非活決意 その後(18)

2013年4月
多忙でしばらく足が遠のいていた近所の商店(学会員一家が経営)へ久々に買い物に
行きました。
私のなかでここの奥さんだけは特別、バリ活学会員であっても気楽に話のできる相手。
久しぶりじゃない!と笑顔で奥さんは迎えてくれました。
支部婦が変わったのは知ってる?と聞かれたので、2月に家庭訪問でお会いしましたよと返答。
奥さんが「びっくりよね~」と、前支部婦(福運貯金)が突然いなくなった顛末を語ってくれました。
詳細は伏せますが、いなくなった理由は良いことではなく、驚きました。
婦人部=オバサンというものは、得てして噂話やスキャンダルが好物ですw
商店主の奥さんのところには地域の情報がどんどん集まってくるので情報ツウ。
このネタを話したくて仕方なかったようで、えらく仔細に話してくれました。

それまで前支部婦の身の上話を聞いたことは、一回もありませんでした。
女子部時代に幹部だった・白蓮もやっていた、その程度の情報だけで家族構成などは知らず。
このとき初めて知ったのですが、お子さんは居なかったそうです。
指導が厳しく・言葉に険があり・嫌味っぽいことで評判が悪かった・・というのは納得でした。
奥さんは、気の弱いしらゆり長が潰されたのも支部婦のせいだが、他にも活動に出て来なく
なった婦人部員がいるといい、新任者が来てくれてこの地域は救われたと話しました。
思わず「私も結構失礼な事、いっぱい言われましたよ」と告白。
奥さんは「そうだろうねぇ」と答え、私は「え?どういうことですか」と聞き返しました。
奥さんはしまった、という顔をし
「あなただけって訳じゃないのよ。もう終わった話だから聞き流してね」と前置いて
「皆の前で、活動に出て来ない人の悪口を名指しこそしないけど、解るように言ってた」と
教えてくれました。
うわぁ・・。
にわかに信じがたいと言うか、私の知る限りですが、組織のそれなりの幹部で部員の悪口を
いう人なんて聞いたことがありませんでした。
心を許せるごく少人数で「あの人が・・」みたいに愚痴っぽく相談するのとは訳が違う。
それは「あってはならない事」じゃないのか?!
しかし私がよく知っている「組織」とは、モラトリアムの花園=女子部だけなのです。
女子部でそんな事はなくても、婦人部の魑魅魍魎の世界では、普通にありうることなのかも
しれません。
奥さんいわく、支部婦は自身の生活が思うようにならない鬱憤やストレスを活動の場面で
ぶつけていたのではないか?と、いなくなった顛末から推察したと。
気の弱いしらゆり長が非活に転じた理由も聞きましたが、支部婦の「妬み」からくる厳しい言動と
陰険な行為があったそうです。 
「信心してても、心が可哀相な人っているのよね、自分にないものを持ってる人が
 妬ましかったんでしょ。 きっとあなたの事も、羨ましかったんだと思うよ」と。
そのとき奥さんが思い出したように
「そういえばお子さん元気?」と聞くので、長子が小学校・次子が長子の通っていた幼稚園の
プレスクールに入園したことを話しました。
「そう、良かった~」と奥さんが安心したというリアクションだったので、
え?なにか御心配かけるようなことありましたっけ?と尋ねると
「上のお子さんが、精神的に不安定なんじゃないか?って聞いてたのよ」と言うのです。
このとき、私がすっかり忘れていた記憶が突如呼びさまされました。
自宅のポストに入っていた、「自閉症」のところにびっしりマーカーされた他宗教のパンフレット。
(この記事です)
背筋が寒くなり、鳥肌が立ちました。
「それって、(前の)支部婦が言ってたんですか?」と聞くと
奥さんは首をかしげて「誰だったかな~?・・思い出せないわ」と。
私は、誰が話していようと、ネタ元は前支部婦に違いないと思いました。
ここ一年、子供達といるところ遭遇し話しかけてきた学会員は、前支部婦しかいないのです。
同じ幼稚園に学会員はいませんでしたし(少なくとも地域の学会員は皆無です)。
そしてあんなこと(他宗のパンフを投函)したのも前支部婦なんだと、証拠は無くてもそう確信。
前支部婦が気の弱いしらゆり長にした事(陰険)からしても、十分に可能性はあると思いました。

