君子豹変

2015年1月 
正月帰省からもどる車の中で、主人との会話。
母が亡きおじの遺産の行方を懸念し、組織に寄付したらいいのに・・と話していた事について
「非常識にもほどがあるよ」と私が話すと、主人が思い出したかのように、実際身近にあった
エピソードを話してくれました。

主人の中高時代の部活仲間である友人が、30代前半に事故で亡くなり。
友人(Aさんとします)は既婚者。
葬儀の席で、Aさんの奥さん一家が熱心な学会員だとわかったとのこと。
葬儀が友人葬だったからです。
このときまで、主人や他の仲間たちはそのこと(奥さんが学会員)を知りませんでした。
結婚式は身内だけで挙げており、後日開かれたお祝いパーティーに参加はしたが
その席で学会員だということは、全く分からなかった。
Aさんは奥さんが学会員である事(本人の入会については不明)を隠していたんだな・・と、
気付いたのだと。
結婚して子供もうまれ、自宅も購入した矢先の事故死。
Aさんのお母様は、女手ひとつでAさんを育て、母一人子一人環境でもあったので大変な
落胆ぶりだった。 
主人も、どう声をかけていいかわからなかったといいます。

Aさんの実家は、義実家のご近所で、義母さんとAさんのお母様は知り合い。
後日、Aさんのお母様におこった出来事を義母さんから聞いて、主人は驚いた。
Aさんの死によって、住宅ローンは保険で支払われ・保険金を手にしたAさんの奥さんは
一切を自分のものとし、百か日が過ぎた頃、しれっと自宅に自身の両親を同居させたとのこと。
Aさんのお母様に、相続権こそありませんが(Aさんと奥さんの間に子供がいるため)、
お母様が老齢期に入ったら同居するとの約束があったそうです。
しかし、Aさんが亡くなったことで、そんな約束はなかったものと、自身の親を同居させた
学会員の嫁(+旦那の親に対し遠慮もなんの配慮もない、学会員の両親)。
Aさんのお母様に、何のお伺いもなく、当然のようにそのようにし、
「Aさんの供養は私達がしっかりするから任せてください」と、言ってきたのだと。
葬儀についても、突然のことだった&喪主が奥さんということで、Aさんのお母様の意向など
一切聞きいれられることなく、創価の葬儀でおくられたのがお母様は許せなかった。
お母様は、お骨だけはうちの墓に入れるから!と言い、Aさんのお骨を引き取った・・
という話でした。
Aさんのお母様はその後うつ病を患い、別人のようになってしまった。
心配したお母様のごきょうだいが引き取って転居、今頃どうしているか分からないとの事。

話を聞いて、しばらく言葉が出ませんでした。絶句という感じで、なにも言えず。
Aさんのお母様の心中、察するに余りあります。
たった一人の息子を亡くしたお母様に対するフォローは何もなし。こんな非道ありえません。
もちろん、これは学会員であろうがなかろうが関係のない、独善的メンタリティだとは思うのですが、
”自分たちさえよければそれでいい”
”自分たちの正義(利・益)を貫くためならどんな非常識も許されると思いこんでいる”
まさに創価脳ならでは、な、ジャイアニズムに満ち満ちたエピソードで
学会員と聞けば「さもありなん」だとも思います。
また、創価脳にありがちな
「御主人は早くに亡くなったけれども、遺された家族が路頭に迷うことなく暮らすことが出来、
 親孝行もできたのだから、これは福運(または転重軽受)」などという、独善以外の何物でもない
解釈を彼らがしていそうで「これは信心のおかげ」と、妄信迷信をさらに強めたのだろうな・・と
想像すると、その「周りの見えなさ・愚かさ」に、グッタリしました。他人事ながら。

