非活決意 その後(3)

2013年お正月の、母との会話続きです。

組織の無茶しまくり・会員が身銭切りまくりな新聞推進については創価脳でバリ活の母も
不満を抱いていた様子でした。
どうしてそこまで拡大(内需拡大ですが・・)しなきゃならないのか。その理由わかる?と
母に尋ねると「広宣流布のためよ」と答えました。
内部が多部数を抱え込み、処理しきれず(贈呈先もなく)玄関先に積んでおくしか仕様のない
そんな新聞推進のどこが「広宣流布」になるの? 資源の無駄・お金の無駄なだけじゃないの?
容赦なくつっこみました。 母は黙って、なにやら考えを巡らせているようでした。
「なんで会員に毎度無茶させてまで部数維持しなきゃならないのか、考えたことある?」
母に尋ねると、母は「知らないし考えたことなんか無い。素直な信心を心がけてるから」とw
恐ろしいことです。 
盲目の姿勢を持ってこそ「素直な信心」と叩き込まれている。
疑問を持つことは地獄道。そうやって縛り上げて、組織に利する事柄を履行させるのです。

この頃すでにネットで様々な情報を得ており、聖教新聞の部数維持がマスコミへ圧力をかけるためで
あること。大手新聞社の印刷所が聖教新聞の印刷を請け負っている事。
その動かぬ証拠(?)に、2011年5月に毎日新聞社から「無冠の友像」が贈呈された事を
母に話しました。 
報道監視まとめWIKI 聖教新聞 ←これを見て知った内容です。
母も聖教の代配をしていた事があり、この「無冠の友像」の記事は見覚えがあったようです。
”自社で印刷を行わず、外部委託する事=お金の流れができる=お得意様の悪口醜聞なんて
絶対に報道出来ない=圧力”
この図式まで話してやっと母は理解しました。
しかし「マスコミが創価のあることないことを悪く言うことで、会員が傷つく。それをさせないために
やっていることなのでは」と、あくまでもこの悪しき体質を肯定的に捉えようとするのですorz
ない事を書かれれば、訴訟を起こす事が出来る。
ある事を書かれたら訴訟沙汰には出来ない。
ない事だらけで悪口を書かれるなら、圧力なんてかけなくていいわけ。
わざわざ会員に多部数購読を強いてまで、部数維持をし、他の新聞社の輪転機を回さなくたっていい。
訴訟費用の方が安くつくわさ(勝てば慰謝料・賠償も入るのだし)。
「すごく馬鹿馬鹿しい事をやってるんだよ?」私がそう説明すると、母はどこか一点を見つめて押し黙って
しまいました。
そして「あんたはその情報、どこで仕入れた?どうせネットでしょ」とw 
幹部のおばにも確認してみるというので、それじゃ解決にならないと思うけど・・と思いながらも
「別にいいけど、そういう理由だからうちで5部もとる必要なんてないんだよ。
 創価や公明党が、正々堂々と間違いなく活動していれば、そんなマスコミ口封じなんて
 しなくていいんだからね

と私が言うと、母はこの発言には「同意だ」と答えてくれました。
そして後日、部数を減らしたのです。
前々から、贈呈用はどのみち資源ごみになってしまう上、回収日にゴミ出しの場所まで
持って行くのも高齢の母には重くて大変で、どうにかならないかと思っていたとの事。
玄関の上がりかまちに積み上げられた新聞は、母のやるせなさを物語っていたと思います。

この後、私は創価の活動について冷静にならないといけないと考えている、御書根本と言いつつ
そうではなくなっている。御書に書いてない事はしないつもりだと話しました。
母は、学会活動以外に現代における仏道修行はないじゃないの!と反論。
脱力でした。 でもこれこそがマインドコントロールだよね・・と納得。かつての私だって
母と考えを同じくしていた。
ここでなぜ宗門問題がでたときに、我が家はお寺側(法華講)に行かなかったのか?と母に尋ねると
宗門批判が始まりました。
その中で、宗門が戦時中に神札を受けたという話が出ました。
(注:後日調べたら、宗門が神札を受けたという話は、戦時中に軍部に本山内の建物を
抑えられ、そこを軍事目的で使用するにあたって神札を貼られてしまったという顛末だった
ようです。「受けた」というよりは有無を言わさず貼られた、というニュアンスでしょうか。
私のイメージでは、検察が押収品に貼り付けるステッカーと同じ感覚かと・・)

母は「宗門は大聖人様に背いた。その点、創価は違う。牧口先生は獄中死された。法を護るために
 命をかけて闘われたんだ」と、弾圧に屈した宗門は邪宗なのだと言わんばかり。

