白か黒か赤かグレーかまたは他の色か

2015年8月 実家へ帰省しました。
滞在中、偶々テレビでやっていたドキュメンタリー番組を母と視聴。
太平洋戦争を振り返り~現在の安保関連法案問題へとつなげていく内容で、
番組の後半に映し出されたのが、2015年夏、国会議事堂前に数万人が押し寄せた
デモの様子です。
若者中心に「憲法まもれ」「戦争法案絶対反対」とシュプレヒコールを上げる、その様子を見やり
母が「どうしてこの人たちは、反対しているのか?」といった疑問を呟きました。
え、意外・・!と思った私は、「お母さんは法改正に反対じゃないの?」と質問。
すると「反対じゃない、賛成だよ。近隣諸国の動きを見ていて、不安に思うのが普通でしょう。
もう、終戦直後と今じゃ、まったく違うのだし・・」と。
平日のニュースを一切見なくても、報道バラエティは欠かさず録画し見ているだけあって、
日本を取り巻く状況・国際情勢について認知がある様子でした。
「けど、学会員で法改正に反対している人多いでしょう。デモに参加してる人も
結構いるみたいだし?」と私が返すと
母は「嘘でしょう?その人たちは何を考えているの。国益を護るのが優先でしょ」と言うのです。
(公明党の中の人は↑学会員が全員、この考え持ってくれたら楽なのに!と思うでしょうねw)
「戦争法案なんてデモ隊の人たちは言ってるけど、そんなことないわよ」と母の言葉は続き。
これには内心たまげました。およそ、学会員の意見とは思えないwと。
が、すぐに”ああそうだった!うちの母は池田フォロワーじゃないもんね・・”と思いなおし。
池田老人の大言壮語な「平和哲学」とやらには、母は全く影響をうけていないのです。
創価にありながらも、母のスタンスはあくまでも日蓮フォロワー故。

「それでも、大半の学会員は法改正・改憲に反対してると思うよ。
牧口・戸田先生の経緯もあるし、池田センセーの反戦・世界平和思想・指導に従わねば!と
思ってるからだよ。ほら、人間革命の有名な書きだしにもあるじゃん・・」と、
戦争ほど残酷な~悲惨な~のくだりを話してみました。
母は「そりゃ戦争は絶対にいけないわよ。でもね、国防は別よ。
それとこれを、いきなり戦争に結びつけるのがおかしいのよね・・」と、持論を展開。
ちなみに、実家地域でこの件に関して「公明党おかしい!学会おかしい!」と異を唱えるような
メンバーは誰もいない(当時)とのこと。
「現場では何って言ってるの?」と聞いてみたところ、これといって何も・・と母。
ただ、すこし前に某国会議員の報告会へ行った際、集団的自衛権の一部解釈拡大について、
”PKO法案のときと同じで、当時も大変な反対意見があったが、平和人道のための派兵だった・
派兵された自衛官は道路舗装などインフラ整備に従事した為、たいへん諸外国の方々に
喜んでいただき、日本は素晴らしい国と尊敬・感謝もされた。
今回の事も同じくで、今は不安だらけで中身がわからなくとも、あとから「良かった」と
言ってもらえる内容になる(はず)。
戦争に直結するというような誤解はしないでもらいたい”との説明があったと教えてくれました。
「だからちゃんと議員の話を聞いてない、一部の学会員が誤解(反対)してるんじゃないの?」と
母談。
「その話を聞いて、誰か議員に反論する人(公聴者)はいなかったの?」と尋ねてみたところ
「誰も反論なんてしなかったよ。皆納得して、聞いていたよ」と母。
「ふーん・・まぁでも、公明党と創価じゃ、スタンスが違うからねぇ」と私が言うと
「違うわけないじゃないの。同じよ!
だのにどうして反対する学会員がいるのか、意味がわからないわ」と返ってきたのですw
「(スタンスは)同じではないみたいよ。創価は見解をはっきりさせてない(2015年夏当時)。
池田センセーの指導・発言と矛盾してしまうから、スタンスははっきりさせてないよ。
だから怒ってる会員がいるんだよ。
”公明党が暴走している!創価学会を支持母体としてるなら、どうして師匠の教えに背く?”
って、公明党執行部に対して怒ってる人もいれば、
”公明党を指導是正するのが学会本部の仕事だろ!”って、大本営に対して怒ってる人も
いるんだよ。どっちに対しても、矛盾を感じてるってことだよね」と返すと、母は
「まさか~?」と、私の言う事を信じない風でした。
「いやいや、だってそうでしょう。公明党といえば平和の党って、学会員は信じ応援してきた。
学会員はみんな日々、平和を祈ってるんだよ?
自分たちがお題目あげてれば、ミサイルは飛んでこない・止められるって信じてるんだよ?」と、
皮肉をこめて私が言うと母は「馬鹿なことおっしゃい!」と苦笑いで。
「本当だよ!なんのために朝晩、平和を祈念してると思ってるの?学会員なめんな、だよ?w」と
さらに(馬鹿にしつつ)言ってみましたが、母は
「そんな事、誰も思ってないわよ!
だいいち、お題目でミサイルを止められるなんて、非常識よ・・」と答えました。
私「本気でそう思ってる訳じゃないにしたって、祈りや池田思想で世界平和が実現すると
考えてるのは間違いないでしょ?
その基層部があるから、現実的な手段(法改正)については断固反対するんだよ。
だって、”じゃあ実際、いま侵略行為に遭ったらどうすんの?”って反対意見の学会員に問いかけて、
突き詰めたらミラクルか性善説な回答しか出てこないと思うよ。
”勇気の対話で云々”とか”自分たちの平和への祈りでそれ(侵略)はおこらない”とか
”池田センセーが世界の要人とつながってるからそれはないとか”云々・・
平和を訴え続ければ・話し合えば平和は実現するって思ってるんだよ。
根っこの部分がお花畑なんだから、お題目でミサイル止めれるって理論と変わんないじゃん?」
と返しましたが、母はとうてい納得できない、との反応。
このやりとりが非常に面白くてたまらず・・いや、とても印象に残りました。
母が、創価脳のお花畑思想を真っ向「否定」したぞ、とw

