功徳選挙という愚行

私がブログを再開するきっかけとなった、2013年7月 参議院選挙。
やっぱり創価はおかしい・選挙を信仰活動と捉えさせる組織は狂ってる、と
再確認した出来事でもありました。

近年連続した選挙戦を通じ覚醒に至った、とのコメントも幾つかいただいております。
法戦、法戦っていうけど・・学会員は選挙屋じゃねぇぞ!と少しでも不満・不審に思った時点で
思考停止の扉を開ける事が出来たのだと思います。

また、公明党が他党と繰り広げる政局茶番劇を見、支援することがバカバカしくなった事から
覚醒に至った方もいらっしゃいました。

ここ最近、集団的自衛権の解釈拡大について毎日のようにニュースで取り上げられています。
公明党や創価学会の名前を一般報道で見る頻度も上がりました。
そして組織の現場はすでに来年春の統一地方選へ向けた流れになっているとの情報。
組織内だけの情報に頼り、他の事を知ろうとしない状態にある方々は
おそらくこのまま「特定政治団体を猛烈に応援する事=信仰活動」と捉え、何の疑問も持たず
F取りに邁進するのでしょう。 その多くは高齢者でしょうが。
しかし、若い世代を盲目のまま、そこへ向かわせることが出来る世の中ではもう無くなっています。
疑問を持ち、ちょっと学会外の世間の意見を知りたいと思えば、ネット環境を介して
幾らでも知ることのできる時代です。

知ることを恐れないで欲しい。
そして知ったなら、突き詰めて深く深く考えてみて欲しい。
それが思考停止の扉を開ける事になります。
嫌いになれ、真実を知れ、というものではありません。
ただ静かに、自分の行いを見つめ・その行動の原動力(源)についても確認をしてみてほしい。
「突き詰めて考える」この思考習慣が創価脳にはありません。
創価仏法という万能マニュアル(しかし実際は組織のルール)に沿って全ての事象を片付け
理解するから、思考力が弱いのです。
私がブログを始め、コメントを頂くようになってすぐ、ある傾向性に気が付きました。
それは覚醒直後「マニュアルが無ければ生きられない」と思いこんでいる人の多さです。
覚醒までの長い人生を、ひとつの組織ルールに則って暮らしてきたということは
結局「自分で考える機会が少なかった」ということです。
だから戸惑い迷い、誰かや何かに方針を指示してほしいという思いに駆られる。
未活歴が長かった私でも、直後は何かに依らなければ・・と不安になり、しばらくは宗門へいくことを
検討したくらいでしたから、バリ活の状態から突如覚醒した方などは、もっともっと不安や戸惑いが
大きく・苦しまれると思います。
けど焦らなくて大丈夫です。
多くの方々は、月日の流れの中で創価外の多くの知識を得、学会活動を排除した生活習慣を
体得して行く中で「マニュアルなんてなくても生きられる」事に気が付きます。
組織離れが進めば、思考習慣も変化します。
自分で考えて物事を選択・決定し、行動することの醍醐味に気付きます。
そして自分がいかに狭い特殊世界にいたのか・偏狭な思いこみに囚われていたか気がついて
ぞっとするのです。 私は経験者だからそう言えます。

前置きが長くなりましたが、2013年夏の選挙を契機に私と母の「対峙」もスタートしました。

非活宣言をした私のところに、地域の学会員が連絡をよこすことは無くなっており、
この選挙については「投票したら連絡ください」といういつもの要請もありませんでした。
私はそれを「個人(私)の意志を地域学会員が尊重してくれたんだな」との認識でいましたが、
創価学会員の選挙にかける執念を甘く見ていました。
私に一切の事前コンタクトを取らずに居たくせに、当日実家の母へ電話を入れ
「娘さんの投票確認がとれません、お母さんから確認して頂けませんか」と言ったのです。
母は私が(組織で暗黙の了解となっている)「連絡義務」を怠ったと、烈火のごとく怒り
留守電を何度も携帯に入れていました。
この記事に書いたとおり、私は外出先にて充電残量が少ないという理由で電源を切っていました)

創価学会の末端組織において、選挙の投票を済ませた事を地域に連絡する事は「義務」。
こんなこと、会則にひとつも記載はありません。
あったらおかしいですよねw 政教分離をうたっているのに。
暗黙の了解でまかり通っている、実は政教一致のトンデモルールです。

留守電の切羽詰まった母の声に、いやな予感を抱きつつも連絡すると
「なにやってんのよ」と怒鳴りつけられ。
その時初めて、地元組織から実家に投票確認の電話が入った事を知って私は怒り心頭。
それを契機にこのブログをたちあげた事は、非活決意その後の最終回で書きました。

ブログ再開を思い立つほど、何に腹が立ったかって、創価のやりくちに対してでした。
地元地域の学会員は、自分たちの責務(連絡業務)を果たさずして
投票確認を入れない私自身が100%悪いように、母へ連絡を入れていました。
自分たちが働きかけを一切行っていなかったことを、母には告げていないのです。
なので母は、私が連絡をしていない事を「契約不履行」のごとく責めたててきました。
私にすれば晴天の霹靂であり、事前にコンタクトがあれば「投票はしますが公明党は支持しません」と
はっきり組織員に伝えました。そこで話はついたはずです。
しかし、一切私にコンタクトもないまま、組織の人間が私を飛び越えて実家に連絡を入れたことで
母も私も互いに物凄く不愉快な思いをさせられた。
しかも不運なことに、私たち親子間において最悪最低とも言えるタイミングでした。
なんて卑怯なまねしやがるんだ!と、創価とその組織員に対してこれほどまでにない憤りを感じました。

