他者の人生に軽率に関わるということ②

前回の続きです。

イッツ ア ミラクルと書きましたが、ミラクルとは「奇跡」。

創価脳の最たる特徴は、「奇跡」を盲信・確信している点だと思うのです。
創価学会に所属し、組織から流れてくる打ち出し通り脇目もふらず寸暇を惜しんで闘えば
必ずや「奇跡」がおこると信じて疑いません。
また、組織から流れてくる打ち出しなんてウザイから無視しててもかまわない。
新聞推進や選挙運動やらなくたって、会合になんて出なくたって平気平気。
暇な婦人部やうだつのあがらない壮年部がやっている組織ハリツキ活動にミラクル功徳なんておこらない。
そんなことよりも、友達に日蓮仏法(=実は創価教学)を語り広めたり、最終的に本尊授与(=入会)に
導いたり、師匠の素晴らしさを世間に語る事、お題目さえあげていれば「奇跡」がおこるのさ!と
信じている人も、実際存在します。
学会活動ガーな人も・ダルい組織活動を拒絶否定している人も、「日蓮仏法(=創価教学)」で
ミラクルがおこる事だけは信じて疑わない、そこは共通している。
だから両者とも「創価脳」だ。 私はそう捉えています。

当事者は「一緒にスンナ!」と怒るかもしれませんw
かたや、日々(5年も動画を公開しない)師匠のため同志のため地域社会のために
不惜身命の学会活動・生活の大半をささげている「組織ハリツキ型」の学会員からすれば、
普段会合に出なければ組織活動に協力もせず、都合のいい時だけ「ナンミョー」言ってるような
未活学会員の事は目の上のコブでしょう。
「宿業はどんなかたちで出るかわからない」「いつか痛い目に遭うぞ」「泣いてからじゃ遅いんだよ」
そんな風に不幸を願いながら(注:おおむね本人は「相手を心配」「慈悲」と誤変換+正当化してますが)
作り笑いを浮かべながら家庭訪問の戸口に立つ。
訪問される(ダルい活動なんてするかよ!題目あげて対話してりゃ功徳あるんだよ)側は、
生返事&愛想だけの「ごくろうさま~」で訪問者を内心「ウザ!」といなしてはいるけれど
ひとたび人生の窮地に立ったならば、藁をもすがるように「組織ハリツキ型」に寝返るのです。
そのとき組織ハリツキ型創価脳は「いらっしゃい!」「OOさんが立ちあがるの、祈ってたよ!」w
両者ともに、日蓮仏法(と言う名の創価教学)にミラクルが宿ると信じて疑わないからこそ
同じフィールド(創価学会)内を黒に白にとひっくり返りながら、共存していられるのでしょう。
創価と言うフィールドを離れ、そこに奇跡など宿らない・それは厄介でバカみたいな誇大妄想である、
ということを認める事ができなければ、この滑稽さはなかなか実感できないものだと思います。

事実上の家族関係も知ること無く・所在地もよくわからないまま・後期高齢者のOOさんと
リアルで繋がれるのは携帯電話だけだった。
それでも母はOOさんの訃報を「信心しているから」すぐに伝えてもらえるものと確信していた。
こんな話、一般人の感覚では到底理解できない事でしょう。
何事もフワっとしている。だのに意味もなく自信に満ち溢れていられる。
これも創価脳の特徴といえると思うのです。
問題の核心部分をこちらが突いても「信心は絶対」「師弟不二」だのという、ミラクルな結論で
居直る。 「信心していれば悪いようにはならない」こんな台詞にも科学的根拠なんかない。
そこには裏付けなんてものは一切ありません。すべては創価脳本人の「感覚」であり「思いこみ」です。
こういう事を書くと「信心の確信をもっていないから浅はかに片付けている」と、バリ活は鼻で笑うのかも
しれませんね。 いやいや私だって過去は「信心の確信」なる選民思想・誇大妄想を外部友人へ
雄弁に語る活動家でした。
全てが創価なる集金団体を頂点として司られた単なる思い込み・思いこまされであったと気付くと、
それまで抱いていた疑問やグレーゾーンだった事柄に対して全て綺麗に答えが出るのです。
本当になんにも難しい事なんてありません。ただ思い込みから解放される。それだけでいいのです。
しかし厄介なことに強固な「仏罰」「罰論」がそれを阻みます。
これまた単なる思い込まされであり、マインドコントロールであると頭で理解できれば難ないのですが。

