非活決意 その後(19)

前回書いた、前支部婦のこと。
創価脳にとっては誇りともいえる役職を拝し、恩師である池田老人から部員さんを「お預かり」し、
組織の小さな一つのギアとなって賢明に働く中年世代。
自分が40代になってみてわかったことですが、男女ともに在る程度人生の見通しがついてしまう
そんな年代ではないでしょうか。
特に20代~40代の20年間は大きいのです。あっという間の20年、その間に自分がどれだけの
経験をしてきたか・何かを残してこれたか、振り返ることも増えました。
この20年間を青年部~婦人または壮年部として健気に学会に尽くしてきた、現(うつつ)を
ないがしろにしても、師匠の理想を実現するという崇高な目的(あくまで学会内部規範)に
四半世紀を捧げてきた人達の現状が、決して幸せなものではないことを、私は身近なところに
見ています。

創価脳だった当時(つい2-3年前)は、そのような人達(学会活動に熱心で組織に尽くしているが
生活面で報われない)の現状を聞くにつけ
「どうして?あれほど頑張っているのに?」と不思議でなりませんでした。
”学会活動をすることで福運がつく・お題目をあげまくることで功徳が出る”長い学会生活の中で
こんな方程式が常識になっていた私でしたから、学会活動に専心し・お題目を何百万遍とあげている
そんな人たちの苦闘を聞くにつけ不思議でならなかったのです。 
これを創価脳は「桜梅桃李」で片付けがちです。長い長い苦闘も、いつの日か必ず報われるのだ!
だから一歩も引いてはならない。活動で引いたら人生も負けるのだ、と。
逆境に在る時、さらに組織隷属を強めようとする。これもひとつの手法なんでしょうね。
(偶然にも)状況好転することがあれば、これぞ功徳だ・大勝利だと歓喜し、それを信仰体験とする。
確信を得たことでその経験を周囲の学会員にも語り、共感を得る。
話を聞いた学会員もまた「この信心は正しいのだ」と思いこみを深め、奮起する。
相互効果でますます自己洗脳を深めて行くのです。
本当に良く出来たシステムだと恐れ入ります。 

しかし、苦闘が長引けば多分どんな人でも精神的に疲れてきます。
いくらお題目で生命力をつけ(これも思いこみというか、おまじない効果でしょう)、
から元気で明るくふるまっても、変わらない現実が横たわる。
それがきっかけで組織の矛盾に気付き覚醒できればいいのですが、年始にも書いたとおり
信仰とは「蓄積」です。
積み上げてきたものを今崩して、明日報われる予定にあるかもしれないのにそれは出来ないと、
思いとどまらせるのもまた創価信仰なのです。
繰り返しますが、本当に良く出来たシステムです。

例の支部婦も、上記パターンだったのではないかと思います。
誇らしい役職につきながらも現実はままならない。
たいして信心があると思えないヒラ部員やら、未活動者が
自分より恵まれた環境(表面上、目に見える事)に在るのを見、恨み事のように
「福運貯金があるうちはいいけど、貯金が切れたらあなただってわからないわよ(転落するぞ)」
などと口にすることで、自身の心の葛藤をおさめていたのではないか?
脅迫ともとれる活動を促す言葉も「部員さんへの激励」と、自己正当化していたのかもしれない。

この「自己正当化」は、暴走創価脳にありがちなこと。
婦人部の役職を私が断った際、実家に電話を入れられた事がありました。
常識で考えてありえないことだと思うのですが、そのことを当事者の幹部は
「あなたのためを思ってやったこと」だと言いました。
すべてがこの調子。 その行動をとることで、相手がどう感じるかなど知ったこっちゃない。
自身の誤った正義感・創価イズムに則った”勘違い慈悲”からくる行動です。
「あなたのためを思って」と言いながら、実は自己満足なだけ。相手のことなんて全く考えてない。
程度の差はあれ、創価脳の大半が活動にまつわる事全てを「善の行動」と捉えている。
なにもかもが正しい、と正当化している。そこに疑問をさしはさむことはありません。
お正月に実家に帰った時、父の口癖を思い出しました。
「自分たちが絶対正しいって顔をするな」
「いつも自分が正しいと思っているだろ、そんなのは大きな勘違いだ」
繰り返し母・ときに私にぶつけられたこの言葉、父亡き後、今年になるまで思い出しませんでした。
このタイミングで思い出した事も、私の覚醒が進んだ証だと感じます。
創価教義で誤った正義感・正義という観念を植え付けられてしまうことは非常に厄介です。
学会員の原動力の源は「自分たちは絶対正しい」という、ちょっとやそっとじゃ揺るがない
刷り込まれ続けた(勘違いの)信念なのでしょう。
しかしどんな創価脳でも、自分の言葉だけでその「正しさの根拠」を説明できる人はいないと思います。
池田老人の言葉や日蓮大聖人の御書や仏法用語をひいて説明する事はあっても。
実際に私が青年部で活動家だった頃、会社の先輩に仏法対話を挑んだときに言われました
「感覚だけで”正しい”とかいわれ・すすめられても、やれないから」とw
如何に私の言葉が空回りでハッタリで薄っぺらだったか、ということだと思います。
大昔、「りんごは食べてみないと味がわからない」という折伏の常套句がありました。
信心の話を目前に、躊躇するくらいならやってみればいい。功徳がでなかったらやめればいいんだし、
というものです。
これも今となれば、なんといい加減な・・と思ってしまいます。
一度入会しようものなら、気軽にやめますとは絶対言わせない組織なのにw
結局のところ創価でよく使われる大確信も突き詰めれば「思いこみ」「感覚だけのもの」なんでしょう。

