従空入仮観

2014年7月。
母の入院付き添いのため、実家で1週間強を過ごした私ですが、姉が帰ってきたので
交代することになりました。
週末に子供達を連れて義両親と夫がやってき、母のお見舞を。
姉の旦那さんと義両親もこのとき初めて顔を合わせる事となり、昼食を一緒にするなど、
和やかな時間を過ごしました。
母以外の家族と会うのが久しぶり、
(母を除いて)創価脳な人物が全くいない空間に、なんだかとてもほっとしました。
みんな柔和で落ち着いていて、なんにも切羽詰まってなくて、穏やかなたたずまいです。
たわいもない会話で笑いあい、その端々に「祈り」だの「先生」だの「信心」だの一切出てこない。
ああ、懐かしい。私が待ち焦がれてたのはこの空気感だよ!と、一人嬉しくなり。
入院中の母と、創価話題でバトルすることはありませんでした。
実務的な会話が大半で、そこに創価がでてくる隙がなかったのです。
が、お見舞いにやってくる学会員のテンションに食傷気味になった&幹部のおばには嫌味を
言われw 正直うんざりしていたのです。

食傷気味について説明すると、学会婦人部は「元気」がとりえという事になっているせいも
あるのか? みんながみんな、お見舞いにもかかわらず話し声が大きい。
特徴ある会話の抑揚も、改めて気付きました。
派手に感心したり同調したり。相槌も大きく、とにかく一生懸命に話を聞く「風情」。
無駄にテンション高め。みなさん役者級ですw
このオーバーな抑揚とリアクション、女子部時代の幹部もこんなんだったなぁ・・と思いだし。
それを、次から次へとやってくる婦人部方が老いも若きも、みーんな同じなわけなので
聞いているだけの私は本当に疲れましたw 
(聞き流せばよかったのですが、アンチな私はそれだけバリ活に興味もあるという事で
 耳はダンボで内心つっこみまくりながら、聞いていたのです・・)
まったく、入院が個室で良かったと、そこは安堵しました。
これが共同部屋だったら、周囲に大変な迷惑だったと思います。
後日姉との会話でわかったことですが、前年の入院に姉が付き添っていた際、
お見舞いに訪れた近所の婦人部(前回記事に書いた、手術当日に自宅訪問してきたおばさま)
が、先生が~・選挙話題にからめ学会勝利うんぬん~と、創価話題を長々と
声のトーンを落とさずにしていたことが、とても恥ずかしかった&周囲の方々に迷惑だと感じ、
今回は1ケ月の長期でもあるし・・と、個室にしたんだと教えてくれました。
さすがは姉!と思いました。

幹部のおばの嫌味について。
見舞にやってきた日の夜、電話をかけてきました。
「お母さんを心配させちゃいけないよ?
病は気からっていうんだから・あなたが心配をかけたことも、今回入院手術の大きな一因だよ」
と、活動を全くしなくなった事等を暗に指摘しているようでした。
”あんたが活動しなくなったから宿業が出た”と、言われないだけましかもしれませんが、
オブラートに包んで核心に触れないだけで、結局言いたいことは同じだと思います。
カチンときた私は
「母がおばさんに何を話したのか知らないけど、”それ”は関係ないと思うな」と言い返しました。
おばもカチンときたようで
「行いは、全部自分に返るの。自分が子供に泣かされるようになった時にわかるかもね。
でも、そんなの悲しいでしょう。そうならないように今、言ってやってんのよ!」と。
イラッ!ときながらも、何も答えませんでした。
”てめーが言えた義理か!一字一句、そっくりそのまま返してやる”と心で言い返し。
おばの子供には脱会者がいるのです。だのになんでそんな偉そうに言えるんだろうかとw
また、おまもり御本尊を開いたままにして置いていた事についても注意され。
母の希望でそうしたんだよ、と私が言うと
「それでも拝さない時は閉じておくのが常識って、知ってるんだったらあんたが閉じなさいよ。
お母さんは動き辛いんだから、あんたが閉じるのが当たり前でしょうが」と。
今思い出しても腹立たしい↑このいわれようw

また、もうひとりのおばがよこした手紙を読んでなんともいえない気持ちになりました。
遠隔地に住んでおり、配偶者が闘病中のため
お見舞いには行けないとのことで見舞金を添え送ってきたのです。
手紙には「病には、とにもかくにも、お題目です。お題目しかありません。」とありました。
このおばは、マインドは母に近いと思います。
池田老人マンセーというよりは、日蓮大聖人崇拝派。
(ちなみに嫌味を言ってきた幹部おばは、池田老人命派)
自身も若いころに大病を患い、妊娠は無理かもしれないと言われたところを乗り越え
子供にも恵まれたという「体験」をもっています。
おばは自分が「題目」によって病魔を乗り越えたとの思い・経験から、この手紙を綴っている。
一点の曇りもなく、ただ純朴に、おばはお題目の力を信じている。
御書の一節をひいて書かれたその手紙は、誰の見舞いよりも母を一番励ましたのでは
ないかと思います。

