隔世の感

2014年6月。
この1年前の夏(2013年7月)、母は入院手術をしました。
後日経過を診てもらったところ、要再手術との所見。
日帰り手術で大丈夫と聞かされましたが、それまでの経緯から不安を感じ、
違う病院でも診てもらうことに。
すると別の疾患が新たに見つかり、セカンドオピニオン先で手術することになりました。
たまたま手術日前後、姉は結婚一周年記念で義実家へ行くため渡航を予定。
手術中は親族同伴必須で、姉は渡航をやめると言ったのですが、
さすがに母は気が引けたようで 私に「来れない?」と連絡してきました。
子供2人の世話を平日、夫任せにはできない・・と躊躇し、相談してみると返答。
夫はすぐ義母にかけあってくれ、不在の間に子供達の面倒をみに来てくれることが決定。
つくづくも、理解があり気持ちの温かい義実家に縁することができて
私も母もラッキーだなと、このとき思いました。
創価脳なら言うでしょうそれを「福運」だとか「功徳」とw
これは、私の実家側に福運があるだとかそんな問題では当然ありません。
ひとえに義実家のみなさんの人柄が素晴らしい・家族思いである、それだけのことです。
かくして7月初旬の帰省が決まりました。

入院前日に実家へ到着すると、母は方々学会員から激励電話&メールを受け応対に必死。
そんなの後まわしでいいじゃん!と言っても、後からだと忘れちゃうよ・・と
返信に勤しんでいました。
入院準備ちゃんと出来てる?と、ボストンバッグを見ると、適当な準備しかしておらず。
家の中も荒れ気味、「旦那さんが一緒ならきちんとお掃除したけど、今回あんただけだから」と
片付けなかった言い訳をしていました。
バリ活にありがちな、活動中心になるあまり、大切な自身の生活をおざなりにしてしまう習慣性。
母は独居ですから、栄養面や衛生面も心配ですし、もっと気をつけてよ!自分にかまうべきでしょ、
という気持ちになり。
活動・信心さえしていれば守られる・大丈夫、というような過信からくる生活への怠慢が
思わぬ病を引き起こしている側面もあるのではないか?と思わずにいられません。

余談ですがこの帰省から私は母の勤行につきあうのをやめました。
覚醒以前は、夫子供が入浴中に大急ぎで母と夜勤行をしていました。
覚醒後はやったりやらなかったり。
このときはきっぱりと断り、母に向かって「一人でやってね」と言いました。
母は苦々しい表情を見せましたが、母の入院に伴い万障繰り合わせて帰省した私に対し
説教はできないと思ったのか?特に何も言うことはなく。
一応、実家到着時と出発時は仏壇に手を合わせますが、それは御本尊にではなく
父の遺影に対し挨拶がわりの参拝です。

手術前日の入院、医師の術前説明がありました。
その時、初めて詳しく病状を知った私は驚いてばかりでした。
「よく、こんな状態を我慢してきたな・・」と思ったのです。
医師は最後に「お母さんは大変我慢強い方のようですから、手術も平気ですね」と
冗談交じりに付け加え。
命にかかわるような病ではないのですが、痛みと不定愁訴との長い闘い。
信心しているから、いつか良くなる。信心しているから、このくらいで済んでいる。
そんな風に思いながら、辛い症状を誤魔化してきたのだろうか?
母は更年期あたりから定期的に通院しては大量の薬をもらい、服用していました。
寝込むほどではないから大丈夫なんだろうと、いつも私は簡単に受け止めてきたけれど、
ここでハッと気づきがあり。
「信心してるから大丈夫」母はこの思い込みが、人一倍強い人。
本当は深刻な状況にあっても、思い込みによって現実にバイアスをかけていた可能性が大きい。
気力だけでカバーし、無理に無理を重ねていたのかもしれず、そんな母の「大丈夫」を
額面通り受けとっていちゃダメだったんだ・・と、ここへきて突きつけられたような
思いがしました。
その後もたびたび、この「現実認識のずれ・歪み」を突きつけられることになります。
後日記します。

