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非活決意 その後(28)

子育ての姿勢を母から批判され、遂にキレた私。
自分の気持ちをぶちまけました。
「あなたに何が解るっていうの?
丁寧に子供に関わっていくことがどれだけ大変か知らないでしょう?」
そこから堰を切るように、子供時代の私が母から「してもらえなかった事」を挙げました。
私はそれらを親になってから、身近なママ友であったり・義母さんの言動で知る事となり真似を
しながらいま子供を育てている。
子供に丁寧に関わっていく事が、自尊心を育てるのだと学んだ。
私にはそれが無かったから、自尊心が低く苦しんだと子育てを通して解った。
なんでもかんでも「御本尊様にお祈りしなさい」で片付けず、悩み迷える子供に親として
どう方向を指し示してあげたらいいのか、共に悩んで答えを出していく事が重要なんだと初めて知った。
私にはそれがなかったから、随分長い間生きづらかったんだと、子育てを始めて解った事。
学生時代も・OLになってからも、学会以外の世間で「私って変わってる?浮いてる?おかしい?」と
感じたことがどれほどあったか。 
また、普通にみんなが出来る事や簡単にクリアしていくことが自分には煩わしく・難しく思われた事。
「常識」を知らず数々恥をかいたことなどなど、自分がそれまで思い出さなかったような事まで
次々と出てき、泣きながらまくしたてたのです。

断っておくと、母がネグレクトだったわけではないと思います。
当たり前に食事も着る物も揃っていましたし、父のお陰で物質面で不自由さを感じた事は
ありませんでした。
ただ「声かけ」に関しては全くと言っていいほど不足していたと感じますし、
子供に対し”時間や手間”を省く傾向にあったと感じます。
それもこれも、時間があるなら活動に惜しみなく使いたいとの考えからだったのでしょう。
最近思い出しましたが、私がある楽器の習い事をしたいと希望した際、レッスンに親の付き添いが
必須だとの理由で「諦めなさい」と言われた事がありました。
また、幼少期~小学生時代、ずっと髪をのばすことを許されず肩までのボブかショートヘアでした。
これも最近になって理解しましたが、小さい子供は自分で髪を結えません。
親が朝、手入れしてあげるしかない。 それさえも「面倒くさい」と母の都合でショートにさせられて
いたのだなと。
長い髪を編み込みにしたり、可愛いヘアアクセサリーをつけている友達が羨ましかった。
でも、母にそれを言えない自分が居ました。
無意識のうちに我慢する癖がついていたのかもしれません。
そういった事柄が、もういくらでも出てきます。長くなるので別の機会に書きます。

いま自分が子育てをしているから解ることは「母は子供(わたし)に興味が無かった」のだと
いうことです。
そして高校生になってから急に過干渉になり、私は大いに戸惑いました。
今までほったらかしだったくせに何?と内心思っていた事を最近になって思いだしました。
これも別の機会に書きます。

このとき言わなかった件ですが
私自身が子育てに関して常に「母に相談したって仕方ない」と思って来た事・
相談すれば必ずや
「子育てに行き詰まるのは、学会組織についてないからだ!さっさと活動に出なさい」と
言われるに決まってる。
だから言えなかった・なんでもかんでも信仰と学会活動に直結させてしまい話にならない。
実の親なのにいざという時あてにならない・・といった不満もありました。

いつもと違う状況を察した子供は私に静かに抱きついてきました。そこではっと我に返りました。
母を見ると、苦虫をかみつぶしたような表情でした。
ショックを受けているというよりも、娘からダメ出しされたことを忌々しく感じているような顔でした。
私が話し終わるのを待って、母は「全部お父さんのせいよ」と言ったのです。
はぁぁ?
私は椅子に座っていましたが、椅子ごとコケそうでした。