母からOOさんの死を聞かされた電話口で、次から次へと投げかけたい言葉が頭を駆け巡るのですが
喉元で詰まり、出てきません。感情的になってはいけない、と自制心もありました。
母は私が黙っている間、自身を納得させるための言葉なのか
「OOさんが本当に孤独だったわけじゃないことがわかって救われた」「年齢が年齢だったから、
いつそんな事があるか常々心配ではあった」「会合に参加したり、電話するたびOOさんはとても
喜んでいた。今生のいい思い出作りもできたと思うし、人生終盤に創価に巡り合えたことで
(葬儀形式は不明だけど)霊山へと旅立ち、きっと大聖人様のお膝もとへ辿りついていると
思う(死後の世界の話)」と、一人でしゃべっていました。
ひとつひとつ突っ込みどころはあったものの、私は母にお願いとして言いました。
「もう折伏・本流はしないでほしい」と。
「面倒見切れないって、これでわかったでしょ?若い時とは違うんだよ。
OOさんは身内の方に創価入会を伝えていなかったって事が、どういう意味だかわかる?
身内の方が反対する・もしくは不安を抱かせると考えたから隠していたんだよ。
けど、死後に他人(=母)からそれを聞かされることの方が、私は(遺されたお身内にとって)
残酷だったんじゃないかと思う」と私が話すと、すかさず母から
「なにが残酷なの?創価に入会していた事は名誉みたいなものよ」と突っ込みが入りました。
これだから毒の回った創価脳は手に負えない・・と思いながらも
「あなたは”中の人”だからそう思うだけだよ。世間一般他者からすれば、名誉なんて思わない。
例えばこうだよ。
私がお母さんの死後に”実はOOOOOO(カルト宗教名)に入会してました”と聞かされたら、
私はショックだよ。人生の最期に何してくれてんのよって思うし、身内である私や兄姉が、
いかにお母さんを見過ごして、放置してたかって身につまされるよ」と反論。
母は「OOOOOOなんかと一緒にしないで」と憤慨していましたが、これも”中の人”だからこそです。
創価組織の中で飼いならされ、学会は正義!日本で一番会員数の多い宗教界の王者!
師匠(池田老人)は勲章顕彰もらいまくり!世界が宣揚! こんなことを信じ切っているから故です。
論点がずれると思い、そこには敢えて突っ込まず
「あなたのほうが長生きするとは限らないんだよ。相手だけが高齢者ではない。
あなただって独居老人の高齢者なんだから。
今は足腰丈夫でも、いつ会合に出て行けなくなるかもわからないじゃない?
あなたが折伏した新入会の方々が、全員(その方の居住地域の)地域にとけこんで上手くやってる?
OOさんが出来なかったように、他の方も同じ状況じゃないの。
新入会者を居住地の組織につけて活動家になんて、なかなか難しいんだって。
あなたも、もう解りきってる事でしょう?
それができないなら、入会させるのなんて無責任なんだよ。面倒みきれないんだから。
OOさんの件でよくわかったじゃない。
孤独死が不安だからって入会しても、最期は組織じゃなくて身内なんだよ結局」と言いました。
母は「確かに、自分の寿命がいつまでなのか最近不安に思う所はあるわね」と認め。
私は重ねて
「あなたに万が一のことがあったとき、私の知らない人間関係があっても伝えようがないし、
私だって遠方に居るんだし、その人たちの信仰の面倒なんて見切れないよ(脱会する気だしね・・
と、これは言いませんでしたが)。
とにかく、無責任なことはもう辞めて欲しい。
それは相手にも、相手の御家族にも迷惑をかけることだよ」と話し、OOさんが入会時に受け取った
お曼荼羅が、どんな末路をたどったのか、あなたは考えなかったのか?と母に質問。
母は「それは気になった。連絡してきた身内の方に聞く隙もなかったけど・・」と言い淀み。
私は「不敬されていたとしても、仕方が無いよね。
あなたやOOさんから見れば大事な御本尊様でも、お身内にしたら気味の悪い掛け軸でしか
ないかもしれない。そんなもんだよ?」と伝え。
正直、お曼荼羅がどうなろうが、覚醒してしまった私にすれば「どうでもいい」事です。
カラーコピーの大量生産本尊。信心などまったくない人がそれをどうしようと、何の瑕疵も害も
ありません。
ただここでは、母に「大切な御本尊が、故人の家族によって不敬されるなんて恐ろしい事だよね!」
という体で「だから新入会者なんて増やすな。もう折伏なんてするな」と釘を刺したのです。