私はもう、日蓮仏法を、信じるに値しないと思っている。
お題目をただただ唱える事が窮地を救うというような考えには、もう賛同できない。
けれどそれを純粋に信じている他人の心や思いについて、とやかく言う気も権利もない。
それは、個人の自由。信教の自由だから。
おばがお題目しかないと思っていることは真実で、その心の発露から
母の無事を祈ってくれることは有りがたく尊い。
純粋に誰かの平穏や無事をただ一心に祈ることは(対象がどんな神仏であれ)
美しい心がけだと思います。

ただその「祈り」というのは間違いなく、「数」がものをいうような世界の話ではない。
お題目を何百万遍とあげたから解決したり・成就するようなものでは、断じてない。
いいときはうまくいくし・だめなものはだめな時だってある。 
奇跡を起こせることも有れば・起こせないことだってある。
一生のうち何度も奇跡を起こす人もいれば、奇跡なんてものとは無縁だって人もいる。
祈った結果に「絶対」なんてものはない。
最終的には結果論。当人の心持。
出た結果を、本人がどう受け止めるかってそれだけの話なんだよ・・。
これはなにも、題目に限ったことではない、神頼みだって同じこと。
だのに、創価脳は誰もがみな「願いとして・祈りとして叶わざるなし」だの・
一に題目二に題目・・と、最終的にはお題目しかないだの、当たり前のように口にする。
それ、違うんだけどな・・。
おばの手紙を読み、唱題について考え巡らせたことを、昨年の7月に記事にしました。
(この記事です 

上記記事を書いた頃と、今ではまた少し考えが変わっています。
現状の思いを述べると、お題目で願いが叶った・難を乗り越えただのいうことは
各個人の感じ方なので、それはそれで”あり”なんだと思いますし、その人個人の意見として
認めたいと思います。
「御本尊に祈ったおかげでこうなった」と、功徳を感じている方の感想については、
「そうですかよかったですね」というだけで、それ以上でも以下でもありません。
私は同意できないし信じません。けど、ご意見として承っておきます・・というスタンスです。
ただ、ここでひとつはっきり言っておきたいのは、
その「効能」は、たとえば一般人が御利益のあるお寺や神社でご祈願・御祈祷を受けて
願いがかなったというのと、まったく同じで、優位性なんてものはないと私は考えます。
どっちも、願いがかなったり・難をよける事が出来たんだから、「効能・効用」は同じです。
それをわきまえた上で、信仰するのが良いのではないか、と思います。
よって他の神様や伝統仏教を貶めるような物言いや、
自分たちが唯一無二であり他はみんな邪宗だ、というような考え方は、改めるべきです。
「私は学会員で信心をしていて幸せで功徳もいただいてるけど、ほかの宗教を信じてる人だって
幸せで、功徳があるんだ。自分たちが特別なわけじゃない」
「私はたまたま学会員だけど、みんなちがってみんないい」
学会員全員が、こんな考えを持てるようになれれば、だいぶ常識的な集まりになると思います。
まぁ、百歩譲って心の中で「いろんな宗教があるけどわたし(学会)が一番」と思うだけなら、
だれにも迷惑かけませんのでそれは自由かと思いますがw 口に出したらアウトでしょう。
他宗を貶めるような物言いをしたり、他宗を信ずる人に呪いをかけるような文言を呟いたり
するのは、お行儀のいいことではありません。
まして平和団体を標榜している会の一員がすることではありませんよねw

この時期以降、母と話す中でもたびたび「お題目の力」について力説される事がありました。
現在もあります。
そのたびに私は「題目の力は認める。ただしそれは、神社寺院への祈祷祈願で成就したって
いう一般人のそれと同じである」と主張しています。
そのたびに母は、困った顔をして「他と一緒にしないで」と言いますw
自分の信仰だけが特別すごくて最上級で唯一無二だ・・という思い込みの強さは、
カルトと呼ばれる宗教のすべてにあてはまる条件のように感じます。
繰り返したびたび書いてきた事ですが、私が知る限りの(以前の)組織では
「誤った教え(宗教)がはびこることで、世の中が乱れる」
「末法の現代では、日蓮大聖人が説いた法華経が一番正しい、広めるべき教えだ」
としていました。 
それゆえに排他的で、お門違いの選民意識に陥ってしまうのでしょう。
ただ、最近はかなりの教義変更もあったようですし、組織は”広めるべきは池田老人の教え”
という路線にこの先もっていきたいようですねw
歴史上の偉人(僧侶)の教えと・昭和の俗物の教えを同列にもってくるのは無理があります。
残念ながら日蓮の「竜の口の法難」の様な、生き仏的レジェンドもありませんし
(なんといっても、もう5年以上も雲隠れ・・w 仏敵の阿部翁は卒寿を迎え闊達という皮肉)
「絶対性」や「正統性」の担保が、池田老人のスペックじゃかなり無理があるのではないか?と。
そのあたりをどう、これから辻褄をあわせていくのか?
(下世話な意味で)興味がありますw

