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ニュー・アース 第三章(7)

エゴは個人的なものではない

集団的なレベルの「正しいのはわれわれで、彼らは間違っている」という考え方は、
国家間、人種間、民族間、宗教間、イデオロギー間の激しい紛争が延々と燃え盛る
世界の紛争地帯にとくに深く根付いている。
対立する陣営はどちらも自分たちとは別の見方、「物語」、つまり思考と自分を
同一化している。どちらも自分たちとは別の見方、別の物語が存在するかもしれず、
それもまた妥当かもしれないことを理解できない。
(中略)
対立するどちらも自分たちの側にだけ真理があると信じている。どちらも自分たちは
犠牲者で「あいつら」が悪だと考え、相手を人間ではなく敵という概念でくくっているので、
おとなどころか子供たちにまでありとあらゆる暴力をふるうことができるし、
人間らしい心の痛みも苦しみも感じないで居られる。
この人たちは攻撃と報復、やられてはやり返すという悪循環に陥っている。
これをみると、「われわれ」対「彼ら」という集団的な場に現れる人間のエゴは「私」という
個々のエゴと仕組みは同じでも、さらに狂気じみていることがよくわかる。
人間がお互いに振るってきた暴力の多くは犯罪者や精神異常者たちの手によるのではなく、
ごくふつうの立派な市民が集団的エゴに駆られて実行したものなのだ。
それどころか、この地球では「ふつう」とは狂態だと言うことさえできるかもしれない。
この根底に在るのは何か?思考や感情への自分の完全な同一化、つまりエゴである。


貪欲、自己中心性、搾取、残虐性、暴力はいまもこの地球にはびこっている。
それが根底に在る機能不全あるいは精神の病の個々及び集団的な現れであることが
認識できないと、それを個人的なものと受け取る過ちを犯す。
個人や集団についての観念的なアイデンテティをつくりあげ「彼はこういつやつだ、
彼らはこういう人間だ」と言い出す。
あなたが他者の中に在るエゴを相手そのものと混同した時、あなた自身の中のエゴは
その誤解をもとに自分が正しくて優れていると考え、敵と想定する相手に非難や
憤慨や怒りで反応することにより自分自身を強化する。こうしてエゴは大きな満足を得る。

あなたと他者は別の存在だという意識が強くなり、相手の「他者性」がとんでもなく
拡大されて、もう相手が自分と同じ人間だとは思えず、人間として根源的な一つの生命を
共有していることも、人間に共通の神性も感じられなくなる。
特定にエゴイスティックなパターンを誰かに発見して強く反応し、それが相手そのものだと
誤解するときは、たいてい自分にも同じパターンが存在するのだが、自分ではそれを
見分ける力もないし、その気もない場合が多い。
その意味では、相手から学ぶことはたくさんある。
あなたがいちばんむかつくのは、腹立たしいのは、相手のどんなところだろう。
自己中心的なところか?強欲さか?権力欲、支配欲か?言行不一致なところか、
不誠実さか、暴力的傾向か。さて何だろう?
何にしても、あなたが一番怨みがましく感じて強く反応する資質は、あなた自身の中にもある。
だがそれはエゴの一つの形であって、個人的なものではない。
相手の人間もあなたという人間とも、関係ないのだ。

ただその資質と自分を同一化してしまうと、それを自分の中に発見した時、自己意識が
脅かされたと感じるだろう。 (p160-165抜粋)


最初に下線を入れた部分について、イスラム圏の事を指していると思われますが
身近なところでいえば、宗門VS学会の抗争も、まさにそのままでしたよね。

”どちらも自分たちとは別の見方、別の物語が存在するかもしれず、
 それもまた妥当かもしれないことを理解できない。”

”対立するどちらも自分たちの側にだけ真理があると信じている。どちらも自分たちは
犠牲者で「あいつら」が悪だと考え、相手を人間ではなく敵という概念でくくっている”


