唱題について考えた①

創価の(元)活動家なら、100万遍唱題に挑戦された方も多くいらっしゃると思います。
私も過去挑戦したひとりです。

”どんな苦境もお題目の力で乗り越えることが出来る・お題目をあげ抜くことで勝利できる”という
創価教義は、学会員の中では常識同然のものでした。
池田老人の指導「最後はお題目の数で決まる」こんな言葉も幹部指導の常套句。
「お題目の数」
どんな事柄であっても、数値を重要視する組織w 
女子部時代、唱題数の報告というものがあり、毎月いくらあげたか部員が担当者(各支部に1人)に
報告し、本部→圏県吸い上げというシステムがありました。
お題目は15分を1000遍とカウントしていたので、唱題数が多い=仏壇の前にへばりついていた
時間が長かったというひとつの”物差し”。
唱題数が少なければお咎めがあるとか、そんなことは一切ありませんでした。
が、部長をやっていた時に本部長が「本部唱題数がいつも少ないので、本部で唱題会をとりたい」
と言いだし実行した時期がありました。
日曜の朝8時から2時間。帰宅後、自宅で30分あげれば1日で1万遍になるという計算。
なぜ8時からかといえば、10時からは圏単位の会合がとられる事も多いからです。
日曜の朝っぱらから会合のはしごw これは珍しいことではありませんでした。
”日曜だからゆっくり朝寝坊”なんてしていられない。仕事でもないのに・・。 
活動家当時は「休日の朝から福運積みまくり」なんて思っていましたw 恥ずかしい。
また、圏で女子部の10時間唱題会も半年に一度開催。
10時間みっちり参加する人は少なかったですが、合い間の数時間でも参加必須。
役職者は導師・副導師の当番を30分ごとに割り当てられ、その時間は絶対に会館に行かなければ
なりません。
うら若き女性の休日に時間的拘束を強いていた訳です。
活動家からいわせれば「福運を積むための機会を与えてもらっている、時間的拘束なんかじゃない!」
のかもしれませんが・・。
覚醒した今、私が思うことは組織が唱題数を掌握すること=どれだけ外部との接触を減らせているか・
遊びにうつつを抜かしていないか、それを見張る目的もあったんじゃないのか?という疑惑です。
どんだけ時間をかけて祈ろうが・短時間だろうが、個人の自由です。
それをいちいち組織を上げてカウントする事になんの意味があるのか?
ギネス申請するわけでもあるまいし、監視以外考えられません。

お題目で福運が積めると本気で信じている人はどうぞご自由に、と思います。
(ただしそれを他人にもやるよう、押し付けたりするのはお門違いです)

創価教義も、御本尊も信じるに値しない・必要ないと考える人間の目線で見れば
一心不乱に何時間も呪文をとなえるがごとく題目をあげる、その行為で「福運が積める」というのは
怪しい、浮世離れした印象しかないのです。

そして100万遍唱題が、四者通じてひとつの「目標値」「イベント」となっていました。
なんの目標値かといえばこれが曖昧なのですがw ひとつの願い事に対して100万遍をあげることで
ある程度の「結果」が出るというような共通認識があったように思います。
勿論、それで結果が出ない事だって当然あります。そんなときは「お題目がまだ足りない」のだと、
200,300万遍と重ねて行きます。
筋金入りの壮婦なんかだと「(数十年かけて)1000万遍をO回やった」方も居ました。
それで願いが叶った人もいれば、そうでない人もいるし。
お題目(の数)のおかげで、何もかもが自分の思い通りになりましたーという人に、私は残念ながら(?)
お会いしたことは無かったです。

この100万遍で私の印象に強く残っているエピソードといえば、
青年部の頃「100万遍アタック」なるものが流行していた件です。
発端は某地の男子部(喪男)が、女子部幹部(美女)にひとめぼれ。
全く面識も直接的な繋がりもなかったのに、彼女に対して
「あなたと結婚したいので100万遍のお題目を送ります」と宣言。
彼女は突然の宣言告白に驚き、辞めて欲しいと伝えたのですが、彼から「いまO万遍です」と
時折報告を受けるようになった。
男子部は宣言の日から1カ月あまりで100万遍を達成し、彼女に報告し再度プロポーズ。
彼女は男子部の熱意に感動し、最初は全く気が無かったにもかかわらずOKしたという体験でした。
喪男が、県でも評判の美女を射止めた感動のエピソードとして語られていたのです。
これは創価脳の人にしか理解できない・常人には理解しがたい事だと思います。
創価脳の女子部にとって、自分のために100万遍のお題目を送ってくれる男子部は「素晴らしい人」と
捉えられた、ということなのです。
しかも、バリ活で恋愛経験など殆ど無い女子部幹部だったからこそ、その「感性」に
訴えかけるものがあったということでしょう。

