過去への執着ー時間軸の逆転

「とある出来事」を通じ、強いネガティブな感情に苛まれた私でしたが
その間、頭の中を占領していたのが「過去(の出来事)に原因を探すこと」
(過去への執着)でした。

義母さんがどうして嵌められてしまったのか?
何のきっかけ?どうしてあれだけの金額に膨れ上がってしまったのか?
近隣に住むきょうだいの誰か一人でも、異変に気付けなかったのはどうして?
何故に、最後まで誰にも相談しなかったのか?
(ちなみに、家族が問いただしても詳しく話さないため、真相は闇の中です)
これ以外にも、たくさんの疑問がありました(次回書きます)。

すべての疑問は私が考えたところで、解る訳のないことばかりです。
なので「自分の知っている事柄(過去)から妄想を膨らませる」 結局やっているのはそんな事。
その出来事をなんとかして「理解」したい、そのためにストーリーを知りたい(作りたい?)、
こんな動機があったかと思います。

創価脳は、ネガティブな出来事があれば、信仰の中身・姿勢に原因を見つけ出そうとする。
また、過去世からの「宿業」という、誰も見ることのできないものを原因にすることもありました。
「三世(永遠の生命)」など、過去→現在→未来・・という時間軸の教えを柱とし、
日蓮御書の一節(「開目抄」)をひいて
”過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば
 其の現在の因を見よ” を引用し、過去と未来の為にいま、信心(学会活動)に励んどけ!と
子供時代から、日常的に叩き込まれたものでした。
(余談:この引用部分、日蓮自身が紡いだ言葉ではなくて、教主釈尊の教説「因果教」なんですね・・
 てっきり「日蓮説」だと思っていました!←こんなことが多すぎるorz 切文教学の弊害かと)
そして「以前から真面目にコツコツ信心(活動)やってんのに、ネガティブな出来事が起きた」
という、一見整合性の取れないパターンに遭遇した場合に
(誰も見たことのない)「過去世の宿業」または「家族の誰かの宿業」を持ちだすのも
組織内の定説であったと思います。
幹部指導で必ず「宿命転換の時来たりだよ!」と云われるのも、上記所以でしょう。

「いま」があるのは、「過去」があるから。
「過去」が「いま」を作っている、という認識。
だからこそ過去に原因を探る・・これは至極当たり前で、創価脳でなくとも、一般人の多くも
やっていることでしょう。
過去の経験則から物事を分析することは、自然な行いとして定着していると思います。

「とある出来事」にあうずっと以前から、覚醒後に私が漠然と悩んでいたのは
「過去への囚われ」でした。
「信仰の内容」やら「過去世」という(組織に都合のいい、嘘の)正解に求めなくなった分、
覚醒後は堂々巡りが増えたのです。
現実的な手立てをもって、問題が解決したにしても、その原因を過去に探し・分析したくなる。
「過去」「おきてしまったこと」そして「過去の出来事の意味」への執着を手放すことが難しく。
ネガティブと思われる出来事に対して、それは顕著でした。
なかなか気持ちを切り替える事が出来ず、いつまでも引っ張られるのです。
「あの時あんなことが起こった・・また、同じ事がおこるんじゃないだろうか?」と不安になったり。
「あの時あんな風にしてしまったけど・・他に方法があったのではないか?」
「あの時あの人にこんな事いわれた・されたけど、あれって何だったんだろう?」
「あの時ああしたから、今こうなってしまったんじゃないだろうか?」
「あの時あんなこと、言わなきゃよかった・やらなきゃよかった!あのせいでこうなったんじゃ?」
「あの時こうしておけば、こうはならなかったのかもしれないorどうなってただろうか?」
たいていは「後悔」。 そして何気なく流してしまった事に、重大な意味が隠されていたのでは?
という置き去りにした原因探し。
それで腑に落ちるときもあれば、何の答らしきものも見つからないときもある。
勿論、ポジティブな出来事に対しても
「過去のあれが今こうなってよかったんだ!」「過去こうしておいたから、結果出た!」など、
過去と結び付けて今を納得するのが大好きwでした。
まったく後ろばっかり振り返って見てる・うしろ向きの人生だったのです。
(↑ただ、第三次覚醒前はそんな自覚、ありませんでしたw これは現在の評価です)

