非活決意 その後(26)

2013年6月、姉の挙式出席のため、母と私と次子の3人で海外へ行きました。
(主人と長子は仕事・学校があるので留守番でした)

この海外挙式出席は、2月に決まったことでした。
姉は2度目の結婚ですが挙式は初。また、お相手の家族が海外在住という事情から
親きょうだいの顔合わせも兼ね、私たちも参加することになりました。
5月に私が日蓮仏法と御本尊様への絶対心を失った事で、楽しいはずのこの海外旅行が
非常に苦痛な予定に変わったのです。
日が近付くにつれ、母にどんな顔をして会えばいいんだ・信心の話をふられたら
(というより、私たち母娘の会話の8割は、それで成立していたといっても過言では無い)
どう対応したらいいんだ?
また、前回書いた母親に対する絶望的な怒りもあり、それをどう抑えるか・又はその憤懣を
賢くうまく母に伝える術はあるのか? などなど頭を悩ませることになりました。

出発までの短期間、母に対する恨みというか・残念な感情も、子供とのなにげない日常で
フラッシュバックし困惑していました。
ある日、長子を学校へ迎えに行った帰り道。長子の表情が冴えませんでした。
わかりやすい子なので、エキサイティングな事があれば興奮気味に話してくるし・
何も無かった日は穏やかでのんびりした表情。
これは何かあったんだろうな・・と感じ「今日は学校、どうだった?」と尋ねました。
長子は答えず。 
もう一度、お友達の話題をふってみたところ「もう、うるさいって!」とふてくされた表情に。
いま触られたくないんだなと判断し、それ以上はなにも聞かずにおきました。
このような事は特に珍しいことじゃありません、日常茶飯事です。
だのに何故かこのとき急に、私が小学生の頃のことが思い出されたのです。
全く楽しくなかった小学校生活。
嫌な気持ちを引きずったまま帰宅した日も多かったと思うのですが、学校から帰っても
母は活動にでており、ほぼ不在でした。
(補足:最近になって判明したことですが、母は昼会合のあとに行きつけの喫茶店へ寄るのが
日課になっており、そこで知り合った人を次々折伏していたようです)
母が17時ごろ帰宅するとまず夜のごん行を慌ただしく済ませ、そこから夕飯の支度。
気ぜわしさでいっぱいの母の背中を思い出します。
私は母に学校であったことを話したことが多分殆どなかったと思います。
気を使っていました。いま話しかけちゃいけないな、など。
母から「今日は学校どうだった?」なんて聞いてもらえる事もありませんでした。
そのせいか、提出物や学校へ持って行く用品(工作の材料など)が間にあわない事も多々。
学校でいじめに遭った時も、母に話す事が出来ず。
あるとき洋服を墨汁で汚され、それを見て気付いた先生が家に連絡したことで母に初めて
いじめの事が知れました。
その時「どうしてもっと早く言わなかったのか」と母から軽く責められました。
遠い記憶ですが、いじめで悲しい思いをしている間も、私は御本尊様に祈念することで
解決しようとしていた。
いじめといっても完全孤立したわけでは無く友達も居たので、学校へ行かない(不登校)事は
無かったのですが、 早くこの時間が過ぎないかな、とただただ憂鬱でした。
はっきり自認していたわけではありませんが「母親に話したところでどうにもならない」との
諦めがあったのかもしれません。
長子が私に不機嫌な態度をとってみせる、それは親子として「らしい事」なのだと思いました。
そして私は”あのころ、八つ当たりする相手も居なかったな”と思い返したのです。
私には御本尊様しかいなかったな、と。
そして、学校で面白くない事があっても、八つ当たりする相手(=私)がいる長子は幸せだな、と
思ったのです。 
長子は帰宅後落ち着いて、学校で友達とある事の取り合いになった・相手が強引に
それを取ってしまったので気分が悪かったと話してくれました。
「悔しかったね。でも、譲ってあげたって思えばいいんだよ」と声をかけました。
長子は「譲りたくなかった!」と思い出し、また怒りだしたのですが、次のチャンスに賭けると
前向きになってくれたようでした。
こういった、何気ないやりとりを子供とするたび私は「発見」します。
自分の子供時代に流れなかった親子の時間・やりとりを感じて、はっとさせられるのです。
そして、私と母のあいだにあった時間についてどんよりとした気持になります。

