他者の人生に軽率に関わるということ③

創価が推奨する「宿命転換のための折伏」
「目的達成(宿命転換)のための手段(折伏)」と言えると思うのですが、
この構図がいかにインチキでトンデモ・オカルト・ばかばかしいかを
覚醒された方は、よくご存じかと思います。 

自己完結ミラクル(百万遍唱題等)ならまだしも、そこに他人を巻き込む折伏=創価への入会勧誘。
それは”他者の人生に軽率に関わること”
私自身の経験談、未遂に終わった折伏とその顛末。
十余年という時間を経て、覚醒した今だからこそ解ったことです。

私が女子部長を務めていた頃の話です。
20代前半から通っていたヘアサロンの担当者(美容師)が、翌年オープンする支店の店長を
務める事になったと報告してくれました。
新店は今より遠い場所になるけど、私も彼についていく形で顧客になるね!と約束。
自分がひいきにしていた美容師さん(年齢も近い)が出世する。それは私にとって嬉しい事でした。
しかし後日、店へ行くと彼が浮かない表情をしており。どうかしたの?と尋ねると
「店長の話が無くなったんです」と。
事情を聞いたところ、前々から気になっていた身体の不調を診てもらうため病院へ行ったら
入院手術が必要な疾患が見つかった・入院リハビリで、仕事復帰に3ヶ月程度かかる。
ちょうど新店オープン時期と被るため、オーナーが「店長就任はいったん白紙に」と言って来た。
オーナーは誰を店長に据えるとは明言していない。
でも、自分はもう諦めていて、店に迷惑をかけることに責任も感じ、入院と同時に店を辞めようかと
思っている・・というのです。
私は叫びました「諦めちゃダメだよ!」
彼に学会宣言をしたことも、選挙を頼んだ事も無かった私でしたが
「乗り越えられない壁なんてない」とかなんとか、当時創価青年部まわりで仏法対話の際に語られた
耳当たりの良い・力強いフレーズを幾つも口にしました。 
しかし「信心」「御本尊様」や「お題目」という決めゼリフは出すことができず。
彼は半笑いで「ありがとうございます、励ましてくれて嬉しいです。祥蘭さんは優しいなぁ」と
社交辞令で返してきましたが、当時の私は筋金入りの創価脳です。
”違うよ!そうじゃない!優しいとかイイ人とかじゃない!
 私はあなたの無限の可能性を引き出す方法を知ってるんだよ!それをあたなに伝えたいんだよ!”
と、内心もやもや。
しかし両隣に施術中のお客さん&スタッフもおり、彼も私につきっきりという訳でなく、
合い間に他のお客さんの施術へ向かったりで、落ち着いて「対話」など出来ない状況。
彼の窮状を聞き、創価脳だった私の心は焦燥でいっぱいでした。
「目の前に、仏法を求めている人がいる!(=彼)。私が勇気を出して折伏しなくては!」
「いざという時に彼の宿業が出たのだ・今こそ宿命転換の時だって教えてあげなければ」
しかし客と美容師という関係以外、接点なし。
店外で会った事も無ければ、私は彼が既婚者だという事は知っていましたが、連絡先はおろか
居住地域等全く知らない。
10年近いつきあいではありましたが、私が一方的に自分のプライベートをしゃべることはあっても
彼はそれを愛想よく聞くだけ、互いの事をよく知っているという訳ではない。
当時の私は、上記のような薄い間柄であっても
「自分は仏法を弘めるために存在している」との思いこみにより、彼の話を「誤変換」し受けとめます。
「彼が私に窮状を打ち明けてきたのは、折伏して欲しいからだ!」と解釈したのです。

一旦流れを止めますが、この受けとめかた↑、普通の人からすれば「ハァ?!」ですよねw
彼が私にしたことは「予定変更(または中止)」というただの「報告」です。
そこには何の訴求も無くて、あるとすれば店長就任を喜んでいた私に対し「申し訳ない」という
思いからの報告になるかと思います。
まさか自身の窮状を「祥蘭さんなんとかして!」なんて思っちゃいないでしょう。
だけど創価脳は思いこむ。そこが怖いのです。
悩みや困りごとをうっかり外部から打ち明けられようものなら、勝手に
「私に救いを・仏法を求める人が現れた!」と思うわけです。
覚醒したから冷静に分析なんてしていられますが、当時の私はお門違いも甚だしい「使命感」に燃え
一刻も早く彼に信心させてあげなきゃ!と、メラメラしていました。

