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年始所感

寒中お見舞い申し上げます。

年末年始期間も沢山の拍手(コメント)ありがとうございました。

本日からブログ更新再開します。


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年始、実家に帰りました。
母との対話は非常に有意義でした。
一年前なら考えられないような会話内容。同じ事を一年前に話していたらおそらく
私は母から勘当されていたかもしれません。
しかし、今回そうはなりませんでした。
この一年間の、対話の積み重ねがあってこそだと思います。
激しく言い合う場面もありましたが、創価話題を離れたところでは笑い合い、買い物に出かけたり・
一緒に家事をしたりと至って穏やかに楽しく過ごしました。
私がこちらに戻ってから届いた母のメール
「楽しい正月だった。もう春休みが待ち遠しいくらいですよ」とありました。
(注:春休みに帰省します)
そんな素直な思いを母が述べた事に私は驚きました(素直では無いタイプだからですw)
また、細かい事では「政党応援してるわりに学会員は世の中の事何も知らない」と以前伝えた効果か?
母は年末年始の池上彰氏の番組を録画予約していましたw
こんなことも以前なら考えられなかったことです。

私が覚醒してからずっと抱いてきた懸念は、私が創価を全否定すること=母から拒絶されるのでは?
という点でした。
繰り返しますが、一年前ならそれは現実だったでしょう。
実家出禁になっていてもおかしくなかったし、事実、数か月前には脅しと取れる発言も
ありました(これは後日書きます)。
しかし、この一年で母は少しずつ「人の尊厳」を取り戻したのではないか、と感じています。
熱心な創価学会員・信仰者である前に「人の親」であることを自覚してくれたのではないかと。
兄の結婚当時(20年くらい前)の母は、完全に「人の親」であることは忘れていました。
親子の絆よりも、信仰上のつながりを重要視する人でしたから。
順番に書きたいので、このお正月の話は追々記します。

話は変わりますが。
私の子供時代、母から年頭に必ず「お願い事(かなえたいこと)をありったけ紙に書きなさい」と
言われていました。
この一年も御本尊様にたくさんお題目を上げ、願いを叶えてもらいなさい、という趣旨です。
子供時代を過ぎても、本当につい最近まで、私は年頭にお願い事を書き連ねていました。
活動家時代は「OOさん折伏本流」だの「部の活動家8割に」など書いてましたがw
それ以外は煩悩です。あれが欲しい・ここに行きたい・そんな内容ばかりでした。
近年については、未活動でしたので、100%煩悩でした。
そのお願いごとの決算は年末にするのですが、達成率を出してはやや満足したり・がっかりしたり。
当然のことながら100%達成なんて年はありません。
年末に毎度、未達だったことを、ああでもないこうでもないと分析してみたり、次年度にもちこしたり。
2013年頭、私は覚醒こそしていましたが、御本尊様は「お願い事を叶えてくれる」と思っており
ご祈念事項を手帖に書いていました。
先日、手帖レフィルを入れ変える際にその項目に気が付き見返したのです。
半分くらいは叶えていましたが、半分は未達。
例年の私なら、未達事項に拘りました。 なんで叶わなかった?等考えたと思います。
しかし今年の私はそれを見ても、心にマイナス感情がひとつも浮かんでこなかったのです。
いい意味で「執着心」がとれたのだと思いました。
そして、私が創価信仰を捨てたことで心底「楽」になれた理由も解りました。
私は創価脳だった頃、煩悩に追われていたんだなとw
”全ての願いが叶う”と教え込まれてきたので、ひとつひとつの願望に対し執念をもっていたのです。
それが子供時代からの常だった為、当たり前に思って来ました。
何かを成し遂げる際に執念をもつことは大事かもしれません(受験勉強など)。
しかし一介の主婦である私の・超個人的な些細な願望について執念など持っていたら疲れるだけ。
覚醒した今は、多くを望む事はありません。
「足るを知る」で、等身大の自分を許せるようになったから楽になったのでしょう。
創価脳だった頃は、そうはいきませんでした。今よりずっと良くならなくては信心してる意味が無い・・
そんな風に思いこまされてき、そのような思考回路で万事に対応してきたのです。
ずいぶんとシンドイ生き方をしてきたのだな、と気が付きました。

創価脳だった頃は、過去への執着も強くありました。
断捨離なんて絶対出来ない。過去の栄光wにこだわったり、古いものを捨てられない性格。
創価脳の「建設は一生 破壊は一瞬」これも過去への拘りではないでしょうか?
積み上げてきたものをぶち壊しにしてどうする?と、昔取った杵柄(=青年部時代の活躍)を
後生大事に・青年部時代に受けた訓練だの薫陶だの語りたがるのも、過去への執着。
それが組織への隷属&呪縛に強く作用していた事に最近気が付きました。
たった一度でも疑うことでこれまで積み上げてきたものがぶち壊しになるんだぞ?だなんて
単なる「脅迫」にすぎないのです。

ご祈念への拘り・過去への強い執着も、自縄自縛の一因となっていると思われます。

現在の私は過去よりもこれからの事に興味があります。
そして今を大事に・今在ることに感謝しながら生きていたいと思っています。
ビルド&スクラップ トライ&エラー それでいいんじゃないでしょうか。
過去を否定する事に、罪悪感をもたなくていい。
それが間違いだったのなら、なおのことです。

覚醒後、上記のような拘りや執着をもたなくなって本当に気楽に生きられるようになった。
改めてそんなことに気がついた2014年初頭でした。

2014年、善き一年にしていきましょう。
本年も宜しくお願いします。

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