唯我独尊

「今後の付き合いを考える」
母の言葉の真意は、子供達に財産を残さないというものでした。

私の上に姉と兄がおります。
二人は根っからのアンチ創価。
物心ついてより、活動に参加したことはありませんし学会員だとの自覚もありません。
兄姉ともに結婚の際、母と信心(本尊の分所帯と、配偶者の入会)でもめており、
特に遠方で家庭を持った兄は結婚後ほとんど実家に帰らず、母と直接連絡をとることも
いまや稀な状態です。
そして私自身も、元々兄と年も離れており縁が薄かったのですが、父葬儀の際に揉めたことで
ますます疎遠になりました。
姉は兄と連絡をとりあっていて、兄家の近況は姉を介して聞く状態です。
本来ならば長男が管理する墓も、現状は実家に一番近い所に住んでいる姉が管理しています。
このような状況があり、覚醒前の私は、自分が実家の仏壇(御本尊様)と・お墓もゆくゆくは
継いでいく立場にあるんだろうな・・と勝手に思っていました。
姉とて子供がいませんから、いずれは私の子供達どちらかが管理する事になるんだろうな、と。
そして母も、この時までハッキリ口に出すことはありませんでしたが、初めて仏壇と墓を
次女の私に託すつもりであった、と言いました。その上で
「こんな退転状態じゃ、恐ろしくて任せるなんて言えない。どうされるかわかったもんじゃない。
だったら財産も残してやる必要はない」
と言いだしたのです。
とんだ論理の飛躍、としか言いようがありませんが、母としては「信仰の継承=財産の継承」として
ワンセットで考えているようでした。
「財産残さないって、どうする気よ?まさか、組織に寄付するなんて言わないよね?」と私が問うと
「あんた達にくれてやるより、そのほうがずっとましだわ」と言いました。
やっぱり、狂ってる、この人。
残念ですが、そう思わざるをえませんでした。

財産(=収益性不動産)といっても、その大半はもとはと言えば父が祖父から・
祖父は先代より受け継いだものです。
夫婦の共有財産といえども、母はタナボタで手に入れた様なもの。
(余談ですが、母は祖父母逝去時に実家から財産を貰っていません。
 分与される財産らしきものが、何も無かったからです)
おおかた父の家系から引き継いだ財産は、父方の親族目線でいえば嫁(母)の一存で
どうにでもできる物ではないはずで、嫁の好きにさせるために遺した訳では無いもの・・
先代が次世代のためにと、遺してきたものだと思います。
つまりは兄や姉や私や、その子孫がまた受け継ぐべきものと言えると思うのです。
それを「信仰継承が無いのなら、新興宗教団体様にくれてやる」とは、やっぱり正気の沙汰では
ありません。
私は「そんな事、勝手に決めないでよ。兄や姉だって絡んでくる話なのに。
お母さんと私の喧嘩が原因で全部(組織に)もってかれた、なんてなったら、二人に対して
私立場ないじゃん」といいました。
母は「そう思うんだったら改めなさいよ」と、まるで財産を人質に取っているかのよう。
”財産欲しけりゃ創価思想に従っとけ”と言われているようなもので、なんとも腹立たしくなり
水かけ論だ・・と思いながらも、私は母に再度問いました。
「ねぇ、なんでお母さんは新聞財務と家庭経済がリンクするって信じてるの?何かあったの?」と。
母は自身の体験(という名の、偶然の産物)を語り始めました。

ひとつは女子部だった頃、詐欺被害に遭わずに済んだという話。
納金の数日前に、職場の同僚女性からすてきなバッグを見せられ「知り合いが仲介しているから
買わないか?」ともちかけられ、金額を聞いたところ母が財務するために保管していた金額と同じ。
母はバッグが欲しかったが、財務があるから我慢すると断った。
数日後、同僚女性が「バッグを値下げする」ともちかけてきたが、既に納金済みだったので
「お金がないから買えない」と購入を断った。
一カ月後、同僚失踪。
まわりの女子社員にバッグ購入の話を持ちかけ、数人から預かった代金を持ち逃げしたと判明。
母は「助かった!詐欺にあうことなく、守られたって思ったわ」としみじみ話しました。
私は内心(えっ、それって詐欺られた先が違うってただそれだけの話じゃん・・)

