頑迷固陋

オカルトまがいな「功徳」や「現証」を盲信する創価学会員の母に対し、
”それら一切は単なるこじつけで・学会員各々の思いこみの産物である”として
真っ向から学会活動にまつわる功徳を「否定」することを、私は2014年の2月まですることは
ありませんでした。

しかし、此処へ来て母が私の生活状況を歪んだ目線で見たうえ、
”(オカルト)信仰(=新聞購読と財務)をやめたからあんたの生活は転落をたどっている”
などと勝手に思いこみ、「新聞購読しなさい」だなんて霊感商法を押しつけられたのでは
もう黙っていられない。
善悪全ての状況判断を「創価」にまつわる事柄に左右されている母の現実。
私だってバリ活当時は、同じ傾向がありました。
お題目がたりなかったから今日は調子悪い一日だったとか・会合さぼったからアクシデントに
見舞われた、などなど。 
そんなわけないのに、そうだと思いこむように勝手になっていました。習慣性の恐ろしさです。

私は母に言いました。
「百歩譲って、御本尊様に祈念し願いを叶えた等はまだ認めるよ。
でもね、学会活動に功徳なんてあるわけない。そんなの全部まやかしこじつけだよ。
組織に利するような事柄に功徳があるなんて言うのは、ろくでもないカルト宗教だけ。
特に新聞財務なんて、ただ組織の金集めじゃん。 
”新聞を止めたら家庭経済がたちゆかなくなる”って、じゃあ学会員以外はどーなんの?
財務を”宇宙銀行”だなんて言ってみせて、いかにも裕福になれるようなフレコミもあってさ。
言ってることは悪徳商法まがいばかりなのに、なんで騙されてるって気付かないのよ?」と。
母は「金集めって、あんたそんなに財務したことあった?新聞だって、微々たる額じゃないの?
(私たちは)お金なんて大して取られてないじゃない?
もっと(集金が)ひどい宗教なんていくらでもあるわよ。なにを言ってるのかさっぱりわからない!」と
呆れたように言い放ちました。

確かに、私自身は多額の財務をしたことはありません。せいぜい2桁どまりです。
また、実家母も財務については現実的で、それほど熱くならないタイプです。

これは全ての事において言えるのですが、母は創価の醜聞やネガティブを極力認めようとせず、
その担保は「他の人がどうだろうと、自分は見てない聞いてない知らないだから関係ない」この一点。
財務が金集めでは無いというのも、数多学会員が巨額をつぎ込んでいようとも、自分は違うから
「関係ない」。
新聞について、数合わせのために地域の責任者が身銭を切って無理をする実態は知っていても
自分はそうじゃないから「関係ない」。
実家は最高で5部ほど取っていた事がありますがそれは「母が自ら望んで」であって、
大義名分(友人への贈呈用)も手伝って「無駄に数取らされた」という意識は皆無。
しかし現実は友人へ渡す事なんて年に数回。毎日届く新聞は、行き場なく玄関先に積み上げられる。
それを「資源の無駄」と言わずして何と言う?と突きつけた事で、部数を減らした経緯はありましたが・・。
とにかく唯我独尊。自分さえよければ、周りがどうであろうと関係ない。
自分はそれで良いとして、周囲の他人がどうして常軌を逸してまでそれをやるのか
一歩踏み込んで考えることは一切ない。
認知に乏しいというか、自分の聖なる善なる思いこみが全てであり、その思いこみを守るためなら
情報をシャットアウトしてしまえる精神の持ち主でした(2015年8月現在、少し変わりました)。
これが創価脳の特徴だ、と言ってしまうのはさすがに乱暴なので「うちの母の場合」としますが、
同傾向にある学会員の方は大変多い様な気がします。

上記を踏まえ、私は母に敢えて聞きました。
母の親戚方は毎年3ケタをやっている。それも、裕福な家でも自営でもない、ただの勤め人。
近年定職を失ってダブルワークをしていますし、奥さんも役職の傍ら深夜アルバイトをしています。
「あれだけの財務を何年も何年も続けて、いま生活基盤が盤石だって言える?
子供の進学のお金も無いんだって泣きついてきたんでしょ? どうなってんのよ」と。
(注・他人の家庭事情を持ち出すべきではない・不謹慎であるとは思うのですが、母と私にとっては
一番身近な創価家庭のわかりやすい実例なので引用してみました)
母はふん、と鼻であしらうように
「財務でスッカラカンになったって、不思議と必要なだけのお金は手当できるように(状況が)
成って行くんだ、って言ってたわよ。あんたが心配しなくたってちゃんとやってるわよ」と。
後日解ったのですが学費問題は、返済の必要な奨学金を受けることに決まったとの事。
それが子供にとって実際のところ「負債」であるのに、「なんとかなった・これぞ功徳」と
思ってしまう所が個人的には解せません。 ただの借金なのに。
毎年3ケタ財務が出来るなら、必要な学費を貯める事も簡単にできたはずです。
財務にまわさなければ子供に借金を負わせる事なんて、しなくて済んだはず。
よその家庭の事情にあれこれ言えたものではないし、家族間で利害が一致しているなら無問題かも
しれませんが・・。
お子さんが覚醒してしまった時、親子間の大きなしこりになるのではないか?と思わずに居られません。