母は「そうだね」と珍しく私の言葉に納得、
「これからは自分の出来る範囲で信心していくわ」と言いました。
私は安堵しましたが、母の言葉は”その場しのぎ”であったことを後日知る事となります。
もはや、母にとっての「折伏精神」は病気の域といえるかもしれません。

時系列の話は一旦おき、ここからはタイトルにした「他者の人生に軽率に関わること」が
創価の折伏ではないかと、私が考えた事について綴りたいと思います。

覚醒後、偶然目にした報道番組で「子供の貧困問題」を取り上げていました。
ある県の調査で、朝食をとらずに小学校に来ている子供の割合が高かった事。
朝寝坊をして食べられなかったという理由より、親が朝食を準備していない(出来る経済状況にない)
という現実が浮かび上がった、というものでした。
ある小学校では1時間目から保健室が満員。
保健室にやってくる子供達の大半が、朝食をまともに採っていない為力が出ず、学習意欲も薄い。
学力低下にもつながっており問題化している・・という現実の一端を目にし、私は驚愕しました。
そのような児童が1-2人ではなく、クラスに複数名も存在するということにも驚いたのです。
一億総中流、なんて言葉が私の育った時代には囁かれていました。小泉政権後から格差拡大、格差社会なる
言葉を耳にするようになりましたが、それでもピンとはこなかった。
私の知らない自治体の某公立小学校の話ではあれど、現代日本、食べる事に困るような人は
存在しないだろうと勝手にそう認識していた私には衝撃だったのです。
自己責任論が声高に叫ばれる世にあって、未来を担う子供達に、しわ寄せが及んでいる事にも憂慮し。
子供の貧困問題を考えるNPOや善意の個人が立ちあがり、さまざまな理由で
家庭で食事をまともに採れない子供達の為、無料の食堂を設けている事例が紹介されました。
NPO代表がインタビューで語った言葉に考えさせられたのです。
「いまお腹のすいている子供に、親を矯正学習させて食事を与えてもらえるようにしましょうなんて
悠長な事言っていられません。
目の前にいるその子の空腹をまず満たしてやることが、問題に気付いた周りの大人のすることです」
本当にその通りだ、と思いましたし、その人の思想宗教的背景については解らなかったけれども、
なんにせよ「尊い行動・活動である」と思い、支援したいと考えました。
子供の前で大人の理屈をこねたところで、お腹は満たされない。保護者の改善を待ってなんていられない。
この番組を見た後、ふと思い出したのが、私が青年部当時に男子部幹部が語った指導でした。
「年末になると、慈善団体・とくにキリスト教などの団体が”焚きだし”を行いますよね。
あんなものは救済にはならない。憐れみの・施す側(団体)の自己満足でしか無い。
それに比べて学会は違う。
学会の折伏は憐れみなんかじゃない。食べ物を与えるだけの、その場しのぎはまったくもって解決にならない。
憐れみを受けた人間は堕落する。又施しをもらえると思うから自立につながらないんだ。
その点、学会の折伏は違う。学会の折伏はいわば”その人がどうやったら自分で食べられるようになるか”
智恵・方法を授けているんだ。人生の法理、こうすれば必ず幸福になるという実践を教えている。
憐れみなんかじゃ、真に人助けはできない。そこを勘違いしないようにしてもらいたい」とw
これは、大人(路上生活者)に向けた事なのかもしれません。当時は「子供の貧困問題」なんて耳にしない
時代でしたから。
しかし今、この言葉を思い出すと、なんたる机上の空論かと呆れてものが言えません。
今お腹のすいている目の前の人に(大人でも子供でもどっちでも)、あたたかいスープを差し出す事より、
「題目を唱えろ、公明党の票をたのんでこい、師弟不二に生きろ!そうすれば食うに困らない境涯に
なれるんだぜ!」と声をかける事のほうが、真の救済になる?
マジで言ってるの?!頭大丈夫?!と今の私なら聞きます。
”それは20年も前の指導じゃないか。時とともに変化するから、今時そんな事は言わないよ”
”大人と子供じゃ違うよ、極端な例を引き合いに出すなよ”と逃げるバリ活も居るかもしれませんが、
それは詭弁です。 
創価脳の全ての人が、こういった考えを持ち動いているとまでは言いませんが、基本精神として
「創価の教えが幸福への実践」だという考え・現実的な手立てよりも信仰功徳という名のミラクル推奨が
奥底にあることは間違いないのです。