もうひとつは、結婚後、財務を減らした事があった。
直後、父が交通事故で骨折し入院。大きな商談が流れてしまい、収入減。
母は「やっぱり財務は減らしちゃダメなんだ!現証が出てからでは遅いと思った」
私は内心(でも普通に生活は出来てただろ・・それにお布施を減らしたくらいで機嫌損ねて、
悪事おこすだなんてそんな信仰対象、ろくなもんじゃねーよ!!)
このほか、様々な例をあげましたが全て突っ込みどころ満載の「ただの偶然」話だったので
割愛します。

新聞に関しては地元組織で聞いた話として
「外部で、何年にもわたって購読してくれている某中小企業さんは年々発展を続けているが、
途中で購読を断った某企業さんは倒産した」というエピソードでしたが
それも本当に偶々というか、1000あるうち1くらいの確率の話だと思います。
けど母は「歴然たる現証」として自信満々、語ってくる。
これを狂信と言わずしてなんと呼べばいいのか?!
冷静に、丁寧に崩していくより他ありません。

私は「こんな事言ったら、お母さんまたキレるんだろうけど」と前置いて
「功徳も罰も含めて、似たような話しは、なにも創価じゃなくたって他の宗教でも一般でも
いっぱいあるよ」と言いました。
どういう意味?と母が聞くので、
「例えばがんが治った・消えたって話あるよね。新聞にもよく出てきてたと思うけど。
あれさ、別に学会員だけじゃないよ」と、ママ友の親御さんのエピソードを話しました。
(注・その方は新興宗教に入っているわけではなく、ごく一般的な宗教観の持ち主です)
画像診断で2か所がんの疑いがあるとされ、まず先に1か所手術をすることになった。
オペの日まで約1ヶ月あり、地元で有名な某神社へお参りに。
1か所目の手術が終わり、念のために再度画像診断をしたところ、奇跡的にも
2か所目のがんが消えていたのです。
医師も首をひねって、こんなケースがあるとはたまに聞くけど自分が遭遇するのは初めてだと
話していたとの事。
母に「創価じゃなくても、こんな話があることをどう思う?」と尋ねると、「どう思うったって・・」と
言葉は続かず。
その他、他者におこった「ミラクル」を次々と話してみせたあとで
「私は(結婚で)こちらへ来て、外部の人達と沢山関わっていろんなお話を聞かせてもらう機会あって、
本当にみんな、すごいな~って思う事が多いよ。
そして、これまでの自分がいかにちっぽけな思いこみで・周りを見下しながら過ごしてきたのかって、
それが解ってぞっとする時があるんだよ」と、本音を話しました。
母はムカっときたようで
「何を解ったような事を言っているの。信心があったから、我が家は守られてきた、あんただって
守られてきたんじゃないの。
他人が、よそ様がどうであれ、他の宗教で助かったとかなんとか言ったって、うちは違うのよ。
厳然と、御本尊様に守られてきた。学会のお陰で、御本尊様を拝する事ができた。
何度も言うようだけど、信仰と自分のあいだによそ者を入れちゃいけないのよ
それが信心をおかしくする、歪める元なの!」と言い放ちました。

思わずアンダーラインを入れましたが「信仰と自分のあいだに他者を入れない」
創価の常套句ですが、見ざる聞かざる言わざる、現実を直視することもせずに妄信へと自身を追いこむ
そんな姿勢にしか捉えられません。
そしてこの姿勢は実に独善的で、自分に都合のいい物事の解釈を促す事にしか作用しないのです。
こちらのクエスチョンに明確に答えることなく、勝手に「我らは正義」と話をぶった切るため
ほぼ対話が成立しないのも、創価脳特有の独善性がそうさせるのでしょう。
また、近頃一部学会員のあいだで集団的自衛権の一部解釈変更に関し
「池田先生の理念と違うから公明党は賛成すべきでない、連立から外れるべきだ」と考え
行動している方々がおられるようですが、彼らにおいていえば
「池田先生と自分のあいだに他者を入れない」を信条として生きているという事だと思います。
池田思想が全てであるから、対案なしに反対だけはするわけです。
対案は池田先生が出すべきで、それに従うというスタンスなので、自分たちが考え抜いて
対案を出す気は、まったくありません。
組織と支持政党の矛盾に気付いてはいても、本質を突き詰めはしない
(盲目のままでいようとする)辺りは
やはり無意識の・無担保なのに自信満々な「我らは正義」なる独善性がそうさせているのかなと
感じてしまいます。

