非活決意 その後(32)

朝起きぬけの幻聴が続くと、心が追い詰められたようになり
日中普通にいつもの家事スケジュールをこなしてはいましたが、少しひとりの時間が出来ると
さめざめと泣いたりしていました。
なにか希望をもつことも面倒に感じ、本当に死んだら楽になるんじゃないか?そんなことまで
思い浮かべる始末。
自分のこれまでを否定するような事柄ばかり思い出され、完全に幻聴に心を引っ張られていたのです。
しかし徐々に「何かがおかしい」と思い、その声を腹立たしく感じだしました。
なんで私が死ななきゃいけないんだよ? そんな事をいうオマエは一体誰なんだよ!
その声に対して「うるさい!」と反撃の声を上げた朝、私はその声の原因を探り・退治してやると
決意。
その声の主を「死神」と名付けました。
寝ている場所が悪いのではないかと考え、実験的にリビングで寝てみることにし。
偶然かその日は幻聴が無く、ごく自然な目覚めでした。

死神の正体として、疑ったのは偽本尊でした。
5月以降、仏間は開かずの間と化しており。
かろうじて春先にお水がえだけしていた仏壇もまったく開けておらず、意を決して仏間に
入りました(大げさですが)。
その部屋には主人の私物もあり、主人がたまに(見かねて)掃除機をかけていました。
私だけが一切、仏間に入ろうとしなかったのです。
仏壇はうっすらと埃をかぶっており、手前の扉を開けてみるとお水入れは干上がっていました。
曼荼羅に書かれている「若悩乱者頭破七分」という文言に対して忌々しさを感じ。
この言葉は天台宗の妙楽大師によるものだそうですね。
何故にこの文言を曼荼羅にしたためたのか、知りませんが(今となっては知ろうとも思いませんが)
このときの私にはもう「脅迫」としか受け取れませんでした。
子供時代から「有供養者福過十号」をアメに「若悩乱者頭破七分」をムチに、
御本尊様しか信じるな・ご本尊様を裏切るな、学会しか信じるな・学会を裏切るなと言い聞かされて
きたのです。
このような偏った・特殊な価値観を植え付けられることが人生においてどれだけのマイナスなのか・
被害・不幸をを自他ともに広げてしまうのか。 
「自他共の幸福を目指している平和団体」だなんて、ちゃんちゃらおかしい話なのです。
そんな話、特殊な価値観をもつ者同士の間でしか成立しません。
言っていることと現実が真逆になっている事に気がつかないのだから、洗脳とは恐ろしいものだと
思います。

”私に死ね死ねいうのはお前か!”と曼荼羅を見つめ。
怒りがわいていました。
5月に日蓮仏法を否定するに至ったとき、お曼荼羅はただの巻き物だったとの認識に変化しては
いましたが、この曼荼羅がなにか魔物(死神)の棲み家になってしまったんじゃないだろうか?と
考えたのです。
だとしたら早急になんとかしたい、お焚き上げにでも持って行こうかな?と思いましたが、
脱会届もまだ出せないのに
(注:この当時は池田老人Xデーを待って脱会しようと考えていました)
お曼荼羅を先にどうにかしてしまっていいものか?と躊躇し。
さまざま考えた末、仏壇に布をかけて全体を覆うことにしました。
子供だましですが、自分なりに「死神」を封じ込めたつもりでした。

この日、次子の通うプレで1学期の学習成果を見る参観がありました。
合唱をしてくれたのですが、私は子供達の純真無垢な声を聴いて滝のように涙を流し、周りの
ママさんがたを驚かせてしまいました。
未就園3歳児の歌は、ストレートです。「うまく歌おう」なんて考えていません。
ただまっすぐで、生命力にあふれ、一生懸命で、私を励ましてくれているようで心が震えました。
「生きろ」とのメッセージを受け取ったのです、勝手に。
その声にものすごいパワーを感じ、私にとりついた悪しきものが洗い流されていくように
思えました。
次子の通う園は宗教系で、歌を披露した小ホールの正面には像が設置してあります。
窓からの光でその像が輝いて見え、子供達の声がさらに荘厳さを高めていました。
その独特の空間・雰囲気に包まれながらふと、私は心のよりどころを求めている・・
創価と日蓮仏法という「誇大妄想」は捨てたが、どこかなにかに「心の依り代」が欲しい。
そう思いました。
そして単純な私は一瞬「この(幼稚園の)宗派に改宗しなさいって啓示?」と思ってしまったのですが、
帰宅し冷静に考えると、ちょっと違うなと思え。
この夜は寝室で寝ましたが、幻聴はありませんでした。
今思えば、子供達の声のお陰で心が洗い清められ、リラックスしていたからなのだと思います。