母は、私が3桁財務をやりもしないで・又する気もないくせにそれを「金集めだ」と批判するのは
横暴で、単なる創価への言いがかりだと言いました。
「財務なんて、やれる人がやったらいいのよ。いつもそう言って来たじゃないの。
全員3桁しろだなんて、指導された事はないでしょ?」と。
すかさず私は「あるよ」と反論。
女子部時代、財務懇談会と称し婦人幹部がひとりひとりに「どのくらい出来るのか」と尋ねていたこと。
独身時代に貯金なんてしなくていい、広布のお役に立ったお金は必ず何倍にもなって返ってくるんだから
思いっきりしなさいという、トンデモ指導が平然と行われていた事。
3桁財務をやった女子部の活動報告後、幹部が「女子部のうちに必ず完遂してほしい」と発言していた。
3桁財務をやったメンバーは偉いと宣揚され、境涯が変わるだのなんだの、3桁財務を煽っていた事実。
母は「そんなの聞いた事ないわよ。ウソでしょう?」と、驚いていました。
私からすれば「またまた~・・」でしたが、婦人部でそのような指導は一度も聞いたことが無いのだと。
にわかに信じがたい、と母は訝しがっていましたが
「それでも3桁やる・やらないは個人の自由で、あなたは3桁をしなかったんだから
それでいいじゃない?」と言うのです。
「その通り。個人の自由。正論だよね。
でもさ、だったらなんで”一口一万円”なんて、申込書をかかせるの?
問題は金額の大小ではないよ。真心の財務っていうのなら、1円でも100円でも良いわけじゃん。
それを1口1万円と決めて、毎年申込書を書かせる手続き踏ませるなんてありゃ強制と一緒だよ。
あれって”今年はできません”って、言わせないようにしてるんだよね。
納金期間を決めて、地域に連携取らせるのだって衆人環視だし。
財務がまことに”個人の自由”でいいなら、募金箱みたいなものでいいんだよ。
やってもやらなくてもそれは個人にしかわからない・個人情報でいいじゃん。
末端組織がそれ(入金状況)を管理してるだなんて、おかしいんだよ!」と私は反論。
母は「金額がバラバラだと計算が大変だから一律にしてるんじゃないの」と、よくわからない擁護をw

そして私が財務をしなくなった契機となった、当時の支部婦の発言を
「池田先生のお役に立てないなんて残念ね、と言われて目が覚めたんだよ。
私はただの一回も、あんなジジイのために財務をした事はなかったよ。
でも、とどのつまり結局そうなってるんだ・・って気付かされて腹が立ったし、反吐が出た。
なんであんなジジイに貢がなきゃならないの?馬鹿も休み休み言えって思ったよ」とぶちまけました。
(因みにこのエピソードを母に話したのも、このときが初めてでした)
母は「そんな事をいう幹部が居るとは・・」と、そこは同情(?)していましたが
「解釈は人それぞれで、たまたまその幹部は財務を先生のためと思ってやってたのね。
でも、あんたがそう思わなかったのなら、それでいいじゃない。どう捉えようが自由なんだから。
全体通して、あんたが何をそんなに怒っているのかが解らない。
私たちが供出するお金なんて微々たるものよ。
新聞代も、1回ランチとお茶をしたと思えば安いものでしょ。
その程度の御供養も惜しいと思うくらい、組織が嫌になってしまったなんて・協力したくないだなんて
あんたは不幸よ。
けどそれも、業なのよね」と、憐れむように言ったのです。
は?!どういう意味?と聞き返すと
「組織の中で、見なくていい事ばかり見たり、聞かなくていい事ばかり聞いたり、
多くの善良な同志会員がいる中でなぜかごくごく少数の、悪い人物に会ってしまう。 
それは自分自身の業なんだって。指導で聞いた事あるわ」とw
つまり私は、業が深いから創価のダーティなところばかり見聞きしてしまって信心が歪んだ・・と
母は言いたいようでした。

一寸待って。
論点が完全にずれてる・・それは私が感情的に話しすぎたせいかもしれない。
感情的になりすぎたせいで、私の訴えたい「財務や新聞で功徳云々はオカルト」は正確に届かず、
創価脳にありがちな「怨嫉」で私が財務新聞を拒絶していると、母は全てを片付けようとしている。
これはまずい。そう思い直した私は
「とにかく、新聞財務をしない事がイコールお金に困るなんて、そんな話オカルトだからね。
遮二無二金集めをしたいから言ってるだけの、迷信だよ。
だいたい、新聞や財務に家庭の経済状況が左右されるなんて、普通に考えてありえないでしょ?
それって学会員限定? だったら、学会員ってどんだけリスク背負ってんのよ?
一般社会の人たちにそんなこと話したら、笑われるし、精神科行ったら?って心配されるのが
関の山だよ」と言いました。
母は、はぁ~・・と深いため息をついて
「あんたが、それを正気で私にいってるのなら、今後の付き合いを考えさせてもらわないと
いけないわね」と、まるで最後通告のように呟きました。

来た。
やっぱり私が予想していた通り、創価にまつわる信仰功徳を否定する事は
「親子関係」をも揺るがす事態に発展するんだ。
こんな狂った事って、本当にあるんだ。
うっすらわかってはいたものの、現実に母の口からそれを聞いた事で私は再び
覚悟を決める思いでした。

(続きます)
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