチブログを更新させないように仕組んだのか?!”なんて妄想をこの時していましたw
そのブログは1日多くて30人ほどが見に来る程度。
組織側に認知されていたとも思えません。
だのにそこまで(なんらかの攻撃を少しでも疑い)怖れを抱いていたのだから、
私は心と頭でどれだけ創価を拒絶し・自分の意見をはっきり言えるようになっていても、まだまだ立派な
創価脳だったということです。

身の危険を感じた私は、ドアモニターを留守録画機能のついたものに変え、防犯グッズを
各ベランダに取りつけました。
仮にこれが組織からの攻撃なんだとして、とにかく証拠を残さないといけない、そう思ったのです。
しかしそのような「証拠」は当然のことながら残せるわけなく、私の幻聴・悪夢もこの直後の
意外とあっけない出来事を境にぴたっと止まります(次回書きます)。
今となっては当時の(組織に狙われていると怯える)自分を滑稽に感じるのですが、
ドアモニターの留守録はなにかと役立っているので、つけてよかったと結果論ですが思っています。

創価問題で、覚醒を機に精神を病まれる方は大変多くいらっしゃいます。
それほどマインドコントロールが強靭で、尋常でなく、反動がきついものであることは間違いありません。
私は医療投薬のお世話になる事はありませんでしたが、仮に幻聴や悪夢がずっと継続していたら?
このブログは無かった・おそらく書けなかったと思います。

たまに覗く活動家さんのブログに毎回「大確信」という言葉が出てきます。
私はその「大確信」を見るたびに「罪な思いこみの強さ」だと、なんともいえない気分になるのです。
かつてバリ活時代の私も常に大確信、絶対に成し遂げる・やってみせる・不可能を可能にするのだ!と
気合を入れてお題目を上げ、自分を鼓舞して活動に現実の生活や仕事にと体当たりしていました。
この思いこみの強さこそが=大確信=組織でいう信心強情というものだったと、現在はそう考えます。
そして、この思いこみを強く持てれば持てる人ほど、盲想も強い。
洗脳は解けにくいですし・仮に解けた時の反動・精神被害も甚大で、心身ともに病むことになるのだと
思います。
なにもそれは「若悩乱者頭破七分」なんかじゃないのです(バリ活はそう言いたがりますけどねw)。
非常識を常識と教え込まれてきたと、正しいと信じてきたものが嘘っぱちだったと、
人生数十年経ったところで知ったなら誰だってそうなります。
ある意味、道理です。

”思いこみ”を捨てることは、本当に大変です。
長年ガチガチに矯正された考え方の癖はそう簡単に修正できません。
かくいう私も、何度も書いている通り、未だ覚醒の途上なんだなと思う日々です。
が、この時間は私のものだから焦らず一歩一歩、気付きを与えてくれる物事の全てに感謝しながら
好奇心を持って、毎日を知の蓄積としていきたいなと思っています。

(33)に続きます。

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非活決意 その後(31)

姉との会話でひととき癒された私ですが、すぐには乗り越えられない壁に気が付きました。
姉が話してくれたエピソードは素晴らしい。
どんなに自分が不遇で悲しい生い立ちをしてたって、過去に綺麗に見切りをつけ、他人に愛情を配る。
そうある事が周囲も自分も幸いだと、私も思います。

けど、なにか釈然としない思いがこみあげてくる。
やはり姉と私とでは決定的な違いがあります。
前回も書いたとおり、私にはMC下にあった「黒歴史」があるのです。
創価に心を囚われていた履歴がある。まっさらな姉とは違います。
多くの覚醒した2世3世が実感する事だと思いますが、生まれながらにして叩き込まれた
統制された考え方や物事の捉え方・視点は、そう簡単に変わるものではありません。
MCによって長きにわたり心は矯正されていました。
福子になればなるほど、原型が何だったのかもわからないくらい、綺麗に型にはめあげられて
しまっている。
自我が構築される前に特定の考え方を叩き込まれる、教義による強迫観念もセットで。
これが創価のやりくちです。
親はそれを「子に善かれ」と思ってやっていた確信犯です。
そして組織側はいいように手玉にとるための・手っ取り早い恒久的な労働力+金蔓確保のために
「未来部育成」などと称して幼少期からコマに取り込もうとしてきたのでしょう。
この時点でもう、人を人とも思っていません。単なる組織に利する為のコマとしか考えていない。
繰り返しこのブログで書いてきたことですが、生後数か月~判断力のない年齢のうちに
親の一存で宗教団体に入会させるなんてことは、法整備でもして辞めさせるべきでしょう。
このことで一体どれだけ多くの人が悩んでいるか。家族問題に発展しているのか。
組織側は、のちのち問題に発展したところで知ったこっちゃありません。 
”それは家族の問題ですから不介入、各自で解決して下さい”が常套句で
中には「しっかり信心指導できなかった親の責任。
そんなしょうもないことで組織に迷惑かけないでください」という大幹部もいるらしくw
宗教なんて、子供に押しつけるべきではない。
特に日本のように多様な文化を認め・個人の信教の自由を法律で認め明文化している処において
年端の行かない子供を、限定的価値観を植え付けるような団体に属させ・活動を強いることは
ナンセンスであり、ある種反社会的なことだと私は思います。

