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ネガキャン(1)

ちょうど20年前、私は女子部の活動家で地区役職をしていました。
当時~数年間が最も「日顕宗撲滅運動」の激しかった時代として記憶に残っています。
宗門から破門を受けてまだ間なしの頃、現場は狂乱していました。
私はその空気になじめず、強い違和感をおぼえていました。

地域の座談会で、日顕氏を蔑む替え歌を婦人部が披露、
学会歌同様に大きな歌詞カードを作成し、参加者全員で歌うよう音頭を取ります。
お富さんの替え歌で♪死んだはずだよ阿部日顕~♪と、手拍子を取りながら歌わされるのです。
私はこのような幼稚な行動になじめず、歌いたくないと思い、歌いませんでした。手拍子はしてましたが。
最近まで、登山の喜びを語りあっていたおばちゃんたち(婦人部)が、
師匠の敵・学会の敵だからと目の色変えて日顕氏を罵倒。
聖地であったはずの大石寺を「謗法の山」と呼ぶ。 ほんの1-2年前まで、嬉々として行ってたのに。
地域の座談会だけではありません。県単位の活動家大会でも、日顕氏に扮した壮年部が
青年部から棒でボコボコに叩かれ袋叩きになる寸劇を披露。
悪は攻めて攻めて攻め抜いて行こう!仏敵倒すぞ!オー!と会場全体で勝どきをあげていました。
一時期、会合の出しもの(1コーナー)に、こういった嫌日顕宗ネタを入れるのがお流儀になっていて
そういった茶番を、私は常に一歩引いて醒めた目で見ていました。
そこまでやらなくても・・・と思っていたし、それをやることに何の意味があるの?と。
馬鹿みたいだとおもっていましたが、そこは口に出せませんでした。
毎月の同時中継でも、男子部長(青年部長?どっちでもいいや)が登壇すると必ず日顕宗ネタでしたよね。
裁判の話が中心でしたが、学会勝訴の話しか聞いたこと無かったです。
実際は敗訴もあるのに、それについて同中で発表しているのを私は一度も聞いたことがありません。
男子部長の、口唇のはしに泡をためて大声でまくしたてるあの演説スタイルは、とても正気の沙汰には見えず。
内容の是非をさておいても、見苦しいしうるさいだけなので、私はいつも秋谷会長の話が始まるくらいの
時間を見計らって(ちょっと遅れて)会館に行くようにしていました。

実際に会った事も、話した事もない日顕氏を、自身の敵だと思えという指導もありましたが、
これも無茶な話です。
(同じく、会った事も話したこともない池田老人を、師匠と思えといわれても私には無理でした)
「師匠の敵は弟子の敵」「師匠のかたきは弟子が取る」幹部指導でよく叫ばれていました。
私は師弟観に疎く・原点のない会員なのでこれらの号令は全く心に刺さらず、受け流していました。

そういえば、県本部の指導会に行ったメンバーが自身の悩みがなかなか解決しないことを話すと
担当幹部が唐突に「あなたは日顕宗撲滅を祈念していますか?」と問うてきたとのこと。
日顕宗撲滅を真剣に祈念しないから壁が打ち破れないのだ、他人事と思っているうちはダメ。
極悪を攻め抜かない姿勢=自身の一凶を見過ごしていることと同じだから、真剣に祈念していきなさいと
言われたと聞き、私は驚きで受け止めました。
悩みが解決しないのは、信心がたりないからじゃなく、日顕宗撲滅を真剣に祈念できていないからだなんて
初耳でした。
この指導には続きがあり、「御本尊様にどんな事を祈念してもいいのですか?」と聞いたところ
幹部「相手の”死”以外は、なにを祈ってもかまいません」との回答だったのです。
その理由は、誰かの不幸が誰かの幸福な場合もあるし・表裏一体だからということでした。
これは今から12年ほど前の話です。12年ほど前の創価では、他者の不幸も祈念していいと言う事になって
いました。
きっと、日顕宗撲滅祈念を会員に促すにあたって、至極まっとうな質問
「他者の不幸を祈念してもいいのか?」が殺到し・つじつまを合わせるためにそんな指導が生まれたのでは
ないかと思います。
こんな指導を聞いても、私は深く考えませんでした。
日顕宗撲滅に対し無関心だった+思考停止に陥っていたからスルー出来たのです。
本来ならスルーせず「それはおかしい」と気づくのが普通なのだけど。

当時、なぜ日顕宗を組織を上げて攻撃するのかその理由について「破和合僧だから」と幹部は説明していました。
そのほか、女子部や婦人部幹部が好んで使っていた説明としては
「日顕氏は、自分より人気があって称賛を受けている池田先生が憎い。だから学会を切った」
「日顕宗は嫉妬のかたまり」というのがありました。
うちの母など今現在も↑こんなこと言ってます。
この言い草「人気があって称賛を受けている池田先生」に、池田老人の自惚れを感じて苦笑いでした。
池田老人に対しての思い入れが何もない人間からすると「そうでもないよ」って感じで・・・。

また当時、創価新報が毎号毎号、スキャンダラスな宗門ネタでスポーツ新聞化していくのも
面白半分で茶化しながら見ていましたが内心「ここまでやるか?!」でした。
いかに宗門が遊蕩三昧かを知らせたかったようですが、百貨店で高額なメガネを買ったとか
そんなこと「誰が興味あんねん!」だったし、記事としてとりあげるほうの品位を疑ってました、当時から。
創価新報がねつ造写真を掲載していたことは、覚醒後に知って驚愕しました。
さもありなんとも思いましたが、なんでそこまでやらなきゃならなかったんでしょうか。
嘘をついてまで、日顕氏個人と周辺、宗門を貶める必要があったんでしょうか。
余談ですが、昨年末に知人のお店(学会員です)に創価新報が置いてあったので見せてもらったら
20年経過したいまだに日顕宗のこきおろしをやっていて、笑ってしまいましたw

創価では「大悪は攻めて攻めて攻め抜かないといけない」と、宗門叩きを正当化していたけれど。
写真や記事をねつ造してまで、相手を貶めるということは、宗教抜きにしても人道的に
「やっちゃいけないこと」です。
繰り返しになりますが、私は昨年覚醒するまで、あの創価新報に捏造写真が掲載されていたこと・
宗門との裁判に組織が数々敗訴していることを知りませんでした。
勝訴は聞いても、敗訴なんて教えてくれた覚えがない。
私はここ10年間、未活動で組織から離れていたから知らなかっただけかもと、ずっとバリ活やっている
実家の母や伯母に聞いてみましたが、その件は知らない・ネットで知ったの?だめよネットなんか見てちゃ。
ぜんぶ嘘が書いてあるんだから! と、判で押したような回答でした。
また、バリ活当時の同志で今も活動家の婦人部にも聞いてみましたが
「仮にそう(ねつ造)だったとしても、創価新報の人が勝手にやったことで、池田先生の指示では無い(と思う)」
という回答でした。
そのような不祥事があったなら、会員にお詫びコメントのひとつも出すと思いますが。
都合の悪い事は何もかもひた隠しにし、会員にはマイナスな面を見せないように徹底している。
会員を馬鹿にしているのです。
あいつら馬鹿だからなぁって、なめられているのです。
なんでそのことに、気づかないのか。 それはやはり、自分が積み上げてきた「信仰」を崩してしまうのが
怖いからじゃないでしょうか。
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