話を元に戻します。

正月に実家帰省した折、地元で有名な活動家夫妻の現状を聞きました。
私とは同年代で青年部時代いっしょに活動していました。
部内恋愛で結婚した二人は新婚当時から3桁財務をし、未来の幹部候補夫妻と目されていました。
自宅は当時男子部の拠点。御主人は独立し自営、奥さんも専業で学会活動に専念。
まさに創価に尽くしてきた一家ですが、お子さんが中学から不登校、出席日数不足で高校受験が
できなかったとのこと。 現在自宅でひきこもっています。
私が女子部時代すでに生まれていたお子さんで、たまに会合などで見かけていましたが
今思い返しても覇気が無かったというか、会合で騒がないおとなしい「イイ子」に見えました。
しかし、覚醒した今おもうことは、お子さんは当時から既にSOSを発していたのだという事です。
学会活動中心の生活を送る両親のもと、子供らしい時間をすごさせてもらえなかったのでは?と。
奥さんは定期的に10時間唱題をおこない、お子さんが学校へ行ける様になるよう祈念しているとの話。
以前の私ならそれに対して「頑張って。いつか祈りは必ず通じるよ!」と思ったでしょう。
しかし今は違う考えです。 10時間も仏壇の前に座る時間があるなら、お子さんの好物でも作ってあげて
気楽に語らうとか・一緒に出かけて季節の移ろいや景色を楽しむとか、そんなお子さんと向き合う時間を
もてないものかと。
それもやった上での10時間唱題、というわけではないと思います。なぜなら奥さんは現役活動家だから。
おそらくそんな暇はないでしょう。
そして結婚後数年で購入した自宅は売却し、今は賃貸住宅に移っているとの事。
御主人のトラブルの賠償に費用がかかって・・という話でした。
以前の私なら、このような話を聞いて
「どうして?これほど活動頑張っているのに・組織に尽くしてるのに」と
首をかしげたと思います。
しかし今は思います「努力の方向が違ってるんじゃないですか?」と。
なんの罪もなく、愚直なほどに創価に尽くしている人達が「幸せ」でないこと。
他人だけではありません。身内(母方親戚 いとこ)にも同じような話があります。
壮年部バリ活のいとこはリストラに遭い、ダブルワークに追われ、奥さんも深夜パートに出ています。
その状況で創価教育機関に子供を進学させようとしています。
私からすれば「そんな無茶な・・」ですが、本気みたいです。
お子さん自身がそれを希望しているというので、私がとやかく言える問題でもないのですが。
進学にあたって資金を融通できないかと親戚に打診があったと聞きました。
結局そういったきたるべき事柄に備えず、宇宙銀行にせっせとお金を差し出していたという結果。
(これで親戚から資金が出れば「功徳」と言いだすのでしょう・・ありえないです)
私は母に「絶対出しちゃだめだよ」と言いました。 
そんなことは親が用立てるべき・もしくは本人が特別奨学生になれるくらい頑張るべきだと主張。
母も思う所がある様で、その話にはのらないと約束してくれましたが、
子供のひとりも創価教育を出すことが出来なかったと嘆いていた事もあり、親戚が行くのならと
援助するのではないか?と私は疑心暗鬼です。
この件に関してはいとこに直に釘を刺そうと思っています。 

先日、矢野氏と島田裕巳さんの対談本を読んだ時にも感じた事なのですが
現状60代以上の・宗門と蜜月時代の「創価」と、私たちの様な宗門問題を経た「創価」を
知るものとでは、かなり信仰観も異なるということです。
戦後の時代は上げ潮でした。前にも書きましたが、高度経済成長の波もあり、敗戦国のどん底から
立ちあがった国全体のパワーみたいなもの。
頑張れば報われる時代を知っている、私たちの親世代は時代の恩恵を「功徳」と捉えたのです。
しかし私たち以降、ロスジェネ世代には時代の恩恵なんてありません。
あるのは負の遺産と早すぎる時代遷移です。 
奇しくも創価と宗門がまっぷたつに別れたのはバブル崩壊後。
私たち世代が受けた創価プロパガンダには功徳に見えるような時代の後押しがありません。
学会活動をやればやるだけ、生活の中心軸がずれていく。それが20年にも及ぶとどうなるのか。
その結果が私が見ている40代活動家の現状なのではないかと、思います。
勿論、こんな人たちばかりではないでしょう。
中には幸せに生活基盤も盤石な活動家の方々もおられるかもしれない。
しかし残念ながら、私の知る限りそのような話は無いのです(組織系企業の方は別として)。

ファンタジーの世界には、そう長く生きられません。そんな「いい時代」はとっくの昔に終わっています。
どこかで気がついて組織と距離を置いた人と、そうでない人の差が、これからもっと開いていくと
いっても言いすぎでは無い気がします。

一日も早く、多くの方が覚醒する事を、今年も願ってやみません。

(20)に続きます。

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