エゴの観察

暑中お見舞い申し上げます。

また、うっかりと更新が空いてしまいました。

特段、何かがあって更新できない状態とかではなく、先月の記事にも書きました
「すべてが”いい意味で”どうでもいい状態」にあるがゆえなので、ご心配なくですv

さて、ニュー・アース記事の続きを書いていますが完成まであと2-3歩。
そちらにかかっていると、夏休み到来で、また更新が大きくずれこみそうな予感(汗)。
今回は、最近のニュースを契機にエゴの観察をし、気づいた事と
前回ちらっと紹介したDVDブックのことを書きます。

そういえば都議選が終わりましたね。今回は例年になく身辺とても穏やかでした・・w
自民大敗の原因のひとつだといわれている、
例の「このハゲー!」発言の女性議員。
不謹慎かもしれないし・該当の方には申し訳ないのですが、あの音声を聞くたびに
爆笑してしまいます・・w
いや、なかなかあんな大声で叫べる内容じゃないだけにw
あの報道を見るにつけ、彼女も完全なる機能不全状態にあったのだなーと感じるのです。
次から次へと秘書がやってきては、100人以上も
(情報番組で、そう言ってましたが盛ってる数字なのか?)メンバーチェンジがあったなんて、
尋常ではない状況を作りだしたのは、彼女のエゴではないかと見えたのです。
それは「自分が一番でなくてはならない」「自分だけがエリートで周囲は劣ってる」という
強い自己意識。
「自分が一番」「私は偉い」「どんな振る舞いも許されてしかるべき」というエゴを満たすには、
出来の良い&我慢強いスタッフは要らなかったのかもしれません。 
むしろ、ミスを立て続け繰り返してくれた方が、怒り続けていられ、自意識を満足させられるから。
非常に分かりやすい、エックハルト氏の言う「怒りや動転の中毒」症状。
「このハゲー!」その他もろもろ、罵詈雑言を叫んでいる間、彼女のエゴは満たされ
さぞかし気持ちが良かったのでしょう。 
だから次から次へ、エゴにとって必要な・都合のいい現象・人を引き寄せ、作りだした。
また”怒っている間は恐怖と向き合わなくて済む”という
トラウマ的な話もここに加味するなら、
彼女は潜在的に何かを大変強く恐れていたのかもしれず・・それはご本人にしか
解らないことですが。
とにかく今回「強制終了」がかかって、ご本人にとって良かったね(?!) と私は思いました。
失うものは大きかったかもしれませんが、
ここで気づきを得られれば、おだやかな後生を送れるのではないかと。
誰か「ニュー・アース」を、差し入れしてあげるといいですねw

で、そんな彼女のエゴの暴走報道に触れ、
私自身も過去(2013~2015年頃)を振り返って、ハッとしてゾッとさせられたのです。

過去記事に書きましたが、子供の学校関連で厄介な人物がいた時期がありました。
その頃の私は「自分は保護者としてきちんと振舞ってる」という意識が
かなり強かったのです。
今思うとおかしな話で、何を持ってして「きちんと振舞ってる」なんて思い込んでいたのか、
恥ずかしい限りですが・・。
子供の健康管理や身支度に気を配り、お行儀よくいさせる、なんてことは当然として
(子供のためを思ってというよりも、自分の評価に関わることだと感じてやっていました・汗。
 それはエゴエゴしい事であった・・と気づいた後は、子供の意思を尊重しています)、
ママ友関係で和を乱さないとか空気を読むとか、お礼は必ずするとか、
噂話や新しい有益な情報は、流す相手を時と場合で選別するとかw 
非常に小賢しい種類のことをその頃の私はやっており、
同じような人たちとつるんでいたこともあって、そうでない人間のことはなんか許せなかったり・
見下してもいました(最低だなw)。
なので、あっ!そうか!
「私はちゃんとやってる」って自己意識を満足させるためには、強化のためには、
そうではない(?)真逆の人・破天荒な人が必要だったのか!!と、最近になって合点が
いったという。
つまりは、厄介で破天荒な人がいて、その世界(対比)を見せてくれるからこそ
「私はちゃんとやってる母親だ」と(自意識が)思えるから、
配役として厄介な人を登場させたのは、私のエゴであったのか!と、今頃気がついたわけです。
(”それは、単なる偶然でしょ” ”後付けだろうw” って、思う方もいらっしゃるでしょうが
 感じ方は人それぞれなので、同意してもらえなくても一向にかまいませんw)
神社でお祓いを受けたりしたら、相手が海外転勤で居なくなったという顛末でしたが、
その人ほど強烈ではないにせよ、癖のある人はその後も登場し、今も居ます。
けど「思考を止めて今ここ」を心がけるようになって以降、癖のある人と遭遇・接触する事が
殆ど無くなったのです。 以前はしょっちゅう、外出先でも出くわしてうんざりしたのにw
自己意識の強化に、相手を使わなくて済むようになったからなのかな?と捉えています。

