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殊更ネガティブという罠

2015年末。
「とある出来事」から精神的に疲れ、正月の帰省も止めたいと思っていました。
が、12月の七回忌にも行かず正月も帰らないとなれば、「何かあったのではないか?」と
母が勘ぐるだろう。
それがイヤだったので、気は進まないながらも帰省しました。
(今思えば、無理しなくてもよかったなwと思いますし、
何かにつけて、いちいちどれだけ母を意識していたのか自分!と、恥ずかしい思いです・・)

とある出来事を話せば、母はこう言うだろう
「それみたことか!信心をおそろかにし・学会を誹謗した、あんたのせいでそうなったんだ!」
=罰が出たと、いの一番に責められるに決まってる・・と想像したのです。
また、せっかく非活道を歩み始めた母が、「自分が会合にでなくなったから罰が出たのか?」と
勝手な”玉突き責任論”を感じ、活動に復帰したら目も当てられない!との懸念も有りました。
何かと言えばすぐ、信仰状況と結び付けて説教をぶつ。創価脳な親の脊椎反応はもうたくさん。
ただでさえ、とある出来事にショックを受けているのに、母と無用なバトルを繰り広げるなんて
疲れが増幅する一方。それは避けたい。
こんな想いが一瞬にして頭の中を駆け巡り、創価脳な親子関係って本当に異常だし・
つまらないもんだな~・・と悲しくなり。
「こんな困ったことがおきて・・」と話した時、普通の親子だったらどんな会話になるのだろう?
”それは大変だったね・・気を取り直して・気を強く持って・頑張りなさい”こんな感じ?
単純に励ましの言葉または、叱咤激励するにしても素行や言動について注意する感じかな・・。
少なくとも、”特定宗教団体にたてついたからだ!”とか”活動に参加しなかったからだ!”
なんて会話は、普通の親子にはないよね。
現実に、私と子供の間でそんな会話、ありえない。
”ネガティブ”な話が、非常にしづらい。
創価脳は「ただあるがまま」を受け止めず、創価教学フィルター越しだから、話が通じない。
異次元の解釈をされてしまうという事が、創価脳の親を持つ家族にとって何より一番の不幸だ・・
と感じていました。

2016年正月帰省時、いつものように父のお墓参りに行き、姉夫妻をまじえ食事をし
何事もなかったかのように過ごして、居住地に戻りました。
が・2月に入り、「とある出来事」を話さざるを得ない状況がやってきました。
その頃にはもう、事態は終息へむかっていたのですが「実はこんな事があって・・」と
カミングアウト。
私は身構えていました「罰が出たんだ・・」云々の嫌味と説教がとんでくることを。
だがしかし、出てきたのは想定外の言葉。
「まさかだね・・大変だったね。 
 私の事はなにも心配いらないから、自分の家族をしっかり支えてやんなさいよ」と。
エー?!
まさかの説教なし?オカルト罰論なし?と、驚きました。
ただ直後に「今こそしっかりお題目あげなきゃ。今年は100万遍チャレンジだよ!」とorz
そこ(題目)だけは、何が何でも譲らない母。
これ、今聞いて大丈夫かな・・地雷踏むかもなwと思いつつ、母に尋ねました。
「”学会活動しないから罰が出た”って言わないの?いつもそう言ってたのに」と。
母は「究極は御本尊様を裏切らないことでいいの。信心の根本はお題目と御本尊様以外に
ないんだよ!」と、言ってのけ。
なんか嘘みたい・・w と、私は信じられない思いでした。
前年末に「会合に出るのを止めた」とは聞いていたけれど、ここまで母の創価(活動)離れが
進んでいたとは想定外で、ただ驚きでした。

