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非活決意 その後(14)

2013年3月 実家帰省中に、旧友と会う約束をしていました。
女子部時代に私が折伏をした友達です。

彼女のことは以前にも書きましたが、10代から仲良しでした。
20代になるころ、彼女にとって大変つらい出来事が起きました。
そこから彼女はまるで人が違ったようになり、自暴自棄な言動が目立つように。
私が女子部の活動に出始めたころ、彼女に以前のように明るく快活なあなたに
戻って欲しいと、仏法対話をしましたがシャットアウトされました。
その後、連絡もつかない状態になり数年経過。
私も女子部の活動をドロップアウトし、再び活動に戻ったところで彼女と偶然の再会。
彼女はまだ暗いトンネルの中に居ました。
やっぱり彼女を救いたい。彼女こそ仏法を求めている人だ。
私はそう思い、再び対話を始めましたがまたも激しく抵抗されました。
私もその頃は学会活動+遊びに忙しく、正直彼女だけにかまっている時間は無い・・と割り切って、
気が向いたらまた遊ぼうよ、といって一旦彼女を突き放します。
すると後日、彼女の方から「祈ってみたい目標ができた、どうやるか教えて欲しい」と連絡が。
驚きましたが、私はこのとき思いました「毒鼓の縁ってこのことだな」と。
共に唱題をするようになり、ときどき女子部の活動にも参加。
彼女は願いを叶えることが出来、入会したいと申し出てくれました。
少しはしょっていますが、入会前に「ひとつ引っかかることがある」と、こんな質問がありました
「なぜにネットであそこまで悪く書かれているのか。ネットで書かれていることは真実なのか?」と。
彼女自身が、会合で顔を合わせる女子部メンバーは皆、明るくて、会えばにこやかに迎え
声をかけてくれる。
自分が見ている創価と・ネットで書かれている創価が重ならない。
そこが「とても怖い」との、非常に外部らしい指摘でした。
このような見方は、内部で育っている学会2,3世には絶対にない視点だと思います。
私は彼女に「どっちが正しいと思う?自分の目から見て」と尋ねました。
この頃の私は、夢見る夢子の女子部しか知りませんでした。壮婦男子部なんか知ったこっちゃない。
女子部なるモラトリアム集団のいち部員でした。
だから自信満々に彼女に問う事が出来たのです。 
彼女もまた、女子部の世界をほんの少し垣間見ただけの状態で、入会しました。

いま振り返れば、女子部だって相当イカレた・・いえ、おかしな集団だったのですが
それでも婦人部よりは幾分かマシでしょう。
入会後の彼女は積極的に会合に参加し、唱題を重ねて、つぎつぎと目標を叶えて行きました。
当時の私は彼女が変わっていくさまを横で眺めながら
「妙とは蘇生の義」という言葉を思い出して、信心ってスゴイ!御本尊様ってスゴイ!と思い
自身の信仰心をより強固なものにしていきました。

しかし、冷静に分析すると、上記のことは決して「信仰に依る功徳」ではなく
「創価に入会したお陰」でもありませんでした。

彼女はもともと、学業に秀で、文武両道な優秀な人でした。
ただ、不幸な出来事にて受けたダメージから、その全ての才能・可能性を閉ざした状態に
なっていたのです。
全ての事柄に対して、諦めと・やさぐれが先行している状態が、長く続いた。
そこに私が繰り返し仏法対話をしかけていたが、彼女は聞く耳を持とうとしなかった。
ところがある日、「叶えたい」という目標ができ、心の底からそれを熱望する思いがわき上がった。

私、思うのですが、彼女はこの「叶えたい目標ができた」時点でもう、暗いトンネルから
「自力で」抜け出していたんです。
”何かを強く望む”と言う事さえ、それ以前の彼女は出来なかった。 
そのような思いがわきあがっても「無理無理!できっこない!」なんて、自分で打ち消していたんだと思う。
けどこの時は数年ぶりに、彼女を大きく揺さぶる衝動があり、彼女は立ちあがり走ってトンネルを
抜け出たのです。
抜け出たところ、そこに偶々立っていたのが、幸か不幸か創価女子部の私だったということでしょう。