「友の幸福を願う」
この言葉面だけ見れば、何と美しく崇高なフレーズかと思います。多くの創価脳はそこに騙されています。
創価の教えに引き込む事は、友の幸福を叶える手段ではありません。
どこまでその人の人生に責任を持てるのかを、考えてから入会勧誘を行っている人は果たしているのだろうか?
きっとそんな深いところまでは誰も考えていない。
ふわっとした「入会しさえすれば、御本尊様をたもち学会活動にはげみ、お題目さえあげていれば
放っておいても新入会者は幸せになれる」そんな科学的根拠も現実的な裏付けもない「ミラクル」のみで
推進している。 実に無責任な話であり、軽率な関わりなのです。

まだまだ書きたい事があるので次回③に続きます。
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他者の人生に軽率に関わるということ①

創価では自身の背負っている宿命をいち早く転換するためには・苦境を脱するには
「折伏」が一番だと教えられていました・・私の青年部時代(20年前)ですが。
今はどうなんでしょう?やはり同じで、変わらないのでしょうか。
日蓮の御書の一節「譬へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」を引用し
利他の精神を説き”自身が苦しい時こそ、苦しい他人を救う事が仏の道”というような事を
幹部が語っていました。
自分のことだけ必死になり、余裕をなくしているようではダメだ。自身が大変な時であっても
他者を思いやれるようでなくては・・と、なんとなく素晴らしい人生指南のように思えます。
が、そこ(折伏)に「組織への入会」を絡めて来る事は、実はまったく現実問題の解決(=宿命転換)には
ならないということを、活動家は気がつかないし・理解できません。
この「気がつかなさ」の正体を、私は覚醒してから長く考えていました。
そして折伏という行為について、今一度深く考え、様々思い返したり出来事に触れてゆくうち
創価の折伏(=組織へ入会させる行為)とは「他者の人生に軽率に関わる事」ではなかったか、と
思うに至りました。

何年も前から、母は独居老人への折伏をいくつか実らせていました。
下手な鉄砲も・・の法則で、幾多の脈アリな人に集中的にアタックをかけ本流する。
そんなやり方を見て、当時まだ創価脳だった私ですが「感心しないな」と思っていました。
以前の記事でも書きましたが、私の母の折伏は成果主義そのもの。
数をあげることに必死、アフターフォローがなっていません。
私は20代の頃、初めての折伏本流で、相手に居所を告げられず引っ越されるという
痛い目をみましたので、以降折伏に関しては非常に慎重な考えをもつようになりました。
新入会者(一世)は御本尊に畏敬の念など抱いていないだけに、何が起こるか解らない。
ゆえに無責任なことは絶対出来ない・不敬されちゃたまらない、だから尚更折伏は時間をかけて
丁寧にしなければならない、アフターに責任を持たないと無理、と思っていたのです。
新入会者の不敬=紹介者である私も罪を被る、不幸になる!と刷り込まれていた故、恐れていました。

しかし母の折伏はといえば、無責任きわまりなし。
本流のち、仲たがいをしたり、連絡がつかなくなった人・非活になった人が大勢おります。
(今となってはそれで正解と言うか、活動家になってくれなくて良かったと思うのですがw)
それでも組織から一切何のお咎めもないことが、私は不思議でなりませんでした。
「入会しちゃえば一丁上がり」と、ろくに面倒も見ないで次のターゲットへ・・そんなのアリ?と
覚醒前の私は超まじめに疑問・不満を抱いていたのです。
覚醒してからお咎めなどない理由がやっと解りました、創価にとって新入会者はたんなる「新たな金蔓」。
順調に育つかどうかなんて誰にもわからない。だからこそ下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでOK。
分母は大きければ大きいほどいい。公称会員数に上げられるから。
100人いれば1割くらいはそこそこの活動家に、その1割くらい1級活動家になるだろう。
こんな目論見なのだろうと。
まさに、ブラック企業そのものです。ブラック企業は”一括大量採用”がセオリーですから。
とにかく入会させればこっちのもの状態で、差し詰め母は「成績優秀なスカウト」と言えるかもしれません。