「(当時)創価の人たちって怖いわね、って(義母さんが)言ってた」と
主人が続け。
「ええっ?!じゃあ、私との結婚も、本当は反対だったんじゃないの?」と私が聞くと
主人は「創価だというのはショックだ、って最初は言ってた。
ただ、お父さん(私の亡き父)に会って安心したみたいで、以降何も言わない」と、
初めて話してくれました。
義父さんは創価のことはひとつも問題にはしなかったが、やはり父と会って
「いい縁談だ」と、言ってくれたとのこと。
父には感謝してもしきれませんが、このエピソードを聞いて本当に・真に私を護ってくれたのは、
”命より大事な御本尊”でもなんでもなく、ただ常識人の父であったと・・涙が出ました。
そんな父を、私は長らく「信心を、学会を理解しようとしない・邪魔する仏敵」だと思って
生きてきたのだから・・終わってる、としか言いようがなく。
どれだけプロパガンダが、狂ったものなのか。改めて身につまされたのです。
そして父が、結婚の挨拶前に主人に出した条件
「創価だけど家族として受け入れることが出来ると、主人から義両親に話しOKをもらってくる」が
どれほど重要項目だったか、ということにも、改めて気付かされました。
父はそれほどに、創価脳の非常識さ・世間一般に生きる方との感覚の乖離・民度の違いを
熟知していたという事であり(母&その一族との付き合いでも、痛感していたのでしょう・・)
そんな世間一般家庭である主人の実家に「覚悟」を問うたのだと・・。
父にとり、私の洗脳が解ける可能性なんて、未知数いや不可能に近い認識であったと思います。
現実として私は、父の逝去時は非活でしたが、創価脳のままでした。
それから3年足らずで覚醒できたことも、実際奇跡と言えるかもしれない。
父がどんな思いで、私や主人やその家族の行く末を考え、手を打ってくれたのか・・。
様々考えさせられ、一般家庭の方々にとって創価家庭との婚姻が脅威・忌み嫌われる
その理由を、アンチブログ開始から3年目にして、身にしみて理解した出来事でした。

正月明けて数日後、主人は短期出張の続き(書きもれましたが、2014年11月~赴任中)で
実家方面へ向かいました。
ホテル暮らしが味気ないと、主人が義実家帰省の際話したところ、
「赴任地から通える距離なら、此処で寝起きしたら?」と、義母の誘いもあって
しばらく義実家滞在することになったのです。
私達は母子3人生活の続き。子供たちの学校・園が始まり一人の時間が出来、
2013年に御祈祷をうけた神社へと初詣に出向いた私。
御祈祷時のお札をお返ししたいと申し出ると、2月3日の節分祭を教えていただき、そちらに
参加することにしました←これは2015年頭のあいさつにも書きました。

1月後半のある日、早朝主人から電話がかかってきました。
何事?と出てみると「お父さん(義父さん)が倒れて緊急入院した」との報せ。
意識不明で、ICUに入った。まだ状態がはっきりしないけど、いつでも帰省できるような
準備をしておいてほしいとの事でした。
出勤前の主人が真っ先に義父さんの異変に気付き、救急車を呼んだとの話で、
何だかすごいタイミングだ・・と感じ。
それから数時間後、連絡があり、不整脈による意識不明だったことがわかりました。
運よく翌日意識が回復。その週末、私達はお見舞いのため帰省することに。
このとき、実家の母にこの一件を知らせるかどうかを一瞬悩みました。
創価脳な母のこと。義父さんの急病を、私が信心をおろそかにしたせいだ・罰が出た!などと
お門違いな捉え方をし・私に言ってくるのではないか・・と、懸念したのです。
そんなこと、絶対口にしてもらいたくない。 第一、そのようなレベルの話じゃない。
もし「罰だ」なんてこと言いだしたら、おじはどうなるのよ?!と、突っ込んでやる・・。
非学会員の義父さんは一命をとりとめたが、真面目な学会員だったおじは亡くなっている。
この差をどう説明するのか?と。
そんなことを考えながら、母に連絡を入れました。
母はたいそう驚いていましたが、私が懸念していたようなことを、この時は口にしませんでした。
「今まだICUだから無理だけど、後日落ち着いたらお見舞いへ行ってほしい」と伝え、母は快諾。 
病院へ向かうと、義父さんは一般病室に移っており。まだ朦朧としている様子で会話は不可。
けれど子供達(孫)を招き寄せ、手を触っていました。
主人の短期出張は1月いっぱいの予定でしたが、たまたま延長となり2月中~下旬まで
義実家での滞在が決定。
義母さんは車の運転が出来ないため、送迎や買い出しなど諸々、主人が滞在していることで
ずいぶん助かる・心丈夫だ、と話していました。
こういったことも、本当にただの偶然ではあるのですが、運が良いというか「持ってる」と感じました。
その分、私は鬼のように忙しい2月を送ることになったのですが・・今となっては思い出話です。
こういった事情もあって、昨年2月は記事をUPすることができませんでした。

