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布石

母の友人Xさんについて、姉が不信感をおぼえたのは2014年春のこと。
この時期、私は母・姉と連絡を取り合っていません。
例の「学会活動で功徳もらえるなんてオカルト」発言で、母から「今後の付き合いを考える」
といわれ・姉からは「あんたはおとなしくしてて」と叱られ、静かにしていた頃でした。
姉が実家を訪ねようと母に連絡を取ったが音信不通。
実家を訪ね、合鍵で家に入ると不在で携帯電話がおきっぱなしになっており。
事件に巻き込まれでもしたのかと、不安になった姉が隣家の住人に何か聞いていませんか?と
尋ねたところ、「1週間程度の湯治にでかけると聞いた」とのこと。
その連絡を、姉も私も母から受けておらず。それまで、母が連絡なしに数日間家を空けることは
一度もありませんでした。
警察に届けるにはまだ早いと、とりあえず戻ってくるのを待つことにした姉。
無事帰宅した母を問い詰めたところ、湯治に誘ってくれ一緒に出かけたのはXさんで、
携帯電話は置いていくようアドバイスがあった。湯治場は山奥にあり、電波が届かないことと・
携帯があると俗世が気になってのんびりできないから・・という理由でした。
姉はそのアドバイスに、不自然さを感じたといいます
(携帯持参したって、電波が届かないなら持っていこうがいかまいが同じこと)。
結局その真意(携帯を家に置いてこいというアドバイス)は今もってわかりませんが、
高齢者が家族に連絡のつかない状態で、1週間も家を空けるというのは尋常ではありません。
姉と私に前もって連絡を入れなかったのは、母の独断で、湯治に行くなんて言ったら心配かけると
思った。というものでした。
湯治に行こうと思うほど、母の体調が思わしくなかったということで、この出来事が契機となって
姉の強い勧めでセカンドオピニオン受診~新たな疾患発覚~先の手術へと繋がりました。

Xさんに不信感を持った姉は、母にあれこれ素性を聞きだした。
「マルチや、契約ごとや、借金を申し込まれたりはしていないか?」と尋ねたところ
母は「そんなことは一切ない。だいたい、Xさんはうちなんかよりはるかにお金持ちなんだから
そんな心配はいらない」と答えたとのこと。
私がかなり前に聞いた話も、Xさんはお子さんがおらず、ご主人が遺した賃貸物件の収入で
優雅に暮らしている独居老人・・とのことでした。
ただ、家をみたわけでもなければ・Xさんが話していることの「伝え聞き」なので実際のところは
わかりませんでした。
その後、母の入院時に見舞いに訪れたXさんが、付き添っていた姉を私だと思いこんで
話しかけてきたとのこと。
(遠方からご苦労様です、お子さんは誰が面倒を見ているんですか?など)
姉は、それは妹でもう帰った。自分は姉だと答えたところ、Xさんの表情が引きつった。
母に向かって「娘さんが二人もいるなんて、私初耳よ!」と。
母はばつの悪そうな顔をしていたが、「言ってなかったけど実はね・・この子は近隣に住んでるの」と
答えたのだと。
その時のXさんの表情が、なんともいえず、姉には「おかしい」と映ったといいます。
まるで姉が近くにいたら「まずい」というような、感じだったと。
母がXさんに姉の存在を話していなかった、というのは、直接理由を聞いたわけではありませんが
おそらく姉が筋金入りのアンチ創価で、長らく母と反目しあっていた時期もあったため、
敢えて話題にしなかった・ならなかったのだと推察します。
Xさんは近隣同志でも旧い仲でもないため、母が話さない限り姉の存在など知る由ありません。

この時点で私の感想は「要警戒」というものでした。姉の不安も、とてもよく理解できました。
もし、私がこのとき覚醒していなければ
「同志なんだし、大丈夫だよ。そんな疑ってかかっちゃだめだよ?」と、姉に言ったと思います。
同志だ、というだけで簡単に「いい人だ」「悪い人なわけない」と、安易に信用してしまう。
Xさんに対し、母もそのように心を許していたのでしょう。

時系列無視で書きますが、この数ヵ月後、母から電話がありました。
内容は、来週から海外旅行に行く予定だったが、相手の都合が悪くなってしまった。
高額キャンセル料のかかる時期にきているため、代理をたててでも行きたいが誰も都合がつかない。
あんた一緒に行かない?というものでした。
平日も含まれ、私がその旅行にいくとなれば実家方面の空港へと向かう必要もあり、
なんだかんだで1週間まるまる家を空けるような話です。
当然、子供達や家のこともあるため行けないよと断りました。
母は参ったわ~という感じで、もうキャンセル料を払うしかないねぇ・・と呟きました。
私は、ドタキャンなんて相手が悪いところもあるんだから、相手に多少大目に負担してもらえないの?と
言ったところ母は「そんなわけにいかない」と。
なんとなく「もしかしてその相手ってXさん?」と尋ねると、母はそうだと答え、他をもう少しあたって
みるからと電話を切りました。
ふと、3年ほど前にも全く同じことがあったのを思いだしたのです。
当時の私は園児&幼児のいる身。行けるはずないじゃんと簡単に断って、詳細を確認する
こともなく(一緒に行く予定だった相手が誰なのかも知らず)終わったのですが。
これって、もしや?
すぐ母に電話を入れ、数年前にも同じことがあったけど、あの時どうしたの?と確認。
結局だれも見つからず、キャンセル料を支払った。その旅行は近場(中国)だったので
たいした金額ではなかったが、今回は違う(高額だ)から困ってるんだよね、と。
「それってさ、相手は誰だった?」と尋ねると「Xさんよ」と母。 嫌な予感。
旅行の誘い、予約手配したのもXさんで、母はXさんに言われるままの代金を現金で支払い。
直前キャンセルのため、高額なキャンセル料との差額(1割程度の戻し)を受け取ったとの事。
それってちゃんと書面とか確認してる?と尋ねると「していない」と母。
これは・・と思った私は
「じゃあさ、私行けるようになんとかするから。旅行会社にパスポート番号の連絡も
しないとだね、私から直接する。Xさんに旅行会社の電話番号と担当者名聞いて」と伝え。
母が連絡をしたところ、Xさんは身内の不幸のため対応ができない。
今回はキャンセルでと、強行してきたのです。
姉にこの件を伝え、姉と共に「キャンセル書面をXさんに出してもらってくれ」と母に言いました。
旅行の予約じたいあったのか、そもそも疑わしいから、と添え。
しかし母は「そこまでしなくても・・」と消極的。
二度同じことがあっても、母はXさんを詰めたくはない様子。
今後Xさんとの付き合いはよく考えたほうが良い。旅行に誘われても二度と応じてはいけない、と
念を押し。
母も少し思うところがあったようで、了承してくれました。

