解釈の変更

今年の春休みに帰省したときのこと。
母の信仰観に変節を感じたやりとりがありました。

癌再発で入院したおばの見舞いに同行。
おばは外見こそ痩せてしまいましたが、口は達者。
声も大きく・・というか、アンチな私がやってきたからか?気勢を張っている感じがしました。
”病になんて負けてないわよ!!生命力よ!!”的な。
池田老人マンセーは相変わらず、サイドテーブルの上には新聞や創価系書籍が積まれ。
池田夫妻の写真入りフォトフレーム(B5サイズ)が飾ってあるのを見て、一瞬唖然としました。 
ここは北朝鮮ですか?!と・・w
しかし、おばにとっては夫妻が”マイアイドル”状態なんだよね・・押しつけでやらされてる訳でなく。
写真を見たら、元気が出るんだろう(創価脳流にいうと元喜?w)
こんな写真飾って、ださっ!趣味悪!と思うのは、私の美意識からであってw
おばはそれを生きる活力としている・・これはただ価値観の違いなんだな・・と思い直し。

その日の夜、母いわく
「姉(=おば)の癌は治らないって、医師がいってるし本人も解ってる。
 でも、姉は今世で宿業ださせてもらってありがたいって、最後まで闘いきるって喜んでる。
 闘いきっておけば、来世は病気をしない境涯で生まれ変わってこれるから。宿命転換だよね。
 だからいま病も苦でない。ありがたいことなんだよ」と。
私は思わず質問しました「それって、完治せずに病死しても宿命転換した事になんの?」と。
母は「そういう事。今世で因を断ち切ると、自分が決めて祈りきったらね」と答えました。
え?そうだったっけ?私が昔習った解釈と少し違うような・・と思いましたが、敢えて口にせず。
そして母も、2014年に手術した部位に再び疾患がみつかったことを話してくれました。
再手術は年齢的に厳しい為、今後新しい治療法を試していくことになったと。
「それでも私はいま(疾患が)見つかってありがたい、と思ってる。
 ここでしっかり、祈りきっておけば、来世は安泰だからね。
 この(病の)因をいま出してもらえて、良かったよ」と。
病気が再発したからと、落ち込むのではなく、前向きに受け止める・・それはいいことかも
しれません。
母は病になぞらえて、私自身におこったとある出来事についても
「しっかり御本尊様に祈り切っていきなさいよ。お題目しかないよ!」とアドバイスが。
もちろん、右から左へ聞き流しました。

私が昔、組織で聞いた「宿命転換」の解釈・・たとえば病気であれば
”祈りとして叶わざるなし”で”湿れる木より火をいだし”な勢いで祈ることにより「完治」することを
指していました。
治療に何年もかかる、と医師の見立てを短期完治した・・等もあてはまったと思います。
が、その病気が治らないままで・死因が病で亡くなる事は「宿命転換」とは呼ばなかったような?!
あくまでも「克服(=完治、寛解)」が、宿命転換できた!という基準だったはずなのです。昔は。
いうまでもなく、組織内での基準であり、日蓮大聖人がそう明言したわけではない・・
(それどころか、日蓮自身は「宿命転換」なる言葉を書き遺してもいない・・ということを
覚醒後に知ってたまげた記憶がよみがえります。 一体誰の造語なんでしょうか?!)
ベースには「不可能を可能にする信心」という前提があり←これも、誰が言いだしたのか?
もう今となってはおろすべき看板じゃないかと思いますw
15年ほど前の話ですが、放射線治療を拒否し「お題目で治す!必ず治して現場に戻ります!」と
宣言していた同志が、数カ月後に亡くなった時、葬儀では微妙な空気が漂っていました・・。
「お題目で治す!」こんな決意に、一般人なら「無茶言うなよ」との意見を当たり前にもつでしょうが、
創価脳はまず「無茶」だとは思いません、当然お題目の力を信じているからです。
それを否定してしまっては、学会員として成り立たなくなりますからw
お題目の甲斐なく病死するという事実を目の当たりにして、幾許かの動揺があったのでしょう。