そんな母の無責任折伏で入会したひとりの独居老人(男性)がいました。
十数年前の折伏時点で60代後半だったその方は入会後、居住地が少し遠いにもかかわらず
月に2-3度、公共交通機関を乗り継いで座談会や同中に参加。
入会一年後を目安に、居住地に統監を戻すのが表向きルールとなっていた(当時)組織ですが、
本人の強い希望により、統監は私の実家地域に据え置かれており。
新聞も自宅に入れられないという理由で、私の実家に入れ、会合に出てくるたびごとに
母から受け取っていました。
覚醒する(いまから4年ほど)前、ふとその方のことを母と会話中に思いだし
「OOさんお元気?まだそっちまで(会合に)通ってるの?」と尋ねました。
母曰く、もともと足腰が悪かったので80歳を超えたあたりで通って来る事が難しくなった・
しかし諸事情で統監をどうしても居住地に移せないため、そのままにしてある・
現在は時々、居住地域近くの会館の同時中継に出ているようだ、と。
母とその方は趣味のサークルで知り合い、知り合った直後に少し遠方へ引っ越したと聞いていました。
私が直接その方と親しく会話する機会はありませんでしたが、会合などで会えば挨拶をする程度の
顔見知りではあり。
独居老人のわりに(というと失礼ですが)いつも身なりは綺麗で、こざっぱりとしている方でした。
当時少し気になっていたことがあり、何故か私に会うと恥ずかしそうに・そっけなかったのです。
紹介者の娘ということで、親近感をもって接してくれても良かったのですが(こちらは心を開いてました)
相手は心を開いてくれていないような、そんな気がしていました。
その理由について深く考えたことは、全くなかったのです。

その方が入会した理由は、老齢期を迎え臨終について不安をなくしたかった事。
独居な上、お子さんと疎遠になっており老い先が心配である事。
学会に入っていれば、自分が亡くなった時に気付いてくれる人がいるであろうから・・との話でした。
孤独死で数カ月後に見つかるというような状況を怖れ、避けたかったのでしょう。
しかし、そうであれば居住地域に統監を移す方がいいに決まっています。
住まいの周りにいる学会員のほうが、会合に出てきていないとか・新聞がポストにたまっている等
素早く察知できるのだから。
そこをどうして「諸事情」で移せないのか?自宅に新聞を入れてもらったら困るのか?
私がその方をふと思い出し、この件を疑問に思ったのは昨年の今頃でした。

2013年11月。
別件で母に電話を入れた際、聞きました。
「OOさんって元気にしてるの?」
母は一瞬間をおいて「どうして?」と聞き返してきました。
いや、もう御年だし、どうしてるのかなぁ?と。ふと気になったから・・と返答すると、母は言い辛そうに
「亡くなったのよ」と。
えっ?!いつ? と尋ねると、半年以上も前でした。
私にしてみたら晴天の霹靂です。
母が折伏した相手で、唯一活動家に育っていた印象深い人でした。
そんなOOさんが亡くなった事を、母が私にすぐに知らせて来なかった事に対し不審に思い。
例の喫茶店マスターほどではないにせよ、私だって知っている人物なのに。
しかも母とは、2013年に入り何度も会う機会があり、話す時間だってあったはずなのにと。

葬儀はどうしたの?友人葬?あなたは出席したの?と矢継ぎ早に質問。
「(逝去したと)聞いた時はもう、身内で葬儀が済んでいた」と。
(疎遠になっているという)お子さんが教えてくれたの?と私が聞くと
OOさんに、内縁らしき女性がいたとわかりました。
私はたまげました。
なんと!そんなドラマのような話ってある?!と。