彼女は唱題をすることによって、それまでぶれまくりだった心がひとつのところに定まったのだと思います。
祈り・お題目の効用と言えば精神統一、自分を高め・気持ちを強く持つ。そこに尽きると思います。
なにも唱題でなくともよく、神社で参拝することが精神統一になる人もいるだろうし・
武道に励む人もそのような感じではないでしょうか。 写経や座禅もアリかもしれません。
また、試合前に音楽を聴いて集中力を高めたり・世界観を作るスポーツ選手も多いと聞きます。
パワーストーンやアクセサリーや、勝負服というものに託す人も居るでしょう。
生まれながらにして創価学会員な私たちは、御題目を上げることが日常的になりすぎていましたが、
世間一般の(特定の宗教をもたない)普通の人たちからしてみれば、読経は特別な・非日常な経験だと
思います。
半信半疑の唱題ならまだしも、この時の彼女は明確な意志をもっており、そこへ向けて心を一点に
定めることができた。
精神統一・心を定めるための儀式はほんとうは何でもよかったのだけど、たまたま彼女は
創価学会員の私から「願いが叶う御本尊様」の話をたびたび聞き、このとき唱題を実践した。 
そして「心が定まったことにより」良い結果を次々に出して行ったのだと思います。

彼女が願いを次々叶えたのは「御本尊様による摩訶不思議な法力」ではありません。 
そして、創価に入会し、会合に参加したことによる「功徳」でもなかったのです。
創価の御蔭ではありません。
単純に、彼女が「本来の自分自身を取り戻し、彼女の能力で掴みとった幸運と成功」です。

20年ほど前の青年部会合でたびたび聞いた体験発表は、10代の頃は札付きのワルで
高校も中退、道を踏み外しかけていた・・という青年が、何かのきっかけで男子部の活動に
出たことでお題目を上げるようになり~決意し活動に励み~更生し・自営業で成功をおさめた
(又は、職場で実証を示した)というものだったが
彼らには「胆力」があったのだ、と書きました。 本当に、ここ(胆力)に尽きると思います。
いつだったか見た大白蓮華の青年コーナーにも、会社で人間関係になじめず・
やりたいことが何かもわからず、すぐに退職したのちニートだったが(この人は学会2世だったと思います)
両親と家庭訪問にやってきた男子部の激励で立ちあがり、活動を開始したところ、好きな分野の
アルバイトにつくことが出来・真面目に頑張った結果、正社員登用された・・というようなエピソードが
掲載されていました。
このような話は、ごろごろ組織内に転がってます。
かつて(青年部)の私だって同じくで、リストラという憂き目に遭いましたが、唱題で自分を奮い立たせ
再就職の面接に挑み、採用をもらいました。
挫折を経験した後、そこに「唱題」というものがあって、祈りという行為で心を定めて行くことに
よって、自分の言動に自信をみなぎらせ(自己暗示)、その時々で良い結果を勝ち得たのだと思います。
こう書くと「自分の持っている最大の力を引き出せるのが、唱題だからね!」と創価脳は言うでしょう。
でも、今の私の結論は、確かに唱題で精神統一でき・その効果で良い結果を招いたことは認めますが
その唱題じたいに「摩訶不思議」な力があったわけではないと思います。
また、精神統一の方法は他にも存在します。
なにも唱題ではなくとも、別の方法であっても心を高みに引き上げ、自身の持っている最大の力を
引き出す事は可能である、ということです。
(「別の方法」を知りたい方は、自己催眠や自己暗示トレーニングで調べてください)

また、単純に誰かの励ましや・見返りを求めない応援があって立ち直る人も多くいます。
それが偶々、創価メンバーだったことから入会したが、現実的な組織のあり様に疑問を感じる。
しかし、紹介者への「恩」があり脱会を迷ったり・活動をやめたいが忘恩が心苦しいという方から
コメントを頂いたことがあります。
私の意見ですが、「恩」は紹介者個人に感じればいい事です。創価に恩なんて感じなくていい。
組織と個人は別です。
当然、紹介者が現役バリ活だった場合には「恩知らずめ!」など罵倒されかねませんけれども、
それこそおかしな話なのです。 
紹介者は下心と見返りを求めて施しを行っていたのか?という事になります。
脱会や非活動を「恩知らず」と捉える紹介者のほうに問題がある。
個人に対し恩を感じ、御礼を述べること。それだけでいいのです。
恩がえしや見返りに集票や新聞購読や財務や会合結集が絡んでくる時点で、どこにも紹介者の「真心」は
無いのです。
あなたはただ「紹介者の真心」を受け取ったのだとし、「感謝の真心」を言葉で伝えるだけで十分だと
私は思います。
不遇な環境にあった子供が、民間支援団体の援助を受け、生活と勉強の面倒をみてもらい
就学や就職ができたり・大人であっても同じような支援団体はあり、立ち上がれたというような話が
世間に沢山あります。
何も、創価だけがつまずいた人を立ち上がらせる団体ではありません。
(↑そんな風に以前は言われてましたけど、最近はどうなのでしょうか?)
また、民間団体に助けてもらった人達はのちのち、今度は自分が子供達・困った人達を助けたいと
ボランティアに携わって行きます。 
利害は存在しない、それが人助けの基本姿勢でしょう。
そこには集票もお金も絡みません(共産党系NPOなら絡むかもしれませんが・・)。

