要は気の問題

2014年の正月、実家へ帰省しました。
年末押し迫った頃、母にメールで連絡をとりましたが、財務を納金したか否かについて
追及はなく。
到着前日電話した時も、至って穏やかな普通の対応でした。

母から財務について聞かれたら、納金しなかった旨・理由を話す心づもりでおりました。
それは当然、母にとって創価批判となる内容だから、聞きたく無くて避けたのか?
(私にとってそれは「正論」ですが・・)
詮索されない以上、こちらから水を向ける事も無いだろうと思いスルー。
実家に到着すると母の笑顔で出迎えられ、まるで何事も無かったかのように新年のあいさつを。
主人や子供達の手前、学会絡みで醜態を表にしてはいけないと、大人の態度をとったのか?
正直、母の本心は読めませんでした。 
私も財務の件など全く知らん顔で、ごく普通に接し。
夜、皆でお祝い膳を囲みましたが
「賑やかで、やっとお正月が来たって実感できたわ」と母は嬉しそうに言いました。
それを聞いた私はつい皮肉っぽく
「どうして?新年GG会、行ったんじゃないの?同志の皆さんに会えたんでしょ?」と
ちゃちゃを入れ。
寂しそうな表情で母は「今年はそうもいかなかったのよ・・」と。

私が嫁ぐまで、創価の新年GG会へは、母を車に乗せて連れて行くのが常でした。
私が嫁いだ後は、母が懇意にしているご近所の学会員と連れだって(車に同乗させてもらって)
参加するのが恒例となっており。
それがこの2014年に関しては、一緒に行こうと約束していた方が急きょ入院。
他をあたる時間もなく、とりあえず行けば誰かに会えるだろうとタクシーでひとり会館へ向かった母。
参加した時間帯が偶々、違う圏中心の回だったとあり知り合いに全く会わなかったとのこと。
誰とも新年のあいさつを交わすことなく、事務的に参加し帰ってきた。
「つまらなかった」という言葉こそ使わなかったけれど、母の話から楽しさは全く伝わって来ず
1人正月のさびしさを増強させるような会合参加、と私には受け止められたのです。
母が高齢独居である、という状況も大いにふまえなければなりませんが
創価学会員における「会合」が、人と会うため・繋がりを確認するための機会として大きな役割と
なっている事を感じました。

仲良しな誰かと会うための「会合」じゃない!
ましてや「正月気分」を味わうための新年GG会なんかじゃない!
新年GG会は「仏事」だぞ!
一人で参加したって、己の信心がしっかりしていれば歓喜することができるんだ!
歓喜できないお前の母親は信心が歪んでるんだ!

・・と、信心強情な創価脳ならば言うでしょうか?w
少なくとも母の言葉にも表情にも「歓喜」は無かった。どちらかといえば、疲れが見えました。
2015年の今、この頃の母を思い出し分析すると、母にとっての創価の一切とは
「信仰」というよりも「(閉鎖)社会とのつながり」に、既になり代わっていたのかもしれません。

実家に来る前は例年通り、義実家へ里帰りで家族揃っての初詣に行ってきました。
子や孫に囲まれ楽しそうに過ごしていた義両親の姿を思い出すと、母の現状とのギャップに
なんともいえない気持ちになったのを覚えています。
正月早々の「会合」
宗教の違い、というよりも「文化の違い」がそこに垣間見えたように思いました。

例えばこれが神社へ単独の「初詣」なら。
「誰も知り合いに会えなかった」からと、がっかりする事はちょっと考えにくいと思います。
初詣は、誰か知り合いに会うために行くわけではありませんから。
目的は新しい年の始まりに、神様への御挨拶です。
また、一人で行って寂しいと感じたくない(周囲が家族連ればかりで気になる)というのであれば、
空いている日程・時間帯を選べばよいことであり。日時の縛りなどないのでそれが可能です。