また、姉が「信仰の絆のせいで親子の絆も危うい」という私の訴え(?)を「それが解らない」と
いったことも、黒歴史をもたない姉ならではだと納得。
姉はまっさらな人だから、しなやかに創価問題と折り合うことができるんだ。
私は違うから、そう簡単に折り合う事はできない・・と。

姉と母は、創価信仰を核とした不仲な関係が継続していました。
デフォルトが「不仲」だった。
姉はその自覚をもちながらも、母との関係修復のために信仰をするという思考は持たなかった。
それは創価を肌感覚で「おかしい・受け入れ難い」と思ったからなのでしょうし、
創価信仰に盲目な母親に態々すりよる必要はないとの判断だったんでしょう。
父との良好な関係(信仰など間にはさまらない、普通の親子関係)が姉にあったことも
背景として大きかったと思います。
母と反目しあっていた期間の姉の心中は、私では計り知れないものがあります。
いくら父と良好だったからといえ、母との関係が普通でない事は尋常でないストレスだったと思うのです。
しかし、様々な人との出会い・経験・助言で姉はその不可解な思いに綺麗に折り合いをつけ
ある意味感情を捨てることで「不仲」から「ニュートラルな仲」へと前進した。
これは創価履歴のない姉だから出来ることなのだ、と私は思いました。

しかし、私は母と創価信仰を核として良好な関係を保って来た人間です。
私は無意識のうちに、創価信仰を母と共有する事で繋がっていられる絶対の安心感を持っていた。
子供時代から母に・青年部からは組織にMCされ、創価が絶対正義と思い生きてきた。
そんな私が創価の矛盾に気付いてしまったことで
デフォルトが「良好」だったところ、信仰を否定する事で母と「不仲」に転落する。
なんとも皮肉な話で、不条理なものを感じました。
私が姉を真似したところで、同じことはおこらない。
いったん履歴をもった私が創価を「間違いだった」とひっくり返すことは
まだそこを楽園と信じている母にとれば「裏切り」となるから。
私だけがニュートラルになろうとしたって、母にとって「裏切り者」にはかわりない。
姉と私の決定的な違いはそこにあるのです。
また、自分がバリ活でMC履歴があるからこそ、
創価のMC下における「裏切り者」への処遇の冷たさについても理解していました。
親子間であっても、脱会改宗した子供と縁切りをした親戚もいるくらい身近な話であり。
それがどれだけ「異様」で「おかしい」事なのかを、母に解ってもらいたいのに・・という
忸怩たる思いも生まれていました。

いったい信仰とは何なのか。
それを否定したとたん「裏切り者」の烙印を押されてしまう。
一神教には、その傾向が強い様子です。
各個人の心の問題であるならば、その人が信じるに足りないと離れて行くことについて
「裏切り者」だなんて他人(身内でも)が意見できるものだろうか?
信仰が、個人と信仰対象(神仏)との「契約」なのだとすれば、両者間で完結すべき話であって。
そこに誰人も異議・反論をさしはさむ事なんて出来ないはずなのです。
しかし創価にかかると、こんな自由はまず許されない。
それがいかにおかしい事なのかも、MC下にいる人間(=実家の母)には理解ができません。

余談ですが、神道には「入信」やら「入会」なるものは特にないそうです。
神社は開かれた場所で、どんな人でも受け入れる。
心の安らか平らか、その人の心が求めた時にお参りすればよく、これが宗教の本来あるべき
姿なのではないかと思います。

姉との会話で、母に創価信仰で家族が(というより私が)どれだけ迷惑したかわかってんのか!
と突きつけることはすっかり諦めていました。
姉からも強く言われたこと「今更、寝た子をおこしてどうするのか」と。
母が精神的におかしくなったら結局困るのは子供である私たちなんだよ?と。 
とりわけ、実家に近いところに住む姉の負担が増えてしまう事は目に見えています。
私が感情的になって、無責任な結果を招く事はやっぱり出来ない・・そう思い。
これは私と母だけの問題でなく、家族の問題ではないか?そう思ってはみたものの、
やっぱり創価脳だった私と・未だ創価脳の母と2人だけの問題だったのだと「ふりだし」に
逆戻り。深く落胆しました。

そして、創価の黒歴史・MC履歴を持たない姉が私にないものを幾つも持っている事を
今更ながらはっきりと見た思いで、私は打ちのめされていました。

私は父の愛情を、父存命中にまっすぐ感じとることが出来ませんでした。
以前にも書いたとおりですが、創価信仰に異を唱え反対する父は家族でありながら
「信仰の敵」であり「魔」だと私は捉えていたからです。
父を「この仏法のすごさが解らない人」と見下し、色眼鏡で見てきました。
そんな事を思っていた私は、父に対し知らずのうちに態度でも示していたと思います。
ただ、覚醒したいま思えばですが、父は創価信仰の一点に対してだけは厳しい姿勢を私にも
みせてきましたが、「娘」への愛情は注いでくれていました。
ただ、私が創価のMCによって、父とのあいだに壁を作り、まっすぐ受け止められる状態に
ありませんでした。
そのことに対して、どうしようもないやるせなさと深い悲しみが再び襲いかかって来たのです。
どうして父が生きている時に覚醒できなかったのか、自分・・と。

