気付き&入れ替え はじめに

今日から、第三次覚醒について書いて行きます。

昨年末「とある出来事」に遭って,さまざまな気付きがあった・・と
何度か書いてきましたが、その内容は多岐にわたります。

シンプルに自分の中で閃いた疑問を追及して行ったら、心理学に辿りつきました。
そこで元創価脳ならでは(と思えた)な、「思考のくせ」に気付きました。

また、私が覚醒後もずっと悩み続けてきた思考習慣”過去への執着”に関しても
ある書籍との出会いで、答えを見つけることが出来、本当に楽になりました。

第三次覚醒後、正直な話、私は創価組織のことがどうでもよくなってしまいました。
もう、真面目に語る事はばかばかしいし、お笑いネタとして、扱うくらいでちょうどよい。
このブログ当初の方向性は主として「創価の家族問題」を扱ってきました。
これからは、その色は薄くなります。
かなり方向性は変わると思われ、新しいブログを立ち上げてそちらで書くのが良いのでは?
と思ったりもしたのですが、考え直しました。
もし、覚醒してなお、私と同じような内容で悩まれる方がどこかにおられて、
私の気付いた事をシェアすれば、その方の心の重荷がちょっとだけ、軽くなるかもしれない。
堂々巡りをふと止める事が、できるかもしれない。なんらかのヒントになるかもしれない。

また、このブログを立ち上げてから、数々のエピソードやお気持ちを聞かせていただく中で
「覚醒後の、心のありかた・おきどころ」に戸惑う・すっきりしない・・とのお声が多数ありました。
それが何処でも、自分の心がすっきりまるくおさまる場所へ向かえば、それがその人の
正解だと思います。
私が書くことがみんなの正答だとは思いません。人それぞれ、正答があると思います。
これから綴っていく内容は、参考程度に読んでいただければ幸いです。
逆に言うと、覚醒後なんの悩みも問題もまったく無く、自分らしく快活に楽しく生きられてます!
って自信を持って言える方は、読まなくて大丈夫です。

当初ブログを立ち上げた頃の思い
「仏罰におびえる誰かに、そんなもの無いんだと、一歩を踏み出す小さなヒントになったら・・」
と同じく
「創価ロジック脱出後も迷い悩める誰かに、自分の中に答えを探す小さなヒントになったら・・」
この思いで、此処で続けていく事にします。


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昨年後半に、想定外のアクシデントがありました。
今まで遭遇した事が無かった種類の、ネガティブな出来事です。
昨年中は突然の出来事を確認・追うだけで精いっぱいで、「問題化」していませんでした。
それが、今年に入って精神的な疲弊・新たな事実を知ったことによる強いショック等で
完全に「問題化」し、過呼吸になりました。
鬱の一歩手前といってもいいと思います。
辛い気持ちに覆われ、何故こんな事になったのか・どうして私が悩まなければいけないのか?
と、えんえん苦しんでいる時にふと閃いた事がありました。
「これって、私が悩まなくてもいい問題じゃないの?」と。
そう気付いたら、なんだか急にすべてがばかばかしくなり、一切その問題に関わらないと決め、
私は無視を決め込むことにしました。
その問題がどんな結末を迎えようと、知った事ではない。
私に全く影響が出ないとは限らないけど、そうなったらそうなったとき考えたらいい。
(これが「問題解決のために、問題を手放す」です。結果、見事に解決しました)

とにかく「自分の問題」として抱え込むの、やめよう! そう決めた時・・

「あれっ?!」
「なんで私、今まで、なんでもかんでも、自分の問題にしてきたんだろう?」

こんな疑問が、50年近く生きてきて、初めて浮かんできました。
やりたくて、やってきたわけじゃないから、疑問が浮かんだ。
(やりたくてやっているなら、問題ないはずで、疑問なんか浮かびようがありません)
疑問がわいたという事は、裏に自分では気付いていない何かが潜んでいる・・と感じ。