「とある出来事」に対して過去をいくら掘り返しても、主人公は「私」じゃないので
(当事者は義母さんですから) 当然答えなど出ず、疑問と疑惑が深まるばかりでした。
そうするとますます気分も滅入りますし、いい事なんかひとつもないw
ここでもある日突然、苦しさMAXになり、ふと
「どうして私は、過去に囚われてばかりいるのだろう?いつまでも考えてしまうのだろう?」
と疑問が浮かんだのです。

だって”過去”に”今起きている事”の原因があるって教わったからじゃん!

それ、創価の教えだけどねw
いやいや、世間でも因果律は定説じゃん・・いや、待てよ?となり。
思い付きで検索してみたのですが(キーワードは失念)これまで目にした事のなかった
時間軸の新説を発見し、驚きました。
認知科学者である苫米地英人さんの「時間は未来から過去へ流れる」というものです。
wikiの「時間」カテゴリにその説が掲載されていたので、リンクを貼ろうと思っていたのですが
先ほど確認したら消えていました(残念)。 
某サイトから一部抜粋しますが、

現在は一瞬で過去になります。
今、現在だったことはちょっと前の未来です。
今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。
当たり前のことですよね。現在の行為が過去になるのです。
つまり現在の結果が過去です。
あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、
過去へ消えていっているわけです。


このサイトの一番後半部「二度とやってこない過去と未来には何の関係もない。」にも、
少し説明がありますので参考にご一読ください。

この説を読んで、目からウロコでした。こんな考え方があったなんて!!と。
ただ自分の中で「感覚」として落とし込むには、少し時間がかかりました。
やはり、50年近くも固く握りしめてきた概念・思考のくせはそう簡単に逆転できず・・。
どうしてもイメージとしては「これをやったから(過去)~こうなった(結果・現在・未来)」が
スタンダードで。
過去に因(理由)があるのだ・・とのベースが固定常識化しすぎており・・頭が固いんでしょうねorz
或る時たまたま、しっくりきた事があって、それはとある公演を見に行った時でしたが
数か月前にチケットを買って(過去)→見に行った(現在・未来)ところ、出演者事情で
公演が延期、見る事が出来なかったのです。
”あー、こういうことか・・”と。
チケットを買った時点で、中止になる可能性なんてほぼ考えません、通常は。
「見る事が出来て当然」という結果を求めてチケットを買いました。
でも、中止になった。
この(未来の)公演が中止になる因を、(過去に)私や出演者側が何か仕込んだわけじゃない。
たまたま、その当日にそうなった。 これは未来が流れてきたんだ、と非常に合点がいったのです。
リンクを貼った苫米地さんの解説の中に「川上から流れてくるボールの色」の話がありますが
これと同じ事だ、と理解ができました。
赤いボールの次に青いボールが来る絶対の法則性は、ない。結果は偶々。
”過去に意味は無い・結果に過去なにしたかは関係ない”ってこういう事か!と。
いったんこれが感覚として解ってくると、全部辻褄が合うようになりました。
予測のできるアクシデントも、全くないとは言いませんが、出来ないアクシデントのほうが
世の中多いのではないでしょうか。 
これだけテクノロジーが発達しても、巨大地震が正確に予知できないのと同じです。
なぜ東日本大震災や、九州の震災があの日に起きたのか?を、過去に遡ったところで
近似するデータが出てきたにしても、確たる理由や原因づけにはなりません。
これを創価脳だと「いやそうじゃない、一念三千・因果具時じゃ!」とか持ち出すんでしょうがw
そんなこと言ってるから現実を変えられないのだ、という事をもう知った方がいいと思います・・。
そして、創価ロジックを抜けてなお、私が「過去」にこだわっていた、その奥底にあったものも
この昔叩き込まれた教学「一念三千・因果具時」なかでも「究極の因は過去世にある」との
刷り込みだったと行き当たりました。
ただ、「因果具時」は、未来を同時に含んでの事なので「未来から過去へ」という
時間の流れの解釈があてはまるのです。要は、捉え方・解釈の違いでしょう。
宗教依存を強める目的があったか・なかったかは知りませんが、過去世の変換(宿命転換)や・
過去現在の罪障の消滅を教義に取り入れ・より強く「過去」にフォーカスさせたのは
一体誰なのか・・これはなかなか興味深いテーマかと思います・・。
私は掘り下げる暇がないので、どなたか調べてくださいw(←他力)。