私とて、池田平和思想には全く明るくないので(バリ活時代から、指導は読み流してましたし・・)
どうして一部の(いや大半?!)学会員が、池田先生の思いにそむく公明党フンガー!!と
猛烈に怒っているのか、異を唱えるのか、この頃しっかりと理解していませんでした。
自宅に戻って、ぐぐって知ったのですが、トインビー対談のなかで「自衛権」に関して
池田老人が言及しており、その内容が(ざっくりとした私的解釈ですが)
「国防のためだといいながら自衛権認めちゃうと、結局天井知らずで軍備増強するよね~・
軍備増強したら使いたくなるのが世の常だよね~・となると戦争だよね~・
だったらそんなの(軍備)持たないに越した事ないよね~!」という論調なのだと知りました。
母にその旨をメールしてみたところ
「池田先生だって、大きく時代が変わった事は解っているはず。
トインビー対談の頃とは、状況が違う」との返事がきました。
つまり過去の池田平和思想に縛られている学会員はナンセンスだ、という母の見解です。

疑問を何一つ持たないまま、選挙支援運動にまい進できる学会員の多くは
上記のような「先生だって時代が変わったと思ってる(きっと)」説を支持しているのでしょうか?
または、なにも考えていなくて、ただ功徳ありきで盲目に突っ走っているのでしょうか?
組織を離れて久しいためよくわからないのですが、説を支持する人が少なからず
いるとするなら、創価が教義教条を変えたところで、痛くもかゆくもなんともないわな・・。
全部、組織と自分たちの正義において都合のいいよう勝手に「曲解」「誤変換」してくれちゃう会員を
みごと「養成」することに成功した「今」なんだものな・・と、誉めはしませんが感心します。

