限界コミュニティの憂鬱

前回の続きですが、その前に。
「65歳以上の高齢者が50%以上の集落」 これが限界集落の定義です。
高齢者を「活動家」集落を「組織」とおきかえてみれば、創価末端組織の現状と近似していることが
理解できるかと思います。
私の居住地域の婦人部担当者(地区レベル)もついに40代がいなくなり、50-60代になった事を
先日知りました。
また、実家方面でもしらゆり長は70代、地区婦と支部婦は40-50代であるものの、派遣や
兼任だということです。
人口統計的にいっても、組織から若い人が消えることは必定な面はあります。
私は40代、いわゆる団塊ジュニアでまだ人口としてボリュームゾーンではありますが
その40代活動家もどんどん減って姿を消している事を考えれば、組織の限界集落化は単純に
人口動向をなぞった現象ではないと解ります。

前回も書いた、限界にある組織独特の閉塞感。
若ければ飛び出す事もできるかもしれません。まるで創価の実態・矛盾に気付いた人たち
(20~50代)が非活宣言や脱会をし、地域・組織との決別を選ぶように。
しかし、息苦しさを感じてもその場にとどまらざるを得ない、やむなしと諦める人たちがいる。
それが50代以上の、まさに「人生の仕上げ」をしている年代以降だというのが興味深く思います。
そこを長く生活の場としてきたが故の動けなさ。
創価を離れたところでどこへ行くのだ。ご近所づきあいができなくなったら困る・
すでに地域社会から孤立しているのに、組織から飛び出してこれ以上孤立したくない・・云々。
疲弊した状態で組織に居続けるのは、そんな人たち、とりわけ高齢者ではないかと思っています。

勿論、組織になんの疑問も持たず・とにかく素晴らしい!とテンション高く楽しんでいる人も
存在するとは思いますが、末端現場にそのような人(とりわけ壮年婦人部)は珍しいでしょう。
協議会に顔を出すような活動家の方々は常に数字に追われる生活を強いられている、これは
10年20年前から現在に至るまで全く変わっていません(いやむしろ、昔より今の方がきついかも)。

地区やブロックを整備し、世間=学会員との地域共同体にまで押し上げた手法は
見事と言うべきか。誉めたくはありませんが、おそろしいまでの拘束力を発揮していると思います。
しかしそれが単純なる「同じ信仰を持つ者同志の集まり」ではなくなっている一面が
限界コミュニティ(創価地域社会)に、あるように思います。
またまた実家方面の話になりますが、母から聞いた話で「いかがなものか」と思った事柄がありました。
限界集落化したからこそ起きたかに思われる
信仰を飛び越えて「私生活」に立ち入った、下世話なできごとです。