以前の私の時間軸(過去から未来へ時間が流れている)イメージは、
過去という時間に背中を押されながらずんずんと未来へ進んでいる・・というもの。 
振り返るといつも、そこには過去があって、そっちばかり見てる、後ろ向きの人生でした。
後ろばかり見ていても、過去がちゃんと背中を押してくれるので前に進んではいるのです。
ただ、「いま」、後ろばかり見ているが故、「前(未来)」の展開を自分でどう描くか?という
事に対しては、かなり意識が低かったといえます。
思いあたった事ですが、私が一切の創価流日蓮教義を否定して以降、あらゆる先の出来事を
「楽観視」しなくなっていました。
それまで握っていた選民思想の拠り所が打ち砕かれ、根拠が無くなったと思った故
(そもそも、根拠なんか不要だったという事を心理を学んで知るのですが、それは後日)
必要以上に用心深く・楽観主義を持たないよう・無意識に現実主義~やや悲観主義寄りに
なっていたのです。 
それが更に、過去にばかり目を向ける因になっていたのかもなと。皮肉なことですがw

しかし、「時間は未来から過去に流れている」という説を知ると。
私のなかで浮かんだイメージは、時間が・未来が前方から突風のように吹いてくるイメージ。
すると、前を見ます。何が飛んでくるかわからないから、しっかり前を向かなければ。
後ろばっかり見てたら、いいものも・避けるべきものも見逃し、いいものをキャッチできず・
悪いものにぶつかって倒れてケガするかもしれないw
これはもう、後ろなんて見ている場合ではない。絶対前向いとかなきゃダメだな!と。

先ほどリンクを貼ったサイトから一部抜粋しますが
未来に何が起きるかで、今何が起きるかということがあるから、過去に何したかは、一切関係ない。
時間は未来から過去に流れる。すべて未来の因果が現在を作る。
過去の因果は過去に流れていくだけで、なんの関係もない。

この苫米地氏の言葉が、すっかり腑に落ちて。
だって、これまでいくら過去に囚われて原因・犯人探しをしたところで、100%正解なんて無かった。
100%納得できる答えなんかなかった。
創価脳の頃は、100%納得できる原因がないときは(見たことのない)「過去世の宿業」ってことに
しておいた。 
得体の知れない理由が解らないものに対して、名前と理由が付けば
ひとまず気が楽になるから。
しかし、これが実は「過去世なる、実態のない事柄による自分責め」であったと
今なら理解できますし、これが創価(宗教)依存の鎖になっているんだと解ると、もう・・。
そんな、奴隷みたいな生き方やめようよ~。と、言いたいのです。
殊に、自分も誰もみたことない「過去世」の罪障消滅なんて、無意味だってことです。
現世の過ちについては、自省すべきは自省し、潔く認め謝罪をし、区切りをつける。
その過ちを「未来がうまくいかない糧」として、えんえんと握りしめていく必要はありません、
それは足枷になるだけだから。
向かい風でやってくる未来のチャンスを、躊躇で受け取れなくなることだってあるからです。
(ただ、心理を学んでいくと、「未来がうまくいかない糧」を自分が握りしめておきたくて、
手放したくなくて、やってる場合もある・・と出てきます。 
”うまくいかないほうが、自分にとって都合がいい”という嘘のような本当の話ですw
このテーマもまた、別の機会に書きたいと思います)

