非活決意 その後(30)

姉に電話を入れたのは、私の帰国から3-4日経過した頃でしたが
まだ姉は帰国しておらず嫁ぎ先の両親が暮らす場所(海外)に滞在中でした。
手短に話せる内容でもないので、姉が帰国し落ち着いてから連絡をもらう事で一旦おき。
直後に長子の小学校生活初の体育祭があったり、春先に購入が白紙になった不動産取得が
より良い条件の物件を紹介して頂いたりと、日常に良い変化が訪れたことで
私は母との確執問題をいったん棚上げにしました。
全くげんきんなものですが、実家を遠く離れて暮らして居るため、母を四六時中思うでもなく。
もうこの頃、日常的に学会員と触れ合う機会も無ければ仏間は「開かずの間」と化していました。
「創価(信仰)」は遠くなりにけり、でまったく視界に入れず生活できる状態にあれば、
心は波打たず穏やかなもの。
この時は一瞬、帰国直後の憤懣はどうでもよくなっていました。

姉から電話がきたのはほとぼりが冷めた頃。
カーッと頭に血が上った状態からすっかり平常心になっていたので、態々連絡をもらって
なんだか申し訳ないと思いながらも、旅先であった母とのやりとりをざっくり話しました。
「それでもう、すごく腹が立って。どれだけ私たちがお母さんに迷惑かけられたかわかってる?
創価のせいなんだよって言ってやろうかと思った」と姉に言うと
「それはどうなのかな」と考え込むような声が返ってきました。
姉は「確かに活動にどっぷりハマらないで欲しかったって母に対し残念な思いはある。
でも、私は”迷惑かけられた”とまでは思ってないんだよ」と。
ええっ?!
まさに晴天の霹靂です。
被害者意識をもっていたのは私だけなのかと、信じられない気持ちで
「じゃあお母さんが創価信仰を続けても、押しつけてこようとも、全然いいの?
それ(信仰)がなかったら親子の縁も危ういような関係っておかしくない?」と姉に聞きました。
姉の答えは「もちろん信仰の押しつけは嫌だけど、自分自身がしっかりしていれば問題ない」で
私の問いかけ(親子の縁も危うい)については「私にはそれが解らない」と答えました。
つまり姉と母のあいだには「信仰上の絆」なんて最初から無いので、私のいわんとすることが
解らないのだと。
姉の答えを聞いて、私はどーんと突き放されたような気持になりました。
姉と私では次元が違うのだ、と思いました。
姉に話しても理解できないだろう、と懸念はありましたが「被害者意識」に関しては
共通していると思っていたのです。
同じ家で育っていても、マインドコントロールから逃れた人間と・どっぷり浸かった人間とでは
感覚がまるで違うことを再び痛感し。
それは父の葬儀方式で揉めたときにも感じた事でした。
友人葬を反対する兄姉に対し、当時MC下だった私は「わかってないなぁ」と
がっかりしましたし、信仰の有無がネックで家族だろうと解りあうことができないことは経験済みでした。
しかし、私は「覚醒した」はずなのに。
姉との感覚の違いは、履歴の違い。私の人生の黒歴史(バリ活盲目時代があった)は姉にない。
私がいくらその黒歴史を無かったものにしようとしても「経験」として刷り込まれている人間のそれと
何も無いまっさらな人間とでは違うんだとの、どうしようもない差異を感じることになりました。
この件は後からじわじわ精神的にくるのですが、そのことは後日書きます。