話を元に戻します。
「だったら池田センセーが新見解を文書なりで出してやらないと、会員はいつまでたっても
安保法案反対!ってなるよね。
なんでセンセーは、こんな大事な件についてだんまりなんだと思う? 
これだけ大きな問題になって、会員が迷い・揺れてるのに。
本来なら、同時中継にでも顔出してコメントするのが弟子に対する師匠の良心だと私は思うけど。
それをしないってことは、何も言えない(書けない)健康状態なんだ、って見るのが自然じゃない?」
と問いかけの返信を。
それに対し即答はなかったのですが数日後、母から電話が入り
「デモに参加している人ってね、学会員を装った@@党員(今さら伏字にしなくても・・ですが
永遠の天敵である、かの赤い党です)らしいわよ。
三色旗を持ってデモに参加している人たちは、偽物学会員なのよ。
あんたも、そんなのにだまされちゃって。@@党の思うつぼだわね!」と私の鼻をあかしてやったぞ!
ドヤ!という感じで言ってきたのです。
ソースは?と尋ねたところ、地元幹部との事。 
「いやいや・・それはないでしょう。何の目的でそんなことを@@党がするのよ?」と私が尋ねると
「内部攪乱にきまってるじゃない!そうやって、学会を陥れて、崩壊させようとしてるのよ」と。
これは・・実におもしろいw
現役幹部が必死の「火消し」のために、かような説明をしているというのが大変興味深く。
なんでもかんでも、不穏分子は「@@党」など、敵対?勢力のせいにしてそーだな・・と。
私はネット上で見つけた、創価大関係者有志による安保関連法に反対する会のHPを
母に教えました。 
また、実名で反対署名運動を展開していた東海地方の現役学会員Aさんについても
「こーいう人もいるんだけど、この人も@@党のナリスマシなのか、その幹部に聞いてみてよ」と
頼みました。
その後、母からの連絡は途絶え。
母の事だから、幹部に質問したんだろうな。
で、幹部は母を「困ったチャン」扱いしてんだろーなーw
アンチの娘に、あれこれ無用な情報入れられて、いちいち質問してくる、うっぜーなー!くらいに
思われてんだろうな(かわいそうな母・・)と思いながら過ごしていた9月のある週末。
テレビ(報道特集)をなにげなく見ていたところ、件の署名活動学会員Aさんと、もと公明党議員で
2015年春の地方選で無所属出馬したというM議員が出演していました。
これこそ母に見てもらうべきだ!と思い、メールしたところ「今、正に見てるわよ」と返信が・・。
この話の続きは次回とさせていただきます。

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2016年3月のいま、上記のできごとを振り返って思う事ですが、
創価の中で、賛成の人もいれば・断固反対!師匠の命に背く!と激オコな人もいる。
それについて私は「みんなちがって みんないい」んじゃないのかな、と思いますし
大本営も本来ならば、そう言うべきだと思うのです。
なにもひとつの意見に集約せずとも。
同じ宗教を信じるものは、政治信条も同じくでなければいけない・・というルールはないはずで。
どこの政党・政策を支持しようが・しまいが、個人の自由です。
憲法で保障されている、日本国民の権利ですしね。
だけどそれを組織として認めてしまえば、統率がとれなくなってしまう。
組織を上げて「選挙戦を闘いましょう!公明党を大勝利に導きましょう!」と打ち出したところで
みんなちがってみんなイイ方式を取り入れてしまうと
「めんどくさいからやりたくない」
「公明党は支持しません。なぜなら師匠の教えに背いているからです!」
「公明党よりOO党の政策に惹かれるから、そっち応援したいんでやめときます」
「票頼みに行くと嫌われるんでやりません」 
こんな声を受け入れざるを得なくなります、組織がw
そのような事態を受け入れたくないのでしょう、組織、いや大本営は。
それゆえ、大本営方針(公明党支持)に反るような動きをする(した)会員を弾き飛ばしに
かかっている・・という話を耳にします。
だったらもうはっきり明言しちゃえばいいのに・・池田センセーも「時代は変わった!」って
思ってるよ!弟子のみんな、目を覚まして!って、随筆の一つも作って新聞に載せてやりなよ・・
と。 そうすることが、一番シンプルでわかりやすくていいのにw
しかしそんな事をしてしまうと、今度は平和思想を称えて顕彰や名誉称号を下すった
全世界のいろんな機関から非難ごうごうだから、出来ないのかもしれません。
迷える真面目な(貢いでもくれる)池田チルドレンよりも、グローバルステータスのほうが
重要一大事だという事でしょう。
正にあちらを立てれば、こちらが立たずw 事後相違も甚だしい、とならぬよう曖昧に狡猾に
やり過ごしているようにしか見えません。

組織内に是々非々な意見があると「認めない」姿勢が、当時の母の言動から垣間見えました。
母は「安保反対する学会員がいるなんておかしい・信じられない」と考えていた。
ここに、創価脳が創価脳である重大なポイントがあります。
また、安保法案に反対する学会員も「賛成する公明党又は大本営はおかしい」と考え、
母のような賛成派の学会員のことを「同じ学会員として信じられない」と思ったのかもしれない。
これも、実に創価脳らしい脊椎反応だと感じます。