ただただ、静かに、自己の内面を高めるような密やかな信仰であれば
それほど問題はないのだけれど
(組織に依らず・離れて、ただ自宅で勤行唱題するだけならまだましでしょうが)
創価脳の場合は、そんなものでは済まされないのが大問題。
外部拡大という「害」が常に付きまとい・それがなければ信仰と呼べない的な
共通認識・刷り込みが巧妙に為されているから、非常に厄介なのです。
今や日蓮大聖人の御金言よりも、池田老人の言葉のほうが重要視されるような組織に属して
「大聖人様の弟子」もなにもないと思うのですが(呆)。
今現在は、母のそのあたりの認知を整理すべく話をしているところです。

話がそれまくっていますが、ついでにもうひとつ。
本記事で触れるのは不本意なのですがw 話の流れという事で書いておきます。

今年の話ですが、
子供の教育関係に厄介な人物がおり、悩まされていました(昨年春より)。
その人物にかかわる人のほとんどが「迷惑」を被っており、助言や忠告を繰り返すも
一向に改善されないうえ、本人全く意に介さず。
私も何度か衝突してみましたが、疲れるだけで何ひとつ得るものがない。残念な思いだけが
増えていく。
どうしたものか?と、考えあぐねていた時、たまたま友人とランチに出かけた店の近くに
立派な神社がありました。
友人が御朱印をもらうというので(彼女の趣味です)、お伴して参拝することになり。
「厄介が過ぎ去りますように。平かに」と念じました。
参拝を終えてから友人が「あまり表になってないけど、ここ実は縁切り神社なんだよ」と言い。
本当に驚くべきことに、それから半月と経たないうちに、厄介な人物が転居するとの
報せが入ってきました(御主人の転勤決定)。
偶然ではありますが、縁切り神社に行ったおかげなのか?!
また、その少し前に節分の災厄除けの御祈祷を某神社で受けていました。
御利益なのか、何がどう作用したのかは判りませんが、こういう偶然ってあるんだなぁと
感心したのです。

拍手からコメントを下さった方が、私の幼少期の経験(いじめっこが居住地から消えた件)に
言及しており、その当時の私が御本尊に祈っていて「たまたま」そうなったことは事実です。
が、今回の、縁切り神社への参拝からの厄介転勤引っ越しもまぎれもない偶然の現実なのです。
この2つのエピソードを、どう評価し捉えるのか。
創価脳は何と答えるか、きっと幼少期の経験は「まぎれもない功徳」とか言って正統化するけど
今回神社参詣で出た結果については「魔の通力」とか言い出すのでしょうねw
私は、そんな偏った評価はしません。 
どっちの信仰対象が上も下もなく、強い弱いもない。
ただ平等偶然に、「私の願望が叶った」ものだと思っています。

なにもひとつの宗教・信仰対象だけが、他を蹴落とすほどの勢いで、絶対的な力を
もつものだとは、私は考えません。
というよりも、宗教とは「心のありよう・所作」を教えているものではないでしょうか。
願いをかなえるのはその人自身の思い・念の強さであったり、引き寄せの力が働く結果であり、
対象物(崇敬の対象)によって左右されるものではないと私は思っています。

信仰の御利益とは
特定の行動(信者獲得拡大・集票・諸々の活動・題目を数多く唱える)に応じて
なんらかの利益がリターンされる、という類のものではないはずです。
そして↑このテのシステムを推奨し会員を扇動している宗教団体なんて、ろくなもんじゃない。
非常に陳腐で安っぽいものだ、と個人的に感じます。

(脱線話で長くなりました、すみません。続きます)

