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ジャイアニズム

2014年 秋頃は、特段創価にまつわるエピソードなしで過ごしていました。
前年は壮年部の家庭訪問があり「ご主人の広布基金申し込み、どうします?」と尋ねられ、
呆れかえっていたのですが、この年はお尋ねなし。
いつ頃からか、思い出せないくらい。地域から一切の音沙汰がなくなっていました。

創価にまつわるエピソードではありませんが、9月に驚きの出来事がありました。
兄から私の携帯に、初めて電話がかかってきたのです。
番号は姉を通じて聞いたという事でしたが、何事かと不安になり、構えました。
用件がまた意外で、兄の長女(私の姪っ子)が、来春(2015年)結婚することになったので、
海外挙式に参加してもらえないだろうか?というものでした。
姪っ子とは、ずいぶん大きくなってから父の葬儀・法事で数回会った程度。
実際のところ、私はなじみがありません。
だのに何故?と聞くと、相手方とのつりあいをとりたい(参加人数)というものでした。
兄が私にお願い事をしてくるという、全くレアな状況に戸惑いつつも
挙式はGW時期でもあり、断る理由もなかったため承諾しました。
この挙式旅行には、母や姉夫妻も参加。 後日記します。

11月下旬 突如の衆議院解散。
TVニュースを横目に見ながら「茶番だな」と思い、あまり興味を持てず。
選挙か・・。財務はスルーしてくれたけど、選挙となったらまた地域学会員からの
家庭訪問があるのかもしれない。 母からも、連絡があるのかもしれない。
もし、地域の学会員がこようものなら。私は居留守なんて使わずに対応してやる。
自分たちの間違いに早く気付けと、説教の一つもぶってやる・・と、威勢よく身構えていましたがw
残念ながら、家庭訪問・電話・メール・チラシのポスト投函、どれもありませんでした。
当時の記事にも書きましたが、直接の当日確認も無し。 完全非活になればこんなものです。

12月に入ってすぐ、母から連絡があり「必ず選挙に行くように」と言われました。
はいはい、と適当に返事。
その電話から数日、母のきょうだい(おじ)が急逝したとの連絡が入りました。死因は心臓発作。
遠方の私は弔電を打ち、母と姉夫妻が通夜葬儀へ。
亡くなったきょうだいは役職者。母のきょうだいの中で、一番の成功者でした。
地域社会でも人望が厚かったようで、葬儀には数百人が参列。
精進落としの席で、同業の組合長(一般の方)がおじの人となりや功績を称える挨拶をした直後、
次に挨拶をしたのは学会幹部(後で母に確認したところ、県幹部)。
「OOさんの分まで、私達は今回の法戦を不自惜身命で戦い抜き、先生に大勝利の報告を
してまいりたい(要旨)」との発言があったと、後日姉から電話で聞かされドン引きでした・・。
おいおい、関係ねーだろうが(呆)。
友人葬ではありましたが、100%学会員の集いではありません。
ましてや、選挙の決起大会でもありません。あくまでも、いち壮年の葬儀席上です。
挨拶をした県幹部の発言の非常識さを、一般の方々はどう受け止めたでしょうか。

おじの死から数日後が、亡き父の命日でした。
全く期待もしていませんでしたが例年どおり、選挙で多忙の母からは何も音沙汰なく。
姉は墓参りへ行くため、母を誘ったのですが
「忙しくてそれどころじゃないよ。選挙が終わってからちゃんと行くから」との、寒い返事。
姉の自宅には例年どおり、父方のきょうだいからお線香と、父の好きだった菓子が送られて
きたとのこと。
兄は毎年、父方実家の菩提寺へ行っている・・という事をこのとき姉から初めて聞きました。
父が幼少期から親しんだお寺で、現在のご住職が父の後輩にあたる方なのだと。
(注・兄は父の郷里に近いところに住んでいます)
遠方のため、なかなか父の墓へはお参りに行けない代わりに・・という気持ちと
父方もともとの宗派で供養したいとの、思いからの行動。
そうして皆が父を偲んでいるときに、妻であった母は・・。
繰り返しになりますが(ウザくてスイマセン)、いくら夫婦仲が悪かったとはいえ・・
現在の安定があるのは、父のおかげなのに。にもかかわらず、騙されて法戦などと票取りに
走り回る母・・。愚かであるとしか、言いようがなく。
残念な思いがこみ上げましたが、今言ったところでなにも変わらない。
わけのわからない正統性をふりかざされて、こっちが不快な思いをするだけだ・・と、諦め。
2014年12月の選挙におけるエピソードはこの記事に書いています。

年末、義実家へ帰省。年が明け初詣を終えて、私の実家へ向かいました。
この記事にも書きましたが、箱根駅伝(創大初出場)において、母のお花畑創価脳思考がさく裂w
そのさまを見、私は母の精神疾患を疑ったほどでした。
どうして現実を直視できないのだろう? 冷静に、周辺状況を基に物事を捉え・考える事が
できないのだろう? それが「創価脳」というものか・・。などなど、考えさせられ。