過去にさかのぼって思いだしても、私は他者におこったトラブルの相談にのっているうち、
いつのまにか前にしゃしゃり出て、解決する役目となるパターンが非常に多かったのです。
女子部時代、部員さんのトラブルを解決した事、多数。
部員同士・または四者との些細な喧嘩の仲裁から、悪徳商法に騙された部員さんの
クーリングオフの手続きや、しつこい彼氏と別れたいという部員さんの盾になり、
相手の男を説得してみたり(・・いや、説得と言うよりほとんど喧嘩でしたが・・)
挙げるときりが無く。
一般の友達づきあいでも同じく、仲裁交渉や手配や付き添い、色々しました。
また、実家の家族内でも同じだったかもしれません(父亡き後、母の創価問題は私一人が
背負っていくんだ・・と思い込んでいた事など)。
結婚し、ママ友づきあいが始まってからも世話焼きというか、
頼まれても・頼まれなくても「私がやらなきゃ」←どういうわけかこんな考えで、動いてきました。
ただ、いつでも前向きな気持ちですべてに取り組めたわけでなく
「あれっ?なんで私がやってるんだろ・・?」と、突然複雑な気持ちになる事もありました。
それが顕著になりだしたのは、実は覚醒後(2012年以降~)で、
創価脳時代は、さほど苦ではなかったのです。
自分の時間をつぶして動いても、たいして感謝されることもなかったりw 
なんで私が?と、明らかにイヤなのに断れず、引き受けてやってみたり←これが園ママとの
つきあいの中で顕著になり・疲れ、ここ2年ほどつきあう人を厳選していました。
その効果か、この2年はわりあい感情の起伏なく・穏やかに過ごせてきていた中、
突如降ってわいた「とある出来事」は、ネガティブ要素満載の出来事でした。
(ここまで読んで、勘と記憶力のいい読者様なら思い当たるでしょう)
「殊更ネガティブという罠」という記事を、以前UPしましたが
この罠に、はまりかけたのです。

2015年後半、ネガティブな出来事に出遭った私は、解決策を信仰に求めることは
全くなかったものの、トリガーボタンを押された状態になったことは確かです。
「私がなんとかしなきゃ!」
「何が何でも、この問題を解決しなきゃ!」との、強い焦燥感と問題意識と独りよがりの責任感。
もし、私が覚醒していなければ、これが私自身の問題ではないにもかかわらず
ジタバタドタバタ、周囲を巻き込みながら動き・祈り倒していたことは間違いなかったでしょう。
そして問題を注視し続け・神経をすり減らし・体力もそれなりに消耗しながら、問題解決まで
執着を持っていたと思います。 
そして良い結果に終われば「信心のおかげ」。悪い結果に終われば「意味のある出来事」とする。
このパターンにならっていたでしょう。
しかし、今回の私は幸いにも覚醒していました。 
にもかかわらず、途中までは創価脳トリガーパターンにハマっていたのです。
「(自分自身の問題ではないけど)何が何でも、私がなんとかしなきゃ!」と思った。
これこそが、創価ロジックを抜けてもなお固く握りしめていた「思考のくせ」に起因する
ものであった、と気付いたのは3月のことでした。

心理学の手法で、その「思考」に至った理由づけ・根底にあるものを見て行きました。
”他人の問題なのに、どうして自分がなんとかしなきゃ!っていつも慌てて動いていたのだろう?”
最初は中々、わかりませんでした。
それが「習慣化」していたから・条件反射みたいなものだったから、理由がでてこないのです。
単純に「人の役に立ちたいから」なんて、私はそんな模範解答の理由、持ち合わせておらず・・。
(人の役に立ちたいと、純粋に思っていたならば、そもそも疑問は湧きません)
なんだろう、この違和感?
人の役に立ちたい・・じゃないのなら、一体なんなんだ?!
つらつらと、過去にさかのぼってその時に感じていたことや感情を思い起こしていたら
ある時「ふと」理由が出てきました。
”私、周りの人たちを「かわいそう」「無力」「非力」もっといえば「馬鹿」だと思ってたんだな・・”と。
裏を返せば”(周囲より優れた)私が周りの困ってるみんなを救わなきゃ!”と思ってたということ。