以前の記事にも書きましたが、私もこの100万遍アタックを受けた事があります。
それも、10歳以上年齢が上の、私が未来部だったとき既に男子部で未来部担当だった人から。
当時創価脳で活動家の私でしたが、正直キモかったです。
まったくもって「感動」なんて出来ませんでした。
それは私に乏しいながらも恋愛経験があり、スレていたせいもあるかもしれませんw
生理的に受け付けない人から100万遍なんて勝手に祈られたって「困ります」としか言い様がない。
「好きな人がいます」とお断りをしましたが、ものすごく罪悪感がありました。
当時活動家だったので、お題目の”数の重み”だけは理解ができたのです。
「不可能を可能にする」お題目じゃない事がよくわかるエピソードだと思います。
男子部が女子部に「君の事を祈らせてほしい」というのがひとつの交際申し込みや・プロポーズに
なっているという話もあったくらいで、私の周囲の女子部員にも経験者が多数いるのです。
いま冷静に考えると、こんな告白唐突すぎるし、コミュ障以外の何物でもない気がしますw

また、逆パターンもあり。
地域の男子部で遊び人がいたのですが、その人物の奥さんはもとバリ活女子部。
男子部に片思いをし、猛烈にアタックしていたが「外見がタイプでない」という理由で彼は相手に
しなかった。
しかし奥さんは100万遍唱題をあなたに送ると彼に宣言。
男子部は池田心酔者。池田老人の指導に、結婚相手の女性には「題目をあげぬく人、
とにかくお題目を沢山上げる人を選べ」とあったので、タイプでない彼女を嫁にしたのです。
しかし、もともと遊び人だっただけにおさまらず、不倫をしておりそれは活動家のあいだで
周知の事実でした。
そんな状況をも彼は
「あいつ(嫁)は俺と結婚したくて100万遍あげた女だ。俺が裏切ることはあっても、
あいつは俺を裏切らない。
逆プロポーズの言葉は”あなたのためなら一生お題目を送り続けます”だったからな」と
豪語していました。
周囲にそれを咎める人も居ないでは無かったのですが、奥さんはいつもにこにこ笑顔で
「いいんですよぉ~」と。 妻の余裕を見せたかったのでしょうか・・。
その男子部の家にお邪魔したことがありましたが、手狭な賃貸住宅にどでかい立派な仏壇。
数百万円したというそれは、奥さんが購入したものだということでした。
それも、貯金が全く無い彼のために「仏壇に見合う家に住める境涯になれるから」と奥さんが
嫁入り道具に選んだものだと聞きました。
当時はこんな夫婦像を「変なの」と思いながらも、私も独身でしたしよくわからず、深く考える事も
ありませんでした。
しかし今、覚醒し自身も既婚者となると「異常だ」という感想しかでてきません。
本人同士がよければそれでいい問題かもしれませんが、彼も奥さんもどうかしている。
本当に人を好きになった事が無い・他者の痛みがわからないから自分の痛みにも鈍感なのか?と
思わざるを得ないのです。
この夫婦はお互いに学会っ子、いわゆる福子です。
そのためか人の尊厳を知らずに育ってきてしまったのかもしれません(私も同じくですが)。
その後この夫婦は離婚しました。
奥さんが子供をひきとって今も地元に住んでいますが、男子部はどこへ行ったか不明です。
彼の為にと奥さんがあげたお題目の数は、百万じゃきかないでしょう。
そして彼の為にと買った巨大仏壇に見合う家には、残念ながら住めずに今に至ります。
こんな人生経験を経たらアンチ創価になってもおかしくないと思うのですが、彼女は現在も
活動家です。
離婚当時、伝え聞いた話ですが彼女の親御さんは地元を離れる事を勧めました。
しかし彼女は「逃げたくない」と、離婚後も地域に居続けたのです。
戸田先生の「場所では無い、信心だ!」を地でいく心意気に当時の私は驚きつつも
「すごいなぁ」と感心していました。
しかし、自分がその立場だったら絶対に引っ越す。憐れみも嫌だけど面白がられるのも絶対嫌だ。
そんな風に思っていました。

最近思うのです、創価でいう「負けない心」の中には「羞恥心をなくす」とか「客観的に自分を見ない」
ことも含まれていたんだなぁーと。
なりふりかまわず、ある種の「図太さ」がないと成立しないのです。
どれだけ長く信心を続けていても、堂々巡りで結果は出ない。
一般の人ならば、諦めて他の方策をあたるなどするでしょう。
けど創価脳は「負けてはいけない」から、他の方策をあたるだなんてもってのほか。
信心で勝たなければ意味が無い。
だから逃げません。ずーっと結果が出なくても、です。

長くなりましたので②に続きます。

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