話を元に戻しますが、この機に彼を折伏しなければ!と思い立った私。
施術を終え店を出て近くの喫茶店に入り、彼に手紙を書きました。
”唐突で驚かれるかもしれないけど、あなたの力になりたい。
私もお題目をあげて完治と無事の職場復帰・店長就任を祈っているから、あなたも一遍でもいいから
お題目を唱えてみて欲しい。祈りとして叶わざるなしの御本尊様をあなたにも受けてもらいたい・・”
というような内容でした。
そして自分のメアド・携帯番号を書き添え、連絡くださいと。
彼が妻帯者であることを知っていて、(覚醒後の)私ならメアドや携帯を教えるなんて軽率な真似は
絶対にしません。何が・どのような・あらぬ誤解を生むかもわからないからです。
しかし当時「自分は仏法を弘める為に存在する」と思いこんでいた私。
自分にやましいことがないかぎり、なんの問題もないと「信じて」いました。
実際何もなかったですが、もし奥さんが手紙を見たら、穏やかでは無かったと思います。
それが宗教勧誘であっても、独身の女子が主人に連絡先を書いて寄こすなど気持ちのいいものでは
ありませんから。
ミラクルありきで生きていた故です。トラブルの可能性など、微塵も想像しないのです。

以前にも書きましたが、活動で遅くなり暗い夜道を一人で帰宅する事を「怖い」と全く思わなかった・
身近に不幸にも被害に遭った女子部もいたというのに、自分が偶々そのような目に
遭わなかった事を「信仰功徳によって護られている」と思いこんでいました。
信仰功徳などというものはすべて「結果論」。
今はそう言えますし理解できているのですが、ミラクル前提の思考(停止)回路を持つ創価脳は
そんなシンプルなことも理解が出来ません。
コメントで頂いた体験談に「折伏に応じてくれた外部が、マルチ商法の勧誘をしてき騙された」
「相手から入会するかわりにと、性的関係を迫られた」というものがありました。
創価脳は折伏したい下心=良心のみで相手に接しますが、それを逆手に取る者や
弱みにつけ込む輩だって存在する。
これは創価に限らず、特定宗教団体に属し熱心に信仰している人の「盲点」ではないでしょうか。
先日も東海地方で痛ましい事件があり、報道第一報を聞いた私は「学会婦人部?」と勘繰りました。
実際は別の宗教団体でしたが。
故人の御冥福をお祈りするとともに、”信仰をたもつ自分は絶対護られる”などと非現実な過信は
今すぐ捨て去ってもらいたい。
バリ活の皆さん・とりわけうちの母に、よくよく注意してもらいたいと思った次第です。

話が横道にそれましたが、再び店に戻り書いた手紙を彼に手渡しました。
以降私は彼の手術成功と店長として就任できることなど「湿れる木より火をいだし」な勢いで
題目をあげ、祈念しました。
そして彼からの連絡も待っていました。
しかし当然ですが彼からの連絡は一切無かったのです。
お客さんから、突然宗教勧誘の手紙なんてもらったらドン引きする・・と今なら解るけど、
当時の私はただ馬鹿だったというか・なんというか。お恥ずかしい限りですが「愚かで直球」でした。
そういった部分は実家の母とかぶるところもあり、母の言動を見ていると自分の過去をなぞるようで
余計に歯痒く・腹立たしく感じてしまうのかもしれません。