また、実家の母についても。
私が組織の矛盾に気づいて、アンチ創価になった後、母の創価脳をなんとかしてやる!と
躍起になっていたころ、私の意識に強くあったのは「創価脳は非常識」でした。
なんとしてでも、母を救い出さなくては・目を覚まさせてやらなきゃいけない!
そう考えて行動している「私は正しい」と思っていましたし、おせっかいだなんてこれっぽっちも
思ってませんでした。
そんな私のエゴに相応するように、母と対峙して出てくるのは、過去記事をご存じの皆さまなら
お分かりの通り、脱力するほどの残念で非常識な発言の数々w 
もう、何度がっかりさせられたか知れない。やっぱりこれだから創価脳は・・と嘆き続けた日々w
私の望みどおり(?!)に、母は私の理想wの創価脳を演じてくれたんだなーと
(演じさせたのは私ってことです) 今となっては、解るんです。
スピリチュアルな世界観では、自分の周りにいる者は鏡だとか、
自分は主人公であって・まわりはみんな脇役で背景だという内容がしょっちゅう出てきます。
主人公の「私」が「創価脳は非常識だっ!」って強く思っているから、その通りの・
いや想像のはるか上をいく言動を、母は見せてくれたのです。 
これはもう、私のエゴが作り出した「現象」だったと、私だから言ってもいいと思いますw
まぎれもなく私に起きた出来事だから。
そして創価脳うんぬんを問題化しなくなった(手放した)ら、途端に母は人が変わったように
創価から足を洗う気になったわけで
(その気にさせるような、思いもかけない出来事が、母に起こったわけで)
この相関関係は、面白いなーと思うのです。

おあつらえ向きの出来事が、起こるべくして起きている。
「この世はパラドックス」だと、津留晃一さんがおっしゃってた事はこれだなーと
腑に落ちます。
(津留さんの本についても紹介したいのですがー・・今年中になんとか)

「私がいつも正しい」「私は間違ってない」という風な自己意識(エゴ)が強ければ強いほど、
それを証明するための現象が必要になるから
敵(?)と思えるような登場人物が現れたり・出来事に遭遇する・・というか、
実はなんでもない様なものを、敵にしたり問題としているかもしれないのですよね。

もし今、気に入らない人間関係があるとか、誰かに迷惑かけられてるとか、
そういった思いが強くある人は、相手にフォーカスせず
自分がどんな「前提(思い込み)」を持っているのか見つめなおすと、答えがみつかる・・
もしくは構造に気づけるかもしれません。 
相手に対する思い&思い込みではなくて、自分についての思い込みです。
どんな思いを自分が握っているのか。
それに気が付いたら、これは役割分担だったのか!と腑に落ちるでしょうし、そこで問題は収束を
迎えるーというか、問題じゃなくなるのかもしれません。
または、自分に対する思い込みに気づくことをせずとも、
(それを掘ってるうちに「エゴのおしゃべり」に飲み込まれて、ぐるぐる悩ましくなる可能性も
アリだから)
関係性や状態に「執着」を持たず、手放してしまえば、解決する事もあります。
「執着」は、問題を生み出します。
「執着」するから「問題化」していると言ってもいいくらい。
永遠に握りしめておけるものなんて何もありません。

もう何度も、ブログの趣旨を変えてから書いていることですが
「高次から見て物事は中立」
「絶対正義」はないと気がつくと、自然と緩んでいきます。自分も、周りの空気も環境も。

「私は正しいこともあるけど、まちがうこともある」
「あの人はまちがってるけど、正しいところもある」
両方あり、って認識を、ゆるくでも持っていれば。
心の中にニュートラルなスペースがあることが、わだかまらないコツかなーと私は思っています。