思い起こせば、ちょうど一年前の1~2月、義父さんが倒れ入院した事を連絡した時、
母は珍しく「罰論」を持ち出しませんでしたが、その裏には信心強情な母方おば(もと学会幹部)が
癌で入院したという(創価脳的に)「不都合な現実」がありました。
当時の私は条件付きで母が罰論を口にしなかったのだろうと、この事例は「特別ケース」と
思っていました。
もし以降に、おばの病状が奇跡的に良くなる(癌克服)等があれば、
母の選民意識&学会宣揚は再び勢いを取り戻し、「そら見たことか!学会正義だ!」と、
活動にまつわるオカルト功徳論をふりかざし・返す刀でオカルト罰論をもって
こちらを斬ってきたはずです。
けれど残念ながら、おばの病状は一年経過後も良くならずで、緩やかに進行しています。
また、2015年以降に他の母方親戚(バリ活)にも、ネガティブな出来事がありました。
前年度から母の身辺に続いた「良い」とは言い難い出来事の数々に、バリ活な親戚のあれこれも
積み増しされ、「罰論」で他者を容赦なくぶった斬ってもいられなくなったのか?!
いや、昔の母はそれでも自分たち創価脳のことは都合良く
「転重軽受」「変毒為薬」などと棚に上げ・
敵対勢力には「仏罰が出た!」と、恥ずかしげも無く言っていました。
そんな過去からみれば、母が罰論を封印した=学会活動にまつわる効力(功徳)や万能性の
否定とも取れ、覚醒の第一段階に入ったんだろうと、私は見ています。

そもそも、学会活動は信仰行為ではありません。にもかかわらず「現代の仏道修行」と
位置づけ・教義に盛り込んだことで、大企業化に成功したといっても過言ではないでしょう。

創価ロジックから抜けた私からすれば、ここ数年の母や創価脳な親戚におこっている
大病(癌)や急逝や、よからぬ出来事は「よくあること」という評価です。
高齢者が大きな病気を患うのは珍しくもなんともない。
総合病院のロビーなんていつ何時も老人だらけです。
また、それ以外の出来事に関しても、中高年ともなれば世間的によくある話だったりで
殊更ネガティブに受け取るような事ではない。
けれど、創価脳はネガティブな事象に大変敏感です。
創価脳には、ネガティブがおこる→「今こそ闘う時!」とスイッチONになるアプリが搭載されて
いるゆえ。
「難がおきてこそ本物の信仰」という教義があり、この信心で難を必ず乗り越えられる!とし、
組織はこれを巧みに利用している。
お題目だけではダメ。学会活動(いうまでもなく集票や献金・新たな手駒ゲットのことです)と
両輪そろってこそはじめて「信仰」なのだ!との刷り込み。
実は、不安やネガティブを要素に・不安やネガティブを煽って・そこにつけこむ「商売」は
世の中に横行しています。なにも極悪w宗教団体だけではありません。
不安をあおればすっごく儲かる、そこを生業としている人たちがいて、仕掛けている。
その「罠」、仕組みを、知っておくといいかもしれません。

創価脳の不幸なところは、問題を解決すべく、問題の本質からまったくかけ離れた
「学会活動」をジタバタやってしまうところにあります。
また、組織とは衆人環視の場。創価脳は必要以上に「他者」の目を気にします。
会合席上でネガティブをカミングアウトしようものなら「決意」させられることは必須。
(周りなんて関係なく、自ら勝手に決意することもありますが・・)
信心で実証を示したい!と思うがあまり、望む結果を出そうと重要視するがあまり、
「学会活動」という、目の前でおきている問題と一切関係のない事柄に躍起になります。 
また思うような・自身の望む結果がなかなか出ないとなると、
自分の何が悪いのか?の原因を活動内容のなかに見出そうとする。
新聞推進できてないからか・仏法対話がお題目がたりてないのか・友達にもっと熱く語らないと
わかってもらえない・・自分の気合が足りないから、結果が出ないんじゃないか?云々と。 
実際、そんなの全く関係ありません。
しかし悲しいかな現実問題と信仰を「ひも付き」にされているため、このループに陥ります。

実は「闘う」なんてことはしなくても難局大嵐は「過ぎる」し、たいていの問題は解決する。
多くの一般人は皆、そうしています。
無駄にジタバタ闘うなんてしなくても、じっとしていてもそれなりの結果がやってくる。
私がこの法則を身をもって経験したのが「とある出来事」でした。
(引っ張ってますが、これは新カテで書かせていただきます)