2月に入り、節分祭に参加。このとき、義父さんの回復も御祈祷してもらいました。
そして再度、見舞いで帰省することになり、実家の母を伴って一緒に病院へ。
義父さんは後遺症で声が出しづらい状態。会話はほどほどにし、筆談を。
退院日が決まって、通院治療に切り替えられる目処が立ったと聞いてほっとしました。
このとき私と子供達は実家に宿泊することにしたのですが、夜になり母から
「私、明日は朝からOO方面へ行かなきゃならないのよ。帰宅も、かなり遅くなると思う。
あんた達、何時までこっちにいるの?」と聞かれ。
”ゆっくりしてられないよ”と暗に言っているのだと理解し
「お母さんと同じ時間に家を出るよ。帰る時間決めてなかったけど、どうにでもなる」と答え。
母は「悪いわね、忙しいのよね、今時分は・・」と。
あぁ、春の統一地方選のF活動に行くのね・・と気付き、私はガックリ。
「あのさぁ・・前にも言ったけど、そんなこと(F活動)したって功徳なんか積まれないよ?
選挙のためなんかに、とくに何もやんなくたっていいんだよ」と思わず口走りました。
すると母は「功徳なんて求めてないわよ」と一言。
「じゃあ、純粋に政党支援としてやってるの? なにひとつ、疑問に答えてもくれないのに?」と、
以前母に突きつけた、子宮頸がんワクチン問題を蒸し返してみました。
すると母は「それ(政党支援)も違う」と答え。
「じゃあ何のためなのよ?わけがわからない。だいたい、支援してるわけでもないのに、
よく友人に票が頼めるよね。無責任だよ」と私がたしなめると
「私は票なんか頼んでないよ。友達のところに(学会員を)連れて行ってあげてるだけ。
私はなにも言わない。お友達のOOさんだよ~って紹介してるだけ」と、言ってのける母。
ハァァァ?! 何言ってんの? ますます、わけがわからない・・。
つまり、母は無駄に顔が広いので、外部の知り合いがあちこちに居る。
しかし近所の学会員は、外部の友達がとても少ないため、F取りに苦労している。
そこで母が、友人を紹介してあげて、近所の学会員のF取りに協力している・・というのです。
ますます、何なのそれ? でした。
「じゃあ、あなたのFにはならないんじゃないの。票を頼んでないんだから。そんなのありなの?」と
(実際F数なんか、どーだっていいんですが)私が尋ねると
「その場にいたら、私も一緒に頼んだってことでFにカウント出来るのよ。
私が直接頼まなくても、連れて行った学会員が頼んだら私のFになるから、いいんだ~♪」と答え、
私は頭を抱えました。
なんじゃ?そりゃ・・。
母曰く、自分は政党支援してるわけでなく、普段世話になっている近隣学会員に「恩返し」を
したくって、外部の友人を紹介してあげているんだ・・と。
あくまでも「個人的恩返し」であり、F取りとは思ってない。結果的に、そういう事(Fカウント)に
なってはいるが、自分はそんなつもりではない・・というのです。
いま、記憶をたどって書いているのですが、反芻してみてもよくわからない理論です。
ただ、この時はっきり感じたことは
”明らかに、逃げ腰になってないか?”と。
母の言っていることがまるで「言い逃れ」に思えたのです。

ちなみにほんの2か月前にあった例の衆議院選挙、母は「闘いきって満足した」と話していました。
功徳云々と言っていたかどうかまでは記憶にないのですが、前年12月の衆議院選挙と
この地方選とでは、全くテンションが違いすぎて。