今回の記事を書くにあたり、一般活動家の認識をしるべくブログなど検索し、いくつか読んだの
ですが、やはり「完治・寛解が宿命転換の証」と捉えている方がおられました。
けれど当事者や家族が祈っても・活動(新聞推進や対話等)を頑張っても、病状は悪化していく。
このまま治る見込みなく死ぬのだろうか?心が折れそうだ・・と素直な胸の内を語っていました。
それを読んで「やっぱり、宿命転換って完治ベースだよね?昔、そう言ってたよね。
完治もしていないのに、克服したとか・因を切ったというのはちょっと違うよなー?」と思い。
だのに、ついているコメントを読むと、母と同じような見解で
「祈りきった者にしかわからない境智がある」「完治だけが宿命転換ではない、生きざまにそれが
あらわれる」云々とありました。
結局はポリアンナ症候群に収まるのだなぁ・・と思い。
あくまでも自分の信じているものを否定しないように、都合良く折りあうのです。

以前頂いた非公開コメントで、覚醒のきっかけが「同志のマウンティングに疑問を持った事」と
教えてくださった方がいました。
その方はお身内を若くして癌で亡くされ、大変落ち込んでいたとのこと。
同時期に癌を克服した地域同志がおり、その同志が
「家族全体でまぎれもない絶対勝利をかちとった。勝利なくして信心はありえない。
 勝利したものにしかこの確信はつかめない」と勝ち誇っていた事に大きなショックを受けた、と。
(↑この同志はあまりにも配慮がなさすぎると思いますが、それもまた創価脳の常で、
 自分さえ良ければ、それでいい。選民思想のなせる技です)
自分たちだって家族全体で祈り動いたが、がんを克服することはできなかった。
自分たちの信心は何か間違っているのだろうか? 病死=敗北なのだろうか?と悩み。
指導を受けても、しっくりくるような・腑に落ちる答えは無く・・。
このような経験を持っている方は、多数おられると思います。
癌が日本人の死因1位であり、完治しないまま亡くなられるというのは、組織内においても
決して珍しい事ではありません。
私の知る限りで、学会員で癌を完治した人は1割にも満たない。
寛解しても後年再発して亡くなられた、ということだってありました。
それでも葬儀の際は「闘いきって安祥として霊山浄土へ旅立った」
「(病気で亡くなっても)見事な宿命転換の姿」とか幹部が挨拶しちゃうよねー。
あれはいったい、なんだったんだ?今さらだけど。
結局は「(自分達学会員が)いいように思えればそれでいい」という話じゃないかw
必ずしも「完治」が勝利ではない・・という事にしないと、敗北者→脱落者が続出してしまう故、
「今世病気になって万一治らなくても、信心しておけば来世は病気にならない」なんて説を
採用し、条件緩和で、信じているものに都合良く折り合う手法を取り入れるようになったのか?と
思うにいたり。

ふと去来したのは、2014年の手術前夜「生きて帰れるのだろうか?」と呟き、術後は涙ぐみ
この年齢になって大病をしたのは一凶を断ずることが出来なかったからだ・・と、見舞いに来た
幹部の前で自省していた母の姿と(この記事)・
2015年2月、おばが癌を患ったが公表せず、手術が終わるまで誰にも言ってくれるな!と
恐怖に怯えていた事でした(この記事)。
母もおばも、70代も半ば過ぎて思いがけず大病に遭い、一時は怯んだのだろう。
「これまで活動も信仰もこんなに頑張ってきたのに何故?」と。
おそらく、病に遭うまではおばも母も、選民思想でこう思っていたはず
「他の学会員がそうなっても、自分に限ってそれ(大病)はない」。
しかしそうなってしまったことで揺らいだ・・が、この信仰だけは絶対と思いたい。
人生の殆どをかけてきたこの信仰を、いまさら否定したくは無い。
そこで、新たな解釈を手に入れた。
病が完治しなくても自分が「闘いきった」「祈りきった」とできれば、そこで因が断たれるんだ・
いま治らなくても、来世が安泰だから、いいんだ!と。
自分で見ることのできない「来世」に希望を見出し、今この現実を受け入れるという解釈。
うーん・・。
これって、宿命転換なんだろうか?  本人がそう思えるなら、それでいいのかもしれないが。
ただ、一つ言えることは、すべて自分でそう「思って」そう「決める」だけでいいのなら、
じつのところ、特定の宗教(団体)に依らなくてもいいのです。

