スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一凶なる強迫観念

母の入院つきそい中にあった出来事は私的に内容が濃く、
なかなか話が先に進まずもどかしいのですが、もう少し続けさせてください。

お見舞いにやってきた婦人部3人組。全員が圏やら何やらつく、幹部です。
うち一人は20年前まで、実家のすぐ近くに住むご近所さんで仮にAさんとします。
同市内で転居され、現在は所属地域が違います。
同じ地域に居たころ、母はAさんと懇意だったようですが、転居後は顔をあわせることも
少なかったようで、久方ぶりの再会を懐かしんでいました。
また、あとの2人(BさんCさん)も、幹部のおばと懇意であり、
「学会組織の軽い顔見知り」とは違う、旧知の関係。年齢的に母と同世代です。

ひととおり、経過経緯と現状を聞いてもらったあと母は
「この年齢になって、こんなこと(入院手術)になるとは思ってもいなかった。
自分が一凶を乗り越えられなかったことに原因があると思っている。
私の一凶は、臆病な心。いつも肝心な時に、引いていた。
信心でひいてはダメっていうのに・・」と、自身が父生存時、何度も役職の話を受けていたのに
すべて断ってきたことを挙げました。
つまり、今回の入院手術の原因は「学会の役職をずっと断っていたから(その罰)」とでも
言いたいようでした。
私は内心、口あんぐりで聞いていました。(いや、実際口あけてたかもしれません・・w)
”いやいや、んなわけないだろ!!”と、心で激しくつっこんでいました。
母は言葉をつづけ、父のせいにして役職を断り続けた事を実は悔いていた・そのぶん父亡き後、
少しでも組織に尽くそうと頑張ってきた。
それでもやっぱり、自分が過去に殻を破れなかった事をいまだに後悔し・尾をひいている
気がする・・と。
「過去に殻を破れなかったこと」とは、言うまでもなくですが、アンチの父に背いてでも
自分は役職を受けるべきだった・・という事です。
これを聞いて、ただただ驚くだけでした。
まさか母が、そんな風に今回のできごと(入院手術)の因をとらえているとは・・。
戻らない過去を、今更どう変える事もできないし語りようもないですが、「もし」母が父生存時
役職を受けていたならどうなっていたのか?
少なくとも、良い結果にはならないと私は思います。 父はますます、母から心を離したでしょう。
離婚という道に進んだかもしれません。
しかし、母はそんな風には考えてないようで、自分が一歩殻を破ることで父が変わったかも
しれない=アンチの父が最後は理解者となったかもしれない! くらいの、良い結果を想像して
「やらなかったこと」を悔いているように見受けられました。

自身や家族が思わぬ悪事に遭遇した際、創価脳の大半は「宿業がでた」「宿命転換の時来り」
と捉えます。
そしてなぜ自分や家族がこんな目にあってしまうのか、その理由を信仰履歴に探そうとする。
家族の誰かがアンチ創価で、学会の悪口ばかりいってるからこうなっただとか・
創価入会前の実家の信仰がいわゆる「邪宗」だったからだとか・
自身が組織の同志に怨嫉をいだいていたからこうなったのかもしれないとか・
お題目あげてなかった・折伏できなかった・会合さぼりまくってた・財務頑張らなかったとか、
およそ一般人なら途方もつかないような事柄を「自分や家族の不幸の原因」としてしまうのです。
私の母は、いつも元気で病気ひとつしないというタイプではなく、どちらかというと虚弱体質。
家で寝込むという事は、それほどなかったけれど、常に病院通い&薬が手放せず。
疲労がピークに達すると、数年に一度かは救急車で運ばれるというようなこともありました。
けれども手術を要する入院をすることは、この年代までありませんでした。
その状況をおそらく「自分は信仰のおかげで守られている。大病までいかずに済んでる」と
ずっと感じてきたに違いなく。
高齢期を迎えて入退院を繰り返すという話は、ざらにあります。私の周囲でも、実の両親や
舅さん姑さんが入院しただの・介護施設を探しているだの、この手の話題がよく聞かれるように
なってきました。
40代も半ばすぎ、周囲も私もそんな年代になってきたんだなぁ、と思っています。
だから母の入院手術についても、殊更ネガティブにとらえる事はありませんでした。
しかし母本人にとっては、この時期の現実が相当重かったのでしょう。
(自身の高齢化という現実はすっとばしで)
「それなりに信心頑張ってきた自分が何故いまこんな目に?」というような。
母をそう思わせたのは、まぎれもなく組織から受けたマインドコントロールが原因です。
今でも幹部は会員に問うのでしょうか?「自身の一凶はなんですか?」と。
一凶という言葉を使い、当人から「怖れ」をおびき出し、巧みにだまくらかしている。
宗教依存を強めるためだけに、利用しているのです。
立派に精神的迫害であり、こんなもの「指導」なんて呼べたものではありません。