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他人の不幸は蜜の味

2014年7月。
手術のち、麻酔からさめた母と集中治療室で対面。
私の顔を見るなり涙目になった母。 そんなことは初めてだったので驚きました。
よほど、手術が怖かった・無事終わって心底安堵したのだと思います。
麻酔が切れてもまだぼおっとしている様子で、会話はゆっくりでしたが
関係各所にも連絡したこと、皆さん無事を喜んでくださってたよ、と母に伝え。
母は「携帯を見せてほしい」と言い、渡しましたが、すぐに看護師さんが飛んできて
「目が疲れるし、嘔吐してしまうことがあるから(携帯見るのは)短時間にしてくださいね」と
注意を受けました。
母は自分でメールを見て、返信をしたかったようですが看護師さんの監視があると知ると
自ら電源を切り(充電も少なくなっていたので)、明日にするわと一言。
この夜は集中治療室でお世話になる為、一時間ほど付き添ったのち実家へ帰りました。
夜半、実家でくつろいでいると、訪問者が。
出てみると、しらゆり長と母と仲の良い学会同志のおばさま。
正直疲れていたので、今頃何の用事だよ?とイラっとしましたがw
手術がどうだったか聞かれたので「メールしませんでしたっけ?無事終わってますけど」と
やや突き放して返答。
しらゆり長は唖然といった表情で、おそらく内心(心配して聞きに来てるのに、そんな態度?)と
思っていたに違いなく。
私としては、あんたたちがオペの詳細を聞いてどーなんの?理解できるの?という気持ち。
お見舞いはいつから可能か?あなたはいつまでこっちに居るの?等の質問に答え
「明日も早いので」と、帰ってくださいと暗に伝え。
おばさまは「やっぱりね、お顔を直接見てお話しないと安心できないからね~・・云々」と話し。
どういう意味なんだろう?と思いながらも、お帰りいただき。
あとでハッとしたのです。 そう、学会員って他人の不幸が大好きなんだったわ・・と。
たとえそれが同志でもかまわない。
私がメールで伝えているにもかかわらず、わざわざ顔を見に来てまで確かめたがるのは
「本当は無事ではないんじゃ?」という、疑いをもっているからに違いない。
母が携帯の電源を切ってしまって、直接のやりとりを行っていない事も関係したかもしれません。
(消息不明の疑いw)
なぜ私が”学会員は他人の不幸が好き”こんな風に考えたかと言えば、
このときふと思いだした過去のエピソードから。
まだ私が女子部だった当時ですが、某地で数人が巻き込まれた死亡事故がありました。
実家地域からもそう遠くないその地で起こった事故の、被害者のひとりが
偶然うちの姉と同い年・同姓同名(正確には漢字が一字違い)。
苗字はさほど珍しくないのですが、下の名前は(一般的な名前ですが)そう多くはないので
ニュースを見て家族も一瞬「姉?」と思ったほどで。
すぐに父が連絡を入れ、別人であるとわかったので安堵しましたが、翌日の朝早く。
インターホンが鳴り、たまたま私が出ると黒っぽい服を着た地域の婦人部が3名。
こんな朝早くになんだろう?と思い、母にとりついで玄関先へ出てもらったのですが
婦人部3名は、姉が事故に巻き込まれて亡くなったのだと思いこみ、お悔やみを言いに来たのです。
同姓同名の別人だと説明したところ、驚いて帰って行ったとのことでしたが
当時創価脳の私でさえ、この出来事にはドン引きでした。
”そんな簡単にうちの家族、殺さないでよ!!”と思ったのです。
だいたい、普通ちょっと確かめてからにしない?どんだけ早とちりなんだろうと。
今思えばですが、姉がアンチであることは婦人部の間でも有名(?)でしたから
「死亡事故=罰があたった」くらいに、婦人部のおばさんたちが早とちりな妄想をしたとしても、
創価脳ゆえ不思議はありません。

この時の母の手術は、昨年度の手術に引き続いたもの+新たな疾患発覚という
不安要素があるものでしたから、近所の学会おばさまが殊更ネガティブに受け止めたのも
わからなくはありません。
しかし、それにしたって(呆)。
実の家族である私がメールで「無事手術が終わりました」って伝えても、
顔色を見て話を聞かなきゃ信用ができないって、あんた何さま? 実の身内でもないのにw
どんだけおせっかいなんだよ・・。
私の地元が、古い住宅地であり、学会員同志のつながりが密すぎるのも要素のひとつとして
あるかもしれませんが、あまりにも距離なしで失礼ではないか?と
思わずにいられませんでした。

翌日、諸々の差し入れを持って、病院へ行きました。
母は一般病室に移っており、姉のはからいで個室にかわっていました。
点滴をしており、まだ自由に動ける状態ではなく、持ってきた荷物を私が収めることに。
備え付けの家具に飾り棚のような箇所があり、母は早速おまもり御本尊を開いて立ておいて
欲しいと私にたのんでき。
看護師さんが、1時間おきに入ってくるのに・・いいの?
「勤行する時だけ、開けるほうがよくない?」と私が言うと
母は「かまわないから。せっかく貸していただいたんだから、(看護師に)見せるのも折伏よ」
と、わけのわからない一言を。
言われた通りにしましたが、なんだかビミョー・・と思っていました。
一通り整理がつき、これ持ってきたよ、とかばんから聖教新聞を取り出してあげました。
朝、実家に届いたものです。
すると母は「ありがとうね。でも、明日からはもってこなくていいよ」というのです。
え?どうして?と尋ねると、母のきょうだいの一人(介護状態になり、不自由)が
お見舞いに行けない代わりに、新聞を贈呈したいと言ってきた・偶然この病院のある地域に
知人(学会員)がおり、その人は配達員もしており、毎日病院に配達してくれるから
大丈夫だというのです。
恐るべしネットワーク! そして、内部から内部へ贈呈ってなんなんだよorz
実家の新聞を、誰かが持ってくればそれで済む話であって。
どうしてそこで「増部数」しちゃうかなぁ?
毒の回った(洗脳状態の)母のきょうだいが、いかにもやりそうなことではあるけど・・と、呆れ。
組織の外交工作手段のひとつにすぎない新聞を、さもありがたがって
(当然、そこに御利益を期待し)信者が増部する。組織の思惑・実際の目的など何も知らずに。
それを「とても良い行い」だと思って身内がやり・母も同じく受け止めているのが、
創価脳では無くなった私からすると、忌々しき事態に感じられたのです。
入院は一ケ月の予定で、この短期間であっても創価から離れていかないよう・まるで包囲網を
張り巡らされているようだ・・と思いました。
ちなみに前年の入院は10日前後。おまもり御本尊貸与もなく、新聞贈呈もありませんでした。
ついでに言えば選挙が終わった直後で、皆腑抜けになっていたのか、学会員のお見舞いも
この時ほどではなかったですw なんとも、わかりやすい組織。

