非活決意 その後(9)

2月はいろんなことがありました。

3連休に義両親が遊びに来、小学校入学を控える長子のために学習机や学用品などを
一緒に選びに行きました。
ランドセルや制服は学校指定だった為、それなら他の物をプレゼントしたいと申し出て
くれたのです。
とてもありがたく思った反面、実家の母とこの時期に電話やメールで連絡を取り合うことが
多かったにもかかわらず、母の方から「入学祝は何が良い?」と一切聞かれない事に
若干イラっとしていました。
もともと、母はそういったことに無頓着です。父の方がよく気がつき、あれやこれやと
手を打ってくれました。
私から「お祝いは?」と、催促しないと気がつかないのだろうか。
母が清貧生活をおくる独居老人なら、祝いを催促するような事は考えません。
創価に対しては惜しみなくお金を使う余裕があるのに、どうして身内の・孫の入学祝に
気がつかないのか?
私が腹立たしく思っていたのはその点です。
また、何かと良くしてくれる義実家に顔が立たないことについても不満がありました。

毎年2月に幼稚園で学芸会が行われます。
両家祖父母が見学のため遠方から来る事も珍しくなく、席数に余裕を持たせるため
大きなホールで開催。
このときが長子の幼稚園最後の学芸会でした。
年少の頃から毎年、義両親と実家に連絡をしてきました。学芸会だけではなく運動会も。
そのすべてに、3年間、義両親は遠方からやって来てくれました。
しかし私の母は一回も見学に来る事は無く。
理由は「学会活動」です。 
だいたい会合と重なることが多く、学芸会は「伝統の2月」のため折伏戦や婦人部総会で
多忙だと断るのが常。
どうせ今年も来ないんだろうなと思いながらも、最後だから見て欲しいという思いもあり。
とりあえず連絡だけしておくか・・と電話することにしました。
しかし長子は「連絡なんてしなくてもいいよ、どうせおばーちゃん来ないよ」というのですorz
そんな事を孫に言わせてしまうってどうなのだろう・・。複雑な気持ちでした。
何故来ないのか? その理由を聞く事はまだありませんが
もし、この子が大きくなった時、その理由を
「祖母が創価学会の活動にハマっていて孫の発表会より学会活動を優先していたから」なんて知ったら、
どう思うのだろう・・と、暗澹とした気分に。
子供には、創価の「そ」の字も教えたくないし、知られたくないとこのとき強く思いました。

それ以前の私はマインドコントロール下にあったので、母が組織の活動が多忙な事を理由にして
見学に来ない事は、さほど問題じゃありませんでした。
少なくとも、腹を立てるような事では無かった。
私の中にも確実に「家族の事より組織を優先しても非難できない」意識が根付いていたんだと思います。
ただ、今年は最終年度でもあるのだし、子供のためにも見学してほしかった。
義両親が、遠方からでもきっちりやってくるのに対し、3年間一度も顔を見せないなんて。
(注・義実家と私の実家は同県内。こちらに来る手間暇は同じです)
しかもそれが仕事(生業)のため多忙だとか、病気や介護のためだとか
金銭的にかなわない、というならまだしも
「組織の活動が忙しいから行けない」なんて、非常識にもほどがあります。
また、園ママさんから「祥蘭のおかあさんは来ないの?」と毎回聞かれる事も、軽くストレスでした。
どういうわけか、来場している祖父母に仲の良い園ママさんを紹介しあう(挨拶)という儀礼が
あったのです。
一般的に、お姑さんよりも実母とのむすびつきが強いことが当たり前とされている(?)ようで
お姑さん・お舅さんが見学に来なくても、実母は絶対来るのがセオリーでした。
(↑これは私の周囲だけかもしれませんが)
それを毎回「なんか多忙みたいで来れなくて~」と説明するのも、私的にだるかったのです。
年金生活で暇なはずのおばあさんが「多忙」って何?
孫の学芸会よりも、優先されるべきことって? 一般の人には想像もつかない事でしょう。
まさか「創価の活動で」とは言えないので、イヤでした。

私が昨年まで(活動優先で見学にこないことを)容認していたのに、今年になって認識が変わったと
目くじらたてて母を責めたりするのは、おかしいと思い。
とりあえず断られるのは100%承知で、母に日時の連絡だけは入れました。
母の答えは「あらそう、残念だけどその日はOOでXX(会合)があってね~。
◎◎さんの折伏を手伝ってるから忙しいし、ちょっと無理だわ」
やっぱり。
昨年まではこのような返答も「それなら仕方ないね~」と軽く聞き流せたけれど
今年は、表にはしなかったがハッキリと怒りを覚え。
母にとっての「家族」って一体、なんなのだろう?とも考えました。
単なるパーツでしかないのかなと。 組織流に言えば「手駒」か。
家族のつながりよりも組織が大事で、何よりも組織を優先するというその傾向性は
やはりカルトと呼ばれても仕方がないんじゃないかと、思うのです。
私もマインドコントロール下にいたときはそんな「家族より組織が大事」という言動、行動を
全く疑問に思っていなかったのだから、我がことながら恐ろしくなります。
本当に、目が覚めて良かった。

孫の成長、いましかない成長の一瞬を見守ることよりも
消息不明じいさんの下で、そうとは知らずに無償で・持ちだしで働かされている事の方が大事で
優先順位高だなんて。
どうして母はこんな人なのだろう。生まれつきなのか、それとも?
創価脳だった当時、母に対してさほど不満などありませんでした。
仲のいい母娘だったと思いますし、母に対する忠誠心もあったと思います。
しかし、自分が創価のおかしさに気が付いてしまったとたん、母への印象が日に日に変化して
いきました。
「どうしてこんなに残念な人なんだろう?」と。

ただ一心に、自身・子供・一族の幸福繁栄を願って学会活動をしている母。
しかしそのほとんどが空回りしているように思えてならない。
そして本人がまったくその「空回り」な事実に気付いておらず、嬉々として創価の活動に向かって
いることがどうにも解せず。

この頃、覚醒からちょうど半年が経過。
自分自身を振り返る作業が大かた済んだ頃でもあり、
次なる振り返りテーマは「折伏の親」でもある、実母とその実家のことになりました。
こうして振り返り、解析して行くことが「過ちを繰り返さない」ためにも絶対必要だ、と
私は当時からそう考えていました。 現在もこの考えは変わっていません。

覚醒した人は、活動家であればあるほど、自身やその親の過去を振り返る事は
辛くしんどい作業であると思います。 
しかし、それをしっかりやっておかないと先の人生、あらゆる局面で辛いことや苦しいこと、
想定外の何かが起こった時に創価に引き戻される・または別の信仰や宗教に縋ってしまう、
そんな命の傾向性が残ってしまうのではないか?と私は思うのです。
生まれながらにして洗脳教育を受けてきたのです、おかしさやまちがいに気がついただけでは
根本から変われるわけではない。 
私は特に理屈っぽい人間だから、自分がどうして間違ったものを信じ込んでいたのか?について
あらまし・理由をはっきりさせておきたかった。
再びおかしな宗教に心を囚われないためにも、過去を無かったことにしてしまうのではなく、
反芻し反省する時間も必要だと私は考えました。
この、自身や家族についての振り返りが、私にとって重要な覚醒の通過儀礼でした。

(10)に続きます。
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