幹部Aさんは
「一凶だなんて、そんな風に自分を責めちゃだめよ。
私が何度もしつこく(担当当時)役職の話、あなたにもっていったから言ってるの?」と
優しく言いました。
これも初耳だったので、エーッ?!そうだったんだ・・知らなかったと驚き。
同席していた2人も、そうよそんな風におもっちゃだめよ!と同調。
「あなたは旦那さんが反対でも、よく頑張っていたじゃない。知ってるわよ」
「そうよ、祥蘭ちゃんだってね?青年部、すっごく頑張ってたもの。みんな知ってるわよ」とw
内心”私に創価話題の水を向けないで~!”と思いましたが・・。
すると一人の幹部が
「私ね、おおやけにはしてないけどね、いま癌の治療中なのよ」とカミングアウト。
思わず私は「えっ?!」と声をあげてしまいました。
ぱっと振り返って「祥蘭ちゃん、いま他県に住んでるんだよね?他言は無用よ~」と笑顔で。
仮にBさんとしますが、まったく闘病中になんて見えない。実に健康的に見えるのです。
もともとおきれいな方で、後で気付きましたが、完璧ともいえるヘアスタイルは
おそらく高級ウイッグなのだと思います。
Bさんは「心配されちゃうし、立場もあるから言わないことにしてるの。
再発だしね・・」と、公表はしていないけど、何度めかの癌治療だと話しました。
現場最前線でずっぱりの幹部ではなく、幹部指導でお呼びがかかれば出ていきます・・という
かなり上の立場ともなれば、がんを公表しないでいられるのも理解できます。
自分のタイミングで、治療も入院も選ぶことができるから可能なのでしょう。
幹部指導役の代わりは、いくらでもいますしねw
しかし最前線の現場幹部(本部以下)なら、まずそんなわけにはいきません。
そしてAさんも「私もね、OO病で長く通院してる。もう治らないってお医者さんにいわれてるのよ」
3人目のCさんも「私も健康診断でOOの数値が悪くて~云々」と、
さながら病気カミングアウト大会のようになっていました。

幹部だって病気する。あたりまえのことです。誰人も生老病死は、避けようがありません。
その病状がSTAY(治らない)状態であっても、それを「良し」としている。
昔の学会まわりでは、考えられなかった事だなぁ・・と私は変化を感じてしまいました。
昔ならば「絶対に治します!」と、決意発表していました。
”良くならなければ信心してる意味ない”そんなマインドが、老いも若きも学会員の
共通項だったはずです。一昔前までは。
ふと思い出したのが、私が部長当時に50代の壮年幹部が末期がんをカミングアウトし
半年後にお亡くなりになったときの事でした。
お通夜だったか葬儀だったか忘れましたが、旧知の幹部が挨拶で言っていました。
「彼は病に倒れ、亡くなってしまったけれども、決して心は癌に負けなかった。
さきほど彼のお顔を拝見して確信した。彼は勝った。見事な大勝利の姿でした」と。
当時はその言葉をよく吟味もせずに聞き
闘病の末、亡くなった同志への尊厳あるお弔いの言葉だと受け止めていました。
亡くなった幹部もカミングアウトの際「絶対に癌に打ち勝ち、現場に戻ってまいります」と
皆の前で決意発表していたのです。
支部でも幹部の病気平癒のための唱題会がとられていました。
それでもやはり、死を避けられないことがある。 そんなの一般社会では常識です。
けれども、当時組織の中では誰が口にせずとも、ひそかに「動揺」が起きる事でした。
葬儀だか通夜の席で語られた
「彼は勝った。見事な大勝利の姿でした」は、そんなメンバーの動揺を鎮めるための
言葉だったのか?
あるがままの「死」を受け入れ、悲しみ、故人を偲びながらも・遺族をそっと見守り
必要な時に励ましの言葉をかける・・そんな当たり前のことで、本当はいいはずなのに。
とにもかくにも「勝った」と言いたがるその精神性が、身近な和平を遠ざけていることに気付けない。
そんな宗教団体、私はまっぴらごめんですw