長くなるので割愛しますが、他にもいくつかの不審な事があったのち、
決定的ともいえる出来事が。
Xさんが、突然実家を訪問。それまで、外でしか会ったことがなかったのにです。
母は招き入れ、夕飯をごちそう。深夜まで居座るXさんに、そろそろバスや電車もなくなる時間、
(自宅に)帰ったら?と促したところ
「住むところがなくなった。お願い、ここで同居させて」と、泣きついてきたのです。
これで母は、やっとXさんの本質に気付き。
姉夫妻が対応し、Xさんとの縁は切れました。
その後、母は自身の学会ネットワークwを使って他市に住むXさんの素情を調べ。
実際に組織の一員であり、副役職のあるご婦人でした。
昔、資産家だったというのは本当のことでしたが、近年は状況が違ったようです。
母が組織の人間から迷惑を被った・・という経験は、これが初めてではありません。
過去、マルチ商法をもちかけられ、損をしたこともあります。
その頃の母はまだ50代。「先生の思いにそむくような事をした者は必ず罰を受ける」と
「人を憎んで創価信仰に疑いは一切持たず」でした。
しかし、老齢期ともいえる今となって、この記事で書いた近隣同志の現実と共に、
Xさんとの事の顛末は、強固な創価脳をもつ母に変化をもたらす布石となりました。

海千山千、組織の中にもいろーんな人間がいることは解っていますし、組織内部に限らず
広く一般社会だって同じ。
とりわけ母が、まれに組織内で悪人というか残念な人に出会っているだけだ!と言われたら、
そうなのかもしれません。
そんな人にばかり出くわすのは、母の業だ!というような決めつけをしてくる創価脳も
いるかもしれませんが、私は全くそうは思わないので、いちいち取り合いませんw

ただ、創価がずっと訴えてきていた「(創価)仏法の万能性」については、嘘だ。ということを
実例を通して、私の意見として述べたいだけです。
お題目を何千何万とあげるだけで、人の本質なんてそうは変わらないです。
票を頼むことで悪業がとれることもないでしょうし、
誰かを組織に引き込むことで自分の幸福レベルが1UPすることも、まずありえません。
また役職がつくことで境涯が上がるとかいうのも、おとぎ話でしかなく。
今夏、実家帰省のさい手つかずだった、私が使っていた部屋の収納を整理した際に
出てきたノートがあります。女子部時代に、幹部指導を書きとめていたものです。
その中に書かれた一文に「なるほどなぁ」と思い。
”人間革命=宿命転換は、一番最後に性質(性根)が変わる” こう書いてありました。
生活環境や社会的地位や見た目などの「外側」は(放っておいても)変わっていくけれど、
一個人の本質的な部分は、最後に変わるということ。
「人間革命」の、一番最後って時間軸で一体いつを指すのでしょうか?
メモを必死でとっていた当時は、そんなこと考えもしませんでした。
今考えれば一番最後とは「臨終」まさに死ぬときではないのか。
変われない変わらない、そんなことはあたりまえ、
死ぬ間際まで学会活動に奔走し、「人間革命」に励めって事か・・。
これって最高の逃げ口上だな、組織の中にどんな悪人が含まれていたとしたって
「性根は死ぬまで変わんないよ、死ぬまでずっと人間革命の途上だよ」って話だもんな・・
前にも似たようなことを書いた気がしますが、これは全く良く出来たロジックだと思うのです。
「宿命」や「一凶」や「宿業」という名の、猛烈な自己否定からはじまる物語の終わりは
誰人にも平等に訪れる「死」のとき。
だったら私は、自己否定と一生格闘しながらの「人間革命生活」なんてしたくないw
そんなことよりは、自己肯定で自分の人生をよりよく、愛着あるものとして生きていきたい。
「その一生を、広布に尽くすことこそが最高の幸せ」・・こんな言葉を、組織にいたころよく耳に
しました。池田老人の文章にも、ありがちなフレーズです。
そう思える人は、それでいいのかもしれない。
ただ、そうとは思えない人に、それを押しつけることは愚の骨頂だという事を、弁えてほしい。
私はそう思います。

(続きます)
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