そして母との間に創価信仰がなければ、母から「裏切り者」扱いを受けることに関しての
不条理な・言葉にしがたい寂寥感。
これも以前書きましたが、私と子供のあいだに信仰の絆なんてものはありませんし、それが当然です。
そんなものなくても私たちは親子だし、無償の愛をおしみなく・私が与えられるものならば
子供達にいくらでもあげたいと思っています。
何か特定の物事を子供達に押しつけようとは考えませんし、ましてやそのことで子供を「格付け」
するようなこともありませんし、それはあってはならないと考えます。
しかし私の母は確実に、創価信仰をもつ私と・そうでないきょうだいへの待遇に差をつけていました。
(注:全ての創価脳の親がそうだというわけではありません。あくまで私の実家においてです)
こんなこと、あっていいわけないのです。
そして私自身、母が自分に良くしてくれていることに優越感をもって生きてきたことは間違いなく。
しかし創価信仰を否定すれば、母から「裏切り者」扱いを受け、これまでの関係性も崩れる。
関係性を崩してしまう事が、日蓮仏法をも否定する覚醒に至った私にとって脅威でしたが、
6月の挙式旅行のもろもろから脅威とまで思わなくなりました。
が、私のこれまでって一体なんだったんだろう?と
アイデンティティ喪失の、またしても同じループに落ち込んでしまいました。

誰にもこんな思い、理解できないだろう・・相談するところもありません。
主人に話す事もしませんでした。理由は主人も姉と同じく、MCにかかったことのない
まっさらな履歴の人だから。話したところで、困惑されるだけだろうとすっかり諦めていました。

いかんともしがたい思い・問題を抱えても、家族の日常は何も変わらずに進んで行きます。
2児の母親である私は、悩んで寝込んでいる暇なんてありません。
平日朝が来れば5時起きでお弁当と朝食を作り、夜子供達を寝かしつけるまでほとんど毎日
会社勤めとは違うけど「きまった役割」があり、それを粛々とこなします。
立ち止まっている暇はありません。これは2012年9月に覚醒したときも同じくでした。
そんな家族中心の毎日があるから、ショックを受けても寝込んでいる暇なんてなかったのです。
しかし無理が祟ったのでしょうか、私は姉との会話の数日後から毎朝、知らない男の声で
目覚めるようになりました。
「死ねばいいのに」「なんで生きてるの?」「生きてても意味ないでしょう」
目覚ましのアラームが鳴る30分前くらいから、こんな言葉が繰り返し聞こえ、悲しくて
苦しくて自然と涙が出てきます。
(ちなみに主人が言っていたわけではありません。横を見たら静かに寝てましたので)
心がどんよりとし「本当だ・・私なんて生きてる価値ないよね」そう思えてくるのです。
2-3日そんなことが続き、ネットで思わず「鬱」で調べました。
諸症状にあるような不眠や食欲減退はあてはまらないし、身体のどこかがだるいとかいう事も
ない。至って身体は健康。日中~夜はごく普通に活動的に過ごせる。
ただどういうわけか、明け方起きる前に「死ねばいいのに」という言葉がコダマし
悲しい気持ちで目が覚めてしまう。
一週間目には、目が覚めた時点で即おきあがってリビングへ移動してみることにしました。
まだ早いから・・と寝床でまどろんでいるとずっと「死ねばいいのに」が頭の中で渦巻いて
しまうからです。
再び幻聴というキーワードで調べてみたところ「統合失調症」や「PTSD」と書いてありました。
まさか・・と思いながらも、PTSDはあるかもしれないと自覚。

日常は何も変わらない。問題なく過ぎて行っているのです。
誰にも話せない悩みがあるとすれば、創価問題しかない。

幻聴が聞こえ出して10日くらいした頃、私は起きぬけその「死ねばいいのに」の声に
猛烈な怒りをおぼえ「うるさい!お前の言うとおりになんてなるもんか!」と泣きながら叫びました。
主人が驚いて起き「どうしたの?」と言うので「怖い夢を見た」と説明。
その場をとりなしましたが、私はハッキリとした猛烈な怒りを覚えていました。
負けてたまるか。
私は幻聴に屈したりしない。
思い通りになんてなるかよ、絶対死なないからな。

今になって思う事なのですが、私の創価に対する覚醒の進度・深度は「怒り」がキーワードみたいです。
腹立たしい・怒りを感じた所から、マインドコントロールがどんどん崩れていく。
おかしいぞおかしいぞ・・と思いながらも
「不信は堕地獄 功徳が無くなる 積み上げてきた福運が水の泡」と無理くりに抑え込んできたモノが
怒りとして爆発して、初めて全てを理解する。そんな感じなのだと思います。