だれが右でも左でも、白でも黒でもグレーでも赤でも、なんでもどっちゃでもいいんですが。
大本営が「みんな違ってみんないい」と言わないことについて少しでも「おかしい」と
疑問を持つ人が増えればいいのにな? 
そのような視点を、反対派も賛成派も、持てないものだろうか? と、
私の個人的な感想です。

(続きます)
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人間が変わる方法

2015年夏前、以前書いた(この記事)出来事がありました。
さすがの母も、信頼していた人物の「本性」を知りショックを受けた&高齢独居に
急激に不安を覚えた様子でした。

ご婦人が帰らない・ここに住ませてと自宅に居座ったとき、母は初めて危険を感じたと。
連絡を受け姉夫妻が実家へ急行。家族に連絡して迎えに来てもらいましょう、とご婦人を促しても
「自分は天涯孤独だ」と涙し(演技?)、その場を動こうとせず。
根気強く身辺状況を聞きだすも、矛盾点もあり、完全に怪しいと思った姉夫妻。
別室でどうしようか?と相談している隙にご婦人自ら家を出て行き、姉夫妻は念のためにと
警察へ届けようとしましたが、母がやめてくれと懇願した為、保留。
翌日、ホームセキュリティに加入したりと母の不安を払拭すべく、姉は実にこまごまと動いてくれました。
遠方に住む私は、こうした現実的な手立てをうつには役不足ゆえ、姉夫妻が近くに住んでいて
母の力になってくれ、本当に感謝しています。

もし私が覚醒していない状態で、同じ出来事があったら・・と想像すると、恐ろしいものが
あります。
私がまだアンチじゃなかった当時、母はどんなことでも私に真っ先に連絡してくるのが常。
母自身がアンチの姉を遠ざけていた部分があった為です。
私に連絡が入ったところで、遠方住みゆえお手上げ。姉に繋ぐより他なかったと思いますし、
学会員とのトラブルともなれば・・相手の「仏性」を信じる覚醒前の・創価脳の私は、
姉にSOSを求める事を、躊躇したかもしれません。
危機を察せず、母を説得し「かわいそうだから一晩泊めてあげたら?」くらい、言ったかもしれません。
(「危機」とは・・以前の記事に書きましたが、母と1週間の湯治旅行へ出かける際に
「携帯電話を置いて来い」というようなご婦人です。その意図は最後まで解りませんでしたが、
何を企てられるかわかったものではありません。したがって、泊めるなんてやめたほうが
無難です・・) 
しかし私がアンチになり&姉が再婚して以降、母は自然と姉を頼るようになりました。
また、姉が新聞購読を開始したのも、当時非常に大きくプラス作用となっており。
これに関しては一般人の感覚をもつ姉の「しなやかさ」に、敬意を表します。
もと創価脳の私はアレルギー・反発が強いため、いまさら聖教新聞なんて御免だし、
タダでも入れてもらいたくありませんw 
ばっさりあっさり割り切るには、もう少し時間がかかりそうです。

諸々落ち着いた頃、
「いっそ、老人マンションにでも入ったほうが良かった?」と、弱気に呟いたという母。
老健はいくつかありますが、母が入るにはハードル高く(要介護度ナシ)
近隣にめぼしい物件が無く、老人マンションに入居するなら地域を遠く離れるしかありません。
母はこれまでの人間関係・つながりを大事にしたい故、実家付近に居たいと強く願っており、
知らない人ばかりの遠方へ行くのは気が進まないとのこと。
姉が福祉関係の仕事をしている友人に相談したところ、デイサービスを提案され。
独居老人の多くの方が利用しており、家族がスタッフと連携することで、双方安心を得られる・
近隣のお付き合いやセキュリティ強化も大事だが、見守りの目は、数多くあったほうが尚良い。
また、いずれ老健入所することになったとして、あらかじめ集団生活に慣れていたほうが
本人も楽ですよとのアドバイスが。
実は、前年のオペ退院時、病院のソーシャルワーカーからもデイサービス通所をすすめられて
いました。
母の病は生活習慣にも多々問題が見出された為、通所をすれば自分本位の暮らしよりは、
様々規則正しくなり・栄養も管理されていいですよと。
しかし母は「曜日や時間を限定・拘束される事がイヤだ」という理由で断りました。
その内実はといえば、学会活動の足かせになる(会合や、付随する活動に出られない)のは
困るというもの。
また、通所といえば80越えの高齢者中心だろう・自分はまだ70代後半なのだから早すぎる。
学会員は一生現役、足腰立たなくなるまでは何がなんでも現場に出なければならない!との
思いも強かった様子でした。

