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非活決意 その後(8)

2013年2月はじめ。
姉が婚約者を連れて、旅行がてら私の住む街に来てくれました。
実家母との対面を前に、信仰の話がでた場合どのように対応すればよいか打ち合わせ。
姉の婚約者はたいへん柔和な雰囲気を持った方で、私は一目で安心しました。

姉の中にある母のイメージは「なによりも創価命」。

子供時代から信仰を押しつけようとし、なんでも御本尊様や学会と結び付ける母と、
しっかりと自分の意志を持っていた姉は衝突を繰り返していました。
前々の記事にも書いたとおり、我が家は父・兄と姉がアンチ創価。入会はしているものの
全く自覚なし。 
兄、姉に至っては少年部時代から今に至るまで、創価の活動に参加したことが一回もない
状態でした。

最初の結婚の際、相手の男性が初対面の母に向かって創価を罵倒するという暴挙に出、
怒った母が相手を実家出入り禁止にしました。
父も結婚に反対したため、姉は反対を押し切る形で入籍。挙式披露宴はしませんでした。
結局、数年後に破局をむかえましたが、母と私がこの元夫に会ったのはあいさつの1回のみ。
姉が結婚したという事実が、家庭内でスルーされているという異様な状況でした。
父は時折、姉に会いに行っておりその際に元夫に会う事もあったようですが、母や私に
話す事はなかったのです。

姉が離婚したのは、私が長子を妊娠中の頃です。
当時は離婚理由を尋ねるような状況でもなく、父が亡くなった後に理由・経緯を聞きました。
元夫が、子供を欲しがって不妊治療を希望した事が理由でした。
姉は子供をもうけることに積極的ではなく、自然に任せるという考えでした。
責任ある仕事を持ち、部下もいる立場の姉。タイミング的な事も考えると億劫だったとのこと。
また、子供が欲しいと思った事がなかった。母親になるなんて想像が出来なかった、とも。
これについては、姉も私も「機能不全家庭」で育ったが故なのだと思います。
私も結婚願望が非常に低い方でした。 両親の不仲を見て育ってしまった為、理想の家庭像が無く、
幸せな結婚というものが、全くイメージできなかったのです。
姉も同じくで、特に母親との関係が悪かったことが背景にあると思います。
姉は、パートナーと2人、仲良く楽しく恋愛の延長線上で暮らせればそれで良しという考え。
しかし元夫は子供をとても欲しがった。
夫が子供を欲しがった理由は様々だと思いますが、姉にはどうしてもひっかかっていた元夫の言葉が
あったといいます。
それが「お母さん(実家母)も、孫が出来れば絶対変わるよ」という言葉だったそうです。
創価の信仰を罵倒したことが原因で出禁となった元夫ですが、孫さえできれば創価の信仰なくとも
和解ができると簡単に考えていたのです。
しかし姉は「そんなに甘いものではないよ」と元夫に伝えていました。
理由は、兄のパターンをみていたからです。
兄夫婦も結婚のさいに創価の信仰を巡って母と険悪な仲になりました。
孫ができましたが、内孫の初孫にもかかわらず、生まれたとき母は会いに行きませんでした。
何年か経過して兄一家が帰省したおりに初めて会ったような状態。
「孫の顔見たさ」なんてうちの母にはありません。 
それは外孫(私の子供達)に対しても同じくなのです。
会えば可愛がってくれますが、頻繁に顔を見たいとかいう感覚はまるでありません。
(これは私の母に限っての話です。すべての創価脳が同じではありません、あしからず)
元夫が「子供が欲しい」と願う理由は、それだけだったとは思いませんが
姉は言われるたび、元夫が実家との和解のために子供を利用しようとしているんじゃ?との
疑念がわきあがり、それが原因で喧嘩が増えていったそうです。
年齢的な事もあり元夫も焦っていたのかもしれません。
この離婚原因を聞いた時、元夫も創価の被害者だ、と感じました。
ただ純粋に、ふたりの子供を望んだだけだったのにそうとは受け止めてもらえなかった。
誰もが「結婚したら子供が欲しい」とは限らない。 けれど普通の家庭に育った人からしてみれば
「子供が欲しいと思わない」という価値観は、受け入れがたいものかもしれません。
元夫もきっと、姉の考えを理解できなかったのでしょう。
そして姉もまた被害者なのだと思います。
生まれながらに創価に入会させられたが、素直に受け入れられなかった。そのことで強信者な
母親との衝突が絶えなかった。
私たちの母が創価の強信者でなければ、私たちはもっと違った人生をいきていたかもしれない。
現状に不満があるというわけではありませんが、家族の良い思いでがまるでない私も姉も、
そこに創価がなければ、私たち家族は・親子兄弟間は・もっと違ったんじゃないのか?と
思わずに居られません。