当時はさっぱり、この変わりっぷりを理解できませんでした。
今になってみれば、母の変節はこの頃すでに静かに進行していたのだと思います。

(続きます)
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ジャイアニズム

2014年 秋頃は、特段創価にまつわるエピソードなしで過ごしていました。
前年は壮年部の家庭訪問があり「ご主人の広布基金申し込み、どうします?」と尋ねられ、
呆れかえっていたのですが、この年はお尋ねなし。
いつ頃からか、思い出せないくらい。地域から一切の音沙汰がなくなっていました。

創価にまつわるエピソードではありませんが、9月に驚きの出来事がありました。
兄から私の携帯に、初めて電話がかかってきたのです。
番号は姉を通じて聞いたという事でしたが、何事かと不安になり、構えました。
用件がまた意外で、兄の長女(私の姪っ子)が、来春(2015年)結婚することになったので、
海外挙式に参加してもらえないだろうか?というものでした。
姪っ子とは、ずいぶん大きくなってから父の葬儀・法事で数回会った程度。
実際のところ、私はなじみがありません。
だのに何故?と聞くと、相手方とのつりあいをとりたい(参加人数)というものでした。
兄が私にお願い事をしてくるという、全くレアな状況に戸惑いつつも
挙式はGW時期でもあり、断る理由もなかったため承諾しました。
この挙式旅行には、母や姉夫妻も参加。 後日記します。

11月下旬 突如の衆議院解散。
TVニュースを横目に見ながら「茶番だな」と思い、あまり興味を持てず。
選挙か・・。財務はスルーしてくれたけど、選挙となったらまた地域学会員からの
家庭訪問があるのかもしれない。 母からも、連絡があるのかもしれない。
もし、地域の学会員がこようものなら。私は居留守なんて使わずに対応してやる。
自分たちの間違いに早く気付けと、説教の一つもぶってやる・・と、威勢よく身構えていましたがw
残念ながら、家庭訪問・電話・メール・チラシのポスト投函、どれもありませんでした。
当時の記事にも書きましたが、直接の当日確認も無し。 完全非活になればこんなものです。

12月に入ってすぐ、母から連絡があり「必ず選挙に行くように」と言われました。
はいはい、と適当に返事。
その電話から数日、母のきょうだい(おじ)が急逝したとの連絡が入りました。死因は心臓発作。
遠方の私は弔電を打ち、母と姉夫妻が通夜葬儀へ。
亡くなったきょうだいは役職者。母のきょうだいの中で、一番の成功者でした。
地域社会でも人望が厚かったようで、葬儀には数百人が参列。
精進落としの席で、同業の組合長(一般の方)がおじの人となりや功績を称える挨拶をした直後、
次に挨拶をしたのは学会幹部(後で母に確認したところ、県幹部)。
「OOさんの分まで、私達は今回の法戦を不自惜身命で戦い抜き、先生に大勝利の報告を
してまいりたい(要旨)」との発言があったと、後日姉から電話で聞かされドン引きでした・・。
おいおい、関係ねーだろうが(呆)。
友人葬ではありましたが、100%学会員の集いではありません。
ましてや、選挙の決起大会でもありません。あくまでも、いち壮年の葬儀席上です。
挨拶をした県幹部の発言の非常識さを、一般の方々はどう受け止めたでしょうか。

おじの死から数日後が、亡き父の命日でした。
全く期待もしていませんでしたが例年どおり、選挙で多忙の母からは何も音沙汰なく。
姉は墓参りへ行くため、母を誘ったのですが
「忙しくてそれどころじゃないよ。選挙が終わってからちゃんと行くから」との、寒い返事。
姉の自宅には例年どおり、父方のきょうだいからお線香と、父の好きだった菓子が送られて
きたとのこと。
兄は毎年、父方実家の菩提寺へ行っている・・という事をこのとき姉から初めて聞きました。
父が幼少期から親しんだお寺で、現在のご住職が父の後輩にあたる方なのだと。
(注・兄は父の郷里に近いところに住んでいます)
遠方のため、なかなか父の墓へはお参りに行けない代わりに・・という気持ちと
父方もともとの宗派で供養したいとの、思いからの行動。
そうして皆が父を偲んでいるときに、妻であった母は・・。
繰り返しになりますが(ウザくてスイマセン)、いくら夫婦仲が悪かったとはいえ・・
現在の安定があるのは、父のおかげなのに。にもかかわらず、騙されて法戦などと票取りに
走り回る母・・。愚かであるとしか、言いようがなく。
残念な思いがこみ上げましたが、今言ったところでなにも変わらない。
わけのわからない正統性をふりかざされて、こっちが不快な思いをするだけだ・・と、諦め。
2014年12月の選挙におけるエピソードはこの記事に書いています。