「会合」である以上、人と合いまみえることがひとつの目的になっていると気がついたとき
「新年GG会」というものが学会員における「初詣」という位置づけが、明らかにおかしいと
思うに至ったのです。
それが単なる「新春洗脳集会」だったのだと気付きました。

突然疑問ですが、創価の会館における新年GG会って一体いつから開始されたのでしょう?
私の幼少期(=宗門と蜜月時代)、お正月と言えばお寺に参るのが定番でした。
一般の方々が神社・寺院へ行くのと同じで、私たちは学会員として日蓮正宗寺院へ
出向いていたのです。
当時そこまで深く考えていた訳ではありませんが、末寺へ出向くということは
「日蓮大聖人の御精神が息づく・ありがたい寺院の御本尊様へ新年のお目通り」という意味が
あったと思います。

正月に創価の会館へ行く、という習慣が始まったのは宗門から破門されて以降の事なのか・
それ以前からあるにはあったが、私の実家がわりと当時はお寺寄り(アンチ創価の父も、お寺には
一緒に行っていました)だったから会館へ行く習慣がなかっただけなのか、不明瞭なのです。
とにかく新年GG会が「正月の定番行事」との認識になったのは、青年部になって以降。
時はまさしく、宗門から破門され「創価ルネサンス」に突入した頃でした。
寺から会館へと場所が変わったことに、当時それほど違和感はありませんでした。
(いや、異常を感じとるべきだったのに、そこがなし崩し的に曖昧になってしまった事は、
大変な不幸と言えるのですが・・)

新年GG会といっても、普段の各種会合の延長線上にありそれほど変わりない。
違う点と言えば若干飾ってあるいけばながゴージャスになるとかw 
議員が入口にずらり並んで来場者に頭を下げ「新年おめでとうございます」挨拶をするとかw
池田老人の和歌入りカードが配られるとかw
あ、大事な事を忘れていました「広布基金」受付が開設されるとかw
ビデオ(それ以前は8ミリ映画)で池田老人の雄姿w上映もありましたっけ。
↑これもいつのまにか無くなりましたが。
そんなこんなイレギュラーはありつつも、やることじたいは「会合」で普段のそれと変わらない。
中身はごん行唱題・申し訳程度の新春御書拝読・仕上げは幹部の池田老人賛美スピーチと
学会万歳先生万歳の、万歳三唱・・w
新年GG会における、幹部指導の枕詞といえば
「今年もお元気な池田先生奥さまと新年を迎えられ~」
「先生は本日(注:1月2日)OO歳のお誕生日を迎えられ、ますますお元気で云々」でしたね。
はっきりと覚醒した今、内容を思い返すと「オイ!どんだけ洗脳集会だったんだよ!」という感じで
改めて驚愕してしまうのですが、そのような池田マンセー集会にアンチ池田老人の私は参加していた。
先生マンセーなんてこれっぽっちも思ってないのに、私はそこに居る事が出来たのです。
矛盾を制したものとは一体何だったか、それは「功徳」という幻想。
私は「功徳」が欲しかったから、池田老人を無視してその場に居続けた。聞こえないふりをした。
私が信奉しているのはあくまで御本尊様であり日蓮大聖人なんだ。
池田老人なんかどうでもいい。でも、学会に反抗的姿勢をとったら功徳が消えてしまう。
功徳が消えたらいけないから、おとなしくやりすごそう・・。 当時の私の、偽らざる心情です。

(このブログを読んでいる多くの方はおわかりだと思いますが、アンチ池田だとふるまうことで
功徳が消えるなんてありえませんし・そもそも創価内で囁かれる功徳なんてものは、ありませんw)

こうして綴りながら、創価活動家時代の自分の馬鹿さ加減を露呈している事が
大変恥ずかしいのですが(汗)。
覚醒して月日を経るごとに、次々矛盾問題点が浮かび上がってき、どうして活動家時代は
こんな単純なことなのにわからなかったのか?突き詰めて考えようとしなかったか?
気付く事ができなかったのかと、不思議でならないのです。
ただ、今ざっくりと言えることは当時まさに「洗脳下」にあったんだということです。
簡単で単純であたりまえすぎる事にも、全く気付けないほど頭の中が曇っていたし、
自ら思考や視界を閉ざしていた。
そのベースに有るものとは「功徳」を得たい・失いたくないとの執着心と、
「罰」を受けたくないという恐怖心でした。