母の話によれば、OOさんとの普段の連絡は全て携帯電話でとっていたとのこと。
(引っ越した際、面倒で家電を引かなかった、プリペイド携帯にしたと言っていたそうです)
足腰の調子悪化で通って来れなくなった2011年以降、料金未納で止められていたり
連絡のつかない事もたびたびあった。
新聞は相変わらず母が代理で取っていたが、OOさんが受け取りに来れないので大量に溜まる。
宅配で送ろうか?と尋ねた事もあったが「送って来られても多すぎて、全部読まないと思う・
(母が)読んでこれはと思う良い記事があれば、そこだけ切りとっておいてくれないか?
次会った時に渡してくれればいいので。新聞代はあまり遅れては悪いので、振り込みます」と、
銀行口座へ数回まとめての送金があったとのこと。
しかし2012年半ばあたりから連絡がつかなくなり、送金もない。
居住地域を聞いていた母は、近辺まで表札を頼りに家を探しにいったこともあったそうです
(が、みつからず)。
同じサークルの仲間だった人に聞いても、OOさんの素性を詳しく知る人は誰もおらず
手掛かりがつかめなかった。
入院でもしたんだろうか?と母は案じながら無事を祈念していたと言いました。

補足ですが(現在はどんな運用になっているか知りませんが)
20年~10年前の入会時、会員カードに現住所や氏名など記載することはあっても、
その裏をとるような事を組織では行っていませんでした。 
例えば免許証・住民票や健康保険証の公的証明参照必須などの「本人確認」はありませんでした。
なので仮に嘘の住所氏名生年月日を書き偽っても、入会は可能だったと言えます。
はんこは必要でしたがこれも認印でよく、私が主人を折伏した際は会館付近にある文具店で
三文判を購入しましたw 言い方は悪いですが、非常にユルいものだったわけです。
商取引でもなく契約でもなく、金銭貸借でもないので「本人確認」なんて不要といえば不要です。
なので、母が相手から聞かされていた居住地も実は嘘だった可能性もあります。
また本尊安置についても、紹介者がしっかりとした活動家(または役職者)であれば
幹部が自宅へ行かずとも、新入会者と紹介者でご安置をすれば良い(立会人不要)という流れです。
二世、三世の分所帯についても同様で、数合わせの本流などは安置もせず
親がそのまま自宅管理(巻いたまま仏壇に置く)という状態も、実際ありました。
母がOOさんの自宅をはっきりと知らなかったのも、ご安置に行かなかったからです。
そこのところも突っ込んで聞きましたが、母と地域の人がお伺いを立てても、OOさんは
「一軒家じゃない、集合住宅だから恥ずかしい。誰にも来てもらいたくない。自分できちんとします」と
固辞したとのことでした。
60代を過ぎた立派な大人のことだしと、信用しOOさんに皆委ねたということでしたが
これがまさかOOさんが「身元を隠したい」がための言動だったとは、誰も気がつかなかったのです。

2013年のある日、OOさんの携帯番号からの着信があり
母が「OOさん?」と尋ねると女性の声で「身内の者です」と言われ、驚いた。
「ごきょうだい(姉妹)の方ですか?」と聞いても頑として「身内の者です」と言い、声からして
老齢に達している様子で、内縁関係にあった女性(または奥さん)ではないか?と思ったと。
ずっと心配していた、OOさんはどうなさってるんでしょう?と聞くと、その前に
「あなたは?」と尋ねられ、母はOOさんと趣味サークルで十年以上前に知り合った友人であり
創価同志だと伝えたとの事。
相手の女性は「OOが創価に入会していたんですか?」と驚いた様子だったとのこと。
そしてこの電話で、OOさんが病気で亡くなった事を母は知ったのです。

OOさんから「奥さんは亡くなった、自分は寂しい独居老人だ」とずっと聞かされていた。
内縁女性の事は何も知らなかった。
内縁女性どころか、OOさんのリアルを実は何も知らないまま十数年も経過していた事に
この時初めて気付かされ、母は非常に複雑な思いで、ショックを受けた。
なかなか気持ちを消化できずにいる・・(なので私にも言わなかった)と話しました。

OOさんの身内と名乗る女性は、遺品整理中に携帯電話と手帳を発見したとのこと。
携帯に2-3件の番号が登録してあり、誰と連絡をとっていたのか知りたくなり電話したのだと。
手帳には、「新聞代」と金額が書いてあり、誰かこれを見たら振り込んで欲しいと
母の口座番号も書かれていたとのことでした。