この2014年2月以降、いろんな出来事があり母は少しずつ変節を迎えて行くのですが、
難攻不落で崩れないのはこの「独善性」。
学会員の全てがそうだとは言いませんが、このような傾向にある人はきっと多いと思います。

私は母に
「今後の付き合いを考えるっていったって、親と子であることには変わりないよね?
”創価の悪口言うなら・信仰功徳を否定するなら親子の縁を切れ”って、教義にあったっけ?」と
皮肉をこめて聞きました。
母は「そんなの(教義)ないけど・・」と言い淀み。
「お母さんが私をこれからどんな目で見るのかはわからないし、私への扱いが変わったとしても
それはもう、どうでもいい。 
ただ、私にとってお母さんはお母さんでしかない。今までどおり何も変わらないよ。
そのことだけは言っておきたい」と伝えました。
母は黙りこんで反応せず。
電話の向こうで、何を考えているのかは私には解りませんでした。

(続きます)
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頑迷固陋

オカルトまがいな「功徳」や「現証」を盲信する創価学会員の母に対し、
”それら一切は単なるこじつけで・学会員各々の思いこみの産物である”として
真っ向から学会活動にまつわる功徳を「否定」することを、私は2014年の2月まですることは
ありませんでした。

しかし、此処へ来て母が私の生活状況を歪んだ目線で見たうえ、
”(オカルト)信仰(=新聞購読と財務)をやめたからあんたの生活は転落をたどっている”
などと勝手に思いこみ、「新聞購読しなさい」だなんて霊感商法を押しつけられたのでは
もう黙っていられない。
善悪全ての状況判断を「創価」にまつわる事柄に左右されている母の現実。
私だってバリ活当時は、同じ傾向がありました。
お題目がたりなかったから今日は調子悪い一日だったとか・会合さぼったからアクシデントに
見舞われた、などなど。 
そんなわけないのに、そうだと思いこむように勝手になっていました。習慣性の恐ろしさです。

私は母に言いました。
「百歩譲って、御本尊様に祈念し願いを叶えた等はまだ認めるよ。
でもね、学会活動に功徳なんてあるわけない。そんなの全部まやかしこじつけだよ。
組織に利するような事柄に功徳があるなんて言うのは、ろくでもないカルト宗教だけ。
特に新聞財務なんて、ただ組織の金集めじゃん。 
”新聞を止めたら家庭経済がたちゆかなくなる”って、じゃあ学会員以外はどーなんの?
財務を”宇宙銀行”だなんて言ってみせて、いかにも裕福になれるようなフレコミもあってさ。
言ってることは悪徳商法まがいばかりなのに、なんで騙されてるって気付かないのよ?」と。
母は「金集めって、あんたそんなに財務したことあった?新聞だって、微々たる額じゃないの?
(私たちは)お金なんて大して取られてないじゃない?
もっと(集金が)ひどい宗教なんていくらでもあるわよ。なにを言ってるのかさっぱりわからない!」と
呆れたように言い放ちました。