この帰省中、前年末に逝去したおじ宅を訪問。お線香をあげさせてもらいました。
おじの奥さん(70代後半)は結婚と共に入会したクチで、役職などはありません。
長男夫妻と同居しており、長男は学生部でバリでしたが、社会に出て以降はそれほどでもなく。
長男の嫁さんはかろうじて入会はしていますが、たぶんアンチだと思います(未確認)。
母+私達家族で訪問しましたが、家にいたのはおじの奥さんだけ。
あまりにも急な死だったもので・・と、戸惑いもあるし未だに信じられず、ひょっこり帰ってくるのでは
ないのか?と思う毎日だと話していました。
母はため息をつき「まったく、真言(宗)の業が深い一家だからねぇ」
(注・創価でいう他宗破折「真言宗は男が立たない」のことです。母の実家は真言宗から改宗)
「OO君(不在だったいとこ)も、気をつけないとね」というので、ぎょっとしました。
またそれを言うか・・! しかも、リアル遺族に向かって。
さらに、まだ若い(といっても50代)の甥っ子に対してまでそんな呪いの言葉を・・orz
奥さんは困った表情をしているように見えました(当然だと思います)。 
母方で2014年のあいだに、2人の男性が急逝しました。どういうわけか、いつも急逝です。
病に倒れて闘病の甲斐なく・・というパターンはありません。 偶々だとはおもいますが。
ただ、こういった「偶々」が厄介で、いつもこのパターンだから「やっぱりこれは真言の業なんだ!」と
母の一族は思い込まされているきらいがあります。 なんだかな~・・です。
単純な、体質遺伝的なものだろうと、私は思うのですが。

帰宅後、母が亡きおじ一家が心配だ、と話し始めました。
心配の種は、嫁の親(60代)とそのきょうだい(大家族)。
虎視淡々と、家の乗っ取りを狙っている・・というのです。
葬儀の席でも、えらそうに振舞っていた。
おじが経営していたコンビニを、嫁のきょうだいが入り込んで実質運営している。
おじの奥さんはずっと専業主婦で、全く何も分かっていないから言いなりになっている・・云々。
そんなの、家族がそれで良ければいいんじゃないの?
おじの長男(一人っ子)は勤め人、そこを辞めてまで今コンビニ運営する必要もない。
定年退職まで任せてるだけかもしれないじゃん・・と私が言うと、母は「どうかねぇ?」と。
おじ所有の不動産についても、嫁の親がしゃしゃり出てきた・・と話しだしたので
「つぅかさ、どうでもよくない?おじさんちのことなんか、私達に関係ないじゃん!」と返すと母は
「そうなんだけどさ・・せっかく(おじが)築きあげたものを、学会員でもない人たちに
奪われるっていうのが、なんとも歯がゆいんだよね。
姉さん(=幹部のおばのこと)も同じ意見でね、姉さんから奥さんに言ったのよ。
”いずれとられるくらいなら、組織にご供養したら?”って」と。
ええーっ・・?!
唖然としました。
そのような考え方が、ごくごく自然に出てくるというところにも驚きを隠せませんでした。
「ちょっと飛躍しすぎじゃない?そんなこと言い出したらさ、あなただって同じじゃん。
”(祖父や先祖が)せっかく築きあげたものを、学会員に奪われる”って、逆の立場からすれば
そういうことなんだよ?」
私がこう言うと、母は驚いた表情を見せ
「同じじゃないでしょ。(創価への供養は)謗法供養じゃないんだから・・」と答えましたが、
それが的を射た答えになっていない事は自分でもわかっていたのか、あとは口をつぐんで
しまいました。
このようなやりとりもあり、2015年正月時点の私は、母の強靭な創価脳は「揺るがない」と落胆。
その思いを、年始の挨拶にも書きました。

熱心な会員であった故人の遺産を、組織へご供養したら・・と周囲が遺族に奨めるいう話は、
以前コメントくださった方のエピソードにもありました。
それでもごく一部の話なのかもしれませんが、私の身内にもこのような考え方が「当然」として
根付いていた事に、ちょっと驚きを隠せませんでした。

創価脳の独善性については、以前から書いていることですが
自分たちの「絶対正義」という旗印のもとならば、何でも許されると思っているのか?!
およそ万人には通用しない一方的な理屈を、さも当然というようにしたり顔で語る。
傲慢にもほどがあります。
「お前の物は俺の物。俺の物は、当然俺の物」
これじゃあまるで、ドラえもんにおけるジャイアンじゃん・・。
お飾り師匠が「宗教界の王者」なんて、宗教界の誰人も・組織外の誰人も認めないようなことを公言し・
自分たちを称するくらいなのだから、その弟子である会員たちがジャイアニズムに毒されていても
それは無理のないことなのかもしれません。
親分がどうしようもないジャイアンでお山の大将だから、弟子も同じメンタルだということです。 
が、このような独善主義や「勝ち誇り」姿勢が全く・決して「平和」と全く繋がっていないことに、
どうして気付けないのか。物凄く基本的なことのはずなのに。
あれほどまでに平和を懇願し・渇望する学会員のくせに、何故に気付けないのか。
私にはまったく、理解ができません。

(続きます)
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