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非活決意 その後(7)

婦人部の新任者が家庭訪問に来た日の夜。
なんとなく胸騒ぎがし、私は実家の母へ電話を入れました。
以前、役職を断った際に実家に電話を入れられた事を思い出したんです。

組織の人間から母の耳に入るより、私から直に話す方が良いにきまってる。
善は急げだ!と、子供達を早々に寝かしつけて電話をしました。
私はまず「支部の人から電話なかった?」と尋ねました。
母「ないよ。何なの?あなた、また信心をおろそかにするような事したの?」と。
”信心をおろそかにするような事”ってw
苦笑しつつも「ううん。そうじゃないけど。今日新任者が家庭訪問にきたのよ。
はっきり私の考えを伝えた。また、そっちに電話するんじゃないかと思って。
電話が来ても”娘に任せてあります”って言えばいいんだからね。
お母さんが謝るような事じゃないし、電話されたって困りますってハッキリ言ってやってよ。
そもそもこんな事を親に電話する創価がまちがってんだからね」
と私は言いました。

「創価の活動は一切しない、御書に書いてない事ばかりだからしなくてもいい」
この旨は正月に母にも伝えてありました。同じことを組織の人にも伝えたまで。

母は「電話がかかってきたって、別に謝罪したりはしないわよ。逆に言ってやるわ
”うちの娘は信心強情だったのに、そちらに行ってからおかしくなった。どうしてですかね?”
ってね」と言いました。
私が非活に転じたのは完全に地域組織に問題がある、と母は考えていたようなのです。
創価脳にありがちな「非活に転じる人=組織の人間関係に躓いたor怨嫉」という考え方。
まぁ、一理あることはあるかもしれません。
(全ての地域の婦人部を知っている訳じゃないので、私の居る地域に限ってなのかもしれませんが)
婦人部の皆さんの残念っぷりが原因で私は活動を離れ・覚醒したわけだからw
でも組織云々だけが原因ではありません。それは「きっかけ」でしかない。
問題はその上、大本営にある。
母はまだそこのところに気が付いていません。 だから活動家でいられるんでしょう。

また、母の「逆に(組織に)言ってやる」という言葉には
「信心の有無なんて親の責任じゃないのに、いちいち電話してくるなゴルァ」という気持ちも
確実に含まれていただろうと感じます。

私は、このブログを始めるまで、このような「学会2・3世のいい歳した学会員が非活に転じたり、
組織に対して反抗的な態度を取った場合、親に電話(告げ口)する」というフローは
うちの地域だけの話だと思っていました。
が・同じ経験をされている皆さんからのコメントを、公開・非公開で頂いて驚きました。
どこでもやってるのね!と。
こういう事柄は、もっと世間に周知されるべきだと思います。
それがいかに非常識な行動であるかを、組織内部の人はわかってない。それはそういった行動が
批判にさらされないから(やられたほうは泣き寝入りだから)じゃないでしょうか?
なんだったら「いいこと」だと思ってやってますからタチが悪いというものです。
私はこのあとにも数度、実家に組織の活動がらみの件(協力的でなかったこと)について
電話を入れられました。
もう許せないと思ったのではっきりと「今後、このような事(実家に電話)があった場合は
しかるべき所へ相談・通報しますよ?」と通告しました。
このときは、(私を飛び越えて実家に電話を入れた)選挙の投票確認でした。
「しかるべき所」が具体的にどこかは、あえて言わなくていいと思います。
思い当たる節が多い方が、創価脳は構えておとなしくなるでしょうから。
以降、実家への連絡は止みました。 このくらい言わないと、創価脳は気付かないのです。
単純に「迷惑だからやめてください」くらいでは効き目が無い。
信仰は個人の自由意思。それは日本国憲法にかかれていること。
この国に住む人間のルールです。 
たとえ親子間であったって、立派に成人した人物の「拒絶意志」を組織がわざわざ親に知らせる
必要なんかないわけで。
それが親子間を悪化させる因になると、普通なら想像力が働くはずですが
創価脳は自身と組織の「正義感」だけで動くからそんなところまで頭がまわらない。
本当に鶏頭で迷惑千万な存在です。
確信犯でやってるとしたら尚更タチが悪い。
こういった事柄に対して、もっとプライバシーが護られてしかるべきなんです。
それを侵されているのだということを、イヤな思いをしている人は自覚して下さい。
確実に悪いのは非常識行動を「正義」の名の下に正当化する組織です。
創価の活動が出来ないあなたは何も悪くない。 自分を責める必要はありません。
相手がいかに非常識な行動を取っているかを、突きつけてやってください。