(一方的な)正義のためならば、国や宗教が違えば人を殺すことだって平気になってしまう
エゴの所業。

「人間ではなく敵と言う概念でくくっている」ーなんて、ほんとその通りだったよな!と思いだすのが、
幹部が宗門の僧侶を指し「犬畜生」などと酷い言葉を使って会合席上、指導の中で
揶揄していたことですw
そんなシーンが日本全国いたるところの会合&座談会上で繰り広げられていたんだから、
目も当てられませんよね。 
敵とするものに対して、一分の尊厳も与えないその姿勢。
そこが、「正義」を勘違いした(=正義というエゴに取付かれた)人たちの恐ろしさです。
ああ、もちろん逆もありなんで、きっと宗門側でも同じことはあったんだろうなと思います。
言いたいのは、一方的な正義を主張する者同士、どっちもどっちだってことですw

で、そういった集団的エゴ(教団)の上層部・運営側の人たちは
対立構造を下々(会員・法華講)に示しておくことが「生業」です。
そのことで下々をワーワー・キャアキャア・ガヤガヤ・ドヤドヤさせることで
組織が活性化してお金も回ると言う仕組みなので、実際のところ敵対?していたって
「勝敗をつける」「白黒をはっきりさせる」というような目的なんて、上の者は
さらさらないでしょう。
戦いは続く方が良いって寸法。
対立構造のまんまでいることが存続の道なのですから、お互いに。
もしかしたら信者の知らない裏で、互いに手を握り合っている・・なんてことがあったりして?!
まあこれは私の勝手な想像ですが。
集団的エゴに扇動されて今日も婦人部は「打倒OO宗!」「完全勝利!」を真剣に心から祈り、
活動しています。
集団的エゴ(=組織とその方針)を自分と同一化しているからこその行動です。
そう、組織では「自分の願い事を組織の戦いに乗っける」というメソッド(?)が指導徹底されて
いました。
たとえば病気を治したいとか・子供の就職や受験を勝ち取りたい・自身の就職転職も含めて、
そういった個人的な願いをかなえるための、活動(集票や入会ゲット)という考え方です。
私自身も活動家時代はそうすることが当然で正攻法なのだと信じて疑っていませんでしたw
この図式は、エックハルト流にいえば「自己との同一化」なんですね。
エゴが集団的エゴにいいように使われていた、という。
「同一化」を避けられる・自分と組織とを分けて考えられる人は、まず活動なんかやりません。 
下々はいつも健気といいましょうか、不憫な気もしますがw こればっかりは仕方ない。
自分が自分の中にある「エゴ」に気づくことができないと・
俯瞰で自分の行いを見られるようにならないと、
いつまでも何かに騙されっぱなし&利用されっぱなしなんです。
まあ、ここを読んでるヒトはもうそんなの解ってる・または興味ないですよねw

で、これは政治の世界もまるでおんなじことが言えますよね。
政党と候補者においてもだし・政党候補者と有権者の関係においてもです。
最近の政局のgdgdっぷりで、それがよりわかりやすくなった気がしています。

選挙においては
「同情を集める」という手法が日本人に最も効果的なんだと、政治記者の方が仰っていました。
昨年、小池さんが都知事になれたこともそれ(同情票)だったし、
立憲民主党に今回、風が吹いたのもそれだという説に、大変納得してしまいましたw
「排除」されちゃった弱者、という風にうまーく有権者に映ったといいますか・・
有権者に”かわいそう”って思わせるのが肝要らしいのです。
(だから平気で大のオトナが演説で泣いたり・土下座もしちゃうんでしょうね~@泡沫候補)
逆風に立つ人を見て、力になってあげなきゃ!って、思う人は多くいます・・
でも、実は全然「かわいそう」じゃないんだけど。当の本人たちw
候補者や党が置かれている”かわいそう”な立場状態と・かかげている政策には関連性が
一切ありません。
「かわいそうだから」と一票投じたところで、思ったような働きを見せる議員or政党が
一体どれだけいるでしょうね?
逆に裏切られることの方が多いんじゃないかとw