病室に戻った母は手術を「怖い」と言い、生きて帰れるだろうか・・と珍しく気弱な発言を。
私は「大げさな。先生も大丈夫ですね、って言ってくれたから大丈夫だよ」と返し。
そろそろ実家へ引き揚げようかな、と思っていた時「こんばんは」と尋ね人がやってき、
誰かと思えば実家地域の婦人部本部長+支部婦でした。
支部婦は初見でしたが、本部長は私が女子部だった当時の圏女だったお方。
「祥蘭来てたの?久しぶりじゃないの~!どう、がんばってる?」と・・。
お会いするのは10年ぶりくらいだったと思いますが、久しぶりに会った人にもまず活動を
頑張ってるのか確認しちゃうんだ・・つくづく特殊な(創価)世界だと、今更ながら違和感を覚え。
用件はおまもりご本尊の貸下げ。封筒に「貸与」と記載がありました。
母が貸してほしいと頼んだわけではなく、支部婦のはからいだったのですが
うっかり「言ってくれれば持ってきたのに。私の(おまもりご本尊)貸してあげたのに」と口走ると
元圏女がすかさず
「祥蘭が頂いたご本尊はあなたの命なんだから、簡単に貸すなんて言ってはいけないよ!」
と、ピシッと指導が入りw うっわあ・・でした。
じゃあ、「レンタル用」だったら誰にでも貸していいって理屈なのかい?w 
だれがそれを決めてるんだ?日蓮さん?そんなわけないよね。 
学会が勝手にそう言ってるだけでしょ。意味わかんねぇw 
心の中で次々つっこみまくりでしたが、当然その場では半笑いで黙っておきました。

上記出来事から一年あまり経過した今、ふと思ったことですが
元圏女の言葉は、ご本尊に対し敬虔な思いを持っていればこその発言だと感じます。
自分の生命と等しい・いや、自身の生命以上に大切にしなければならないほど
尊い信仰対象。かつての私もご本尊をそう捉えていました。
昭和40年代の福子である私たち世代における、創価教学の文脈でいえば
御本尊に対し敬虔な思いを抱く所以はやはり、日蓮が魂を墨に染め流して顕わされた・・という
部分にあり、流れの元は”戒壇の大御本尊”であったと思うのです。
それが、先ごろ創価では戒壇の大御本尊を否定。
ざっくり解釈で「日蓮正宗の御本尊だけはNGで、他はオールOK」となってしまいました。
こんなむちゃくちゃな大本営発表&新方針を、御本尊に対し誠に敬虔な思いをもつ学会員が
そうそうさくっと、受け入れられるものだろうか?と、私は甚だ疑問なのです。
大石寺を否定しながらも、そこに確かにある戒壇様を心で求め続けてきていた会員も
きっと多少なり、存在しているはずで。
拠点宅の仏壇前に飾ってあった御祈念盾にも
「打倒日顕 大石寺を取り戻す」という文言を見たことがありました。
日蓮を思い慕えばこそ・・の祈念。
戒壇様に対する長年の焦がれる思いを、一方的な学会の見解発表のみで簡単に反故に
できるものか?と、私は不思議でならないのです。
今度元圏女に会うことがあれば見解を聞いてみたいものですが、現在も婦人本部長を務め
指揮をとっているので、たぶん学会見解におおむね賛成という感じなのでしょう。
大小数多の疑問をきれいにシャットアウトし、思考停止へ自ら追い込み、
学会が言ってることに従っておればいい・・そんな風に”流される”会員がいるなら、
その奥底にあるものはやはり「罰論」であったり「福運を消す」という”恐れ”じゃないでしょうか。
しかし、実際のところ
「学会が功徳や罰をコントロールしているはずはない」し「できるはずもない」のです。
御本尊や、宗祖である日蓮を畏れる心は信仰者としてあって当然ですが
「宗教団体」=実際のところ企業体に対して「畏れる」必要なんてみじんもありません。
単純なようですが、此処をきちんと考えないで騙されている学会員が多すぎる気がしています。