話を元に戻します。

母は「信心は一生のことだから。波があって当然。あなたも今は組織の活動に批判的だけど
いつか必ず”やっぱり組織が大事・組織があってよかった”と、思う時が来るわ。
だからお母さんは(組織の人に非活宣言したことに対して)あえて何も言うことはない。」と
わかったように言うのです。 まさに親が子をみおろすような感じです。
私はカッとなって「違うよ!」と言い返しました。
そんな一過性の・組織の奴(人間)が嫌いだから非活宣言したわけじゃーないんだよ。
創価の活動が「宗教をかさにきた巨大ビジネスで、搾取されているだけ」だからなんだよ!と
訴えました。
母は「あんたは困った子ねー」と呆れ「もうネットを見るのはやめなさいよ」とw
それも違う!と私は怒りました。
「お母さんはおかしいと思わない訳?矛盾しまくりじゃん」と、選挙の件・新聞推進の件や
多額の財務を会員から集めて世界中の顕彰を買いあさっている事・無駄に会館を建てまくって
いること・その会館に一度も行く事は無くともすべての施設に池田老人ルームを備えている事など
まくしたてました。おかしいだろうよ!と。
母は「それであなたに迷惑がかかったの?」と言い放ったのです。
会館に先生のお部屋があったらあなたは迷惑なのかとw
私は「迷惑というか不愉快だよね。そんなもの作る必要ないし。カネが余って仕方なくやってるなら
返せば?もしくはもう集金すんなって思うけど」と返し。
母は「あなたはいろいろと知りすぎたんじゃないの?それで信心がおかしくなるなんて本末転倒。
自分の信心がおかしくなりそうな物からは、離れることが一番なのよ」と。
母は自らすすんで「思考停止」を選んでいるんだ、と気が付きました。
母が青年部時代に会った池田老人への不信感についても、それについて深く考える事をせず
「蓋」をしてきた。そして、周囲に流されること無く池田老人賛美には加わらなかった。
だけど批判をするような事もない。池田老人を静かにスルーしてきた。
そこまでして、都合の悪いことには全部目を瞑って耳を塞いで、守り通したい「信仰」って何?
だったらますます、組織なんて必要ないじゃん。 創価に居なくてもいいじゃん!
私の頭の中は、そんな疑念と怒りが渦巻いていました。しかし、これを思い付くがまま言葉に出して
しまうのはよろしくない。
一旦、自分の中で整理する必要があると冷静に考え、吐きだしたい言葉をぐっと抑え。
母に「私は、日蓮大聖人の仰せのとおりにやって行きたいだけ。納得できない事はしたくない。
そこはお母さんも理解できるよね?
だからもう、学会活動はしないし・選挙支援もしない。
信心を捨てるわけじゃない。それとこれとは完全に”別”だってこと、お母さんも認識しておいてよ。
そしてあとから”しまった!”ってならないように、お母さんも納得できない活動はやらないことだよ」
と言いました。
母は「大丈夫よ。私はね、御本尊様と自身のあいだに何も入れた事は無いから、ぶれないの。
納得できない活動なんてやってない。全部納得できるからやってるの」と言い返し。
母のいってる事は寝言同然、と思いつつも、冷静に話ができるだけありがたいと思いました。

母が私に「忠告」として2つの事を言いました。

ひとつめは
「絶対に法華講に入ってはならない」
法華講に行った友人がどんなに不幸になったか具体例を上げていました。
しかしその死因は、うちの父と同じものでした。
”何バカなこと言ってんだよ・・”と内心思いつつも、反論はしませんでした。

そしてふたつめ

「勉強しすぎてはダメ」

御書を自分で読んだり、歴史の本を読んで知識を得ている事は感心するけど、
それが不信につながっているんだったら意味が無い。 
ただひたすらに御本尊様を信じて、学会を信じて行けるように生きればいいの。
それがまちがいのない生き方なんだから! とw

「勉強しすぎてはダメ」ってなんなの?!・・orz
これこそ、思考停止の証明だと思います。 自らをすすんで盲目に追い込んでいる。
信心歴が50年以上にもなると、こんな調子なんだろうか。 
私は呆れを通り越し、ぐったりと疲れを感じて電話を切りました。

(8)に続きます。
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