奥さんから前支部婦の話を聞いて数日のあいだ、心のモヤモヤ感がとれませんでした。
地域を去って、二度と会う事は無いだろう前支部婦。
大嫌いだったけど、私に創価の矛盾を気付かせてくれ覚醒させてくれた(?)人物でもあります。
前支部婦に会うたび、他の学会員から感じたことのない強い違和感を覚えていました。
2度目の対面で「福運貯金がそろそろ切れる頃じゃないのか?学会活動しないと孫の代で
宿業が出たとき後悔しないのか?」と詰め寄られた時(この記事)、当時の私はまだ創価脳でしたが
なんと慇懃無礼な人なのかと感じたのです。
幹部の、上からの物言いは珍しい事じゃないけれど、前支部婦はその上をいっていました。
今思えばですが、はっきり言って未活を馬鹿にしているような言動です。
”福運が切れたら大変だから活動しなさい”という言葉が、私のためを思って言っているようには
(覚醒前でも)まったく聞こえず。
誰にも言った事は無かったけど、毎回思っていました”私に何か怨みでもあるの?”と。
けれど、どんなに慇懃無礼な幹部であっても「同志」であることには変わりないと、
相手を必要以上に悪く思わないようにしていました。これは活動家時代の訓練の賜です。
「同志を悪く思ったら堕地獄」そんな指導が完璧に刷り込まれていたからでしょう。
その後も、対面するたび不愉快な気持ちがしましたが、その因を深く考えた事はなく。
違和感の正体がはっきりと解りました。 私は相手からあからさまな「敵意」を感じていたのです。
前支部婦と遭遇するたびに、心に泥がべっとりついたような気分になっていたのは
「敵意」を感じながらも”同志なのだ、悪く思ってはいけない”とこちらも敵意をもつような事を
しないよう抑制していた、その反動だったんだと理解しました。
前支部婦がどんな思いで活動をしていたのか。少なくとも希望に満ちた前向きなものではなかったと
察します。
まるで呪いのように聞こえた「福運貯金が切れたらどうする気?」「福運貯金まだあるのね」
こんな言葉、心に幸せや充足を感じている人からは絶対に出て来ないと思うのです。
考えすぎかもしれませんが、活動をおろそかにすることで私が不幸になる事を手ぐすね引いて
待っているようにしか受け取れませんでした。
組織の幹部という、創価脳にとって誇らしい役職を拝しながらも現実の生活は厳しかった。
そのギャップにうまくおりあいをつけられず、八つ当たりするような言葉しか出て来なかったのでは?
と邪推してしまいます。

責任ある役職をつとめ、創価のためには十分働いていたであろう前支部婦。
福運貯金を連呼するわりに、本人の福運は切れたという事なのか?地域を去ってしまった。
これを当時は「仏法は道理」だと思いましたし、御本尊様の摩訶不思議な力を信じ、
選民意識をもっていた私は
「やっぱり私の周囲のおかしな人は消えて行くんだ・これは現証なんだ」と思っていました。
しかし、現在はこのことが現証だとは考えません。 ただの自滅でしょう。
現証についての記事
ちなみに、前支部婦の振る舞いについてモノ申したり・更に上の幹部に直訴するような人は
いなかったそうで、みんな内心「何なの、この人?」と困惑しながらも黙っていたようです。

創価内部にはいろんな人がいます。これは一般世間も同じです。
いい人も多いけど、歪んだ人もそれなりに存在している。
バリ活の人は、非活に転じた人を案じ、その理由を単純に「怨嫉」と決めつけます。
人間関係のもつれから創価の活動に出て行かなくなる人は実際いますし、私もとっかかりはそうでした。
特定の人物がどうこうではなく「婦人部」というカテゴリにどうしても馴染めなかったのですが。
しかし、きっかけは人間関係であっても、組織と隔離されたところにいたら、次々といろんな矛盾に
気がついていくものです。 そうなるともう、理由は「怨嫉」なんてレベルの低い物じゃなくなります。
にもかかわらずバリ活の人は「怨嫉」だけで片付けようとしがちです。
そして言うのです「池田先生にそむく行いをした幹部(学会員)は必ず罰をうけるのだから、くだらない事で
信心を止めたら・寝たら勿体無いよ?」と。
組織には自浄作用があって、悪い行いを働いたら必ず報いを受けるんだから、あなたが気にしなくても
いいのよという、斜め上の解決策です。
おそらく、この前支部婦の事の顛末も、組織内部では上記ロジックで片付けられ・結論づけられて
いたのだと思います。 
そうやって組織内で起きる出来事すべてを「法の正しさ」「先生の偉大さ(?)」と絡めて見、
勝手に納得してゆく。
先日、矢野氏の本を読んだのですが(「創価学会 もうひとつのニッポン」島田裕巳さんとの対談集)
矢野氏が”折伏や選挙戦を外部へ語っていくことが結果「自己洗脳」にもなっている”と語っていました。
この言葉になるほどな、と思いました。
相手に対して言葉を発しているようで、実は自分に言い聞かせているということ。
創価の教えは正しい、創価は正義、功徳がある、と。
そして偶然起きた出来事や見聞きした情報を絡め、どんどん自分の中で確信を深めて行く。
自己洗脳、自己催眠とも言えると思うのですが、創価の世界は殆どがそれで成り立っていると言っても
過言ではないような気がします。 

そしてこのときの私は、覚醒はしていたものの、前支部婦が去った事を「現証だ」と思いこみ
やっぱり御本尊様はすごいのだ。大聖人様の教えは間違いないのだと「自己洗脳」にかけていました。

(19)に続きます。

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