ただ、私がバリだった頃(20年前)を思い返すと、70代で昼夜問わず会合にガンガン
出てくる人など、いなかった記憶が・・。まして末端役職者なんて皆無でした。
しかし現状、60代70代のしらゆり長もザラにいると耳にします。
会館運営も青年部では数がいなさすぎてらちがあかず、中高年の人材グループが
請け負っている、組織の現実です。
こんな実態を「少子化」という言葉のみで片付けるのは、かなり乱暴なことであり。
本来なら、隠居でもいい年代の人たちに「無理強い」しなければ、組織が成り立たないほど
弱体化している。
時代はとっくに変わっているというのに、前時代のアナログな組織運営を継続する裏には
働きアリ(=従順な高齢者会員)がいる間は、「一生青春」「一生現役」「師匠と共に!」と、
なんだかんだ煽り・死ぬまで絞り上げてやる・・ってな魂胆が、私には見えるのですが。
組織は、高齢者におとなしく家や老健施設にひっこまれては困るのでしょう。
若者がいない今、票集め他の働き手・頼りは高齢者ゆえ。
現状、大本営の中枢にいる人たちは、組織の未来など全く頭になく、本人達の生存中の
禄・利益しか考えていない。
自分たちがさんざんしゃぶりつくした後の組織の事なんか知らね。破たんしたって関係ないし
どうでもいい。
池田老人の大看板で、儲けられる間はがっぽり稼がせてもらうぜ!その程度だと思われます。 

話を元に戻します。
以前は拒んでいた母も、今回はよほど精神的に参ったのか、観念した様子で通所を承諾。
週に数回、参加する事になりました。
おさらいですが、年末の挨拶に書きました大前健一氏のことば

人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。


今になって思えばですが、母において通所は上記1番と3番に該当。
想定外に大きな効力があったと思います。
私達が狙ってそう仕向けたわけではなく、ごく自然な流れではありましたが
結果的に、この生活の変化は大きく非活路線シフトに寄与したといえます。

また、改めて感じた事ですが、学会組織はセーフティネットにはなりえない、という現実。
組織が「セーフティネット」として機能するかどうかは、
本人および家族がバリ活であるか否かにかかっている。
親子ともども、バリ活でなければ、全く意味をなしません。
昔はバリだった私でさえ、実家のご近所学会員の顔と名前は解っても連絡先までは知らない。
ましてその方々も高齢者であり、母より先に逝かれる事だってある。
となると、母より若年層の地区婦やしらゆり長が「セーフティネット」の一端となりますが
遠方に住む私は顔も名前も全くわからない・どなたか存じ上げないのです。
また、若年層の役職者はわりと早く変わってしまうため(人事や転居で)流動的で
あてにならないのが実際です。
母に何事かあっても、地域の学会員から私達家族に連絡が「迅速に」くることは、期待できない。
(「それがいやなら活動家になれ!」と言われても、断りますw)
「学会と繋がっていれば一人暮らしでも平気」母は昔、そんな風に言っていましたし、
私も以前は「その意見、一理ある」と思っていました。 
ただ、以前記事に書きましたが、現実に実家地域で孤独死された壮年部の方がおられ、
発見したのは在宅介護サービスのスタッフだったのです。
その方はむかし役職者でしたが、体調を崩されて以降は会合参加をしておらず、
近年新聞もとっていませんでした。
また、これも以前記事にしましたが、孤独死を避けたいと学会に入会した母の友人(独居)も
母が知らない間に亡くなっていました。
組織をセーフティネットとして機能させるためには、会合に出続け・新聞をとり続けるという
「アクティブ」で在ることが条件となる。
それを果たしてセーフティネットと呼べるのか?! 
アクティブでいられなくなった時こそ、気付くべき存在が必要なのに、意味ないじゃん・・と。
信仰上のつながりは、組織への忠誠心が担保となっている故、アウトサイダーには冷酷です。
それも仕方がありません、学会は慈善団体では無い。
宗教団体の名を借りた「企業」ですから、金や忠誠を差し出さないものにはシビアなのです。