なぜにそれが父のせいになるのか?
母曰く、父が母をいつもいつも悩ませ・困らせるような事ばかりしてきたからなのだと。
それは信仰に理解を示さなかった事をはじめ、兄姉のいいなり(これは母の表現です)となって
私立へ進学させた(そのため煩雑な事柄が母にのしかかってきた)こと、
父の性格(冷徹だった)問題など、母は常に悩みが山ほどあったと訴えました。
昼間の活動と折伏に励むことで一家の宿命転換をしなければと気張っていた・
私は年が少し離れて生まれているため、ちょうど兄姉の受験期間(中高大)に小学生期間があり
小さな私にかまっている暇はなかった、あなたは犠牲者だったね・・と言うのです。
以前書きましたが、父亡き後に姉から「お父さんが、祥蘭はお母さんの被害者だったと言ってた」
と聞かされた事がありました。
覚醒する1年前でしたが、この言葉には不思議と癒された思いがありました。
自分が被害者なのだと、感じた事がそれまで一度もなかったにもかかわらず
「父は私の事を解ってくれていたんだ(心にかけてくれていたんだ)」と感激したような思い。
今だから言えることですが、私は深層心理で「自分は母の人形だ」と不満を抱えていたのかもしれない。
だから父が「母の被害者」と発言していたことに反発や悲しみを感じず、癒されたのではないかと
思います。

しかし母が私を、父や兄や姉の「犠牲者」だったと言ったことについては、絶望的な思いしかせず。
「自分(母)はひとつも悪くないのか・人のせいにするのか・・」という落胆と。
そして両親から「犠牲(被害)者だった」なんて言われるとは・・と、私は目の前が暗くなりました。
40歳を超えて自分のアイデンティティが崩壊するような気持ちです。

「お父さんのせいにするなんてずるいよ。もうこの世に居ない人なんだよ」と
私は母を窘めました。
ここで母に
”あなたが功徳信心にとりつかれていたせいで家族が不仲だった・おかしくなったんだ”と
言ってやりたい衝動にかられましたが、思いとどまりました。
そこが海外であることや・姉の慶事で来たこと・次子も同伴していること、もろもろの状況を考えて
今言うべき事柄ではないと判断。
子供は私の尋常でなく興奮した様子を見て完全に委縮しており「どこにも出かけたくない」と言い、
母は見かねてフロントに連絡を取り、一人で行ってくれました。
母が出かけて少しすると子供も落ち着き「おなかすいた」と言うので2人で食事のため外出。
そのあと街を散歩がてらお土産を買いに行き、子供にすっかり笑顔がもどり私もホッとしました。
3歳児と見知らぬ街を歩きながら考えた事は、私は誰のせいにもしない子育てをしたいという事でした。
親として至らない事はいっぱいあるだろうし、完璧でもない。
もし成長後の我が子から「お母さんのこんなところがイヤだった」と突きつけられるような事が
あったとして、それを誰かや何かのせいには絶対にしたくない。 
素直に「悲しい嫌な思いをさせちゃったんだね、気付けなくてごめんね」と言える自分でありたいと。

