温度差

2013年12月。
父の命日にあわせて少し豪華なアレンジ(お花)を買いに行きました。
いつも父の写真のそばにお花と果物を欠かしませんが、命日前後はいつもより
盛大に飾るようにしています。
帰省時にしかお墓参りに行けない私にとって、自分なりに父を偲ぶ儀式のようなものです。
帰宅後、ふとスマホを見ると母からメールが入っていました。
命日の事かな?と本文を開いてみましたが、私を落胆させるような文言がそこにありました。

「組織批判は結構だけれど、財務だけは後悔しないように必ず納金して下さい。
 大聖人様を裏切るようなことはしないで。 それとこれとは別なの。
 あなたにお金のことで泣いて欲しくないから、母からのお願いです。」

父の命日のことなど、ひとこともありません。

メールの内容のクレイジーさについても、一寸触れておきましょうw
財務をしないことが、どうして「大聖人様を裏切ること」になるのか?!
まったくもって意味不明です。
そして「お金のことで泣いて欲しくない」
創価では、財務が=世間で言う金運財運・カネ回りと直結すると信じられています。
財務をすれば金運が上がる。財務をケチれば金運は逃げる。財務をしないなんて言語道断。
そんな事を本気で信じている人達が大多数。
誰も、財務を「教団への寄付行為」とは思っていません。
功徳欲しさ・福運ありきの財務です。必ず回収できる・倍になって戻るとふんでの行為なのです。
勿論、いかがわしいマルチ商法のように「現金で倍になって戻します」なんて話ではありません。
ミラクルありきの、例えば万馬券が当たる等(これは実際、幹部指導で「体験」として語られて
いました)宝くじがあたる、思わぬ臨時収入が入る、懸賞が当たる・・etcそういった類の事。
しかしながらこういった「効能」は、会則は勿論ですが機関紙にも一切記載はされていません。
あくまでも会合席上等、文字に残らないかたちの「口伝」でまことしやかに語られている。
表向きな「信仰の効能功徳」として書籍や新聞に書かれることはまずありえません。
しかし、創価学会員において「財務=金運と直結する一大事」であり
「単なる寄付行為ではなく、確実に功徳を頂ける仏事」という認識がまかり通っている。
これは周知の事実です。

私の母も多くの創価脳同様、財務は金運に直結すると信じて疑いません。
娘にむかって「お金のことで泣いて欲しくない」というのは、財務をしなければ必ずお金絡みで
困る様になるよ!と、オカルトを押しつけてきたわけなのです。

私はこの年、財務部員にならなかった。故に振込用紙を持っていません。
納金以前の問題です。
が、母はそのことを知りませんでした。
きっと私のここ一年の反抗的な態度言動から、財務をスルーするのではないか?!と不安を
抱いたのだと思います。
考えあぐねた末、このメールに返信をしませんでした。
父の命日が迫っているというのに、その件はまるっとスルーでなにが財務だよ!ざけんな!と、
怒りをぶつけたい気持ちも勿論ありましたが、
今の母とはそんなまともな議論は成立しない・・と思ったのと、
ただ心静かに父の命日を迎えたい。イラついたまま迎えたくない!との強い思いからでした。

数日経過後、姉から電話がありました。
姉は毎月必ずお墓参りに出かけ、お掃除・管理を行ってくれています。
この年の命日は平日であった為、姉は前倒しの週末に旦那さん(義兄)と共にお墓参りへ
出かけたのですが、姉夫妻が墓地へ行った時、父の墓前で手を合わせる夫妻に
遭遇したと話してくれました。
見知らぬ方だったので戸惑いつつ、声をかけたところ
「お嬢さんですか?お会いできて良かった」と感涙されたというのです。
夫妻は、趣味を介し父と懇意であった方々でした。
ゴルフが趣味だった父は長年同じ練習場に通っており、そちらで知り合ったとの事。
時々、練習後に食事へ行ったり、一緒にコースを回り・遠征する事もあったそうです。
ただプライベートを深く知るような仲ではなく。
父の名前や携帯(メール)は知っていたけれど、詳しい住所までは知らなかった。
奥さんが偶然、父の葬儀の日、幹線道路に立つ「OO家葬儀会場」の看板を目にしたそうで
OOという苗字が父と同じことを気にかけながらも、まさか・・と思っていた。
その後、一ヶ月以上も姿を見せない父のことが気になり夫妻は案じていた。
メールをしても返信が無く、電話も繋がらない。
(注・父の携帯は危篤状態になった際、破損しました)
仲間のあいだでも父が来ない事が噂となり、そういえば以前、XX霊園に墓地を買ったと
話していたっけ・・と話した人がおり、情報を頼りに探したとの話。
たまたま御親戚と同じ霊園だそうで、墓標の名前・享年で父だと確認して以来、
時折お墓参りに来て下さっていたとわかりました。
この年の夏、帰省時にお墓参りへ出かけた時、真新しい仏花が供えてありました。
(この記事に書いています
母や私はてっきり姉がしてくれたものと思っていたけれど、姉では無かった。
おしのびで来た兄のものか?、と思っていたのですが、それがご夫妻によるものであったと
この時初めて解ったのです。