私の母は、父が亡くなる数年前まで夜の学会活動を禁止されており、昼間の会合のみ参加していました。
父が亡くなって以降、朝から晩まで活動をするようになったのです。
私の父がアンチであることは組織内でも有名であり、そのせいか地域の人たちもどこか母に遠慮して
接していた部分がありました。
が、父が亡くなった後、急速に密な付き合いになって行ったメンバーがいます。
独居老人になった母も、心細さのあまりメンバーを頼りにした面があったかもしれません。
地域に中心人物となる婦人部幹部(60代)がいます。
この幹部が組織内のあらゆる事柄を仕切っており、地域同志の家庭で不幸があると香典の額を
勝手に決めて「一律幾ら包んでください」と連絡を流してくるというのです。
常識的な金額の事が多いのですが、近年あるメンバーの身内が亡くなった際
「一律一万円で」と連絡が来たそうです。
母にしてみれば特別懇意でもないメンバーで、会合で週1-2度顔を合わせる程度。
私の父の葬儀では親族以外からの香典は受け付けませんでした。
さすがに母は、自身との関係性のわりに高額ではないかと思い、金額の理由を元幹部に尋ねました。
元幹部曰く、公にはしていないがメンバー宅は生活保護を受給している。
葬儀費用もままならない状態なので、助け合いですと言ったとの事。
母ははっきりと「おかしい」と思ったが、自分の意志を主張する事もその時は出来ずに指定金額を持参。
葬儀費用もままならない、といったわりに、公民館等の葬儀ではなく葬儀社のホールでの友人葬。
母は「常識を疑う」と私にこぼしました。
今度そんな事があった時は、他の人(近隣学会員)にも意見聞いてみたら?
幹部の言われた通りにやって無い人もいるかもしれないよ?とアドバイス。
母は「そうしてみる」と言い、それからしばらく経過したある日、
一万円の香典を受け取った生活保護受給メンバーから連絡が回ってき、
「OOさん(幹部)のところに初孫が生まれるので、お祝いを皆で集めて渡したい」と
具体的に品物の名称と、一人当たりの金額も言って来たのだと。
(ワリカンにして購入し贈るという意味です)
孫のお祝いなんて初耳だった母は「どうして?OOさんだけ?」とメンバーに質問。
メンバーは「葬儀でお世話になったから、恩返しがしたい」と返答。
母は「それならあなた一人でするのがいいんじゃない?うちも孫はX人いるけど、一度もお祝いを
(地域の学会員から)頂いた事なんかないの。そういったことは個人でするのが筋よ。
それに、学会員同志の金銭授受は禁止よね?」と、このときばかりはさすがに我慢ならず
賛同できないと伝えたのです。
そして近隣の婦人部員に「こんな連絡がきたけど?」と打診。
婦人部員は「いつもの事よ」と答え、おそらく幹部が「娘や息子に孫が生まれる。これを欲しがってる」と
メンバーに言ったのだろう。
「あの時してあげたよね?」的な事を、相手の足元を見て平気で言う所がある。
なんだかんだ仕切ってくれるのは有り難いが、取りまとめ役の親切は見返りを期待してのこと。
口利きをしてもらったり、事情通の幹部を情報網にしている人、なかなか逆らえない人が多い。
あなたも気をつけてと言われてビックリしたとの事でした。
地域に40年近く居住していながら、母は幹部のそんな一面を何も知らなかったのです。
しかし母にも心当たりがあって、この期に及んで気付いたというのですが、父の逝去後にその幹部から
「便利だから」とか「いい店だから」「すごく腕のいい先生(医療)がいるから診てもらったら」など、
何かと物品・店・サービスの紹介をうけることが多かったというのです。 
そして実際幾つか話にのった事もあるのだと。
それらが紹介者へのインセンティブがあるものだったり・医療機関については新聞購読を
してもらうかわりに患者を紹介するというものだったりと、「自身(幹部)に利がある」事柄で
いわばメンバーを利用しているのだと、近所の婦人部員と話して初めてわかったというのです。
私が改めて「いつも幹部の傍にいる人」を母に確認すると、名前の挙がった全員が未亡人で
ゾッとしました。
大の男の影がない、子供も近くに居ない=助言者のいない者につけ込んでいるとしか思えない。
母にもそのことを指摘し「結局は家族や配偶者の目が無い、注意喚起する人物の居ない人を
思いのままにしているだけじゃないか。あなた、カモられてるんだよ?」と言いました。
母は「気をつけるわ」と言いましたが、心細いようでした。

これは日本国内の、ある地方都市の末端組織のできごとです。
全国各地同じ状況があるとは言いません(というか、解りません)。
なので「創価ってみんなこんなのか」とは思わないで頂きたいのですが、このような事柄が
現実一地域にあるということです。
末端組織に自浄能力などありません。
限界集落化し人材枯渇で、幹部交代もままならず古参メンバーしかいない。
どんなにプライベートが小賢しく、組織利用するような人物であっても、それが表ざたにならず
刑事罰を受けるような事柄でも無ければ、大本営だって何も手を下すことは無い。
「それは個人間のトラブルであり、組織や信仰とは関係ない」と言えばおしまいです。
そして誰も告発しようとはしないのも・問題化しないことも、今更波風を立てたくない。厄介事は避けたい。
静かに余生を地域で終えたい思いからでしょう。
これが若い人ならばおそらく、見て見ぬふりや放置を許さない正義感溢れるメンバーも
いると思います。 師匠の心を踏みにじるような人間は同志であろうと許せない!的な。
このブログに時々非公開コメントをお寄せくださっている数名の活動家さんも、正義感に溢れていて
きっとこの記事を読んだら「許せない。そんなヤツは本部に報告して処分されるべきだ!」と
思うでしょうね。
だがしかし、組織が限界コミュニティと化せばそのような正義感は「鬱陶しい」となる事もあります。
事なかれ主義で私さえ我慢すれば・・とか、同志を悪く思っちゃいけないと、あくまでも自分で
納めようとする真面目な方も多い為に表面化せず、いつまでも悪がのさばる結果にもなっている
気がします。
「そのような悪い奴にはいつか仏罰が下る!」 バリ活時代の私もそう思っていました。
しかしこれは子供だましの慰めでしかなく、実際なんの解決にもならないのです。
このような状況に私は限界と言うか絶望を感じ、母をとりまく環境を思うたび暗澹とした気持に
なります。

