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非活決意 その後(12)

2013年3月 長子の卒園式が終わり、長い春休み。
姉の慶事打ち合わせもあり私と子供だけで実家帰省しました。
正月やお盆の帰省は常に義実家にも行くので慌ただしく、実家に一週間以上の滞在は
第二子を出産後、初めてのことでゆっくり過ごしました。

滞在中、母が”メーラーがおかしいから見て欲しい”と言いました。
おそらく誤操作で変わったのであろう設定を復活させました。
母は喜んで、じゃあついでだから@@さんのメールだけ抜きだして見れるようにしてほしいと。
フォルダを作ろうと設定を弄っているうち、ひとつの送信メールを読んでしまいました。
70を過ぎた母ですが、中高時代の同窓会連絡などPCのメールでやりとりしています。
相手がたはほとんど全員、組織外の人たち。
母は選挙のために同窓会事務局を20年ほど前から引き受けているのです。

@@さんは事業をしており、お子さんの代に譲り現在リタイヤ生活中ですが
手がけていた事業の人脈を生かし、被災地支援・奉仕活動をされています。
その方の自宅で行われた食事会の写真を以前母から見せられたのですが、建築家の建てた
瀟洒な住まい。 うちとは世界がまるで違うな、と感じました。
富裕層で社会貢献に対し意識が高く・行動力のある方です。
(創価は金だけ集めたおして、私利私欲に使っても慈善には殆ど使わない。全く愚かです・・)
そんな@@さんに向かって母は、メールで仏法対話をしかけていたのです。
勝手にメールの内容を見てしまったことは申し訳ないのですが、私は呆れてしまいました。
相当な「上から目線」で語っていたからです。

”いくら財産があっても、お金はあの世に持って行けない。どれだけ心が充実しているか、
 心が輝いているかで幸福価値は決まるんです。蔵の財より身の財・・”というような事を
書いており、永遠の指導者wの指導も引用している。
私は、とても恥ずかしくなりました。
母は、世間知らず過ぎないか?相手に笑われてるよ、と。
百歩譲って相手がなんらかの悩みを抱えており、母に相談をもちかけてきたその返信なら
わからなくもないけれど、そうではありません。実に唐突に創価仏法を語る文面でした。
@@さんからしてみたら、母からそんな言葉をかけられてもね・・って感じでしょう。
同窓生のよしみでつきあっているだけで、メールなんてリアルな用件だけ読んで、
一方的に押しつけの「幸福価値」についての話など一笑にふしておしまい。 
だけど、はっきりと@@さんから拒絶されていないから母は気付かないのでしょう。
いや、スルーされている事は自覚しているかもしれない。
それでもなお(相手に馬鹿にされていると知りつつも)一方的な仏法対話を続けるのは
「これこそが不行菩薩の振る舞い」だと悦に入ってる可能性がある。
創価では、相手が聞く耳を持たなくても・なびかなくても仏法を語るところに意義があり、
相手がどんな反応をとろうが語った者に「功徳」が積まれるのだ、と教えています。
どれだけ馬鹿にされようとも嫌われようとも、動じない人が多いのはこんな教えがあるからです。
とんでもねぇな、と覚醒した今はそう思います。

@@さん夫妻のほうが、母よりよほど充実し・輝いた人生を送ってると私には思えます。
勿論、外側だけで判断できないこともあります。
ただ少なくとも母より広い世界、世間でものを見聞きし経験し、確実に社会に貢献している方。
そんな相手に向かって、自分が所属している宗教団体は素晴らしいんです。すごいんです。
この仏法で幸せになって欲しい・・なんて言えるってほんとに母はお花畑の住人だ、と思いました。
何も見えていない。
まず、自分の立ち位置が全然見えてないしわかって無い。
それってある意味、幸せなのかもしれないけど、組織どっぷりな人間の盲目さって怖いなと。
私も、同じような部分が女子部時代は大いにありました。
このメールの件について、私は何も母に言いませんでした。

翌日、今度は母の携帯に頻繁に迷惑メールが入り困っているというので、これも設定を
変更することにしました。
弄っている最中に入ったメールが、唐突な書きだしの長文で
私は「あ、こういうメールって怖いよね。騙しだよ絶対」と、全文を開いてみたところ
”新聞はいりません””マインドコントロール”という文字が目に入り、「えっ?」と声を出して
しまいました。
横から母が携帯を覗き「ああ、これは違うのよ」とバツ悪そうな様子。
なんなの?と聞くと、趣味サークルで知り合った人に新聞を贈呈で入れさせて欲しいと頼んだが
断りの返事とのこと。
相手はやはり、(母のメインターゲットの)独居老人。
「この人、すごくさびしがりで、しょっちゅう電話してくるから相手してあげてたのに
 学会のことを話したら、とたんにてのひら返しちゃってね」と、相手の悪口を言い始めたのです。
こうしてハッキリ断ってくる人がいることに、私は内心感謝しました。
そして母に
「逆じゃない?そうやって”新聞とってほしいから・選挙で票を入れて欲しいから”って
 (下心ありきで)親しげにしているなんて。あなただって同じだと思うけど。
 逆恨みもいいところじゃない?」と言ってやりました。
母は「そんなことない!これは仏道修行なのだ!」という内容の反論。