(32)に続きます。

非活決意 その後(30)

姉に電話を入れたのは、私の帰国から3-4日経過した頃でしたが
まだ姉は帰国しておらず嫁ぎ先の両親が暮らす場所(海外)に滞在中でした。
手短に話せる内容でもないので、姉が帰国し落ち着いてから連絡をもらう事で一旦おき。
直後に長子の小学校生活初の体育祭があったり、春先に購入が白紙になった不動産取得が
より良い条件の物件を紹介して頂いたりと、日常に良い変化が訪れたことで
私は母との確執問題をいったん棚上げにしました。
全くげんきんなものですが、実家を遠く離れて暮らして居るため、母を四六時中思うでもなく。
もうこの頃、日常的に学会員と触れ合う機会も無ければ仏間は「開かずの間」と化していました。
「創価(信仰)」は遠くなりにけり、でまったく視界に入れず生活できる状態にあれば、
心は波打たず穏やかなもの。
この時は一瞬、帰国直後の憤懣はどうでもよくなっていました。

姉から電話がきたのはほとぼりが冷めた頃。
カーッと頭に血が上った状態からすっかり平常心になっていたので、態々連絡をもらって
なんだか申し訳ないと思いながらも、旅先であった母とのやりとりをざっくり話しました。
「それでもう、すごく腹が立って。どれだけ私たちがお母さんに迷惑かけられたかわかってる?
創価のせいなんだよって言ってやろうかと思った」と姉に言うと
「それはどうなのかな」と考え込むような声が返ってきました。
姉は「確かに活動にどっぷりハマらないで欲しかったって母に対し残念な思いはある。
でも、私は”迷惑かけられた”とまでは思ってないんだよ」と。
ええっ?!
まさに晴天の霹靂です。
被害者意識をもっていたのは私だけなのかと、信じられない気持ちで
「じゃあお母さんが創価信仰を続けても、押しつけてこようとも、全然いいの?
それ(信仰)がなかったら親子の縁も危ういような関係っておかしくない?」と姉に聞きました。
姉の答えは「もちろん信仰の押しつけは嫌だけど、自分自身がしっかりしていれば問題ない」で
私の問いかけ(親子の縁も危うい)については「私にはそれが解らない」と答えました。
つまり姉と母のあいだには「信仰上の絆」なんて最初から無いので、私のいわんとすることが
解らないのだと。
姉の答えを聞いて、私はどーんと突き放されたような気持になりました。
姉と私では次元が違うのだ、と思いました。
姉に話しても理解できないだろう、と懸念はありましたが「被害者意識」に関しては
共通していると思っていたのです。
同じ家で育っていても、マインドコントロールから逃れた人間と・どっぷり浸かった人間とでは
感覚がまるで違うことを再び痛感し。
それは父の葬儀方式で揉めたときにも感じた事でした。
友人葬を反対する兄姉に対し、当時MC下だった私は「わかってないなぁ」と
がっかりしましたし、信仰の有無がネックで家族だろうと解りあうことができないことは経験済みでした。
しかし、私は「覚醒した」はずなのに。
姉との感覚の違いは、履歴の違い。私の人生の黒歴史(バリ活盲目時代があった)は姉にない。
私がいくらその黒歴史を無かったものにしようとしても「経験」として刷り込まれている人間のそれと
何も無いまっさらな人間とでは違うんだとの、どうしようもない差異を感じることになりました。
この件は後からじわじわ精神的にくるのですが、そのことは後日書きます。