手術から3日目、お見舞いを希望している方に連絡を取り来てもらうことにしました。
やってくるのは、9割がた学会員orz (親戚含む)
私は部屋の隅で会話に加わらないよう見守る感じでしたが、たいてい皆、言うことは同じ。
「良くなること祈ってるから」「みんな(退院を)待ってるよ」「また一緒に活動しましょうね」
洗脳下にあるから、言葉が似るのは仕方ないっちゃ仕方ないのでしょうがw
看護師さんからイヤミなのか、私が詰所に立ち寄った時など
「すごいお見舞客の数ですね。政治家さんみたい」と言われたほど、ひっきりなしに誰かしら
来ていました。
そんな中にひとり、市会議員さんの姿がありました。
この議員さんは、私もよく知っているお方で大昔、地元地域で役職者だった人です。
私がお会いするのは、父の葬儀以来でした。
たまたま私が売店へ行って戻るエレベーターで一緒になり、病室へとご案内。
母に「議員のOOさんだよ」と伝えると、母はちょっと複雑な表情を浮かべて。
わざわざすみません・・と、通り一辺倒の挨拶をし、3分とたたず議員さんは帰って行きました。
微妙な空気を感じた私は思わず母に「なんか、えらくよそよそしかったね」と話しかけ。
母は「ちょっと、いろいろあってね・・」と言葉少なに。
え?どうしたの?なにがあった?と、問い詰めたのですが母は首を横に振って「たいした事ではない」
と、教えてくれませんでした。
気になるじゃん!言ってよ!と騒いでみても、母はだんまり。
そのうち別の見舞客がやってき、うやむやになっていました。

それから数日後、実家のご近所さんで母が懇意にしている学会員夫妻が来訪。
この前年、ご主人が体調を崩したと聞いていましたが、回復したのか元気そうでした。
母はここ数年、このご夫妻と新年GG会に出席したり・同中もご主人が運転する車に同乗させてもらい
出かけたりと、お世話になっていました。
私がお二人と会う機会はずっとなかったのですが、お礼を言ったほうが良いかな?と思い
「いつも車を出していただいてるようで、ありがとうございます」と声をかけました。
するとご夫妻はばつの悪そうな表情で「ああ、以前はね・・」と。
「以前は」ってどういう意味??
気になりましたが、突っ込んで聞くような雰囲気でもなかったため、曖昧に流し。
懇意の夫妻が来たのだから、母も喜ぶかと思いきやそうでもなく
会話も大して盛り上がらないまま、夫妻は帰って行きました。
なーんか、変だなぁ?
そう感じつつも、このとき疑問を追及するには至らず。退院後、真相を聞くことになります。

(続きます)

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「はじめまして 自己紹介」を一部加筆しました。

いまだ、私のスタンスを理解されないまま、頓狂なコメントをくださる方がおられます。
最後まで御一読いただき、ご理解いただければ幸いです。


隔世の感

2014年6月。
この1年前の夏(2013年7月)、母は入院手術をしました。
後日経過を診てもらったところ、要再手術との所見。
日帰り手術で大丈夫と聞かされましたが、それまでの経緯から不安を感じ、
違う病院でも診てもらうことに。
すると別の疾患が新たに見つかり、セカンドオピニオン先で手術することになりました。
たまたま手術日前後、姉は結婚一周年記念で義実家へ行くため渡航を予定。
手術中は親族同伴必須で、姉は渡航をやめると言ったのですが、
さすがに母は気が引けたようで 私に「来れない?」と連絡してきました。
子供2人の世話を平日、夫任せにはできない・・と躊躇し、相談してみると返答。
夫はすぐ義母にかけあってくれ、不在の間に子供達の面倒をみに来てくれることが決定。
つくづくも、理解があり気持ちの温かい義実家に縁することができて
私も母もラッキーだなと、このとき思いました。
創価脳なら言うでしょうそれを「福運」だとか「功徳」とw
これは、私の実家側に福運があるだとかそんな問題では当然ありません。
ひとえに義実家のみなさんの人柄が素晴らしい・家族思いである、それだけのことです。
かくして7月初旬の帰省が決まりました。