エゴの構造について知り、そういった視点から政治の世界など見ていると、
誰にも投票したくなくなります、正直な話w 
選挙戦って9割がたイメージ戦略だから、選ばれるまでは、みんな必死こいてイイ顔します。
政治家にとっては選挙が最大重要なお仕事なんだなって解りますよね。
当選しなきゃ、どーしようもないっていう。

どのような理由で投票しようと個人の自由ですが、自分ではない他人に過剰な期待を
寄せてみたり・表向きをきれいにつくろっている・基本いいことしか書いてない
プロフィールを読んで
「期待できそうだ・信じられそうだ」なんて、思いこまないのが賢明でしょうね。
それこそ「思考や感情への自分の完全な同一化、つまりエゴである」で、
人物に対しての「思い入れ」は、持ちすぎないのが吉かと・・。
思い入れとは、自我(エゴ)が入り込むことです。 過剰な思いが働くことです。
私が応援してやったのに裏切りやがって!」って、なるわけです。下手こかれたときに。
候補者があくまで党の手駒で使い捨てでもあることを、ある意味私たちは
一番よく知っていますよね?w

「党」=集団的エゴ。 
支持団体にも各々エゴがあります。そして議員は手駒であり、自身もエゴですw
集団的エゴ(の上にいる奴)にいいように使われてなるものか!と思う者が新党を結成し、
また新たな集団的エゴを構築する。 現状そう見えます。
右があるから左があり、左があるから右もある。持ちつ持たれつ。
どちらか一つだけの世界、というのはありえません。
光があるから影が出来、暗闇があってはじめて光を認識できるのと同じ事で。
まさに「君たちがいて、僕がいる」 みんな違って、みんないいw
右も左もある、日本の良さはそこなんだと、私は最近そう思うようになりました。
かといって個人的に「リベラル」というキャッチコピーごり押し議員は大嫌いなんだけどもw、
リベラルがいるから保守が成り立つともいえるのですよね。
考え方が違う相手への敵対心をむき出しにするようなことは、あまり賢明とは言えません。
自分はそんな相手のおかげで生かされ・引きたててもらえている部分もある、逆もしかり。
お互い様だよね!って思えるくらいでないと。
そしていくら嫌いでもリスペクトは払わないと、同じ人間として。
だから安倍さんの、7月都議選最終日の演説中(野次を飛ばした輩に向かって)
「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」という発言については。
エゴ丸出しの、余計なひとことだったね・・しくじりましたな、と。 
一瞬にして、相手を敵だと認定してしまった。ラベルを貼ってしまったことからの瓦解。
そこはにっこり笑って「お疲れ様でぇーす」くらい言う余裕を見せればよかったのに。

”あなたが他者の中に在るエゴを相手そのものと混同した時、あなた自身の中のエゴは
 その誤解をもとに自分が正しくて優れていると考え、敵と想定する相手に非難や
 憤慨や怒りで反応することにより自分自身を強化する。こうしてエゴは大きな満足を得る。 ”


要は、何に対しても不用意な先入観を持たない・ラベルを貼らない・レッテルを貼らない事だと
思います。
また、繰り返しですが物事や人物や団体に対して「過剰な思い入れ」も持たないことが
心を平和に保つ・わだかまらない方法の一つです。

”何にしても、あなたが一番怨みがましく感じて強く反応する資質は、あなた自身の中にもある。
 だがそれはエゴの一つの形であって、個人的なものではない。
 相手の人間もあなたという人間とも、関係ないのだ。 ”


この部分、とても重要なことが書かれています。

私流に簡単に訳すなら「エゴは他人事」 これに尽きますw

「あの人の、こーいう部分が大っきらい」は、自分の中にも確実にある要素。
だけれども、それは個人的なものではなくてエゴが見せる側面のひとつであって
「他人事」なんだよと。
「他人事」っていうとひどく無責任な・投げやりな感じがしてしまうかもしれませんが、
天気と同じことだと思えばいいと思うんです。
人間には喜怒哀楽があります。感情に伴うものです。
地球における気象が、感情と同じだと考えれば解りやすくないですか?
地上は晴れの日ばかりではない、雨の日も風の日もあります。
日本は雨でもハワイは晴れている時もあるし、逆だってある。
人間においても、悲しい日ばかり続くわけではありません、笑える日もあれば落ち込むときも
怒れる日もあります。 
それらは長続きはしないし、永続性はない、いつかは止むし、とにかくたえず変化している。
気象も感情も、どちらも「現象」です。
その「現象」を見ている者になればいいのです。