私は、自分が子育てをはじめてから母親のおかしさに気付き、覚醒に至ってそれが「人の尊厳」を
失ったものだとハッキリわかって愕然としたと話しました。
姉はうんうんと聞いてくれたあと
「で、自分が母親になるの、怖くなかったの?」と聞いてきました。
どきっとしました。 
長子を妊娠していたとき、嬉しくて仕方がないというテンションでなかったことは確かなのです。
不安と戸惑いの中、淡々と受け止めていました。
姉はもともと子供嫌いで可愛いと思えなかった・
自身が母親になる事は考えられなかったし恐怖だった・自分は子供なんて生んではいけないと
思っていた。
上手く育てる自信も無かったし、自分は虐待だってしかねないと思ってたと言いました。
それを友人にいうと「どうして?」と聞かれたが、明確な理由が言葉では出てこなかったのだと。
後に本を読みその理由が(姉と母の)母子関係にあったと解って腑に落ちたと教えてくれました。
初婚の際、不妊治療にNOをつきつけたことが相手との離婚理由でしたが
相手に真の理由を言えず、子供より仕事優先だと嘘をつき続けていたとも。
”結婚したら子供をもうけるのが当然”との意識で結婚した前旦那に申し訳ないと思ったから、
最初に話さなかったから「詐欺だ」っていわれかねないしと。
「だからあなたが子育てをしているの、すごいなって思って見てた。同じ母親から生まれていても
恐怖感とか無いんだなって。お母さんとの関係がいいからなんだろうなって」と。
私は「そんなことない」と、常に不安と戸惑いがあった事や、母を子育てのお手本にしては
いけないことをかなり早い段階で気付き、周囲の友人や義母に倣ったと話しました。
姉は意外だったと言い、自分と同じ思い(母への不可解な思い)をしていたのならと前置き
「親に期待しちゃいけないんだよ。そんな考え捨てた方が楽になるんだから」と言いました。
姉曰く、信仰の絆うんぬんで親子関係をおかしくしてしまう母親にあれこれ突きつけようと
している私は、明らかに母に期待しているというのです。
”母を変えたい・気付かせたいと思ってる訳じゃない、残酷な現実だけ突きつけたい”だなんて嘘だと。
明らかに、母がそのことで何かを気づく事を「期待している」んだと思うよと。
もし本当に母を傷つけたいだけなら、それを聞いた母がおかしくなってしまったらどうしようなんて
心配しない。 
あなたはちゃんとお母さんのこと考えてる。そこには期待があるんでしょ?
私(姉の事)はお母さんに一切期待して無い。
自分の母親がこうだったらなと、他人(目上の女性)に対して思った事は何度もあったが、そんなこと
求めるだけ虚しくなる。
もう、自分が親になるような「いい年齢」なのだから、母の事は甘えの対象でなく
ひとりの人として受け止める。
家族だからどんなに(創価信仰のせいで)残念でも縁は切れない。
だからそこはうまくつきあっていくしかないんじゃない?と。
姉は私の事を「幼稚、大人になりきれてない」といい、
いまさら過去の不満を母につきつけたって仕方ない。その不満が何由来だろうと関係ない。
あなたが母を反面教師にして、2人の子供のいい母さんになれたら、それで上等なんだよと諭したのです。
私は痛いところを容赦なく突かれ戸惑っていましたが
姉に対し「すごいね、達観してるわ」と感想を述べました。

姉は簡単にそうなれたわけではない、と話してくれました。
思春期~20代の頃、どうにも母が嫌いで、父に「別れたら?」と言った事もあった。
相談相手はいつも父で、母になにかを頼もうとか(甘えたいと)思った事が一回も無い事。
母への不可解な思いを抱え続けてきたが、母子関係の本を読んで「これだったのか」と
霧が晴れるように納得した事。
納得しても、鬱屈とした思いを隠せない時もあったが、ある年配女性の話を聞いて深い感銘を受けた。
その方は周りに常に老若男女、人が集まってくる。
いつも柔和で自然体、誰からも信頼されており悪口を聞いたことが無い。
「どうやったらこんな素敵な人になれるんだろうか」と姉は常々尊敬していたとのこと。
父が亡くなった後、その方と食事に行ったそうです。
母との確執がある・身内で近隣住みは自分しかいないので、今後どうしたものかと頭が痛いと
打ち明けた。
その方は「あなたはお父さんに愛された記憶があるか?」と聞いてきたそうです。
姉は「ある」と答え「だったらよかったじゃない、十分よ」と返ってきた。
「誰からだっていい、愛情をもらった記憶があるなら幸せなこと。その愛情を今度は周りに
配るのよ。親とか他人とか関係ない。固執しない事が幸せの早道」と。
その方は、母親を恨んで恨んで生きてきた・母親が亡くなった時「やっと終わった」と思い、
涙も出なかったとの経験を語ったのだそうです。
その方は主に祖母に育てられた、複雑な生い立ち。
時に「あんたのせいで私の人生が狂った」と子供に向かって激しく毒づくような母親だった。
早く縁を切りたいと思い、若くして結婚し主人と起業。
その仕事がうまくいっていると聞きつけた母親から金の無心が長らく続いた事。
最終的には痴呆を患って介護施設のお世話になっていたが、見舞いに行っても毒づかれ
「私の人生をめちゃくちゃにしたのはあんただ」と言い続けられたと。
その方は
「唯一母親の事だけが残念だったが、私は祖母から大きな愛情をもらってきた記憶と自覚がある。
そして主人からも大きな愛情をもらった。だから生きて来られた。
今度は私がみんなに愛情を配る番」と心がけ、周りの人に接しているとの事。
その方にはお子さんがおらずご主人も先立ち、いずれ仕事は血縁のない後継者に引き継ぐが
財産は全て孤児支援の財団に寄付すると決めていると。
姉自身も子供をもつことは考えておらず、どうせならこの方のようにひとつ乗り越え、
自分が母から愛情をもらえなかった事を悩むのでなく、父からもらった愛情を誇りに
生きたいと思うようになったと語ってくれました。
この話を聞いて「そうだったのか!」と納得したのは、父逝去後の姉が本当に柔和になった
ことでした。
それまでどこか冷たい雰囲気を私は感じており、姉が実家に一番近い場所に住んでいるとはいえ
母を気にかけた行動をとることは期待できないと失礼ながら見ていました。
しかし姉は月命日のお墓参り、母を車に乗せて一緒に行ってくれたり、身の回りの事も気をつけて
くれていました。
信仰問題について、父の逝去後に母から「御弔いのためにもご本尊様を受けたらどうか」と
いわれたことがあったのだそうです。
以前の姉なら感情的にはねつけたでしょうが「私は自分なりに冥福を祈ってるから心配ない」と
断ったそうです。 このエピソードは初耳でした。