年末、義実家へ帰省。年が明け初詣を終えて、私の実家へ向かいました。
この記事にも書きましたが、箱根駅伝(創大初出場)において、母のお花畑創価脳思考がさく裂w
そのさまを見、私は母の精神疾患を疑ったほどでした。
どうして現実を直視できないのだろう? 冷静に、周辺状況を基に物事を捉え・考える事が
できないのだろう? それが「創価脳」というものか・・。などなど、考えさせられ。

この帰省中、前年末に逝去したおじ宅を訪問。お線香をあげさせてもらいました。
おじの奥さん(70代後半)は結婚と共に入会したクチで、役職などはありません。
長男夫妻と同居しており、長男は学生部でバリでしたが、社会に出て以降はそれほどでもなく。
長男の嫁さんはかろうじて入会はしていますが、たぶんアンチだと思います(未確認)。
母+私達家族で訪問しましたが、家にいたのはおじの奥さんだけ。
あまりにも急な死だったもので・・と、戸惑いもあるし未だに信じられず、ひょっこり帰ってくるのでは
ないのか?と思う毎日だと話していました。
母はため息をつき「まったく、真言(宗)の業が深い一家だからねぇ」
(注・創価でいう他宗破折「真言宗は男が立たない」のことです。母の実家は真言宗から改宗)
「OO君(不在だったいとこ)も、気をつけないとね」というので、ぎょっとしました。
またそれを言うか・・! しかも、リアル遺族に向かって。
さらに、まだ若い(といっても50代)の甥っ子に対してまでそんな呪いの言葉を・・orz
奥さんは困った表情をしているように見えました(当然だと思います)。 
母方で2014年のあいだに、2人の男性が急逝しました。どういうわけか、いつも急逝です。
病に倒れて闘病の甲斐なく・・というパターンはありません。 偶々だとはおもいますが。
ただ、こういった「偶々」が厄介で、いつもこのパターンだから「やっぱりこれは真言の業なんだ!」と
母の一族は思い込まされているきらいがあります。 なんだかな~・・です。
単純な、体質遺伝的なものだろうと、私は思うのですが。

帰宅後、母が亡きおじ一家が心配だ、と話し始めました。
心配の種は、嫁の親(60代)とそのきょうだい(大家族)。
虎視淡々と、家の乗っ取りを狙っている・・というのです。
葬儀の席でも、えらそうに振舞っていた。
おじが経営していたコンビニを、嫁のきょうだいが入り込んで実質運営している。
おじの奥さんはずっと専業主婦で、全く何も分かっていないから言いなりになっている・・云々。
そんなの、家族がそれで良ければいいんじゃないの?
おじの長男(一人っ子)は勤め人、そこを辞めてまで今コンビニ運営する必要もない。
定年退職まで任せてるだけかもしれないじゃん・・と私が言うと、母は「どうかねぇ?」と。
おじ所有の不動産についても、嫁の親がしゃしゃり出てきた・・と話しだしたので
「つぅかさ、どうでもよくない?おじさんちのことなんか、私達に関係ないじゃん!」と返すと母は
「そうなんだけどさ・・せっかく(おじが)築きあげたものを、学会員でもない人たちに
奪われるっていうのが、なんとも歯がゆいんだよね。
姉さん(=幹部のおばのこと)も同じ意見でね、姉さんから奥さんに言ったのよ。
”いずれとられるくらいなら、組織にご供養したら?”って」と。
ええーっ・・?!
唖然としました。
そのような考え方が、ごくごく自然に出てくるというところにも驚きを隠せませんでした。
「ちょっと飛躍しすぎじゃない?そんなこと言い出したらさ、あなただって同じじゃん。
”(祖父や先祖が)せっかく築きあげたものを、学会員に奪われる”って、逆の立場からすれば
そういうことなんだよ?」
私がこう言うと、母は驚いた表情を見せ
「同じじゃないでしょ。(創価への供養は)謗法供養じゃないんだから・・」と答えましたが、
それが的を射た答えになっていない事は自分でもわかっていたのか、あとは口をつぐんで
しまいました。
このようなやりとりもあり、2015年正月時点の私は、母の強靭な創価脳は「揺るがない」と落胆。
その思いを、年始の挨拶にも書きました。