私は、自分が子育てをはじめてから母親のおかしさに気付き、覚醒に至ってそれが「人の尊厳」を
失ったものだとハッキリわかって愕然としたと話しました。
姉はうんうんと聞いてくれたあと
「で、自分が母親になるの、怖くなかったの?」と聞いてきました。
どきっとしました。 
長子を妊娠していたとき、嬉しくて仕方がないというテンションでなかったことは確かなのです。
不安と戸惑いの中、淡々と受け止めていました。
姉はもともと子供嫌いで可愛いと思えなかった・
自身が母親になる事は考えられなかったし恐怖だった・自分は子供なんて生んではいけないと
思っていた。
上手く育てる自信も無かったし、自分は虐待だってしかねないと思ってたと言いました。
それを友人にいうと「どうして?」と聞かれたが、明確な理由が言葉では出てこなかったのだと。
後に本を読みその理由が(姉と母の)母子関係にあったと解って腑に落ちたと教えてくれました。
初婚の際、不妊治療にNOをつきつけたことが相手との離婚理由でしたが
相手に真の理由を言えず、子供より仕事優先だと嘘をつき続けていたとも。
”結婚したら子供をもうけるのが当然”との意識で結婚した前旦那に申し訳ないと思ったから、
最初に話さなかったから「詐欺だ」っていわれかねないしと。
「だからあなたが子育てをしているの、すごいなって思って見てた。同じ母親から生まれていても
恐怖感とか無いんだなって。お母さんとの関係がいいからなんだろうなって」と。
私は「そんなことない」と、常に不安と戸惑いがあった事や、母を子育てのお手本にしては
いけないことをかなり早い段階で気付き、周囲の友人や義母に倣ったと話しました。
姉は意外だったと言い、自分と同じ思い(母への不可解な思い)をしていたのならと前置き
「親に期待しちゃいけないんだよ。そんな考え捨てた方が楽になるんだから」と言いました。
姉曰く、信仰の絆うんぬんで親子関係をおかしくしてしまう母親にあれこれ突きつけようと
している私は、明らかに母に期待しているというのです。
”母を変えたい・気付かせたいと思ってる訳じゃない、残酷な現実だけ突きつけたい”だなんて嘘だと。
明らかに、母がそのことで何かを気づく事を「期待している」んだと思うよと。
もし本当に母を傷つけたいだけなら、それを聞いた母がおかしくなってしまったらどうしようなんて
心配しない。 
あなたはちゃんとお母さんのこと考えてる。そこには期待があるんでしょ?
私(姉の事)はお母さんに一切期待して無い。
自分の母親がこうだったらなと、他人(目上の女性)に対して思った事は何度もあったが、そんなこと
求めるだけ虚しくなる。
もう、自分が親になるような「いい年齢」なのだから、母の事は甘えの対象でなく
ひとりの人として受け止める。
家族だからどんなに(創価信仰のせいで)残念でも縁は切れない。
だからそこはうまくつきあっていくしかないんじゃない?と。
姉は私の事を「幼稚、大人になりきれてない」といい、
いまさら過去の不満を母につきつけたって仕方ない。その不満が何由来だろうと関係ない。
あなたが母を反面教師にして、2人の子供のいい母さんになれたら、それで上等なんだよと諭したのです。
私は痛いところを容赦なく突かれ戸惑っていましたが
姉に対し「すごいね、達観してるわ」と感想を述べました。