入院前日に実家へ到着すると、母は方々学会員から激励電話&メールを受け応対に必死。
そんなの後まわしでいいじゃん!と言っても、後からだと忘れちゃうよ・・と
返信に勤しんでいました。
入院準備ちゃんと出来てる?と、ボストンバッグを見ると、適当な準備しかしておらず。
家の中も荒れ気味、「旦那さんが一緒ならきちんとお掃除したけど、今回あんただけだから」と
片付けなかった言い訳をしていました。
バリ活にありがちな、活動中心になるあまり、大切な自身の生活をおざなりにしてしまう習慣性。
母は独居ですから、栄養面や衛生面も心配ですし、もっと気をつけてよ!自分にかまうべきでしょ、
という気持ちになり。
活動・信心さえしていれば守られる・大丈夫、というような過信からくる生活への怠慢が
思わぬ病を引き起こしている側面もあるのではないか?と思わずにいられません。

余談ですがこの帰省から私は母の勤行につきあうのをやめました。
覚醒以前は、夫子供が入浴中に大急ぎで母と夜勤行をしていました。
覚醒後はやったりやらなかったり。
このときはきっぱりと断り、母に向かって「一人でやってね」と言いました。
母は苦々しい表情を見せましたが、母の入院に伴い万障繰り合わせて帰省した私に対し
説教はできないと思ったのか?特に何も言うことはなく。
一応、実家到着時と出発時は仏壇に手を合わせますが、それは御本尊にではなく
父の遺影に対し挨拶がわりの参拝です。

手術前日の入院、医師の術前説明がありました。
その時、初めて詳しく病状を知った私は驚いてばかりでした。
「よく、こんな状態を我慢してきたな・・」と思ったのです。
医師は最後に「お母さんは大変我慢強い方のようですから、手術も平気ですね」と
冗談交じりに付け加え。
命にかかわるような病ではないのですが、痛みと不定愁訴との長い闘い。
信心しているから、いつか良くなる。信心しているから、このくらいで済んでいる。
そんな風に思いながら、辛い症状を誤魔化してきたのだろうか?
母は更年期あたりから定期的に通院しては大量の薬をもらい、服用していました。
寝込むほどではないから大丈夫なんだろうと、いつも私は簡単に受け止めてきたけれど、
ここでハッと気づきがあり。
「信心してるから大丈夫」母はこの思い込みが、人一倍強い人。
本当は深刻な状況にあっても、思い込みによって現実にバイアスをかけていた可能性が大きい。
気力だけでカバーし、無理に無理を重ねていたのかもしれず、そんな母の「大丈夫」を
額面通り受けとっていちゃダメだったんだ・・と、ここへきて突きつけられたような
思いがしました。
その後もたびたび、この「現実認識のずれ・歪み」を突きつけられることになります。
後日記します。

病室に戻った母は手術を「怖い」と言い、生きて帰れるだろうか・・と珍しく気弱な発言を。
私は「大げさな。先生も大丈夫ですね、って言ってくれたから大丈夫だよ」と返し。
そろそろ実家へ引き揚げようかな、と思っていた時「こんばんは」と尋ね人がやってき、
誰かと思えば実家地域の婦人部本部長+支部婦でした。
支部婦は初見でしたが、本部長は私が女子部だった当時の圏女だったお方。
「祥蘭来てたの?久しぶりじゃないの~!どう、がんばってる?」と・・。
お会いするのは10年ぶりくらいだったと思いますが、久しぶりに会った人にもまず活動を
頑張ってるのか確認しちゃうんだ・・つくづく特殊な(創価)世界だと、今更ながら違和感を覚え。
用件はおまもりご本尊の貸下げ。封筒に「貸与」と記載がありました。
母が貸してほしいと頼んだわけではなく、支部婦のはからいだったのですが
うっかり「言ってくれれば持ってきたのに。私の(おまもりご本尊)貸してあげたのに」と口走ると
元圏女がすかさず
「祥蘭が頂いたご本尊はあなたの命なんだから、簡単に貸すなんて言ってはいけないよ!」
と、ピシッと指導が入りw うっわあ・・でした。
じゃあ、「レンタル用」だったら誰にでも貸していいって理屈なのかい?w 
だれがそれを決めてるんだ?日蓮さん?そんなわけないよね。 
学会が勝手にそう言ってるだけでしょ。意味わかんねぇw 
心の中で次々つっこみまくりでしたが、当然その場では半笑いで黙っておきました。