年頭の記事にも書きましたが、今年は二度初詣へ行きました。
1回目は帰省時に義実家の氏神様。2回目は、住まい付近の神社です。
2月には、住まい付近の神社にて節分会の厄払い御祈祷も受けました。
いただいた読本で、こちらに祭られた神様のいわれ・神社の歴史背景も知る事となり
何故に人々の崇敬を集めているのかも理解が出来て。
2年前の夏、友人の紹介で、藁をもつかむような気持で伺った神社でしたが、
(経緯は過去記事をご覧ください→  
改めてこちらにご縁があって良かったと思えました。
このとき、ふと考えさせられた事があったのです。
「私は活動家当時、創価の会館にある御本尊を、どう捉えていたのだろうか?」という点でした。
覚醒してしまった今となれば、創価の会館にある(でかい)御本尊とて、ツクリモノであって
大きさと素材が違うだけで家にあるものと変わりない・・という認識です。
が、おそらく当時はそんな風には思っていなかったはず。
戒壇の大御本尊とまではいかずとも、会館の御本尊は自宅に有る御本尊とはチョット違う・・
なんとなくだけど「家に有るものより特別でありがたいもの」と捉えていたのではないだろうか?
だって大きいから(サイズの問題?w)。
新年GG会で、会館へ出向くことを”学会員にとっての初詣”と私は捉えていたけれども、
それは「会館の御本尊へお目通り」という、至って個人的で勝手な思い込みが
あった故ではないか・・と、思い至りました。
池田マンセーの会合なんてどうでもいい。けど、ありがたい御本尊は新年から拝したい・・
そんな思いからの、新年GG会参加だったのではないかと自己分析(あくまで私の場合ですが)。

組織では近年の会則変更で、戒壇の大御本尊を否定。
”宗門のさいごの切り札だからNG”なんだとか。
いまや「学会以外の御本尊は全部NGで、学会公認御本尊だったらオールOK」という
”要は気の問題”になったと、活動家のブログを読んで知りました。
(注:”要は気の問題”とは、私の解釈です)
教学を真面目にやってきた人からすると、とんでもなくショッキングな内容かと思いますが、
多くの学会員がさほど会則変更を騒ぐ事も無く、是をさらりと受け流したのは、
創価側が「要は気の問題」と明言するもっとずっと以前から、学会員の大半が御本尊を
個人の勝手な思い込みで拝し・評してきた事の現れではないかと・・つまり組織側が
会則改定する以前の問題だったと、私は自分の経験からそう感じました。
組織が会員にやっと追いついたとでも言いましょうかw 
きっと現状、大誓堂の御本尊が会員にとって「至極特別」な存在になっているはずで、これこそが
”要は気の問題”の代表例です。

「創価脳な母との関係性を綴る」としながらも、またえらく話題がそれてしまいました。
しかもいまさら新年GG会話題なんて、季節外れですみません。

結局、2014年お正月帰省時、遂に母の口から「財務はどうした?」という言葉を聞くことは
ありませんでした。
互いにそこには触れないようにしていたのか?他の創価話題では若干やりあったものの
(その件は次回書きます)
懸念は杞憂に終わり、正月帰省は過ぎたのです。

当時の記事にも書きましたが、母はTV番組の録画機能をフル活用しているのですが
リストに年末年始の池上彰氏の世界情勢や政治を扱う特番がありました。
客観的目線で世の中を「知ろう」と母の気持ちが動いているのではないか、
私から見て「喜ばしい変化」を感じる事ができ、いい兆しだと喜んでいたのを思い出します。

しかし、それは単なるぬか喜びにすぎず。
創価脳の私の母は、やはり一筋縄ではいかないのです。

(続きます)

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