人間は多面体のように、いろんな顔をみせている。
まさに万華鏡のごとく。 いわゆる「一念三千」の世界ですw
自身だって、機嫌のいい時わるいとき、いろいろあると思います。その時々で人に与える印象も
違ってくるはずです。
同じく他人だって、ひとつの顔・側面だけで判断はできないのです。

だからどんなことであっても、深刻に悩んで悩みに飲み込まれてしまう必要もないし、
わだかまらなくていい。
どんな現象を見ていようとも・なんの渦中にあっても、
自分の中に揺るがず・いかなる時も静かにただ「生命」が流れていることを確認すればいい。
(確認方法は、瞑想や「ニュー・アース」p502呼吸を参照)
そこが「臨在=プレゼンス」です。
この次元(プレゼンス)に気づくことができれば、物事の見方はがらりと変わります。
驚くほど静寂で穏やかな次元(エックハルトのいう「在る」)が、
いつなんどきも自分の内側に在ることにちゃんと気がつけば、
いかに自分が、目の前の出来事(現象)やあれこれに翻弄されまくって生きてきたか・
エゴに振り回され疲弊してきたのかが解って、驚くかもしれません。

それをものすごく簡単に要約すると
「落ち着いていきや~」(byゆりやんレトリィバー)です。
プレゼンスにあるとは=究極に落ち着いている状態、だと私は解釈しています。

自己観察も俯瞰も、落ち着いていないと、なかなかできないものです。
強烈な感情に見舞われたまま、ひとつの思いや考えがぐるぐると渦巻き長引いているときには
「ちょっと待て」と、一呼吸置いてみる。
強烈な感情とべったり一体化している自分に、気づいてみる。
そこで御茶を飲むなりフリスク食べるなり手を洗うなり音楽聴くなり、「間」を入れてみる。
(エックハルト氏が、スペースを作るという表現をしますが、まさにそのような感じ)
強烈な感情に見舞われた「エゴなわたし」を、べりっと引きはがすのです。
エゴは言うでしょう「そんなのつまんないよ!」
「もっと嘆こうよ!騒ごうよ!泣こうよ!悲しもうよ!切ながろうよ!怒りをぶちまけようよ!
 そして他人を巻き込もうよ!」ってw
まあ、若いうちはそれもありかもしれません。 
あんま悟っちゃうと、ハプニングやドラマ(ストーリー)が生まれないからですw
もちろん穏やかな人生を歩みたいと、若いころから志向するならエゴの観察はアリですが・・。
でも、いい大人の年齢でしたらぜひ、エゴを一段上から見て「そうかそうか、それでどうした?」
と相手してやることを、覚えておいたらいいと思うのです。

私自身の変化として、自己観察を始めて以降、
さまざまな感情を長くは引きずらなくなりました。
以前はわりと恨み深い方でしたのでw 何年も前の誰かの言動を突然思い出しては
「あいつめ!失礼なやつだ!」と舌打ちするなんてしょっちゅうだったんですが、
近頃は思いだしもしないし、思い出したにしても「そんなこともあったね~」って笑えます。
結局「いまここ」しかない・
自分からも他人からも、発せられる感情は「現象」で、どれも永続性はないのだと
解ってしまったら、あまり意に介さなくなったというか受け入れられるようになったのです。
当然、日々「喜怒哀楽」あります、人間だものw
ただそれを然と受け入れる・眺めて、受け入れられなければ受け流すのです。 とっても楽ですよv