上記出来事から一年あまり経過した今、ふと思ったことですが
元圏女の言葉は、ご本尊に対し敬虔な思いを持っていればこその発言だと感じます。
自分の生命と等しい・いや、自身の生命以上に大切にしなければならないほど
尊い信仰対象。かつての私もご本尊をそう捉えていました。
昭和40年代の福子である私たち世代における、創価教学の文脈でいえば
御本尊に対し敬虔な思いを抱く所以はやはり、日蓮が魂を墨に染め流して顕わされた・・という
部分にあり、流れの元は”戒壇の大御本尊”であったと思うのです。
それが、先ごろ創価では戒壇の大御本尊を否定。
ざっくり解釈で「日蓮正宗の御本尊だけはNGで、他はオールOK」となってしまいました。
こんなむちゃくちゃな大本営発表&新方針を、御本尊に対し誠に敬虔な思いをもつ学会員が
そうそうさくっと、受け入れられるものだろうか?と、私は甚だ疑問なのです。
大石寺を否定しながらも、そこに確かにある戒壇様を心で求め続けてきていた会員も
きっと多少なり、存在しているはずで。
拠点宅の仏壇前に飾ってあった御祈念盾にも
「打倒日顕 大石寺を取り戻す」という文言を見たことがありました。
日蓮を思い慕えばこそ・・の祈念。
戒壇様に対する長年の焦がれる思いを、一方的な学会の見解発表のみで簡単に反故に
できるものか?と、私は不思議でならないのです。
今度元圏女に会うことがあれば見解を聞いてみたいものですが、現在も婦人本部長を務め
指揮をとっているので、たぶん学会見解におおむね賛成という感じなのでしょう。
大小数多の疑問をきれいにシャットアウトし、思考停止へ自ら追い込み、
学会が言ってることに従っておればいい・・そんな風に”流される”会員がいるなら、
その奥底にあるものはやはり「罰論」であったり「福運を消す」という”恐れ”じゃないでしょうか。
しかし、実際のところ
「学会が功徳や罰をコントロールしているはずはない」し「できるはずもない」のです。
御本尊や、宗祖である日蓮を畏れる心は信仰者としてあって当然ですが
「宗教団体」=実際のところ企業体に対して「畏れる」必要なんてみじんもありません。
単純なようですが、此処をきちんと考えないで騙されている学会員が多すぎる気がしています。

話を元に戻します。

母はしきりに、活動を休んで申し訳ない云々謝っており。
両幹部は「なにも気にしなくていいの!しっかり休養して、ちゃんと治してくださいよ」
「信心で病気が治ることもあるけど、治らないことだってある。
早めに適切な医療にかかりましょうって流れですからね、近頃は」とw
思わず太字にしてしまいましたが、エエエッ?!と、ひそかに驚きを隠せませんでした。
現役幹部が「病気は信心で治らないから病院行くべしだよ、近頃はそういう流れ」って
言っちゃうんだね!とw
また「病気で入院手術することで、自分を責める傾向にあるのが学会員。
でも自分が悪いなんて思わなくて全然大丈夫。 休みなさいというサインかもしれないし、
この経験がまた誰かを激励できる種になるのかもしれないし、使命なんですよ」(要旨)
と話したことも、私には衝撃的でした。
ここ10年余り創価の現場から離れているもので、
いつの間にこんなにご都合主義になってしまったの?と驚いたのです。
私が現役だった時代は「宿命転換の時来たり!」と、幹部指導を受けさせられ
手術日までに何か結果(新聞・対話・入決等)をだしていこうとか、病でシンドイ人に対しても
平気で発破をかける、そのような話がざらにありました。
「病に打ち勝って」というような勇ましい言葉のオンパレードだったような・・。
そのような言葉がほぼなかった事が、非常に新鮮でした。

今思えばですが、母は一級活動家ですから、上記のようにソフトに言ったのかもしれません。
同じ状況にあってもきっと、活動さぼってた人にはこう言うのでしょう
「宿業でてきちゃったね」とw

余談ですが
元圏女は後日にも見舞に来るのですが、私に向かって「ねぇ、お姉さんは?」と尋ね。
帰省中で、代わりに私が来てるんですよと説明すると、「お姉さんにお会いしたかったわ~」とw
つまりもう、母の口からアンチ歴50年余りの姉が新聞購読してくれました!という話題は
伝わっており、すっかり姉にロックオン状態だったということですw
偶然とはいえ、姉が義実家帰省を予定していたことは不幸中の幸いだったと思います。

その夜、実家に戻ると同時に家の電話が鳴りました。
出てみると、母方のおばでした。
明日の手術は何時からだっけ?あんた付き添うの?私も行ってあげようか?との打診。
丁重にお断りをし、術後は集中治療室に1日入るので一般面会もできない事から
翌々日の見舞いをお願いし。
おばは了解し「オペ中は同盟題目を(親族)みんなで上げる。あんたもしっかりご祈念しなさい」
と言って電話を切りました。
地元を離れた暮らしが長く、リアル学会員とのふれあいwも全くないまま過ごしていた
私からすると、久方ぶりの創価社会に触れたこの日、カルチャーショックの連続で
精神的に疲れを感じ。
まこと、母の生活圏には学会員しかいないんだ・・と今更ながらに気づいてぞっとしたのです。