2ケ月後、サロンに予約の電話を入れると彼は退職した為、施術は別の者になると告げられ。
仕事辞めちゃったんだ・・と、相当がっくりきました。
とりあえずサロンへ行き、彼のことを知る美容師さんから話を聞くと手術は無事成功・リハビリ中で
アルバイトを時折やっているとの情報を得ました。
店長にはなれずとも、店を辞める必要なんて全くなかったのでは?と思えるような内容で
私は思わず「じゃあ休職で良かったんじゃ?なんで退職?」と聞いたのです。
美容師さんは苦笑いを浮かべつつ「お客さんには言えない、内輪の事情が・・」と。
突っ込んで聞いても教えてもらえませんでしたが、後日同じ店(別の担当者)に通っている友人の話で
彼が店の後輩女子と不倫関係にあり、それを知ったオーナーが激怒し、店長の話を白紙に。
入院手術がオープン時期と被るから・・という理由は正式・直接的なものではない・
店長になると言いふらしていた彼は居づらくなって辞めたというのが実際である、と解ったのです。
唖然とし、裏切られた様な寂しい気持ちになったものの、私は彼を恨むような事はなく。
「お題目、上げさせてくれてありがとう。きっとこれは意味のある事」とポジティブシンキングで
収めたのです。

それから約半年後、彼からメールが届きました。
文面は「新しいサロンに転職し、そちらで店長を務める事になったので、もしよかったら
来てください」という案内でした。
今は解ります、これは彼にとっての「営業活動」です。
私は「いいお客さん」でした。
見た目にとても気をつかっていた(ある意味珍しい女子部だった)為、サロンにマメに通い、
提案されたケアや商品はまず断らない、出費を惜しまない方でした。
そんなお金を落とす上顧客は新しい店に引っ張りたい・これは当然のことでしょう。

私は連絡を喜びました。「やっぱり仏縁があったんだ!」と思ったのです。
宗教勧誘の手紙を渡してドン引かれたわけじゃなかった・彼は(やるやらないは別として)
私の宗教的バックグラウンドを容認したうえで、連絡をくれたのだ・繋がろうとしてくれているんだ!
(創価の私が嫌ならメールなんてよこさないはず!)と、これまた超ポジティブシンキングで
受け取めました。
そして新しいサロンへ向かい再会。彼の全快と、新天地での活躍を祝福。
そのさまを「私の祈りが叶った」と、まるで我が事のようにw誇らしく思ったのだから重症でした。
以降、彼に仏法対話を試みる事もなく・彼からも特にその件についてお尋ねもないまま、再び
「客と美容師」として数年。結婚式直前まで通っていました。
その翌年、彼が独立し自分の店をもったことを知り、帰省の際に訪れた事もありました。
とても立派なお店で感心&感動。
もう活動家ではなくなっていた私は、彼を「折伏したい」なんて熱意は失っていましたが
数年前、窮地に立っていた彼がわずか数年で、自身の店をもつまでに再起した・・という経緯を
感動的に見ていました。
そしてそこには過去の私の祈りも「効いている」と思っていましたw
折伏は未遂に終わっても、私は彼の幸せを祈念していた。そして彼は、幸せになった。
この事実だけで自己満足していました。
どんだけずうずうしいんだ・・というか、こうして今、振り返り綴りながら「病的」だったな・・と
当時の自分を客観視し、背筋が寒くなります。

以降、遠方住まいで彼との接点もなく、どうしているのか全く知らず。
彼の存在をも忘れかけていましたが、昨年偶然FBで彼を見つけました。
そこで初めて知ったのですが、彼の店は無くなっていました。現在は異業種で働いているとの事。
いったい何があったのだろう? 
返事がこないことを承知の上で「お久しぶりです」とメッセージを送ってみました。
暫くして返事がもどってき、彼がサロンオーナーから転職するに至った理由を知りました。
創価脳でなくなった私の受け止め方は「それでも今、元気で働いていて良かった」というものです。
お互いまだ子供が小さいので(同い年の子供がいます)頑張ろうね、と返信を結びました。

彼の窮地を救いたいと、折伏のつもりで手紙を書き個人的なコンタクトをとろうとしたり・
勝手にお題目をあげまくったり・彼が一時成功をおさめた際に「私の祈りが通じた・叶ったんだ」
なんてほくそ笑んでいた事を思い出すと、恥ずかしさを通り越して笑ってしまいます。
「若さゆえ」だったと誤魔化すしかない、黒歴史。
そして当時の自分に問いかけたくなったのは
「私は彼の人生に、責任をとる覚悟ありきで折伏しようとしていたのか?」という事でした。

(④に続きます)
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