姉は簡単にそうなれたわけではない、と話してくれました。
思春期~20代の頃、どうにも母が嫌いで、父に「別れたら?」と言った事もあった。
相談相手はいつも父で、母になにかを頼もうとか(甘えたいと)思った事が一回も無い事。
母への不可解な思いを抱え続けてきたが、母子関係の本を読んで「これだったのか」と
霧が晴れるように納得した事。
納得しても、鬱屈とした思いを隠せない時もあったが、ある年配女性の話を聞いて深い感銘を受けた。
その方は周りに常に老若男女、人が集まってくる。
いつも柔和で自然体、誰からも信頼されており悪口を聞いたことが無い。
「どうやったらこんな素敵な人になれるんだろうか」と姉は常々尊敬していたとのこと。
父が亡くなった後、その方と食事に行ったそうです。
母との確執がある・身内で近隣住みは自分しかいないので、今後どうしたものかと頭が痛いと
打ち明けた。
その方は「あなたはお父さんに愛された記憶があるか?」と聞いてきたそうです。
姉は「ある」と答え「だったらよかったじゃない、十分よ」と返ってきた。
「誰からだっていい、愛情をもらった記憶があるなら幸せなこと。その愛情を今度は周りに
配るのよ。親とか他人とか関係ない。固執しない事が幸せの早道」と。
その方は、母親を恨んで恨んで生きてきた・母親が亡くなった時「やっと終わった」と思い、
涙も出なかったとの経験を語ったのだそうです。
その方は主に祖母に育てられた、複雑な生い立ち。
時に「あんたのせいで私の人生が狂った」と子供に向かって激しく毒づくような母親だった。
早く縁を切りたいと思い、若くして結婚し主人と起業。
その仕事がうまくいっていると聞きつけた母親から金の無心が長らく続いた事。
最終的には痴呆を患って介護施設のお世話になっていたが、見舞いに行っても毒づかれ
「私の人生をめちゃくちゃにしたのはあんただ」と言い続けられたと。
その方は
「唯一母親の事だけが残念だったが、私は祖母から大きな愛情をもらってきた記憶と自覚がある。
そして主人からも大きな愛情をもらった。だから生きて来られた。
今度は私がみんなに愛情を配る番」と心がけ、周りの人に接しているとの事。
その方にはお子さんがおらずご主人も先立ち、いずれ仕事は血縁のない後継者に引き継ぐが
財産は全て孤児支援の財団に寄付すると決めていると。
姉自身も子供をもつことは考えておらず、どうせならこの方のようにひとつ乗り越え、
自分が母から愛情をもらえなかった事を悩むのでなく、父からもらった愛情を誇りに
生きたいと思うようになったと語ってくれました。
この話を聞いて「そうだったのか!」と納得したのは、父逝去後の姉が本当に柔和になった
ことでした。
それまでどこか冷たい雰囲気を私は感じており、姉が実家に一番近い場所に住んでいるとはいえ
母を気にかけた行動をとることは期待できないと失礼ながら見ていました。
しかし姉は月命日のお墓参り、母を車に乗せて一緒に行ってくれたり、身の回りの事も気をつけて
くれていました。
信仰問題について、父の逝去後に母から「御弔いのためにもご本尊様を受けたらどうか」と
いわれたことがあったのだそうです。
以前の姉なら感情的にはねつけたでしょうが「私は自分なりに冥福を祈ってるから心配ない」と
断ったそうです。 このエピソードは初耳でした。

そして姉は私の事を「なにより無償の愛を子供達からもらってる」と言いました。
「勿論主人やその家族からももらっているだろうけど、だから良かったじゃない。
あなたはもうなんにも、お母さんに固執しなくていいんだよ」と。

既に憤懣の勢いが緩やかになっていたのもありますが、この姉の諭しは私に大きな影響を与えました。
なにより、創価信仰なんてもたなくたって、実の親から辛い目に遭わされた経験の持ち主が
「愛情を配り」自他共の幸せを築いている事に感銘を受けました。

創価の世界が唯一麗しく、人間味や情もあって暖かく、血縁関係などなくても「創価家族」として
励まし合い関わり合い、落ち込んだ人を立ち直らせたり、再起させ蘇生させる、
すばらしい友愛の世界なのだとずっと思い込まされてきた創価脳の頃。
創価外の一般社会(世間)は、濁悪で世知辛くとことん冷たいものだ、くらいの認識しかなかった。
知ろうともしなかったし(姉が話してくれたような素晴らしい人物のことを)知ったにせよ
「そこに生命哲学がないなら、そんなものは根なし草だ」とかなんとか、斜め上のカンチガイで
切って捨てたかもしれない。
生命哲学がなんだっていうんだろう。ていうか、生命哲学って何だw 
身の回りレベルの「自他共の幸福」は、何も大それたことではなく
宗教団体や特定の教えを介さなくたって、ごくシンプルな心がけで実現できるものでしょう。
そこに見えもしない三世や師弟をいれるから話がおかしくなるのです、たぶん。

この姉との会話を思い出すたび、覚醒できて本当に良かったとしみじみします。
もし私が、未だ「婦人部は大嫌いだけど創価は絶対」と盲信していたならば
こんな話を姉とする事は絶対に出来なかったし、姉との関係も微妙なままだった。
そして何よりも、私は自分を取り巻く環境や人間関係に「深く感謝」できなかったと思います。
姉との電話のあとに感じ入った事は、姉がとてもいい人たちに巡り合っていることの喜びと、
私自身も数々のすばらしい外部の人たちに囲まれ、こんな私でもおつきあいしてもらっている、
ありがたいなぁという心からの感謝でした。

姉の言葉に癒された私ですが、姉の言うように
「母に期待しない」
「母を母と思わず、ひとりの人間として受け止める」を心で反芻してみても、
どうしても無視できない・引っかかってくるのが創価信仰でした。

(31)に続きます。

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