翌日、手術中はオペ室前で読書をしながら待っていました。
リスクも数%あると説明を受けており、緊張はしてはいたけど、何かにすがる様な思いもなく。
早く無事に終わってほしいと願いながら、腕時計を時折ちら見。
創価脳の私だったら、読書なんて手に付かず、当然お題目をぶつぶつとずっと唱え続けて
いたでしょう・マイおまもりご本尊を握りしめてw
もうそのような気持ちは湧いてこず、心配はあっても無事を祈るだけだし・
大丈夫であることを信じ待つ。あとは結果次第だという思いしかなく、淡々とした気持ちで
過ごしていました。
このときしみじみと、自分は仏罰論から脱せたんだなーと感慨深く。
罰論にとらわれていたなら、きっと母がこのような手術をうける羽目になったのは
「自分のせいだ」と責めたり嘆いたりしたと思います。
私が退転したから母がこんな目に・・的な(それを創価の人は「発心」と呼ぶ)。
今思えばですが、創価脳のころはチキンハートでしたw 
創価脳の精神状態だと、信心してるのに悪いことがおこる、というのは
殊更「非常事態」となります。
なんで頑張ってる・信じてる私がこんな目に遭うの?!的な。 だから必要以上に動揺もする。
信心を試されている!今こそ正念場!と、スイッチ入って猛烈に題目をあげたりもする。
”湿れる木より火を出だし・・”なんて、どう考えても非常事態ですw
どっちにしても、そこに平常心にはなく・やや冷静さを欠いた状態といえます。
そういった切羽詰まったような「祈念」や、今こそ「祈らねばならない」との
強迫観念がなくなった分、不必要に心を揺らされることなく、静かに居られた事が
少し嬉しくもありました。
(母が手術中に「うれしい」というのも、おかしな話ですが。)

手術は無事成功したと医師から告げられ、心底良かった、と思いました。
看護師さんからX時頃に麻酔が切れる・集中治療室で面接可能になるので
その時間になったら来てくださいとの話を受け、いったん病院の外へ出て関係各所へ連絡。
母の携帯を預かっており、組織の人たちへは母の携帯から「代理」でメールをしました。
頼まれていたいくつかのアドレスへ一斉送信をしましたが、30分と経過しないうちに返信の嵐。
手術をしている時間帯に地域で唱題会が開かれていることは聞かされていましたが
「OOさん(めったに会合に出てこないらしい、高齢者)が来てくれましたよ。
あなた(=母)のおかげでまた、一人立ち上がることが出来たね!」というしらゆり長の返信に
しょっぱい気持ちになり。

ただ地域の皆さんが母の手術成功を祈ってくれた。それだけなら「ありがとう」と言いたい。
でもさ、母の手術きっかけで「一人立ち上がることが出来た」って・・なんじゃそりゃorz

このひとたちには、ただ他者の無事を祈る、というシンプルな発想はないのだろうか?

たまたまその参加者が、心あって唱題会に出てきたかもしれないことを、
しらゆり長が「チャンス」と捉えていることは文面からして間違いない。
再び活動家に!と、狙いを定めた感じがみてとれ、それをあさましいと感じ。
まるでビジネスチャンスのように、他人の不幸(又は非常事態)を利用しているみたいで
このしらゆり長、感じ悪・・と、内心ドン引き。
バリ活は反論するでしょうね「その参加者の成長を喜んでいるだけ!」とかなんとか。
いやいや、それは麗しき学会世間での建前だよ。
大本営の本音は「寝た子が起きる=集票・集金・無償労働力ゲット!」なんだから。
けど、私だってバリバリ洗脳状態の女子部長だった頃
大本営の本音など知るよしもなく
「友人が悩みを打ち明けてくれたんです・・」と話す若き部員さんに向かって
「それは折伏してくれってことだよ!」と即答してたよね・・と、苦々しく過去を思い返しもし。

覚醒して2年が経過しようという頃でしたが、自宅周辺の学会員とはすっかり疎遠となり・
ネット社会のバリ活様をヲチすることはあっても、リアルな学会世間に触れ合う機会が
なかった私にとり、母の入院手術期間はカルチャーショックの連続といえました。
異国の人と話をしているような感覚さえしてくるほどの。

組織としての出世の本懐が「集金・集票・権力集中」にあることは、今も昔も変わらないけど
路線も潮目も、徐々に変わっていったことは明らかで。
盲信者たちと触れ合うにつけ、隔世の感を覚えました。

(続きます)