君子豹変

2015年1月 
正月帰省からもどる車の中で、主人との会話。
母が亡きおじの遺産の行方を懸念し、組織に寄付したらいいのに・・と話していた事について
「非常識にもほどがあるよ」と私が話すと、主人が思い出したかのように、実際身近にあった
エピソードを話してくれました。

主人の中高時代の部活仲間である友人が、30代前半に事故で亡くなり。
友人(Aさんとします)は既婚者。
葬儀の席で、Aさんの奥さん一家が熱心な学会員だとわかったとのこと。
葬儀が友人葬だったからです。
このときまで、主人や他の仲間たちはそのこと(奥さんが学会員)を知りませんでした。
結婚式は身内だけで挙げており、後日開かれたお祝いパーティーに参加はしたが
その席で学会員だということは、全く分からなかった。
Aさんは奥さんが学会員である事(本人の入会については不明)を隠していたんだな・・と、
気付いたのだと。
結婚して子供もうまれ、自宅も購入した矢先の事故死。
Aさんのお母様は、女手ひとつでAさんを育て、母一人子一人環境でもあったので大変な
落胆ぶりだった。 
主人も、どう声をかけていいかわからなかったといいます。

Aさんの実家は、義実家のご近所で、義母さんとAさんのお母様は知り合い。
後日、Aさんのお母様におこった出来事を義母さんから聞いて、主人は驚いた。
Aさんの死によって、住宅ローンは保険で支払われ・保険金を手にしたAさんの奥さんは
一切を自分のものとし、百か日が過ぎた頃、しれっと自宅に自身の両親を同居させたとのこと。
Aさんのお母様に、相続権こそありませんが(Aさんと奥さんの間に子供がいるため)、
お母様が老齢期に入ったら同居するとの約束があったそうです。
しかし、Aさんが亡くなったことで、そんな約束はなかったものと、自身の親を同居させた
学会員の嫁(+旦那の親に対し遠慮もなんの配慮もない、学会員の両親)。
Aさんのお母様に、何のお伺いもなく、当然のようにそのようにし、
「Aさんの供養は私達がしっかりするから任せてください」と、言ってきたのだと。
葬儀についても、突然のことだった&喪主が奥さんということで、Aさんのお母様の意向など
一切聞きいれられることなく、創価の葬儀でおくられたのがお母様は許せなかった。
お母様は、お骨だけはうちの墓に入れるから!と言い、Aさんのお骨を引き取った・・
という話でした。
Aさんのお母様はその後うつ病を患い、別人のようになってしまった。
心配したお母様のごきょうだいが引き取って転居、今頃どうしているか分からないとの事。

話を聞いて、しばらく言葉が出ませんでした。絶句という感じで、なにも言えず。
Aさんのお母様の心中、察するに余りあります。
たった一人の息子を亡くしたお母様に対するフォローは何もなし。こんな非道ありえません。
もちろん、これは学会員であろうがなかろうが関係のない、独善的メンタリティだとは思うのですが、
”自分たちさえよければそれでいい”
”自分たちの正義(利・益)を貫くためならどんな非常識も許されると思いこんでいる”
まさに創価脳ならでは、な、ジャイアニズムに満ち満ちたエピソードで
学会員と聞けば「さもありなん」だとも思います。
また、創価脳にありがちな
「御主人は早くに亡くなったけれども、遺された家族が路頭に迷うことなく暮らすことが出来、
 親孝行もできたのだから、これは福運(または転重軽受)」などという、独善以外の何物でもない
解釈を彼らがしていそうで「これは信心のおかげ」と、妄信迷信をさらに強めたのだろうな・・と
想像すると、その「周りの見えなさ・愚かさ」に、グッタリしました。他人事ながら。