このような経緯から、姉は再婚に関して母が何を言いだすかを警戒していました。
しかし前の結婚当時から比べれば、母も随分まるくなったというか軟化しています。
姉はかなり危惧していたけれど、私はお相手に
「創価に対し批判的言動をとらなければ大丈夫ですよ」と伝えました。
相手の男性は海外生活が長く、創価のことを名前くらいしか知らない状態。
母が再婚を機に、相手に入会をせまるようなことを姉は想像していたのですが
「もうそれはないと思います」と私は伝えました。
姉は「そんな調子のいい事言って安心させないでよ?」と若干疑わしい様子でした。
万が一、本流や入会を望まれたとしても「信仰は出来ませんが、お母さんのことは応援します」
と言えばいいと伝えました。
そして私に会った事は絶対に言わないようにして欲しいと姉と婚約者に念を押し。
母のことだから、私が先に会ったと言えばプライドが傷つくかもしれないと思ったからです。

後日、姉は母に再婚を報告し、お相手との顔合わせをしました。
姉から「うまくいったから。ありがとうね」とメールが届きました。
あとから姉に詳しく聞いたところ、母から折伏めいた言葉は出なかったとの事。
ただ、実家の信仰が創価であること・自分が創価の活動をライフワークにしていることを
理解してほしいとお相手に話したそうです。
姉も「あんたの言った通り、おかあさん丸くなったね」と驚いていました。

夜に母から電話があり「驚く話があるよ~」と嬉しそうに姉の再婚相手に会ったと報告して
くれました。
知らなかった事にしないといけないので「うそーっ?!」と大げさに驚いてみました。
母は、相手の男性をとても好人物で安心した、と話しており。
「あの子がこのまま人生を終えることがありませんようにって、御本尊様にご祈念してきた。
 すばらしいお相手と巡り合えたし、本当に良かった。また願いを叶えてもらえた」と言いました。
私はその言葉を聞いて、複雑な思いがしました。
母の祈りは、すばらしいこと。 姉とは信仰のことで喧々諤々の関係ではあったけれど
やっぱり母は「母」だった。静かに娘の幸せを願っていたのです。
「良かったね」と言いながらも、心の中では「けどそれ、創価のお陰では絶対にないからね!」
と叫んでいました。 口には出しませんでしたが。
きっと母は、このいいお話を会合で話すのだろう。 本当に、母の祈りが通じたのかもしれない。
だけど、それが創価の会合席上で語られる事によって「創価のお手柄」みたいになってしまう事が
歯がゆい。
「創価のお陰」に、なぜか誤変換され、この話を席上で聞いた学会員も
「やっぱり功徳のある信心なんだ。願いが叶うんだ!」と、学会活動のモチベーションにしてしまう
場合もある。
それは、絶対に違う。
表現として的確ではないかもしれないけど「他人のまわしで相撲を取る」というコトバが浮かび。
結局創価の活動とは何の関係もないところでおこった幸運が、創価学会員だからそのような良い目に
あうことができたーみたいになっていくことに「一寸待て!それ違うだろ」となるというか・・。
全然違うんだけど、と言いたいところを抑えていました。