私が創価の巨悪に気がついたことで、それまで失っていた「人の尊厳」を取り戻したばかりに、
それまでなんとも思わなかった・問題にならなかった事柄がクローズアップされていく。
母だけが悪いわけではない。
私だって、創価脳だった時は「人の尊厳」なんて失っていたんだ。だから母とわかりあえていた。
なんと皮肉なことだろう、と再び絶望的な怒りと悲しみが湧いて来るのです。
罪を憎んで人を憎まず、という言葉がありますが
「創価を憎んで母を憎まず」 そう思わなければ、やっていけないと思いました。
今現在もこの考え方は変わっていません。

どうしてこのタイミングで気付いてしまったのか、私?と自分を責める思いもありました。
気付かないままでいられたら、何も考えず笑って姉の挙式に参加できたのにと。
憂鬱な気分のまま、出国日を迎えたのです。

母と空港で落ち合いました。
搭乗まで時間があったので食事をすることになり、入った店で母がおもむろに始めた話題は
「法戦前に5日間も海外にいくなんて、組織の人に申し訳なくってねぇ」だったのです。
翌月の参議院選挙を意識した発言でした。
私はのっけから絶句です。
なんのために行くのか。遊びではありません。身内の・娘の「慶事」なんです。
どっちが大事なのか?という話です。
半分キレながら「何言ってんの?大事な用事で行くんだから。申し訳ないなんて思うなって話だよ。
選挙活動があなたの仕事なの?違うでしょう?だったらそんな風に言うのはおかしいよ」と返し。
母は、ややひきつった顔で「それはそうだけど」と私の言葉に不服そうでした。
その後も、母は空気を読まずに創価話題を続けます。
店内は混雑しており、両隣の席にもお客さんがいましたが、そんなの母はおかまいなし。
小声でもなく堂々と、F取りエピソード話を続けるのです。
羞恥心というものがありません。創価学会員であることに「誇り」を感じているからでしょう。
余談ですが、昭和30-40年代の創価学会員は鶴丸のバッジを身につけていたそうですね。
財務部員になるともらえるもので、活動に出る際、それをつけるのが当たり前だったそうです。
鶴丸バッジをみれば、相手が創価学会員だとわかる。見ず知らずでも街中で偶然会って会話が弾む・・
そんな時代もあったそうです。 恐ろしすぎます。何の罰ゲームでしょうかw
母が嬉々としてF活動の話を続けるのが恥ずかしい私は「その話はもういいわ」と遮って
別の話題に変えたのですが、母は適当に受け流しながらも、また自分のしたい創価話題へと
もっていくのです。
これが続く様ではたまらない・・と思い、機内では即、寝たふりをしましたw

現地到着し、翌日が挙式。
先に到着していた姉・兄と合流し、夕飯を家族水いらずで採りました。
こんな時くらい、信心の話は止めて欲しいな・・と思ったのですが母はやっぱり創価脳です。
「こんな風に子供達と、海外で食事が出来るようになるとは若いころ、想像も出来なかった。
 信心も50年を越えると自由自在になるっていうの。証明したわね」と。
兄姉は薄笑いで何も言いません。私も無言でした。
なにも今回の事は、母ひとりの信心のたまものではないのです。
渡航費は姉夫妻が負担してくれたため、宿だけ自分たちで取ったのですが、兄の会社が提携している
宿だったので格安で泊まることが出来ました。
それは兄や姉のこれまで積み上げてきた努力や実績の結晶だと思います。
また、私自身も主人が快く送り出してくれたから参加する事が出来ました。
そんな事情はすっとばしで、何もかも「自身の信心のお陰」お手柄だと思っている事に呆れました。
母からすれば、家族・子供達は信仰のパーツでしかない。それは以前から感じていたことです。
兄姉はアンチ創価だけれど、世間的に属性の高い職業についている。
母はそのことを自慢にしています。たとえアンチであろうが、子供達が立派になったことは
「母親である自分が信心をしていたから」だと思っています。
これも以前に書きましたが、子供達に良い事があれば「お母さん祈ってたよ」と言いますし・
悪いことがあれば「それみたことか!信心をおろそかにするからだ」と言う。
子供たちの努力以前に「信仰の力」のお陰で成し得たという考えが母のスタンダードです。
功徳信心を刷り込まれたおかげでたいした努力もしてこなかった私はさておき、
正しい努力のみで自分史を作り上げてきた兄姉にしてみれば、これほどの愚弄もないでしょう。