姉はご夫妻と連絡先を交換。後日、改めてお会いした際に父の写真を手渡されました。
ゴルフ仲間の皆と会食中、ピースサインをとる父。
快活な雰囲気が伝わってくる良い写真でした。
ご夫妻は姉に父のエピソードを話してくれ、私たち家族の知らなかった父の一面を知ることが
出来たのです。
場を盛り上げる事が上手で、楽しい時間を共にした。
突然のお別れが寂しく、果たせていない約束(予定)もあったと語っておられたと。
私たちの知らないところで、父が過ごしていた楽しい時間・交友関係を知り、ほっとした思い。
と同時に、心から父の死を悼み、人知れずお墓参りをしてくださる他者の存在に震えがくるような
有り難さと感謝がこみあげてきました。

記憶の彼方にやってしまいたい父の葬儀・・母は父の交友関係を殆ど知らなかった為、
親族を除く参列者の大半は近所の学会員(=母の知り合い)。 
父ゆかりの人で、母が連絡を出来たのは仕事の関係者だけです。

また、姉のところに父方のおば(父の女きょうだい)から毎年命日にお線香が沢山送られて
くること・そのお線香を一年間、墓前に供えていると、初めてこの電話で知りました。
父を思い出し偲んで下さる存在が幾つもあることに感謝と頭の下がる思い。
と同時に、その配偶者である母の「残念さ」に、どうしようもない怒り・暗澹とした気持ちが
渦巻きました。

皆が父の命日と偲び・行動をしているそのとき、母は「財務納金忘れんなよ」とメールを寄こす。
父の命日より、財務が大事?
実際、母から命日を偲ぶようなメールが届いたことがこの時までありませんでした。
前後にこちらから電話やメールをした時だけ、お父さんが亡くなってもうO年経つんだ早いね・・
という話題が出る程度なのです。
夫婦不仲であったというまぎれもない事実がある故、母のテンションが低くても
仕方が無いところはあるのかもしれません・が、「家族の繋がり」というものを考えた時、
どんなに母がテンション低かろうが、私たちの関係性から、父を外すことは考えられない。
そのとき、この父を思う互いの温度差がどうしても引っかかってくるのです。
勿論、母ばかりを責めるわけにはいきません。父も母に対し諦めの境地で冷淡に接し、
他人のような関係性に陥ったことは事実です。
夫婦のことは、夫婦間にしかわからない。それも承知しています。
しかしそれを差し引いたとしても、父の命日をスルーしても娘に「財務忘れんな」と言える
母の人間性・精神性に、大きな疑問と怒りがわくのです。

近い将来の話として、今年の命日が7回忌にあたります。
覚醒してしまった私・もともと創価脳ではないアンチの姉としては、学会方式の法事を
行いたくないという思いが強くあります。 兄の意向は未確認ですが、きっと同じくでしょう。
母の親族が地元に多くいる以上、創価を外すという事は考えられないのが頭の痛い
ところですが・・。

話をもとに戻します。

何をさしおいても創価ごとを最優先とする母。
時系列が前後しますが、昨年末の命日も例の「法戦」絡みで全くのスルー。
姉がお墓参りへ一緒に行こうと誘ったところ「それどころではない」と断られたと聞きました。
「墓参りは選挙が終わって落ち着いてから行くから。
 なにも慌てなくていいのよ。私は毎朝毎晩、お父さんの回向を欠かしてないんだから」と
開き直っていたと聞き、この時もどうしようもない「温度差」に困惑しました。

今回の法戦でも、母が私の幼少期にやっていた習い事の恩師宅へ票を頼みに行ったことが
発覚し、絶句しました。
「OO先生、X年前に癌で亡くなったんだって。あなた知ってた?」と尋ねられ、
OO先生なんてもう30年以上連絡していない。どうしてその事を母が知っているのか?と
問い詰めたところ、F活動に行ったのだと。
OO先生の御家族に票を頼んできたというので、それがどれだけ無粋で非礼な行動なのかを
言って聞かせましたが、母は悪い事をしたとはこれっぽっちも思っておらず。
「相手はわざわざお尋ねくださってと、丁重に挨拶してくれたわよ!」と逆切れされる始末。
深い深いためいきをついたことは、言うまでもありません。

自分たちだけの正義を振りかざし、非常識で無礼な行為もなんのその。厚顔無恥に突っ走る。
政治課題になんて何も興味・関心なし。ただ支援政党の「大勝利」のみが至上命題。
そうしてまで・とどのつまり、結局欲しいのは「功徳」 
それっていったい何なのか。恥を知れと言いたい。

多くの創価脳の方に、今一度考えてみてもらいたいのは、その「行動の源」となる部分です。
F活動で「自分の殻を破りたい」だなんて、これがおかしな事だと解らないのは
相当にイカれています。
支援を自己啓発にすりかえるなんてどうかしている。
支援を運気向上になぞらえるなんて馬鹿げている。
言葉巧みに騙され、単純に組織から「利用」されているのだと、どうして気付けないのだろう?

無意味で無益で傍迷惑な集票活動は、くれぐれも慎んでもらいたいと強く望みます。



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