姉の再婚を喜んだのもつかの間、突然話題が変わり
「財務の納金は済んだの?」と母に突っ込まれました。
ドキッとしました。 振込用紙は先月捨てましたが、それをこのタイミングでさすがに言う事は
できなくて。
「まだだけど」と誤魔化すと、母が「ちゃんとしなさいよ」と言い
「うちの地域でもまだの人が多いのよね。
 で、みんな”なんで締め切りをO日以降にしてくれなかったんだろう”って文句を言っているの。
 どうして?って聞いたらね、年金支給日前の締め切りだから(納金が)しんどいって言うのよ。
 私、あきれたわ。財務のお金なんて、そのためにちゃあんと準備しておくものじゃない?
 何を今さらって思ったわ」と、同志批判をしていました。
しかしこれは、少ない年金をやりくりしている高齢者学会員のリアルな声だとも感じたのです。
年金は偶数月の支給。
12月の年金は、お正月のことにも使うでしょうし何かと物入りだったとおもいます。
だからこそ2月の支給日後を締め切り日にしてほしかった、という事じゃないでしょうか。
(うちの母も年金をもらっていますが、他に不労所得があります。 だから上から目線なのです。)
「そんなのさ、人それぞれに事情があるんだよ。ていうか、年金生活者に財務させるのが
 そもそも間違いじゃない? 可哀相だよ。お金の余ってる人がやりゃーいいんじゃん!」と
私は言葉を返し。
母は反論していましたが、具体的に何と言っていたのかは忘れました。
「とにかくさっさと納金して、地域の人に連絡を済ませなさいよ」と言われたので「ふん」と
返事しました。

このやりとりの2ヶ月後、いつも行っている隣市の大きなスーパーで買い物をし
レジ待ちに並んでいた時のこと。
夕方でしたが、私の前で会計をしていたおばあさん(私の母親と同世代)の
籠の中、全ての品物が「見切り品」でした。
すさまじいなぁ~・・と思いながら見ていたのですが、そのおばあさんがレジ係の人に向かって
「ここに(品物)入れて」と、持っていたトートバッグを広げました。
そのトートバッグの中には、よれよれの大白蓮華が入っていました。
見てはいけないものをみてしまったような、悲しい気分になりました。

そうして食費を切り詰めて、ご供養(財務)をする事こそが「幸福への直道」と信じて疑わない
タイプなのか・たんに倹約家なのか・現に置かれている状況下でそうするよりほかないのかは
解りません。
ただ、よれよれの大白蓮華が全てを物語っているように思えてなりませんでした。

幸福価値観は人それぞれ、とはいうけど、
「心こそ大切なれ」をていよく組織を肥やす為に利用するな、と私は思うのです。
使い方間違ってるし、まずが。 部分引用マジックです。

先日、NHKの番組で「高齢者の栄養失調」を取り上げていました。
肉を食べない高齢者が多いことで栄養が偏る(肉が嫌い)という内容でしたが
私は好き嫌いの問題以前に、お肉が買えない(手が出ない)のではないか?と思いながら
見ていました。
そのとき、上記のおばあさんのことをふと思い出してしまったのです。
まさに財務の季節ですが、年金生活をされている方の財務がどれだけ身を切る思いのものなのか。
食べるべきものも食べずして、財務をされている方がいらっしゃるかもしれないと思うと
私はいたたまれない気持ちになります。
高齢者からカネをまきあげるようなことも、もうやめてくれと私は思ってしまう。
それを「功徳」だの「三世永遠の幸福」だの、不確実なものごとに絡めてまきあげるようなこと、
やめてくれよと。
そんなことで生きて一日を長らえられるわけではない。
その一口1万円で、いいお肉が買える。しっかりと食べて命を長らえてほしい。
ほんとうに「健康長寿」が成しうるのは、おかしな団体への寄付では無い。
自分の血肉になるように現実的な行動をとることのほうが、よほど為になるのです。

清貧な高齢者たちからも巻き上げたカネでぶくぶく肥えている上層部。
次期会長候補と目される人物も見事な太鼓腹ですが、私の地元で新人として当選した
とある議員も、すっかり太っていておどろきました。
組織からの突き上げで痩せる思いしているのかとおもいきや、そうでもないんだなぁ・・と。

こんな奴らを肥やすために、会員が汗水たらして手弁当で選挙応援をしたり
年金生活を切りつめても組織のためにとお金を差し出すなんて、ひどく馬鹿げた話です。
いい加減にしろよと私は思うし、怒りを感じます。
一日も早く多くの人が覚醒する事を願ってやみません。

(9)に続きます。

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