歴史を学ぶと見えてくる事

昨年読んだ本でおすすめの書籍があります。

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)
(2010/02/11)
神田 千里

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日蓮大聖人が生きた鎌倉時代の世相・思想背景を知るために読みましたが、
為になることが山ほど書いてありました。 
(ちなみに日蓮自身のことについては殆ど記載ありません、あしからず)

「鎌倉仏教」という言葉があるくらい、このとき幾つもの仏教宗派が興りました。
当時を客観的考察するにあたり用いられているのが、そのころ来日していた
外国人宣教師のレポートなのです。 
本記事でその内容には触れませんが、非常に興味深く・私には面白く感じられました。

この本の中に書かれていた「天道思想」
戦国時代を生きた人たちの信仰観なのですが、
日本人の信仰観のベースとして現代にも伝わっていると感じました。

内容を一部抜粋しますと、天道とは”人知を超えた天の采配”のことで
戦国時代、従軍する戦争の勝敗は「天道」の差配により決まると信じられていました。
武運を左右する天道=神仏の目に見えない働きと考えられていたとのこと。
天道の観念とは「日本の神仏をまるごと信仰し崇拝することが天道にかなう」もので
武運を左右するからこそ天道は重要であるとされていたそうです。
また、信仰+道徳観(道理)=天道であるとも。
つまり信仰だけを熱心にやっていても、非道徳な振る舞いをしておれば天道(神仏)に見放され
敗北をきたす。 
信仰も普段の振る舞いも・両方揃って初めて天道が味方するという考え方です。

信仰に「道徳観」をプラスするところも実に日本人らしい宗教観ではないでしょうか。
その道徳観があるからこそ、日本人が一神教に陥ることがなかったのだと私は思いました。

辞書で天道を引いた中に「天の神。宇宙の万物を支配する神」との解釈も記載されていました。
「お天道様が見ている」という言葉が、太陽=天照大神をさしているとの解釈もありますが
必ずしも天照大神を「一神教」の救世主とせず、やおろずの神々と仏教を融合させながら
宗教文化をはぐくんできた点が、前にも書きましたが日本人のしなやかさなのだと思うのです。
(注:先の大戦では戦争遂行におけるプロパガンダとして国家神道が政治利用されましたが
 これこそ「一神教」であり、危険でろくでもないことは周知のとおりです)

また、戦国時代を生きた知性が、仏教宗派が乱立する中にあって
「排他主義」を厳しく戒めていたという文書もこちらの本に幾つか紹介がありました。
以下抜粋します。

阿仏尼(阿仏房ではありませんw 鎌倉時代中期の女流歌人)の著した
「庭の訓」より

”うわべだけの誠や志の無い信心は論外である。信仰に入る機縁は人それぞれであり、
指導者の良し悪しによるものでもないが「どの教えも同じだ」と
あれこれの宗派に手を出すようでは気が散って信仰に身が入ることはない。
必ず一つの教えに定め、脇目もふらず一心に信仰しなければならない。
だが一方、自分の奉じる教えだけが真実であって他の宗派はろくでもないなどと、貶めたり
してはならない。”

選択・専修が教義優劣の問題では無い。宗派の対立を意図するものでもないと訴えている。


北畠親房(鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿)の著した「神皇正統記」より
”仏教には様々な教えがあるのが当然であり、ある宗派を良いと思った人が他宗を謗ったり
軽蔑したりすることは大変な誤りです。
人の機根は様々なのだから、教えも無限にあるのが当然です”

仏法の様々な教えは結局は方法の違いに過ぎない、という見解が鎌倉時代ではかなり根強いもので
あったと考えられよう。


排他主義を戒める心=日本人の道徳観のあらわれだと私は思います。
これは何も鎌倉時代に始まった話ではなく、聖徳太子の十七条憲法
「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」この精神が貫かれている。

敵を容赦なく責めてもよし・自分たちの正義にそむく者は全て悪だから排除してよしなんて
ありえない。
このような日本人の信仰・宗教観と道徳心を知るにつけ、
自分が(現在イヤイヤながら)籍を置いている創価という団体がいかにおかしな・日本にそぐわない
団体なのか改めて気付かされ、うんざりするのです。