「でもね、普通の人付き合いでそんなのってないよ。
 何もかもが(組織の手玉となる)手段になってるって、そりゃ一般の人から疑われたり
 嫌われたりしても仕方が無いよ」と私は母を諭しました。
以前の母ならこんな言い草に対し激しく応戦したでしょうが、思う所あったのか、この時は違ったのです。
ぽつぽつと、愚痴を言い始めました。
主に、周囲にいる外部がわかってくれない・学会への風当たりが最近きついという話。
贈呈であっても新聞を断られることが増えたとの事。

高齢の母にあまりきつい事も言えないので、やんわり言ってみました
「組織内部の、周囲を見渡してみて。
 豊かで幸せで、充実感をもって生きてる人達ばかりなの?
 そして組織外部の友人さんを思い浮かべてみて。 どう、違うでしょう?」と。
母の顔が強張り。
思い当たる節が、山ほどあったんだと思います。
だけど母は言いました
「物質や金銭面だけ豊かでも心が貧しかったらどうしようもないでしょ。
同志はそういった(経済)面では恵まれて無くても、とにかく楽しそうにしてる。だからいいのよ!
 それこそ、幸福価値観の違いよ」と。
 
いまこの言葉を思い返すと、創価の信仰を保っていない人は「心が貧しい」というような
決めつけ前提で話をしている時点で、甚だ失礼だと感じます。
”生命哲学が、仏法が無ければダメな人”なんて、そんなわけあるはずないのに。
その生命哲学とは「何もかもを乗り越えて行く力になる」こんな風に創価の世界でいわれて
いますが、その考えがいかに偏狭な世界の話なのかを考えた方がいいと私は思います。
そんなものがなくても、心豊かで・達観し悠々と・どんな境遇に在っても生きている方が大半です。
また、どのような困難に対しても・創価の信仰に頼らずして立派に乗り越えた「人生の勝者」だって
広い世の中、山ほどいるのです。
ただ私は、覚醒前はそのような(創価の信仰を持たずして幸福な)人達に対し
「この人たちは、業が深くないんだ(前世で善根を積んだ人)」と結論づけていました。 
私自身は前世の業が深いのだろう。だから信心していくしか、よりよく生きて行く方法は
ないのだと思いこんでいました。
こういった「自分は業が深い=自己卑下」な考え方を植え付けられるのも、創価のMCの特徴では
ないでしょうか。
出発点がマイナスだから、ほんのちょっとしたことでも大げさに喜べてしまうのです・・。
そこがなんでもかんでも「功徳」と誤変換してしまう原因のひとつでもあると思います。

「幸福価値観」って、なんなのだろう。
創価で教わったのは、絶対的幸福至上主義。 相対的幸福では刹那に流されるからダメだと。
その「絶対的幸福」って突き詰めたら、ランナーズハイではないのか?と私は考えました。
脳内麻薬が出っぱなしってことでしょう、要は。
多くの疑いを持たない創価脳は上記の状態なのでしょうね。
しかし、それって本当に幸せなのか?!
現実を見据えずに「勝ち」だの「大勝利」だの言えるのはドーパミンの仕業じゃないのか?!

本人がよければ、それでいいのか。何もかもがそういう事なのか。
騙されていたってそれに気付かず、幸せだと思えているうちが華なのか?
気持ちよく騙されているのなら、それでいいのか?!

・・いいえ。絶対によくない。
騙されているだけじゃない、お金が絡んでる。確実に詐欺に遭っているのだ!
私は母に絶対搾取されてほしくない。 だって、母の小金はそのほとんどが父の遺したものだから。
創価にやすやすとだまされ搾取されているだなんて、父が悲しむ。
正月帰省時に新聞部数を減らす事を交渉しましたが、このときは選挙支援で高い交通費を使って
遠方へ行かないように話をしました。
選挙活動で功徳がつめるわけないんだよ? と。
母は半笑いで聞いていましたが、この夏の選挙後に笑えなくなりました。後に記します。

騙される、詐欺で思いだしましたが、創価内部で母は詐欺まがいの被害にあっています。
次回書きます。

(13)に続きます。
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