そして姉は私の事を「なにより無償の愛を子供達からもらってる」と言いました。
「勿論主人やその家族からももらっているだろうけど、だから良かったじゃない。
あなたはもうなんにも、お母さんに固執しなくていいんだよ」と。

既に憤懣の勢いが緩やかになっていたのもありますが、この姉の諭しは私に大きな影響を与えました。
なにより、創価信仰なんてもたなくたって、実の親から辛い目に遭わされた経験の持ち主が
「愛情を配り」自他共の幸せを築いている事に感銘を受けました。

創価の世界が唯一麗しく、人間味や情もあって暖かく、血縁関係などなくても「創価家族」として
励まし合い関わり合い、落ち込んだ人を立ち直らせたり、再起させ蘇生させる、
すばらしい友愛の世界なのだとずっと思い込まされてきた創価脳の頃。
創価外の一般社会(世間)は、濁悪で世知辛くとことん冷たいものだ、くらいの認識しかなかった。
知ろうともしなかったし(姉が話してくれたような素晴らしい人物のことを)知ったにせよ
「そこに生命哲学がないなら、そんなものは根なし草だ」とかなんとか、斜め上のカンチガイで
切って捨てたかもしれない。
生命哲学がなんだっていうんだろう。ていうか、生命哲学って何だw 
身の回りレベルの「自他共の幸福」は、何も大それたことではなく
宗教団体や特定の教えを介さなくたって、ごくシンプルな心がけで実現できるものでしょう。
そこに見えもしない三世や師弟をいれるから話がおかしくなるのです、たぶん。

この姉との会話を思い出すたび、覚醒できて本当に良かったとしみじみします。
もし私が、未だ「婦人部は大嫌いだけど創価は絶対」と盲信していたならば
こんな話を姉とする事は絶対に出来なかったし、姉との関係も微妙なままだった。
そして何よりも、私は自分を取り巻く環境や人間関係に「深く感謝」できなかったと思います。
姉との電話のあとに感じ入った事は、姉がとてもいい人たちに巡り合っていることの喜びと、
私自身も数々のすばらしい外部の人たちに囲まれ、こんな私でもおつきあいしてもらっている、
ありがたいなぁという心からの感謝でした。

姉の言葉に癒された私ですが、姉の言うように
「母に期待しない」
「母を母と思わず、ひとりの人間として受け止める」を心で反芻してみても、
どうしても無視できない・引っかかってくるのが創価信仰でした。

(31)に続きます。

非活決意 その後(29)

2013年6月
帰国後の私はいつもなら必ず行う「無事家に着いたよ」メールを母に送信しませんでした。
おとなげないと言われても仕方ありませんが、空港であのような言葉を投げつけられて
何も無かったかのように普通に接する、そんな心の余裕がもてなかったのです。
また、この問題を「些細な親子げんか」として流したくない、という意志もありました。

しかし、私は母に旅先で、今までにない勢いで自分のこれまで抱えてきた不満を
ぶつけてはみたけれど「核心・本丸」に触れずじまいでした。
私がぶつけた数々の不満の元凶とは、創価信仰であり、それは母から叩き込まれたものだった。
母の思考回路の基盤となっている創価信仰が全ての不幸の始まりなのだということを・
家族の不幸の原因だということを、なにより母自身を貶めていると言う事を、私は母に言わなかったのです。 
というより、言えませんでした。
それを口にすれば親子関係が終わる・ぶち壊しになると思うと言えませんでした。
そして、私がそのような核心を包み隠しながら言葉をぶつけていたことを、母は全く感じていない風に
見えていました。
私は内心、期待していたのです。
核心そのものずばりに迫らずとも、外側からじわじわ攻めて行くように
語れば気がつくのではないか、そう思いながら不満(子供時代にしてもらえなかったこと云々)を
羅列しました。 が、母はそれを「父のせいだ」と言い、自身が学会活動に没頭しすぎたせい・
功徳信心をもとめるあまり暴走していたせいだとは全く自覚していない事が露見しました。
これはどうしたものだろうかと、私は悩ましく思い。
私の本心はすっぽり覆い隠したまま、母と距離を置くべきなのだろうか。
それとも母にずばり核心を突きつけて、親子・家族関係が崩壊してでも「解らせる」べきなのか。

この「解らせる」とは、母を覚醒させるという意味ではありません。
創価信仰が、我が実家の皆皆に対してどれほど「害毒」だったかを突きつけることです。
それは家族のだれもが試みなかった、いわばアンタッチャブルでした。