話を元に戻します。

青年部時代の疑問で、同じ信心しているのに、どうしてこうも違うのか?と、同志を見ていて
不思議に思う事が多くありました(心で思うだけで、口に出すことはありませんでしたが・・)
学会活動を頑張りながらも、職場でも実証を示し、いつも楽しそうにしている部員さんがいる。
学会活動に積極的に参加してはいるが、毎回同じ悩み事を話し、一向に解決を見せない部員さんがいる。
一つのところに立ちどまり、堂々巡り。 
↑この方は、先輩だったのですが、20代の初めに私が出会ったころも・10年後も、全く同じ人間関係の
悩みの前でぐるぐるしていました。 
よく不信をおこさないなって、私はそっちが不思議でしたw
また、後輩にも就職が決まらず・アルバイトを転々とし、就職したいですと悩みを毎回語り、
いつも幹部指導で手厳しいアドバイスをされている子がいましたが、彼女も10年間同じでした
(就職しないまま、結婚し婦人部へいきました)。
これらを創価では「桜梅桃李」と呼びました。花の咲く時期は違うんですとw
しかし、今の私はこの疑問にハッキリ答えを出しています。 
結果を出せる人は、御本尊様に祈念すればなんでも叶う・・などというような
「摩訶不思議な法力」や「祈れば出てくる功徳」などというものに力点を置いていません。
本人に内在する力を出すための、精神統一。そこに(無意識に)力点を置いていただけのこと。
そして現実的な方策をきちんと講じ、結果をつかみ取った。 それだけの話です。
いつまでたっても結果を出せない人は、心を定める以前の問題で、ふわふわと「御題目上げてれば叶う」
「摩訶不思議な法力」のほうに力点を置いていた。
法や策は捨てよ、との学会指導を真に受けて、現実的方策を講じる事も無く、御本尊様頼みしていたと
いうことでしょう。
祈りが叶わないからと、不信を起こしそうになった時は新池御書
「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては
 何として都の月をば詠め候べき」を引用される。
しかし、方向が間違っていればどれだけ長く歩いたところで京の都に辿りつけない事を、誰も教えない。
そこは自分で気がつくしかない。 
疑いを起すな、全てが無に帰してしまうぞ!というような脅しともとれる(言葉はもっと柔らかいですが)
指導も数多くありました。
なには無くともお題目、これは思考停止を促し・「御題目を上げている」という安心感で空中階段を上らせ、
現状が一つも良くなっていない事に、気がつかせない手法なのだと思います。
空中階段だったことに気がついた時は悲惨ですが、組織はそんなこと知ったこっちゃありません。
すべては自己責任。 
騙され続けて・騙されていたことに気付かず死んでいくしか救いは無いようにも思えますが、
自分で自分を救うしかない。 間違いに気が付いたら、やり直せばいいのです。

池田老人の指導「お題目しか無い」「宿命打開にはお題目」
幹部は繰り返し、どのようなシーンにもこれを語っていました。 
そして「師匠に心を合わせて祈っていくところに勝利の方程式」だの
「池田先生と心を合わせたお題目をあげないと、宇宙のリズムと合致しない」などとほざいていました。
創価脳だった女子部当時の私ですら「池田老人に心を合わせたら宇宙のリズムと合致する」というのは
トンデモにしか聞こえませんでした。 
一介の凡夫である池田老人に心を合わせることで宇宙のリズムと合致って、何なの?!とw
こういった数々の題目指導は
御本尊様への絶対心&無疑曰信を植え付け・池田老人への忠誠心&崇敬心を刷り込むための戯言だった。
私はそう思っています。

前置きがものすごく長くなりました。(いつものことですが・・すみません)

折伏した彼女に会う目的は、私自身が脱会意志を固めている事の報告と
彼女に間違いを教え・押しつけてしまった事・入会へ導いてしまった件の謝罪でした。

(15)に続きます。

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