しかし翌日は再び、とてもいやな夢を見て目が覚めました。
死ねの声は聞こえなかったけれど、寝床で横になりながら涙が出て止まらず。
自分が情けない・・と思っていました。
昨日は良い感じだったじゃん。なんで一日でこうなるのよ、と。
その夜、ネット検索中に「組織によるストーカー行為・電磁波攻撃」記事をいくつか読みました。
以前にも見た事はありましたが、その時は「いきすぎた盲想」だとしか思えませんでした。
しかしこのときは「さもありなん」と思ってしまい、今思えば精神的にかなりきていたことが
解ります。
幻聴を死神の仕業だと思っていたが、ひょっとしたら電磁波攻撃的な?!と思ってしまったのです。
リチャードコシミズ氏のブログにもある通り、組織が一介の末端不良非活会員を監視したり
電磁波攻撃するメリットなんてひとつもありません。 手間暇ばかりかかって、一利なしでしょう。
当時の私は(以前の)ブログを休止状態でした。
前にも書いたと思いますが、ブログサービス全体のパスワード流出で再設定をしなければ
ならなかったところ
ちょうど5月の日蓮仏法をも否定するような覚醒と時期が重なり、放心状態からブログも放置で
気付いたらもうログイン出来ない状態になっていたのです・・そして私はこの件をも
”組織がアンチブログを更新させないように仕組んだのか?!”なんて妄想をこの時していましたw
そのブログは1日多くて30人ほどが見に来る程度。
組織側に認知されていたとも思えません。
だのにそこまで(なんらかの攻撃を少しでも疑い)怖れを抱いていたのだから、
私は心と頭でどれだけ創価を拒絶し・自分の意見をはっきり言えるようになっていても、まだまだ立派な
創価脳だったということです。

身の危険を感じた私は、ドアモニターを留守録画機能のついたものに変え、防犯グッズを
各ベランダに取りつけました。
仮にこれが組織からの攻撃なんだとして、とにかく証拠を残さないといけない、そう思ったのです。
しかしそのような「証拠」は当然のことながら残せるわけなく、私の幻聴・悪夢もこの直後の
意外とあっけない出来事を境にぴたっと止まります(次回書きます)。
今となっては当時の(組織に狙われていると怯える)自分を滑稽に感じるのですが、
ドアモニターの留守録はなにかと役立っているので、つけてよかったと結果論ですが思っています。

創価問題で、覚醒を機に精神を病まれる方は大変多くいらっしゃいます。
それほどマインドコントロールが強靭で、尋常でなく、反動がきついものであることは間違いありません。
私は医療投薬のお世話になる事はありませんでしたが、仮に幻聴や悪夢がずっと継続していたら?
このブログは無かった・おそらく書けなかったと思います。

たまに覗く活動家さんのブログに毎回「大確信」という言葉が出てきます。
私はその「大確信」を見るたびに「罪な思いこみの強さ」だと、なんともいえない気分になるのです。
かつてバリ活時代の私も常に大確信、絶対に成し遂げる・やってみせる・不可能を可能にするのだ!と
気合を入れてお題目を上げ、自分を鼓舞して活動に現実の生活や仕事にと体当たりしていました。
この思いこみの強さこそが=大確信=組織でいう信心強情というものだったと、現在はそう考えます。
そして、この思いこみを強く持てれば持てる人ほど、盲想も強い。
洗脳は解けにくいですし・仮に解けた時の反動・精神被害も甚大で、心身ともに病むことになるのだと
思います。
なにもそれは「若悩乱者頭破七分」なんかじゃないのです(バリ活はそう言いたがりますけどねw)。
非常識を常識と教え込まれてきたと、正しいと信じてきたものが嘘っぱちだったと、
人生数十年経ったところで知ったなら誰だってそうなります。
ある意味、道理です。

”思いこみ”を捨てることは、本当に大変です。
長年ガチガチに矯正された考え方の癖はそう簡単に修正できません。
かくいう私も、何度も書いている通り、未だ覚醒の途上なんだなと思う日々です。
が、この時間は私のものだから焦らず一歩一歩、気付きを与えてくれる物事の全てに感謝しながら
好奇心を持って、毎日を知の蓄積としていきたいなと思っています。

(33)に続きます。

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