40代になって創価の矛盾に気がついた私が、子供時代から得体のしれない苦しみ・悩みを
すべて「宿業」と位置付けて生きてきた、そのことの間違いと愚かさに愕然としたこと。
悩み苦しみを創価信仰で解消すべく活動していたが、実は苦しみの元凶は創価信仰で叩き込まれた
(巧みに組織隷属のために語られる)教義そのものにあったこと。
また兄姉や亡き父とも、創価信仰さえなかったらどれだけ家族として良い時間をすごせたのか・
母ひとりが気付いていないだけで、他のみんなは創価信仰のせいで「迷惑している(いた)」、
そして従順に従ってきた私も、覚醒してしまったあとは被害意識が強くある、という現実を
突きつけたいという意味でした。
以前にも書いたとおりですが、
私の母は(創価信仰を継続する限り)一生成し得ない「一家和楽」を掲げて信心・学会活動をしている。
母の考える「一家和楽」とは家族全員が創価信仰をすることであり、なんだったら活動家になる事であり、
それで家族仲が保たれる事です。
父存命中、父や兄姉に学会理解してもらいたい。信心して欲しいと母は熱望していました。
そして父亡きあとは、兄姉(やその配偶者)が信心に目覚め・継承する事を祈り活動をしているのです。
アンチで現実的な考えの持ち主である兄姉には、残念ながら母の願いは通じません。
母が信仰の話を持ち出すほどに、親子の溝は深まるばかり。
また、生存中の父でいえば夫婦間の溝も深かったと思います。
母はそんな、創価信仰になびかずはっきり拒絶する父兄姉のことを「一闡堤」と評した事もありました。
しかし、そうやって創価信仰に反抗する姿を母にみせることで、母は「自分に題目をあげさせてくれている」
とも捉えていました。
これも、非常に良く出来た創価ロジックです。
「反対されればされるほど、この信心は正しいんです!間違いないんです!大聖人がそう仰っている!」
活動経験のある方なら誰でも、こんな幹部指導を聞いた事あるんじゃないでしょうか。
「教義」という実は限定的なルールを振りかざすことで、人の冷静な判断力を喪失させるのです。
反対されるからには、それ相応の理由があるのに。 その理由を「全く考えさせない」
思考力を根こそぎ奪ってしまう。 それこそが「思考停止」でしょう。

過日、幹部のおばと話をしたとき、ちらりと創価の矛盾点をぶつけてみたところ
「これだから教学のない人は・・」と、困った顔で言われた事がありました。
自分たち世代ほど、教学をしっかりやってないから若い子は信心の軸がぶれるんだよとw
また、母についても同じくで私が創価に対しあからさまな批判(というより事実)を話すと
「あんたは教学がなってない。教学がしっかりしていたら、そんな考え方には絶対ならない」と言います。
親世代の”不幸”をここにハッキリと感じとることが出来ました。
戸田先生時代を知る人達にとって「教学」とは、非の打ちどころのない・間違いも一切ない・
自分たちの行動指針の全てになっているのです。
当時(昭和30-40年代)の創価の、リアルな現場を知ることは中々できませんが
(捏造小説は全くあてにならないしw)実家に置いてある仏教大辞典や御書講義集のボリュームを見れば
当時いかに会員が教学研鑚中心でやっていたかが解ります。
現在のような、会長書籍頻発・老人賛美なんて時代でなかったことは確かです。
そして頻繁にあったという教学試験が、当時まだ大学進学が現代ほどメジャーでなかった世代にとっての
「プライド」になった一面も確かだと思います。
大学を出なくても「教授」「師範」になれるのですw これが選民意識をさらに高めたのではないかと。
しかしそれは、創価の狭い世間だけの資格(?)。世間一般には当たり前ですが通用しません。
だけれども教学を深めることで、自分自身が引き上げられてゆくような喜びを感じた親世代は
かなり多かったのではないでしょうか。
モノも情報も、今ほどない時代です。向学の喜びが大きくあったと想像します。
(当時、現役京大生だった矢野氏でさえ「大学では絶対に学べない学問」と、夢中になったと
いうくらいですし)
結果、創価教学が「この世の中で唯一絶対正しい教え・生きる規範」だと思いこんでしまった親世代は
それを世法にも通そうとするし家庭に持ち込み、子育てにも反映させた。
学会指導を真面目に守れば人生は安泰と信奉し、家族にもそれを押しつけた。
総体革命は、こうして着々と草の根的に広がって行き数百万という数の会員を擁し、
現在の宗教企業体としての創価があるのでしょう。

