気づき

「なんでも願いが叶う御本尊様」物ごころついた時から母にそう教わったことで
私は子供の頃から様々御本尊様にご祈念していました。
幼稚園年長から子供用経本を与えられごん行も開始。
子供にとっての導入部は「世界平和(広宣流布)」なんていう壮大なテーマではなく、身近なラッキー。
全ての願いが叶った訳もなく、割合にすれば3-4割だったと思いますが、
叶えばそれは「御本尊様のおかげ」そうして依頼心を強めて行きました。
私の基本は幼少期に培った絶対的な御本尊様への「信」です。
そこを揺るがせてはならないという気持ちが、組織の矛盾と向き合うことを拒絶していたと思います。

どうしても叶えたかったことが叶わず、不信を覚えた事もありましたが、そんな時に親や先輩から
「あなたにとって本当に必要でない事柄は叶わない。叶わなかった時もちゃんと意味がある。
それは後からわかるんだよ」と慰められ、素直に「そういうものなんだな」と信じていました。
40代を過ぎた覚醒した頭で考えると、べつにそれが(祈念の対象が)御本尊様でなくても・
学会活動じゃなくても、なんでもよかったじゃんと思います。
結果論なら、何処の宗教だってなんとでも言える。 納得の仕方、単なる楽観主義じゃないのかと。

親の家庭教育が、のちの人格形成に多大な影響を与える事を思うと、創価活動家の親にもとに生まれる事は
毒であり不幸だと思います。
私の場合、母の認識が根本から間違っていたにもかかわらず、それを「一番正しい」と教わった。
日蓮大聖人を崇敬し、御本尊様を信じることと・創価の存在やそこで活動する事を同列に置き、
創価の活動が仏道修行になるのだと(現実は全く別物なのにもかかわらず)。
間違った公式を「これが究極の正解でまちがいないんだから一切疑うな」と押し付けられ、
常に疑問をさしはさまないよう「功徳」や「仏罰」という言葉で封じられてきました。
気づきのきっかけは、これまでにも山ほどあったと思います。
親切に創価のカルト性や教学の破綻を教えてくれた外部の友人もいましたから。
けれどそんな忠告を私は「魔が競っている!」と捉え、創価お得意のトンデモ教学で拒絶しました。
こちらの言い分は存分に主張するくせに、相手の意見に耳を傾ける姿勢はまるでなかったです。

ヒヨコがはじめて視界に入った動くものを「親」と認識するがごとく
親から教わった事を愚直に真実だと信じる幼子時代に、この宗教が一番正しい・他は全て受け入れてはならない、
全否定しなさいと教わる事は、可能性・視野・一般社会や日本文化と接する機会を狭める
とても残念なことです。
結婚後に痛感したのですが、一般社会では神社参詣の作法は常識であったということがショックでした。
神社を見学はしてもいいけど詣でるなと言われて育った私は、参拝方法(拍や礼)を知りませんでした。
当然、初詣にも行ったことがなかったです。禁じられてますから。
そういった事柄について一般社会人と話したり、参拝しないといけない(観光やら会社行事で)シーンに
立ちあった時も「信仰上、禁じられてますんで」としらっと言うことで切り抜けられましたが
それは厚顔無恥な創価活動家の間(独身時代)だけでした。
当時の周りの人たち(一般社会人)は、そうなんだ~、とスルーしてくれましたが
内心は「非常識」「育ちの悪い子」と捉えていたと思います。
私は結婚後に未活動に転じたことで、新天地で出会った一般社会人の友人と「一般社会人のふりをして」
つきあうことになりました。
思えば、結婚前までの私は創価であることをカミングアウトしていたし・同じく創価の家で育った友人が
多かったので「非常識」を容認してもらえる環境下にいました。
それが、創価であることを隠してつきあうとなると神社や神事は避けて通れない話題なのです。
初詣はどこに行ったか。子供がうまれると宮参りや七五三のこと。
また、居住地域近くに有名な神社があることから、そちらのお祭り(神事)について
季節ごとにあたりまえのように日常会話に出てきます。
氏神様を大事にしている(定期的に詣でる)人が多いことにも驚きました。
民度の高い人たちが、日本古来の神様を大事にする傾向があることにも気が付きました。
地域社会にて、これほどまで「神社」や日本古来の神が生活の一部として寄り添っている事を、私は結婚で
この土地にくるまで知らなかったのです。 
結婚前までは、創価の人脈の中で生きていたからわかりませんでした。

私は結婚相手(外部)を折伏し、形だけの入会をしてもらいました。
主人の実家は一般的宗教観をもつ家庭で、菩提寺もあるし氏神様にもお参りします。
子供が出来た時、私は未活動ではありましたがまだマインドコントロール下にあり、神社参詣に対して
強い拒絶感がありました。
だけど、うまれた子供は主人の実家の姓を名乗る「主人の家系の子供」。
家という単位でとらえたとき、私の一存で・私の信仰だけでそれを「やりたくない」と言うのは我儘だと
考え。
なにより創価の私でも温かく受け入れ接してくれている義両親に申し訳が立たず、宮参りと七五三は
義実家の氏神様でやってもらいました。
ただし、私の実家には知らせず内緒でやりました、母はいまだにこのことを知りません。
ママ友とそんな話題(どこの神社でしてもらったか)になる時、さらっと「主人の郷里の氏神様」と
言えた事は、一般社会になじもうとしていた私には有り難いことでした。
創価が世間からいかに遊離した、隔絶された村社会なのかを強く認識できるようになったのは
外部との結婚・出産で一般社会との接点ができたおかげだったと思います。
また、婦人部が大変居心地の悪い組織で私にはなじめない処だった事も、結果として良かったと思いますw

まさに「創価の常識は世間の非常識」
それを一般社会の人付き合いになじもうとする中でヒシヒシと感じ、焦り始めた私は
組織で「外道」のひとことで切り捨てられてきた、神社(神道)について知りたいと思い
日本史を中心に読書を開始しました。3年ほど前のことです。
そのときは、組織で教わった教学を疑うというよりは、自分が信じてきたことが揺らぎ始めたので
強固な裏付けが欲しくて勉強しようと思ったのです。
また、公明党議員がとある政治バラエティ番組に出演したさい
歴史認識についてパネラーから容赦なく突っ込まれ、たじたじになっているのを見て落胆したことも
きっかけとしてありました。
(自分の意見を持たず、党から用意されたセリフだけをしゃべっていることがよくわかった瞬間でした)
ここで組織の書籍に依らなかったのは、日本の歴史・風習(神信仰)の中で日蓮仏法の立ち位置を
客観的に描いたものが私の手持ちに無かったからです。
私が結婚で家を出る際に実家から持って来た本は池田老人の指導集(もらいもの)と、御書だけなので。 
日本という国のあらましから知らないことには無理だと思い、図書館に通うようになりました。

歴史を知ると、目からうろこの事柄が山ほどあり「無知は罪なり」だと思う事の連続でした。
社会で創価学会員が情弱だとか頭弱だとかいわれますが、否定しません。
不勉強だからこそ簡単に騙され、搾取され続けて、それでもなお「尊い使命に、師匠と共に生きる喜び」
などと嬉しがっているのです。

長くなったので、歴史を学んだ中での「気づき」については次に書きます。
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Category: 覚醒の伏線