話を元に戻します。

母はしきりに、活動を休んで申し訳ない云々謝っており。
両幹部は「なにも気にしなくていいの!しっかり休養して、ちゃんと治してくださいよ」
「信心で病気が治ることもあるけど、治らないことだってある。
早めに適切な医療にかかりましょうって流れですからね、近頃は」とw
思わず太字にしてしまいましたが、エエエッ?!と、ひそかに驚きを隠せませんでした。
現役幹部が「病気は信心で治らないから病院行くべしだよ、近頃はそういう流れ」って
言っちゃうんだね!とw
また「病気で入院手術することで、自分を責める傾向にあるのが学会員。
でも自分が悪いなんて思わなくて全然大丈夫。 休みなさいというサインかもしれないし、
この経験がまた誰かを激励できる種になるのかもしれないし、使命なんですよ」(要旨)
と話したことも、私には衝撃的でした。
ここ10年余り創価の現場から離れているもので、
いつの間にこんなにご都合主義になってしまったの?と驚いたのです。
私が現役だった時代は「宿命転換の時来たり!」と、幹部指導を受けさせられ
手術日までに何か結果(新聞・対話・入決等)をだしていこうとか、病でシンドイ人に対しても
平気で発破をかける、そのような話がざらにありました。
「病に打ち勝って」というような勇ましい言葉のオンパレードだったような・・。
そのような言葉がほぼなかった事が、非常に新鮮でした。

今思えばですが、母は一級活動家ですから、上記のようにソフトに言ったのかもしれません。
同じ状況にあってもきっと、活動さぼってた人にはこう言うのでしょう
「宿業でてきちゃったね」とw

余談ですが
元圏女は後日にも見舞に来るのですが、私に向かって「ねぇ、お姉さんは?」と尋ね。
帰省中で、代わりに私が来てるんですよと説明すると、「お姉さんにお会いしたかったわ~」とw
つまりもう、母の口からアンチ歴50年余りの姉が新聞購読してくれました!という話題は
伝わっており、すっかり姉にロックオン状態だったということですw
偶然とはいえ、姉が義実家帰省を予定していたことは不幸中の幸いだったと思います。

その夜、実家に戻ると同時に家の電話が鳴りました。
出てみると、母方のおばでした。
明日の手術は何時からだっけ?あんた付き添うの?私も行ってあげようか?との打診。
丁重にお断りをし、術後は集中治療室に1日入るので一般面会もできない事から
翌々日の見舞いをお願いし。
おばは了解し「オペ中は同盟題目を(親族)みんなで上げる。あんたもしっかりご祈念しなさい」
と言って電話を切りました。
地元を離れた暮らしが長く、リアル学会員とのふれあいwも全くないまま過ごしていた
私からすると、久方ぶりの創価社会に触れたこの日、カルチャーショックの連続で
精神的に疲れを感じ。
まこと、母の生活圏には学会員しかいないんだ・・と今更ながらに気づいてぞっとしたのです。