この限界コミュニティ(創価地域社会)から、高齢者家族を救い出すことは容易ではありません。
単純にカルト宗教団体から脱会させる、という次元ではもうなくなっています。
「地域社会」からの脱出を意味するそれを、長年その土地に住みなれている人に課すのは
並大抵のことではない。 ましてや強信者だと厳しいものがあります。

前回書いた、今年のGWにおける母の孤独な現況を知った時、私に何ができるだろうと考えました。
いろいろ考えを巡らせても、名案はなにも浮かばなかった。
私が住む土地に母を呼び寄せる事も考えましたが、母が覚醒しなければいろんな意味で無理がある。
組織依存&選民思想から脱却しない限り、一般社会と機嫌良く付き合っていくことは難しい、と
思います。

しかし裏を返せば、覚醒し選民思想からの脱却を遂げれば、孤立は免れることができます。
選民思想が邪魔をしていたから、一般社会から遠ざけられ・自らも遠ざかっていただけ。
そのことにとても簡単に気付けるし、新しい人間関係を構築していくことだって出来るでしょう。
一般社会は実は優しいし、悪くない。
でもそれは、覚醒しないと絶対に実感できない。これは経験上言えることです。
だから諦めないで、一日も早くその窮屈な限界コミュニティから飛び出して欲しいと私は願って
いるのです。

余談ですが、姉は老人マンションを探しており、故郷にもほど近い好物件について
入居審査項目に「宗教」があることがわかり怯んだと話してくれました。
問い合わせてみると、何がNGという具体的な事は言わなかったけれど(さすがに商売ですもんね)、
「読経の声がうるさいとか、勧誘があった場合、退去をお願いしている」と言われたとのこと。
だったら現状アウトだね・・と残念に思いました。
結局、母の居場所は、限界コミュニティにしか無いという事か。
母が望んでその環境に身を置いている以上、母からSOSが本気で発せられるまでは
見守ろうと、いまのところ姉妹間で落ち着いています。

時系列無視で書きますが、最近の母と話していると、薄々は創価がトンデモだということを
もうわかってるんじゃないか?と思う事があります。
しかし、自身が人生の大半をかけてきた信仰であり、「創価」の看板背負って歩いてきた、
その自負がありすぎるからこそ、気付きたくない(覚醒したくない)のではないか・・と。
誤りを認めることは本当に大変です。
騙されてきた事に気付くのは本当に残酷です。
40代で気がついた私も、苦悩しました。特に、私がバリ活時代に接してきた全ての人たちに対し
顔向けができない。示しがつかないと、どうしようもない思いにかられました。
私はたまたま故郷を離れて覚醒しましたが、これが地元に住んでいたならどうだったろう?
たぶん、心療内科に通ったと思います。メンタルはボロボロだったろうし、今こうしてブログを
書くなんて事も、無理だったかもしれない。
そのようなダメージを回避すべく、母は都合よく目隠しをつけたり外したりしているのではないか。
母が池田老人Xデーに「組織が割れる」との見通しを語ったのは、実はそうなってほしいという
母の願望なのではないか?と思ったりします。
そこで分裂し泥臭い事実が表ざたになれば、母は被害者ヅラできるわけです。言い方は悪いですが。
「私たち、なんにも知らなかったの。いつの間にか創価は変節していてこんなありさまよ!」と。
しかしそれを「覚醒」とは呼べません。
残念ながらただの「開き直り」です。
それだけは避けてもらいたい。
出来れば深い反省と反芻「二度と過ちを繰り返さない・同じ轍を踏まない」という覚悟をもった
「覚醒」であってほしいと願っています。
が、そう願う一方、あまりにも創価人生が長すぎた母の人生完全自己否定が、精神を壊す事にも
つながりかねないという懸念があり、そこはジレンマです・・。
カルトとは、どこまでも罪つくりで、人類の害毒でしかありません。

限界コミュニティ(創価地域社会)に生きるしかないとの諦めから、自己欺瞞に陥っている会員は
潜在的にかなり多くいると思われます。 
創価問題の根の深さは、高齢者においてより深刻なのではないかと思う今日このごろです。

(続きます)
(次回は時系列の話に戻ります)
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