私は、数百年の長きにわたって御山を護っていくための「嘘も方便」的な智恵だったのではないか?と
宗門を庇うわけではないけど、自分の意見を述べました。
そこで頑なに突っぱねるなどしたら、結果的に所領を追われ命もとられ、後世に「法」を遺す事も
不可能だったかもしれない。
長い目で見ての、法と戒壇様と本山を護るための判断だったんじゃないのか?と。
すると母は言い放ったのです
「そこで弾圧されて終わるなら、終わればよかったんだ。
つっぱねても、弾圧されても生き残れたら、法は本物だったって事になるのよ。
ずる賢く逃げておいて自分たちが正しいなんて、大聖人様はそんなことを望まない。
だから創価学会が正しいんだ」と。

命をかけて戦う事をせず、神札を拒否しなかった宗門は偽。
牧口先生は死んだけど、学会は生き残ったから本物と言いたかったよう。

「でもさ、本当に法が本物で正しいんなら、牧口先生は生きて娑婆に出られたんじゃないの?
死んじゃったなんて、意味無いじゃん」私は思わず、言い返しました。
すると母は薄笑いで
「違うわよ。殉教を持ってして、法の正しさを後世に証明されたの。
 宗門の僧侶に、法の為に死ねる人なんか一人も居ないのよ」と。
あくまでも、組織ageで宗門sage
どこで習ったんだろう、こういう考え方。母オリジナルのものなのか?よくわかりません。

母の見解は
「大聖人様の遺志を継いで広宣流布の活動を展開しているのは創価学会しかない。
 僧侶は折伏もしない。葬式仏教になり下がっているから大聖人様の弟子の資格は無い」
というもの。

その、大聖人様の遺志というものが、学会発表のもの・あくまでも学会の金儲けに都合のいい解釈に
基づいたものだという事も、母には考え及ばないことのようで。
「学会が発表することが全て正しい」と、思いこんでいるのです。
疑問をさしはさむ余地はない。
将軍様が全て正しいw
北朝鮮に住んでる国民って、こんな感じなのかなぁと、母を眺めてそう思いました。

余談ですが、この数週間後にワイドショーをみていたら、金正恩の誕生日に当たって
さまざまな写真や映像が公開されることを「国民に対するプロパガンダ」と呼んでおり。
正恩のところに老婆が走って来て握手をし、泣いている老婆を笑顔で激励する正恩の映像が一瞬流れ。
あれー?こんな映像どっかで見たことあるわぁ。と、思いだしたらそれは、池田老人&嫁の
イメージビデオwでした。
池田老人と嫁が仏間で勤行をしたり、研修道場内を散策したり、池田老人がカメラで写真を撮ったり
なにかの会場に現れたところ、押し寄せる人々(会員?)から握手攻めにあうところなどを
集めたビデオを見せられた女子部時代の記憶。
私は当時部長をしていましたが、幹部がそのビデオを部の日に上映すると言って持参したとき
”なんの意味があるんだろ?”と、醒めて見ていた事を思い出しました。
じーさんとばーさんのお散歩ビデオなんか見て何になる?
偉大なる先生&奥さま!的な。 
あれも、いま思えばプロパガンダのひとつだったんでしょうね(呆)。
つくづくどこまでも、北路線だったよなと、ぞわっとします・・。

私が批判的になっている事に対して母は「組織につかないからそんなことになる」と言いました。
むかついたが、その場は黙って受け流し。
母は落ち着かなさそうに
「そんな風に、創価学会に対して批判的になったら、悪い事が起こるよ!」とも言ったのです。
こういった、根拠のない縁起に縛られ、批判的意見をいうことを禁じ、盲信を強いられている。
お粗末だなと、自分の親のことながら、残念な気持ちになりました。

母に対して、組織と決別して欲しいと願わない訳ではないが、現段階で私がそのために働きかける事は
しないでおこうとこのとき思いました。
組織と信仰はベツモノだという、私の考え方は、母には受け入れられないもの。
母の中では完全に組織=信仰で、一心同体状態なのだ。解りあえるはずもない。

この問題は、自分で気づかない限り、無理なんだろうなと思うに至りました。
どんなに他人に気付いてと様々な例を言われても、心に刺さるものは人それぞれ違ってて
私に刺さった事も、母には、ささらない。
落とし所が、人それぞれ違うんだろうなって。

100人いたら、100人の信仰がある。
私は、日蓮大聖人の教えが正しい。御本尊様はお願い事を叶える力を与えてくれる。
勇気をくれると、そう思ってきた。
自分の信仰の中心に、消息のしれない老人を据えた事は一度もない。
だけど、中には、日蓮大聖人より「師匠」が大事な人だっている。
「師弟」という世界観に酔いしれて組織命な人だっているもんな。
私は、活動家当時からそんな人たちを信じられない・・・と思ってみてたけど。

母は、何を差し置いても、学会が正しいんだ。いまのところ。
池田老人ではなく、「学会組織」が。
残酷なようだが、母の存命中に、組織の暗部が白日のもとに晒され
自分が「被害者」だったということに気がつけばいいと、このときの私はそう思ったのです。

(4)に続きます。
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