一般人がじっとしていても得られる「良い結果」を、創価脳はさんざんジタバタした挙句に
「祈りきって闘いきって結果を勝ち取った!」と大喜びします。
一般人がじっとしていて得た「悪い結果」も、創価脳はさんざんジタバタした揚句に
「これは意味ある敗北(結果)。今はわからなくてもそのうち解る時がくる」と納得しようと努めます。
好きでジタバタするぶんには、その人の自由ですが、他者を巻き込みいやな思いをさせたり・
身体的精神的疲労を招いてまで、やるような事でしょうか?
勝利しても負けても・良くても悪くても、創価脳の背後にはピッタリと「大本営」がついている。
創価脳が感情のバロメーターを上げ下げしつつ、ジタバタ各種活動する間、大本営は背後にいて
静かに確実に利を得ている・・創価脳から搾取しているわけです、時間やお金や、諸々を。
大本営なんていなくても、良くも悪くも結果は出ますし、問題は解決するにもかかわらず、です。
このげにおそろしきシステムに、実家の母もうっすら気付いたのかもしれません。

ただ、母は日蓮仏法(?と、呼べるかどうか疑わしい。創価仕込みなので・・)だけは・
お題目の力だけは絶対なのだ!という「信仰」に関しては、未だ一歩も譲りません。
人間、大嵐や難局に遭遇しているあいだは不安でたまらなくて当然です。
そこをお題目を上げる事や・神社や寺院や教会で御祈祷してもらったりすることによって、
ひととき心の霧を掃うのは、有用であると思いますし、心のよりどころは必要です。
自分の内におさまる信仰行為であれば、それはいいと思うのです。祈りに罪はありません。
あくまでも自己完結、他者を巻き込まなければ問題はないと私は考えています。
どんな宗教団体であれ、問題となる・私が最も嫌う点は
「自分が救われるために他人をまず救う」というような、耳当たりのいいことを推奨している
点です。
集票活動をも「下種」や「現代の仏道修行」とうそぶき、さも「いいこと」をしているように思わせ
会員を操っている組織(それを鵜呑みにしている会員自身も問題ありますが・・)。
まさにゲスの極みでしょう。

また、母が自分の信じるものを否定したくないがため「教義解釈の変更」をしていることに
先日気付きました。
(これは高齢信者の皆さまに多い傾向かもしれません、次回記します)
私自身、2012年の覚醒時、組織に対してはすぐに拒絶否定することができましたが、
日蓮仏法に関しては、選民思想が邪魔をしてなかなか思いきることができませんでした。
すべてが「思い込み」だと、気付く事が出来れば覚醒はあっという間だと思いますが、
それをハッキリと認めてしまうのに、母はあまりにも年を取り過ぎているのかもしれず・・。
この点について、私はそっとしておくつもりです。

次回で「創価脳な親との関係」はいったん〆とします。

(続きます)

@@@@@@@@@@@@@@@

2016年5月のいま、冒頭に書いた昨年末の私の心情を振り返ってわかることは、
創価ロジックから脱却してもなお、私は「母を悲しませたくない」と思っていたんだな・・
という事です。
ネガティブな話をして「そらみたことか!」と言われるのが「うざい」から、
あくまでも自分側の問題で”自分がイヤな思いをしたくないから” 隠しておくんだ・・と
当時は思っていましたが、それって実は「母の反応」をとても意識している。
まるで0点のテスト用紙を、みつからないよう隠している子供とおんなじだな・・と気付いて、
笑えるのです、今は。

学会2,3,4世の福子の皆さんは、おそらく「他人軸」で生きている人が多いと思います。
親子関係で苦悩しておられる方は、大半がそうでしょう。 
物凄く単純なことだけれど、「他人軸」思考に気付けて以降、私はとても楽になりました。
そのあたりも、新カテゴリで書いて行きたいと思っています。

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