そのニュートラルなスペースを作るには、「今ここ」の瞬間に完全に入ること。
自分の呼吸と、生きているというシンプルな事実・身体の状態に目を向けることです。
そこには静かで何もないように思えて、確実に「生(命)」がある。
というか、それしかない。
煩わしい人間関係も過去の出来事も最近に起こったことも問題に思うことも、なんにも関係なく
「生(命)」はそこに在る。
ただ、淡々と続いている。
ごちゃごちゃ文句を言い続けたり・悪態をついたり・些細なことでも騒ぎ立て、嘆き、
わだかまりイライラを募らせているのは(頭の中の声は)、いったい誰なのか?
思考から離れ、静寂の「生(命)」にフォーカスすれば、わだかまりの正体(マインド)に
気づけるのです。
くれぐれも、マインドに乗っ取られないことです。
そんな在り方について、大変なヒント&学びになったのが、前回も紹介しました
こちらのDVDブック。
(DVD+映像内容を書き起こした本のセットになっています)


なかでも私が感銘を受けたのは
「愚痴を言わずにプレゼンスを招く」という、エックハルト氏の講演部分(本だとp19-23あたり)。
「えーっ?!・・ああ・・そうだったのか・・だよね」と、大きな荷物を下ろした気分になりました。
”ごちゃごちゃ考えなくてよかったんだ” と。 
ほんと、いまさらだけどw
前にも書きましたが、私は「現状に疑問を持つこと=向上心(良いこと)」という刷り込み・
思い込みがかなり重症のようでして(汗)
今、とくになんの不自由も困ったこともないのに、なんかしら難癖をつけようとする
(自分のことも・家族のことも。「ニュー・アース」読む以前は他人のことも←おせっかい)
傾向があるのです・・それらは「いま」にないことばかりです。
ちなみに、このDVDブックを見た当時にうっすら疑問に思い・考えあぐねていたことは
「私にはこれといった夢がない。これでいいのだろうか?」でしたw 
(なんか平和ボケですみませんw)
これは突き詰めると、私の生まれついての生育環境・・創価脳時代からの
思考癖だろうなーと。
問題は解決せねば!人は救わねば!とかいう、訳のわからない「問題(悩み)探し」が常で
40年余り生きてきたがゆえ・三つ子の魂百までも状態といいましょうか・・。
「使命感」なる言葉が、「何かをなさないと生きてはいけない」に近い強迫観念に育ちあがっている。
もう今は「使命感」なんて頭の中にはない(つもり)だけど、なかなか強固なようです。
「考えて悩んでる自分カコイイ! 問題意識のない奴や悩まない奴は馬鹿!」も、根強いのかもw
そんなつもりも、もうないのだけど・・。
改めてその癖に気づかされ、ガッツリ向き合わされたといいましょうか。
なんだ、何も悩まなくていいんじゃん!
「いま」と格闘してどうする?!
というか「思考を止める」が、出来てませんでしたやん!
基本中の基本ですよ!・・ガックリorz と。
「エセ向上心」マインドは、なかなか手ごわいもんだな・・という、気づき。
他人の反応だとか・見聞きした出来事に関しては、いちいちあれこれ考えないというか
もう執着を持たなくなりましたが、何もないところからの「不平不満探し」に関しては
なかなか根が深い。 あくまで私の場合ですが。
こうしてすべてが”いい意味で”どうでもよくなりました。
投げやりになったのとは違いますよw ただ、一段と軽く・楽になりました。

ディーパック・チョプラ氏の講演も内容が深く・難しくてしばし考え込んだ部分もありましたが
(時間は存在しない、というお話)
脳神経科学のエピソードからも「今ここ」しかないという事を解りやすく教えてくれています。

エックハルト氏とディーパック・チョプラ氏の質疑応答コーナーも見ごたえがありました。
「幸福の定義」についての両者の回答も素晴らしかったですが、
特に私のツボに入ったのは、質問者の女性のエピソードについて
エックハルト氏が「悲しい話(ストーリー)ですね」とコメントした後
チョプラ氏の「物語(ストーリー)ですけどね」の返し。 
二人の、独特の間合いに思わず唸ってしまいました。
↑これはもう、見てもらわないと字面じゃ「何のことだよ!?」でしょうけど。
この記事(ニュー・アース第三章2)にもあった
「自分がそうだと信じ込んでいるささやかな物語」って、こういう事をいうのね・・と。
二人の間合いをみていると、非常に軽いというか・・些細なんだな本当にwと
思い知らされる感じがしました。

全体的にエゴエゴしい重たい内容はひとつもなくて、とても見易いと思います。
ある程度「思考を止めて今にある」を実践してみたけど、どこかスッキリしないーという方に
特におすすめします。

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Category: Notice&Replace