蛇足ですが、政治家の下半身問題w で思ったこと少し。

不倫や重婚のスキャンダルが暴露され「離党」はしても議員辞職まではしなかった方々。
世間では「みっともない」と捉えられていましたよね。
私も最初はそう思ってました。 何をポジションにしがみついてんだろう?と。
重婚の男性議員は、お父様が大物議員だったため地盤もあるから、簡単に「ハイ辞めます」とは
言えない事情もあるんだろうなーと思いつつも。
だがしかし、今般の衆議院選直前に、なっちゃん党の男性議員が2人も相次いで
下半身問題により、超高速で議員辞職。
世間では「処理が早い」「当然」なんて意見もありましたが、私はこのときふと
「怖いな~。これ、まんま粛清じゃん・・」と思ったのです。
まあ、なっちゃん党で不祥事なんて起こしちゃったら、辞職しかありません。
そんなのは、元学会員ですから知ってますw
支持母体という背景を見れば、離党で議員を続けるだなんて、まず地元にいられないですよね家族がw
それくらい村意識が強い・村社会だから。 
でも、これって本当~は怖くないですか?冷静に考えたら。
離党じゃ済まない。
「議員をやめる・やめない」は、本人の意志といっさい関係ないという世界です。
ああ、議員に立候補する(なりたい?なりたくなくても・・)も、本人の意思とは関係ないんだったw
民主主義じゃないんですよね。
それ以前に、自分の人生であるにもかかわらず、その選択を集団的エゴにいいように
扱われるんですよね。
ああ、そんなのもう、組織内では常識だしw ご本人も重々解っていらっしゃるとは思いますが。
(やりたくないこと=政治家を「使命」と押し付けられ、イヤイヤやっているストレスを解消すべく
 「やりたいこと」やっちゃったのか? 
 いまごろ、荷の重たい国会議員を辞められて内心ラッキーって思ってるんじゃ?!
 とか、 私はそういう底意地の悪い見方もしておりますw
 本当に自分がやりたくて・使命感を持って議員をしているのであれば、こんな軽率な行動は
 まず取らないでしょうし・・。
 ましてや学会なんて婦人部様がメインの支持組織。女関係だなんてもっともタブーと
 わかっていそうなもんですけどね?)

何が言いたいかというと、自分の意志&意思で決められない狭小な世界でなんて
生きなくてもいいんです。
(それが好きなドMな人も存在するけどね~w そんな人は一生涯をささげるがよし)
「実はやらなくても死なない・困らないことを、やりたくないけどやっていた」
組織ってそういうところです。
宗教団体だけではありません、自分で作ったわけのわからないルールに縛られて
身動きとれなくなってる場合だって、世間にはそんなサンプルがいっぱいあるから。
気づこうよ、自分で選べるよ、世界は広いんだよってことですv

下半身問題でしくじりはしても、そこで人生終わったわけじゃないんだし、
ご家族の方も含め、別の道でのびのびと・自分を取り戻して生きてくれたらいいなぁーと、
辞職した方々に対し、私はそう思いました。
重たい荷物(=罪悪感)背負わせようと必死な人たちからは、とっとと縁を切って
欲しいですねv
(注:べつに元職のお二方と地元が一緒でもなければ、知り合いでもなんでもありません
 念のため・・)
(注2:選挙前に記事を書いていたので、選挙がらみな内容になってしまいました。
 投票日前にUPするつもりだったんですが、もう少し推敲したい~なんて思っていたら
 投開票日を過ぎてしまいましたw お粗末ですいません)


(次回に続きます)

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とりあえず

広告を消すために更新しております。

「ニュー・アース」記事の続きを現在推敲中。

トップの画像だけ更新してみました。
今年訪れたHAWAIIのカイルアとラニカイの中間あたりのビーチ写真です。
とにかく美しかったー!

ところで、選挙がありますね。 
なんかもう、どこもかしこもgdgdすぎて、連日の報道を見て
笑いが止まらないw

明日のワイドショーで、公明(辞職わず)議員の下半身問題はとりあげてくれるのだろうか。

ほんっと、どいつもこいつも、暇か!w
ギインセンセイってそんなことやあんなことするお時間あるのね~と驚きます。

そして池上無双の選挙特番がいまからとっても楽しみです!

※新しい記事更新したら、この記事は消す・・かもしれません。

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