また、
”信心や学会活動でも病が治らないことがある(注・当然、適切な医療を受けた上での話)”
これが暗黙の了解となり、病は治らないこともあるし・治らなくてもかまわない・・という
風潮に現在なっているのだとしたら、前回も書いた宗教の優位性など、存在しないも同然です。
それでも「自分たちの信仰が一番なんだ」と、譲らないのはよほど頭が悪いのだろうか・・。
と、私は不思議でなりません。
余談ですが、近頃学会員で「家族葬」を行う人がたいへん多いと聞きました。
実際、私の実家方面でも、有名な活動家一族の長老が亡くなった際も家族葬で送られ
一部の学会員から「おかしい」「水臭い」「自分もお別れしたかったのに」と、文句(?)が
出ていたとのこと。
長老は体調を崩して長期の入院をし、病院で亡くなられました。
食事が摂れず胃ろうをしており、亡くなった時はガリガリにやせ細っていたとのこと。
きっと、そんなやせ細った最期の姿を他人(学会員)に見せたくなかったのだろう・・と聞きました。
それが組織内に伝わる「理想の臨終」とは違うから、という事でしょう。
親がバリで子供がアンチという事でなく、創価脳であっても家族葬を選ぶ時代になった事にも
変化を感じずにいられません。

話を元に戻します。

幹部の皆さま方は母を元気づけるように
「とにかく、自分を責めたりしないでね。
この年齢まで(70代まで)生きてこられただけでも、大きな功徳を頂いているじゃないの!
病になったって、どんな境遇でも明るく生きて、信仰をたもつ人の強さ・信心の素晴らしさを
周囲に伝えていく。それが私たちの使命」(要旨)と話していました。
「今はとにかく養生に専念して、元気になってまた一緒に頑張りましょう」と言い残し、
お三方は帰って行きました。

改めて、創価脳な見舞客の発言を聞いて感じたことなのですが
末端会員になればなるほど、「信仰でぜったい治癒する」「信仰で良くなる」という
現状打破・変革のメッセージを会話の端々に込めているのに対し、
大幹部は「現状を受け入れましょう・養生しましょう」と言っていたのです。
「今こそ信心よ!」「信心が試されているよ!」なんてことは、幹部連中は一言もいわない。
昔なら絶対に聞いたであろう、「強情の大信力」なんて言葉もまったく出てきませんでしたw
いったい、なんなんだよ?
いつからこんな、物分かりのいい事言う路線に変わったわけ?
ひとつ思い当たったのは、母がもう高齢者だからかな・・?という事。
私が「強情の大信力」なる幹部発言を耳にしていたのは、私自身青年部で若いころでしたし、
そんな威勢のいい言葉を発していた幹部も~50代でした。
老い先短い高齢者に、強い言葉はさすがに吐けないというところなのでしょう。
池田老人も老衰のため「後事を託す」という大義名分のもと、雲隠れしているくらいですし・・。
もしも、未だにピンピンして、同時中継スピーチ指導も毎月開催・露出過多・
海外の要人にだって、ばりばり会っちゃう・先頭に立ち陣頭指揮をとっていようものなら・・
「池田先生を見習え!80を超えてもまだ第一線で闘っておられるんだよ!」なんて指導が
高齢者相手でも、飛び交ったかもしれませんねw 皮肉なことです。

それから、非公開コメントで質問があったのですが、当時の母の態度について。

私が「学会活動で功徳が出るなんてオカルトだ」と言ったことが発端で
「今後の付き合いを考える」と言った母でしたが、入院という窮地(?)に立ったら
私を頼ってきた。
このことについて、当時の私も「意外」だと感じていました。
家族の関係性でいえば、このときは母にとって姉が一番の頼りでした。その姉が不在。
消去法で兄の嫁さんに頼ることは絶対に出来ない(父の法事以来、会っていない上
日常的なやりとりも一切ない)ため、私しかいなかったのでしょうw
私は母に伝えたとおり、信仰の絆が失われたって親子であることは変わりないと
思っている為、付き添いをすることは当然と考えました。
幸い、義家族の助けもありましたから引き受ける事ができたのです。
ここでおかしな意地を、母も私も互いに張らなかったことは、結果的に良かったと思います。
実家へ出向く際はちょっと緊張したけれど、後は至って普通で、今に至ります。

姉に付き添いをバトンタッチし自宅方面へ戻る際、母は病室で私に握手を求め
「ありがとう。娘がいてくれて、良かったなぁって感謝してるよ」と言いました。
私は「感謝するなら、主人や義両親にだよ?」と返し
母は「もちろんだよ、わかってるよ」と答えて。

いま振り返ると、この時期の出来事は母が変節を迎えるベースとなったように思います。

(続きます)
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。