「(当時)創価の人たちって怖いわね、って(義母さんが)言ってた」と
主人が続け。
「ええっ?!じゃあ、私との結婚も、本当は反対だったんじゃないの?」と私が聞くと
主人は「創価だというのはショックだ、って最初は言ってた。
ただ、お父さん(私の亡き父)に会って安心したみたいで、以降何も言わない」と、
初めて話してくれました。
義父さんは創価のことはひとつも問題にはしなかったが、やはり父と会って
「いい縁談だ」と、言ってくれたとのこと。
父には感謝してもしきれませんが、このエピソードを聞いて本当に・真に私を護ってくれたのは、
”命より大事な御本尊”でもなんでもなく、ただ常識人の父であったと・・涙が出ました。
そんな父を、私は長らく「信心を、学会を理解しようとしない・邪魔する仏敵」だと思って
生きてきたのだから・・終わってる、としか言いようがなく。
どれだけプロパガンダが、狂ったものなのか。改めて身につまされたのです。
そして父が、結婚の挨拶前に主人に出した条件
「創価だけど家族として受け入れることが出来ると、主人から義両親に話しOKをもらってくる」が
どれほど重要項目だったか、ということにも、改めて気付かされました。
父はそれほどに、創価脳の非常識さ・世間一般に生きる方との感覚の乖離・民度の違いを
熟知していたという事であり(母&その一族との付き合いでも、痛感していたのでしょう・・)
そんな世間一般家庭である主人の実家に「覚悟」を問うたのだと・・。
父にとり、私の洗脳が解ける可能性なんて、未知数いや不可能に近い認識であったと思います。
現実として私は、父の逝去時は非活でしたが、創価脳のままでした。
それから3年足らずで覚醒できたことも、実際奇跡と言えるかもしれない。
父がどんな思いで、私や主人やその家族の行く末を考え、手を打ってくれたのか・・。
様々考えさせられ、一般家庭の方々にとって創価家庭との婚姻が脅威・忌み嫌われる
その理由を、アンチブログ開始から3年目にして、身にしみて理解した出来事でした。

正月明けて数日後、主人は短期出張の続き(書きもれましたが、2014年11月~赴任中)で
実家方面へ向かいました。
ホテル暮らしが味気ないと、主人が義実家帰省の際話したところ、
「赴任地から通える距離なら、此処で寝起きしたら?」と、義母の誘いもあって
しばらく義実家滞在することになったのです。
私達は母子3人生活の続き。子供たちの学校・園が始まり一人の時間が出来、
2013年に御祈祷をうけた神社へと初詣に出向いた私。
御祈祷時のお札をお返ししたいと申し出ると、2月3日の節分祭を教えていただき、そちらに
参加することにしました←これは2015年頭のあいさつにも書きました。

1月後半のある日、早朝主人から電話がかかってきました。
何事?と出てみると「お父さん(義父さん)が倒れて緊急入院した」との報せ。
意識不明で、ICUに入った。まだ状態がはっきりしないけど、いつでも帰省できるような
準備をしておいてほしいとの事でした。
出勤前の主人が真っ先に義父さんの異変に気付き、救急車を呼んだとの話で、
何だかすごいタイミングだ・・と感じ。
それから数時間後、連絡があり、不整脈による意識不明だったことがわかりました。
運よく翌日意識が回復。その週末、私達はお見舞いのため帰省することに。
このとき、実家の母にこの一件を知らせるかどうかを一瞬悩みました。
創価脳な母のこと。義父さんの急病を、私が信心をおろそかにしたせいだ・罰が出た!などと
お門違いな捉え方をし・私に言ってくるのではないか・・と、懸念したのです。
そんなこと、絶対口にしてもらいたくない。 第一、そのようなレベルの話じゃない。
もし「罰だ」なんてこと言いだしたら、おじはどうなるのよ?!と、突っ込んでやる・・。
非学会員の義父さんは一命をとりとめたが、真面目な学会員だったおじは亡くなっている。
この差をどう説明するのか?と。
そんなことを考えながら、母に連絡を入れました。
母はたいそう驚いていましたが、私が懸念していたようなことを、この時は口にしませんでした。
「今まだICUだから無理だけど、後日落ち着いたらお見舞いへ行ってほしい」と伝え、母は快諾。 
病院へ向かうと、義父さんは一般病室に移っており。まだ朦朧としている様子で会話は不可。
けれど子供達(孫)を招き寄せ、手を触っていました。
主人の短期出張は1月いっぱいの予定でしたが、たまたま延長となり2月中~下旬まで
義実家での滞在が決定。
義母さんは車の運転が出来ないため、送迎や買い出しなど諸々、主人が滞在していることで
ずいぶん助かる・心丈夫だ、と話していました。
こういったことも、本当にただの偶然ではあるのですが、運が良いというか「持ってる」と感じました。
その分、私は鬼のように忙しい2月を送ることになったのですが・・今となっては思い出話です。
こういった事情もあって、昨年2月は記事をUPすることができませんでした。