「どれほど投票確認が大事なものなのか、活動していたなら知ってるでしょう?」
母の言葉に、大きな違和感がありました。
ええ知ってますよ。だからってそれが何なの?
選挙に信仰を絡めて考え無くなってしまった私からすれば、選挙における創価脳の必死さは
呆れを通り越してお笑い(冷笑)でしか無い。
認識を変えてしまった私を、その「必死さ」に巻き込むなよ・・という思い。
そして創価脳当事者たちは、たとえ非活であろうとも、統監に名前があるひとりの票をも
「絶対にとりこぼしてはならない、師匠にお応えするために、完全勝利のために!」とかなんとか
それが非常識な行為であっても投票確認を正当化。
自分たちだけの絶対正義やら・師匠や学会組織への忠誠心から、全く己の愚行を顧みる事は無い。
その行為が、迷惑だとか非常識だとかは思いもしない。
創価組織や大師匠(池田老人)から「大勝利を!」と号令がかかったことならば、それは正義。
こんなバカげた思いこみで暴走してしまう、創価脳の愚かしさを嫌というほどこの選挙で思い知った。
そしてそんな迷惑創価脳に対し、この行為を正当化してしまうことがどれだけ「おかしい」事で
「間違い」であるかを、私はつきつけてやりたくなったのです。
前の記事にも書いたとおりですが、私は犯人探しをして当人に話をつけに行く気ばりばりでしたが、
組織も母も犯人が誰かを教えてくれず、それは叶っていません。

私は犯人がどうして遠方の実家にまで電話を入れてでも、投票確認をしなければならなかったのかを
考えてみました。
思い当たったのは結局「己のことしか考えていない」此処に尽きると思います。
その行動原理はなんなのか。
口では言うでしょう「(祥蘭に投票行為で)福運を積ませてあげたかった」「組織の為」
「池田先生に大勝利をご報告したい」「公明党を勝たせることが救国に繋がる」云々・・。
しかし内心はといえば。
組織からの突き上げが厳しくて、何が何でも内確%を上げたいと戦々恐々だったか。
もしくは自分自身の福運功徳のため・個人的な目標値を果たすためだったのか。
どんな理由も知ったこっちゃないですが、そのような目的を果たすためにとった手段が正攻法
(私に直接連絡を取って聞く)ではなく、トラブルを招くことが予想されるような手段だった事について
本人がどう考えているのか、私はそれが知りたかったのです(今も知りたいです)。
きっと「そこまで深く考えて無かった(軽く考えていた)」のでしょう。
同じ学会員だから・非活とは言え脱会はしてないんだから、わかってくれるだろう的な。
親には逆らえないだろう、的な?
考えが甘すぎるのです。選挙法に抵触しかねない事例だという認識がなさすぎる。
そんな甘い認識でいたら、組織の足を引っ張るような目に遭うかもしれないこともあると
知っておくべきでしょう。 敵は内側にも山ほどいるよ、って事をw

そして、こういった迷惑行動をも活動家は「仏道修行」という認識で正当化する。
例えば嫌がる部員さんや外部を期日前投票に引っ張って行ったとして、結果恨まれても
「相手にも必ずや福運が積まれる。だからいつか解ってもらえる時が来る・嗚呼、あの時投票に
行っておいてよかったと思ってもらえるようになる」などと希望的誤変換をする。
そして勿論自分自身にも福運が積まれると勘違いする。
政治や選挙はおまじないではありません。
政治や選挙は「実務」です。
百歩譲って、仏法対話が相手の知識に実りをもたらす事があっても、選挙にまつわる学会員の
他者への働きかけが両者にとり「WIN-WIN」になることは無いのです。
創価脳は自分にも相手にも「福運がつく」と信じ込まされており、相手に対しても良い事をしているの
だから「WIN-WIN」の関係になれるとの前提で選挙支援を戦う。
しかしそれは、学会組織の中でだけまことしやかに語られているおとぎ話です。
現実世界においてそれはありえない。
政治や選挙が実務である限り、そのようなおとぎ話の世界観で多くの人間が選挙支援をする事が、
国益を損ねる事態にもなりかねないという現実を、冷静になってよく考えてもらいたいと私は思うのです。

活動家の皆さん方は必死の選挙支援において、その行動原理を突き詰めて考えた時、
明確に自分で「間違いない」と言える理由があるのでしょうか?
そして万が一、その選挙法違反に触れかねない行動が公になって矢面に立たされた時、
「私は間違ってない」と、堂々と胸を張って言えるのか。
世法で「罪」となっている以上、責められることになっても甘んじて受けて立つ覚悟はあるのか。
選挙でトラブルを起こす末端会員を創価が護ってくれることは100%ありません。
福運功徳に目が眩んで戸別訪問や当日確認を行う事は、止めた方が身のためです。

話が若干逸れているので元に戻します。

この選挙前には都議選もあり、母は春先~7月までずっとF活動をしていました。
ふたつ大きな選挙が続いたことで、大都市および候補者を抱えている地域の学会員の心労は
かなりのものだったと思います。 
参議院選挙で、地元のおかかえ候補の当確が出た時間に母からメールが入りました。
「当選しました。お疲れ様。私もやっと休めてほっと一息で入院します」と書いてありました。
えっ?!どういう事?
翌日電話を入れたところ、大病ではありませんが選挙を理由に手術を先延ばしにしていたとの
話がありました。
「そんな・・自分の身体の方が大事に決まってるじゃない!おかしいよ!」
私は思わず強い口調になっていました。
母はマズイ事言ってしまった・・という感じで、簡単な手術だから事後報告するつもりだったのに・
大勝利で気がゆるんじゃったわーなどと言うのです。
手術入院は1週間とのことで、夏休みでもあり、私は子供達と退院にあわせて帰省する事に
しました。

(次回に続きます)

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