なにか特別な教えが・宗教行為が無ければダメなんだ、という次元では既になくなっています、
”自分で思って、そう決めるだけ”の話ならば。
宗祖日蓮もそこ(宿命転換)に言及していないし、ましてや誰ひとりとして、結果としての「来世」を
見たことが無い。
こんな不確かな話ってあるだろうか。前提からしてgdgdだということに、なんで誰も気付かない?!
さらには「創価学会に加入した状態で日蓮仏法をベースとした信行学に励む」←これがないと
”宿命転換はできない”(逆にこれをすれば宿命転換ができる)だなんて、理屈が通らない。
それこそ「学会活動」とかいう、新聞推進や票取りなんて行為は、全く無用な事でしょう。
そんなことに時間とお金を費やすくらいなら、もっと自分を喜ばせる方向に使えばいいのです。
もちろん、学会活動がどうしようもなく好きで好きで楽しくてやってるんだ!というのなら
個人の娯楽を、止めはしませんがw

これまで母は一度も学会(大本営)を批判した事はありませんし、会合に参加しなくなっても
大本営および組織を、否定も肯定もしていません。
脱会について口にすることもないし、新聞は購読を続けています。
新聞購読に関しては、母にとって組織=ご近所づきあいの延長線上ということもあり、
つきあいの一環としてやめられない・・という側面があるのだと思います。
会合にはほとんど出ていませんが、近隣同志とのつきあいは続けていますし、
周辺へ非活宣言をしたわけでもない。 実にゆるっとしたものです。
そのあたりどういう気でいるのかは、聞いていません(というか、聞かない事にしています)。
御本尊を日々拝し祈る。悩んでいる人がいたら、題目をあげるように勧める。
その行動が現状母の信仰スタイルとなったようです。
他人に勧めるのはいかがなものか?と思いますが(どうしてもその先に本流→組織入会が
ちらつくので)
表立って活動をしなくなっただけでも、ずいぶんましだと私は思っています。
そして、脱会する・しないには、私はもう拘っていません。
母らしく、楽しい余生を送ってくれたらそれでよし、と思っています。

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母との対峙が始まってから、まる3年。
私が創価問題に躍起になっていた頃は、全くと言っていいほど進展がなく、
むしろ母の独善性ばかりを知ることになってしまい、残念でなりませんでした。
それは、これまで綴ってきた通りです。
風向きが変わったのは、母に(絶対言えないと思っていた)創価信仰オカルト論をぶつけた事で
(この記事)母の本音が飛び出し、姉に役割をシェアしたあたりからです(この記事)。
以降、私は創価問題に「躍起」になるのをやめました。
自然とそうなった、というのが正確だと思いますが、力が抜け必要以上に創価問題に対して
腹を立てることもなくなり、意識を向けることも少なくなっていったのです。
これが「問題解決のために、問題を手放す」ということなのですが、それを知らずのうちに
実践していたんだ・・!と気付いたのが、「とある出来事」に悩みに悩んで、答えを探していた
時でした。
「とある出来事」に遭ったおかげで、他にもたくさんの気付きがあり、
自分が創価や日蓮仏法を否定してもなお、長年刷り込まれてきた「思考のくせ」を固く握りしめて
これまで生きてきた事を知り・唖然としました。
次回から新カテゴリにて、書いて行きます。

この記事をもって、いったん「創価脳な親との関係」は〆させていただきます。
長らく読んでいただきありがとうございました。

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