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非活決意 その後(20)

2013年春。
よくない出来事が立て続けにおこり、偽本尊の祟りではないかと怯え、自分自身の信仰観を
疑い始めたにもかかわらず
4月に久しぶりに会った地域の御婦人から聞いた話を「現証」と捉え、斜めになっていた信仰観が
再びしゃきんと真っ直ぐになった。
覚醒から半年ほど経過していましたが、御本尊様への「絶対心」を巡り私は右へ左へ揺れ動いて
いました。
ちなみにまだ偽本尊を恐れる気持ちは継続しており、この頃久しぶりに仏壇の扉を開け
水だけ御供えし、再び扉を閉めました。内扉は開けずお曼荼羅は見ていません。
水を上げることで気休め程度に偽本尊の御機嫌を取ったという感じだったと思いますw
昨年末、偽本尊への怖れ・オカルトからの脱却と記事に書いた時にいただいた非公開コメントに
「御本尊様を擬人化していた」と書いて下さった方がいたのですが、まさに私も同じくです。
曼荼羅をひとつの生物みたいに考えていた。 そこに魂が宿っている、という認識。
幼少期から悲しい時も辛い時も嬉しい時も、御本尊様にお題目を上げることで気持ちをぶつけ・
向き合うことで心の中で語りかけ、報告してきた。
小公女セーラだったでしょうか、日常的にお人形に自分の気持ちを語りかけるシーンがありました。
お人形では無く友達感覚。 私にとっての御本尊様もそのような存在でした。
40年余りの長きにわたって常に自分が心のよりどころとしていた「御本尊様」
肉団の胸中に在る筈のそれですが、私にとってはお曼荼羅(掛軸)の方がリアルでした。
カラーコピーの偽本尊と聞かされたって、その事実をありのまま受け止めることも中々できず
「魂の宿った曼荼羅」を避ける日々が、まだもう少し続きました。

長子の卒園にともない、小学校が離れてしまう園ママさんにFBをすすめられ開始したのも
ちょうどこの春先でした。
SNSは別の物を以前からやっていましたが、地元の限られた友人との連絡に利用。
FBは本名登録が基本で非常に探しやすい事を知り、私は結婚・転居後に疎遠になっていた
学生時代の友人を中心に検索をかけ、みつかった人にメッセージ(申請)をおくりました。
軽い気持ちでしたが、連続で拒否をくらったことにショックを受けました。
その友人たちはかつて女子部時代の私が、セミナーに誘ったり・仏法対話をした相手なのです。
彼女らの中で、私は活動家時代のイメージで止まっている。
もう、活動なんてしていないし・脱会決意までしている私のことなんて知らない。知ろうとも思わない。
一切関わり合いになりたくない、という意志を感じました。
あとあと友人と話していて知りましたが、FBを拒否するってよほどじゃない限り無いそうですねw
承認しても、公開内容を絞ればいいだけの話だから、とりあえず繋がっておくというのが儀礼だそうで。
どれだけ避けられているのか解ってしまい、苦笑いを通り越して寒くなりました。
(創価だけが問題では無く、私の性格的な事もあるのかもしれません)

FBで久々に繋がれた人のなかに、学生時代の知人がいます。
彼女に真っ先に尋ねたのが、2011年の大震災で連絡がつかないままの
被災地域に嫁いだ友人(仮にAさんとします)の消息でした。