しかし、私は有能な弁護士でも、スーパーマンでも、創造主でもありませんw 
単なる一介の、過去はOLだったし、今はふつーの主婦。
そんな「ふつー」の私が、なんでそんな大それたこと・上から目線で思ってしまったのだろう?

ああ、これしかないわ「選民意識」
ドヒャー!!!!!!

↑ちなみにここに至るプロセスはかなり端折っています、実際ほかにも思い当たる節があり
それは「依正不二」という教義です。
もと創価脳な方ならおなじみの教義ですが、一応紹介しておくと
”自分と自分の周りを取り巻く環境は、別のものではなく一体。
 身の回りでおこる出来事は、全て自分自身と繋がっている・無関係ではない”
→周囲になにごとか起こると「宿業が出た!」と捉えるのが当然の創価脳。
私においても、自分に近しい人が遭遇したトラブルは我がこと同然=自分の問題として同一化、
だから「何が何でも解決しなきゃ!私の問題だから、問題を無くさなきゃ!」と、なっていたんだ・・と、
初めてその仕組みを理解しました。

うわー・・こりゃ、疲れるわ。 ていうか、実際疲れてたよ・・。
今回、私はかろうじて創価ロジックを抜けていたから「なんで私が悩んでるんだ?」と
途中で気付けたんだ(同一化を免れた)。
これ、創価脳のまんまだったら、問題を手放すなんて絶対にしない・できない。
しんどかろうが辛かろうが、がっぷり四つ相撲とってたよね~・・。と、ぞっとしました。
※これはあくまでも気付きの一例です。

また、この「(他人の問題を)私が解決しなきゃ!」は別の側面を持っており、
問題が自分の思惑通りに解決を見ると「やってやったぜ!」という達成感・高揚感や
「私はすごい」という喜び・自己肯定感を生む場合もあります。
それがさらに選民意識を高めることにもつながるのでしょう・・そして、他人の事に首を突っ込み
「必死」になっている、熱心な会員の大半は上記「成功パターン」の虜になってしまっている・・
だから、自他共の幸せ!と言いながらも、実際自分の事はすっとばしで他人のことに
必死になるのでは?と、気が付きました。
(↑他人を、組織 や 部員さん や 下種先 に置き換えてもOK)
そう、一番の問題は「自分自身」なのに。 自分(軸)がないから、他人に求めるのです。
(↑そしてまさに、これは私の事でした)

創価脳の人というのは、たいていが「お人よし」ですよね。
それは、もともとそうだったわけではないし・特別そんな気質の人ばかり集まってるという訳じゃ
ないのです。
創価教学による「刷り込み」・福子と呼ばれる、学会2,3,4世においては徹底した
家庭内プロパガンダ。
それが思考の「もと」となる部分に在るから、お人よしな言動・振舞いと繋がっているのだと
ハッキリと気付かされました。
「もと」とは信条や、思考に至る理由づけですが、それらの奥底を突き詰めれば
実はそれは、自分の本心からの思いではなく「刷り込み」「勘違い」「他人にもらった理由」
だったりするのです。
つまりはやっぱり「洗脳」で、自分が自分を見失った状態で振舞っていることになります。
私が今書いているのはほんの「さわりの部分」です。 他にも色々あります。
創価ロジックを抜けたとか、完全非活になってやったぜ!とか、脱会したところで
このパターンを崩せていない人は、相当数おられると思います。
そしてこのパターンを握っている限り、生きづらさを感じる事が多くなっても無理はありません。
だって「本当の自分」の声に従って、行動しているわけではないから。
理由づけがあくまでも「他者・外部・自分以外」由来だから。どのみち無理が出てくるのです。
これが積み重なってくると、再び創価に戻ることはなくとも、苦しさから、別の何かに救いを求め
依存するようなことにもなりかねない・・。