翌日の挙式は天候に恵まれ、素晴らしいセレモニーでした。
父のかわりに兄がバージンロードをエスコート。
その姿を見て、父が生きてくれていたならと、涙が止まらなくなりました。
誰よりも姉の花嫁姿を見たかったのは父だろうと考えると、堪らないものがありました。
余談ですが、キリスト教式を母が何も言わず受け入れたことにほっとしました。
(20年前の兄の挙式の際は「ありえない!私は出ない!」と激怒していました)
ご主人の家族も素敵な方たちで、姉の幸せが嬉しく・安心しました。
そして私が創価脳だった当時、姉に対し抱いていた非常に失礼な考えを思いだし猛省したのです。
姉が両親から反対されるような初婚をした際、私は「信心してないからそうなるんだ」と思いました。
姉が離婚したときは(私自身、前主人が嫌いだったので)別れて正解と思ったと同時に、
「やっぱり信心してないからこうなったのでは?」と思ったのです。
それを面と向かって姉に言った事が一度もなかったのが幸い(?)でしたが、私の内心は
態度に出ていた筈でとても恥ずかしく、いたたまれない・消えてしまいたい気持にもなりました。

森羅万象全てに通じる、大宇宙の法則。そんな思想を植え付けられたからこそ
信心やそれにまつわることがらを基軸としてしか物事を捉えられない・考えられない状態だった。 
そのような感性では人生の機微も解りませんし、時に非常識な言動にもつながっていきます。
創価脳当時は全てを解ったような気になっていましたが、それはとんでもない勘違いだった。
事あるごとに、その現実を突きつけられ、過去を思い出し苦しくなります。

話が少しそれますが、
まちがいに気付く事が、全ての創価脳にとって良い事だとは限りません。
人それぞれ、置かれている立場の違いや動かしようのない現実があり、大なり小なり苦悩が
ついてまわると思います。
私とて全てが吹っ切れた訳でもありません。 
40年以上も習慣化している考え方の癖は抜けず、ほんの些細な事柄に心をいつまでも引っ張られる、
いまもそんな傾向にあります。
創価脳だった時はお題目をがむしゃらに上げることや、御書を読むことで解消された(誤魔化すことが
できた)それを、別の方法で消化するにはどうしたらいいのか?と、困惑がありました。
最近になって実践しはじめたのは、自分の肩をぽんぽんと叩いて「大丈夫だよ」と声に出して言う事。
自分で自分を励ますのです。
そして心でつぶやきます”世の中はそんなに悪いものじゃないよ”と。
単純で子供だましの様ですが、頭で考えすぎて疲労する私にはこのくらいシンプルな方法のほうが
効果があります。
あとはいい意味での「忘却力」を身につけたいと思っているところです。

覚醒後、心の置きどころがわからず不安に苛まれるというコメントも多数拝見しています。
心の置きどころは、自分の中です。
学会2,3,4世で、MCで自我を塞がれてきた私たちはまず、自分自身と向き合い
自分の本心を観察する事から始めるのが、遠回りのようで早道だと私は感じています。
それは特定信仰にどっぷり浸からず普通に生きてきた人達なら、子供時代からやっている事です。

結局、めんどくさい自分の面倒をいちばん見ることができるのは自分自身。
創価脳だった時は、その面倒を”エセ一神教”がみていてくれたってことでしょう。
(面倒見てもらってるつもりが、実にうまい具合に組織にもろもろ搾取されていたという酷い話。)

人それぞれに、心穏やかになれる事があると思います。
それが何かは自分で見つけるしかありません。
パッケージされている宗教に頼りきりだった私たちは、何も無いところから考える事・探求する事を
煩わしく感じる傾向にあるのかもしれません。 だから解りやすい「教え」に依ろうとしてしまい、
手っ取り早く宗門を選ぶ方も多いのではないかと、私の勝手な一考察です。
(考え抜いた上で宗門を選ぶ方も当然いらっしゃるでしょうけど)

そんな自戒も込めながら、上手に自分の面倒をみれるようになれたらいいなと思います。

(27)に続きます。
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