Aさんは学生時代の友人で、同じアルバイトをしていた時期もあり仲良しの一人でした。
就職後も地元を離れなかったので時々あっては近況報告を。
私が女子部の活動に出るようになり、バリ活になって以降もセミナーや展示などなど
誘って予定が合えば来てくれました。
仏法対話はいつもはぐらかされていたけれど、つきあいじたいを拒絶されることもなく、
彼女が20代後半で結婚し東北へ行ってからも帰省の際に食事に行ったりしていました。
最後に会ったのは私が結婚した翌年のお正月(2005年)、互いに実家に帰ったときでした。
彼女のお子さんに初めて御対面させてもらい、感激したのを覚えています。
その後は年賀状のやりとりを続けていましたが2010年は私が喪中だった為、彼女からも届かず。
この時は、私が喪中ハガキを送ったので年賀状を遠慮してくれたのだと思っていました。
2011年の正月、彼女からの年賀状が届かず。
あれっ?と思いましたが、住所録ソフトで前年喪中の人にチェックを入れたまま、翌年印刷にかけて
出し漏れるというミスを思い出し(そのようなミスをした経験があります)来年また来るでしょう、と
深く考えませんでした。
その年の3月におこった大震災。
直後からずっと彼女の安否が気になって仕方ありませんでした。
共通の友人に尋ねてもみましたが、彼女と結婚後も連絡をとっていた人は残念ながらおらずで
手がかりなく。
彼女もSNSをしていましたが、更新マメでもなくいつのまにか放置されており
ちょうど2009年末くらいでストップしていました。
実家に連絡をとろうかと考えたこともありましたが、私は彼女の実家に行った事が無く・御両親とも
全く面識が無いのです。
同県内に住んではいましたが、居住地は電車で1時間以上離れた所。常に街中(外)で会う間柄。
幼馴染とは違い、互いの親を知っているような仲ではありませんでした。
そんな私が実家に連絡を入れていいのだろうか?という躊躇。 怪しんで教えてくれないかもしれない。
また、万が一悲しい結果だったとしたら、私はそれを確かめた事を後悔しないか?
親御さんにも申し訳ないような気がして、実家への連絡はためらわれたのです。
彼女の嫁ぎ先の住所地を、園ママさんでその方面に親戚のある人に尋ねたところ
震災直後は壊滅的な状況だったと教わりました。
家を流された人の多くは、住所録的なものを失ってしまい、遠方の友人に連絡がつかない事もあると
聞きました。
もしかしたら、彼女も同じ状況なのかもしれない。
仮設住宅などに入っておれば、日々暮らしていく事で精神的にいっぱいいっぱいで、古い友達に
連絡をつけようなんて思わないのかもしれない。 そう自分に言い聞かせていたのです。

FBで繋がれた知人はAさんと高校の同窓で大学も同じでした。
Aさんがどうしてるか知りませんか?と尋ねると「元気ですよ。FBやってます」と返事が。
私は涙を流して喜びました。良かったー!と。
ただ、元気でいるのにどうして私に連絡をくれなかったのだろう?と残念にも思い。
そしてFBでまっさきに彼女の名前を検索したのにあがってこなかった事が不思議でならず。
知人のリストのOOさんがAさんだから直接連絡してみて、とメッセージをもらい、はっとしました。
Aさんの苗字が変わっていたからです。
検索にかけても上がって来なかったわけだ・・と理解したと同時に、何があったんだろうか?と思い
おそるおそるメッセージを送りました。
数日後にAさんから返信があり、GWに実家帰省するつもりだから予定があえば会いましょうと。
メールのやりとりだけでは語りつくせない、いろんなことがあったから直接話したいとあり。
帰省の予定はなかったのですが、Aさんに会いたいその一心で私はOKと返事をしました。

2011年の大震災を契機に、創価や公明党の矛盾に気が付き覚醒したという方も多くおられます。
私は覚醒に至らずでしたが、未曾有の大震災があった年にもかかわらず
いつもと変わらず金集め(財務)を行った創価に多大な不満・不信感を抱きました。
当時の私はアンチ婦人部でありながら創価脳に変わりなく、創価の良心をまだ信じていたのです。

以前にも書きましたが、私は覚醒の2-3年前から日本史の本を読んでいました。
日本のはじまりを知ろうとするにあたって、天孫降臨伝説や神信仰は避けて通れず、
そういった本も読みはじめた頃、大震災が起こりました。
この一大事のときに民主党ど素人政権下にあったこと、
日本国の窮状は、人智を超える何か(神)の「警告」ではないか?と感じていました。
大震災がおこったとき、まっさきに頭に浮かんだのは「立正安国論」でもあり。
国(の政治)が乱れているからこんなことがおこってしまった。
民主党が全部悪いと本気でそう考えていました。 ”この国の一凶”とは民主党政権だと
思っていたのです。
また、創価の仏敵と目される石原氏が、都知事を辞すると言っていたにもかかわらず、再出馬を
表明したのもまさに震災当日の午前中で、私はこのことも震災がおこった因だと思っていました。
今思えばトンデモなこじつけですが、当時は本気だったのです。
創価の敵が不穏な動きをしたから、諸天の神が怒ったのだとw
我がことながら、これほどの創価脳もないと思います、いま思いだしても恥ずかしい限りです・・。