OOさんの身内と名乗る女性が聡明な女性であったことが本当に何よりでした。
自分の知らない間に、内縁関係にある相手が見ず知らずの女性の紹介で創価に入会し、
知らないところで活動に参加し、自身を「独居老人」などと偽っていたと知ったら
普通なら身の毛が逆立つほどの怒りを覚えるのではないでしょうか。
何の不実がなくとも、母を傷つける事も、やろうと思えばできたかもしれません。
そこを内縁女性は「故人がお世話になってありがとうございました」とお礼を述べ、
後日、口座に受け取っていなかった新聞代を振り込んできたとのことでした。
根掘り葉掘り、母とOOさんの関係性を聞く様な事も全くなかったそうです。

一瞬、母とOOさんの関係を疑った私は尋ねました。
統監移動が出来ない・新聞を自宅でとれない「諸事情」についてはどう説明を受けていたの?と。
(本当は妻帯者で、奥さんにばれたくない等、母が事情を知っていたのではないか?と疑ってみたのです)
OOさんは、同じ住宅に大嫌いな学会員の住民がいると話していた。
その人物に自分が入会したことがバレるのがとにかく嫌だ。負けたみたいで嫌だ。
だからバレないようにしたいと言っていたそうです。
入会バレしたくないにしても、新聞くらいは良かったんじゃないの?つきあいで取ってるとか
いくらでも誤魔化せるんじゃないの?と突っ込んでみると、
母も同じことをOOさんに言ってはみたが頑として譲らなかったのだと。
それが本当の事なのか・自宅バレ=内縁の女性に入会バレしたくないがための、OOさんによる
隠蔽のための言い訳だったのかは、今となっては誰にもわかりません。
そして母は器用な嘘をつけるようなタイプではなく、子供のようにまっすぐな(天然な)ところがあります。
OOさんのリアルを何も知らなかったというのは、本当の話だと私は確信しています。

新聞代が振り込まれたお礼を伝えるため、OOさんの携帯に母が電話をすると
既に「使われておりません」のアナウンスだったとのこと。
母はせめて線香の一本もあげたい・お墓参りにいきたいと思ったが、(内縁?)女性の心中察するに
それは難しいことだと諦め、自宅で回向に勤めていると話しました。

私思うに、OOさんは身元を隠したその状況をひそかに楽しんでいたのではないか。
家族の与り知らぬ秘密の人間関係で、非日常を味わいたかったのだろうか・・?と想像しています。
昔、私(=母の実の娘、リアル)に会うとそっけなかったOOさんは、嘘をついているうしろめたさを
感じていたのかもしれないな・・と。
私もOOさんが「独居老人」と聞かされ、信じて疑わずにいましたから。
そして母の相手に関わる熱心さは、折伏したいがためのものだけれど
OOさんがそれを勘違いしていた可能性も否めない。
男性は往々にして自惚れ屋で、少しでも見つめられたり・女子に親切を受けると
「俺に気がある」なんて、勝手な妄想する事が多いようですし・・(呆)。

傷口に塩を塗る様で悪いと思いつつも、私は母に尋ねました。
「OOさんが孤独死を恐れて入会したって言ってたよね?だったら統監は地元に移す方がいいのにと
私は前から思ってた。
家もはっきり何処なのか知らなかったのに、万が一の時あなたはどうやってOOさんの死を
知るつもりだったの?」と。
母は「お子さんの一人にだけ、入会の事実と私の存在・連絡先を教えてあるとOOさんが言ってた。
だから必ず何かあったらお子さんから自分の所に連絡がくると思っていた」と。
けど母は当然ながら、お子さんに会った事も・声を聞いた事もなかったのです。
お子さんが実際、いたのかどうかも解りません。
そして孤独死を恐れて入会した・・と言いながら、究極のところ(不幸があった際の連絡は)お子さんだのみで
あるという「矛盾」について、おかしいと少しでも思わなかったの?と尋ねると、
母は暫く考え込んだ後で
信心してるんだから、(OOさんが)死んだ時はわかると思ってた」と。
つまり、虫の報せだとかで、母にそれ(死亡)がわかるという・・信心しているからこその「ミラクル」が
おこるのだと信じて疑わなかった、というのです。

イッツ ア ミラクル。
「気がつかなさ」の正体ここにあり、と答えに行きついた気がしたのです。

(続きます)