そして、母がなんでも他人のせいにすることについて「そういえば」と思い当たる事がありました。

この旅行中に度々あった違和感なのですが
”母ってこんなに愚痴っぽかったっけ?”と思う事の連続でした。
出国前の空港で話していたF活動についても、嬉々としては居ましたが
外部の友人が少ないという婦人部員が自分のF活動についてきたがって「ずうずうしいのよね」とか。
また、30年来で仲良くしていた学会員夫妻がいるのですが
その奥さんに対する悪口をえんえん続けた後「最近、老人骨折したのよ、罰があたったのよね」と
言ってみたり。
その奥さんに母は下種先(折伏しようと狙ってた独居老人)を横取りされたと怒っていたのです。
その夫妻と同じ友好サークルに入っていたのですが、母が別の習い事を開始するにあたり
サークルを辞めたところ、悪口をその奥さんからいいふらされた(サークルに残っている知人から
そう聞かされた)など。
正直、私からすればレベルの低い話というか幼稚で、どっちもどっちで感心できず。
母が同志の悪口をいうなんてこと、昔はありませんでした。
私が覚醒したから急に気になりだしたという感じでもないのです。
もし、私が覚醒前にそんな話があったとしたら私は確実に母を窘めたはずです
「同志の悪口は言っちゃいけないんだよ!」とw
母との学会話題は、常に明るい事が中心でした。こんないい功徳体験を聞いてきた・誰それの折伏が
実ったんだって・こんないい指導があった・・erc
「あの婦人部、性格悪い」的な話をした記憶がありません。
これはどうした事だろうと、疑問に思いながらも宿へ帰ると母もすでに戻っていました。
私に会館でもらったパンフレットを見せて「すごく良かった。一緒に行けばよかったのに」と言いながら。
午前中の会話は無かったことのように、普通に過ごしました。
夜、子供は疲れた様で早々に寝入り、母と2人でテレビを見ながら過ごしていました。
そこでも母は組織の話をしたのですが、またも同志へのダメ出し。
ここ一年地域で折伏成果をあげているのは自分しかいない、みんな口先だけで出来ない人ばかりだと
こき下ろすのです。
私は気のない返事をしながら、えんえん続く愚痴話を右から左へ聞き流していました。
母が「ほんと、まったくもうって感じなのよね(地域)」とため息をついたので
「思ったんだけどさ、(父亡き後)学会活動が朝から晩まで思う存分に出来て私は幸せだっていうわりに、
出てくる話は愚痴だらけなんだね」とストレートに感想を言いました。
母は”しまった!”というような表情を見せ
「そうよ。まわりが結果ださないから私がやるしかない。出来る私は幸せだと思ってるのよ」と
苦し紛れな言い訳をしました。
私はお酒を飲んでおり、リラックスした状態で軽く言いました
「あなたの話を聞いていると思うんだけど、基本自分以外の人が嫌いなんだね、不満ばっかじゃん」と。
母は大慌てで「そんな事ないわよ」と否定し「心外だ」と怒りだしました。
私は「そんなこと無いと思うよ。誰に対しても、愛情を感じない。いつも自分だけが可愛いんだよね」と
感情を入れずに言いました。
素面だったらこんな事は言えなかったと思います。
おそらくこれが感情的な語気であれば、母は激しく反発したでしょうが、たんたんと話したので
母は「そうかなぁ?」と、急に不安になったように考え込みました。
「うん、昔はお母さん悪口や愚痴なんてひとつもなかったよ。昼夜活動にでるようになってからだよ。
自分で気付かなかった?」と冷静に言ってみせると
「おかしいじゃない。学会活動で、心を磨いてるはずなのに」と苦笑いで自嘲気味に言いました。
その言葉に答えず、眠くなったので寝るわと会話を切り上げました(本当に眠かったのです)。

翌日は帰国日でしたがフライト中、3人とも映画鑑賞をし会話らしい会話もせず。
おそらくですが、母に前夜の会話が刺さっていて、無意識に愚痴や悪口を言ってしまう事を懸念し
(私に上げ足とられると)話すことを回避していたのではないかと察します。
空港到着し解散する際、母は
「あんたも色々思う所あるんだろうけど、とにかく信心だけはおろそかにしちゃだめだからね。
人に対して不満を突きつける時っていうのはね、自分の信心が歪んでる時なんだよ。
わかってるよね?」と私に釘をさすように言って別れました。
この期に及んで言うか・・と呆れました。
「人に対して不満を突きつける時っていうのは、自分の信心が歪んでる時」
ものすごい誤変換で責任回避の言葉を繰り出してきちゃったな、と落胆を通り越して笑えてきました。
”そっくりそのままその言葉、あなたにお返しします”
今ならそう言えますが、この時そんな機転はききませんでした。

信心一筋な母は唯我独尊。 なにも、ひとつも悪くないらしい。
「(創価)信仰」を何もかもの免罪符のように考えているんじゃないだろうか、この人は。
だとしたらもう、つける薬は無い・・。
私はそう感じ、自ら母との絶縁を考えるようになりました。

(29)に続きます。

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