教学で頭でっかちになっている人ほど、洗脳も深いのかもしれません。
私たち世代の教学試験は、日々研鑚の積み重ねなんてものではなく。
数年に一度、試験があるよと組織から知らされ、試験範囲を勉強会に出席し学び
記憶するだけのものでした。
期間限定で、ただ渡されたテキストを読みこんで解答を覚えただけ。
その「正答」も創価サイドの解釈です。 日蓮大聖人の本意とかけ離れているものもあるでしょう。
覚醒が進んだ事もあるんでしょうが、どの御書が試験に出たのかすらもう記憶にありませんw
ただ、そのような学習機会であっても、自分にとって都合のいい教えだけは記憶に残るもの。
手持ちの御書を開いてみると、ふせんが貼ってあったり折り目をつけたり、マーカーでラインが
入っている個所が幾つもあります。
そこを読むと、その御書を学んだ時、どんな壁にぶつかり・何で悩んでいたかが思い出せます。
日蓮大聖人の言葉を単純に「励まし」と捉え、実生活を前向きに頑張っていこうとするのなら
それはごく普通に「いい心がけ」だと思います。
ただ、創価に罹れば大聖人の言葉を借りた上で実生活以上に「学会活動」に励むよう
組織に利する行動をとるようにと仕向けられていくのが問題なのです。
教学で頭でっかちになったうえ、池田老人との「師弟観」がそこに組み込まれれば完璧なる
洗脳の姿になる。 
”学会を出て幸せなどない、師匠を離れて幸せなどない”と、自縄自縛に陥るのです。

幸せになりたくて学んだ教学が、実は組織隷属の為の手かせ足かせとなっているなどと
洗脳のきいた人達は思いもしないでしょう。 
私だって数年前はそんなこと解らなかったし全然気付かなかった。

今ふと思い出しましたが、部長時代に幹部がこんなことを話していました。
組織運営で悩みにぶちあたった時は「こんな時、池田先生ならどう行動されるだろう?」と
考えてみたらいいと。
池田先生の行動をまねれば、必ず道が開ける。良い方向へ進んで行くものです。
考えても解らなければ、それは師匠を求める心がまだまだ足りないという事。
師匠を求めるためにも、毎日新聞に掲載されている「新・人間革命」を心して拝さなければ
いけない。 読んでいれば、必ずヒントが転がっている。行き詰まりなどないはずだ、と。
活動家に人革の切り抜きを奨励しているのも「教祖崇拝」を深めるためなんでしょう。

当時、上記を聞いて、そんなものなのか?と思いながら、自分にはまず出来ないと思いました。
聖人君子すぎる小説の中の池田老人と、俗っぽい私とでは人となりが違うから
真似なんてできない・真似したって同じこと(結果)にはならない、とw
池田老人を師匠だと思えず・神格化もできなかっただけに、そこは冷静な判断が
出来ていたのだと思います。
内心そう思うだけで、誰にも言った事はありませんでしたが、幹部にそんな思いを伝えたら
どんな説教が待っていたのでしょうか。
いや、すがすがしい笑顔で・目をきらきらさせながら
「大丈夫!先生を真似すれば、人間性も素晴らしく変わっていくから!」なんて
逆サイドきめられたかもしれませんねw
洗脳のきいた幹部に限ってファンタジスタでしたから・・女子部という集団は。
今、冷静に考えると”そんな馬鹿な話あるか!”と激しく突っ込みたくなります。

そして、近頃非公開コメントで寄せて頂いた、創価幹部と活動家のあいだで語られている
事柄を読ませてもらい、創価は単なるオカルト集団になっていると気が付きました。
覚醒した私からすれば「それ何て都市伝説w」と思う様な事柄を、活動家諸氏は真剣に受け止め
それを信じ切っているのです。 
例を上げれば
「東日本大震災が東京震源地でなかったのは、池田先生のおひざ元・学会本部があるから」
「東日本大震災で関西が全く何の影響も受けなかったのは、池田先生の愛する常勝関西だから」
「大阪が自然災害に見舞われないのは、師弟誓願の地だから」
こんな事柄が、まことしやかに語られている組織。
被災地や、自然災害で甚大な被害を受けているかの地の同志や組織のことを一体なんだと思って
このような事を”したり顔”で語るんでしょうか?
組織内にあっても選民意識や優越感をもちたい意識の現れなのだとしたら、それを恥ずべきです。
その姿勢は、学会員という以前に「人」としてどうなのか、よーく考えてみる必要が
あるでしょう。
まさに愚の骨頂としか思えません。

話を元に戻します(話が中々先に進まなくてすみません)。

核心を母につきつけてやるべきなのかと考えた私ですが、それを衝動的に行動に移すことは
しませんでした。
高齢者で一人暮らしの母。 決して健康体では無い母。
ショックのあまり、どうにかなってしまうかもしれない。
何かあった時、すぐに駆けつける事の出来ない遠方住みの私が無責任な事はできない。
迷惑をかけてしまうのは、実家にいちばん近いところに住んでいる姉になる。
そうなってしまったら姉に申し訳ない。
こんな思いが駆け巡った時、この問題を私は自分と母「2人だけ」の問題だと捉えてきたけれど
実は家族の問題なのではないか? 
私は最初からこの問題に姉(や兄)を入れず部外者にしていました。
なぜなら、理解できないだろうと思ったからです。
兄や姉は家族でありながら、学会員という意識はゼロだから。
私が覚醒した・脱会も考えていると姉にカミングアウトした際、姉の反応は
「お母さんには言わない方がいい」でした。
きっと、私が核心をつきつけたいなんて言ったら「馬鹿な事やめて」と言うだろう。
それでも、私がそこまで思いつめているという事を、どうしても姉に聞いてもらいたくなり
私は姉に電話をしました。

(30)に続きます。