彼女に会うことが決まり、ふと自分が震災時期に上記した考えをもっていたことを思い出しました。
この時はもう「創価の敵のせいで大震災がおこった」などという考えは持ちあわせず。
創価脳だった自分を振り返って「馬鹿だったな」と思っていました。
そして震災の原因を改めて考えた時、国家鎮護を命題とし・繰り返し叫んだ日蓮大聖人の志が
現代に響いていない事・創価が国家鎮護よりも功徳信心を蔓延させてしまった誤りに
あるんじゃないのか?と考えたのです。

日蓮大聖人は基本的に愛国者だと思います。御書を読めばわかります。
それを創価は日蓮直結と言いながら「国家鎮護」をスローガンには掲げなくなった。
一時期は国立戒壇云々と掲げていたけれど、政教分離の大義名分のもとそれは言えなくなった。
また、組織の求心力をいち個人(池田老人)に保たせるためにも、国家鎮護なるスローガンは邪魔だった。
狡猾に教義を利用しながら、日蓮の志とはまったく違った方向で組織運営をはかり
”美味しいとこどり”しようとする、そんな社会悪の創価が日本に存在しているから諸天の怒りにふれ
大震災が起きたのではないか? と、2013年4月の私は考えました。

が、今の私は上記もトンデモ説だ、と思います。

2013年春当時の私はまだ御本尊様への絶対心を失っていませんでした。
なので物事の考え方が全て”日蓮大聖人”という末法の御本仏(これも、創価と日蓮正宗の大看板を
自分の言葉で説明できる根拠も無いまま、そのまま信じ込んでいたわけですが・・)を中心として
成立していました。
のちのち、ユダヤやイスラム・キリスト宗教史の本も読むようになり思い当たったのですが
「御本仏」でも「神」でも、救世主はひとつ(ひとり)という「一神教」という思想観念のもとで
すべてを理解・解釈して行くには、日本じゃ限界があるという事でした。
ただ、諸外国におけるユダヤ・イスラム・キリスト教は物凄く長い歴史があり、常に人間の傍に
あったもので、宗教を超え既にしっかりと社会通念・文化となっている面があります。
(同じものを信じていても解釈の違いから解り合えず・譲り合えず現代も戦争の因となってはいますが
 ここではひとまず置きます。)
が・日本の国において、日蓮大聖人が「絶対神」として・日蓮仏法思想が社会通念となるほどに
根付いているのか?といえば結果は皆さんもご存じの通りです。
鎌倉時代に出現した、仏教を盛んにした僧侶たちの出現。そのなかの一人が日蓮大聖人でした。
日本には仏教が入る以前から神信仰があり、祭祀として豊国を願う祈りが捧げられていました。
以前も書いたと思うのですが、日本に仏教が入ってき、広く馴染んだ経緯には
神信仰には「救済」という概念がなかった点にある。
ケガレを嫌い、死後の世界を恐れていた平安貴族にとって、死後の世界を「極楽浄土」へと
導く仏教に光を見出し、用いられた・・そして鎌倉時代に民衆へと広がって行った・・と
歴史学者の方は分析しておられました。
その結果が現代日本人にも広く浸透している「神道+仏教」という信仰観でしょう。
最近知ったことですが、昨年末に肉親を亡くされた友人の家へ遊びに行ったところ
神棚に白い紙が貼りつけてあり、何事かと思い尋ねました。
忌明けの四十九日までは神封じとして白い紙を貼りつけるのだと教わり、その理由は
神道では死を「ケガレ」と解釈し、神様の居場所である神棚にケガレが入れこまない様にと
白い紙を貼るのだと。
歴史の本を読む中で「死=ケガレ」との知識は入っていましたが、このような儀礼を初めて
目の当たりにしたことで「なるほどなぁ」と深く感じ入りました。
神信仰でいかんともしがたい死後の世界を、外来仏教を取り入れることで解決した。
これこそ日本人のしなやかさ・寛容性でしょう。
それを認めずして、長い歴史の中ではぐくまれてきた日本人の宗教観・社会通念を
ぶち壊そうとする教義をもつ創価信仰。
どれだけ表向き平和理念を訴えたところで、創価信仰が広く日本に浸透する事は、
天地がひっくり返っても無いだろう。日本の歴史をナメるなよ、と今の私は思います。

話が若干横道にそれていますが、私の完全覚醒へ繋がる箇所で、まだまだ長文になりますので
次回(21)に続けさせていただきます。

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