心慌意乱

2015年4月。
姉と電話連絡のさい、
「新聞の人(配達員)から、選挙(統一地方選)頼まれた」と迷惑そうに打ち明けられました。
やっぱり来たかw F依頼。 
この一年ほど前から、姉は聖教新聞を購読。私が母と決裂したのを見かねての行動でした。
この記事に書いています)
半年ほど集金で対面のやりとりがあったらしく、配達員(?)とは面識が出来ていた。
ある日、犬の散歩で外出の際、声をかけられ振り返ったらその配達員だった
(=配達員も犬を飼っている)。
以降、遭遇しても会釈だけで話さないよう心掛けてきたが、F依頼のときは待ち伏せをされ、
会釈スルーしたら「ちょっと待って!」と、追いかけてきたのだと。
姉からすれば、やはり気分のいいものではなく、うっすら恐怖を感じた様子でした。
以降、散歩の時間やルートを変更した・旦那さんがいける時はお願いしている。
前年12月の衆議院選挙の時は口頭で頼まれはしなかったが、党のチラシは入っていた。
正月すぎには変なカード(おそらく、新年GG会で配布される和歌のカードでしょう)も入っていた。
「これって何なの?ターゲットにされてるの?」と姉。
「隙あらばって思ってるよ。だから、ハッキリ断っといたほうがいいよ。
強い態度でこられたら、学会員はたいてい引っ込むから。大事なのは事実と正論言うことだよ」と
アドバイス。
「正論って何?」と姉。
「母に請われて新聞とってるだけで、自分は創価に一切関心がない。会員の自覚も全くない。
政党は、他を支援している。頼まれても考えを変える事はありません。
聖教新聞社では、特定政党の票取りも配達員の仕事としてさせているんですか?
こちらはいち顧客、あなたは従事者ですよね?
職制の上で、これは過ぎた行動だと思いますが、あなたはどうお考えですか?
今後はやめてくださいね、って言えばいいよ」と伝えました。
姉は「あんた、怖いよw」と笑っていましたが、「そのくらい言わないとわからないもんかね?」と。
私は「わかってないよ、あのひとたち。学会員はみな兄弟くらいに思ってっから、ずうずうしいよ。
新聞とってくれてるんだから大丈夫!とか、勝手な希望的観測のみで動いてるし」と返答。
こんなことを言えるのは、私自身がかつてはそうだったから。まさに経験者は語る、です。
自分たちに「いいように」しか、考えられない脳になっていました。
たとえば家庭訪問へ行って、一度も会合に出てくることはなくても「行けたら行きます」という返事を
いつもくれる・家庭訪問を拒まない会員さんがいれば「きっといつも都合が合わないだけなんだ」
「祈って出てこれるようにしてあげよう!」と、なっていました。
相手が、内心イヤイヤで・波風立てたくないから平静を装って大人の対応をしていたとしても、
そんな風に察しはしません。
反対に、剣もほろろに言い返されれば「毒鼓の縁だ」と解釈し・全く無視されたにしても
「いつか必ず、わかってくれるときが来る」と祈りだすw
(集団)ストーカーだとか、よくいわれますが、相手の状況気持ちよりまず「我が先」「我よし」が
創価脳ゆえ。
”自他共の幸福”を掲げているわりに、実が伴わないのは、この精神性のなせる技です。

この会話の数日後、パン教室へ行きました。
終わりがけに先生が「少しお時間いただけるかしら?本当はこんな事、したくないんだけど・・」と
その場にいた生徒に向かって、友人の旦那さんがこんど市議に立候補することになった。
生徒さんによろしくお願いしますって、伝えて欲しいって友人からいわれたから・・と、
小さなチラシ(顔写真入り)を広げ見せたのち
「教室のドアを出たら、もう忘れてくださいね」というので、その場にいた皆で爆笑。
(注:当然、公明党候補ではありません)
友人の旦那さんだからどうしてもお願い!応援して!というわけでもなく、「申し訳ない」と
大変恐縮しながらの依頼だった事に、私はカルチャーショックを受けましたw
なんというか・・これがきっと投票依頼における「普通」なのだろうなぁと。
組織に居たころは、学会員が候補者の名を外部他人に語る事は「仏事」。
相手に対しても「良いことしてる」「福運授けてあげてる」が大前提、断られたらどうしよう・
嫌がられそうだな~、という気遅れはあっても「恐縮」なんてものは皆無でした・・
いや、それは私や周囲の学会員だけのことで、中には相手に恐縮しつつF活動をやっている
学会員も、いるのかもしれませんが。
残念ながら、私はそんな奇特な方にお会いしたことはありません。
前回記事の後半で、病床のおばが電話でF取りを開始した・・と書きましたが、
やはり特定政党支援活動が「宗教行為」「功徳の積まれる行動」と、どこにも明示がなくとも
会員全員暗黙の了解となっていることは、この組織の大きな欺瞞だと思います。
支援活動のモチベーションが自身の「願掛け」なんて、どう考えても異常だということに、
ひとつも気付けないのが、洗脳の深刻な恐ろしさでしょう。
そして、その「異常」を、教義上のどこにも明記していないくせに
あくまでかも「学会活動の一環」として、選挙支援運動を旗振って会員に「させている」
大本営の狡猾さも、問題だと思います。
繰り返しで、同じことなんべんも書くなといわれそうですがw このからくりに一日も早く
多くの方に気付いてもらいたいと願います。
信仰と、選挙支援は全くの別問題であり、いやならやる必要は全くありません。
そのことで咎められたり・排除されるような組織なら、もうそれは「宗教」ではありません。
現在、夏の参院選が前倒しになるのではないか?との噂もあり、組織は内がため&外部交流の
方針を打ち出していると思われます。
嫌なのに、組織・周囲に合わせる必要なんてありません。
投票権・選択の自由は憲法で保障されているものです。 なにも、組織のいいなりになる理由は
ないのです。
もし、疑問を持ちながら・不安を抱えながら、いやいや組織に携わっている人がいるなら
携わらない勇気を持ってほしい。 F報告なんて、嘘言っても罰なんか当たりませんから。