今回のことにしたって、仮に母が近所の学会関係者にSOSを求めたところで、
相手(居座ったご婦人)も学会員だとわかれば、オオゴトにしてはならない・穏便に済ませよう、
不祥事でイケダ先生を悲しませてはならない!との意識発動で、なし崩し的にされ
「問題解決」にはきっと至らなかったと思います。
基本的に、個人間の諸問題に組織(幹部)は介入しない、という事になっていますし。
組織は介入しないけど、公明党議員なら介入してくれちゃう事もあったりしますがw@蛇足。
↑これがあるから、地方選は絶対一議席もおとしてはならぬ!と皆必死なんですよね・・。
庶民が中心の学会員ですから、実は国政なんかより、身近な問題を解決してくれちゃう
地方議員のほうがよっぽど頼りにできると解っているのです。
国政は勝ったらセンセーが喜ぶから通しておこう・・だいいち政治経済の事なんか
本当はたいしてキョーミないし・・自分には直接関係ない。
身近な民事問題解決してくれる地方議員のほうが大事だわって、それが現場の実際感覚かと、
これは私個人の意見です。

通所開始から暫く経った頃、母に連絡し「慣れた?」と尋ねてみました。
すぐ仲の良いメンバーが出来て、楽しく通っている。
様々メニューがあり(ジムでのエクササイズや、手芸や習字などカルチャーセンターばりです)
飽きないし、ランチも栄養バランス整っているし、ここに通うことにして良かった・・と、喜んでいました。
タイムスケジュールを聞けば、学校のように朝~夕方までなので、会合に出るのは必然的に
夜中心となり。
通所を最優先とし、朝昼の会合があったら欠席していると聞き、私は非常に驚きました。
そこまで思いきれるなんて、これまでの母なら考えられなかったよ!
1回の会合も、のがしてはならない。福運が減ってしまう!という考えの母でしたから。
こりゃ素晴らしい変化だ!と感嘆しました。

今振り返って思えばですが、母は2014年の術後より
体力・気力の衰えが急速にきた感じがあります。
年齢等考慮すれば、それはごく当たり前の現象です。
手術前は「私は信心してるから大丈夫!いつまでも元気で若いのだ!」という
思い込みのみで、悪い状態をマスクしてきた・気付かないふりをしてきたのでしょう。
現実を見ようとせず、衰えを感じてもそれを認めるのが嫌で、無視していたといえます。
それが、2014年暮れにおじが急逝・2015年初頭におばが手術闘病という流れがあり
ふと不安になったところで、高齢独居の隙につけ込むようなこのたびの事件があって
母は母なりに、自分の来し方や置かれている状況について、さまざま考えたのかもしれず。

創価脳が、長らくその「洗脳」に気付けない理由は、思考習慣そのものに原因があります。
ブログに何度も繰り返して書いてきましたが、基本はポリアンナ症候群です。
目の前におこった出来事や顛末を、自動的に教義や組織でささやかれる事に沿った内容に、
自分自身で変換していきます。
1*困難や難問題がおこる・・魔が競っている!いまこそ信心だ!と思いこむ
2*よい事が起こる・・功徳だ、ラッキー!信心のおかげ!と思いこむ
たいてい上記1と2のループとなるバイオリズムは、世間一般でいえば
「運気(好運/不運)」「浮き沈み」と呼ばれるもので、どんな人でも経験していることですが、
そんな山あり谷ありの流れを「この教えが絶対正しい!やっぱり正しかった!」と
自分で自分を追い込み・思いこむよう仕向ける思考習慣を、活動において・福子であれば
日常生活において、組織集団の中で徹底的に叩き込まれるのです。
誰もが同じ人生は辿らないわけで、人生の早い段階でその思考習慣に「待った」をかける
事案に出くわし、軌道修正(覚醒・脱会)できる人もいますが、幸か不幸か全く疑問をさしはさむ
余地もなく、死ぬまでポリアンナ症候群のまま生きる人もいる。
私の母もまちがいなく後者のタイプでしたが、この1年ほどのあいだに次々おこった事柄で
遅まきながらやっと「待った」が、少しばかりかかったのかもしれず。
その上で、組織に「心身に無理をしてまで」しがみつくのはやめよう・
信仰における難~功徳ループ前提で暮らすのはやめにしよう・
もっと現実的かつ具体的な手立てでもって、自分の生活の質を向上させる事を優先させたい・・
そういった心の動きが、あったのかもしれないな?と。
本人に直接確認したわけではないのですが、私はそのように分析しています。

(続きます)