確かに、私自身は多額の財務をしたことはありません。せいぜい2桁どまりです。
また、実家母も財務については現実的で、それほど熱くならないタイプです。

これは全ての事において言えるのですが、母は創価の醜聞やネガティブを極力認めようとせず、
その担保は「他の人がどうだろうと、自分は見てない聞いてない知らないだから関係ない」この一点。
財務が金集めでは無いというのも、数多学会員が巨額をつぎ込んでいようとも、自分は違うから
「関係ない」。
新聞について、数合わせのために地域の責任者が身銭を切って無理をする実態は知っていても
自分はそうじゃないから「関係ない」。
実家は最高で5部ほど取っていた事がありますがそれは「母が自ら望んで」であって、
大義名分(友人への贈呈用)も手伝って「無駄に数取らされた」という意識は皆無。
しかし現実は友人へ渡す事なんて年に数回。毎日届く新聞は、行き場なく玄関先に積み上げられる。
それを「資源の無駄」と言わずして何と言う?と突きつけた事で、部数を減らした経緯はありましたが・・。
とにかく唯我独尊。自分さえよければ、周りがどうであろうと関係ない。
自分はそれで良いとして、周囲の他人がどうして常軌を逸してまでそれをやるのか
一歩踏み込んで考えることは一切ない。
認知に乏しいというか、自分の聖なる善なる思いこみが全てであり、その思いこみを守るためなら
情報をシャットアウトしてしまえる精神の持ち主でした(2015年8月現在、少し変わりました)。
これが創価脳の特徴だ、と言ってしまうのはさすがに乱暴なので「うちの母の場合」としますが、
同傾向にある学会員の方は大変多い様な気がします。

上記を踏まえ、私は母に敢えて聞きました。
母の親戚方は毎年3ケタをやっている。それも、裕福な家でも自営でもない、ただの勤め人。
近年定職を失ってダブルワークをしていますし、奥さんも役職の傍ら深夜アルバイトをしています。
「あれだけの財務を何年も何年も続けて、いま生活基盤が盤石だって言える?
子供の進学のお金も無いんだって泣きついてきたんでしょ? どうなってんのよ」と。
(注・他人の家庭事情を持ち出すべきではない・不謹慎であるとは思うのですが、母と私にとっては
一番身近な創価家庭のわかりやすい実例なので引用してみました)
母はふん、と鼻であしらうように
「財務でスッカラカンになったって、不思議と必要なだけのお金は手当できるように(状況が)
成って行くんだ、って言ってたわよ。あんたが心配しなくたってちゃんとやってるわよ」と。
後日解ったのですが学費問題は、返済の必要な奨学金を受けることに決まったとの事。
それが子供にとって実際のところ「負債」であるのに、「なんとかなった・これぞ功徳」と
思ってしまう所が個人的には解せません。 ただの借金なのに。
毎年3ケタ財務が出来るなら、必要な学費を貯める事も簡単にできたはずです。
財務にまわさなければ子供に借金を負わせる事なんて、しなくて済んだはず。
よその家庭の事情にあれこれ言えたものではないし、家族間で利害が一致しているなら無問題かも
しれませんが・・。
お子さんが覚醒してしまった時、親子間の大きなしこりになるのではないか?と思わずに居られません。

母は、私が3桁財務をやりもしないで・又する気もないくせにそれを「金集めだ」と批判するのは
横暴で、単なる創価への言いがかりだと言いました。
「財務なんて、やれる人がやったらいいのよ。いつもそう言って来たじゃないの。
全員3桁しろだなんて、指導された事はないでしょ?」と。
すかさず私は「あるよ」と反論。
女子部時代、財務懇談会と称し婦人幹部がひとりひとりに「どのくらい出来るのか」と尋ねていたこと。
独身時代に貯金なんてしなくていい、広布のお役に立ったお金は必ず何倍にもなって返ってくるんだから
思いっきりしなさいという、トンデモ指導が平然と行われていた事。
3桁財務をやった女子部の活動報告後、幹部が「女子部のうちに必ず完遂してほしい」と発言していた。
3桁財務をやったメンバーは偉いと宣揚され、境涯が変わるだのなんだの、3桁財務を煽っていた事実。
母は「そんなの聞いた事ないわよ。ウソでしょう?」と、驚いていました。
私からすれば「またまた~・・」でしたが、婦人部でそのような指導は一度も聞いたことが無いのだと。
にわかに信じがたい、と母は訝しがっていましたが
「それでも3桁やる・やらないは個人の自由で、あなたは3桁をしなかったんだから
それでいいじゃない?」と言うのです。
「その通り。個人の自由。正論だよね。
でもさ、だったらなんで”一口一万円”なんて、申込書をかかせるの?
問題は金額の大小ではないよ。真心の財務っていうのなら、1円でも100円でも良いわけじゃん。
それを1口1万円と決めて、毎年申込書を書かせる手続き踏ませるなんてありゃ強制と一緒だよ。
あれって”今年はできません”って、言わせないようにしてるんだよね。
納金期間を決めて、地域に連携取らせるのだって衆人環視だし。
財務がまことに”個人の自由”でいいなら、募金箱みたいなものでいいんだよ。
やってもやらなくてもそれは個人にしかわからない・個人情報でいいじゃん。
末端組織がそれ(入金状況)を管理してるだなんて、おかしいんだよ!」と私は反論。
母は「金額がバラバラだと計算が大変だから一律にしてるんじゃないの」と、よくわからない擁護をw