2月に入り、節分祭に参加。このとき、義父さんの回復も御祈祷してもらいました。
そして再度、見舞いで帰省することになり、実家の母を伴って一緒に病院へ。
義父さんは後遺症で声が出しづらい状態。会話はほどほどにし、筆談を。
退院日が決まって、通院治療に切り替えられる目処が立ったと聞いてほっとしました。
このとき私と子供達は実家に宿泊することにしたのですが、夜になり母から
「私、明日は朝からOO方面へ行かなきゃならないのよ。帰宅も、かなり遅くなると思う。
あんた達、何時までこっちにいるの?」と聞かれ。
”ゆっくりしてられないよ”と暗に言っているのだと理解し
「お母さんと同じ時間に家を出るよ。帰る時間決めてなかったけど、どうにでもなる」と答え。
母は「悪いわね、忙しいのよね、今時分は・・」と。
あぁ、春の統一地方選のF活動に行くのね・・と気付き、私はガックリ。
「あのさぁ・・前にも言ったけど、そんなこと(F活動)したって功徳なんか積まれないよ?
選挙のためなんかに、とくに何もやんなくたっていいんだよ」と思わず口走りました。
すると母は「功徳なんて求めてないわよ」と一言。
「じゃあ、純粋に政党支援としてやってるの? なにひとつ、疑問に答えてもくれないのに?」と、
以前母に突きつけた、子宮頸がんワクチン問題を蒸し返してみました。
すると母は「それ(政党支援)も違う」と答え。
「じゃあ何のためなのよ?わけがわからない。だいたい、支援してるわけでもないのに、
よく友人に票が頼めるよね。無責任だよ」と私がたしなめると
「私は票なんか頼んでないよ。友達のところに(学会員を)連れて行ってあげてるだけ。
私はなにも言わない。お友達のOOさんだよ~って紹介してるだけ」と、言ってのける母。
ハァァァ?! 何言ってんの? ますます、わけがわからない・・。
つまり、母は無駄に顔が広いので、外部の知り合いがあちこちに居る。
しかし近所の学会員は、外部の友達がとても少ないため、F取りに苦労している。
そこで母が、友人を紹介してあげて、近所の学会員のF取りに協力している・・というのです。
ますます、何なのそれ? でした。
「じゃあ、あなたのFにはならないんじゃないの。票を頼んでないんだから。そんなのありなの?」と
(実際F数なんか、どーだっていいんですが)私が尋ねると
「その場にいたら、私も一緒に頼んだってことでFにカウント出来るのよ。
私が直接頼まなくても、連れて行った学会員が頼んだら私のFになるから、いいんだ~♪」と答え、
私は頭を抱えました。
なんじゃ?そりゃ・・。
母曰く、自分は政党支援してるわけでなく、普段世話になっている近隣学会員に「恩返し」を
したくって、外部の友人を紹介してあげているんだ・・と。
あくまでも「個人的恩返し」であり、F取りとは思ってない。結果的に、そういう事(Fカウント)に
なってはいるが、自分はそんなつもりではない・・というのです。
いま、記憶をたどって書いているのですが、反芻してみてもよくわからない理論です。
ただ、この時はっきり感じたことは
”明らかに、逃げ腰になってないか?”と。
母の言っていることがまるで「言い逃れ」に思えたのです。

ちなみにほんの2か月前にあった例の衆議院選挙、母は「闘いきって満足した」と話していました。
功徳云々と言っていたかどうかまでは記憶にないのですが、前年12月の衆議院選挙と
この地方選とでは、全くテンションが違いすぎて。

当時はさっぱり、この変わりっぷりを理解できませんでした。
今になってみれば、母の変節はこの頃すでに静かに進行していたのだと思います。

(続きます)
スポンサーサイト