横道にそれますが、知識を得れば得るほど、なぜに日蓮大聖人が道徳観を重んじる国土において
「四箇格言」や「五重の相対」を提唱したのか。 私は不思議でなりません。
”宗教の乱れ=世の乱れの原因だからにきまってるじゃん!末法には法華経以外意味無いからじゃん!”
バリ活時代の私なら迷わずそう答えたでしょうが(現役バリ活も同じ答えでしょうねw)
創価外のテキストを読み、歴史背景をふまえた上で考えると
日蓮大聖人が諸外国に出ることをせず・先人から伝えられた膨大な文献を研鑚した上で得た
「悟り」についても疑問が湧いてくるのです。
創価で教わった事だけを盲信していたら、疑問なんてわく余地は無いと思います。
活動家時代の私は歴史に対し全くの無知でしたから、日蓮大聖人が国外(当時の中国)へ
勉強に行かなかった事に対し、なんの疑問も持ちませんでした。
それは「発迹顕本」という逸話(という表現に今はなってしまいます、どうしても)
を額面通りに受け取っていたからでもあります。
しかし今となっては「末法の御本仏の境地に立つ」これで全てをカバーできるような話だろうか?
それでいいんだろうか?と首をかしげます。
覚醒以前は日蓮大聖人が「末法の御本仏」だという大義名分で全てが丸めこまれていましたし
そうしておけば整合性がとれる話になっていました。
いや、細かく考えればつっこみどころ満載なのですが、創価ではそれをさせない(重箱の隅を
つつかせない)指導方法が徹底されていましたしね。
そして池田老人が永遠の指導者入りして以降は、池田老人に学ぼう状態。そこに日蓮の影は
殆ど無く、都合のいい場面にだけ引っ張り出してくる状態でした。

この本とは違う歴史本(井沢元彦さんの本)で読んだ「天文法華の乱」について
なぜ乱が起こったのか、元凶が記してあり
天台宗VS日蓮宗の構図を招いたのは、日蓮ならではの法華経解釈が天台宗サイドから見て
「邪教」だったからだとありました。
「お題目を唱える事(唱題)と功徳が明確に関係づけられている点が、日蓮独自の解釈」であり
天台宗からすればこれは「論理の飛躍も甚だしい」事だったそうです。
故に「天台宗は日蓮をインチキだとした」のだと。
「一介の僧侶である日蓮が教義の変更をしたことが許せず、対立を深めた」のです。
当時、文字の読み書きも満足に出来ない庶民にとって天台宗の説く法華経の教えは難しく敷居の高いもの。
「日蓮にあったものは庶民への配慮」で、お題目を唱えることに功徳があるとしたのは
(これは私なりの解釈ですが)インスタントにしたという事なのだと思います。
その方が早く広く爆発的に民衆に広まるし、多くの人を救えるという考えだったのだと
読み取りました。
天文法華の乱は日蓮滅後(200年以上後)の事で京都が舞台、日興上人(富士門流)派の
創価ではスルーされていましたが、本質的な部分(題目を流布)が火種だったという点で
「全く関係ない」とは言えないと思います。

こういった歴史的事実をおさえて行くと、創価で繰り返し語られていた事
「正しいからこそ難に遭う」が中2病のように思えてくるのは私だけでしょうか。
日蓮大聖人がいくつもの法難に遭ったのは、正しい事を叫んだからだーと教わりました。
釈迦の予言通りの目に遭っているのは大聖人だけだ、とも。
そして池田老人が難に遭うのは、世間の嫉妬だとのことでした。
法を弘めて難に遭う。大聖人と同じ目に遭っているのは私だけなのだ!とか、そんなスピーチも
ありましたっけね(遠い目)。

しかし様々歴史をみて、上記したような鎌倉時代背景に照らしてみても
排他主義をよしとしない国土風土の中で、ひとり反逆児だった日蓮があらゆる方面から
疎まれたのは、ある意味「道理」だったのではないかと。
池田老人に関しては並べるのもどうなの・・ってお粗末なレベルですが、
いいことは一切書かない週刊誌のバッシングやら・訴訟やら・これといったあとがまが育ってないのやら
すべて「身から出た錆」で、ものごとの「道理」だっただけではないのかと思います。

「仏法は道理です」
池田老人がスピーチで語った言葉で、忘れられないフレーズの一つです。
覚醒した今、思い返すも実に味わい深いw

現状、特定の宗派に帰依していない私ですが、このさきどんな宗派によろうとも
「うちだけが絶対正しくて他は邪宗で間違ってる」なんて事は言わず・考えず
粛々と自己の内面と向き合う、そんな信仰観を持って生きたいです。

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