熱心な会員であった故人の遺産を、組織へご供養したら・・と周囲が遺族に奨めるいう話は、
以前コメントくださった方のエピソードにもありました。
それでもごく一部の話なのかもしれませんが、私の身内にもこのような考え方が「当然」として
根付いていた事に、ちょっと驚きを隠せませんでした。

創価脳の独善性については、以前から書いていることですが
自分たちの「絶対正義」という旗印のもとならば、何でも許されると思っているのか?!
およそ万人には通用しない一方的な理屈を、さも当然というようにしたり顔で語る。
傲慢にもほどがあります。
「お前の物は俺の物。俺の物は、当然俺の物」
これじゃあまるで、ドラえもんにおけるジャイアンじゃん・・。
お飾り師匠が「宗教界の王者」なんて、宗教界の誰人も・組織外の誰人も認めないようなことを公言し・
自分たちを称するくらいなのだから、その弟子である会員たちがジャイアニズムに毒されていても
それは無理のないことなのかもしれません。
親分がどうしようもないジャイアンでお山の大将だから、弟子も同じメンタルだということです。 
が、このような独善主義や「勝ち誇り」姿勢が全く・決して「平和」と全く繋がっていないことに、
どうして気付けないのか。物凄く基本的なことのはずなのに。
あれほどまでに平和を懇願し・渇望する学会員のくせに、何故に気付けないのか。
私にはまったく、理解ができません。

(続きます)

2016年 御挨拶

新しい年が明けました。
全国的に暖冬、好天に恵まれた2016年の幕開けでしたね。
いかがお過ごしでしたか?

さて、私は例年、暮れから実家方面へ帰省をしますが、今回は新居にて
家族だけの年越しをしました。
結婚から十年以上になりますが、今回初めてです。
元旦の初詣もこれまた初めて、自宅付近の氏神様へ家族で赴き。
この氏神様へ、引っ越した直後から毎月一度お参りで訪れています。
新居には仏壇・ご本尊は持ち込まず、新たに神棚を祭りました。
神棚といっても、かしこまったものではなく現代風のコンパクトな物です。
(興味のある方は、福島いわきの木工職人集団moconoco(モコノコ) 神棚 で検索してみてください)
その際、お札を頂いたのが、現在地の氏神様でした。
引っ越しを決めた際、この神社について特に調べたり・意識もしませんでしたが、
訪れて御由緒を知ると、不思議なご縁を感じ。
偶然ですが、子供たちの命名に込めた意味と通ずる由縁があり、驚かされました。
引っ越してより、心静かに日々暮らせているのは、こちらへ月一度のお参りをし
周囲に感謝できる心を取り戻させてもらっているからかな?と感じています。
お参りを終え、最後に鳥居に一礼するとき、不思議と頭がすっきりしているのです。
心のお掃除、という感覚で、心を糺すためのルーティンとしています。

創価脳時代のような「おすがり信仰」や「必死さ」とは、まるで無縁の参詣。
神社への参詣を開始し、いかに創価脳時代の自分が「強欲」で「独りよがり」「独善的」だったかを
思い知らされ、己を振り返ると恥ずかしいし、反省しきりです。

年が明けてすぐ、帰省。
義実家へ挨拶のち、実家へ向かい、2泊してきました。

年初のビックリは、母が姉と共に元旦の新年GG会に参加したという話。
姉からきいたところ、母が車を出してくれと姉に頼んできて、姉は渋々OK。
送迎だけのつもりが、母が駐車券を持っており、車で待機している・・と言える状況でなくなり
(駐車場係の創価班がうろついている中で、注目されるのが嫌だったとのことw)
一緒に会館に入る羽目になったが、会合中は目をつぶってなにも見ないように・
聞かないようにした。
正座が限界になり、先に退出し車で待機した(最後まで参加しなかった)とのこと。
新年からお疲れだったね!と、労いました。