この出来事の少し後に、姉のところへ「小学校時代の同級生」と名乗る、婦人幹部の訪問も
ありました。 しかし姉は全く相手を覚えておらず。
相手は「こうして再会できたのは仏縁があるってことだから、お茶飲み友達にでも
なりましょう!」とノリノリだったが、きっぱり断ったとのこと。
後日実家に帰り、卒業アルバムを見るも相手らしき人は載っていなかった。
旧知の友人に「旧姓OOさんって知ってる?」と尋ねたところ、卒業を迎えるまでもなく、途中で
市外に転出した人物だったということがわかり、あれからもう40年近くがたっている。
どうして私(姉)が、今現在(実家の近辺ではない)この地域に住んでいると解ったのか?
心底怖くなった・・と話してくれました。
私の見立てでは、姉の住んでいる街に嫁いで引っ越した同年代の活動家が数名いて、
同郷同志の婦人部で話しているうちに行き当たった・・という感じだろうなぁ、と。
もしかしたらそれが、私の知っているメンバーかもしれず。
祥蘭のお姉さんだ!と、ばれたのかもしれず(未確認ですが・・)。
新聞ひとつ、とったところで影響なんかないと軽く考えていたらしき姉ですが、あの手この手で
接触を試みようとしてくる面々に恐怖を感じたようです。
一般人の定期購読ならば、さすがにこんな事態にはならないと思いますが、
何十年も非活の3世の購読ともなれば、これは発心!千載一遇のチャンス!逃すものか!と
色めきだったのでしょう・・。
これも、冷静な状況判断や現状認知ができない・「我が先」「我よし」の、創価脳ならではな
脊髄反応だと感じます。

2015年春の統一地方選、実家方面は「大勝利」でした。
しかしそれまでの安泰路線ではなく、史上まれにみる厳しい様相だったとのこと。
実際頼みにいく中でこれまでなら「はいはい」と優しい返事をしてくれた人物が、公明党に対し
手厳しい意見を述べてくるなどの、これまでにない「逆風」があったと、後日教えてくれました。
「でも、私は(逆風を)なんとも思ってない。(近隣同志への)義理を果たしただけだからさ」と、
しれっという母。
頭の中が?でいっぱいになる私。
「いやいや、だったら最初っからやらなきゃいいんじゃん・・自分は関係ない、って
言いたいのかもしれないけどさ。頼まれたほうからしたら、そんな風には思わないわけよ?」
と返すと
母は「こんな機会(選挙)でもなければ、会いに行けない旧友もいるってことなのよ!
(F取りで久しぶりの知人を訪問することを)”お元気確認”って、組織ではいってるんだけど。
私はそのつもりなの。
そりゃ(支援候補が)当選してくれるにこしたことはないけど、実は結果はどうでもよくてね。
年寄りなんて、みんな寂しいもんなの。用事が何であれ、会いに行けば絶対喜んでくれるんだよ」と。
この地方選において、母が私の小学生時代の習い事の先生宅へも出向き、先生がお亡くなりに
なっていた事がわかった・・というエピソードもありました。先生のご家族が対応されたのですが。
そのことについても、何十年もホッタラカシで亡くなったことすら知らなかった人間が、
選挙の依頼にいってそれ(逝去)を知るなんて、ものすごく非常識だ・・と私がたしなめると
「それでもご家族は、態々足を運んでくださってありがとうございましたって丁重に言ってくれた!」
と、自身の行動を正当化し、逆切れしていました。

「選挙支援で功徳がいただける」が、一般常識からは乖離している事であり・そんなものを
真面目に信じていたら笑いものになる・・という空気を、母がどこかで感じ取ったのか?!
とにかく、この地方選より「功徳が欲しくてやってるんじゃないよ」とアピールするように。
以前も書いたと思いますが、母は2013年あたりから報道バラエティ・政治や社会情勢を扱う
番組を、好んで録画して見るようになりました。
普段ニュース(NHKや、報道ステーション等)は一切見ない母ですが、
「時事ネタを何も知らないで政党支援してるなんておかしいよ!」と、私が指摘して以来、
報道バラエティだけはチェックするようになったのです。
(余談ですが、父亡き後は一般新聞も購読を止めてしまいました。
もっとも、購読中も一般紙なんて読まない、聖教新聞ですべてを知った気になっている、
世相に非常に疎い母でした)
番組を視聴することが「世間一般常識」を知るきっかけとなり、
「功徳がほしくてやってるんじゃない」アピールに繋がったのかな・・?と、今思えばですが。

かといって、様々な(学会)活動を止めるわけでもないという・・。これは、どうしたことだろう?
当時の私は、理解が出来ず、首をかしげていました。

(再び)今になって思えばですが、
2014年下半期あたりから、様々な出来事が重なりゆく中で
母の内面で急速に「創価学会」の実際について改めて考えてみるという意識が開き・高まり、
長年の認識との巨大なズレに気が付いたのが、この頃だったのではないか?と。
母も、相当戸惑っていたのだと思います。

(続きます)

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