また、別の角度で見れば「これだけやったのに結果が出ない」も、同じかと思います。
努力(過去からの積み重ね)は必ず報われる・・とは、残念ながら限らない場合もある。
別の何かだったらすんなりうまくいくのに・たまたまそこに拘ってるから結果がでないだけ、
そんなことだって人生にはあります。
また、結果が出ない・・でも自分にはこの道しかないんだ!と、結果なんて関係なく
自分の情熱と意志のみで継続したら、ある日とつぜん開花・思いがけない結果がやってくる、
なんてこともあります。
そう考えるとやはりある程度、結果(未来)というものは決まっていて・その結果が
良くてもダメであっても、その人物にとっての「最適」が用意されている・・と考えても
いいのかもしれません。
何が起きても、受け入れる。抗わない・問題化もしない。最適なのだから。
(・・と、これはエックハルト・トール氏の「ニュー・アース」に絡んだ話なのでまた後日)
このバイオリズム的な流れに信仰を絡め、
(ネガティブであっても)「最適」を「宿業の嵐」なんて捉え、信心根本!と振り回されすったもんだ、
最終的にはすべて「信仰のおかげ」としていくのは、私は違うんじゃないかなぁ・・?と思います。
ただ、人それぞれ・好き好きがありますので、信仰のおかげにしておきたい人はそれでいいと
思うし・くれぐれも自己完結でお願いしますね~!と、思います。

過去になんて、原因も意味もない。
終わってしまったことに、過ぎたことに、いついつまでも執着を持たなくていい。
また、過去世の罪業なんて誰も見た事ないものにおびえなくていい。
いかに早く意識を切り替え・心の整理をつけ、ただ自分の機嫌をとって生きてゆくか。
自分とまわりの世界を信頼し、新しい未来の流れにのってゆく。
それが心地よく自分を生きていく術だと、いまの私は思います。

この本にも「時間は未来から~」の説明が漫画で描かれていて
非常に解りやすかったです(151ページから)

立ち読みしなさい! [ 苫米地英人 ]
価格:1512円(税込、送料無料)


↑この本においては、夢を叶えるための方法として
「過去を向いて、できないことへの理由探しをしている間に、未来から流れてくるチャンスや
 必要な情報をキャッチできず不意にしてしまう。だから過去は関係ない、前だけ向くこと」の
重要性が説かれています。 
他にも”コンフォートゾーン”と”ホメオスタシス”の説明は、創価脳がたいして自己実現が
できなくても、組織を抜けられない構造そのものだと思いました。 
本書はあくまでも、夢を叶える為の指南書で、全体通して読むと???な部分もあるのですが
いろんなものごとの見方を知ることが出来、勉強になりました。 
大きな図書館にだったら、置いてあるかも知れません。

この苫米地氏の時間軸解釈を調べているうちに出遭ったのが
エックハルト・トール氏の「ニュー・アース」でした。
「ニュー・アース」を読むと、さらにこの時間軸の逆転についての理解が深まりました。
そして「ニュー・アース」の中に書かれたある事をやってみたことで
以降、過去に答えを求めたり・振り返ってクヨクヨしたり・イライラを蒸し返したりwすることが
劇的になくなり、本当に心地よく気分よく暮らせるようになりました。
これまでいかに自分が後ろばっかり見て、自分で自分の首を閉めながら・気分を害しながら
生きてきたかが、今になるとわかり、ぞっとします・・。
人生半ばを過ぎてしまいましたが、今ここに気付けて本当に良かったと心底思います。

次から「ニュー・アース」に答えがあった、私の長年の悩み
「過去への執着」その正体について書いて行きたいと思います・・が、
一記事では紹介しきれないボリュームのため「ニュー・アース」についてはカテゴリを設けます。
解説?とまではいきませんが、私なりに元創価脳wの琴線に触れる教えを紹介して
いきたいと考えております。
(違う記事が先に上がることもあるかもしれませんが、ご了承ください。)

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