翌日、手術中はオペ室前で読書をしながら待っていました。
リスクも数%あると説明を受けており、緊張はしてはいたけど、何かにすがる様な思いもなく。
早く無事に終わってほしいと願いながら、腕時計を時折ちら見。
創価脳の私だったら、読書なんて手に付かず、当然お題目をぶつぶつとずっと唱え続けて
いたでしょう・マイおまもりご本尊を握りしめてw
もうそのような気持ちは湧いてこず、心配はあっても無事を祈るだけだし・
大丈夫であることを信じ待つ。あとは結果次第だという思いしかなく、淡々とした気持ちで
過ごしていました。
このときしみじみと、自分は仏罰論から脱せたんだなーと感慨深く。
罰論にとらわれていたなら、きっと母がこのような手術をうける羽目になったのは
「自分のせいだ」と責めたり嘆いたりしたと思います。
私が退転したから母がこんな目に・・的な(それを創価の人は「発心」と呼ぶ)。
今思えばですが、創価脳のころはチキンハートでしたw 
創価脳の精神状態だと、信心してるのに悪いことがおこる、というのは
殊更「非常事態」となります。
なんで頑張ってる・信じてる私がこんな目に遭うの?!的な。 だから必要以上に動揺もする。
信心を試されている!今こそ正念場!と、スイッチ入って猛烈に題目をあげたりもする。
”湿れる木より火を出だし・・”なんて、どう考えても非常事態ですw
どっちにしても、そこに平常心にはなく・やや冷静さを欠いた状態といえます。
そういった切羽詰まったような「祈念」や、今こそ「祈らねばならない」との
強迫観念がなくなった分、不必要に心を揺らされることなく、静かに居られた事が
少し嬉しくもありました。
(母が手術中に「うれしい」というのも、おかしな話ですが。)

手術は無事成功したと医師から告げられ、心底良かった、と思いました。
看護師さんからX時頃に麻酔が切れる・集中治療室で面接可能になるので
その時間になったら来てくださいとの話を受け、いったん病院の外へ出て関係各所へ連絡。
母の携帯を預かっており、組織の人たちへは母の携帯から「代理」でメールをしました。
頼まれていたいくつかのアドレスへ一斉送信をしましたが、30分と経過しないうちに返信の嵐。
手術をしている時間帯に地域で唱題会が開かれていることは聞かされていましたが
「OOさん(めったに会合に出てこないらしい、高齢者)が来てくれましたよ。
あなた(=母)のおかげでまた、一人立ち上がることが出来たね!」というしらゆり長の返信に
しょっぱい気持ちになり。

ただ地域の皆さんが母の手術成功を祈ってくれた。それだけなら「ありがとう」と言いたい。
でもさ、母の手術きっかけで「一人立ち上がることが出来た」って・・なんじゃそりゃorz

このひとたちには、ただ他者の無事を祈る、というシンプルな発想はないのだろうか?

たまたまその参加者が、心あって唱題会に出てきたかもしれないことを、
しらゆり長が「チャンス」と捉えていることは文面からして間違いない。
再び活動家に!と、狙いを定めた感じがみてとれ、それをあさましいと感じ。
まるでビジネスチャンスのように、他人の不幸(又は非常事態)を利用しているみたいで
このしらゆり長、感じ悪・・と、内心ドン引き。
バリ活は反論するでしょうね「その参加者の成長を喜んでいるだけ!」とかなんとか。
いやいや、それは麗しき学会世間での建前だよ。
大本営の本音は「寝た子が起きる=集票・集金・無償労働力ゲット!」なんだから。
けど、私だってバリバリ洗脳状態の女子部長だった頃
大本営の本音など知るよしもなく
「友人が悩みを打ち明けてくれたんです・・」と話す若き部員さんに向かって
「それは折伏してくれってことだよ!」と即答してたよね・・と、苦々しく過去を思い返しもし。

覚醒して2年が経過しようという頃でしたが、自宅周辺の学会員とはすっかり疎遠となり・
ネット社会のバリ活様をヲチすることはあっても、リアルな学会世間に触れ合う機会が
なかった私にとり、母の入院手術期間はカルチャーショックの連続といえました。
異国の人と話をしているような感覚さえしてくるほどの。

組織としての出世の本懐が「集金・集票・権力集中」にあることは、今も昔も変わらないけど
路線も潮目も、徐々に変わっていったことは明らかで。
盲信者たちと触れ合うにつけ、隔世の感を覚えました。

(続きます)


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