自発的に会合参加を減らしている母ですが、新年GG会はスルーできなかったようです。
理由を尋ねたところ
「初詣(へ神社や寺)に行くわけにいかないし、私の新年初出式はGG会しかない」
ということでした。
母の学会員としての長い歴史の中で、昔は日蓮正宗菩提寺への参詣があった。
新年を迎えられた喜びを、お寺で感謝申し上げる事ができた。母にとり、立派な年中行事であった。
それが宗門と学会の決別があり、お寺への参詣は出来なくなり、会館での新年GG会が
母にとっての年中行事になり変った。
創価学会に対して、思うところがあったって、心のよりどころとしての「場所」「聖地」が
大石寺や菩提寺でなくなり(ある意味、創価に其処を奪われ)、20年以上経過する今。 
消去法で、現役学会員の自分にはけっきょく会館しかない・・という思いのようでした。
(参加しないと、地域メンバーからあらぬ心配をされてしまうという懸念もあったようです)

なんというか、一人の純粋な(?)信仰者が、創価組織に懐疑的な思いを抱きつつも、
もういまさら寺には戻れない・何処へも行き場がない・・。
年始から学会員のツイートやネットでの発言を読んでいて、
ここ最近(とくに昨年の、安保法制をめぐる学会本部のグダグダっぷりから)学会に対して
欺瞞・疑問を抱いている人たちの、何処へも行けなさ(または、自己流解釈で痛々しいまでに
なんとかどうにか、組織に居場所を見つけようとしている)を感じ、
結果、純粋な信仰者が置き去りになっているんだな・・と感じました。
自己矛盾・ダブルスタンダードは、それこそ大昔から学会のお家芸ともいえるものでしたが、
此処へ来てあからさまに、わかりやすく表出してしまったことで、組織が揺らいでいる。
その中で、純粋に日蓮仏法を求め・心のよりどころとして生きている人たちの心の部分が
翻弄されているように、思います。
その事について、組織はこれまでの「なぁなぁ」を改め、金にも集票マシンにもならない会員は
ばっさり切るべきだ、と私は思います。
本性を丸出しにして、”金と集票につながらない会員はいらねーよ!イエスマンしかいらねーよ!”と、
正面切って表明してほしいw
もはや「心」を大切にするような、団体では無く。
純粋な信仰者である会員に対し、不誠実が過ぎるのではないか?と、
ここ最近の状況を見ていると、そう思えてなりません。

↑こんなことを書くと、私が学会改革派だとかカンチガイされる方もおられるのですがw
(なにをどう読めば、そうなるのか解らないのですが・・たまにいます、そーいう感想くれる人)
そのようなつもりは一切ありません。
まだかろうじて、籍はありますが、学会とは一日も早く縁切りしたいと思っております。

私が覚醒してすぐの頃(2012年秋~)、個人信仰を志した時期があったのを思い出し。
儀礼的な事柄において、個人信仰は行き場がないな・・と軽く行き詰ったことを思い出しました。
心は日蓮大聖人を求めていても、正宗に戻るには躊躇があるし、ハードル高い。
仮想的との闘いなんて、やってることはさほど学会と変わらない。
しかしもう、学会にその拠り所は求められない。そう考えた時、
私はネットで日蓮宗や、日蓮フォロワー的な小さな宗派なども調べ、自分の求める信仰に
見合ったところ(団体や寺院)は無いものか・・と、探したこともありました。
そうこうしているうちに、選民思想が崩壊し、現世利益を追う日蓮仏法そのものに疑問を感じ、
なにも団体や寺に依る必要はない。日蓮に帰依するのも違う。と、卒業できたのですが。

母が、どんな変遷をたどってゆくのかは、これから見守って行きたいと思いますし、
順を追ってブログにも記していきます。

2016年、皆さまにとりまして、健やかで素晴らしい年になりますように。
本年も、よろしくお願いいたします。