そして私が財務をしなくなった契機となった、当時の支部婦の発言を
「池田先生のお役に立てないなんて残念ね、と言われて目が覚めたんだよ。
私はただの一回も、あんなジジイのために財務をした事はなかったよ。
でも、とどのつまり結局そうなってるんだ・・って気付かされて腹が立ったし、反吐が出た。
なんであんなジジイに貢がなきゃならないの?馬鹿も休み休み言えって思ったよ」とぶちまけました。
(因みにこのエピソードを母に話したのも、このときが初めてでした)
母は「そんな事をいう幹部が居るとは・・」と、そこは同情(?)していましたが
「解釈は人それぞれで、たまたまその幹部は財務を先生のためと思ってやってたのね。
でも、あんたがそう思わなかったのなら、それでいいじゃない。どう捉えようが自由なんだから。
全体通して、あんたが何をそんなに怒っているのかが解らない。
私たちが供出するお金なんて微々たるものよ。
新聞代も、1回ランチとお茶をしたと思えば安いものでしょ。
その程度の御供養も惜しいと思うくらい、組織が嫌になってしまったなんて・協力したくないだなんて
あんたは不幸よ。
けどそれも、業なのよね」と、憐れむように言ったのです。
は?!どういう意味?と聞き返すと
「組織の中で、見なくていい事ばかり見たり、聞かなくていい事ばかり聞いたり、
多くの善良な同志会員がいる中でなぜかごくごく少数の、悪い人物に会ってしまう。 
それは自分自身の業なんだって。指導で聞いた事あるわ」とw
つまり私は、業が深いから創価のダーティなところばかり見聞きしてしまって信心が歪んだ・・と
母は言いたいようでした。

一寸待って。
論点が完全にずれてる・・それは私が感情的に話しすぎたせいかもしれない。
感情的になりすぎたせいで、私の訴えたい「財務や新聞で功徳云々はオカルト」は正確に届かず、
創価脳にありがちな「怨嫉」で私が財務新聞を拒絶していると、母は全てを片付けようとしている。
これはまずい。そう思い直した私は
「とにかく、新聞財務をしない事がイコールお金に困るなんて、そんな話オカルトだからね。
遮二無二金集めをしたいから言ってるだけの、迷信だよ。
だいたい、新聞や財務に家庭の経済状況が左右されるなんて、普通に考えてありえないでしょ?
それって学会員限定? だったら、学会員ってどんだけリスク背負ってんのよ?
一般社会の人たちにそんなこと話したら、笑われるし、精神科行ったら?って心配されるのが
関の山だよ」と言いました。
母は、はぁ~・・と深いため息をついて
「あんたが、それを正気で私にいってるのなら、今後の付き合いを考えさせてもらわないと
いけないわね」と、まるで最後通告のように呟きました。

来た。
やっぱり私が予想していた通り、創価にまつわる信仰功徳を否定する事は
「親子関係」をも揺るがす事態に発展するんだ。
こんな狂った事って、本当にあるんだ。
うっすらわかってはいたものの、現実に母の口からそれを聞いた事で私は再び
覚悟を決める思いでした。

(続きます)