以前もちらっと書きましたが「自分軸」を失わせるような洗脳を受けている私達は、
「他人軸」になりがちなゆえ、答えをどこか他処に求めがちなのです。
すべての答えは、自分の中にあるにもかかわらず・・です。
(このくだり、まるで日蓮の「この御本尊まったくよそに求むる事無かれ~」なんですが・・
 私は、日蓮が法華経というツールを介して伝えたかった「ほんとのところ」は
 結局自分軸のことだったんじゃないか?と、思ったりしています。
 長くなりますので、それは今後追って書いて行きます) 
こういった事柄に気付き、洗脳とは、想像以上に、恐ろしいものだと驚愕しました。

「意識の変容」がなければ、このトリガーパターンを崩せない事を、心理学を学んで知りました。
自分が感じている問題・苦しい・つらい・なんで私だけ?私ばかり?という疑問、
ネガティブな思いの一番奥底を見つめればそこに、必ず原因がある。
長年の組織による刷り込み・家庭内プロパガンダによってプログラミングされた思考回路に
いったん自分で「気付く」ことで意識が変わる。
気付けたらそこで自動的にリプレース(入れ換え)になります。
「思い込みだった・間違いだった・本当は自分はこうしたかった」と気付ければOK。
すると問題が問題で無くなり・問題化しなくなるのです。

そして、「自分軸」。
「本当は自分はこうしたい」に気付くこと。
これこそが自分も他人も大切にできる生きかたに繋がっていると、私はそう感じました。
自分を大切に・優先出来ない人は、結果的に他人も自分も傷つけます。

創価ロジックを抜けてもなお、創価仕込みの「思考のくせ」を握っていた・・と気付いた時の私は
ショックでした。
こんなアンチブログを3年もやっときながらw 私なーんも変わってなかった?嘘でしょ?!とw
いうなれば・・創価脳アプリを全部たたきだしてやったぜ!と得意げになってたけど、
実はOS入れ変えてないから、小手先の問題は解決できてるけど、同じ事繰り返すよー的な。
カビ掃除をして表面上は綺麗になったけど、実は見えないところで深く菌糸は張っていて
根こそぎ退治しない限り、いたちごっこですよーみたいな。
本当に、創価の刷り込み・洗脳は生半可ではないと私は痛感しています。
3年経過して今頃やってきた気付き(notice)・・「思考のくせ」を入れ換える(replace)ことを、
第三次覚醒と呼びたいと思います。

次回から「とある出来事」を通じた気付き・・「元創価脳ならではの思考のくせ」
について詳しく書いて行きます。


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冒頭に書きました、書籍を紹介しておきます。
私が覚醒後ずっと悩み続けてきた思考習慣が「過去への執着・悔恨」でした。
「とある出来事」に関しても、この「過去への執着」「おこってしまった出来事への追想」で
日々心が重くてどうしようもなかったのです。
悩み続けてきたことの答えが、こちらに書いてあり、霧が晴れるように楽になれました。
素晴らしい本なのでお勧めします。

ニュー・アース [ エックハルト・トール ]
価格:2376円(税込、送料無料)



けっして怪しい本ではありませんw(アマゾンのレビューを読んでみてください)
仏教について書いてあるわけではないのですが、近しいというか、連想させる内容もあります。 
この本についても、おいおい詳しく書いて行きたいと思います。

もし今、「強い悔恨」「ネガティブな追憶」「執着」云々で悩んでおられる方がいらしたら
一読をお勧めします。
電子書籍版もあります(私はiBooksでDLしました)。
(注・決してまわし者ではありませんw)

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